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本著は、村上さんが季刊オーディオ専門誌「ステレオサウンド」に連載した 音楽に関する文章をまとめたものである。 「ステレオサウンド」は、3か月に一度発行されるので、 本著に掲載された10の文章は、2年余をかけて書かれたということになる。 そこに登場するアーティストは、誰もが知ってる有名人ばかりではない。 と言うか、私にとっては名前すら聞いたことがなかったり、 名前は知っていても、ほとんど馴染みがなかったりする人が多かった。 名前と顔とその音楽が、すぐに思い浮かぶのはスガシカオくらいか。本著にとりあげられているのは、次の11名である。・シダー・ウォルトン 今、現役で活躍しているジャズ・ピアニストで、村上さんが一番好きな人。 写真で紹介されているジャケットは『Pit Inn』と『Cedar!』。 ・ブライアン・ウィルソン あの『サーフィンUSA』のビーチ・ボーイズのリーダー。 写真で紹介されているジャケットは『Sunflower』と『Surf's Up』。 ・シューベルト もちろん、あのシューベルト(私もCDは5枚だけ持ってるがあまり聞かない)。 写真で紹介されているジャケットは、 Paul Badura-Skodaの『Les Sonates Pour le Pianoforte』と Eugene Istominの『Piano Sonata in D Major OP.53』。・スタン・ゲッツ ヘロインまみれのテナー・サックスの巨人。 写真で紹介されているジャケットは『Stan Getz at the Shine』と 『Stan Getz and the Cool Sounds』。 ・ブルース・スプリングスティーン 1984年に『ボーン・イン・ザ・USA』が大ヒット。 写真で紹介されているジャケットは『The River』と『Nebraska』。 ・ゼルキンとルービンシュタイン クラシック・ファンなら誰もが知ってる、泣く子も黙るピアニスト・巨匠二人。 写真で紹介されているジャケットは、 Serkinの『Brahms:Piano Concerto No.2』と Rubinsteinの『Brahms:Piano Concerto No.2』。・ウィントン・マルサリス ジャズ界初のピューリッツァ賞受賞者。 写真で紹介されているジャケットは『Standard Time Vol.2 Intimacy Calling』と 『Thick in the South』。 ・スガシカオ レコード会社から送られてきたデビュー曲『Clover』見本盤が愛聴の契機となった。 写真で紹介されているジャケットは『SMILE』と『クライマックス』。 ・フランシス・プーランク 私も名前は知ってるが、調べてみるとCDは一枚も持っていなかった。 写真で紹介されているジャケットは 『CBS不滅の名盤101 大作曲家自作自演集vol. プーランク』と Gerand Souzay,Dalton Baldwinの『Songs of Poulenc』。 ・ウディー・ガスリー あのボブ・ディランにも影響を与えたフォークの父。 写真で紹介されているジャケットは『The Land is Your Land』と 『Dust Bowl Ballads』。
2010.09.25
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とにかく売れた。 内田先生も真にメジャーな物書きになってしまった。 もちろん、これまでも決してマイナーな存在だったわけではない。 でも、ちょっとローカルを感じさせてくれる、そんな存在だった。 ところが、本著が想像以上に(スミマセン……)売れてしまったため、 その活躍のステージは、辺境から中央へと移動してしまった感がある。 関西ローカルのタレントやミュージシャンが東京進出を果たし、 見事に一躍メジャーな存在、売れっ子になってしまった感じ。以前からの内田先生ファンとしては、嬉しいような、ちょっと哀しいような、そんな気分。ま、私が一人で勝手にそう感じているだけなんだけど……だから、世の多くの人たちは、そんな風には感じていないだろう。だって、繰り返しになるが、これまでだって内田先生は十分にメジャーだったのだから。ところが、そんな私の気分が伝わったのか、(ウソです。本当は大手書店店長さんのブログでの指摘がきっかけ)内田先生は、新刊の塩漬け宣言をしてしまった。これは、池上さんや茂木さん、勝間さんをも巻き込む、ちょっとした事件に発展してしまった。 ***本著を読んで、今さらながらに、内田先生って哲学の先生だったんだと再認識させられた。村上さんについて語っているときとは違って、本著の記述は結構硬くて難しめ。そんな本が売れるんだから、世の人々が求めているものはそうなんだと、これも再認識。もちろん、本著で述べられている内容が、それだけ多くの人の共感を呼ぶものだったからだけど。 日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには 卓越した能力を発揮するけれども、 先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る。 ほとんど脊髄反射的に思考が停止する。 あたかも、そのようなことを日本人はしてはならないとでも言うかのように。 あたかも、他国の範となることが日本人だけには禁じられているとでも言うかのように。 そのようなことをしたら日本人は日本人ではなくなってしまうとでも言うかのように。(p.89)日本人がこうなってしまっている原因を、内田先生は中国や朝鮮との地勢的関係や歴史的関係を踏まえ「辺境」という言葉に集約。そう、日本はそうやって成り立ってきた国であり、そうせねば成り立てない国だった。そして、次のような日本人の態度が完成する。 「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、 世界標準を新たに設定することはできない」、それが辺境の限界です。 ですから、知識人のマジョリティは、「日本の悪口」しか言わないようになる。 政治がダメで、官僚がダメで、財界がダメで、メディアがダメで、教育がダメで…… 要するに日本の制度文物はすべて、世界標準とは比べものにならないと彼らは力説する。 そして、「だから、世界標準にキャッチアップ」というおなじみの結論に帰着してしまう。(p.97)まぁ、この態度は、世界を相手にしたときだけではなく、国内で、日本人どうしの時においてですら、そのまんまなんだけれど。「他の人と同じはイヤ」と、個性を前面に押し出すようなことを言いながら、実は、周囲と違いすぎることには、最大限の注意を払っている…… 日本人がどうして自分たちが「ほんとうは何をしたいのか」を言えないのは、 本質的に私たちが「狐」だからです。 私たちはつねに他に規範を求めなければ、 おのれの立つべき位置を決めることができない。 自分が何を欲しているのかを、他者の欲望を模倣することでしか知ることができない。(p.123)最後に、内田先生は日本人の辺境の態度の根本を「日本語」に帰結させる。この辺りの持って行き方は、本当に上手いなぁと感心させられてしまう。そして、自分はつくづく辺境の民だなと実感することになる。そこへ内田先生は言ってくれる。「まぁ、辺境でいいじゃないですか」と。これこそが、本著がバカ売れした理由だろう。
2010.09.25
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なかなか過激な一冊である。 このご時世、「派遣切りは正しい」なんて声高に叫ぼうなら、 各方面から袋だたきに遭うのは目に見えている。 それを承知で、著者はこの本を出版した。 「弱者の視点」が国をダメにする。 これも、世の流れとは全く逆行する主張である。 でも、「弱者は常に正しいのか」と問われれば、 そりゃ、「常にそうとは限らない」と答えるしかない……ともかく、本著において著者は後先考えず(?)かなり本音を言いまくっている。もちろん、それは著者の考えだから、全てが万人に受け入れられることはないと思うが、(私にしても、後半のプラチナタウン構想なんかについては「?」である)それでも、中には誰もが「本音としてはそうだなぁ」という部分があるのではなかろうか。 思春期に粗暴な行動に出る生徒はいつの世にもいました。(中略) けれど、「悪ガキ」「悪童」「不良」と呼ばれた少年少女にしても、 校舎を破壊し、消火器を噴射して回るなんて行動に出ることはなかった。 ワルにしたって、越えてはならない一線を心得ていたものです。(p.45)確かに、どんなワルにも以前はあった「仁義」というようなものが、全く感じられない、とんでもない、信じられない行動が目に付くようになった気はする。そして、その理由を著者はこう述べる。 そこには自分が周囲から如何にかけ離れた存在であるかを理解していたがゆえ、 これ以上の行為を行おうものなら、 もはや後戻りできないという恐怖があったと思うのです。なるほど。それは、そうかも知れないと、結構納得してしまった。そして、著者はこう続ける。 ところが、自分よりもっとすごいことをしているヤツがいる。 