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『別冊 図書館戦争 別冊1』を読んで、 あまりのベタ甘さにクラクラしてしまった私は、 「え~ぃ、ままよ」と、ライトノベルのハシゴ。 躊躇していた本著に手を出すことになってしまった。 (5)で小鷹と夜空との過去が発覚しそうになり、 「一体どうなってしまうのかぁ~!?」という展開だったはずなのだが、 本巻冒頭、小鷹の方は適当に隣人部のメンバーたちに誤魔化そうとしたのに、 夜空の方はと言うと、あっけなくその事実を認め、それにて終了。「こ、これで終わり……な・の・か……??」と、すっかり肩すかしを食らった後は、普通に、何事もなかったように学祭ネタが続いていくのみ。この作者、先の見通しをちゃんと考えて書いているのかと、本気で疑ってしまったが、まぁ、そういうもんなんだろう、ライトノベルというものは。とにかく、本巻も別に何がどうしたと言うこともないような、どうでもいいお話しが、ダラダラと続いていくだけ。とりあえず、次巻へのブリッジとしては、小鷹と星奈との関係の行方を少々仄めかし、ちょっとした期待を持たせている。でも、多分、次はないな……私には。
2011.09.25
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これは、全くもってして、「単行本版あとがき」と さらに「文庫版あとがき」に書かれている通りの本である。 読まなくても、全く本編には問題・支障なく、アホらしいくらいベタ甘な 大人の事情により作られたものなので、回避しても本当に問題ない代物。 発生する事件と言えば、蔵書窃盗と酔っ払い居座り、 催眠ガスが充満する館内に取り残された小学生の救出、 問題児の行動の裏に潜む母親による虐待、 良化法を完璧に守りつつ実践する反社会的表現を駆使する作家に纏わるもの。どれもこれも「図書館戦争」の本筋を揺るがすようなお話しではない。まぁ、最後の木島ジンのものだけは、有川さんの出版に対する想いが、よぉ~く分かる内容になっているとは思うが。つまり、各事件は単なるお飾り、メインはベタベタに甘い郁と堂上の惚気話。ここで、このお話を読み進めることを切り上げるのは、一つの大変懸命な手段であるとは思われるが、あと一冊でシリーズ読破という事実と、実は手塚と柴崎の方が気になる私は、結局、『別冊 図書館戦争2』をネット発注してしまったのであった。
2011.09.25
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血の継承にこだわり続けたアウグストゥス。 しかし、その継承の中継ぎ役を期待したアグリッパは、既にこの世になく、 その次に目を付けていたティベリウスには、政界から去られてしまった。 着実にパクス・ロマーナを推し進めた彼も、人生後半は大いに苦しむ。 その後も、後継者候補は次々にこの世を去り、 さらに、スキャンダルまみれの娘を筆頭に、家族には大いに悩まされる。 血にこだわり、家族にこだわった彼にとっては、何とも皮肉な結果である。 そして、カエサルの判断を無視して決行したゲルマニア遠征も失敗。アグリッパより先に天に召されていた方が、彼にとって満ち足りた人生になったかも知れないと思ったのは、私だけだろうか。とにかく、彼にとっての救いは、ティベリウスが復帰し、彼の意志を継いでくれたこと。私にとって、いや圧倒的多数の者にとって、カエサルより手本とすべき男はやっと天に召された。
2011.09.25
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「少子対策」は、現代先進諸国だけの政治課題ではなかった。 かつて10人もの子を産み育てるのが珍しくなかったローマにおいて、 カエサルの時代には2~3人が普通となり、 アウグストゥスの時代には、結婚さえしない人々が増えていたのである。 その要因は、現代に通じるものがある。 それは、貧しく、将来に希望がもてなかったからではない。 子を産み育てることの他に、快適な人生の過ごし方が増えたからである。 アウグストゥスは、この問題に積極的に取り組む必要があった。独身と少子傾向は、より恵まれた階層に顕著にあらわれた。