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ヴェルディは、「男」のオペラが得意な作曲家です。 何しろ、全26作のオペラのうち、女性主人公の名前やその暗示(職業など)をタイトルにしている作品は、「トラヴィアータ(椿姫)」「アイーダ」をはじめ5作だけ。あとはほとんど、男性主人公かそれを暗示するもの(職業など)がタイトルになっています。(プッチーニはその逆ですね。)彼の好みが、よくわかります。 とはいえ、数少ないヒロインものの代表作、「トラヴィアータ」や「アイーダ」が、ヴェルディオペラのなかで高い人気を誇っているのも事実です。創作の背景には、私生活での恋人たちの存在もあったようですが。 この2作、やはりヒロインに歌手を得られるかどうかが鍵。とくに「アイーダ」では、タイトルロールと敵役のアムネリス、2人の女性の対決が最大の聴き所です。 久しぶりに、この2人に最高の歌手を得たと思える、「アイーダ」を聴くことができました。 スカラ座の来日公演、演奏会形式での「アイーダ」。東京ではNHK音楽祭の一環として行われたため、広告も少なく、あまり知られていなかったようです。(大阪ではフェスティバルホールで上演されるようで、そちらはよく売れているようですが。) けれど、発売と同時にほぼ即買いしました。理由は、アイーダとアムネリスに理想的と思える歌手が揃っていたからです。とくにアムネリスを歌うダニエラ・バルチェッローナは、個人的に今聴きたいヴェルディ・メゾの一押しです。(これは拙著「ヴェルディ」の第2章、歌手紹介の部分でも書きましたし、ブログでもご紹介しました) ご存知の方も少なくないと思いますが、バルチェッローナは、ロッシーニの諸役、とくにセリアのズボン役で名声を獲得した歌手です。日本では故郷でもあるトリエステの歌劇場と来日したときに、「タンクレーディ」の主役を披露。凛々しくみずみずしく端正な声と演技、完璧な技術でほれぼれさせてくれました。それと前後してペーザロのロッシーニフェスティバルで「セミラーミデ」を聴きましたが、圧倒された記憶があります。 で、ずっとロッシーニの得意なメゾとして知られていた(今でももちろんそうですが)彼女ですが、ここ2、3年、ヴェルディにシフトしてきています。この4月にトリノで聴いた「ドン・カルロ」のエボリ公女も素晴らしかった。その時、ああこのひとのアムネリスが聴きたい、と思ったのです。ヴェルディのメゾの役柄で、一番スリリングなのはやはりアムネリスだと思うので。 ですから、今回の出演予定者に彼女の名前を見たとき、これは絶対、と思ったのでした。 加えて、アイーダ役のホイ・へーも、今この役では一番脂が乗っている歌手だと思うので、迷いはありませんでした。他のキャストも、スカラ座の本公演に劣らないかそれ以上の顔ぶれが揃っていましたし。 女性2人、果たして、期待に違わない歌唱でした。そして、ある意味対照的な歌が聴けたのもとても面白かった。とても興味深い公演でした。 期待のバルチェッローナ。完璧な技術。澄んだ、明度の高い声。低音が奇麗に響き、ベルカントもので培われた端正さが、王女の品格を醸し出します。捨て身のところもあるけれど、育ちのよさとプライドで一線を引いていると感じられる。品のいい、いかにもお嬢様のアムネリスなのです。こういうアムネリスは初めてだったので、とても新鮮でした。やはりロッシーニでのキャリアで様式感をつちかった賜物なのでしょう。 対するホイ。こちらはまさに悲劇女優。ややくすんだ、暗く翳りのある、そして湿った、女らしい、豊かな声をよく響かせ、ちょっと演歌っぽく?泣きが入る部分も。とはいえ技術的なレベルはとても高いので、安心して聴いていられます。ああ、アイーダは運命に翻弄される悲劇のヒロインなのだと納得させられる歌唱でした。ある意味、聴きなれたヴェルディ・ヒロインの系統にある歌唱だと思います。(ふつうはアムネリスもこの系統で歌われています。