同じ境遇に身を置く人間がいる……と知れば、一面識もなく、 言葉を交わしたわけでもない人間に対して、強烈なシンパシーを抱くことになるでしょう。 自分は決して社会のはぐれ者ではないという意識を抱くようにもなるでしょう。これが情報化時代の怖いところかも。知らない方が良いことが、実際にはある。知りすぎてしまったがために、苦しむことになってしまうことが結構ある。それは、知ってしまったがために、自分のものを見る尺度が歪められてしまい、それによって、自分の目の前のことは、ほんの些細なことにしか見えなくなってしまうこと。とんでもないことをしているのに、大したことじゃないと感じてしまうこと。自分の行動にブレーキがかからなくなってしまうこと。 一つの事件がニュースとして取り上げられるたびに、 それが野火のように瞬く間に拡散していく状況を見るにつけ、 わたしはまるでメディアが手口を教え、問題を大きくしているように思えてなりません。 しかも、メディアがそうした行動に出た青少年を厳しく叱るならともかく、 たいていの場合、理解を示し、問題の原因を教育制度や社会、 そして行政、政治のせいにしてしまう。これは、少年問題だけにはとどまらない。今の日本においては、一事が万事この調子である。これこそが、衆愚の時代の本質であろう。
2010.09.25
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期待に違わぬ一冊。 ちょっと前に読んだ『チルドレン』がとってもヨカッタので、 伊坂作品2冊目を探していた私。そして、その目にとまったのが本著。 「砂漠って……?」というタイトルの意味も、読み進めればちゃんと分かる。 舞台は仙台、そこにある某国立大に通う5人がメイン・キャラクター。 東堂、南、西嶋、北村に鳥井という、麻雀絡みの姓を持つ男女 (実際にこのキャラたちは雀卓をよく囲む)が、繰り広げる学生生活。 そこには日常と非日常が混在し、いかにも大学生の過ごす日々。『チルドレン』もそうだったが、この作品においても、各キャラが見事に立っている。だからこそ、本著巻末「解説」のような、西嶋礼賛の読み手が誕生する。そしてこの「解説」、私がこれまで読んだ数ある「解説」の中でも逸品!!ま、私のお気に入りキャラは南なんだけどね。解説にもあるけれど、卒業式で学長が述べた言葉が、この作品の肝。 「学生時代を思い出して、懐かしがるのは構わないが、 あの時は良かったな、オアシスだったな、と逃げるようなことは絶対に考えるな。 そういう人生を送るなよ」と強く言い切った。さらに最後にこう言った。 「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」(p.533)まさに、これから砂漠に乗り出そうとしている旅人たちへの、最高の餞の言葉である。
2010.09.25
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5年3組の覇権を握るのは誰か? 新学級がスタートした頃、13あったグループが、 様々な場面・行事を利用して繰り広げられる、小君主たちによる闘争によって 次第に淘汰されていき、やがて二大勢力による大激突を迎える。 最後は、主人公がクラスを統一し、形の上ではハッピーエンドを迎えるが、 読み終えた後には、何とも言いようのないモヤッと感が残る。 もちろん本著は、誰もが肯定する良書とは真逆のものを狙って書かれたはず。 だがこれが、ちくま文庫の一冊に加えられてしまうとなると、やや違和感。そして、もう一つ気になったのは、登場人物の多さ(1クラス40人+α)と小学生を表現するため、クラス全員の名前が「ひらがな」表記になっていること。誰が誰だったか、いちいち確認しながらでないと、わけが分からなくなる。ま、そのため巻頭に、登場人物の細かい設定一覧が掲載されているわけだが……本著はマキャベリの『君主論』をベースに書かれたもののようである。「ようである」というのは、私が『君主論』を読んだことがないので、「ようである」としか言いようがなかったからである。『君主論』に描かれているのは、お話しなのか理論なのか?本著は、『君主論』の流れをそのままに、小学生バージョンに書き改めただけのものなのか、それとも、お話自体は全くのオリジナルなのか?それを知るため、本物の『君主論』を、ちょっと読んでみたくなった。そういう気を起こさせただけでも、本著の出版は成功と言えるのかもしれない。
2010.09.23