そこで、アウグストゥスは、この階層を対象に「ユリウス正式婚姻法」を制定し、独身者や子をもたない者たちを、社会面・税制面・キャリア面で不利な状況に追い込む。そして、離婚についても、それが大変しにくいものに、手続きを大きく変更したのだった。さらに、軍事再編成や税制改革をも推し進めたアウグストゥスだったが、その右腕として戦場で活躍した、後継者候補のアグリッパが、突然この世を去ってしまう。さらに、その左腕として外交交渉で活躍したマエケナスも、その4年後に死去。暑さにも寒さにも弱い、虚弱なアウグストゥスが、最も長生きすることになった。それでも、彼の「パクス・ロマーナ」を確立しようとする意志は衰えなかった。アグリッパ亡き後、その代役を務めることになったのは、妻リヴィアの連れ子、ティベリウスとドゥルーススの兄弟。この二人が先頭に立ち、カエサルですら成し得なかったゲルマニアへの進行が決行される。しかし、その戦いの最中、ドゥルーススが不慮の事故で短い生涯を閉じてしまう。さらに、アウグストゥスと意見が衝突したティベリウスが、突然の引退を表明。「パクス・ロマーナ」の確立を目指し、前進し続けるアウグストゥスだったが、もはや頼るべき人材は周囲に見当たらず、自分一人で頑張るしかなくなってしまった。
2011.09.25
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カエサル死後、アクティウムの海戦における勝利で、 アントニウスとの後継者争いに決着をつけたオクタヴィアヌス。 史上稀に見る天才・カエサルの後を受け継いだ彼は、決して天才ではない。 しかし、決して凡庸でもなく、カエサルを上回るものを持ち合わせていた。 天才が成し得なかった「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」のバトン、 誰が受け取ったとしても、想像を絶する困難さを伴うこの役どころを 自分が天才でないことを自覚しつつ、慎重に時間をかけ、いかに達成したのか。 天才を越えた、天才でない一人の男の一生を描いたシリーズの始まり。紀元前27年、三十代半ばで絶対権力者となったオクタヴィアヌスは、共和政体への復帰を宣言し、議場は歓声の渦に巻き込まれる。そして、その三日後に元老院で「アウグストゥス」の尊称決議が為されたのだが、後世から見ると、この年こそが、帝政の本格的始まりの年となったのであった。遙か先を見通した策略で、人知れず着実に改革を推し進めたアウグストゥス。しかし、苦手な戦闘については、アグリッパに絶大な信頼を寄せ、最大限に活用した。このアグリッパの活躍無しには、西方の再編成も、東方の再編成も成し得なかっただろう。自らの能力を補う、この忠実な右腕を得たことこそ、アウグストゥスにとって最大の幸運だった。
2011.09.25
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ついさっき宅急便で届いたので、イッキ読み。 ゴールデンウィークに予約入れてたのに、 その後、発売日が延び延びになり、約5か月目でようやく手元に。 まぁ、この作品においては、これも決して珍しいことではない……。 本巻は、スタートから重たい雰囲気が漂いっぱなし。 原因は、全て雨宮君にあるわけだが、 彼って、人間の持つ弱さを、いつも本当によく代表してくれるキャラ。 もちろん、その父も同様。それに比べ、カイや阿字野、ジャンの飄々とした振る舞いは、本当に並みの人間からは考えられないもの。もちろん、カイはそれなりにショックを受け、重たい雰囲気にも包まれてるんだけど、雨宮君のそれとは、全くもってレベルが違う、違い過ぎる。やはり、それは人間離れした、天才のみが辿り着ける境地なのか。この二人のコントラストが、このお話しの魅力になっているのだろう。そういう意味では、これからも雨宮君には、たとえピアノで新境地を開いたとしても、ドロドロとした人間臭さや弱みを、思う存分発揮し続けて欲しい。さて今巻は、雨宮君とカイとの、心と心のすれ違いを描くことに紙幅が費やされ、お話しとしての進展は、ほとんどなし。やっとファイナルの初日が始まり、その1番手ソフィーが弾き終えたところ。まぁ、アクセントとして、パン・ウェイが拉致されたくらいか。もうすぐ雨宮君と和解するであろうカイの出番は、まだ、しばらく先のことになりそう。次巻では、まだ無理かな……。早く、カイの演奏が見たい(聞きたい)!!