往年のコッソットなど)ちなみに彼女はアイーダ以外ではプッチーニをはじめヴェリズモもレパートリーにしていて、ベルカントから時代を下ってきたバルチェッローナとは真逆ですが、ヴェルディ歌手としてはこちらのタイプが主流です。 というわけで、2人がそれぞれの役柄を、「声」で対照的に、かつあざやかに描き分け、自分なりの解釈をきちんと示していたのが、大収穫でした。特にバルチェッローナはやはり、新しいアムネリス像を示してくれました。一方で、彼女のアムネリスなら、ラダメスはやはり同じ系統のクンデで聴きたいと思ったりしました。2人が共演する「アイーダ」も、夢ではなさそうです。 声の「色」だけとると、明度の高い声を持つバルチェッローナがメゾなのにソプラノのようで、翳りのある声を持つソプラノのホイがメゾのように感じられたのも、とてもおもしろかった。 とくに主人公たちの心理に集中し、密度の濃いソロや二重唱が続く第3幕以降は、ほんとうに引き込まれ、舞台にのめり込みました。観客の集中力もすごかったと思います。 男性陣も高水準。イタリアらしい明るく深い響きのバスが心地よかった、エジプト王役のタリアヴィーニ。これもラテン系の明るく、甘さのある響きで、幕開けの名アリア「清きアイーダ」を熱唱してくれた、ラダメス役のデ・レオン。この役は100回ほどもやっているという貫禄の歌唱だったアモナズロ役のマエストリなどなど、それぞれ持てるものを披露してくれました。とはいえ、女2人の個性と迫力の前には、かすんでしまったのは事実です。 ドゥダメルの指揮は、「リゴレット」でも感じたように、オーケストラの方に傾斜したもの。「リゴレット」同様、鳴らし過ぎで歌手が気の毒な部分も散見されました。とはいえ、オーケストラがそれなりに雄弁な「アイーダ」では、弦の歌わせ方や楽器の色合いの配合に、彼ならではの個性を出していたかと思います。 合唱の迫力も、鳥肌ものでした。これだけの「アイーダ」は、なかなか聴けません。前回のスカラ座来日公演(2009年)でバレンボイムの指揮で舞台上演として上演されたものより、歌唱中心にはるかにレベルが高かったと思います。 カーテンコールの熱狂は凄まじく、客席は総立ち状態。空席がかなりあったのが本当に残念な公演でした。
September 20, 2013
今回、スカラ座といっしょに来日したバリトン歌手のレオ・ヌッチと、その直前に藤原歌劇団の「トラヴィアータ(椿姫)」で歌っていたソプラノ歌手のマリエッラ・デヴィーアは、イタリア・オペラ界の「国宝」だと思っていますが、それとはまた別格の「国宝」といえば、指揮者のリッカルド・ムーティでしょう。 長年活躍したスカラ座を離れて以後、しばらくイタリアの歌劇場のポストにつかなかったムーティですが、現在はローマ歌劇場の「終身名誉指揮者」として、歴史あるこの劇場を復活させつつあります。来年5月には待望の来日。演目の「シモン・ボッカネグラ」と「ナブッコ」は、このブログでも書いたように現地で見ましたが、いずれも素晴らしいものでした。 なかでもイタリア人の誇り、ヴェルディへの入れ込みようにかけて、ムーティの右に出る指揮者はいないでしょう。同じイタリア人で、やはりスカラ座の黄金時代を築いたアッバードは残念ながら年齢的にオペラは難しいし(ルツェルン祝祭管弦楽団との来日もキャンセルになったのは残念です)、もともとムーティよりはコスモポリタン。やっぱり、イタリア人の熱血たぎるヴェルディを聴かせてくれるひとは、ムーティをおいていません。 今年の生誕200年にあわせて、「ヴェルディ、イタリア人」という著書(Rizzoli)も出版。演奏を通じてだけでなく、ヴェルディの「語り部」として活躍しています。 そのムーティ、10月の末に日本でヴェルディの名曲を振るコンサートを行うことは、このブログでもお伝えした通りですが、コンサートに先立ち、彼がじきじきにヴェルディの魅力を語るレクチャーが開催されることになりました。イタリアを中心に、レクチャーにも積極的に取り組んでいるムーティですが、日本でレクチャーが開かれるのは初めてだということです。1、500円と廉価だし、25歳以下は無料招待というのも嬉しい。 ご興味のある方は、ぜひお運び下さい。 http://www.tokyo-harusai.com/news/news_1825.html