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「話し下手」とあるが、鈴木さんは元から話し下手なんかではない。 少年時代に極度のあがり症で人見知りがひどかったといっても、 それは小学校時代の話で、中学生になると弁論部に入り、 聴衆を直視できず、窓外を眺めながらも、地域の弁論大会では3位入賞。 こんな人のことを、話し下手なんて言わない。 だから、本著のタイトルを見たとき、そこに読者が期待するものと、 本編に書かれている内容との間には、相当ギャップがあると思う。 もっと相応しいネーミングがあったのではないか。もちろん、本著に書かれている中身自体は、大変示唆に富んでいて興味深いもの。例えば、 その行動経済学の中でも特に有名な理論がある 「人間は同じ金額でも利得から得る満足や喜びより、 損失から受ける不満足や苦痛のほうが二~二.五倍大きく感じる」 とするプロスペクト理論だ。(p.75)などは、普段の生活体験から、誰もが納得できるものであるし、それ故、 人は「してもらった満足」より「されなかった不満足」を大きく感じる (p.168)という提言についても、同じように素直に受け入れることが出来る。そして読者は、「不満足を感じさせないこと」の大切さを再認識する。さらに、 人間は「したこと」による失敗を後悔する。 しかし、これは短期的な話で、人間は時間が経つと感じ方が変わり、 長期的には「しなかったこと」のほうが後悔するようになるという。(p.128)についても、年齢を重ねるごとに、この言葉の重みを感じるだろうし、 人は時間をかけない方がいい仕事ができる (p.207)という提言をそこに重ね合わせれば、今後の行動を改善することが出来そうだ。そんな中、消費行動に関する最高の提言は次の。 人は「端っこの値段」より「まん中の値段」を好む (p.149)これこそが、商品ディスプレーの極意。そして、 商品を絞り込んだほうが顧客は選択に困らない(p.155)流石である。
2010.09.23
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ハッピーエンドを迎えるちょっと手前、 絶妙のタイミングで、どのお話しも終わっている。 そこまでのお話しの流れの中で、 誰もが、ハッピーエンドを期待できるところで。 村内先生の言葉や態度は、8つののお話しに登場する主人公たちだけでなく、 読む者の心も癒していく。 それは何故なのか、主人公たち同様、読む者にもハッキリとはつかめない。 ただ、先生はひとりぼっちの生徒のそばにいるだけだ。もちろん、現実の世界では、こんな簡単に問題は解決しない。これだけの行動や言葉だけで、ひとりぼっちの生徒の心を開くことはできない。だからこそ、村内先生はヒーローなのだ。上手く話せないけど、大切なことだけを話してくれる。久しぶりに、心地よく重松ワールドに浸ることができた。それは『きみの友だち』に通じる世界。
2010.09.21
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どうすれば自分の店をお客さんで一杯に出来るのか? そのヒントを与えてくれるのが本著。 しかも、そのつもりになれば、すぐにでも出来そうなことばかり。 そして、その視点は「その手があったか」と目から鱗が落ちるもの。 商品力・価格力・接客力 お客を呼ぶには、最も重要だと思われる三つの要素を、 著者は「これだけではお客さんは集まらない」と言う。 逆に、売れ筋商品でなくとも、価格が高くとも、お客は集まるのだと。要は、リピーターを増やすこと。既存のお客さんを常連にしてしまうこと。そのために、ニュースレターで店主を好きになってもらい、段階を経たセールスレターを送ることで、読み手に行動を起こさせる。そして、本著の肝は第4章。中でも、次の二つがポイントだと感じた。それは、・「商品」を売ってはいけない。「コンセプト」を売らなければならない。・ターゲットは、「どんな人たち」ではなく、「誰」でなければならない。本著のタイトルには「裏ワザ」とあるが、本著で述べられているのは、決して「裏ワザ」ではないと感じた。リピーターを増やす、コンセプトを売る、ターゲットを明確にするなんて、まさに、東京ディズニーランドの成功の要因そのものだ。続く第5章も、第4章同様に本書の肝。自店の競争上の地位を知り、戦略を選ぶ。ターゲットを明確にして、市場を積極的に細分化し、中小規模飲食店なら、マーケット・ニッチャーを目指す。もちろん、誰もがディズニーランドと同じことはできない。では、どんなことができるか?そのためには、まず自身を知ることが出発となる。そして、目的地を決め、地図を用意し、そこに突き進むのだ。覚悟を持って!