2011.09.24
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ラストの思わぬ展開に、 かなり戸惑いながら、最後のページを閉じた。 苫米地さんって、こういう人だったのか。 まぁ、そうとは知らず、本著を手にした私は世間知らず。 でも、結構本著もよく売れてるようだし、 某サイトの読者レビューでも、かなりの高評価。 もちろん、よく見れば、否定的な意見も見受けられるが、 それは、どんな書物でも、よくあること。本著前半は、納得できるところもあれば、首を捻るところも、相半ばと言ったところ。キリスト教や仏教にまつわる内容は、とても興味深いものが多かった。一方、「神は存在するのか?」という、本著の根幹となる問題について、数学を通じて論じ切ろうとする姿勢は、どんなものなのだろう?もちろん、数学という観点からの「完全なるものは存在しない」という結論は、おそらく、誰も異論がないレベルで認められているものなのであろうが、そもそも、神というのは、数学的観点から「完全なるもの」を否定しただけで、存在しえなくなってしまうような、ちゃちなものなのだろうか?「あなたは、神が存在すると思うか?」と訊かれたら、「多分、存在しないと思う。」と答えてしまう私ですら、ちょっと引っかかる展開。だって、神っていうのは、人知の遠く及ばないところにあるものなのだろうから、人間レベルで「完全なるものは存在しない」って証明したところで、意味がないのでは?そしてラスト、著者の怒濤の自己主張大連発に驚愕!政治と宗教が合致する世界に再び戻そう。国会議員の親を持つ人間が選挙に立候補することは違憲、例外なく禁止。この世に生まれた人間に、ありとあらゆる権利はあっても、義務はない。アメリカが冷戦を仕掛けなければ、ソ連はあのまま成功していた可能性もある。納税の義務は必要ない。道路や空港などは、ボランティアがただで建てる。医療も同様。国会議員と公務員の仕事の対価は無給。国の予算は全額寄付でまかなう。教育などの公的サービスは全て寄付によって運営。 国家という単位があり、そこに著しい経済格差と富の偏在があるため、 富める国には捨てるほどの食糧が供給され、貧しい国には供給されず、 飢餓状態が生まれます。 国境による線引きをやめれば、飢餓状態の人たちにもはるかに安く食糧が供給され、 餓死する人もいなくなるはずです。 もちろん、戦争もなくなり、世界は豊かになります。(p.210)なかなかスゴイ御意見でした。
2011.09.20
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少し前、本著の著者・朴一先生のお話を聞く機会を得た。 その中で語られた、先生御自身の経験談は大変胸を打つものであり、 友人を自宅に招いたときのエピソードや、カミングアウトした際のお話しは、 当事者にしか語ることのできない、たいへん重みのあるものだった。 その際、自ら宣伝されていたのが本著であり、 しばらく経った今、やっと購入して読んでみることが出来た。 本著には、あの時語られた御自身の体験談は登場しないが、 それとは別の、数多くの著名人のエピソードが満載であった。それにしても、私たちがよく知る著名人の中に、これほど多くの在日の方がおられるとは、正直驚きであった。もちろん中には、その事実が広く知られている方もおられたが、本著によって初めてその事実を知らされた方も、私には結構いた。韓流ブームで、日本に住む人々の韓国に対するイメージは、随分変わったように思う。また、世界における韓国企業の躍進も、そのイメージを変える大きな一因となっている。そんな中、現在では民族名で、日本で活躍する人たちも随分増えた。新しい時代が、着実に訪れつつあることを実感する。それでも、いまだに在日という事実だけで、様々な誹謗・中傷を浴びせられ、それが原因で、家族までもが大変な困難や苦境に追い込まれているという事実を、そして、故郷である半島は、いまだに北と南に分断されているという事実を、私たちは決して忘れてはならない。
2011.09.20
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本著の著者である中野雅至氏は、同志社大文学部英文学科を卒業後、 大和郡山市役所で市職員をしながら、国家公務員1種試験に合格し労働省へ、 さらにミシガン大大学院で修士号、新潟大大学院で博士号を取得すると、 兵庫県立大学の助教授(現在は大学院教授)へと転身した人物である。 地方公務員と国家公務員の経験を合わせ持ち、 そこでの業務をこなしつつ、国家公務員試験合格、修士・博士号取得によって、 新しいステージへの転身経験が、複数回あるというのは相当な変わり種。 そして現在は、民官とのパイプも拡大中であるという。