September 13, 2013
スカラ座の来日で、日本のオペラファンが沸いている今週。 「オペラで寿命が延びる」という研究が、「イグ・ノーベル賞」なる賞を受賞した、というニュースが飛び込んできました。 何でも、心臓移植したマウスにオペラを聴かせたら、寿命が延びたというデータが出たそうなのです。 しかも研究したグループは、日本人。きっとオペラの好きな方達なんですね。しかし、どんな作品を使ったのか、気になります。。。 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013091301000987.html 「イグ・ノーベル賞」ってはじめてきいたのですが、名前から察する通りノーベル賞のパロディ的な存在らしい。なかなかユーモアのある賞のようですが、けっこうまじめな?研究も受賞しています(2010年の交通計画賞など)。記事にもあるように、日本人が多く受賞しているのも面白いな、と感じました。世界では控えめでまじめだと思われている(?)日本人がこんな賞で存在感を発揮しているなんて、粋ですね。イグ・ノーベル賞日本人受賞者一覧 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E8%B3%9E%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%8F%97%E8%B3%9E%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7 ヴェルディ&ワーグナーイヤーもたけなわ。どしどし、オペラを聴きましょう! 追記 今日(正確には昨日)の朝日新聞の夕刊にもありましたが、演目は「椿姫」でした。ヴェルディ万歳! viva verdi !
September 13, 2013
ヴェルディ最後のオペラ「ファルスタッフ」は、特異な立ち位置のオペラです。 ヴェルディが好きな方には、けっこう不人気。対して、ドイツオペラ派に、けっこう好評だったりします。 納得できるところもあります。「ファルスタッフ」という作品はいわばイタリアオペラのパロディ的なところがあって、それまでの朗々と歌う、声をきかせる、という手法とは別の次元で書かれているのです。 でもね、素敵なオペラですよ。ほんと。しゃれていて。劇中に、ヴェルディのこれまでのオペラのパロディがあるのが面白い。彼がこれまでの人生を振り返っているんですね。そして、最後の「人生はみな冗談」でじん、とします。半世紀の奮闘の果てにその境地に達したか、老ヴェルディ先生、という感じ。シニカルといえばシニカルですが、達人の境地ともいえ。ほんと、興味がつきません。 そして「ファルスタッフ」はスカラ座で初演されたオペラ。来日公演の演目にあれば、期待が高まって当然です。 げんに、2月に現地で観た公演も、上出来でした。 いちばんの魅力はカーセンの演出。舞台を20世紀に設定し、没落した貴族階級と新興ブルジョワをあざやかに対比させた、おしゃれでわかりやすい舞台でした。ロイヤルオペラとメトとの共同制作なので、たぶんそれもあってイタリアらしくはなかったけれど、「ファルスタッフ」というユニバーサルな性格を持つオペラだからこれはこれでいい、という思いがしたのもたしかです。 歌手は、現地では主役にターフェル、あとはアリーチェにジャンナッタジオ。来日公演と同じキャストはフェントンのポーリくらいでしたが、十分に楽しめました。 その時気になったのは、ファルスタッフが「不機嫌」に見えたこと。まあターフェルという歌手の資質のせいかなあ、などとも思っていたのですが。 やっぱり、日本でも、ファルスタッフは不機嫌でした。 今回のファルスタッフ役は、現代のファルスタッフ歌い、マエストリ。イタリアの生んだ巨体のバリトン。ムーティの指揮で10年以上前にこの役に挑んで以来、150回以上歌っているという当たり役です。堂々とした体躯と声。