2010.09.20
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本著は、家電量販店で働く様々な立場の人たちのために、 「お客さんを怒らせないためにはどうすればよいか」についてのヒントを 15のエピソードを題材にして、解説するという体裁を採っている。 家電好きの私には「あるある」の連続だった。 私が家電量販店に出向いて、一番イヤな気分になるのは、 店員さんが、私の後を執拗につけ回してくること。 私の場合、家電量販店に出向く時点では、ネットでの事前情報収集は一通り終え、 購入候補も既に絞り切り、現物の確認とその店の販売価格を確認するのが目的。ところが、立ち止まってちょっと現物を見ようとした段階で、すぐに声がかかる。その介入のタイミングは、他の商品の販売店舗では、絶対にありえないほどに早い。何をそんなに焦っているのだ?(特に業界一位の店舗)それとも、私がそれほど怪しい人物に見えるのか?我慢して、しばらくの間適当に話を合わせても、そこから出てくる情報は、もう知っていることばかり(機能・価格等、何日もかけて調べ上げ、購入候補も決まっているのだから当然)。なのに、何時まで経っても私を解放してくれず、ずっとついて回り続ける。落ち着いて、現物を見て、触れて、最後の決断をしようという時に、なぜ、その最も貴重な瞬間を私に提供してくれないのだ?だから、家電量販店に出向いたときには、本当は購入するつもりで出かけたときでさえ、「じゃあ、また考えてきます」と言って、売り場を離れてしまうことになる。おっと、本に書かれていることについて述べるのではなく、自分の愚痴になってしまった……とにかく、その他のエピソードも、思い当たることばかりで、顧客視点で読んでみても、十分に面白く、他業種の店舗販売においても、接客に生かせそうなヒントが満載である。
2010.09.20
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<リア充>とは、インターネット上のスラングで、 バーチャルではなくリアル(実生活)が充実しているという意味をもち、 金持ちで、モテて、コミュニケーション能力があって、友達もたくさんいる という状態を示す言葉(「はじめに(p.4)」より)。 本当は存在するはずのないものや状態を「ある」と信じ込み (それを信じ込ませてしまう、各種の情報発信には大いに問題あり)、 それを手に入れることのできない自分自身の姿を悲嘆し、 それを手に入れることを阻んでいる社会や、自分を受け入れない周囲を攻撃……本著は、2008年に発生した秋葉原の通り魔事件にスポットを当て、現在巷に溢れる「格差社会」「モテ/非モテ」「人間力」「友達」等々におけるルサンチマン感情(強者への妬みや憎しみ)を解体すべく、編集者の質問に、金沢大学法学部の仲正昌樹教授が答え・語る構成となっている。 自分がダメな人間なのを、文科省とか、受験地獄のせいにするのは、幼稚な発想です。 少し話題がそれるけれど、テレビの番組とかで、若者の戦争についての意識調査をやると、 街頭インタビューで、「学校で教わっていなかったから、 日本がアメリカと戦争をしたなんて知りませんでした」と 平気で言ってのけるような若者が出てきているでしょう。(中略) 「学校で教えてくれなかったから」という、そう言う問題なのか? そういう安直な学校批判をまかり通らせている風潮こそ問題です。(p.168)学校は「勉強をするところ」という概念は、昔から変わらない。けれど、「勉強」というものの概念は、ずいぶん変わってきていると感じる。消費活動を基本軸とする社会へと変貌した現在、各所で効率向上のための分業化が進展し、日本の学校は、人間の成長に必要な全てを「教育」することを求められるようになった。 学校で、どうしても生徒を評価しないといけないのなら、 「人間力」のような曖昧なものではなく、 単純に「学力」だけで評価した方がいいと思います。 なぜかというと、「人間力」というような人格的なもので評価すると、 先生の主観が入って絶対に不公平になるし、 本人にとっても人格を否定されるようできつい。 “学力だけ”で評価した方が、 「このルールの下では、君はこういう成績だったけれど、 本当は人間の能力はそう簡単に測れるものじゃない。 別のルールで図ったら、君の能力はもっと高いかも知れない」、 というふうに納得させることもできる。(p.168)至極もっともな意見。というか、学力そのものの評価についてさえ、それを完璧に測るなんて、絶対にできない。なぜなら、人間の能力を完璧に測定しうる物差しなんて、どうやったって、造り出すことはできないのだから。だから、100%の自分自身、その持てる能力を、他人に分かってもらおうなんて期待するのは、全くもってナンセンス。というか、自分自身について完璧に理解・把握することは、自分自身にすら、出来ることではない。だから、生きていくことは難しい。そして、逆に面白い。完璧には分からないから、その不明瞭さに不安や恐怖、戸惑いを覚えるけれど、逆に、その不明瞭な部分に一筋の光明・希望を見出し、前進できることもあるのだ。
2010.09.20
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お話しは、ハッピーエンドのように終わってるけれど、 読後に、すご~くイヤな気分が残ってしまう作品だった。 海堂さんの作品は、これまで色々読んできたけれど、 こんな気分のまま読了してしまったのは始めて。 もちろん、その理由は理恵のとった行動にある。 代理母出産という問題そのものについても、人それぞれの 生命誕生に対する価値観や倫理観の相違から、意見が分かれるところだが、 理恵のとった行動は、そんな次元の問題ではない。もちろん、作者である海堂さんが、理恵の行動を肯定しているとは思わないが、その行動に対する否定的な記述は、作品中においては見受けられない。先にも書いたように、本当にハッピーエンドのような締めくくりになっている。また「解説」における書評家の記述も、理恵の行為を肯定しているかのようだ。『マドンナ・ヴェルデ』を読めば、この辺のモヤモヤとした気持ちは、スッキリとクリアになってくれるのだろうか?しかし、ひょっとすると、その作品を読むことは、私にとって、海堂作品との決別に繋がってしまうかも知れない危険をはらんでいる。
2010.09.19
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プレジデント 2010.10.4号のテーマは 「年代・役職別」昇進・抜擢・左遷の分かれ目 エラくなる男、用済みになる男さて、今回の特集ページは大いに興味深いものだが、そこに至る前、ページをめくる手が止まったのが『経営時論』のコーナー。今回の担当は、神戸大学大学院経営学研究科の加護野忠男教授。このコーナーの担当者の中でも、私が特にお気に入りにしている方の手による記事。 ***「ガバナンス」とは「統治」のこと、日本では、多くが「コーポレートガバナンス(企業統治)」の意味で使われている。ガバナンスで難しいのは、よい経営が行われているかどうかの判断。よい経営が行われているかどうかの重要な条件には、売上成長率や利益率等の数字で表されるもの以外に、不祥事防止がある。そして実際には、ガバナンス問題は、不祥事の問題をきっかけに認識されることが多いため、ガバナンスを論じる際、不祥事防止だけが過度に強調されてしまいがちだという。ところが、次のような現実がある。 不祥事を防ぐ制度、つまりよくないことが起こらないようにする制度と、 よいことが起こるようにする制度とは違うのである。 よくないことを防ぐ制度はよいことを起こさせなくしてしまう傾向すらある。(p.22)まさに目から鱗が落ちる指摘である。現在の企業は「失敗しない」ことばかりに目がいってしまっており、「成功する」ことへの貪欲な姿勢が失われているようにさえ感じる。この空気は、企業だけでなく非営利組織にも同じように出口のない閉塞感を産み出している。そして、不祥事防止のためにメリットがあるとして、近年流行しているのが、外部からトップを招聘することである。この現状に対して、加護野教授は次のように指摘する。 モニタリングは、事情に精通している内部者のほうが よりよい情報をより速く集めることができる。 