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今さっきニュースを見ていたら、観客に走行を妨害され金メダルを逃した、ブラジルのデリマ選手の「もしかしたら自分は金メダルを獲れたのかもしれない。でもこれは、金を獲るのは本当に難しいのだ、という、神が私に与えた試練だと思う」というコメントが流れたのだが、これには本当に唸らされた。そうは言っても心中渦巻くものは大きいはずだと思うが、心無い観客の態度や警備の不備には一切触れず、これは『自分に与えられた試練』と言ってのけてしまうあたり、この選手の精神的な強さというか、スポーツマンシップと言うか・・・まさに、トップアスリートとは人間とはかくあるべし、みたいな事を教えられたような気がする。だって、今までそれこそ文字通り血反吐を吐くような思いで練習してきたことが、自分のコンディションや実力や、そういったものとは全然関係のないものによって踏み躙られてしまったんだよ・・・。観客に抱きつかれて道路の端へと押し出されていったデリマ選手のあの瞬間の表情が私は忘れられない。ああいう表情を、“絶望”って呼ぶんじゃないだろうか。抱きついたあの大馬鹿野郎や、IOCの警備体制を呪いまくったってきっと誰も責めはしないでしょうに。デリマ選手に次の五輪に出場するチャンスがまたあるのかわからないけど、是非、出場して、今度こそ金メダルを獲って欲しいと思う。そして、デリマ選手が責めなかったからと言っても、当然、オリンピックの警備体制はもっとキチンと見直すべきだと思うし、それからあの大馬鹿野郎は厳罰に処すべきだろ、やっぱり。人が真剣に何かに打ち込んで、真剣に取り組んでいるものを自分の快楽のために踏み躙るような発言や行為は、その行為が大であれ小であれ、絶対許されるべきではない、と思う。さて。日本選手団本隊、帰国ですね。お帰りなさい。メダルを獲れた人も、獲れなかった人も、みんなみんな、お疲れ様でした。獲れた人には、祝福の声が、そうでなかった人には、厳しい声がこれから山と降りかかることでしょう。結果はどうであれ、あなたたちが真剣に戦ったその過程や、頂点を目指そうとしたその思いは、これからなにがあっても決して汚れないし、何人たりとも汚すことはできないと思います。しばらくの間、ゆっくり休んでください。身体を休めて、力を溜めて、そしてまた、戦ってください。
August 31, 2004
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「夏」が終わった・・・。なんか、こんなにアツくなってTVを観た夏って、生まれて初めてだ・・・と、思う。画面を凝視し過ぎて目がシパシパしたり、感動して泣いたり悔しくて泣いたり、競技によっちゃ審判に呪いをかけてやろうかとなかば本気で思ったり、あんまりウンウン考えすぎて胃が痛くなったり(笑)、ホント自分のことでもないのにこんなに必死になっちゃって、あと何年かすれば思い出して笑っちゃうのかもしれないけど、でもやっぱり、日本女子バレーを含めた各国選手の皆さん、いい夏をありがとう。室伏選手の繰上げ金メダルが、今、話題になってますが、アヌシュ選手のドーピング・・・うーん、そこまでしてメダルが欲しいのか、いや欲しいのはわかる、全日本バレー選手が、メダルを獲りたいとあれだけ必死に練習する姿をTV画面を通してとは言え、ずっと観てきたんだから。でも、ありきたりな言葉だけれど、「手を汚してまで欲しいものなのか」。汚れた手で獲った金メダルは、汚れているとは思えないのか、と感じますね。でも・・・・・たとえ汚れていても、アヌシュ選手は欲しかったのでしょう、金メダルが。そこには正論も、ましてや正義も何もなかったんでしょうね。ただただ、なにもかも・・・アスリートとしての誇りもなにもかもかなぐり捨ててでも、とにかくメダルが欲しい、というその気持ち。表彰台で金メダルを受けられなかった室伏選手には本当に気の毒としか言いようがありませんが、アヌシュ選手にも同情の念を禁じ得ませんね。だって彼は、今まで練習で頑張ってきたという自信も、誇りも、それからアスリートとしての未来もすべて失ったのですから。ひとつの欲望のために。勿論、ドーピングは絶対に許されることではありません。国家の期待を一身に背負っている重圧云々と言ったところで、それは出場している全選手に言えることなのですから。世界中から選ばれたトップアスリートのみが参加できるオリンピック。でも、トップアスリートは必ずしも素晴らしい人間であるとは限らない。・・・・・・ホント、人間って弱い生き物なんだなあ、と思います。さて。眠い目をこすりこすりやっとこさ観た閉会式(やっぱりリアルタイムで観てしまった)。探すのはひたすら、彼女たちの笑顔でした。笑顔を見つけたとき、楽しそうな顔を見つけたとき、ああ本当にオリンピックが終わったんだな、この12人での“日本代表チーム”は終わったんだな・・・と思いました。あまりに彼女たちを応援しすぎてしまったので、まだ実感は湧きません。これから2ヵ月後、Vリーグが始まって・・・それから終わったら、若きエースや怖いもの知らずの女子高生や、ママさんプレイヤーや小柄な気の強いセッターや・・・それから、百戦錬磨の頼れるキャプテンがいる12人のチームにまた会えるような気がしてしまいます。日の丸をつけた新しい12人に会えるのはいつでしょう。寂しいけど、楽しみでもあります。次の12人は、今の12人よりももっと強くなるはずだと信じていますから。
August 30, 2004
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ホントに凄かった、バレー決勝戦・・・。観る前までは、まあ決勝とはいえ日本が出場するわけじゃないし、試合を楽しみながら観ましょー、くらいの軽い気持ちだったんですが、第3・4セットあたりからはもう最大集中、画面に喰らいついて試合の流れを追っている自分に気づきました。序盤、シャチコワやこのオリンピックを最後に引退するらしいティーシェンコ、赤鬼・カルポリ監督やベンチにおわすコーチ・オギエンコ、はたまたキャプテン・アルタモノワなどなど、往年の(と言っちゃ語弊がありますが)ビッグネームがずらり勢揃いしているロシアにどうしても目を奪われがちだったのですが、途中からはもうどっちを応援しているのかわからなくなりました。使い古された言葉ですが、『どっちも頑張れ!!』って感じ。金メダルというのは本当に・・・重いものなんだな、って思いました。長く長く世界と戦ってきた吉原選手も、アテネに発つ前の色々なインタビューで言っていましたが、なんだかその言葉が実感として感じられるような試合でした。「金」を獲るのは本当に大変。「金」とそれ以外のメダルは、意味も価値も、少なくとも選手たちにとっては全然違うんだ・・・という事を感じさせられた試合でした。私は日本人で、中国人でもロシア人でもありませんが、それでも試合終了後の中国の選手たちの喜びの涙、ロシアの選手たちの悔し涙には思わずもらい泣きしてしまいました。本当にいい試合でした。そして、日本が出ていないのにもかかわらず、私がこんなに興奮してバレーの試合を観れるようになった・・・こんなに、バレーボールという競技を好きになれたのは、やはり全日本チームのその頑張りが素晴らしくて、魅力的だったお陰だな、と心から思います。メダルを獲ったチーム、そして獲れなかったチームにも、心からの賞賛を贈るとともに、やっぱり全日本チームには、「ありがとう」という感謝も、贈ります。さて。次は北京です。今回の覇者・中国のホームでもあり、他の強豪とて中国を敗るためにより一層の強化を進めてくることでしょう。日本が次の北京でメダルを獲るには、今回のアテネ同様とても難しく険しい茨の道が続いていると思います。でもきっと、彼女たちはアテネのコートで、観客席で、また一回り大きく成長したはずだと私は信じています。いつかきっと、いと高きところへ。
August 29, 2004
