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安藤潤也の名前が登場してからというもの、 随分とオカルトチックな色合いも混在してきたが、 上巻同様、拷問シーンは相変わらずの戦慄もの。 兎面の男、本当に怖いな。 そして、敵対してたはずの髭の男が、いつの間にか仲間になっている。 この辺に『ゴールデンスランバー』との共通性を感じていのだが、 「あとがき」を読むと、この作品と同時並行で書かれていたとか。 だから、雰囲気が似てたんだなと納得した次第。巨悪(?)に立ち向かった渡辺たちだったが、最後には一矢報いたと胸を張って言いきれない、何ともあやふやな結末。ハリウッド的ハッピーエンドとは、完全に一線を画する幕引き。こちらの方がよりリアリティはあるものの、スカッと爽快感は味わえない。この作品も、また映画化されるのだろうか。そうすると「粗筋は残るが、基本的には、その小説の個性は消える」ことになるのだろう。だから、その時にはタイトルは同じでも、別の作品と割り切って鑑賞するしかない。まぁ、それは伊坂さんの作品に限らず、全てにおいてそうなんだけど。
2011.12.31
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読み始めた途端、「さすが伊坂さん」という感じ。 上下2分冊の大作だが、上巻はあっと言う間に読み終えてしまった。 舞台は21世紀半ば、近未来。 しかし、今の時代に起こった話として読み進めても、全く不自然でない。 主人公は、システムエンジニアの渡辺。 彼にとって、妻はとんでもなく恐ろしい存在。 浮気を疑われ、これまでにも痛い目(肉体的に!)にあわされており、 このお話しの始まりも、彼女の指示による拷問シーンから。読んでいて、本当に鳥肌が立つほど、リアルに痛い。拷問実行者の髭の男の一挙一動が、ナイフのように胸に突き刺さってくる。もちろん、実際に肉体的な痛みはないが、心の方は恐怖でブルブル震えてしまう。途中で登場する、指をちょん切る道具は、さらにスゴイ。ホント、こういう場面を描かせたら、伊坂さんは天下一品だ。余程のSかMではないかと、想像してしまう。なのに、こういう場面でさえ、ユーモアを忘れない。この絶妙なバランス感覚が、とてもイイ。こういった暴力的で恐怖に満ち溢れたシーンを各所に散りばめながら、渡辺が、自らを巻き込んだ不可解な仕事の謎に立ち向かう様が描かれる。そして、渡辺の親友として登場するのが井坂好太郎。伊坂さんの分身的存在とも思えるこの小説家と渡辺との会話に、こういう下りがある。 「俺の小説が、過去に映画化されたのは知っているだろ」 「知らなかった」 「なったんだよ。その時にだ、俺は痛感したね。 小説にとって大事な部分ってのは、映像化された瞬間にことごとく抜け落ちていくんだ」 「どういう意味だよ」 「映画の上映時間を二時間とするだろ。その二時間に、ひとつの物語を収めようとする。 そうするとどうするか」 「どうするのさ」 「まとめるんだよ。話の核となる部分を抜き取って、贅肉をそぎ落とす。そうするしかないわけだ」 井坂好太郎は自分の発言に酔うかのようだった。 「粗筋は残るが、基本的には、その小説の個性は消える」(p.200)伊坂さんは、井坂好太郎の口を借りて、自身の経験や思いを吐露しているのだろうか?もちろん、それも十分に考えられる。しかし、それだけではないだろう。なぜなら、この部分の会話は、お話の核となる次の言葉へと繋がっていくものだからである。 「人生は要約できねえんだよ」(p.201)
2011.12.31
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ちょっとした理由で、読んでみようかなと思い立ち、 本屋さんに出かけてみたけれど、ない……? この間まで、平積みされていたような気がするんだけれど……。 結局、3件めの本屋さんで2冊残っているのを見つけ、購入。 帯には「映画化!」の文字が躍り、公開は2012年1月7日(土)とのこと。 その割には、TVでも宣伝・報道されていないようだし(年末だから?)、 世間でも、あまり認知されていないような気がするのだが。 そもそも、映画公開間際に書店から姿を消すって何故?(もしかして売切?)お話はというと、中学生の開が主人公(『ピアノの森』の主人公も「カイ」だ)。彼は、バイオリンを教えてもらっている千尋先生に対し、憧れの目を向けている。姉の美咲は高校生で茶髪、スカート丈は短く、憧れはサッカー部所属の翔太先輩。その試合観戦に遅れそうになったため、駅前で自転車を拝借し警察のお世話になる。そして、父・直樹は16年務めた会社をリストラされ、職探しの真っ最中。一方、母・ひろみは、家計の足しにとジュエリーショップでアルバイト。この二人、実は離婚の危機にある(直樹は気付いていないのだが)。ひろみ以外でそのことを知っているのは、偶然その離婚届用紙を見てしまった開だけ。この崩壊寸前の家族を何とかしようと、開が家族でカルテットをやろうと提案。姉はフルート、父はピアノ、母はチェロ、開はバイオリンで。現在、音楽と関わっているのは開だけだが、他の三人も経験者。特に父母は高校でオーケストラ部に所属し、さらに父は音大卒である。そして、紆余曲折の後、最後は4人で感動的な演奏をするのだが、お話しそのものは、常に淡々と進んでいく感じ。ドキドキ・ワクワクのスリリングなシーンが展開されることもないし、中山さんの作品のように、行間から音楽が湧き起こってくるようなこともない。まるで「中学生日記」を見ているような感覚を味わった一冊。映画、どうなんでしょう?
