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旅日記でも書いたが、ヴェネツィアはお気に入りの町である。 今回、はじめて、リド島に行ってみた。映画「ヴェニスに死す」にも登場したという、ちょっとしたリゾート島。 リゾートだけに、冬場は何もないだろう、と覚悟はしていたが、やっぱり何もなかった。唯一あったのが、本島にはない「車」。車が一台もないところから来ると、車の走っている風景というのは妙に新鮮だった。 観るところも、することもないので、お昼ご飯を食べた(そのつもりではあったのだけれど)。といっても、まともなレストランは一軒しかあいておらず、何の変哲もないその店で、ボンゴレスパゲティにひらめのグリルという、これまた何の変哲もないご飯を食べた。これぞ漁師?という、刺青の入ったたくましい腕をしたお兄ちゃんが、ひらめをそれはそれはきれいに骨から剥がしてくれたので、思わず「bravo!」といったら、嬉しそうににやっとした。 リドはどうってことのない島だが、もう少し沖へ行った島々は、それぞれ個性があって楽しかった記憶がある。 ヴェネツィアの島といえば、ガラスで有名なムラノが観光客にはよく知られているが、私のお薦めは「ブラノ」。レースの島として有名なようだが、本島とはまったく違った明るさにあふれているかわいい島だ。陽光も明るいし、家の色彩もぐっとカラフルで楽しい。 はるか昔のことだが、この島で入ったレストランが最高だった。 友人4名で来て、道に突き出したテラスに陣取ったのだが、アサリとシナモン(これがよく合ったんですね)のスパゲティとか、まて貝やうなぎのグリルとか、水をはった白いボウルにいっぱいのフルーツとか、ちょっと珍しく、新鮮で、食べる歓びにあふれている料理ばかりだった記憶がある。 とくにうなぎのグリルは絶品で、よく脂が乗ったものを炭火で焼き、それにレモンをたっぷりかけて食べる。ドイツあたりでやたら脂っこいうなぎのムニエルに辟易し、うなぎは蒲焼に限ると思い込んでいた身には、すごく新鮮だった。 もうひとつ、トルチェッロという島も印象に残っている。ヴェネツィアで一番最初に人が住み着いた島だというが、こちらは夏場でもしん、としていて、古い教会にも人気がなく、クラシックなホテルで上品な夕食をとった。 ひとことでヴェネツィアといっても、見所はもりだくさんだし、他の島へわたればそれぞれ表情が違う。ほんとに、1週間あっても足りない、魅惑の島、である。
January 28, 2007
イタリアから帰り着いたその日、藤原歌劇団の「ボエーム」の公演に行った。 午前中に成田に着いたものの、一度自宅に戻ったのでさすがに開演(3時)には間に合わず、第2幕からの鑑賞。 なので「コンサート日記」に書くのはやめ、ここでちょっと印象を。 ダブルキャストのBキャストで、若手中心の日。ロドルフォの笛田さん、ミミの韓国人歌手ウンキョンさんなど、初めて聴く歌手も何人か。全体的なレベルはまずまずだった。 笛田さんは声の美しさ、声量ともあり、これにうまさが加われば将来性のあるひとだと思うし、ウンキョンさんは全体的におとなしすぎる感じではあったが、後半は健闘していた。 ソリストのなかでは、ショナールを歌った谷友博さんが、声とテクニックのバランスで抜群だったと思う。 そして、いつもながら細やかに演技をつけている岩田達宗の演出が素晴らしかった。彼は、音楽を本当に理解している数少ない演出家だと思う。 ところで、私が一番言いたいのは、実は公演のでき云々ではない。 人気演目(のはず)の「ボエーム」で、水準も悪くないのに、空席が目につく、ということが一番気になったのである。 気になるというか、「やはり」と言う感じだろうか。 いつも言っているように、日本のオペラファンはレベルも高いし勉強熱心なので、普通に「ボエーム」をやっても、お客はそう入らないのだなあ、ということを確認したのだ。 そこそこのキャストで「ボエーム」を観るより、「ドン・カルロ」や「イドメネオ」を観てみたい。それが、それなりにオペラのファンになったひとの気持ちなのではないだろうか。
January 27, 2007
さて、旅も無事に終わり、といいたいところだが、何しろ旅のたんびにずっこけている私のことである。今度の旅も、かならずしも「無事」ではなかったわけで・・・ 相当恥ずかしい話なのだが、うーん、恥をしのんで書いてしまおう・・・(露悪趣味・・・?)個人的には、昨年3月に遭遇したミラノ置き引きよりずっとショッキングだった「フェニーチェの悲劇」・・・。 今回、フェニーチェで鑑賞したマイヤベーアのオペラ「エジプトの十字軍」。 知らないオペラで、ダブルキャストでもあり、できれば2回みたいな、と思っていた。 幸い事前にチケットの手配もでき、意気揚々、だったのであります。 で、オペラ初日。開演は19時。この日はプレスの席をもらうことができた。開演30分前に受付へ行くと、ちゃんとチケットが用意されていてほっ。