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日本選手団が次々と(凱旋)帰国する中、女子バレー選手&スタッフはまだ現地におられるようですなあ。やっぱまだ帰ってこないということは、閉会式に参加するのかしら。閉会式と言ったら日本時間で深夜ですよね・・・うーむ。いつ果てるともない私の寝不足・・・・・・。でも、閉会式ってぶっちゃけ“お祭り騒ぎ”だから、選手たちが他競技の選手や他国の選手と肩組んでハシャいだりしている姿を観るのは楽しみだし、実際楽しんできてほしい、と思う。メダルは獲れなかったけど、苦しんで苦しんで、精一杯戦ったんだから、最後までオリンピックを満喫してきてほしい。さて、私は昨日のバレーの準決勝を見逃してしまいました・・・(ビデオの予約に失敗したとも言う)。いい試合だったみたいですね、聞いたところによると(妬)。ケッ、今夜の決勝・3位決定戦は絶対起きて観てやるんだからね!私の部屋のビデオラックには女子バレーの試合を録ったビデオがわんさか収納されているんですが、いったいいつになったらこれを観れる日が来るのか・・・。まだ、観てしまうとちょっと涙腺がヤバイかな、と。いや泣きたきゃ泣きゃあいいんでしょうが、ちょっとなかなか、勇気が出ません。ここ一番の時(どんな時だ)に取って置こうかな、と思ってます。連敗が続いて、ワールドカップの時から録りためたビデオの山を眺めてはどんよりしそうになっていた時もなかったと言えば嘘になりますが、今も過去もそれから未来も、このビデオの山は私の宝物です。バレー以外に最近意識して観ているテレビといえば(なんとなくついているから観たというのを除く)、ニュース番組と『世界の中心で愛を叫ぶ』ですかね。・・・なんかスゴイ取り合わせなんだけど。バレーを見て興奮し、『セカチュー』を観てオイオイ泣く、と言うのがここ数ヶ月の私のテレビライフだったりします。・・・・・・それでも、先週の『セカチュー』はどうしてもテレビを点ける気になれず、見逃しちゃったんですけどね・・・(韓国戦のあとだったので)。そう、一昨日「TSUTAYA」で『着信アリ』という柴崎コウ主演のホラーを借りてきました。なんかメチャクチャ怖そうです。でも、夜中から始まるバレーの試合を待つ間観るぶんにはいいのかな? きっと眠くならないだろうし。と、いうわけで、宝物を横目に、ホラー鑑賞会始まりです。
August 28, 2004
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頭の中に、第3セットの終盤に吉原選手が決めたBクイックの映像が焼きついています。まるで静止画のように、腕の伸び具合や足の曲がった角度、表情にいたるまで、目を瞑るとはっきりその画が浮かびます。一度しか観てないのに、おかしいですね。記憶力はいいほうじゃないのになあ。試合終了後、選手たちは誰も俯いていなくて・・・それは、もしかしたら、これでオリンピックが終わってしまったと言うことが信じられないが故の表情だったのかもしれないけど、控え室で、もしかしたら泣いているのかもしれないけど、でも、とりあえず、選手たちが泣いていなかったから、私も泣きません。泣きそうだけど、泣きません。でも、ビデオ観ると泣いちゃいそうだから、しばらくビデオは封印です(笑)。いい試合でした。いい試合とかよく頑張ったとか言っても、負けは負けじゃないか・・・という人もいるでしょう。いや、選手たちが何より誰よりそう思っているかもしれません。でもいい試合でした。予選リーグでの全日本チームとは、まるっきり別のチームでした。表情も、動きも、声も。私が、吉原選手のファンを通り越して、このチームが大好きになったのは、W杯の中国戦でした。今日以上にボロボロの負け方でしたが、あの試合で彼女たちは一度も下を向きませんでした。私が大好きなあのチームが、今日アテネのコートに居ました。居てくれました。本当にありがとう。別に私がお礼を言う筋合いじゃないのはじゅうぶん承知ですが、でも、今の自分の気持ちを表すのに一番適した言葉は「ありがとう」です。「お疲れ様」とか「残念でしたね」とか、もちろん「おめでとう」はあるわけもなく、やっぱり「ありがとう」です。つかこうへい氏の舞台『蒲田行進曲』の中のせりふに、「スターの華ってのは、頑張って生きてりゃ必ずいい事があるってみんなに思わせる力のことだ」というのがあります。彼女たちは私にとっては「スター」で、私は彼女たちを観ていて間違いなく「真面目に生きてりゃいいことがある」と思えました。その思いは裏切られませんでした。「明日からも頑張ろう」って、今思います。思えます。だから「ありがとう」。これ以上書いていると涙腺がヤバイので、今日はこの辺でやめておきます。泣きませんよ。彼女たちが泣いていないし、いい試合だったしいいチームだったし、それにひとつの区切りが終わっただけで、ジ・エンドになったわけではないんですから。
August 24, 2004
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職場(幼稚園)で、子ども達と一緒にトマトを育てています。苗の数は全部で5本。お日さまの光をいっぱい当てて、水もいっぱいあげて、でも葉っぱが濡れると病気になってしまうので雨に当たらないように気をつけて・・・。子ども達が大事に大事に育てたので、茎の太さも立派に、大きなトマトがいっぱい生りました。ところが金曜日。幼稚園に行ってみると、5本のうちの1本、一番太くて立派だった苗の茎がぽっきり折れていました。風のせいか、犬でものぼったか、それとも心無い誰かの仕業か。・・・きっとそうなんでしょう。風は吹いていなかったし、犬がのぼったくらいでここまで無残に折れることはないだろう、と思われるほどの折れ方でしたから。薄皮一枚を残してぽっきりと折れてしまったトマトの苗は、葉っぱもしおたれて、ああこれはもうダメかな・・・と言う状態でした。でも、一番太かった苗ですから、もしかしたら生き返ってくれるかもしれない、と一縷の望みを託して、折れた茎をもとに戻し、セロテープでばんそうこうを貼るように留め、また支柱に括り付けました。せっかく子ども達が育てたトマト。どうか元気になってほしい、と願いを込めて。そして今日、トマトはどうなっただろう、多分ダメだろうな、あれだけ折れていたんだから・・・と思いながら幼稚園へ向かいました。トマトは枯れていませんでした。折れた茎から水分を吸い上げ、葉っぱも青々と生きていました。ちょっと、感動しました。素人が育てたトマトだから、生っている実はどれも不恰好だし、酸っぱいばかりでそんなに甘くはないかもしれない。でも、大事に大事に子ども達が育てたトマトの太い茎は、たとえ一度、もう蘇ることはないだろうと思われるほどに折れても、折れた管を自分たちの力で必死になって繋いで、そしてまた生きようとしている。セロテープを、恐る恐るめくってみました。相変わらず、茎は折れていました。でも、その折れた茎は水を吸い上げ、葉っぱは青々と、青かった実は金曜日よりもずっと赤く色づいていました。全日本女子バレーボールは、ケニアに勝ちました。格下相手の試合、勝って当たり前の試合でした。しかも、まだミスが完全に修正されたとは思えないプレーも多々ありました。でも彼女たちは、まるで「一度折れてしまったトマト」みたいだ、と思います。もう、大きな実を生らせるのは無理かもしれない。でも、折れた茎から必死で水を吸い上げ、自分たちの力で管を繋げ、まだまだ生きようとしている彼女たち。明日は中国戦。結果はどうであれ、もう、全日本女子バレーという「トマトの苗」は、決して折れることはない。どんどん茎を伸ばし、葉を広げ、いつか大きな実を生らせるまで、成長しつづける。そう信じ、明日の試合を観たいと思います。
August 23, 2004
