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「橋下主義」と書いて「ハシズム」と読む。 もちろん、これは「ファシズム」を連想させることを意図している。 しかし、なかなか上手いこと言ったものだ。 もちろん、自ら「独裁が重要」と言い放つのだから、橋下さんも文句はあるまい。 大阪市長選投票日も間近に迫ってきたが、橋下さんが一歩リードとのこと。 週刊誌によるネガティブ・キャンペーンも、何のそのといった感じで、 「何かを変えねば」「変えれば、今より良くなるはず」という期待から、 大阪での橋下さん人気は、今なお絶大なものがあるようだ。しかし、それと同時に、一種の危うさを感じている人が、かなりいることも事実。間違った方向に一歩踏み出してしまえば、しばらくして、「これは違ったかも」と気づき、後戻りしようとしても、何倍ものエネルギーが必要になってくる。特に、教育の問題については、より慎重さが求められる。そのあたりのことを、本著で内田先生は的確に示してくれている。自ら招いた論客たちに、総スカンを食うような「教育基本条例」を打ち出す人物に、大阪の未来を、子どもたちを、本当に託して良いのか、今一度考え直してみる必要がある。
2011.11.23
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2011年1月22日に行われた神戸女学院での最終講義を始め、 2008年から2011年にかけて、各地で行われた全部で6つの講演をまとめた 内田先生としては初めての講演録。 書きものの原稿からまとめられたものとは、また一味違う趣があります。 最終講義で印象的なのは、何と言ってもヴォーリズ建築の話。 学びの空間とは、かくあるべきと、深く感銘を受けました。 そして、その価値を理解できない市場原理主義者たち。 「学び」とは何かを考えるうえで、大きな示唆となりました。それ以外の講演においても、今まで知らなかった内田先生の経歴や実像に迫るお話しが満載。仏文学やレヴィナス、合気道のお話しには、先生の生きてきた時代を強く感じました。また、北方領土のお話は、これまで気づかなかった視点からの論述で、まさに目から鱗。太宰治や村上春樹さんが絡む「倍音」のお話しも、とってもヨカッタ。また、大学はいかにあるべきかというお話しには、思わず納得。「利便性や効率で学びは発動しない」「旗印をかかげて頑張り続けるのが学校」には、「学校」とは何なのかを、今一度深く考え直させられました。そんな中、一番付箋の嵐になったのは、2008年に行われた守口市教職員組合講演会のもの。 学校を「店舗」、子どもたちや保護者を「顧客」、 教育活動を「商品」というふうに見立てると、どうなるか。(中略) そんなことをしたら、その後子どもたちがまじめに勉強するはずがないという 単純な理屈がどうしてわからないのか、僕にはそれが不思議です。 だって、「お客様は神様」なんですよ。 「神様」というのは単に店舗や従業員に対して 上位者としてがみがみ注文をつけることができるという意味だけではありません。 全知全能のものとして、「そこで行われていることはすべてお見通しだ」と 宣言できる存在だということです。 子どもが「そこで行われていることは全てお見通しだ」と うそぶきながら教室に登場したときに、学びが成立すると思いますか? 現にそうなっている。 だから学びが成立しないのです。(p.212)これまで何度となく繰り返してこられた、市場原理に汚染された教育現場の実情解説です。 世の中には、度量衡そのものを新しく手に入れなければ、 何の話かわからないこともあるんだよ。(p.215)これは、ある大学で内田先生に「現代思想を勉強するとどんないいことがあるんですか」と訊いてきた、見ずしらずの学生に対しての、怒りをこらえてのお答え。 子どもたちにはこれから学ぶことの価値も意味も実はわかっていないという 根源的な事実を教えるのが、教育の存在理由なわけですから、 子どもに「みんなわかってるんだ」という態度を絶対に許してはならない。しかし、現実は、その真逆で、子どもは学び始める前に学ぶ内容の一覧性を要求し、教える側にも、その義務があると平然と言い放つ教育学者や教育官僚がいると嘆かれます。 矛盾するときに、子どもはすくすく成長する。 子どもは葛藤のうちにあるときに成長するんです。 