最高意志決定機関にどのような情報を提出するかを決めるのは内部者であり、 外部者は、どのような情報が隠されているかを知ることが難しいからである。(p.23)これは、内部にいるものなら誰もが知り、感じていることではないだろうか。内部に精通していないものだけが、過度に外部に期待してしまいがちだ。「餅は餅屋」なのであり、餅屋をどれだけシャンとさせるかが、最も重要な問題なのである。外部人材は、餅屋にシャンとさせるカンフル剤的役割・存在以上にはなり得ない。 実際に組織体がよい経営をしていても新聞の記事になることはないが、 不祥事が起こると記事になり、多くの人々の注目を集めてしまう。 その結果、不祥事を再発させないということがガバナンス改革の目的になり、 よい経営をするという本来の目的は忘れられてしまう。(p.23)よい経営とは何か、企業や非営利組織の本来の活動目的は何なのかを、今一度問いなおすべき時期である。
2010.09.12
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『催眠』の嵯峨君登場。 私が松岡さんの作品に親しむようになったのは、 約10年前、TBS系列で放送されたTVドラマ『催眠』を見て興味を持ち、 その原作本を読んでみたことが、きっかけである。 そして、それが後の千里眼シリーズ愛読へと繋がっていく。 それ故、嵯峨君と言えば、私の中では未だに稲垣吾郎さんのイメージしかない。 実際、松岡さん自身も、嵯峨君を千里眼シリーズ等に登場させる際には、 稲垣さんを意識しながら、そのキャラを形容・表現し続けてきた。彼に対し、そんなイメージを持っている人が、もしも、いまだに多いとするならばこの作品を映像作品にする企画がもちあがったとき(ないと思うけど……)、キャスティングの大幅変更は、絶対に必要不可欠。この作品だけは、嵯峨君を稲垣さんに演じてもらうわけにいかない。その理由は、本著を最後まで読み通せば、誰の目にも明らかになるはず。それにしても、この作品、私のように、嵯峨君のイメージを強く持っていればいるほど、最後に、アッと驚かされることになるのでは。もちろん、読み進めていく中で「何だか怪しげ……」と、誰もが絶対に感じるはず。ところが、松岡作品に親しんでいる者ほど「そんなことにしちゃうと、今後困るよね……」という、余計な(?)心配をせざるをえないのだ。この愛読者心理こそ、筆者により仕組まれた、真実を見えにくくする最高の罠。まさに「松岡圭祐恐るべし!」である。
2010.09.12
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今回のお話しは「音」がポイント。 無料の店内BGM用音楽配信、 学校教員用のヒアリング問題音声ファイルダウンロードサービス、 そして、不特定多数のCDの、同時期大量レンタル。 これらの事件に絡むのが、K氏を彷彿とさせる音楽プロデューサー。 かつてはミリオンセラーを連発し、名声を欲しいままにした彼も、 今では経済的に相当追い詰められており、よからぬことに手を染め、 最後は、大暴走していくことになるのだが……それにしても、驚かされたのは「Tカード」に関する次の部分。Tカードを取り扱っているラブラドール飯田橋ヒルズ店レジでのその店のオーナー・結衣と莉子との会話。 画面が切り替わる。ポイントを貯められる提携チェーンの一覧が出た。 エネオス、ファミリーマート、ニッポンレンタカー、東急ホテルズ、ドトールコーヒー、牛角……。 スクロールしていくと、ラブラドール飯田橋ヒルズ店の表記もあった。 莉子がきいた。「お客さんがどこでポイントを貯めたかもわかるんですか?」 「ええ」結衣はドトールコーヒーショップ神谷町店をタッチした。 「たとえば、ほら」 その一覧表には、時刻と会員番号、注文した品の名称、価格、獲得ポイント数が並んでいた。 いちばん上の表示は、午前零時十三分になっている。 アイスカフェオモカのMと抹茶ラテをオーダーしていた。(p.43)何と、ポイントを獲得した店舗にだけ、このような購入履歴が残るのではなく、Tポイント提携チェーン全体に、このような情報が発信されているのだ。この事実を、皆が皆、理解・承知の上で、カードを利用しているのだろうか?
