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息子の住む町に用があった日のことシフトがどんなかわからなかったが家に居れば、お昼でもいっしょに食べようかと思い電話してみた。出ない。ここ数回送ったメールにも返事がなかった。「宮部みゆきの『おまえさん』、買ったよ」なんてのもあったのにな。韓流ドラマのセリフに「親はいつだって子供に片思い」ってのがあって苦笑しつつ頷いた。夜に電話がかかってきた。ちょっと眠そうな鼻声。「大丈夫?」「大丈夫」こいつの大丈夫にはよくだまされる。電話の理由を話すと「どうせ無理だったよ。肉ダネの残りを食わなきゃならなかったから」という。「肉ダネ?」「ああ、肉団子作った残りの肉ダネだよ。ハンバーグにして食った」「おお~、やるじゃん」「がんばってるよ」「元気ならいいんだ」「じゃ」寒くなれば風邪ひいてないか,自炊だが、ベクレってないか、とか案じることは次々に湧いてくる。しかし、声を聞いて思い直す。生きていれば、それでヨシ。
2011.10.31
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あまりに天気がよいので京都の友人のあんばいが気になった。こんな日だから、逆にブルーになってたら、と案じた。返信はすぐにきた。「食事がものすごくおいしいの!毎回バラエティー豊かなもので感涙ものです」と、派手な絵文字がくっついている。病院の食事がほんとにおいしいのかな、なんて思ってしまう。ひとりぐらしになってからずっと自分のためにだけ作る食事だったしな、とも。彼女が退院したら妹さんが来てくれるかな。おいしい食事作ってくれるかな。そうだといいな。メールはつづく。「同じ時期に手術をしたひとといっしょにリハビリしたりお菓子の交換をしたりして入院生活を楽しんでいます」そうかあ。よかった。けど、ほんとにそうかな、って、また。ごいっしょしてるひとは二人とも64歳だという。その年齢に、一瞬、そんなおばあさんといっしょに?と思ってしまうが今の自分たちとそんなにかわらないのだと気づいて苦笑する。いやいや、けっこう長生きしてるね、あたしたち。64歳のひとでもおなじ病気だからこそわかりあえることがあるはずでひとりじゃない、という感覚が気持ちを楽にしてくるはず。いや、それはあたしの勝手な解釈だれど。きっと、これまでの彼女がそうだったようにやってきた災厄にあらがわずそんなこともあるわなあ、と受け入れているのだろうな。あの家のおじさんが亡くなって後を追うようにおばさんが亡くなっておにいさんが脳の病気になって妹さんが再婚して彼女がひとりくらしをはじめて…離れてすんで会わなかった長い年月に起こったそんな出来事を語る時の彼女の淡々として口調を思い出す。「そんなこともあったなあ」あたしたちの高校時代は三無主義の時代で毎日が「倦怠感」まみれで何事にも「熱くならない」のが信条だったからふたりでいると、のんびりまったり静かなこころでいられた。そんなふたりは、だれも傷つけなかったけどそんなふたりでは、どこにも辿りつかなかったような気もする。だからずっと友達でいられたのかもしれないが。どんなことがあっても彼女が彼女のままでこの地球上にいてくれることがあたしのしあわせなんだけど彼女がどんなふうに変わっていってもあたしはきっとずっと彼女のことがすきだろうなって思う。でも彼女は変わらない。最後の一行「胸の形も前と変わりません」よかったね。
2011.10.28
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15:13 と時刻が残っている。先日乳がんのしこりの検査をした京都の友人からのメールだった。摘出したしこりを調べたらやっぱりがんだった、と。「ガーン!!です」なんて書いている。がんじゃなかった、と安心しきっていたからいきなりの通告にパンチを食らってしまってあたまが動かない。うそお、なんでやのん!とケータイに毒づくもメールは「昨日全身麻酔で部分切除の手術を受けました」とつづく。ええ~、昨日!?そんなあ、と、おろおろしてしまう。これまでに病院選びや手術方法でいろいろ葛藤はあったらしいがとりあえず手術はうまくいったそうだ。このあとはリンパ転移を調べて必要があれば放射線や抗がん剤もつかうのだという。その一連の治療は決して楽じゃないって知ってるよ友人が6人も乳がんなんだから。