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胸を揺さぶる憧れや理想は やっと手にした瞬間に その姿消すんだ叶いもしない夢を見るのは もう止めにすることにしたんだから今度はこのさえない現実を 夢みたいに塗り替えればいいさそう思ってんだ 変えていくんだ きっと出来るんだそう何度でも 何度でも 僕は生まれ変わって行けるそしていつか君と見た夢の続きを暗闇から僕を呼ぶ 明日の声に耳を澄ませる今も心に虹があるんだ何度でも 何度でも 僕は生まれ変わって行けるそうだ まだやりかけの未来がある Mr.Children 『蘇生』よりチームになにが起きたのか、なにが壊れてなにが壊れなかったのか、チームから失われたもの、チームに残っているもの、残されているものはなんなのか、その真実はきっと永遠にわからないのだと思います。でも、素人の私でも唯一わかる事は、「まだ終わっていない」ということです。きっともうメダルには手が届かないでしょう。でもまだやれることは残っている。また「はじめられる」はずです。応援しています。
August 22, 2004
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悪夢の韓国戦から一夜明けました。でも、まだ夢から・・・悪夢から醒めていないような気持ちです。基本的にポジティブシンキングが身上の私ですが、一度落ち込むとこのざまです。ネットで見た各新聞記事。女子バレーがあれだけ注目を浴び、短期間である意味「持ち上げられた」ぶん、そこから転落させられるのもあっという間ですね。それがマスコミというものだし、そのことについてあれこれ言っても始まりません。そして、帰国後、監督だけでなく主将も、マスコミ、世間や協会からの誹りを免れないであろうということも、もう逃げようのない、避け様のない現実なのでしょう。彼女が今までやってきたこと・・・先頭に立ってチームを引っ張り、若手と中堅をまとめ上げ、選手たちに「闘う心」を伝授してきたという確かな事実。つい一週間前までは賞賛されてきたそれらの事も、本番で結果が出せなかったというこれまた「事実」の前には、一転捻じ曲げられてしまうであろうことも、きっとそう遠くなく起こる現実なのかもしれません。数日前、監督と選手の間の亀裂うんぬんといった記事が出ました。本当のことはわかりません。でも、今のチームを観ていると、もしかしたら本当だったのかもしれない・・・と思ってしまう自分がいる。それが悲しいです。ワールドグランプリ。「手の内を隠す」という監督の言葉を、私は信じていました。手の内を隠しているのだから、勝てないのはしょうがないのだ、きっとアテネにピークをあわせてくるのだから。・・・でも、現実はそんな甘いものじゃなかった。新聞記事にもあったように、五輪直前のほんとうにほんとうに大事な時期に、「負けても良い」試合をさせられてしまった選手たちの焦燥感、不安は、予想以上のダメージとなって今も残っているというのが実際のところではないでしょうか。そして、大会中に倒れてしまうほど「勝ちたかった」吉原選手は、いつかこうなってしまうことを心のどこかで予測していたのかもしれませんね。だからこそ、「勝ちたかった」。W杯、OQTと、選手たち12人の目指すものはひとつだった。たったひとつのそれを、12にんまとめてもっともっと高いところへ持っていくのが吉原選手の仕事だった。でも、WGPでたったひとつのそれは、ものの見事に崩壊してしまった。モチベーションを保てなかった選手が悪いのか。大事な時期に選手に不安と焦りのみを植え付けた監督が悪いのか。・・・それとも、それでも、まとめきれなかった主将が悪いのか。そんな事はない、あなたは精一杯やった、あなたは素晴らしかった。あなたとあなたのしてきたことを、誰も土足で踏みにじることなんてできない。たとえ周りがそう言っても、誰も彼女を責めなくても、吉原知子というひとは、「最後の挑戦だ」と自らインタビューに答えていた彼女は、この結果に決して自分を誉め、労わり、納得する事はないのでしょうね。「細すぎて使いものにならない」と監督に罵倒された中学時代。必死でトレーニングを積み筋力をつけて、やがて高校に進むも、一度も「春高」に進む事はできなかった彼女。名門日立入りし、すぐにセンターにコンバート。もう少しでスタメンという時にアキレス腱を断裂。必死でリハビリを積み、スタメンの地位を勝ち取り、全日本に呼ばれるも、当時の監督に嫌われ試合で起用されない日々が続く。バルセロナ五輪が終わって数年、突然の日立解雇。バレーを奪われ、努力して努力してやっと掴んだイタリアの地でのスタメン。アトランタ五輪のため帰国したものの、予選敗退という結果から協会の年齢制限・・・事実上の「吉原切り」のため、国内の実力ナンバー1であるにもかかわらず国際試合から姿を消す。その間、所属したチームを次々と優勝に導くも、休部・廃部のため、2度も移籍する事を余儀なくされる。そして、7年ぶりに主将として代表復帰。日本代表選手としての誇りを若手選手たちに伝え、自ら「闘将」としてコートに立ち、2大会ぶりの五輪の切符をつかみ獲り、そして・・・彼女のバレー人生って、なんなんでしょうね。彼女自身の努力とは全く関係のないところで、大きななにかが動いて彼女自身を呑み込んでいく。それでも、どんな時でも決して溺れず、もがいてもがいて水上に浮かび上がり、また泳ぎ始めた彼女。今度こそ報われるのだと思っていました。正直、メダルは難しいだろうなとは思っていましたが、でも彼女は、彼女の作ったチームは、「死ぬほど練習してきたという自信」を、アテネの地で爆発させてくれるだろうと思っていました。信じて疑わなかった。だって、そうでなければ吉原選手のこの1年はいったいなんだったのでしょうか。自分で限界を定め、燃え尽きることなくコートを去っていったほかのたくさんの選手のように、いっそ彼女もそうすればよかった。なぜ彼女だけが、こんなにたくさんの苦しみを背負わなければならないんでしょうか。コートの中にいる吉原選手を、これから先もずっと見ていたい思いに変わりはないけれど、それはファンのエゴというものなのではないか。もう、吉原選手を楽にしてあげたい・・・そんな思いも、ほんのちょっぴりだけれど湧いてきてしまったのも事実です。伝統は・・・悲しいけれど、東洋の魔女の伝統は、繋がらなかった。選手たちは土壇場で闘争心を失い、指揮官は策に溺れた。それは、もう覆しようのない事実です。なにがいけなかったのか・・・。素人考えではありますが、目の前にアテネがあるのに、北京を見据えてしまった事が、監督の一番の失策だったのかもしれません。チームが作られてまだ1年。チームはまだまだ脆弱だった。実は、「吉原」という一本の芯のまわりに選手が集まり、寄り添ってやっと立っているかのようなチームだった。それなのに、その「芯」だけを見て、強さを過信してしまった監督は、北京の夢まで見てしまった。五輪前の大事な時期に「芯」を取り払った。まだ、周りの誰にも、「芯」になれるだけの強さを備えた選手はいなかったのに。「芯」を突然奪われた選手たちは、砂の山を崩すように崩れていった。「芯」はふたたび崩れた砂を集めようとしたけれど、一度崩れた城は、もうもとの形には戻らなかった。きっと、最初の形のままアテネを経験させる事ができれば、周りの選手たちが「芯」となる事もあったのかもしれません。時期尚早。まさにそれだったのかもしれません。でも。「この子達をオリンピックに連れて行きたい」と言い、その為に想像を絶する努力を積み、そしてそれを実現したキャプテンに、選手たちがほんの少しでも感謝の気持ちがあるなら、五輪に向けて1年しかないと言う時期、チーム作りをキャプテンに丸投げしてきた監督に、ほんの少しでもキャプテンに対する感謝と労いの気持ちがあるなら、もう一度、もう一度立ち上がってください。そうでないと、もし、次の北京に向けて、この苦い経験を糧としてより強いチームが作られていったとしても、私はこの1年のように、そのチームを心から応援する気になれるだろうか、と思うのです。ひとりの素晴らしいプレーヤーのしてきたことをすべて踏みにじり、顧みることなく、たとえ最強のチームが作られたとしても。お願いです。吉原知子というひとりのプレーヤーの歩んできた道を、どうか次に繋げてください。アテネの地であと1試合、がむしゃらに勝利に向かって突き進むあなたたちを見せてください。だってあなたたちはがむしゃらだったんですから、ほんの3ヶ月前までは。どうか、吉原選手が去ったあとも、私に、全日本チームを応援させてください。