2010.09.05
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終盤に差し掛かり、残りページが僅かとなってきても、 なかなか、お話しの結末が見えてこず、 「このまま(3)へ続いていくのか……」と思っていたら、 最後は、本当に予想外の展開で、あっと言う間に終結。 「千里眼」シリーズも、ミステリー小説には違いなかったけれど、 どちらかというと、アクション小説の色合いが濃かった。 そのため、ミステリー小説としてのレベルで言うと、 (1)と(2)を読む限り、Qシリーズの方がかなり高いと感じた。(2)では、莉子は故郷・沖縄で、小笠原は東京で、それぞれに偽札事件の真相を追うことになるが、結果としては、数々の情報に振り回され、なかなか核心に辿り着けない。しかし、その間の展開にも、松岡さんらしくトリビア満載。そして、事件の謎は、偽札事件とは何の関係もない、「万能鑑定士Q」に持ちこまれた、一枚の宝くじから解き明かされていくことに。最後は、「力士シール」と「ハイパーインフレ」とが見事に重なり合い、誰もが、あっと驚く結末を迎えることになる。今後のQシリーズ、期待しないわけにはいかなくなってしまった。
2010.09.05
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「千里眼」シリーズの筆が、ピタッと止まってしまった松岡さん。 そこに登場したのが『万能鑑定士Qの事件簿』。 「千里眼」シリーズ再開まで、暫しの筆休めかと思っていたら、 何と最近(5)まで出版され、(4)にはあの嵯峨君まで登場しているらしい。 ということで、このまま放置しているわけにはいかない状況となり、 とりあえず、(1)~(4)を購入し、読んでみることにした。 松岡さんの作品らしく、最新の時事問題や様々なコアな情報を織り交ぜながら、 テンポよく、お話しはスムーズに展開していく。(1)では、まず、このシリーズの主役・凜田莉子の生い立ちが語られる。彼女の故郷は沖縄・波照間島で、高校までは成績面で悲惨な状況が続く。ところが、高卒後に上京すると、リサイクルショップ社長・瀬戸内の支援を得て見事に変身、様々な知識を急速に身に付け、「万能鑑定士Q」の看板を掲げることになる。そんな莉子と数々の事件に関わっていくことになるのが、週刊角川編集部・小笠原。彼が取材のため、莉子に鑑定を依頼した「力士シール」が、大事件への幕開け。どうやらこれが、その後に日本を襲うハイパーインフレに関係しているらしいのだが、(1)では、まだその詳細が明らかにされていない。 *** 一話完結でなく、あくまでもシリーズ物としてスタートした『万能鑑定士Qの事件簿』。千里眼・岬美由紀のような、超人的身体能力は持ち合わせていないものの、美由紀同様、あるいはそれを上回る知識を持ち、また別の魅力を持つキャラクター莉子。彼女が、今後、どんな活躍をしてくれるか、とても楽しみになってきた。
2010.09.04
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