演技もさすがに身につき、余裕でした。 そのマエストリ、彼のファルスタッフは何度か見ていますが、やはり今回はちょっと不機嫌めいた役作り。傾く階級の代表者だからでしょうか。けれどこうして見てみると、現代に近づけた舞台設定には、滑稽さを押し出すよりふさわしかったように思えます。対するブルジョワ階級のアリーチェやフォードは元気いっぱい!ですから。 で、今回改めて、カーセン演出に瞠目しました。 中心は「食卓」。食欲がシンボルのファルスタッフにふさわしい発想です。そして、皆で作り上げる(オペラという)「祝祭」のイメージにおいても。 冒頭の場面はホテルの一室。ルームサービスで運ばれてきた食卓がいくつもずらり。次の場面は、レストランらしき空間で、ファルスタッフいじめの陰謀もその空間で練られますが、違和感なし。ファルスタッフとフォードやクイックリーが出会う第2幕はホテルのロビー。ホテル住まいのファルスタッフを訪れるのには適切な設定です。そして第2幕第2場はフォード邸のこぎれいなキッチンで、ファルスタッフとアリーチェは2人で食卓を囲みます。 そのような動きのほとんどに無理がなく、音楽に即している。さすが才人、カーセンです。 圧巻はラストシーン。舞台に巨大な、細長い食卓がが出現。ファルスタッフを先頭に、皆がその上を歩いて舞台前方へ。そして最後のフーガになったのでした。 うーん、おしゃれ。ポップな色彩も、赤系統でまとめた衣装も、照明の使い方も洗練されている。イタリア風、スカラ座風かといわれたらちょっと違うけれど、「ファルスタッフ」はイタリアオペラを超えている作品だから、それでもいい、と思います。 そして、キャストも豪華でした。現地よりずっと。 ファルスタッフ役のマエストリの貫禄は前にあげた通りですが、アリーチェにはこの役一押しのフリットリ。現地では体調不良でキャンセルしていましたから、日本のファンはラッキーです。一時の不調を脱し、なめらかで美しく、つややかで品のある声が戻ってきました。澄んだ女らしさも品格も彼女ならでは。やはり、世界最高のアリーチェでしょう。 彼女とならんで楽しみだったのが、クイックリー役のバルチェッローナ。彼女も現地で聴きそびれました。クイックリーにしては立派すぎる声ではありますが、やはりうまいです。演技もうまい。うーん、この2人が揃う「ファルスタッフ」は贅沢です。 他のキャストも穴がありませんでした。フェントンのポーリ、ナンネッタのルングは初々しいカップルを好演。フォード役のカヴァレッティもこなれた歌と演技で魅せました。ファルスタッフの子分2名を演唱したボッタとグェルツオーニも芸達者。これだけキャストが揃うのは、現地でもそうそうありません。このメンバーは、総力戦であるべき来日公演にふさわしかったと思います。 ちょっと物足りなかったのが、ハーディングの指揮でした。 悪くはないのです。作品の全体像も見えているし、危なげなくきっちりコントロールしている。歌手もまずまず歌いやすそうでした。「リゴレット」のドゥダメルよりオペラ経験ははるかに豊富だし、アンサンブルもきちっとあわせてきます。フェントンとナンネッタのカップルのところの音楽など、ふわりと美しく、心地よかった。 とはいえ、スカラ座の来日公演としては、ちょっと物足りない。きっちり振っているのですが、それ以上の、変幻自在のところとか、何が出てくるかわからない魔法のようなところとか、「ファルスタッフ」を知り尽くしている指揮者なら(少なくとも一見)軽々とやってくれるだろう、音楽のファンタスティックな部分をすくいとって投げ上げてきらめかせてくれるまでにはいかなかった。 今回の来日公演、どうも指揮者が今ひとつ。これまでアッバードだムーティだと来ていたスカラ座ですから、見劣りするのは避けがたいでしょう。現在の音楽監督であるバレンボイムはワーグナーばかりでヴェルディは若手に丸投げ。現地のメディアでは、シーズンオープニングが「ローエングリン」だったこと、「リング」がシーズンのハイライトだったことなど、批判的に報道されていました。「ヴェルディの劇場」を名乗るスカラ座が、どうして、という内容でした。 