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28日から二泊三日,京都に居た。新幹線の回数券二枚もらって好きな時間を選んで旅立つ。文袋まみれの日々をお休みして文さんだったりハンサンだったり文ちゃんだったりしたあたしのためだけの時間。宿は家人の実家。ばさまが亡くなってからは無人の空間。とりあえず仏壇の線香をあげて手を合わせる。「ただいま」ここでは掃除洗濯も飯づくりもなし。出来合いの食料を調達してこーこさんを待つ。滋賀県から車でこーこさんがやってきてノンアルコールビールを飲んでなんやかんや食して途切れることなく話はつづく。日々のたいへんなことやりきれないこと世の中のこと原発のことアジアの隣人の傍若無人ぶりへの不満若かりし日の武勇伝こーこさんおお父さんの伝説心痛めたり、憤慨したり驚いたり、大笑いしたりなんだろうなあ。指先からすーっと屈託が抜けていく感じ。ひとときの語らいが徐々に自分たちを新たにしてくれる実感。気がつけば時間は0時半。おお~、もうこんな…。「また会おうね」翌日は朝から紅葉の百万遍の知恩寺へ。お墓の草取りをして手を合わせる。めったにないことなのだけどばさまたちに、ちょっとお願いことなどしてみる。自分ではどうしようもないことを願う。午後一時、四条河原町にてムゲと待ち合わせ。ムゲは乳がんの手術をした友人だ。毎日放射線治療に通っているもののもう以前と変わらないくらい元気なのだという。それはよかった、と安堵しつつもそれでも心配の種はある。もともと細いのだが、やはり痩せたな、と思う。食事のあと、八坂神社から高台寺へ歩きながらたくさんのことを話しふふふ、と笑いあう。高校時代とおんなじ。ムゲがあたしの家に来た時、母が「おざぶあてておくれやす」「あいやのばしとくれやす」と言ったそうだ。そんなきれいな京都弁を初めて聞いたという。30年以上も前のその言葉をムゲは今も覚えている。「やさしそうなおかあさんやったなあ」いっしょに居た時間の思い出。いっしょに居なかった時間のことも聞き彼女はあたし以上にたいへんな時間を過ごして来たのだと知る。時給830円の暮らしはたいへんだった、とか。職業訓練校へ行って、職を得てようやく落ち着いたと思ったら今度はこんなたいへんな病気になってしまって…それでも彼女が生きていてくれることがあたしにはうれしいことでいっしょに過ごす時間がとても貴重でこの日みた夕日はきっと一生忘れないと思う。30日は朝から庭になっているユズを切ってご近所に配る。いずれは京都に帰り、住むことになる町内の足固め。ふふふ、意外と策士。さても、二泊三日の夢の時間も終わる。あれこれ後片付けして家を出て、駅にむかいあたしの実家に連絡し、兄嫁に会いにいった。実家でもあれこれ難事があり気をもむ兄嫁の愚痴を聞いた。「人生、わからんもんや。こんなことになるなんてなあ」ずっしりと重い言葉だ。だから、今日一日をしっかり暮らすのだと兄嫁は言う。あたしに出来ることはこの言葉を聞くことだ。それ以外にはない。「気つけて帰りや」そんな言葉に送られて駅に向かった。こんな時間が持てたことに感謝しつつ品川で降りる。平日の午後七時、勤め帰りのひとが満ちる構内にまぎれた。日常に帰った。
2011.11.30
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立川談志師匠が亡くなった。朝からワイドショーではその人生のおさらいをしている。一期一会の舞台で自らが見定めた高見を目指した男の足跡。選ばれたひとの自負と含羞と破天荒。パネルの表に記された人生の後半には文字のなかに病気の名前が連なる。最後の気管切開はあたしも経験がある。伝えたい思いは吹き出てくるのに伝えるべき声が出ない。出口を失った言葉は紙の上でもたもたと踊る。もどかしく白い天井を睨む日々。噺家が声を失う。がんはひとをえらばない。ためらいなくたいせつなものを奪い取る。手負いのいきものは弱い。この文の文に、師匠は2度登場する。ナマ談志の思い出。「初笑い」2005.01.07「談志」2008.06.18すきだったな。合掌。
2011.11.24
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最近みどりさんが花粉症になった。還暦を越えても発症するらしい、なんてこっそり思ったりして。症状がけっこう激しくて頭がぼーとしてきて熱が出たりしたのだとか。薬が効いて、小康状態だがふっとこんなことを言った。「花粉症のこと、毎年あなたがひどいからわかってるつもりだったんだけどほんとはわかってなかったわ。なってみてはじめてわかるのね」こちらは、ふふ、と笑うしかないだが…。どんなことも自分以外のひとのことをそのひとのようにはわかりっこないのは自明のことなのにひとはわかったような気になってしまうもんなんだな。ようわからんひとはどこか不安材料でもあってなにかしらのカテゴリーに入れておくと安心するもんな。あたしがきらいなのはひとの言葉を遮って「はいはいはいはい、あれね、わかったわかった」と訳知り顔でしゃしゃりでるひと。名探偵になったかのように高飛車に「わかったわかった」とひとの気持ちをひもときもせずにかたずけてしまうひと。そうやってひとを手前勝手な色に染め分けてしまうひと。それが違っていたとわかったとき相手のほうが変だと思ってしまうひと。なんもかんも知っていて世の中が自分のてのひらにあるように振る舞うひと。ううむ、年を重ねるとテレビにいちゃもんつけるようにこんなふうにきらいだあ、なんていっちゃうのよね。こまったもんだね。
2011.11.22
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今夕、友人のみどりさんと天王洲アイルの銀河劇場にてがーまるちょばのライブを観た。おふたりのまことにキレのよい動きに目を見張った。ちょっとした仕草にも神経が行き届いていてもうもう大笑い。愉快痛快の2時間ちょっと。人の動きへの深い洞察。鍛えられた強靭な筋肉が支える動きの確かさ、精密さ、おもしろさ。いやはや、ひととひとが通じ合うために必ずしも言葉はいらないのだとあらためて感じ入る。伝えたいという思いが身体を動かす。受け取りたいという思いが見える姿や風景を変える。舞台のうえでそこにないものが魔法の粉がかかったかのように浮かび上がってきて能の所作のようなわずかな動きがたくさんのものを物語る。恋人にプロポーズしようとレストランで食事をしていた若い刑事が呼び出され世界的な爆弾テロの犠牲になって死ぬ。やがて彼にそっくりがロボコップが作られ爆弾テロと対決する、そんな物語を二人が演じる。言葉なしに。すげえよね、とか筋肉だねえ、とか力いるよね、とかみどりさんと短い言葉を交わしあとは大笑い。劇場で日常の憂さを笑顔にとかして肩軽く帰宅。うまく説明できないけど一回は見るべし!って感じがするよ。
2011.11.17
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