結論めいたことを言ってしまうと、 教育というのは子どもを「葛藤のプロセス」に叩き込むことに尽きるんです。(p.232)そして、ここから例の「父、母、息子」には、おじさんが必要という主張を展開してから、 両親揃って学校に対して、異口同音のクレームをつけにくる。 つまり、両親の間でさえもこ子育て方針について矛盾がないというわけです。 葛藤がない。家族の間で価値観が統一されている。 これは子どもが成熟する環境としてはきわめて不利な条件だということになります。(p.234)と、異なる価値観を持つ大人たちに囲まれることの重要性、単純な価値観の中に巻き込まれ、規格化されることの阻止を説かれています。核家族化が進み、異年齢の子ども同士の接点も激減している現代の子どもたち。彼らにとって、今必要なのは、まさに葛藤を呼び起こす「おじさん」的存在だと思います。
2011.11.23
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センセーショナルなタイトルである。 そして、帯のキャッチコピーも、かなりショッキングである。 でも、中身はきちんとしたドキュメンタリー。 新聞記者らしい、足で稼いだ、リアルな情景が描写されている。 さて、タイトルに示された疑問に対する筆者の答えは、 実は、既に帯に提示されている。 本文では、「おわりに-自己主張の文化に対し伝える方法」、 235ページから236ページに掲載されている文章である。ただし、帯では一部省略されている。本文では、こうなっている(【】内が省略された部分)。 日本は、世界に冠たる捕鯨文化を持っているのに、 もっとプライドを持っていいのではないだろうか。 【そう、フェロー諸島の人たちのように。】 白人たちの食文化は、陸上だけでほぼ完結している。 多くの白人たちは、海洋の財産の貴重さに気づいていない。 それは、日本が知らせていないからだ。 今回の騒動にしても、ある面、太地町の人たちが主張しないから大きくなったともいえる。 堂々としているほうが伝わる。 それは、フェロー諸島の例を見てもわかる。 【この本のタイトル「白人はイルカを食べてもOKで……」における白人とは、 フェロー諸島やその周辺のノルウェーや アイスランドなどの国の人たちのことを意味している。】 彼らだって、反捕鯨団体から抗議を受けている。 イルカ食が正当とされているわけではないが、主張することで 【自分たちの食文化を】攻撃から守っているのだ。 【その意味での“OK”だ。 反対に、日本は、映画『ザ・コーヴ』で非難されたり、 南氷洋で調査捕鯨を休止せざるを得なくなったりと、 どんどん追い込まれているように見える。】 世界のほとんどの国は自己主張の文化のなかにある。 日本のような謙虚が美徳の国は少ない。鯨について、私たちは知っているようで知らないことが、よく分かった。1960年代、なぜ鯨肉がしばしば学校給食に登場していたのか。それが1970年代に入って、どうして急激に姿を消していったのか。そして、その背景にベトナム戦争が関わっていたこと。太地町でどんなことが起こっているのか。反捕鯨団体の活動がどのようなものであるのか。そして、その主張は、ああ言えばこう言うで、話がかみ合ってくれないこと。両者の溝を埋めるのは、そう簡単にはいきそうもない。ただ、鯨肉と水銀の関係については、本著を読んだだけでは、スッキリしなかった。
2011.11.23
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前巻は、あちこち色んなところで叩かれて、 「ONE PIECEも、遂に失速か?」なんていう話題が飛び交ったけれど、 今巻については、そういう話はあまり出回っていない様子。 私自身も読んでいて、前巻に比べ、読んでいてワクワクする場面が多かった。 まぁ、前巻に限らず、昔話がメインになっている時は、 読んでいて、どうしても気持ちが今一つ乗ってこない。 それは、麦わらの一味が、お話しに絡んでくれないためなのか、 それとも、結構重たいお話しが常で、しかも少々くどいことが多いためか。とにかく、お話しは動き始め、ルフィーたちも、パワー全開で暴れ始めた。このまま、それぞれが修行の中で身につけた新たな力を存分に見せつけて、とっとと、このシリーズを終わらせてしまって欲しい。
2011.11.23