そんな著者が、公務員に対して発したメッセージは、 これまでのことをすべて考慮すると、 これからの公務員は決して安定していないことがわかる。 首長の選挙公約一つで身分が大きく揺れ動く。 本格的な公務員制度改革が進めば、 人事評価を行った上での分限免職も起こりうるだろう。 より確実なのは、消費増税を行う場合には 公務員の給料は大幅にカットされるということだ。(p.71)それでも「公務員は辞めるな!」と著者は言う。それは、今時、公務員並みの身分保障のある職業はないこと、一般事務系公務員は仕事で個人責任を追及されにくいということ、給料が製造業系大企業レベルであること等々。そして、公務員を続けるなら、出世を目指すべきであること、外部と頻繁に接触し、人脈を構築すべきであること、公務員の知識と経験を求めている場は思いの外多く、日々の業務に励むことが、将来、独立・転身できる力を身につけることに繋がること等々。まぁ、公務員と一口に言っても、実に様々であり、その個々の状況は、各々相当に違いがある。著者が、そのどの辺りをターゲットに、メッセージを発しているかを考えれば、本著に書かれた内容が、全ての公務員に当てはまるものでないことは、容易に理解できよう。
2011.09.20
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『ママはぽよぽよザウルスがお好き』ダーリンとのその後 これが、本著のサブタイトルである。 成長した息子・リュウと、娘・アンのお話しに続いて、 今回は、結婚から25年を迎えるダーリンがメインを務める。 とても若くて、まだまだ元気いっぱい。 でも、家の中の全ては、まず子育てを中心にして、回していかざるを得ない。 そんな時期を、そろそろ終えようとしているアラフィフ夫婦。 これから、夫婦二人だけで何を話せばいいのやら……。子どもを持つ夫婦なら、必ずやって来るであろうこの時期。それを、どのように過ごしていくかについて考える、よい契機となる一冊。健康について、年齢による衰えについて、家事分担について、夫婦での時間の過ごし方について、自分だけの時間の過ごし方について、等々。巻末には、タイトルにもなっている「夫とふたりでもうまく暮らすコツ」を、それまでの記述・描写を元に、2ページでまとめてくれている。まぁ、これはあくまでも著者の個人的な考えであって、それぞれの夫婦には、それぞれの流儀、やり方があるはずだ。
2011.09.10
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立て続けに内田先生の著作を読んだ。 今回は、アメリカ合衆国という国についてのお言葉。 いつものことだが、内田先生の本は、読み終えると付箋だらけになってしまう。 だからこそ、次々に読んでしまうことになるのだが……。 そして、今回も付箋だらけになってしまった。 これだけ読んでいると、「これは、いつかどこかで読んだな」というところや、 「また、いつもの展開が始まったな」ということも多くなってきたのだが、 「なるほど!」と改めて頷かされ、付箋を貼ってしまうことがまだ多いのである。では、今回付箋を貼った中から、いくつかをチョイスしてご紹介。 「原因」というのは、 「原因がわからないとき」にだけ人間の脳裏に浮かぶ概念なんです。(p.35)この後、内田先生は、道を歩いていて、いきなり見知らぬ人からぽかりと殴られた時、その相手に「何で痛いんだ?」とは訊かず、「なんで、殴るんだよ?」と訊く例を挙げ、「どうしてこうなったのか?」という問いを人が立てるのは、どうしてこうなったか、説明がつかない場合だけだと述べている。納得。次は、アメリカ人の身体加工への抵抗感について述べた言葉。 なにしろマイケル・ジャクソンが「あんなこと」をしても 誰も止めないところなんですから。(p.198)内田先生によると、アメリカ人は身体を一種のヴィーグル(乗り物)として観念しており、できるだけ高性能で新しい方がよく、そのためにはパーツごとの交換・加工が可能だと考え、それ故、米国では臓器移植や美容整形、身体加工技術がどんどん進歩するのだと。なるほどです。私も、自分自身の身体をヴィークルのように感じたりすることもあるし、パーツごとの交換・加工が可能な領域がどんどん拡大していけば、人間は、死というものから脱却できるのではないかと考えたりすることもあるが、際限なく美容整形を施し続ける人を見ると、抵抗感をぬぐい去れないのも事実。 アメリカ大統領はどのような政治的立場にあろうと、 キリスト教の教えから踏み出すことは許されていません。(p.226)アメリカという国の成り立ち、そしてその本質を知っていれば、色んな場面での、アメリカの偏執とも思える行動について、合点がいく。そして、次の一文は、アメリカだけに留まらず、わが国においても、最も懸念されるべき事象の一つについてである。 