2011.12.31
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これまでに私が読んだ内田先生の著作とは、少々趣が異なった。 宗教的なことや政治的なことに関する主張が、かなり前面に押し出されており、 「内田先生って、こんな考えもお持ちだったんだなぁ」と、改めて認識した。 そういう意味でも、価値ある一冊。 さて、本著において私が考えさせれたのは、 進む国際化の中、「言葉と文字」をどのように扱っていけばよいかということと、 ビジネスによって創造され、翻弄される「全能感」の脆さについて。 さらに、現代は「弱さが武器になる時代」であるということについてである。まず、「国際化と言語」についてだが、私は韓国が次ような状況にあることを、不勉強でこれまで正確に認識していなかった。 韓国は公用文を原則としてハングルだけを用いて表記する法律が制定され、 1968年には漢字教育が廃止され、1970年には教科書から漢字が消えました。 現在の若い韓国人はもう自分の名前以外の漢字はほとんど読むことも書くこともできない。 それは要するに2世代前の人たちが書いた文章が読めないということです。(中略) 韓国では、漢字の放棄は英語の採用によって代補されています。 だから、高等教育を英語で受けることが社会的向上の条件になっている。 大学の教師は英語で論文を書き、英語で学会発表する。 そういう点では、日本の学者よりも韓国の学者の方がずっと英語がうまい。 それを「国際化が進んでいる」と言うこともできるでしょう。 けれどもそれは自国に蓄積された知的伝統へのアクセス権の放棄とのトレードオフなのです。 それが有利な取引だったのかどうか、まだ判断するには早過ぎると僕は思います。(p.96)なるほど、この状況下では、英語力に関して日本は韓国に全く太刀打ちできそうもない。しかし、だからといって、日本は韓国のように漢字を捨て去ることができるのか?全てが、表音文字であるところの「ひらがな」や「カタカナ」で書き表された書籍や新聞等を、私はどうしても想像することができない。そこで、いっそのこと英語を公用語にしてしまおうという発想も出てくるわけで、一部企業では、それを実行しているところもある。しかし、漢字使用によりこれまで活性化されてきた日本人の脳の働きは大きく変化するだろうし、また、そのことによって表出する感情や、生み出される文化にも多大な影響を及ぼすだろう。さて、ビジネスチャンスとしての「全能感」については、消費社会の中で培われる消費者マインドと共に、次のような学校における指導で醸成される。 現在の教育現場では「君たちは無限の可能性がある」という激励は許容されても、 「身の程を知れ」「分をわきまえろ」というアナウンスに対しては つよい抵抗を覚悟しなければなりません。 そんなことをうっかり口にした教師には生徒や保護者たちから 猛然たるバッシングを受ける覚悟が必要です。(p.21)しかし、最後の最後、実際に進路選択をせざるを得ない状況に追い込まれると、「君たちは無限の可能性がある」などと、綺麗事だけを並べたてるわけにはいかない。だからこそ、そんな切羽詰まった場面でいきなり梯子を外すような真似をするよりも、学校は、日頃から次のような指導をしておく必要がある。 子どもたちの過度に肥大した自尊感情を下方修正し、 適切な自己評価を受け容れさせることは、 実際には子どもたちの潜在的な才能の開花を支援するのと同じくらいに 重要な教育的課題なのです。(p.21)ところが現在では、実際問題として進学後だけでなく、就職後にも、「あなたには無限の可能性がある」という言葉が、ずっと囁きかけられるのである。そう、「本当のあなたは、こんなもんじゃないはずでしょう?」そして、「本当のあなたを見つけるサポートを、私たちならいつでも出来ますよ」と。 就職情報産業を悪く言うつもりはありませんが(もう十分言ってますけど)、 このビジネスが「どのような仕事に就いても、 『これがほんとうに私の天職なのだろうか』という不安から 決して自由になれない人々」を量産することによって利益を上げるビジネスであることは 自覚しておいた方がいいと思います。(p.110)そして、この言葉は就職だけには留まらず、結婚においても執拗にアナウンスされ続ける。いつまで経っても、どこまで行っても、満足できない。それは「万能感」に満ち溢れる人間が、避けて通ることの出来ない不幸の呪縛。だったら、次のような思考を持ち合わせた方が、ずっと幸福になれそうな気がする。 「あなただって、それほど卓越したところのない、普通の人間なんだから、 あれこれわがまま言わずに、このあたりで我慢しなさい」と、 その人の「標準性」「凡庸性」を強調する。 そうやって若者たちを「普通の市民」の枠の中に押し込んでいく。 「あなたは普通の人である」、それゆえ「普通の人と結婚すればよい」、 そうすれば「普通の幸福が得られるであろう」という あまり夢のないワーディングで結婚に追い込むわけです。 そして、決断をいやがる若者に大人たちが最後に叩き込むのは 「結婚なんか、誰としたって、まあ、同じようなものだよ」という叡智の言葉です。(中略) 結婚というのは普通の人たちが、別に「赤い糸」で結ばれていなくても、 卓越した人間的資質がなくても、生涯変わらぬ激しい愛情なんかなくても、 そこそこ幸福に過ごせるようなシステムとして設計されている。 そのようなものとして設計されていなくいては困る。(p.115)ここで「普通が一番!」なんて言ったら、今の時代はやっぱりダメなんでしょうか?さて、最後は「弱さが武器になる時代」について。 相手に先手を打たせ、それに「最適解」で応じる形でしか、国家戦略が構想できない。 それが日本の病だと思います。(p.72)まぁ、外交において、常に主導権は相手国にあるというスタンスなのは間違いない。これは、日本の病と言うよりは、古来からの定型か。もちろん、このやり方では最初から相手にアドバンテージがあるわけだから、勝てるはずの交渉も、結局勝つことが出来ないし、この「弱さ」は決して武器にはなるまい。 わが国の政治家にもっとも欠けているのは、 この「自説の反対者と生産的な対話をなす」能力でしょう。 そして、それこそが日本の政治的危機の核心をなしていると僕は思います。