August 21, 2004
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あなたたちがアテネに来たのは、メダルに挑戦するためではなかったか。あなたたちが最終予選で流した涙は、メダルに挑戦できることに対する、喜びの涙だったのではなかったか。でも、もしかすると違っていたのかもしれない。あの涙は、「オリンピックに出られて嬉しい」という、ただの嬉し涙だったのかもしれない。アテネに来てから、いったい何度“サーブレシーブ”という単語を聞いたことでしょう。そして、そのほとんどには、否定的な言葉がくっついていました。アテネの試合において、いったい何度レシーブ1本で相手コートに返り、そのまま押し込まれる・・・というシーンを観たことでしょう。司令塔の身長が低い以上、レシーブ1本で相手に返してしまうということは、そのまま相手に1点を献上する、という意味なのに。あなたたちがそれをわからないはずがない。日本代表のあなたたちが、素人にも簡単にわかる事を理解していないはずがない。それなのに、同じミスを何度も何度も繰り返すのは何故ですか?日本の攻撃力以前の問題。コンビバレーもなにもあったもんじゃない。これは、「なにがなんでも勝ちたい!」という気持ちが薄いのだと判断されても仕方がないと思います。そして、肝心の場面で弱気になるレフトアタッカー。どうして怖がらずに打ち切れないのか。ブロックにかかっても、後ろでフォローしてくれる!とは思わないのか。・・・・・・思わなくてもしょうがないのかもしれませんね。あのレシーブでは。例えそうだとしても、そこで打ち切るのが、打ち切るだけの精神力を持つのが、“エース”なのではないでしょうか。若いチームとか、初の五輪での緊張とか、そんな言葉はもう聞きたくありません。彼女たちは並み居る中堅・ベテランを抑えて日の丸をつけている日本一のプレーヤーのはずなのですから。素人判断ながら、采配にも疑問点がたくさんあります。試合の序盤で、韓国が日本をかなり研究し尽くしているということはわかりきっていたはず。なら、何故佐々木選手をずっと使い続けたのですか? 「韓国キラー」と呼ばれた佐々木選手を、韓国が研究していないはずがない。交替も、栗原→大山、佐々木→栗原、高橋→木村→高橋の迷走ぶり。第3セットで栗原・高橋両選手が出てきた時には、正直、今日の試合の負けを確信しました。ふたりがどうのこうのではなく、モチベーションが下がっているため(と判断されてもしょうがないでしょう)一度下げた選手をもう一度投入すると言う事、もう持ち駒が無い、絶体絶命状態である事を意味していたような気がします。そして案の定、試合中に一度戦闘意欲を無くした選手が、勝てるわけはありませんでした。そして迷走ぶりといえば、センター線に尽きるでしょう。第2セットの後半で突如杉山選手を下げ、大村選手に交替。レフトが決まらないと見るや慌てて杉山選手をコートに戻し、そしてあろうことか戻ったばかりの杉山選手からのブロード攻撃を仕掛けた日本。今日の韓国は、日本を研究し尽くしていました。そして、第1・第2セットを通して、杉山選手の武器である高さにももう完全に慣れていたはずです。ましてレフトが決まらずスタメンのセンターを戻したとあれば、「杉山から来る!」というのは素人から見たって丸わかりの攻撃じゃないですか。その時センターを使えたという事は、レシーブがきっちり返っていたということ。ならば、他にも色々な攻撃を仕掛けられたはずです。杉山選手を不調と見たのなら、大友選手を投入すればよかったのではないか。そしてレフトが決まらないのなら、レフトに大村選手を入れて戦ってみればよかったのではないか・・・。わからないんです。今日の敗戦、初めて悲しいとか悔しいとかではなく、怒りがこみあげてきました。日本がなにをしようとして、どんな攻撃をしようとしていたのか。果たしてこの人たちは本当に勝ちたいと思っていたのか。第2セット、24-21から逆転されてセットを落とした日本。第3セット、21-24から日本を引き離し、勝利した韓国。この差はなんなのか。決して高くも、速くも、パワーがあるわけでもない韓国に負けた日本に欠けていたものがなんだったのか、それは素人にもわかる単純で、簡単な事だと思います。次はケニア戦。順当にいけば勝てるでしょう。でも、今日のようなモチベーションのままたとえ勝ったからといって、なにになりますか?決勝ラウンドで強豪と当たってどうせ敗退してしまうだろうとかそういうことを言ってるんじゃありません。自分たちより格上・または同レベルのチームに惨敗し、はるかに格下の相手にしか勝てなかったチームが、決勝に進んだからといって、その試合に何の意味があるだろう、と思うのです。シドニーを逃した選手たち。あなたたちは、血を吐くような思いでこの4年を過ごし、アテネの切符をもぎ獲ったのだと思っていました。でも、いざ来てみたら、アテネのコートはあまりに広く、ネットはあまりに高かったということなのでしょうか?あなたたちは、苦しかったこの4年を、自分たちの手でどぶに捨てようとしているのではないですか?若手選手たち。オリンピックは子どもの頃からの夢。そのコートに立てたから、それで満足ですか? 肝心なところで逃げるプレーばかりしているあなたたちが、次の北京オリンピックで今回の経験を糧にして発奮できるとは、今は到底思えません。ベテランの選手たち。思えば、ベテランなのに、みんな五輪に縁が無く、初出場ばかりですね。試合で使われる事も少なく、若手を盛り立てチームを支え続けてきたあなたたち。こんな試合をするために、見守るために、あなたたちは子どもを置いてきたわけじゃない。膝の痛みに耐えてきたわけじゃない。それを思うと、悔しくて切なくて、ほんとうに胸が痛くなります。そして、吉原選手。あなたが今、どんな思いでいるのか。五輪の素晴らしさも、恐怖も知り尽くしているあなたの気持ち。それは私にはわかりません。そして、若手も中堅もきっとわかってはくれていないのでしょう。わかっていれば、こんな試合にはならないはずですから。あなたにとって最後の五輪。最後の五輪は、栄光に満ちたものでなければならなかった。結果はともかく、精一杯、もてるものをすべて出して戦った、と胸を張れるものでなければならなかったはず。だって、あんなに自分を追い込んで、いつも前を向いて、先頭きって戦いつづけてきたのだから。もしかすると、もしかすると、あなたが作り上げてきたチームはもう駄目になってしまったのかもしれません。もう間に合わないのかもしれない。でも、あなたはきっと、まだ諦めてはいないでしょうね。次の試合も、その次の試合も、チームを立て直すことについても。最初は吉原選手に惹かれて観続け、追い続けてきた日本女子バレーでした。でもいつの間にか、チームそのものが好きになりました。私が惹かれた彼女たちは、いつでもコートの向こう側を睨み付け、頭からボールに食らいついていました。吉原選手が不調でも、ベンチでも、チームが勝てると吉原選手が活躍した時と同じように嬉しくなりました。いいプレーをした時は、ほんとうに感動しました。でも、今。私が心からのエールを送っているのは、チームではなく、吉原選手です。彼女が悔いなくプレーできるように。彼女が、持てるものをすべて発揮した試合ができるように。それだけを祈ります。それしか祈れなくなってしまった自分が、祈らせてはくれなくなってしまった全日本女子チームが、悲しいです。今日の韓国戦のビデオは、そのままゴミ袋に捨てました。負けたのが悔しいからではなく、詰まらない試合だったからです。あれだけレシーブを崩されて追い込まれていたのに、最後の1点まで同じ失敗をした選手たち。以前、OQTの時、全日本男子バレーについて、このにっきのなかでむのたけじ氏の詞を引用させていただきました。 燃え上がらなければ、石炭もただの黒い石である。 爆発しなければ、ダイナマイトも甘い泥のかたまりである。 立ちあがらなければ、人間はサルより低い。この詞を、全日本女子に向けて使う日が来るとは、夢にも・・・いや、悪夢にも思っていませんでした。勝手に期待した私が間違っていたのでしょうか。いいえ。少なくとも、OQTのときの彼女たちは間違いなく戦士でした。なにが彼女たちを負け犬に変えてしまったのでしょう。負けたから悔しいのではないんです。彼女たちの精一杯が、どこを探しても見つけられなかったのが悲しい。悲しくて、辛くて、胸が痛いんです。今、とても悲しいです。