トラブルを察知し、事前に回避するためには 自分が犯した失敗を仔細に検討して、 同じ失敗を二度と繰り返さないように学習してゆくことが必要ですが、 トラブルが起きるたびに他責的な文型で問題を処理する人は、 自分の失敗から学習するという習慣が身に付きません。 社会人としての成熟が評価されず、 むしろ「幼児」のままでいることの方から 市民がより多くの利益を引き出すことのできる社会。 訴訟社会というのは、その煩瑣や不合理性よりむしろ、 それが市民の成熟への意欲を浸食するという点に危機があるのではないか、 私はそんな風に思います。(p.256)そして、本著において、私が最も衝撃を受けたのは、アメリカではなく、フランスについて述べた次の一文である。 ですから、私たちが日本のインドシナ支配についてあまり知らない理由のひとつは、 「共同統治」のパートナーであったフランスがそのことを忘れたがっているせいもあるのです。 フランスと日本が、戦争の初期に協力関係にあったといったことは、 語らない、研究させない、文書も公開させないという無言の抑圧が働いている。 どうしてかいうと、戦後フランスのエスタブリッシュメントの中核を占めていたのは ヴィシー政府の官僚だったからです。(p.53)この後に続く、1980年代、フランス保守系メディアの情報公開への反応、1940年代、インドシナ半島における日仏の共同統治と、それを見詰めるアメリカの心境。これらの記述は、にわかには信じることができない、私にとって、衝撃以外の言葉で表現することができないものであった。
2011.09.10
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内田先生のマンガ論である。 『ONE PIECE STRONG WORDS』に文章を寄せるなど、 内田先生のマンガ好きは有名(?)ではあるが、 中でも、『バガボンド』や『エースをねらえ!』が、大のお気に入り。 しかし、本著を読んで初めて知ったのは、 内田先生が、大の少女マンガファンであるという事実。 「少女マンガリテラシー」についての記述には、思わず驚嘆。 少女マンガをほとんど手にしたことのない私には、新たな大発見。 マンガには複数の発話水準が存在する。 もちろん、少年マンガにもある。 ただし、少年マンガには「実際に口に出していった言葉」、 「心の中で思ったが、口に出さなかった言葉」、「擬態語」の三種類しかない。(中略) ところが、少女マンガにはその他にもう一つ発話水準がある。 それは「心の中には存在するのだが、そのことに本人さえも気づいていない言葉」である。(中略) 少女マンガの「キモ」は、この「言葉として口には出されていないが、 記号的には発信されている思い」を読み取る快楽である。(中略) 無意識を記号化する力、それが少女マンガの、際立ってカテゴリカルな特徴である。(p.77)「なるほど~!!」である。少女マンガには向き不向きがあるとの先生のお言葉だが、「一度読んでみようかな」という気持ちには、十分なってきた。TSTAYAで借りるとすれば、どんな作品が手頃だろう(やはり、山岸さんあたりか)?
2011.09.10
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初めて池上さんの著作を読んだ。 テレビの露出度は非常に高く、著作の出版ペースも半端でないが、 私は、池上さんの出演する番組は、ほとんど見たことがない。 しかも、今回読んだものも、最新刊ではない。 時事問題を誰でも理解できるよう、噛み砕いて易しく解説。 「こんな感じで、TVでもお話しされているんだろうな。」 ということが、本著を読んだだけで、よく伝わってきた。 なお、本著は今年(2011年)5月の出版である。「“第二の焼け跡”からの再出発」というサブタイトルが示すように、本著で扱われているのは、東日本大震災から約2か月の時点での日本の課題について。それは、当然のことながら、いかにして震災から復興していくかということであったが、それと共に、クリアすべき大きな課題が他にもあると、池上氏は述べる。そのひとつが、グローバル化が進むなか、今後、世界の潮流の中で、日本はどんな道を歩んでいくのかということ。そして、その進路選択は、もう先送りできない状況だと池上氏は言う。それは、TPPの問題であり、中国との関係であり、日本自身の有り様についてである。そして、もうひとつは、高齢化社会への対応。多額の借金を抱え、今後の財源が大いに憂慮される状況において、子ども手当や消費税をどうするかは、本著が出版された5月時点でも、緊急の課題となっていた。その後、あくまでも首相の座に留まろうとする菅氏を退任に導くため、与野党が協調、民主・自民・公明の3党合意によって、子ども手当についての方向性が示された。そして8月、この3党合意を尊重する立場の野田氏が、民主党代表選を制し、現時点の9月では、新首相の座に就いている。そして、昨日から今日にかけては、復興財源として、政府保有の日本郵政株の売却案が浮上したことが、鉢呂経産相の「放射能つけた」発言と共に、大きなニュースとなっているが消費税は、野田政権にとって、それらを遙かに上回る大きな課題であることは間違いない。