(p.84)「議論」というのは、本来AとBとのやりとりの中でその接点を見出し、新たなるCという道筋を切り開く行為であるはずなのだが、日本の場合、AもBも持論に固執し、議論が全くかみ合わないことが多い。そして世間も、主張されている内容より、どれほど巧みに言葉を操るかで優劣を判断している。 経験的に言って、自説の正しさを確信している人間は説明を好まない。 「周知のように」とか「言うまでもないことだが」というようなフレーズを 頻用する人間はこの類である。(中略) 「気を鼻で括ったような説明」が私たちを不快にさせるのは、 そこに述べられていることが間違っているからではない(必ずしも間違ってはいない)。 そうではなくて、そこに聴き手の知性や判断力に対する信頼と敬意の痕跡を 見て取ることができないからである。(p.274)とにかく、自己主張だけを繰り返し、相手の主張を聞く耳は持たない。そして、最後は数の力で決着を付けて終わりという、現代人の好む二元論の世界。しかし、そのような方法を選択し続けてきたために、社会は確実に歪んでしまっている。それは、色々な事象に表出しており、ここでは「弱さ」が武器になることすらある。 そういうことが可能になったのは、公的な「強いシステム」と、 それに収奪され抑圧され管理されている「弱い個人」という二元的な対立図式においては、 つねに「弱い個人」の側に正義があるというチープでシンプルな物語を国民が選好したからです。 とりわけマスメディアがこの物語に偏愛を示しました。(中略) 草食系男子という「生き方」はこの 「弱いふりをすることで自己利益を増大させる世渡り術」からの 一種のスピンオフではないかと僕は思います。(p.126)「弱さが武器になる時代」と「仮想敵を設定し、徹底的に叩く姿勢への支持」。そして、そのストーリーを過剰演出するマスコミ。今こそ、国民一人一人の真のメディアリテラシーが試されるときである。ビジネス目的に創造される空気に、決して乗せられてはならない。
2011.12.31
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本屋さんで初めて見たとき、 そのタイトルにとても興味を引かれた。 ところが、その後本屋さんでは全く見かけることがなくなり、 今回、ネットで発注して、ようやく手元に届いた次第。 結論から言うと、タイトルからイメージしていたものとは、格が違った。 その広がり、奥行き、深みと、全ての面で期待を大きく上回る一冊。 臨床心理士として、きちんと精神分析学的基盤の上に立ちながら、 日本国内だけでなく、海外と比較しながら展開する記述が、本物を感じさせる。特に、私自身が、学生時代、フロイトやユングに大いなる関心を寄せ、さらに現在は、『ローマ人の物語』を読書中なことも手伝って、精神分析に関わる記述や、イタリアやガリアの地の記述については、とても興味深く読み進めることが出来た。 ***それでは、まず、他国と照らし合わせ、日本という国の特徴を明らかにした部分をご紹介。 前述の「韓流ブーム」にしても、 一歩間違うと子どもの教育に問題が生じそうなアニメの 「終末ゴールデンタイムでの堂々放映」にしても、 日本という国は、欧米諸国がある意味手に負えない、本当に曖昧な国である。 そして、この「曖昧さ」こそが、母性社会の本質でもあるのだ。(p.164)キーワードは「曖昧さ」と「母性社会」。そして著者は、さらに現代日本の特徴を明らかにしていく。 日本においては、プロとアマチュアの境が曖昧であり、 高級ブランド志向に見られたように裕福な人と小市民との境も曖昧であるなど、 様々な境が曖昧なのである。 こうして、プロとアマチュア、さらにずぶの素人の境までも、どんどん曖昧になっていく。(中略) つまり、ここには日本人の文化的無意識に、万能感が潜在する要因が見て取れる。 そして、選ばれた者だけが日本の未来を背負っていくのではない。 こうした大衆の力を総動員した、日本の国力に寄与するシステムを 企業戦士たちは、意識的無意識的に選択し始めているのかもしれない。(p.169)この部分のキーワードも「曖昧さ」。これこそが現代日本の一大特徴である。(AKBの大ブームなどは、まさにそれ)そして、この「曖昧さ」の中に、著者は日本の大衆の力を認識し、それが今後、江戸時代の頃のように花開くことを期待しているのである。 西洋の文化を「知の文化」、日本の文化を「型の文化」として論じた鹿毛誠一は、 「デジタル的数式的な西洋の『知の文化』」に対し、 「アナログ的ソロバン的である日本文化を『型の文化』」といった。 「西欧的な技能習得は、先ず教えそれを理解させてから始まる。 その習得は、やり方が分かればできるレベルの科学技術的な技能がめざされている。 日本的な芸能の稽古は、分かっていてもそうはなかなかできない技が眼目である。 前者は習い覚えるためになろうが、 後者では、覚えたことが身について忘れられるための稽古である」と、述べている。(p.166) 教育のめざすところを考えるうえでも、大いに示唆に富んだ一文。予め用意された答えだけをはじき出せる人間だけを求めるのか、それとも、それを越えたところに達することが出来る人間を輩出することを求めるのか。そして著者は、装飾系男子も、この「型の文化」の表出の一つだとする。 ***続いては、本著のテーマ、核心に迫る部分についてご紹介。 昨今、この「母性社会日本」において、さらに母性に濃厚に育まれた青年たちは、 「世界と結び合っている」という女性的感覚を、様々な状況で表出している。 彼らは、前述のようにこれまでの日本人男性に内在してきた 「他者との対立感覚を極力避けようとするような傾向」 「他との一体感を無意識的に求める傾向」、 それによって無意識的に「場の倫理」が優先される 母性社会的在り方を保持しているだけでなく、 女性の生物物学的素因であるところの 「世界と結び合っている」という感覚さえ表出するようになってきている。 母性社会において、さらに濃密な母性に育まれるということは、 このような男性を生み出す社会を創出するのだろうか。(中略) このような中、特に若者男子は女性化し、 そしてトイレでヘアメイクをするほどに「おうち」と「そと」の感覚が曖昧になり、 「分離した自己感覚」とは対極にある「自他の一体感」を、 その無意識的行動により表出し始めている(p.49)このあたりが、「なぜ今どきの男子は眉を整えるのか」という本著タイトルへの回答ということになる。