August 20, 2004
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オリンピックには魔物が棲んでいる・・・のかもしれません、本当に。アメリカがドミニカに敗れ、女王・中国がキューバに敗れ。中国VSキューバ戦は、フルセットにもつれ込んだお陰で(?)、第5セットを観る事ができましたが、さすがオリンピック、予選ラウンドといえど、どの国も真剣勝負そのものですね。キューバの角度のあるスパイク、あれを今の日本が打ち込まれたら・・・と思うと、ちょっと背筋が寒くなりました。野球もオーストラリアに敗れ、中畑清監督代行の、『力負けです。完敗です』というコメントが流れていましたね。まさに「手の内隠し」も「秘策」も、オリンピックという魔物の棲みかでは通用しないのかもしれません。真剣に、真っ直ぐ戦った者だけが、魔物の祝福を受ける事ができるのではないか・・・そんな事も思いました。さて、我等が全日本女子。最初に竹下選手のサーブミスで相手に1点献上してしまった時は、ちょっといやな予感が頭の片隅を過ぎりましたが、その後はセンター線が上手く機能して、ようやく初勝利をあげることができました。・・・・・・なんて冷静に書いてますけどね、一夜明けたもんだから。TV観てる時はもう胃は痛くなるわトイレは近くなるわ、大変でした。でも。まだまだ、OQTの頃ほどの強さは戻ってきていないように感じます。まだまだ、彼女たちが立ち上がった、とは言えないと思います。レシーブが粗いし、レフト線がなかなか相手ブロックの高さに対応できていない。そしてここ一番のサーブミスも相変わらず。でもまあ勝ちは勝ちです。勝つことができた、ということは、逃げずに自分たちの欠点と向き合えることができる、ということだと思います。今頃・・・現地は昼の1時頃でしょうか? 選手たちは練習している頃でしょうか。いずれにせよ、昨夜はまたみっちりとミーティングをして、韓国戦に向けて闘志を燃やしている事でしょう。・・・なにが嬉しかったって、コートの中で彼女たちの笑顔が見られたこと。走り回る彼女たちが見られたこと。彼女たちの声が聴こえたこと。まだまだ本調子とは言い難い試合でしたが、“一番強い状態に戻る過程の彼女たち”が観られて、個人的には満足です。惜しくもベスト8に残る事はできなかった卓球の福原愛選手。第3回戦で格上の選手に勝利した彼女へ、「第2回戦はかなり緊張していたようだが、第3回戦はかなりリラックスしていたようだ。どうやって気持ちを立て直したのか」という質問がありました。そして彼女の答えは、「1回死んだからです。第2回戦の試合は負けたということにして、特別、もう一試合させてもらえることになったんだ、と自分に思い込ませました」というものでした。全日本女子バレーチームも、一度死んだのかもしれません。めった打ちにされて、ボロ雑巾のようになって、マスコミにも叩かれて。アテネの地にいる色々な方のコラムをネットで読むと、この3~4日、彼女たちがアテネの地でも、試合に負けたということによって、どれほど追い詰められた状態にいたのか察する事ができ、胸が痛くなりました。期待されていた女子バレーボール。意地悪な見方をすれば、「実力の伴わない人気」だったのかもしれません。勝手に過度な期待を寄せて、勝手に失望して、勝手に彼女たちを侮蔑し、鞭打つ。それがマスコミであり、悪い意味での「ファン心理」という奴なのかもしれません。でも。運の良い事に、彼女たちの中には「それ」を知り尽くしている人間が居ます。企業の思惑や、それに乗っかった形のマスコミによって、バレーを奪われ、日本にさえ居られなくなった選手が居ます。「身長」という努力ではどうしようもない部分をあげつらわれ、バレーから去った選手が居ます。彼女たちはきっと負けません。彼女たちは立ち上がろうとしています。きっと、立ち上がります。「嵐の夜」はまだまだ続きます。彼女たちが魔物の祝福を受ける事ができるのか、否か。1戦1戦が決戦です。さあ、明日の韓国戦。立ち上がった彼女たちに会えるか。きっと会える、そう信じています。
August 19, 2004
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今、TVでアテネ五輪の野球・キューバ戦を観ています。まさかまさかの点差。この試合に勝つのは、難しいかもしれません。でも諦めないで欲しい。最後まで。女子バレー・ギリシャ戦まで、一時間半を切りました。今、もうどうしたらいいのかわからない状態です。楽しみなのか、怖いのか、泣いてしまいそうなのか・・・。選手たちは今頃、まだ移動のバスの中でしょうか。それとも、もう体育館に入った頃でしょうか。どんな気持ちでいるでしょうか。少なくとも、闘志を燃やしてくれていることを祈ってます・・・いや、信じてます。 おのれの限界に気づいたつもりかい? かすり傷さえもないまま終わりそう 夢じゃないあれもこれも 今こそ胸をはりましょう 祝福が欲しいのなら 底無しのペイン 迎えてあげましょう ホントだらけあれもこれも その真っ只中 暴れてやりましょう そして羽ばたく ウルトラソウルB’zの『ウルトラソウル』。吉原選手が、試合前に聴くことの多い曲なんだそうです。今も、ギリシャの地で彼女はこの曲を聴いているでしょうか。選手たちのウルトラソウル、輝け!
August 18, 2004
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数日前の日記に、むのたけじ氏の詞を引用させて頂きましたが、まさに今、アテネの地にいる女子バレーチームは、“嵐の夜”の真っ只中にいるようです。まるでサイドアウト制の試合を観ているかのような点差。まるで「ここに落としてください」と言わんばかりの、コートの真中にぽっかり穴の空いたレシーブフォーメーション。肝心どころでのサーブミス。選手たちの、あと一歩動かない足。イタリアのIDバレーの術中に見事はまってしまった、と言う事なのでしょう。OQTでの勝利で、選手も私たちも歓喜に酔いしれましたが、それもすべて五輪に照準を合わせたイタリアの作戦だったのかもしれません。OQTであれだけ決まっていた大友選手のブロードをはじめとしたセンター線の攻撃が、文字通り『全く』機能しなかった、と言う事はすなわち、OQTでしっかりデータを取られてしまったということでしょう。でも、あれから日本にも同じ時間が経っているわけですから、読まれている事を計算して、なにか新しい打つ手を考えるべきだったんじゃないかと思います。確かアトランタの最終予選もそうだったような覚えがあります。神がかり的といわれた吉原選手のセンター攻撃。今回の大友選手同様、大会を通して高い決定率を誇った彼女でしたが、アトランタの本番ではライバル国に計算され尽くしてしまいましたよね。しかし今回、センター攻撃が封じられてしまった原因が、イタリアのIDバレーだけではなかった、というのは試合を観れば一目瞭然でしたね・・・。あと少しの集中が足りない。あと一歩、足が出ない。いいトスがあがらない。センターが使えない。攻撃がサイド一辺倒になる。おっかなびっくり打っているからなかなか決まらない。たまにいいトスがあがると『センターが来る』と読まれてしまう。シャットを食らう。これの繰り返し。去年から、柳本JAPANの試合を観戦しつづけて、初めて観続けるのが辛くなりました。第3セット中盤に、またもや点差が離れてきた時に、ビデオには録ってあるんだし、風呂にでも入ってこようか・・・そう思いました。本当に、目を覆いたくなりました。このチームの応援をしてきて、こんな気持ちになる時が来ようなんて思ったこともありませんでした。