2011.09.10
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長年プロ野球の試合をファンとして見続けてきて、最近よく思うのは、 打者の側から言うと、2ストライクを取られてから、どれくらい打てるか、 2アウトを取られてから、どれくらい打てるかで、勝負が決まるということ。 つまり、追い込まれた状況で打てるか打てないかが、勝負を分けるのである。 逆に投手の側から言うと、スリーボールになってから、どれくらい抑えられるか、 走者が塁上を賑わせる状況で、どれほど抑えられるかで、勝負が分かれる。 長いペナントレースについても、最後の10~20試合を、全勝する勢いで ゴールテープを切れるかどうかで、優勝できるかできないかが決まるのだ。つまり、土壇場で強い者、背水の陣に強い者が、勝負を制する。ここ一番にどう見ても弱い、我が贔屓のチームは、やはり優勝に手が届きにくい。そして、かく言う私自身も、逆境には極めて弱いのである。世に存在する、水中の陣という状況でこそ力を発揮するという人を見ると、本当に羨ましい。そして今回、本著のタイトルを見て、早速購入ということになったのだが、そこに書かれている内容は、私の欲していたものとは、少々異なるものであった。本著は、主として東日本大震災の影響で苦しい状況に立たされた方たちに向けて、エールを送ることを目的に書かれたもののようである。それでも、本著の中には、印象に残る言葉がたくさんあった。 助けられる側にまわって、逃げれば逃げるほど人はへこんでしまうのです。(p.32) 五月病も発展途上国にはない、一種のぜいたく病です。(p.46) 不安を安心で消すことはできないのです。不安を消せるのは、希望だけです。(p.69) 大切なのは、100%できなくても、1%でいいからまずやってみることです。(p.98) 人生のチャンネル権は自分が持っているのです。(p.102) それではと、「B案」「C案」……と、いくらでも出していけばいいのです。(p.113) 現場でガンバっている人がほっとする言葉は、「大丈夫」です。(p.127) 最悪の事態は、自分が先送りにしていたことを始める転機なのです。(p.133) 最悪の事態に平時のルールを持ち込んではいけません。(p.134)そして、次の言葉は目から鱗であった。 「いいことをしたら、ほめられる」というのは、逆です。 いいことをしようとすればするほど、感謝されるどころか、怒鳴られます。 これが人を助ける人の悲しみです。 その悲しみを受け止めておかなければならないのです。 いいことで、怒鳴られるのを覚悟しよう。(p.148)人の役に立つというのは、こういうものなのかと、改めて思い知らされた。そして、もう一箇所、心に残ったのが次の部分。 自分にとって何が最適かというのは、自分では分かりません。 なんとなくみんなA案のほうがいいと思い込んでいます。 でも、A案がうまくいかなくて、仕方なく出したB案のほうが、 結果的にはよいことが多いのです。 自分のやりたかったことをやっている人より、そうでない人のほうが 生き生きとして、いろいろな夢を実現しています。 第一志望の会社に入った人よりは、第一志望に落ちて仕方なく 第三〇志望にも入っていない会社に決まった人のほうが、 結果として面白い人生になっています。(中略) 今、世の中の一線でバリバリ仕事をしている人でも、 「やりたいことをやったけど、全然芽が出なかった」 「憧れの職に就いたけど、怒られてばかりで全然ダメだった」 という人のほうが圧倒的に多いのです。(p.119)そして、次の締めくくりの言葉こそが、私の座右の銘「人間万事塞翁が馬」に通じるものである。 神様は、「それはお前に合っていないぞ」とうまい具合に 次から次へと落としてくれるのです。(p.123)
2011.09.03