そして、その視点は、日本の社会や文化を見詰めるものへと展開していく。 しかし、長い歴史の中で育まれた文化的心理には、 人々の心をつなぎ合わせる役割も内在していた。 それが、西欧の価値観、 特に戦後、西洋の価値観をより先鋭化したアメリカの価値観の流入により、 意識の表層ばかりが大きく個人主義的に傾斜していった。 それによって、それまでの日本人特有の文化的意識は、抑圧されてしまった。 現代人は、帰属感の薄れ、そして自己中心的という現象がある一方で、 甘え、依存心も強いと指摘されているが、 これは、まさにアメリカ的思考に乗って日本文化に根ざした文化的無意識が、 無意識的に表出しているための現象であろう。 抑圧された文化的意識は、文化的無意識となり、それがさまざまな現象を起こし始めている。 装飾系男子の出現も、その現象のひとつかもしれない。 であるとすれば前に触れた「ひきこもり」「不登校」という現象もそのひとつになるだろう。 つまりは集団ヒステリー現象である。(p.134)こうやって「無意識」とか「抑圧」、「集団ヒステリー」などのワードが用いられると、「精神分析だなぁ」としみじみと感じてしまう。 ***その他、諸々の部分で印象に残ったのは、次のようなところ。 オランダ人ジャーナリストであり世界的ベストセラーである 『日本 権力構造の謎』(早川書房)の著者カレル・ヴァン・ウォルフレンも、 日本で働いた経験のある外国人経営者から 「日本人がよく働くというのは神話にすぎない。 多くの日本人は、勤務時間が長いことを勤勉だと錯覚している」 と聞かされると述べている。(p.35)これには、まさに目から鱗が落ちる思いであった。働く日本人の意識、本音をズバリ衝いている。 正しいことを早急に取り入れ、社会を正常化していくことは、 一見理想的な道であるかのようである。 しかし、あまりにも急速な変化は、危険もはらむ。 なぜなら、ある時代において正しいことは、「真理」という壮大な概念から見れば、 往々にしてはずれた道であることは、歴史が十分に示してきているからである。(p.132)しかし、人間は学ばない。幾度となく同じ失敗を繰り返す。残念……
2011.12.23
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『さよならドビュッシー』に、『ピアノの森』を感じたように、 この『おやすみラフマニノフ』には、『のだめカンタービレ』を感じた。 中山さんの音楽を文字で表現する力は、本当に素晴らしい。 そして、ミステリー作家としても、やはり稀に見る逸材である。 『さよならドビュッシー』では、その素性がはっきりと分からないため、 犯人の一候補としてとらえながら、読み進めねばならなかった岬洋介だが、 今回は、もちろんシリーズの主人公、そして謎を解決していく中心人物として、 安心して、彼の一挙一動を見守り続けることが出来た。そして本著では、お話しそのものはもちろん、部分部分の記述に「!」と、感心させられる箇所が多々あった。例えば、 人は誰でも一度現実で夢を見る。 ある者はスポーツに、ある者は文学に、そしてある者はボクのように音楽に。 練習に次ぐ練習。試練に次ぐ試練。 そのうち次第に自分の力量を知る。 自分の手がどこまで届くのかを思い知るようになる。 そして大半の者は諦めて他の道を歩き出す。 しかし残された者は足掻き続けながら、 ますます目指すものが遠ざかるのをじっと見ているしかない。 胸に抱いた夢はそのまま膿み腐り、本人の魂を腐食させていく。(p.30)誰にでも(いや、この世に存在する一握りの特別な存在を除いてか?)思い当たる言葉。特別な世界、特別な存在を目指す者は、より強くこのことを感じているのかも知れない。 演奏関係団体への就職はわずかに六人だったのだ。 その十倍以上を教育関係が占めている。 そして申し訳程度に音楽系企業が数社、 残りは建築やら金融やらの一般企業が名を連ねている。 もちろん就職を選択しなかった者もいて、彼らは欧米の音楽大学に留学している。 しかし、そんなのは本当に一握りしかいない。 そしてまた、当然のことながらこのリストに入らなかった者が大多数存在する。 まるで最初からそこにはいなかったかのように。(p.43)音楽に関わろうとするならば、音大に進学しようとするならば、その面の能力はもちろん、ある程度の経済力が絶対に必要不可欠である(何やかやと、とにかくお金がかかる)。そして、卒業後、誰もが皆思ったような進路がひらけるのかというと、全く違う。『のだめ』では、あまり描かれることのなかった、音大卒業後の現実がここにある。 「(前略)それ以来、俺は失業者に対する見方を変えた。不景気なのはその通り。 そやけど失業率が高いのは必ずしも不景気だけのせいやない。 給料の八割は我慢代だってことを知らん奴が増えたのもある」 「いい話、じゃないですね」 「良薬に似て真実は耳に苦いんさ」 「そんなに苦い薬、誰も服みませんよ」 「服まんと病気は悪化するだけや。今、巷で自分の不遇を嘆いとるのは、 大抵が良薬の代わりに夢を食っとる奴さ。まるでバクみたいだな。」(p.59)「給料の八割は我慢代」か……、スゴイな……。でも、そうかも知れないと思う自分が、結構哀しい。 「珍しい食材や耳新しい考え方は、しばらくは愉しんで貰える。 だけど長い時を経て洗練されたものじゃないから、 それなりのエグさや未熟さがあって長くは支持されない。 結局は昔ながらの素材や年寄りの繰り言が重宝されたりする」(p.167)それでも、世の人々は常に刺激を求め続け、新しいものを模索し、それらしきものを見つけると、それに過剰に期待し、古いものを簡単に捨て去ろうとする。さて、お話しの方はと言うと、読み進めるにつれ「これは、『ドビュッシー』を上回るのでは!?」との期待が大きく高まったが、最後の最後、大詰めで予想外の大失速。アリャリャ……
2011.12.23