メールの最後は「あの日病院へ行くよう言ってくれてありがとう」と書いてある。こうならないことをどんなに願っていたか!ひとりぐらしの彼女がどんなに心細かったかを思うとこちらの心も痛む。15日、手術の4日前になるが関東在住のひとたちの高校同窓会の日誰かが卒業アルバムを持って来ていて懐かしく眺めていた。3年3組だったというひととお隣になって3組のクラス写真をいっしょに見た。そのなかに彼女がいた。端っこのほうでうっすら微笑んでいた。今とあまりかわらない風貌だった。7組の写真に映ってるわたしもやはり端っこにいてなんだか困ったような顔をしていた。彼女の写真を指差してお隣の人に「この子、わたしの親友やねん。京都帰ったら、あそぼな、っていうてるねん」なんてことを言っていた。そんなとき、彼女は大きな不安をかかえながら手術のための準備をしていたことになる。それが虫の知らせになるとしたらあまりにかすかでなんだか悔しくなる。メールの返信を、と思うが文章にならない。駄目もとで電話するも出なかった。昨日の今日だしな、と思ったりしてるとむこうから電話があった。「ごめんなマナーモードしてて気がつかへんかってン」意外なほど元気な声だった。「うん、センセもこれなら大丈夫っていわはるねん」経過をききながらこちらは「うんうん、たいへんやったなあ。うんうん、うんうん、ほんまによかったわ」を繰り返す。「年内はあかんけどまた夏帰った時には飲みにいこな」と病人が言う。「お酒はあかんて」「ちょっとぐらいはええやん」ふふ、わかったよ。はやく元気になっておくれ。
2011.10.20
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15日に明治記念館で高校の同窓会があった。第1期から29期までの桃山高校卒業生、220人あまりが集った。何十年ぶりで会う顔もありそれぞれに往事の面影あって懐かしさがわく。共通の友人の話などしているうちにのぶさんのことを聞いた。「知ってた?のぶ、死んでんて」とFくんが言った。のぶさんもFくんも高校一年生の時同じクラスだった。「国語の先生が担任やったな」「うん、長谷川センセや」ショックの周辺をぐるぐる回るような会話を続けながらも「なんで死なはったん?」「わからん」のぶさんは、みんなといっしょには進級できなくてもう一回一年生をやることになってあまり顔をあわせなくなった。クセっ毛で、眉が太くて色が白くて、目が大きくて、いつも鼻声で話すのぶさん。陸上部に入ってたような記憶があるけれどそれも定かはない。からだのおおきなHくんと仲がよくて冗談ばっかり言ってたような気もする。書き出してみるとわずかな記憶しかなくて高校一年生の教室はうすぼんやりとしか思い出せないのだけれどたしかにそこにのぶさんはいたし鼻声で笑っていたしはにかんだ笑顔がかわいかったし。なんで死んじゃったんだろう。器用に立ち回れるタイプじゃなかったのかもしれないなんて思案してみて16歳からあとののぶさんのことを何も知らないのだと気づく。あれから40年あまりもたってしまったんだねえ。それでも、死ぬにはまだ若い年代だと思うよ。「ご冥福を…」と大人のセリフがいえないわけじゃないけどこころのなかでのぶさん、のぶさん。なんで死んでしもたんやとくりかえしている。
2011.10.17
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リベルテ ポール エリュアール小学校のノートにぼくの机に、木々に砂に、雪にぼくは君の名前を書こう読んだすべてページに白いすべてのページに石に、血に、紙に、灰にぼくは君の名前を書こう金ぴかの肖像に戦士の武器に王様の冠にぼくは君の名前を書こうジャングルに、砂漠に獣や鳥の巣に、エニシダに子供時代の木霊にぼくは君の名前を書こう夜の素晴らしい時に昼の白いパンに婚約した季節にぼくは君の名前を書こうぼくの青空の切れ端すべてにカビた太陽の池に輝く月の湖にぼくは君の名前を書こう野に、地平線に鳥たちの翼にさらに影の風車にぼくは君の名前を書こう夜明けの息のそれぞれに海に、船にとてつもなく高い山にぼくは君の名前を書こう雲たちの泡に嵐の汗に降りしきる退屈な雨にぼくは君の名前を書こうきらめく形象に色とりどりの鐘に自然の真理にぼくは君の名前を書こう目覚めた小道に広がった道路にあふれる広場にぼくは君の名前を書こうともる灯りに消える灯りに集まったぼくの家々にぼくは君の名前を