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ヴェスパシアヌスの死後、皇帝の地位を引き継いだ長男・ティトゥス。 ヴェスヴィオ火山噴火によるポンペイ全滅、首都ローマの火災、疫病の流行と 次々に災厄に襲われるが、それらに誠実に対応していく。 しかし、民衆から愛された皇帝は、わずか2年余の治世、40歳でこの世を去る。 その後を継いだのは、弟のドミティアヌス。 彼は、競技場の他、多数の公共施設建設に着手し、インフラ整備を進める。 また、全長542kmにも及ぶゲルマニア防壁の建設も開始。 その建設を巡って勃発した、ドナウ川流域ゲルマン民族との攻防にも勝利する。だが、そんな皇帝に対し、高地ゲルマニア軍司令官サトゥルニヌスが、自分の配下の兵士たちに、自分を皇帝に推挙させるという事件が勃発。しかし、これは低地ゲルマニア軍の司令官マクシムスが、あっさりと撃破。以後、皇帝に対する軍団の忠誠心は堅固で、元老院、属州、民衆からの不満の声もなかった。にも拘わらず、ドミティアヌスは、15年の治世、45歳の誕生日を目前に暗殺される。寝室で睡眠中の皇帝を襲ったのは、皇后つきの解放奴隷だった。元老院は直ちに会議を召集し、ネルヴァを早々に皇帝に承認する。暗殺の首謀者が誰かも問われぬまま、ドミティアヌスは、記録抹殺刑に処されてしまう。そして、五賢帝のトップバッターとして、70歳で就任したネルヴァは、就任翌年には、突然後継者として、44歳の属州出身者・トライアヌスを指名する。さらに、その翌年、ネルヴァは自然死し、トライアヌスが皇帝の座に就くことに。この後のお話しは、第24巻から始まる「賢帝の時代」シリーズへと続いていく。 ***さて、本巻の中で私が最も印象に残ったのは、次の一節。 歴史家ギボンは、ローマがなぜ滅亡したのかと問うよりも、 ローマがなぜあれほども長く存続できたのかを問うべきである、と言った。 他民族、他宗教、多文化という、国家としてはまとまりにくい帝国であったにかかわらず、 なぜあれほども長命を保てたのか、ということのほうを問題にすべきだ、という意味である。 だが、それに対する答えならば簡単だ。 ローマ人が他民族を支配するのではなく、他民族までローマ人にしてしまったからである。 大帝国の衰退は各植民地の独立によるが、 ローマ帝国では、各属州の独立ないし離反は、最後の最後まで起こっていない。(p.69)何が、ローマに、そのような統治を可能せしめたのか。どのようにすれば、そのような統治は可能なのか。その答えの手がかりに、少しでも近づこうと、私は『ローマ人の物語』を読み続けているのである。
2011.11.20
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素晴らしい!! どうして今まで、この作品やこの著者を知らなかったのだろう。 偶然、本屋さんで平積みされているものを手にしなければ、 未だに、この優れた作品の存在も、才気溢れる著者の存在も知らなかったのだ。 考えただけでも、ある意味恐ろしい状況。 でも、これは私にとって、偶然ではなく必然であったのだろう。 今年も、残すところあと1か月半となったところで出会った一冊は、 私の今年読んだ作品の中で、間違いなく最上位ランクである。では、何がそこまで素晴らしいのかと言うと、まずは、音楽の表現である。これまで、『のだめカンタービレ』や『ピアノの森』といった作品において、私は、頭の中で音楽が鳴り響く体験を何度もさせてもらってきた。それ故、絵と文字を組み合わせにより、音を奏でることが可能なことは十分承知していた。そして、それと同じことが、本著を読んでいて起こったのである。文字だけで、これほど音楽を表現することが出来るとは、まさに驚き!主人公がVivaceやPrestoで演奏し始めると、こちらの読むスピードもシンクロして、ガンガン読み進めてしまうのである。もちろん、頭の中ではショパンやドビュッシーが鳴り響いている。主人公のピアノのタッチ一つ一つはもちろん、その身振りや息づかい、さらには、それを聞く聴衆の視線やホール全体の緊張感も鮮明にイメージできる。『のだめカンタービレ』や『ピアノの森』をも凌駕する、圧巻の筆力。もう一つの素晴らしさは、それぞれのキャラが絶妙に立っていることと、ミステリー作品としての完成度の高さである。最後の最後まで、読者の予想を裏切り続けるトリックは実に巧妙であり、思わず元に戻って、キーとなる部分はどのように描かれていたか、読み直してしまった。そして、本著は単なるミステリー作品としてだけでは終わっていない。巻末の「解説」にも書かれている通り、青春スポ根ものの要素を、実にうまく取り入れている。それが、読む者の心を熱くさせ、本作により一層のめり込ませる、大きな要因となっている。まぁ、とにかく素晴らしい。『おやすみラフマニノフ』や他の作品も、必ず読みます。
