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なんの話の続きだったか息子1が、長くしゃべった。ね、覚えてるかな、小学校の3年生のときの担任のクサカリじゃなくて、ナツカリ先生がさ、「ほめられたくて良いことをするのは悪いことじゃない』っていったんだよね。ぼくがそれをお母さんに行ったらお母さん、「それだけじゃさびしいな」っていったんだよね。その当時のぼくは学校の先生と親の考えが違うことにびっくりしたんだよね。えー、そんなことがあったのか。かあさん、すっかりわすれてるよ。悪かったねえ。きっと混乱しただろうね。ううん、そのときはびっくりしたんだけど今から考えるとそのほうがありがたかったと思うよ。だって、ぼくも良いことはほめられたくてするもんだっておもってたんだもん。それでも、そのあと彼が学校生活でいろいろあって長く過ごしづらい時間があったことを思うとたまらない。かあさん、君にとってよけいなことばっかり言ってたのかもしれない、と反省する。かあさんは学生からすぐ主婦になってすぐ、かあさんになったから社会ってもんをよく知らなくて働いたこともなくてかあさんをやってたからちっぽけな知識しかないくせにあたまでっかちなしつけしてたのかもしれないって反省する。どんだけ反省してもそのときには帰れないけどね。でもいろいろあってもかあさんが君をすきで君がかあさんをすきといってくれるからかあさん、それでいいよ。
2011.09.26
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「文さんは放し飼いだから」と言われたことがある。ううむ、そっちからはそう見えるのか、と苦笑する。いやいや、まだまだそこまではいっておらんです。鎖の長い犬みたいなもんです、と内心思う。その鎖の長さに感謝しつつその半径で動いているだけのことでその円の中ではひとり、自由でいたいがその円の限界もわかっているつもりだ。その限界があるからその自由のありがたさを噛み締めることができる。
2011.09.23
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京都の友人からメールが来た。「100%覚悟していたけれど、ちがいました」その一行目のうれしかったこと。よかった。その後、彼女にしては長いメールが続く。念のため日帰り手術でしこりを採取して調べたらしい。その夜突然腕が動かなくなって青くなったそうだが手の使い過ぎが原因だったという。検査結果を聞いたら腕が楽になったところをみるとストレスで筋肉がきんちょうしていたらしい、とも。やっぱり心配だったんだなあ。いっしょにいければよかったのにな。その返信はみじかくうつ。「よかったねえ。ほっとした。また遊びにいこうね」そしたら「ありがとう、いきましょう」と帰って来た。うんうん、生きましょう。
2011.09.19
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指をおって数えてみる。あのひととあのひととあのひとと…5人いる。乳がんを患った友人の数だ。友人たちの暮らしには、それぞれひだがありその奥には切ない思いが折り畳まれている。その思いがしこりになってしまうのか、と思ったりして、悔しくなる。幸い、どのひとも今は元気で暮らしているが再発の不安が消えてはいない。そんな時代なのだと言ってしまえばそれまでだが身近なひとの健康が案じられる。この夏帰省して京都の友人に会ったおり胸にしこりがあるのだと告げられた。彼女は一人暮らしだ。さぞかし不安だろう。「早く病院に行きなさい、安心のためにけんさしてらっしゃい。京都に住んでたらついていくのに」そんな言葉を残して、東京に戻ったのだがその後、連絡がなかった。9月の初めにこちらから電話するとなかなか行けずにいたが「仕事終わりに職場の友人についていってもらうことになった」と言っていた。その後「時間があわなくて土曜日に行くことになった」とメールが入った。つまりは今日、病院に行っているはずなのだがちゃんと行けただろうか。彼女もまた検査して結果が出るまでの間の不安な日々を送ることになる。生まれて生きて死んでいくのがひとの一生なんだからどこかで心臓は止まるわけなんだけどもうちょっと時間が欲しいよね。中学の入学式が始まる前体育館の前に集合したとき私の前にいたのが彼女だった。長い付き合いでも、経巡ってきた道が違うから遠く感じたこともないではなかったけれど会って話してみれば遠い日の笑い声が立ち戻ってくる。やがて私が京都に住む老いた日にも、そんなふうでありたいからもうちょっとだけお互いの持ち時間を伸ばしてほしい。
2011.09.10
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