まあ、「ファルスタッフ」のハーディングは、それなりの水準に達していたとは思うのですが、イタリア的というのにはほど遠く。スカラ座ではなく、ロイヤルの来日公演のほうが彼にはふさわしいかもしれません。 と、相変わらずケチをつけてしまいましたが(苦笑)、全体のレベルは高く、公演としては満足の行くものでした。もう1回行こうか行くまいか、迷っているほどですから。。。。10万円使ったので厳しいのですが。。。(苦笑) スカラ座の「ファルスタッフ」、14日が千秋楽です。シングルキャストなので同じ歌手で聴けるのも魅力的。うーん、どうしよう。。。http://scala2013.jp/falstaff.html
September 12, 2013
盛り上がっている、スカラ座の来日公演。 昨日書いたように、「リゴレット」の初日に魅了され、主役のレオ・ヌッチを聴くために、今日のチケットを購入してしまいました。 ヌッチの演唱は相変わらず素晴らしく、彼が出てきただけでリゴレットという役柄を舞台に刻印してしまう存在感。最大のお目当て?の第2幕最後の二重唱のアンコールも、ちゃんとやってくれました。もちろん「ビス!」も出てましたよ。 他の主役陣は初日にくらべるといくぶん弱く、やや印象は薄れました。ジルダのアレハンドレスはこの役に向いていないし(高音を叫ぶのはちょっと。。。)、 公爵のベッルージは初日のデムーロに比べると弱い。うーん、他にこの2役に向いた歌手はいっぱいいると思うのですが。スカラ座ならジルダにランカトーレ、公爵にグリゴーロくらい連れてきてくれてもいいのではないかなあ。 指揮は初日よりは落ち着いてきましたが、アンサンブルをさばくのに難があるため、第3幕がやはり今ひとつ。この幕、冒頭の「女心の歌」は別として、あとは四重唱、三重唱、二重唱とアンサンブルの連続なんですよね。そのことを今回改めて確認できたのは収穫でした。 ところで、「リゴレット」という作品は、一般的に、ヴェルディの「中期三大傑作」の幕開けを飾る作品と位置づけられています。続くのは「トロヴァトーレ」そして「椿姫(トラヴィアータ)」です。3作とも人気が高く、音楽的にとても充実している。 私は個人的には、「リゴレット」の2作前の「ルイーザ・ミラー」からを「中期」と考えていますが、「リゴレット」をもって「中期」の幕開けとする意見も少なくなく、それもわかります。この作品、それ以前の作品とは明らかに一線を画していると思うからです。直前の「スティッフフェーリオ」や「ルイーザ・ミラー」もそれなりに傑作だと思うのですが、「リゴレット」の緊迫感、劇と音楽の密度には及びません。尊敬するヴェルディ研究家の小畑恒夫先生は、ヴェルディは「リゴレット」で何かが開けたのだ、というような言い方をしていらっしゃいました。 何かが開けた理由。それはひょっとしたら、私生活の困難な状況にあったのかもしれない、と思うのです。 ヴェルディが第3作目のオペラ「ナブッコ」で大成功を収め、スターダムにのし上がったことはよく知られています。そしてその直前に、妻と2人の幼子を亡くしていることも。「ナブッコ」はまさに乾坤一擲の作品でした。それもあって、爆発的なエネルギーに満ちているのでしょう。ここでヴェルディには、まさに何かが開けたのだといえます。 で、実は、「リゴレット」にも、同じ面があると思います。 「リゴレット」に取りかかる直前、そして作曲している間、ヴェルディの私生活は非常に緊迫したものでした。まずはストレッポーニ問題。もとソプラノ歌手で、現役時代に数人の私生児をもうけて捨てているスキャンダルを経験している女性を連れ帰り、故郷の田舎町で同棲し、周囲の非難を浴びていた。ストレッポーニはほとんど人目につかないように暮らしていたようです。カトリックの国イタリアの田舎町で、そもそも劇場にいたというだけでふしだらと見られがち(また実際そうでもあったので)な女性を受け入れることが難しかったことに加え、私生児問題ですから、村八分になったのも理解はできます。 さらに、以前から悪かった実の父親との関係が決定的に悪化し、公証人を立てて決裂。