2011.11.13
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副題は「嫌われたくない症候群」。 「自分にも、そんなところがあるな」と思って本著を読み始めると、 いきなり、大きなショックを受けることになる。 なぜなら、著者の加藤さん、そういう人をコテンパンにこき下ろしてるから。 かく言う私も、「自分は、かなりそういう人間だ」と思ってるので、 読んでいて、全くいい気はしなかった。 上から目線のぶしつけな言葉の連発に、居たたまれなくなった。 そんな感じが、第2章が終わるまで、延々と続く。それは、大凡こんな感じである。 はしがきにも書いたように、彼らはその敵意を外化する。 つまり自分の心の中に敵意があるのに、周囲の人が自分に敵意があると感じる。 自分の心の中にあるものを周囲の人のなかに見ることを外化という。 周囲の人が自分に敵意があると思ったら、嫌われるのは怖い。 「嫌われたくない症候群」の人は、自分の小さいころをふりかえってみてほしい。 やさしい人間環境のなかで成長しただろうか? おそらく違うはずである。 たとえば自分は「嫌われたくない症候群」であると思ったら、 小さいころ、家の人や仲間によくからかわれなかっただろうか?(中略) 「嫌われたくない症候群」の人は小さいころから知らず知らずのうちに、 敵意に満ちた人間環境のなかで、心に深い傷を負っているのである。(p.76)ここで私も、自分の幼少時を振り返ることになった。少なくとも、家族からそんな扱いを受けた記憶は全くない。じゃあ、仲間から?そう言えば、かなりいびられたり、からかわれた記憶はある。小学3年の時と、転校したばかりの4年の頃だ。しかし、それはごく一部の子どもたちからのものであって、周囲全てが、そんな感じで私に接していたわけでは決してない。しかも、今となっては、そんなことは、誰にでも起こりうるレベルのことであると感じる。 カレン・ホルナイが言うように、神経症者は自分に頼って生きていくことができない。 神経症者はわけもなく他人から好かれることを求める。 逆に他人が自分を嫌っているのではないか、他人に愛してもらえないのではないか、 他人に受け入れてもらえないのではないかと恐れている。 それは一つには自分の心の底に自分が認めていない敵意があるからである。 他人が嫌いだから、わけもなく他人から嫌われることを恐れているのである。(p.82)流石に、私はここまでのレベルには至っていないと感じた。しかし、このようなレベルと思われる人と接する機会は結構ある。それ故、この説明には「そういうことだったのか」と、とても腑に落ちた。今後の、そういった人たちへの対応に、とても役立ちそうである。そして、第3章に入ると一転、著者の加藤さんは、そういった人たちに向けて、手を差し伸べる。 ケンカはその場での勝ち負けよりも、心が落ち着いているほうが、勝ち。(p.201)嫌われることを恐れるな、自己主張せよ、戦え、と加藤さんは言う。そして、我慢するな、腹をくくれ、悟れと励ます。 人はこちらが我慢しても、それほどこちらのことを「立派な人だ」とは思っていない。 それほどこちらのことを気にしているわけではない。 あなたがものすごく我慢をしても、 相手はあなたがそれほど我慢しているとは思っていない。 切れる関係は切れる。そこが決断である。 我慢をしても体調を崩すだけである。(中略) それぞれの人はそれぞれで、自分の問題でせいいっぱいなのである。 好かれようとして我慢したからといって、それほど好かれるわけではない。 好かれようとして無理をして、我慢をして、それでも期待したものが返ってこない。 返ってこなければ逆に恨みが出てくる。 「これだけ我慢をしたのだから、少しはわかってくれるだろう」と思うが、 まずわかってもらえない(p.214)最初、不快な思いで本著を読み進めた読者も、最後のページを閉じる頃には、穏やかな気持ちになっているに違いない。だから、本著を手にする人は、最初の不快さを乗り越え、ぜひ最後まで読み通して欲しい。そうすれば、本著がたいへん優れた一冊であることに、必ず気付くことができるはずだ。