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このシリーズのこれまでの表紙の中で一番好きかな。 うん、とってもかわいい。 でも、前巻のラスト当たりの雰囲気に加え、この表紙。 とうとう、莉子も小笠原君と…… さて、今回の舞台は、前巻の京都に引き続き、またしても関西・大阪。 ただし、大阪とは言っても、都心部からはやや北に位置する千里や箕面周辺。 事件の現場となるのは、あの岡本太郎氏の手による「太陽の塔」。 『20世紀少年』でも、重要な役割を担った巨大オブジェである。私は、EXPO'70開催中はもちろん、万博公園に生まれ変わった後も、何度も現地に出かけては、この他に類を見ない、奇妙とも言える塔を見上げてきた。また、EXPO'70開催当時には、夏休みの宿題の工作に、全長約45cmの太陽の塔を作成した。(立て籠もり事件の起こった眼の部分には、豆電球を仕込んで光るようにしておいた)そして今、岡本太郎生誕100年を記念したクリスマスのライトアップが行われており、いつもとは、また一味違う表情を見せてくれている(とてもイイ感じだ)。ただし私自身は、昨年EXPO'70パビリオンが出来て以来、万博公園に一度も足を運べていない。オープン直後の大混雑を敬遠していたのが、そのままズルズル今日に至ってしまった。さて、話を元に戻すと、今回は組織ぐるみの犯罪を莉子が暴くという展開。ただ、結末は本当にこれでイイのかなぁと思ってしまうのは、前巻と同様。そして、蓬莱浩志の話す大阪弁に、若干違和感を感じる部分がある(特に前半)。松岡さんは、確か三重か愛知の出身だったはずだから、まぁやむを得ないか。とにかく、なぜか突然、『万能鑑定士Qの事件簿』シリーズは終わってしまった。そして、唐突に『万能鑑定士Qの推理劇』が始まるという(もうそろそろ発売される)。なぜ、こういう事態になったのかは、私にはよく分からない。そこには、大人の理由があるのだろうか?
2011.12.23
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それは、まるで眼の前で、巨匠二人が語り合っているのを眺めている感覚。 テレビやDVDといった、電気的なものを媒介とせず、 生で、直に、その現場に居合わせているような錯覚に陥ってしまう。 これぞ、紙という媒体に文字を綴ることで世界を創造する、まさに村上マジック。 小澤さんの雄姿は、一度拝見させてもらったことがある。 その頃の、ボストン交響楽団がどのようなオケだったかは、 本著を読んで、改めて知ることになった。 よくぞ、そのようなステージに立ち会えたものだ。その時の演奏は、マーラー。そして、私が本格的にクラシックを聴き始めたのもマーラーで、今でも最も好きな作曲家。本著における、マーラーについての二人の対談は、私にとって最高の贈り物。その他、カラヤンやベーム、バーンスタインのお話も、人間味があふれ出している。 僕は文章を書く方法というか、書き方みたいなのは誰にも教わらなかったし、 とくに勉強もしていません。 で、何から学んだかというと、音楽から学んだんです。 それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。 文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。 前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか…… 機械のマニュアルブックって、読むのがわりに苦痛ですよね。 あれがリズムのない文章のひとつの典型です。(p.129)対談における村上さんの発言。もう、納得するしかありません。「まさに!!」です。
2011.12.11
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広田教授の著作は、これまでに何冊か読ませてもらいましたが、 そのいずれもが、全くのハズレ無し。 中でも、『日本人のしつけは衰退したか』は、とても印象に残る一冊でした。 そして、本著も伊藤教授との共著でありながら、期待に違わぬ出来映え。 このブログに、まとめの記事を書き始めたのですが、 ついつい長くなってしまったので、それについては一旦途中で終了。 新たに、別の記事として、今回その続きを書くことにしました。 ということで、前の記事はこちらから御覧ください。第6章 解決策の問題点 では、教育問題の解決手段について考えていきます。それは、頭痛がするとき、どのような解決策が考えられるかについて、「頭痛薬を飲む」「仕事を休んで寝る」「気合を入れてがんばる」「大学病院に行って、精密検査を受ける」「大根の葉っぱを足の裏に貼る」の他、「頭を切り落とす」を例にして、進められます。 狭い特定の目的にだけ注目していると、 しばしば、このように誤った手段が提案されることがあります。 過激な手段の有効性だけに関心が向いて、全体が見えなくなってしまうんですね。(p.176)次に、教育については、ある手段が、教育を受ける側の人たちに、どの程度の効果をもたらしたのかを確認することは、とても難しいことだと述べます。それは、相手と状況次第で、うまくいくこともあるし、うまくいかないこともある。それゆえ、あらかじめ予見することはできないとしています。 教育の分野では、「あらかじめ目標となる数値目標を決めて、 それが達成されたかどうかを示す」といったやり方は、 ある問題に対する不適切な「解決策」となることが多いのです。(p.181)さらに、それらに関連して述べられる、教育についての捉え方で、興味深かったのは、 現実の学校教育に対する不信が広がっている背景には、 教育によってあらゆることが解決できるはずだという 教育万能主義がひそんでいるのではないか、と私は指摘したことがあります。 世の中の多くの人が教育の力を過信してしまってるがゆえに、 現実の教育がひどい状態に映ってしまう結果になっているのではないか、 ということです。(p.188)という部分と、 大胆な改革論が暴論になりやすいのは、 教育行政がどういう仕組みになっているのか、学校現場がどういう論理で動いているのか、 子どもたちの実情がどうなっているのかといった、 事実認識のレベルでの十分な知識が本当は必要なのに、 自分の経験による思いつきの議論だけになりがちだからです。(p.196)という部分です。現代日本を生きる人たちは、ほぼ100%に近い割合で、学校教育を経験してきているので、誰もが学校教育について、自分には経験も知識もあると思っているのですが、実は、それは個人的な経験や、自分が得た情報によるものなので、かなり偏っています。