このようなことは、下手をすれば破門される危険もあったらしい。その決裂も、ストレッポーニ問題と無関係ではないようですけれど。 ヴェルディとストレッポーニは、「リゴレット」初演後に、逃げるようにして暮らしていたブッセートを離れ、郊外のサンターガタに引っ越しています。サンターガタはまったく孤立しており、2人はここで世間と隔絶しました。 で、ひょっとしたら、この時期、ストレッポーニはヴェルディとの間の子供を身ごもっていたかもしれない。 そう述べている研究者もいます。ちょうど「リゴレット」が初演されてすぐ後に、「santa streppini」という名前の孤児が、近所の捨て子養育院に捨てられているのです。もちろん確証はありませんが。。。。。 けれど、だとすると、えらいことだっただろうなあ、と思うのです。 いろんな意味で、ヴェルディはおそらく「ナブッコ」以来の私生活の危機にさらされていたという見方もできる。 で、ひょっとしたら、こういう状況下で、火事場の馬鹿力じゃないけど、パワーが出ちゃうのがヴェルディなんじゃないかと。。。 「リゴレット」は主役にとても感情移入して書かれている作品で、だから名作になったという部分もあると思うのですが、その背景には「火事場」があったと思います。 もうひとつ。 これは、あるところでも書いたのですが、「リゴレット」が、当初実在のフランス国王などをモデルにしていたところ、検閲に引っかかって、登場人物や舞台の設定を架空のものに変えさせられたということは、解説などでおなじみかと思います。で、舞台は「偶然」16世紀のマントヴァになった、ということも。 これ、多分偶然じゃないと思います。 当時のマントヴァを支配していたのはゴンザーガ家。そしてゴンザーガ家には、リゴレットのような体つきが多いというのは、暗黙の了解だったようなのです。これは、フェッラーラに生まれてマントヴァに嫁いだイザベッラ・デステなどの伝記に出てくる話です。そしてヴェルディと台本作者のピアーヴェは、おそらくこのことを承知していた。 ヴェルディにとってせむしという設定は重要でした。当局がはじめ、その設定を変えろといってきてもがんとして譲らなかった。そして、舞台をゴンザーガ家のマントヴァにすることで、むしろその設定を強調したかった可能性があります。 彼らははじめ公爵に、「ゴンザーガ」という実名を使おうとしたようですが、最終的に当局に拒否され、たんなる「マントヴァの公爵」とするよう要求されました。その時、ピアーヴェはヴェルディにこう書き送っています。「あの時代に誰が為政者かはわかっているのだから、どうでもいい」と。 「リゴレット」、ほんとうにいつまでも、スリリングな名作ですね。
September 11, 2013
人生で一番生で聴いているオペラは「リゴレット」だと思います。 そして、「リゴレット」のタイトルロールを、生で一番聴いている歌手は、レオ・ヌッチです。 この役を世界中で(私的な場を含めて)およそ600回歌っているという、まさにリゴレット中のリゴレットですね。 そしてそして、オペラの「アンコール」をじかに知ったのは、そのヌッチの「リゴレット」でのことでした。 2001年のヴェローナ。ヴェルディ没後100年の「リゴレット」初日。この日も主役を歌ったヌッチは、第2幕の最後のジルダ(インヴァ・ムーラ)との二重唱「そうだ、復讐だ!」を、「ビス!」(=アンコール)の声にこたえてアンコールしたのです! 「ビス」も、それに続くアンコールも(映像や録音では知ってはいましたが)、実際に接したのは初めての体験でした。(その時は「女心の歌」もアンコールがありました)。大興奮したのは、言うまでもありません。 この2001年の「リゴレット」はDVDになっていて、「リゴレット」の映像としてはかなりスタンダードなものだと思うので、ご覧になった方も少なくないのではないでしょうか。 この映像でも、1回目の二重唱の終わった後で、満場の聴衆が「ビース!」とかけ声をかけているのがよくわかります。映像発売当時の解説に、「なぜかブーイングが出ている」と書かれていて、あれ?