2011.11.13
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本屋で見かけて、「ちょっと良さそう」と思ってた一冊。 カスタマーレビューの評価も結構高く、気になってました。 そして、今回購入して、早速読書。 スイスイとイッキ読みです。 60ものテーマを、文庫本一冊で語るわけですから、 当然、一つ一つのテーマを扱う紙幅は限られてきます。 結果、1テーマについて、基本4ページで中谷さんがコメント。 かなりライト感覚なものに仕上がりました。なので、読後もライト感覚の延長線上に立たされたまま。「お~ぉ!!」と唸るような深みのある箇所は、残念ながら特になし。今時の35歳には、これくらいの塩梅が頃合いっていうこと?もう少し「ドォ~ン!!」と来るものがあっても良かったかと。ま、そんな中で、私が印象に残ったのは、次の部分。 「夢を実現するために『やらなければならないこと』をやっているんです」 というのは正論ではありません。 「それでは、どこまでいっても夢にたどり着けない」ということに、 早く気づくことです。(中略) 「やらなければならないこと」をやっていると、それで寿命は終わります。(中略) やらなければならないことは、一生なくならないのです。(p.29)
2011.11.13
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一年の内に三人の皇帝が相次いで倒れるという非常事態。 首都ローマの中で、ローマ人同士が戦闘を繰り広げ、 ローマ人を守護してくれる神々の神殿が、ローマ人の手で炎上するという惨劇。 このことは、辺境の異民族にも影響を与えずにはおかなかった。 ゲルマン諸部族を率いるユリウス・キヴィリスの反乱は、 やがて、ガリア帝国を創設し、ローマ帝国から独立する動きへと発展する。 この時、ムキアヌスは間髪をおかず、九個軍団を投入して対処、 ガリア系ユリウスたちも、ゲルマン系ユリウスたちに、同調しなかった。そして、ローマ軍を率いたケリアリスは圧勝、敗者には寛容の姿勢を貫く。同僚ガルスと協力してのライン河防衛線の再建においても、その姿勢は変わらなかった。一方、紀元66年夏に勃発したユダヤ戦役は、ユダヤ人とローマ人の考え方、文明の違いを考えれば、避けがたいものであった。 他民族に長く支配された歴史を持つ民族は、 現代人の考え方ではしいたげられた民族ということになり、 同情を寄せられるのが当然という感じになっている。 だが、しいたげられた長い歴史をもつということは、 それゆえの精神構造の変化をもたらさずにはおかないという、 現実にも眼を向ける必要がある。 具体的に言えば、自衛本能が発達せざるをえなかったゆえと思うが、 思考の柔軟性が失われてかたくなになる。 また、何に対してであろうと過敏に反応しやすい。 そして、過酷な現実を生き抜く必要からも夢に頼る。 ユダヤ教では、救世主待望がそれに当たった。(p.86)紀元67年5月、ヴェスパシアヌス率いるローマ軍が、ユダヤ北部ガラリアへ進軍開始。ガラリアを守っていたヨセフスは、やがて捕らえられたが、戦役も、イェルサレム攻略を残すだけとなった段階で、皇帝ネロの死去により中断。戦役が再開されたのは、ヴェスパシアヌスが皇帝に擁立されてからであった。ヴェスパシアヌスは、皇位を確実なものにするため、早期勝利を目指す。そして、息子の皇位継承者としての箔付けのために、ティトゥスに総指揮を任す。5か月におよぶ激戦の末、イェルサレムは陥落。これにより、ユダヤ人の反ローマ運動は、半世紀の間は鎮火した。 ヴェスパシアヌスの皇帝としての第一声は、 アウグストゥスとティベリウスとクラウディウスの政治を継承する、である。 歴史家タキトゥスによって ティベリウスとクラウディウスは悪徳皇帝として一刀両断されるのだが、 そうは思っていなかったローマ人が多かったことを示している。 とはいえ、カリグラ、ネロ、そして次々と入れ代わった ガルバ、オトー、ヴィテリスの名はあげていない点にも注目して欲しい。 これらの皇帝たちは、同時代人からも皇帝不適格者と思われていたのだ。(p.162)ヴェスパシアヌスは、皇位継承者としての息子たちの地位を確実なものにしようと、元老院の皇帝に対する不信任権を取り上げる「皇帝法」を制定する。そして、既成の支配階級の外に生まれた身でありながら、平和の秩序の再現とその維持を実現し、皇帝としての十年が過ぎた70歳でこの世を去ると、その皇位は滞りなく息子へと引き継がれた。