まさに悪い夢をみているようでした。それでも最後まで観続けたのは、吉原選手の速攻が決まったからだったような気がします。速攻が決まったから嬉しかったのではありません。第3セット中盤になってはじめて決まったセンター攻撃です。遅すぎます。もう間に合わない。でも、彼女はリニエーリの顔面目掛けてスパイクを打ち込みました。今まで、ブロードも速攻もことごとく止められ、拾われていたのに、『相手コートの空いている場所』ではなく、リスクの高い場所・・・選手のいるところ、選手そのものに打ち込みました。そしてそのあとすぐ、トグットのバックアタックを1枚でシャット。さっき、アトランタ最終予選を引き合いに出しましたが、あの瞬間、イエリッチのバックアタックをやはり1枚で止めたイタリア帰りのセンタープレーヤーの事を思い出しました。「最後まで諦めるのは絶対嫌。諦めるくらいだったらはじめからやらないほうがいい」と語っていた吉原選手。この人は諦めていない。諦めるつもりすらこれっぽっちもない。じゃあ、ファンが諦めてどうする。まだ終わっていないのに。そう思ったんです。シャットを食らったあとのトグットがちらりと映りましたが、まるでなぶり殺しにしようと思っていた小さな獲物に、鼻先を血の出るほど引っ掻かれた猫のような表情をしていました。でも、小さな獲物が引っ掻いたのはあくまで鼻先で、致命傷にはほど遠く、小さな獲物は完全に仕留められてしまいました。それでも、たとえ小さくても、爪も牙も声も失われたわけではない、小さくても、これがある限り戦うんだ。・・・そんな思いがダイレクトに伝わってくるような、速攻とスパイクでした。さあ、明日はギリシャ戦です。今の日本の状態からして、決して楽な戦いではないでしょう。これが若いチームのリスクと言う事なのかもしれません。一度五輪の切符を逃すと言う事は、こういう自体を招くと言う事なのかもしれません。若手にとって、アテネのコートは夢の舞台になるはずでした。中堅にとっては、栄光と歓喜に満ちた場所になるはずでした。でも、きっと今は、足を踏み入れるのに躊躇・・・いや恐怖すら感じられる場所になっているかもしれません。そして、吉原選手は、そうなる事をすべてわかっていたのかもしれません。試合後の彼女の静かな表情が物語っているような気がします。五輪の切符を逃すと言う事の、そして初めての五輪に潜む魔物の恐ろしさをこの人は誰よりも・・・もしかしたら監督よりも、知っていたかもしれません。きっと知っていたはずです。そして、その恐怖に打ち勝つものは、選手それぞれの精神力以外にはありえないんだ、ということも、彼女は身に沁みて知っていることでしょう。チームメイトのミスをフォローするどころか、顔を歪めてしまうような選手たち。脇から入ってきた栗原選手と衝突してレシーブをミスしてしまい、怒りを露わにする竹下選手。スパイクをミスしたあと、チームメイトに声をかけ・・・なにかあったのか映っていなかったのでわかりませんが、ムッとした表情で一瞬黙ってしまう佐々木選手。レシーブがあがって二段トスを打つ時、「え?あたし?あたしが上げるの?」とでも言うように顔を見合わせているような成田選手や栗原選手。そんなあなたたちは初めてみた。そんなあなたたちはみたくなかった。そして、いつも強気な竹下選手が、コートに入る時、吉原選手の手を両手でしっかり握り締めていた映像が目の裏に貼り付いて、しょっちゅう視神経を刺激してきます。8歳も歳の離れたコンビなのに、コートの中でプレーする時はいつも対等で、その強気さが、強気なトスが魅力の竹下選手なのに、まるで別人のようでした。まるで不安げな子どものようでした。竹下選手ですらそうなんです。いつものように、鬼の形相で叱咤激励するなんてできるわけがありません。吉原“キャプテン”にできることは、手を握って笑ってあげること。明日からの試合は・・・結果はともかく、OQTの時のような試合が観たい。がむしゃらに頭からボールに突っ込んでいくような選手たちが観たい。ワールドカップの中国戦のように、負けていても貪欲に相手コートを睨み付けている選手たちが観たい。そして、鬼神のようだと評される吉原選手のあの表情を、もっともっと観たい。もう、「秘策」も「手の内隠し」もたくさんです。いや、そもそもそんなものが本当にあったのかすらもうわからない。今の彼女たちは、バレーボールが大好きで、バレーボールをやっているようには見えない。少なくとも、ワールドカップやOQTのときの彼女たちは、必死だったけど楽しそうでした。私は、そんな彼女たちのプレーに惹かれて、ファンになったんです。『キッズ・リターン』という映画のラストで、自転車に二人乗りをしながら、少年が言います。「俺たちもう終わっちゃったのかな」もうひとりが答えます。「バーカ、まだ始まってもいねえよ」どうかもう一度立ち上がってください。もう一度始めてください。仲間を信じてください。バレーを楽しんでください。日本代表の誇りを取り戻してください。「諦めない」というキャプテンがいる限り、私も絶対、諦めません。『ネバー ネバー ネバーサレンダー』元・阪神、星野監督が、チームを建て直す時のスローガンだったそうです。
August 17, 2004
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女子サッカー、男子サッカーに始まり開会式と続き、すべてリアルタイムで観ていた私のここ数日の平均睡眠時間は、超売れっ子アイドルなみだったのですが、日中不思議と睡魔に襲われることはありませんでした。バレーボールの、ブラジル戦が終わるまでは。悔しい、悔しい、納得できないと思いつつ、試合終了後30分と経たないうちに朝まで爆睡コースに突入でした。・・・・・・寝てないのに眠くならなかったって事は、要するに緊張してたんですね、ただのいちファンのくせに。私の、試合開始前の30分間は、まるで発情期のクマのように部屋中を言ったり来たり、トイレにも10分おきに通う有様でした。TV観戦しているただのいちファンがこれだけ緊張しているんですから、アテネの選手たちの緊張やいかばかりか・・・と思います。が、が、が!!!!それにしても悔しい試合内容でしたね。いや、悔しいと言っていいのかどうかすらわからない。だって、全日本チームの実力はこんなものではないはずですもん。ブラジル戦での彼女たちは、明らかにOQTの時より「退化」していたように思います。まぁ・・・サーブはいくらか「進化」していたようですが。私は、彼女たちがOQTの時よりずっと「進化」していると信じています。だから、このままで終わるわけがない。監督曰く『明るさが取り得のチーム』なのだとしたら、ガチガチの緊張はブラジル戦でおしまい。イタリア戦以降は、笑顔でコート中を走り回り、ネット越しに相手を睨み付け、両手を突き上げガッツポーズ、そして勝利をもぎ取る、いつもの彼女たちを必ずみせてくれると信じています。それにしても・・・ブラジル恐るべし。イヤなにが恐るべしって、センターの速攻(の角度&パワー)やコンビバレーもさる事ながら、私がビックリしたのはレシーブですよ。日本が研究され尽くしてる・・・とはちょっと思いたくはありませんが、日本の攻撃はとにかく拾われまくっていましたよね。ああでも・・・それでも、レシーブ率は日本の方が上だったのかな?いずれにせよ、これが『五輪の洗礼』だったのかもしれません。日本は柔道・水泳とメダルラッシュですね。一方、団体競技は今のところパッとしない戦績。男子サッカーなどは、一次リーグ敗退となってしまいましたし。個人競技の選手の精神力に驚嘆させられると同時に、団体競技の難しさも痛感させられました。でもきっと、人数がいるぶん、勝利の喜びも大きいはずですよね。開会式で嬉しそうに笑って行進する選手たち。彼女たちの笑顔を観たとき、涙が出そうになりました。頑張ったね、ここまで来れたね・・・って。でも、参加するだけで終わるために彼女たちはアテネに来たわけじゃありません。戦いは始まったばかり。吉原キャプテンは若い選手たちにきっとこう言っ低るでしょう。「まだまだこれからだよ!」頑張れ全日本!!