と思いましたが(ドイツ在住の評論家の方)、この「bis」の習慣というのは、やはりイタリアならではのようです(他の国ではきいたことがありません)。日本ではもちろん体験したことがないし(オペラのなかのアンコール自体は、日本でも、2002年の新国立劇場「セビリヤの理髪師」のシラクーザ、2006年?だったかな、のボローニャの来日公演の「連隊の娘」のフローレスなど、何度か体験しましたが)、ドイツのような演劇優先のオペラではとんでもない話でしょう。 (歴史をひもとけば、それこそ「リゴレット」も、初演当時はほとんどの曲にアンコールが要求されたそうで、アンコールなど当たり前だったわけですが、その頃はオペラもバレエと抱き合わせで上演されるなど、演奏慣習も違う時代。だから、今の日本でオペラを聴いていると、イタリアの「ビス」の習慣を知るのはまず難しい。) 私が本格的に?イタリアの劇場でオペラを聴くようになったのはそれ以降のことで、何度もヌッチの「リゴレット」を聴いてよくわかったのですが、彼はここをアンコールするのが得意なようなのです。パルマなど、定番、といっていいくらい。つい最近、tutto verdiのシリーズで出た「リゴレット」も、パルマのものですが(2008年)しっかりアンコールしています。もちろん、「bis!」にこたえて。 その「bis!」にこたえての二重唱のアンコール、何と東京で、ヌッチがやってくれました! スカラ座の来日公演「リゴレット」の初日。ヌッチ、モシュク、デムーロと、スカラ座にふさわしいキャストが揃っていましたが、なかでもヌッチは最初から気合満々。一声でそれとわかる奥行きと表情のある声、そして背中でも感情を語る演技!リゴレットの愛も怯えも恐怖も醜さも情熱も、声と動きと表情を通して語り尽くしていました。 そんなヌッチを中心に、歌手たちも盛り上がること。ジルダ役のモシュクは、最近好調で、聴くたびはずれたことがないのですが(今回のプロダクションのスカラ座現地での「リゴレット」や、昨年6月のスカラ座の「ルイザ・ミラー」などすばらしかった)、今回も万全の出来ばえ。技術はほぼ完璧で、コロラトゥーラの弱音までやわらかくよく通り、澄んだ声、小柄な身体ともども愛らしく純粋な、けれど情熱的なジルダを演唱していました。今ジルダ役は彼女と、あとランカトーレとダムラウが一番じゃないかと思います。 デムーロはヴェローナでの出演を終えて来日したばかりなので、疲れもあったようですが、イタリアンないい声、若々しい明るい声の公爵。そう、声と演技の点で、主役3人は役柄にすごくあっていたのです。 と、ここまでがまずは第1幕の印象ですが、これだけでよかったことがお分かりいただけるでしょうか。でもって、第1幕のカーテンコールでもう嵐!のような喝采。するとそれに応えて、ヌッチを中心の主役陣が何度も出てくるというあんばいで、まるで全曲の終演後のようなありさま。いやもう、この先どうなるの?と期待はふくらむ一方でした。 そしたら、やってくれたのです。次の第2幕フィナーレの二重唱、「ビス!」にこたえてのアンコール。 第2幕は、デムーロも調子が出てきて、声が乗ってきたことが感じられた公爵のアリアでまず開幕。そしてリゴレット登場からの緊迫!娘を返せと迫る名アリア「悪魔め、鬼め」でまずブラボーの嵐(私の後ろの席にいた男性からすすり泣きががずっと漏れていました。開演前に耳に入ってきたおしゃべりで、オペラはそうご覧になっていない方のようだったので、印象に残りました)。大げさでないのに涙腺を、心をゆさぶる歌いっぷりはさすがです。そして、ジルダが出てきてからの二重唱。すすり泣くオーケストラをバックに交差する父娘の愛。後半は一転して、「復讐だ!」の叫びが爆発する、劇的な名曲ですが。 「ビス!」 初めはおそるおそる(のようにきこえました)、でも次第にあちこちで、そのかけ声が飛び交い始めました。 え!?「ビス」してる! 正直、驚きました。だって日本ではそんな習慣はないですから。けれどその声がきこえる、ということは、ヌッチがここで「ビス」に応えてくれることがよくあると知っているファンがいるってことじゃないですか! 