続いて、第7章 教育問題は「心の問題」か? については、次の一言で事足りるでしょう。 心の問題はあくまで「きっかけ」です。 社会現象としての教育問題を根本から解決・改善していくためには、 社会的要因を視野に入れ、 問題を生じさせる社会の制度や仕組みの次元に手を入れていくことが欠かせません。 社会の現状をよく理解し、社会の仕組みを理解することが、 個々の問題のケースをより大きな視点でとらえ、改善していくときの足場になります。(P.230)そして最後の、第8章 教育問題にどう向き合えばよいのか で、最も衝撃的だったのは、次の一文。 また、歴史的に見れば、いまのように不登校が増える前、 一九六〇年代から七〇年代という時代は、 多くの子どもが学校を休まずに通っていた例外的で特異な時代だった、 という見方もできます。(p.241)本著では、不登校について触れている部分が、所々ありましたが、この一文には、最も目から鱗が落ちる思いであり、自分自身も「素朴な経験主義」に陥っていたと、改めて気付かされました。
2011.12.11
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とても良い本です。 初学者向けに、易しく丁寧に、しかも面白く書かれています。 さらに「教育問題」に限らず、世の中の様々な問題について考えるときの、 基本姿勢が示されており、教育問題に直接関わらない人たちにもお勧めです。 スラスラ読めるのですが、そこに書かれていることは、 一つ一つが、とても大切なことで、考えさせられることばかり。 なので、読み終えると、付箋だらけになってしまいました。 全ては無理ですが、その一部を紹介します。まず、第1章 教育問題って何? から。 教育問題とは、単なる個々人が個別に経験している問題ではなく、 社会の多くの人に関わる問題、あるいは、社会が取り組んでいくべき問題、 という位置づけを与えられた問題なんですね。(p.19)これが「教育問題」についての、本著における定義。そして著者は、この「教育問題」は言説を通して作られるので、記述や解釈をする言説がゆがんだり偏ったりしていると、そこで描かれる「問題」像もゆがんだり偏ったりしてしまうと指摘します。続いて、第2章 事実認識を疑ってみよう から。 確かに、今の日本の教育には、改善したり改革したりすることが必要な部分はあります。 しかし、思慮を欠いた乱暴な「改革」案が採用されると、 もっと状況がひどいものになってしまうかも知れないのです。(p.55)そう、どのような教育行政が行われるかは、その時代を学校で過ごすことになる子どもたちに、ストレートに多大なる影響を与えます。もし、それを誤った場合、個々の子どもたちの学齢期は、二度と取り戻すことはできません。それ故、教育改革はより慎重に、滑らかさや穏やかさが求められるのではないでしょうか。 われわれは、十分な根拠を確認しないまま、 ただ何となく「現状」を理解した気になっていることが多いのです。 いろいろな情報から、ただ単に漠然としたイメージを作りあげているだけなのですね。(p.59)教育問題に限らず、様々な問題がイメージ最優先になっていることが、とても気になります。そこで、著者は、事実が本当はどうなっているのかを確認するうえで、どういう情報があてにならないのかについて、三つのポイントを示しています。 1.報道の量はあてにならない 2.意識調査、とくに一般的な状況について尋ねた質問の結果もあてにならない 3.あなたの身の回りの状況を観察することは、それなりに意味があるけれども、 決して自分の観察だけを信用しすぎてはいけない(p.62)そして、この3点について「いじめの問題」「青少年の凶悪犯罪がふえているのかどうか」「家庭の教育力が低下している」を取り上げ、実例を示していきます。ここは、本著の中でも、読んでいて、特に興味深く感じたところでした。さらに、第3章 事実を読み解くカギ では、正しい情報とは何かについて考えていきます。 「事実」に関する情報は、誰かの手によって選択され、組み立てらているのです。 世間に流れている部分的・断片的な情報の向こう側には、 もっと複雑でこみいった事情や背景や構造を持った現実があることを 忘れないでくださいね。(p.97)さらに、第4章 情報はどうにでもなってしまう では、情報の扱われ方により、受け手に与える印象にゆがみや偏りが生じてしまう問題について、ポイントを指摘します。 第一に、「例外的なケースが大きく報じられて、まるでそこらじゅうで起きる (起きている)かのような印象を与えてしまう」ということ。 第二に、「データの集め方に問題がある場合、情報のゆがみが生まれる」ということ。 第三は、「過去や外国の情報は、よいところばかりが抜き出して提示されやすい」 ということです。(p.118) だから、「○○についての昨年度の件数は××で、前年に比べて△△%増加」 というふうな報道には注意が必要です。 取り締まりや調査がより徹底したため、数字が増えたのではないか? 暗数になっていた部分が、公式統計に出てきただけではないか? 定義や基準が変更されたせいではないのか? - そういったことを確認しなければ、大事なことを見落としてしまうのです。(p.131)この辺りの記述には、思い当たるところが多々ありました。そして、第5章 「原因の説明」「評価の仕方」は大丈夫? では、巷にあやしい原因論があふれていると指摘します。 つまり、何かを主張したい人たちが、 好き勝手に、「原因」や「評価」を論じたてて、世間に流布させるのです。 事件を取材したり報道したりする人たちも、「これが原因ではないか」と 自分たちが考えるものに焦点を合わせて材料を集め、ニュースにしていきます。(p.146) われわれは、他者の行為を理解することはできますが、 その行為の背後にあるさまざまな要因の社会構造全体を読みとることは、 極めて困難だということを忘れてはなりません。(p.161)そう、いくら知ったかぶりをしても、その人が実際に知っているのは、あくまでも、その人が手に入れることのできた情報によるものであり、事実の全体からすれば、それは部分にしか過ぎないのです。 また、多くの人は、わかりやすい「悪玉」を求める部分があります。 「悪玉」を据えれば、個々の事件やトータルな教育問題の本質が、 簡単に理解できるような気になれるからです。 でも、どんな出来事も、多様な要因が複雑に関わったなかで生まれ、 展開しているのです(後略)(p.168)「複雑」な現実に「単純」に向き合おうとする姿勢に、ゆがみや偏りが生まれるのです。結局、随分長くなってきてしまったので、続きは別記事に掲載したいと思います。