書こうふたつに切られた鏡の中と、ぼくの部屋の果物に空っぽの貝殻のぼくのベッドにぼくは君の名前を書こう食いしん坊で大人しいぼくの犬にその立てた耳にそのぎこちない前足にぼくは君の名前を書こうぼくの戸口の踏み台に慣れ親しんだ物に祝福された炎の波にぼくは君の名前を書こう同意した全ての肉体に友だちの額に差しのべられた手それぞれにぼくは君の名前を書こう驚きのガラスに沈黙よりはるかに慎み深い唇にぼくは君の名前を書こう破壊されたぼくの隠れ家に崩れ落ちたぼくの灯台にぼくの倦怠の壁にぼくは君の名前を書こう希望のない不在に裸の孤独に死の歩みにぼくは君の名前を書こうよみがえった健康に消えた危機に記憶のない希望にぼくは君の名前を書こうPoesie et verite(「詩と真実」), 1942年に収録翻訳:2003, Parolemerde2001 よりこの「君の名前」のところをリベルテから放射線と書き換えねばならん日が来るのかもとペシミストは思案したりする。
2011.10.13
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仏教の用語に五蘊盛苦(ごうんじょうく)というのがあってそれは 「あらゆる精神的な苦しみ」だそうで、まことにくくりがでかいこと、と思ったりして辞書をみると「自分自身が生きている(心身の活動をしている)だけで苦しみが次から次へと湧き上がってくること」だそうでなんのためにうまれてきたのやら、身も蓋もないな、と思ったりする。その五蘊とは以下の五つを指すそうで。色(しき) =すべての物質を指し示す。この場合、「身体」機能が活発であるために起こる苦しみ受(しゅ) =物事を見る、外界からの刺激を受ける「心」の機能想(そう) =見たものについて何事かをイメージする「心」の機能行(ぎょう)=イメージしたものについて、何らかの意志判断を下す「心」の機能識(しき) =外的作用(刺激とイメージ)、内的作用(意志判断)を総合して状況判断を下す「心」の機能ううむ、そうですかあ、それが苦のもとですかあ。このたびの放射能のことを考えてみてネットでいろんなこと知れば知るほどしんどくなるってのは五蘊盛苦(ごうんじょうく)なのかもしれないわけで情報を得てエリアの線量を知り食品のそれも知り被爆すればどういうことになるかとあれこれ思い悩むこと知ってしまえば,知らなかったときには戻れなくて知らないままで過ごすほうが気が楽だったりするけど目に見えないからと高をくくったりしていたら確実にくる別の苦しみにある日、不意打ちをくらうわけでそれに、生きていると五蘊盛苦のほかにも、あと7つも苦があるそうでそういうことを知ったうえでそういう日が来るのだと知ったうえで限られた時間の意味を自分でめっけるしかないわけで。誰かと出会ったり豊かなものを触れたりみんなの声を聞いたりふっと笑顔になったり一日の名残を惜しんだりだれかの残した一言を思い出したりしてそのすべてをこころに刻んで今自分がここに居ることを噛み締めること。ふれあったりあたためあったり力づけあったりしながらその日までの日を送ること。なんてことをつらつらと考えたりする連休一日目の朝。
2011.10.08
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自分ではけっこう素直なおばさんだなおもってたりするんだけど他人の目にはそうは映らぬようでけっこう片意地だと言われたりもする。片意地とは自分の考えを執拗に押し通すこと。また、そのさま。ということなのだがいやいや、そんな強さがあたしにあったら今頃、ひとかどの者になっているか稀代の嫌われ者になっていることだろう。しかし、えらく素直なあたしは一応、そうかもしれんな、と思案してみる。たしかにいやなものはいやなのだ。その一点、たしかに片意地だ。いまだに苺大福が許せなかったりもするしなあ。そんなあたしが最近やだなと思っているのがこちらの言っていることに受け答えする「そうなんですね」という言葉だ。なんだかいやだ。うまくいえないけどいやだ。なんか、素直な匂いがしない。なんか、如才なくていやだ。「ね」ではなくて「か」にしてくれたら文句はない。たった一字違いに、こんなにうなるあたしに「そうなんですね」なんていわんでおくれね。
2011.10.03
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