「ビス!」 言いましたよ。私も。最初はためらいがちに起こり、次第に増えて音量も増して行ったその声に混じって。次第に大きく。 「ビース!」 ヌッチ、はじめは迷っていたようでした。引っ込んじゃうかな?と思ったシーンも。まあ、それなら仕方ない、ここは日本だ、と思ったのですが。 指揮者に合図が出ました。始まったのです!アンコール! え?という感触で、一瞬ざわついた客席。拍手が起こりました。と、それを打ち消す「シッ!」という声。日本のファンは、ほんとうによくわかっています。ヌッチにもモシュクにも、そのことはよくわかったはずです。 燃えましたね。 舞台も、客席も。アンコール終了後、あちこちでスタンディングオベーション。これがイタリアオペラ!これがヌッチの「リゴレット」!フェイスブックで、ヌッチは「リゴレット一座」の座長なのだ、と書いている方がありましたが、なるほどと思いました。上手い表現です。こんな歌手、ヌッチをおいて他にありません。 第3幕もよかったですが、この幕も含めて残念ながら指揮に足をひっぱられました。ベネズエラの若手ドゥダメル、オーケストラの指揮では才能があると思いますし、それを生かして鳴らすところは鳴らして受けを取っていましたが(前奏曲からして交響曲のようで、シンフォニックな音が好きなひとにはいいかもしれません)、鳴らしすぎて声を消したり、アンサンブルをさばけない(合唱や重唱がばらけてしまう。第3幕の名曲中の名曲、「リゴレットの四重唱」も乱れがちでした)のはこの手のオペラではいただけません。作品の全体図が見えていないのです。第3幕の「女心の歌」の後で、拍手できる隙を作れなかったことなどもそのあらわれでしょう(デムーロが気の毒)。やはりまだまだ経験不足です。その点、若手ならここでも何度も書いているバッティストーニ(彼は2015年に二期会で「リゴレット」を振ります)やマリオッティ、上の世代なら日本でもおなじみのルイゾッティやフリッツアのほうが、この作品にはふさわしかったと思います。彼らの指揮で聴いたら、「リゴレット」が休符まで音楽に満ちている作品だと分かるはずです。 そんななかで「座長」のヌッチ、人柄でも本領発揮でした。カーテンコールで端のほうにつこうとしたドゥダメルを引っ張ってきて中央に出す心遣い。さすがです。みんなを盛り上げよう、公演を成功させようという意欲に満ちていました。 (今回の「ビス」、現地のスカラ座側としては、ふだんそれほど「ビス」に積極的ではない劇場だけに、あわてた、という話も漏れきこえてきましたけれど)。 当年とって71歳。オペラ歌手でイタリアの至宝といえばヌッチとデヴィーアだと思いますが(デヴィーアもその前日、藤原歌劇団の公演で「トラヴィアータ」を歌っていたのですから日本はスゴイです)、ヌッチは人間的な魅力も含めて本当に素晴らしい。 歌手としての能力の点で同時代に生きてよかった、と思う歌手はフローレスとバルトリなのですが、ヌッチは、まったく別の次元で、出会えたことに感謝したい、大歌手です。 デフロの演出はスカラ座の定番。豪華。衣装もきれいで安心してみられます。第1幕の宴会の場面に優秀なバレエ団のバレエがはさまるのもさすがスカラ座。きれいな舞台と美しい歌。イタリアオペラはこうでなくちゃ。 ヌッチの「リゴレット」、公演はあと2回あります。お聞き逃しなく! http://scala2013.jp/schedule.html 最後にひとつ宣伝を。今年出した新書「ヴェルディ」のなかで、ヌッチにインタビューしています。彼のヴェルディ愛の秘密?がわかります。是非ご覧下さい。 http://www.amazon.co.jp/dp/4582856837/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1368799430&sr=1-1
September 10, 2013
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