2011.12.11
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私が初めて内田先生と遭遇したのは『下流志向』。 以降、先生の著作を読み続けているわけですが、 本著は、その『下流志向』直後に刊行されたものであり、 当時のタイトルは『狼少年のパラドクス ウチダ式教育再生論』というものでした。 私は、その書物の存在は、もちろん知っていましたが、 機会を得ないまま時を過ごすうち、タイトルが変わり、文庫化されました。 それゆえ、内容は現在の内田先生に比べ、かなり若々しく尖っている感じです。 その分、インパクトはかなり強烈。本著を読むことで、内田先生の思考や行動についての遍歴を辿ることができます。それは、有名進学校に通っていた高校生の時代から、学生運動に身を投じていた大学生の頃、さらに、大学に勤務し始めた時期から、現在に至るまでについてです。大学に勤務し始めてからも、内田先生には大きな変化があったといいます。それは「文庫版あとがき」で、次のように語られています。 それは大学教育についての自分の意見がこの十年間でずいぶん変わったということです。 本著にはいちばん古い日付のもので二〇〇〇年のものが収録されています。 その頃僕は大学の自己評価委員長になったところで、FD活動を推進する立場にありました。 大学の自己評価活動の強化について、 文科省からも大学基準協会からも強い要請があった時期です。 もちろん、言われるまでもなく、僕自身も自己評価の必要を信じていました。 大学教員にあまりにビジネスマインドが欠けているということに 相当にいら立っていたからです。 貴重な資源はできるだけアクティビティの高い教員やセクションに集中して配分したい。 申し訳ないけれど、仕事をしない教員にはそれなりのペナルティが科されるべきではないか、 そう思っていました。(p.338)そして、内田先生は教授会で猛反発を受けながらも、全国私学の中でもかなり早い時期の2004年に、教員評価システムを導入することに成功。ところが、システム導入1年にして、その決断が拙速であったことに気づくのです。その理由については、次のように述べられています。 ひとつは「評価コスト」を過小評価していたこと。 ひとつは教員を「給料分働かせる」ためのシステムは、 「給料以上のオーバーアチーブしている教員たち」の活動を少しも支援せず、 むしろ妨害すること、この二点です。(中略) 評価はそれだけ単独に眺めれば「よいこと」です。 けれども、実際に評価活動に従事しているのは、生身の教員たちです。(中略) 評価活動の作業負荷を増やせば、本務にしわ寄せが来るのは当たり前のことです。(中略) 「自分がちゃんと仕事をしていることを証明する」ためのペーパーワークと会議が 彼らの研究時間をいちじるしく蚕食してしまっていた。(p.338)そして、その後に続く言葉こそ、今、私たちがしっかりと受け止め、これから生かしていかねばならないものだと思います。 二〇〇五年前後の評価活動の旗振り時代と、現在では ずいぶんこの点については考え方が変わっております。 ですから、『街場の教育論』以後の僕の書きものしか読まれていない方は、 この本の中の「ビジネスマインド」礼賛に近い主張に驚かれるかも知れません。 でも、人間は成功からよりはむしろ失敗から学ぶことの方が多いのです。 ですから、今読むと「それはちょっと違うんじゃないかな」 と思うようなこともそのまま残さずに残してあります。(p.342)
2011.12.11
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「でも、多分、次はないな……私には。」 前巻を読んだ後の、私のブログの締めくくりの文である。 にもかかわらず、また買ってしまった。 そして、読んでしまった。 こうなってしまった原因は、アニメである。 そう、このお話のアニメが始まったことを先日知ってしまい、 テレビで見たのだ(深夜の放送ゆえ、もちろんワザワザ録画してである)。 それは、カラオケのお話しだったが、思いの外、出来が良かった。そして、買ってしまったのである。本巻を。まぁ、読み始めたものを途中でやめるのも、気持ち悪いとは思っていたし……。すると、結構面白かったのである。作者がこの作品制作に手慣れてきたからか、こちらがその世界観に慣れてきたためかは不明。取り敢えず、現時点では、このままズルズルと読み続けることになりそうな気がする。
2011.12.04
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ディスカウントショップ“チープグッズ”店長・瀬戸内陸。 上京したてで何の取り柄もない莉子から、その潜在能力を引き出した人物。 しかし後に、日本経済を揺るがす事件の犯人であることを彼女に見破られ、 自ら、塀の中の人となった。 そして今回、莉子と対決するのは、彼女より前に“チープグッズ”に勤務し、 そこを退職後、代官山と神楽坂で2件の飲食店経営を成功させた水無瀬瞬。 彼が実家の京都・音隠寺住職に転身すると、寂れ寺は一躍有名寺院に。 しかし、莉子の兄弟子は、師匠から負の部分も引き継いでいた。今回のお話しの流れは、大変スムーズでよどみない。舞台となった京都の街の雰囲気やらしさも、全体を通じて、程良く感じられる。また、ラスト40ページ程で一気に締めくくった結末も、バタバタ感は微塵もない。ただ、「あれだけの事件を起こしおいて、これでイイのか?」と、個人的には思う。
2011.12.04