August 15, 2004
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ここ数日、気がつけばオリンピックの事を考えている自分がいました。彼女らは勝てるでしょうか。メダルを獲れるでしょうか。心のどこかで、それは難しいだろうという声がします。でも、それでもわたしは願います。祈ります。彼女たちの、1年半がどうか報われることを。その結果が、メダルか否か・・・。報われたか、または報われなかったと思うかは、すべて彼女たちが自分を信じられるか、10日間の戦いの中で、信じ続けていられるか、それがすべてだと思います。結果は、あとからついてくるもの。ワールドカップの時、このチームは来年絶対オリンピックに行くだろうな、と思いました。行けるかな、ではなく「行くだろうな」と思いました。夢はまだ先にあります。見届けます。 さあ、闇の奥まで稲妻の伝令をはしらせよう。 怒りの軍皷を鳴らして空を燃やそう。 受胎の雨をそそいで地を洗い、 創造の朝にむかって宣言しよう。 俺たちが、長いこと雲と蔑まれて耐えてきたのは、 ひとえにこの嵐の夜を耕すためであったと。 むのたけじ『詞集 たいまつ』より
August 13, 2004
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私が高校3年生の時の、世界史のS先生はちょっと変わった先生でした。まず、教科書に沿った授業をしない。試験は論文形式。と言っても高校だから、このへんが出るぞー、という具合に、範囲は指定されるわけだけれども。でも、世界史が好きだった私には世界史の授業は、結構楽しい時間でした。そんなS先生から出された、最後の試験。先生は黒板に、世界史に登場する女性の名前をずらずらと書き並べていきました。全部で50人。クラスの人数と同じ数。そのほとんどは、マリー・アントワネットやルクレチア・ボルジア、楊貴妃といった、メジャーかつポピュラーなものでしたが、中に数人、見たことも聞いたこともない(当然、授業では一切触れられたことのない)人物の名前も混じっていました。先生は彼らの名前に通し番号を打ち、全部書き終えると、私たち生徒にあみだくじをするように言いました。そう、S先生の試験は、あみだくじで当たった番号の人物について、その生涯について調べ、1週間後にレポートを提出せよ、というものでした。「やった、私マリー・アントワネットだ!」「げー、楊貴妃だ・・・。中国は苦手なんだよねー」などといった会話が飛び交う中、いよいよ私がくじを引く番に。そして、私が引いた番号は、今も忘れぬ“37番”。「さささ37番ってなんだ!!」と黒板を見上げた私の目に飛び込んできたのは、“ラクシュミー・バーイー”という単語でした。ラクシュミー・バーイー??それなに? 人なの? どこの国の人? えっ、いつの時代の人??そう、私は見事にハズレクジを引いてしまったのでした。クラスメイトの同情と「あー私楊貴妃でよかったわー」的な視線を一身に浴びつつ、「せめてヒントを!!」とS先生に泣きついても、敢え無く却下。現在のようなネット社会ではなかったので、自転車をこいでひたすら図書館巡りをした一週間でした。そして知った、「ラクシュミー・バーイー」の一生。彼女は、19世紀インドにあった、小国の王妃であり女王。当時、インドはイギリスの植民地で、民衆は圧政に苦しんでいました。貴族の娘・ラクシュミーは王家に嫁ぎましたが、家は没落、その後、王との間に生まれた王子も、夫である王自身も病気で失ってしまいます。王が亡くなる前、ふたりは養子をもらいましたが、イギリスは養子を世継ぎとして認めず、そして、世継ぎがいないことを理由に、イギリスへの併合を要求します。若干20歳前後のラクシュミーは、王家を、国を守るため、『言論』で戦おうとします。しかし、権力者の前に法は曲げられ、ラクシュミーの書いた手紙は握り潰され、ついに国はイギリスに併合されてしまいます。ラクシュミーは、それでも諦めませんでした。彼女は、自ら幼い養子を背負って白馬にまたがり、剣をふるい、兵士や民衆の先頭となってイギリス軍と戦いました。結果、ラクシュミーはイギリス軍に殺され、王家は滅びましたが、彼女は“インドのジャンヌ・ダルク”“正義の人”と呼ばれ、現在にいたるまで、インドの国民的ヒーロー(ヒロイン)なのだそうです。なんでラクシュミー・バーイーの事を今日の日記に書いたのかというと、急に思い出したからです。今日発売の、『Number』を読んで、急に、この、強くて誇り高い女性のことを思い出しました。ラクシュミーは、決して猛々しい女性ではなかったそうです。そんな彼女が、誇りのために立ち上がった。全日本女子のふたりの「ラクシュミー」。インドのラクシュミーは、国と誇りを背負って戦ったけれど、ふたりが背負っているものは、なんだろう。なんのために戦うんだろう。その背負っているものはあまりに重く、その理由は、純粋であればあるほど、あまりに悲愴だ・・・と思います。弱っている自分を見せることを極端に嫌う吉原選手。あなたが疲れているのはみんな知っている。身体中故障だらけだという事も、みんな知っていること。そして、それをみんなが知っているという事を、あなたも知っている。それなのに、あなたは「弱っている自分を見せるのは絶対に嫌だ」と言う。たった一本、ミスしてしまった自分が、吐くほど許せない。その、激しいまでの強さは、尊敬しても尊敬しても尊敬したりないほどの驚嘆に値するけれど、でも、その強さを思うと、胸が痛くなるのはどうしてなんだろう。そこまでの痛みを背負って、戦う事の意味。背負っているものの重さ。戦いたい、と思うのも本能なら、母性も本能。もうひとつの、そして何より大きい本能に蓋をして戦いつづける辻選手。彼女を支えている原動力はなんなんだろう。長い合宿。子供には会えない。会えないうちに、子どもはどんどん大きくなっていく。夏には、子どもは色々な病気にかかる。あの子は熱を出していないだろうか、怪我して泣いていないだろうか・・・。そんな思いに蓋をしてまで、戦う理由。背負っているもの。誇りのために戦った、ラクシュミー・バーイーの最期は、あまりにも痛ましいものでしたが、全日本女子のふたりのラクシュミーには、栄光に満ちた未来が開けている事を、心から祈ります。
August 5, 2004
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本棚を整理していたら、星野仙一氏の『夢』という本が出てきて、あれ私こんな本も持ってたんだっけかなぁ、とか思いながら読み返してしまいました。吉原選手が、尊敬する人(好きな男性のタイプ!?)に挙げる星野監督。おかしなもので、もう監督ではないのに、星野さんといえば“監督”というイメージだ、なんて思ったりして。本の中に再三出てくる言葉は、『普段の生活をきちんとできない人間が、自分の人生や生活が懸っているグラウンドで戦えるわけがない』というものでした。それから、ご自身が阪神タイガースの監督に就任し、そして、万年最下位のチームを優勝へと導いたことについても、『何も変わった事はしていない。当たり前のことを当たり前にやっただけ。』そして、『負け続けて、すっかり負け犬状態のチームに、勝ちたい、勝つんだ、っていう意識付けをしただけ』とも。具体的な方法論は書かれていなかったけれど、すべてが今の全日本女子バレーと重なるところが大きくて・・・と言うか、それは吉原選手が星野監督から影響を受けた、というのもあるのかな? 真のアスリートというのは、みんな同じように、一本大きい筋が通っているものなんだな、と感心しました。勝負だから、勝ち負けがあるのはしょうがないが、怠慢プレー・・・例えば、守備につく時に、自分のバッティングのことを考えていたり、実際そのような素振りをした場合は、絶対許さなかったそうです。なぜなら、野球はチームプレーだから。守備についた時には、声を出したり、チームの一員としてやらなければならないことがあるはずなのに、自分のこと(打撃)だけを考えているような選手はダメだ、と。ううん、耳が痛い。これって、一般社会でも言えることだよな・・・。勿論、バレーの場合はこれでもかっていうくらいのチームプレーだし、常にボールが動いているから自分のことだけ考えている暇なんてないだろうけど、基本的なところはきっと同じだろう、と思うんですね。例えば、吉原選手が一番嫌う、「試合の途中で諦める選手」。コートの中の6人のうち、ひとりでもそんな考えの選手がいたら、そのチームもその試合も崩れることは必至でしょう。「勝つんだ」って意識付けをしただけ、と星野監督は仰いますが、それ「だけ」のことがいったいどれほど大変だったのか、大変なことなのか・・・。吉原選手を見て、彼女を観続けて、そしてこの本を読むと、その途方もない大変さが、ほんのちょっとだけわかるような気がしました。それにしても・・・。「心・技・体」と言うけれど、アスリート、プロ選手を名乗る人のうち、いったい何人の人間が、これら3つを兼ね備えているんでしょうか。