2011.11.06
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ギリシャに続き、イタリアまでも…… 今、ヨーロッパは大いなるな危機に直面している。 イタリアは、現在、単一通貨ユーロ圏3位の経済規模を誇る国であるが、、 今日、その財政破綻が現実味を帯びてきたとの報道が飛び込んできた。 このような時期に、本著から始まる「危機と克服」全3巻のシリーズを 読むことになろうとは、何という巡り合わせであろう。 が、紀元1世紀後半の30年間の危機の後、ローマはかつてない繁栄を迎えた。 ローマ人の歴史とは、まさに「危機と克服の歴史」であったのだ。 ***スペイン北東部の属州総督ガルバが、軍団を率いてローマに進軍、元老院はガルバを第一人者と認め、ローマ市民もネロを見放した。追い詰められたネロは自死の道を選び、生涯の幕を閉じた。こうして、30歳の若者から72歳の老人へと帝位が継承された。しかし、ガルバは次々に人心掌握の失敗を重ねてしまう。属州総督として、誰よりも早く自分を支持してくれたオトーをも自らの協力者としなかった。もし、ガルバが36歳のオトーを次席に選任し、タッグを組んでいたら……オトーが腹心ヴィニウスと共に執政官に就任した日、ライン軍団が反ガルバの狼煙を上げた。ライン河防衛の7個軍団の兵たちは、皇帝ガルバへの忠誠宣誓を拒否、ガルバに代わる人物として、低地ゲルマニア軍司令官ヴィテリウスを擁立した。そうとは知らぬガルバは、後継者として養子に迎えたピソを指名。ここに至って、オトーもガルバ支持から一転、近衛軍団の手で暗殺し、自ら帝位に就く。オトーは、ローマに向け南下してくるヴィテリウスに対し、共同皇帝の位を提案。しかし、ヴィテリウスはこれを一蹴、ライン軍団を率いて、さらに南下を続ける。これに対し、オトーはドナウ河防衛を担当するドナウ軍団の支持を得ることに成功。こうして、第一次ベドリアクム戦の火蓋が切って落とされた。これに敗れたオトーは自死、わずか3か月の皇帝在位期間を終わらせた。皇帝の座に座ったヴィテリウスは、オトー側で闘った各軍団の百人隊長たちを死刑に処す。また、敗軍の兵士たちは、円形競技場の建設や、新皇帝登位祝いの剣闘士にかり出される等、侮蔑的言動を受け続け、屈辱と憎悪が結びついた怨念を募らせることになった。このドナウ軍団の兵士たちの新皇帝に対する反感が、他の皇帝を擁立する方向へと進む。その支持を受けたのは、今は亡き名将コルブロ門下の俊英・シリア属州総督ムキアヌス。そして、そのライヴァルがシリア駐屯、ユダヤ方面司令官ヴェスパシアヌス。この二人とエジプト長官アレクサンドロスを加えた三人は、ヴェスパシアヌスの皇位実現に動き出す。ムキアヌスは軍を率いて本国イタリアに向かう。ヴェスパシアヌスは、エジプトのアレクサンドリアで待機。その息子・ティトゥスとアレクサンドロスは、イェルサレム攻略に向かう。そして、ドナウ軍団は自ら動き出し、ライン軍団との間に第二次ベドリアクム戦が始まった。ドナウ軍団はこれに勝利し、ローマへと向かう。これに対し、ヴィテリウスは退位を表明するが、ローマ市街戦は回避できなかった。 首都内での市街戦は、ローマの歴史ではこれがはじめてではない。 スッラが二度、キンナが一度決行している。 だが、あのときと今とのちがいは、徹底した民衆の無関心にあった。 首都の民衆は、内乱の行方などは関心がなかった。 市街戦という見せ物に、関心があっただけなのだ。 それゆえに、ちょうどサトゥルヌス祭の休暇と 時期を合わせたように起こった市街戦だったこともあって、 祭日に供される見せ物を愉しむのと同じに愉しんだのである。 この人々にとって、ヴィテリウス側が勝つか それともヴェスパシアヌス側が勝つかなどは、どうでもよいことであった。 こうして首都の庶民は、国家にとっての災難すらも快楽に変えてしまったのである。(p.198)紀元69年、こうして、一年の内に三人の皇帝が次々にあの世へと去った。その数日後、ローマに到着したムキアヌスは、ヴェスパシアヌスがローマに帰還する翌年秋まで、事実上の皇帝を務める。その手腕は見事の一語であった。 ***さて、私が本巻の中で最も印象深かったのは、冒頭「カバーの銀貨について」での一文。 もはや坂をころげ落ちるばかりのローマ帝国を書いていて思うのは、 中間と下部がダメになったら、いかに上部ががんばろうと何をやろうともダメ、 ということである。 反対に、中と下の層が充分に機能していれば、少しばかりの間ならば 上層部の抗争で生まれた弊害も吸収可能、ということでもある。そう、こんな時代でも、ローマ帝国は充分に機能していたのだ。今の日本も、後の時代の人々に、そう言ってもらえるだろうか。