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『さよならドビュッシー』も凄かったが、この作品も本当にスゴイ。 まさに、中山七里 恐るべしである。 2009年度の『このミス大賞』最終選考に、異例の同一作家2作品エントリー。 その経緯は、巻末「解説」に詳しいが、改めて納得である。 そして、最終選考会においては、大賞を受賞した『さよならドビュッシー』 (エントリー時は『バイバイ、ドビュッシー』、刊行時に改題)よりも、 本作(エントリー時は『災厄の季節』)に、軍配を上げた審査員もいたそうだ。 私自身も、ミステリー作品としての出来なら、本作品の方を採る。 『さよならドビュッシー』も、最後の大どんでん返しで、大いに驚かされたが、本作品は、さらにその上を行く、大どんでんどんでんどんでん返しである。お話し全体を包み込む緊張感は途切れるところが全くなく、本当に素晴らしい。さらに、作品に込められたメッセージ性も、特筆すべきものである。 ***さて、本作品の中で、私が気になったところをご紹介。その一つ目は、 まず、荒尾礼子は就職で埼玉に来るまでは長野を一歩も出たことがなかった。 そしてまた、指宿校長の異動履歴も似たような事情だった。 二十四歳で教員に採用され、四十二歳で校長に昇格するまで、 指宿の赴任先は埼玉県内に限定されていた。(p.85)「二十四歳で教員に採用され」は、全く違和感がないのだが、「四十二歳で校長に昇格」は、どうなんだろう。埼玉県では、実際にその年齢で校長に昇格したケースがあるのだろうか?まぁ、他都市でも民間等からの校長抜擢でのケースならあるだろうが、昇格はどうか。続いては、こちら。 「きっと自分は善良な市民だと信じての通報なんでしょうね。だから余計に厄介よねー。 本人が善意だと信じている行為ほど始末に負えないものはないもの。 世の中で一番厄介な揉め事ってさ、悪意から派生するものよりも 善意と善意のすれ違いなのよね。そう思わない?」(p.123)ホント、そう思います。
2011.12.03
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内田先生の『街場のマンガ論』に触発され、読んでみることに。 TSUTAYAで借りようかなと思い、出かけたけれど、 残念ながら書棚になかったので、ネットにて購入。 届いたのは文庫サイズのもので、その表紙の絵はとても美しい。 早速、本著のタイトルになっている『天人唐草』を読んでみる。 (本著は表題作を含む、6つの短編を集めた作品集になっています) さて、読み始めると、少女マンガ独特の絵のタッチに早速違和感。 これまで、ほぼ少年マンガばかりを読んできた私には、結構キツイ。でも、『のだめカンタービレ』や『ピアノの森』では、こんな感覚を抱かなかったから、これは、山岸さんの画風に対してか、或いは書かれた年代に対しての違和感かも知れない。そして、お話の内容も時代を感じずにはおれなかった。きっと、内田先生くらいの年代の方たちに、ぴったりフィットのものなのだろう。そして、各方面における評価の高さのわりに、この作品は私の心に響かなかった。それは、ストーリーからと言うより、その作品そのものからという意味で。お話し自体は、描きようにより、もっと違った受け止め方が出来るものになると感じた。だから、これは私の感性と、山岸さんの作品との相性が悪かったということだ。他の作品も、山岸凉子という漫画家の個性が、強烈に前面に押し出されていた。この個性の強烈さは、流石と言う他ない。明確な山岸ワールドが、そこには展開されていた。ただし、私の感性との相性は、やはりあまり良くないようだ。
2011.12.03
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スーパーに専門店に百貨店。 小売業にも様々な形態があるが、いずれも栄枯盛衰は避けて通れない。 何と言ってもデフレ、そしてスタグフレーションの波は強烈。 さらに、ネット社会の急速な発展で、流通のあり方そのものが変化してしまった。 現在、小売業の中では一人勝ちの感があるコンビニ。 しかし、そのコンビニですら、このままでは存在が危うくなるという。 そして、著者はコンビニを通し、小売業の将来を見詰め直す。 この分野の入門書としては、お手軽な一冊。社会や経済の大きな変化の中、コンビニも様々な不安要因を抱えている。これまで通りにやっていたのでは、いずれ斜陽の日を迎えることに。そこで著者は、未来型コンビニの可能性を提案。それらは、これまでのコンビニの概念からいうと目新しいもの。しかし、小売業全体の観点からいうと、決して目新しいものではない。他の形態の小売店で行ってきたことを、コンビニにも取り入れていこうとするものである。例えば、宅配やドライブスルー、エキナカ、店内調理等々。私としては、それらの既成概念を遙かに超えた小売業が登場するような気がするのだが。
2011.12.03
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「これは久々に面白そう」 本屋さんでタイトルを見たとき、まずそう思った。 そして、冒頭部分をパラパラと捲って斜め読み。 さらに、その思いが高まった。 新書は、ここ数年の乱発故か、最近特に私の目を引くものが減ってしまった。 何か、二番煎じ、見覚え聞き覚えのある内容のものばかりが目立ち、 「もう、いいか」と、新刊に手が伸びなくなってしまった。 実に愁うべき状況である。そこへ、本著の登場。新書の売り上げランキングでも、結構上位に食い込んでいる。期待を込めて、読み進めて行った。しかし、付箋を一枚も貼ることなく読了……残念。書いてあることは面白そうだし、私が興味を持っている分野には、直球ストレート、ど真ん中な内容。なのに、なぜか心をガシッと掴んでくれるところがないままに終わってしまった。なぜ心に響かないのか……とてもとても不思議な感覚。テーマ設定はとても良かったのに、それにアプローチする観点がイマイチだったのか。それとも、観点も良いのだが、それぞれの問題の核心に迫る突っ込みが浅かったのか。とにかく、全体として、表面的で線が細く、弱々しい印象。ガツンと来る力強さ、訴えかけてくる迫力は乏しい。しかし、これは読み手の力量、或いは、読み手のその時の気分に起因するものなのかも知れない。時を改めて、もう一度読み直してみることにする。ひょっとすると、自分の中での評価が一変するかも知れないという期待を込めて。
2011.12.03
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