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巻末の作者・有川さんと児玉清さんとの対談は、 今年(2011年)3月に収録されたものである。 そして本著、文庫版『図書館革命』初版が発行されたのは、 今年(平成23年)の6月25日である。 この対談の2か月程後、本著発行の1か月程前の5月16日、 児玉さんが亡くなられた。 対談が行われた時点では、どのような様子であったのだろう…… そして、本著を目にすることなく旅立たれたことが、とても残念。 ***郁と堂上は、ハッピーエンドに向けて突き進む。「嵐を衝いて」と「その幕切れ」は、この物語を締めくくるに相応しいスリルとスピード、そして臨場感に溢れる、素晴らしい出来映え。 お陰で、本作は、満足感一杯で最後のページを閉じることが出来る希有な作品となった。ただし、次の部分は気になった。 下りる駅は梅田から二つ目の本町だ。(p.316)この「本町」に「ほんちょう」とルビがふってある。これは、意図的に実際の駅名と異なる読み方をさせようとしたのなら問題ないが、そうでないのなら、明らかに誤りである。実際の大阪地下鉄・御堂筋線の駅名は「ほんまち」だからである。こんなことは、大阪地下鉄利用者なら、当然のように知っていることで、こんなにも売れた作品だから、多くの読者から指摘されていてもよさそうなものなのに、文庫化されても、まだ誤りのまま残っているということが、少し不思議な気がした。まぁ、2版か3版が発行される際には、訂正されていると思うけれど。そして最後に、「プリティ・ドリンカー」、とってもヨカッタ。
2011.09.03
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数多くの人間関係が描かれるこの物語のなかで、 突如としてクローズアップされてきたのが、手塚光と柴崎麻子との関係。 これは、なかなか面白い組み合わせで、目が離せない状況。 私にとっては、郁と堂上以上に、今後の展開が気になるものに。 しかしながら、それにも増して、気になる人間関係が 郁と父母との関係という、ちょっと天の邪鬼な私には、 もちろん「図書館は誰がために-稲嶺、勇退-」はヨカッタが、 何と言っても、「里帰り、勃発-茨城県展警備」が最高だった!中でも、小牧の次の言葉が印象深い。 「二十代も中盤までなら親に意地張ってられるんだけど、 俺たちみたいにそろそろ三十に載る年になるとね、 親と軋轢があっても『仕方ないな』ってなっちゃうとこあるんだよね。 向こうはもうその性格でその年まで来てるんだし、 今さら親のほうに変われとかね、無理だよね。」(p.219)これ、とっても深いなぁ。確かに、その当たりの年齢になると、そろそろ、親をそういう目で見ることができるようになる。もちろん、本格的には、結婚して自分も子を持つ立場になってからではあるけれど。
2011.09.03
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図書館戦争シリーズの2冊目。 1冊目では、最初、有川さんの文体に苦労した私だったが、 2冊目ともなると、流石に慣れてきて、 苦痛を感じることなく、楽しみながら読み進めることが出来た。 この物語では、さまざまな人間関係が描かれ、それぞれに興味深い。 それは、笠原郁と堂上篤、手塚光、柴崎麻子らとの関係であり、 手塚光と兄・手塚慧、柴崎麻子と朝比奈光流との関係であり、 小牧と毬江、玄田竜助と折口マキとの関係等々である。中でも、私が最も気になっているのは、郁とその父母との関係である。冒頭の「両親攪乱作戦」のドタバタは、とてもスリリングで読み応え十分だったが、母親の郁に対する視線には、ちょっと尋常でないものを感じてしまった。逆に、父・克宏は、娘の現状を把握し、その心を思いやっていることが垣間見えた。 ***ところで、本著の中で、私が最も印象に残ったのは、本編のお話しではなく、巻末の有川さんと児玉清さんとの対談における、次のやりとりである。 有川 世間がものすごく狭量になってきている、と思うんです。 もうちょっと寛容な社会であってほしいな、と。 児玉 寛容さ。僕も今それを申し上げようと思っていたんですよ。 僕らが若い頃はね、社会がとても寛容だったんですよ。 だからね、無銭旅行なんかができたんです、世知辛くないから。 浮気だって、1度するくらいどうってことなかった、らしいです(笑)。 それはあまりに些末な例だけれども、社会ってものが寛容だったんですよ。 ところがね、どんどんどんどん、厳正であろうとしてきた。 実に生きにくい社会です。 だって人間っていうのは、間違いを犯す動物ですよ。 しかし、今の社会は、人間は間違いを犯さないものである、 というふうに最初から決められちゃっているから、実に厳しいものがありますよ。 有川 間違わない生き物であることを前提にしたルールっていうのは、 人を絞め殺していますよね。(p.408)世間で情報化が進むなか、「0」か「1」かのデジタル化も促進され、そこに生きる人間にも、デジタルを求めようとする弊害が出てしまている。全ての事柄を、「白」か「黒」かに厳格に分類せねば安心できず、当然あってしかるべき「グレー」な部分を、一切認めようとしない風潮には疑問を感じる。
2011.09.03
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