2011.11.06
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とても身近な人が、先日イギリスに1週間の旅行に出かけた。 そこで、彼女が帰国したら、話のネタにしようと本著を購入したのである。 本著は、よくある旅行ガイドブックの類の書物とは、全く趣が違う。 これは、イギリス社会について、イギリス人が書いたエッセイである。 本著は、全部で19のトピックスから構成されているが、 実にバラエティに富んでおり、たいへん興味深いものに仕上がっている。 まず序盤は、「階級」や「天気」「国旗」「住宅」「料理」といった イギリス社会初心者向けに、しっかりとした掴みの話題が並んでいる。しかし、ページを捲るに従って、その内容は、かなりコアでマニアックなものに。「飲酒」や「酒場」を読む限り、著者はかなりの酒好きなようだが、彼によると、それは著者に限った話でなく、イギリス人には相当酒好きが多いそうだ。これは、私の中のイメージとはちょっと違ってた(紅茶好きなのも確かなようだが)。それと、本著にジョージ・オーウェルの名前が登場してきたのには驚いた。ジョージ・オーウェルは、私が今年読んだ『一九八四年』の著者である。本著の著者は、「最も偉大なイギリス人」を推薦するチャンスが巡ってきたら、ジョージ・オーウェルの名前を挙げたいとしているのである!さて、イギリスから帰ってきた彼女からは、クッキーをお土産にもらった。キャンベルのテディーベアショートブレッドで、缶には£6.99の値札が貼られていた。「イギリスの食べ物はもう一つ……」という私のイメージは、このクッキーで見事覆された!!しかし、本著に書かれてある内容について、彼女と語る機会には、まだ恵まれていない。
2011.11.03
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「心が強くなる言葉」が、1ページに一つ、大きな文字で書いてある。 それらは、「ツキ」「仕事」「人生」に関する言葉。 その数は、それぞれ27、24、そして23。 即ち、本書全体で74の「心が強くなる言葉」が掲げられている。 それは、例えば「ツキ」なら、「ツキは錯覚から始まる」 「仕事」なら、「稼げないのは、仕事をなめている証拠。」 「人生」なら、「人生は意のままになる」といった言葉であり、 基本、次の1ページに、著者がその言葉に対するコメントを添えている。私としては、「ツキ」においては、「心の中にあるメガネをはずせ」とか、「『他喜力』をもっているか。」「人気とは、成功への最強の能力だ。」「悪口は言わぬが勝ち。」「楽すれば苦あり。」「縁を徹底的に大切にしろ。」「『ツイてる』こそ、実力そのものなのだ。」なんかの言葉が、共感を覚えた。また、「仕事」においては、「3秒で気持ちを切り替えろ。」や「自分を信じろ。そして、相手も信じろ。」「笑顔と握手は最大の武器なのだ。」「嫌なヤツ、腹の立つヤツにほど感謝しろ!」「反省するなら、明日に向かってしろ!」「人生」では、「『3度目の正直』となれ。」等が、お気に入りだ。しかし、残念ながら、それらの各言葉に対する著者のコメントが、良く言えば、わずか1ページに、大変コンパクトにまとめてあるということが、悪く言えば、逆に物足りなさを覚える結果に繋がってしまっている。確かに、サクサク読めて、お手軽ではあるのだが……。実際、各節の最後の言葉についてだけは、それぞれ4ページを割いてコメントしているのだが、そこだけは、他の部分に比べるとずっと深みがあって、味わいがあるように感じた。全体としては、あまりに短すぎて、著者の想いが読者の胸の内に届く前に尻切れトンボ。ちょっと、勿体ない感じの一冊になってしまっているというのが、偽らざる本音である。
2011.11.03
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