兼ね備えようと努力しているんでしょうか。今更、男子バレーを引き合いに出しても始まりませんが、OQTの最終戦で、ユニフォームを宿舎に忘れてスタメンで試合に出れなかった某選手のことが、頭を過ぎります。練習試合じゃないんです(まぁ練習試合だからといって許されることじゃありませんが)。いくら切符を逃したあととは言え、五輪への予選での、醜態でした。某選手たちは、試合前日に繁華街へ繰り出し、酒を飲んでいたそうです。気分転換大いに結構。でも、翌日の試合の結果は、惨憺たるものでした。もし彼らが、星野監督のもとで野球をしていたなら。もし彼らが、吉原選手と同じチームでプレーしていたなら。・・・・・・想像するだに恐ろしい。オリンピックが近づいて、今更こんなことを言うのも書くのもなんですが、私はやっぱり、男子にも出場してほしかった。アベック出場して、精一杯戦ってきてほしかった。ニュースや情報番組で、「次はバレーボールの話題です」とアナウンサーが言う時、「バレーボール」と言ったらすなわち女子を指して、男子はまったく蚊帳の外になってしまっているのが寂しいし、悲しいし、悔しい。・・・・・・でも、彼らは、切符を逃すべくして逃したんですよね。必死で手を伸ばして、必死で跳んで、必死になって食らいつけば手が届いたのかもしれないのに、彼らはそれをしなかった。もしかしたら、それでも彼らは「必死」だったつもりなのかもしれないけれど。今、オリンピックが近づいて、テレビも新聞も雑誌も「頑張れニッポン!」一色で、女子なんてCMにまで出ちゃったりして・・・。・・・彼らは、いったいどんな思いで、それらを観ているんでしょうか。純粋に応援しているのか。それとも、苦い思いを抱えつつ応援しているか。もしかしたら、目を背けてしまっているか。アテネ五輪。女子バレーはきっと、素晴らしい戦いぶりを見せてくれる事でしょう。どうか、悔しくても情けなくても、画面から目をそらさずにいてほしいと思います。そして、その屈辱を糧にして、男子バレー、どうかどうか、這い上がってください。オリンピックを逃した期間が女子より多いぶん、這い上がるのも女子以上に大変だろうと思います。でも、不可能じゃない。星野監督・吉原選手予備軍の選手たちは、きっとたくさんいるはず。覚醒していないだけなんだ、と思いたいです。どうか、「心」を掴み取って、そして這いあがってきてください。
August 4, 2004
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暑い、暑いとは言っても、さすが東北。ウチの地域じゃ、日中はともかく、朝晩は涼しい風が吹いて、熟睡できるようになりました。・・・とか言いつつも暑がりの私は涼を求めて、昨夜は『新・耳袋』と言う、いわば“現代版百物語”を布団の中で読んでいたりして。おかげ様で効果てきめん、暑いのに足の先だけはなぜかひんやり、タオルケットにくるまりながら一晩で読破してしまいましたとさ。『リング』や『呪怨』、はたまた『13日の金曜日』などの映像の恐怖に慣らされた身としては、悲しいかな、3話や4話読んだところでは、ほとんど「コワイ」という思いは湧いてこないんだけれども、70話、80話と読み進めるうちにじんわり効いてくるのがなんとも言えない。みなさん、寝苦しい夜には『新・耳袋』。お勧めですよー。さて。今日は仕事が休みだったこともあり(夏休みなので、交代で休めるのだ)、銀行だの郵便局だのにまわりつつ、昼間っから本屋を覗いて参りました。なんだか、すごく得した気分になると同時に、平日の昼間にこんなことしてていいのかなって、罪悪感も覚えたりして・・・。仕事帰りに寄るのとは違って、時間もたっぷりあるのでゆっくり見てまわったんですが、いやあ、アテネ五輪関連の雑誌の多いこと多いこと。ビデオを用意する都合もあるので、一冊ぐらい勝って、放送予定をしっかり頭に叩き込んでおこうかななんて思っていたのですが、結局選びきれずに、何も買わずに帰ってきました。・・・・・・それでも、バレーについて書いてあるページだけは、各誌チェックしてきちゃったりしたのですが。それで、気づいたんですが、結構多いんですよ。“アテネ本選でのスタメンライト・・・木村沙織選手”って予想が。ヨーコ・ゼッターランドさんも、益子直美さんもそうだったかな?レフトは大山―栗原で、センター線が吉原―大友、セッターが竹下選手で、ライトが木村選手、という予想が多かったような気がします。ううん、私としては、ライト高橋選手は外せないだろー、と思ったりしてしまうんですけどね。なんたって、「三本の矢」ですし、WGPでは結構高橋選手を温存することも多かったので、彼女を使った速いコンビとか、そういう隠し玉があるんじゃないか、なんて勘繰ったりしてしまっているので。ただ、高いチーム相手には少しでも身長の高い木村選手を使っていった方がいい、のかもしれませんけども。なんたってオールラウンドプレーヤーですからね、彼女も。でも・・・。すべては、10日後に明らかになるんですよね。去年の11月のW杯からずっと、アテネに向けて一歩ずつ一歩ずつ、階段を登るようにしてチームを作り上げてきたその集大成、アテネで爆発させるために、隠してきた手のうちをすべて披露するその時が、もうあと、たったの10日後。なんかね、ここにきて、複雑な心境です。昨年の春から一年半近く、アテネのために作り上げてきたチーム。走りつづけてきたチームの目の前に、アテネ、という、ひとつのゴールテープが、もうすぐそこにある。ゴールテープを切っても、すぐそこには北京に向けてのスタートラインが引かれているけれども、そのラインに並ぶ選手は、もうきっと、今の12人じゃない。走りつづけてきた12人。途中で、宝来選手や佐野選手、鈴木選手や荒木選手たちが外れてしまったりはしたけれど、彼女たちのぶんまで背負って走ってきた12人のゴールまで、もうあと僅か。そう思ったら、アテネでの熱戦が楽しみなのに、楽しみでしょうがないのに、まだまだしばらくはゴールしてほしくない、そういう思いが湧いてきちゃうんですよね。これは・・・寂しい、っていう感情なのかな。多分に、この寂しさは、吉原選手が、もしかしたらアテネを最後にユニフォームを脱ぐかもしれない、という予感から来るのも大きいのかもしれない。きっと彼女は、ユニフォームを脱がないにしても、北京へのスタートラインには並ばないと思うから。でもそれだけじゃない、という気もする。私は、今の12人の戦いが、もっともっと観たい。勝利に貪欲で、いやらしいほどライバル心剥き出しで、自分にもチームメイトにも厳しいこの12人の試合が、もっともっと観たい。でも、その貪欲さも、厳しさも、アテネに引かれたゴールテープのためのものならば、私にできることは、信じて応援するだけ。そう割り切るしかないんだよなあ、なんて思ったりしている最近の私です。そう、そしてきっと、北京へのスタートラインに並ぶ選手たちは、アテネのゴールテープを切ったその時よりも、もっと強い表情で、もっと貪欲になっているはずだから。
August 3, 2004
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毎日書く・・・とか言っておきながら、出張で留守にしてしまい、しばらくぶりの日記更新になってしまいました。気がつけば8月。オリンピック開幕まで、11日。思えば、私のいちばん最初のオリンピックの記憶は、ロス五輪でした。その前の五輪もテレビで観ているはずですが、幼かったのと、モスクワ五輪が“幻”となってしまったこともあり、私の五輪のイメージは、いつもロス五輪、そして「ロケットマン」でした。そのあとの、ソウルも、バルセロナもアトランタも、そしてシドニーも勿論観てきたけれど、五輪といえば“観るもの”であって、“応援するもの”ではありませんでした。勿論、頑張れニッポン!とは思っていましたけれど、例えば握り拳を作って、穴が開くんじゃないかってくらいTV画面を睨み付けて・・・そんな経験は、ありませんでした。でも今回。生まれて初めて、心の底から、“応援”しています。勝ってほしい、メダルを獲ってほしい。女子バレーだけでなく、どの競技でも。女子バレーを観続けて、それはTVでの観戦がほとんどだったけれども、でも画面から伝わってきたもの。五輪を目指す彼らが、どれほどの辛い思いを抱えて、夢のために戦っているのか。五輪への切符を手に入れた彼らの影で、いったいどれほどの人間が泣いているのか。五輪は、アテネは、彼らみんなの涙が、昇華される時だと思います。「参加することに意義がある」と、昔誰かが言いました。でも、「参加する」だけでは、きっと涙は昇華されない。痛みは、痛みのままです。だから、彼らには勝ってほしい。誰のためでもなく、国民全体の期待のためでもなく、彼らが流してきた涙のために。
August 2, 2004
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