何とロイヤルボックスの中だった。初めて入ったフェニーチェの豪華な内部を、堪能させてもらうことができた。 で、次の日。この日は自腹で購入。だがチケットは当日渡し。前日に引き取れるかもと言う話だったのだがそれはできず、前日と同じく、開演30分前に出かけた・・・はずだった。 ところが劇場のドアは堅く閉まり、入り口に人影はなく、携帯でしゃべっている係員のお兄ちゃんがひとりいるきりではないか。 「あの、チケット売り場は?」 携帯を放さないお兄ちゃんに指差された先は閉まっていた。 「今日のオペラは?」 お兄ちゃん、携帯を一瞬放し、 「そろそろ終演だよ」というではないか。 終演?だってオペラはこれからでしょ? 「開演は午後だよ・・・」 真っ青になったのは言うまでもない。考えてみれば今日は土曜日。マチネの日だったのだ・・・!!! あまりのことに口をあんぐり開けたまま、その場に数分間立ち尽くしていたのだった。 日本でもたまにやるけど、100回に1回あるかないか。それがヴェネツィアで起こってしまうなんて・・・ 身から出たサビとはいえ、あまりに悲劇的なフェニーチェの一夜でありました。
January 26, 2007
シチリア2番目の、そして最後の滞在地はパレルモ。シチリア最大の都市である。 マフィアの町としても知られているようなので、ちょっと身構えていたが、中心部はさほど変な印象は受けなかった。ちょっと外れた場所でも、カターニャよりは多少ましかな、という感じ。 パレルモの魅力は、建築がすばらしいこと。大聖堂は壮大で、いろんなスタイルが混在していて面白いし、小さな教会はモザイクにあふれている。また街中に点在するイスラム寺院も、風情があって面白い。 日の暮れかけた頃、モザイクで有名な、郊外のモンレアーレにある大聖堂に出かけたが、薄暗くなっていたにもかかわらず、素晴らしさは十二分に認識できた。 夜はパレルモ一のオペラハウス、マッシモ劇場でバレエの公演。本当はオペラが見たいのだが、この時期はバレエの公演しかなかった。 演目は「ジゼル」。この演目の初日だったので、劇場にはシックな装いのひともちらほら。タキシードは1人しか見かけなかったが、ロングスカートは何人か見かけた。女性は光る素材などを身につけていて、それなりにおしゃれで、ロビーは華やかだった。 面白かったのは聴衆の雰囲気。日本だと、バレエの公演のお客はほぼ9割が女性だが、イタリアの劇場ではそんなことはまったくなく、オペラとほぼ同じ。ほとんどが定期会員だという事情があるのだろう。 なんだか皆顔見知りみたいで、開演前の客席は社交場、おしゃべりで騒々しい。ボックス席から挨拶しあったり・・・きっと昔から、こんな雰囲気だったんだろうな。 ところが肝心のバレエが、開演時間を過ぎてもいっこうに始まらないのである。それも、何のアナウンスもなく。 開演時間を20分ほど過ぎると、さしもの?イタリア人もしびれを切らし始めた。「ブー」が出たり、手拍子を打ったり。でも相変わらず、何のアナウンスもない。 開演時間を30分ほど過ぎたころ、ようやくアナウンスがあった。「オケが出ない」というのは分かったのだが、私のイタリア語力では、理由がよくわからない。 ???と思っているうちに、すさまじい音がして幕があがった。 何と、テープで音楽を流し、バレエを始めたのである。 それも雑音だらけのテープで、別の劇場で録音したのか、ところどころ拍手が入っているのだからたまらない。ダンサーも調子が狂うこともしばしばで、たまりかねて休憩時間で劇場を後にした。 後で知ったのだが、何とオーケストラのストライキだったらしい。そういうことがある、という話はよくきくが(とくにフランスやイタリアで)、実際に体験したのは初めてだったので、相当ショッキングではあった。日本じゃ、考えられないですよね。 これもイタリア。経験としては面白かったが、しょっちゅうだとすると、たまんないかも。
January 25, 2007
カターニャ2日目、今日は、マスカーニ作曲のオペラ、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の舞台とされる、ヴィッツィーニという小さな町を訪れた。 カターニャからタクシーを飛ばすこと1時間余、山岳地帯に近い丘の上に開けた、小さな町である。 もともと「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、カターニャ出身のヴェルガという作家の小説にもとづいている。「カヴァレリア」はよく「ヴェリズモ(真実主義)・オペラ」と呼ばれるが、本来「ヴェリズモ」は、ヴェルガのようなタイプの文学をさして使われていた。それがオペラにも流用されたのである。 ではヴェルガのようなタイプの文学とは何かと言われると、ごくごくおおざっぱにはリアリズム、ということだろうか(あくまでおおざっぱです。念のため)。ヴェルガの場合、まずフィレンツェなどで従来のタイプの小説で成功してから、故郷に戻り、シチリアを題材とした作品を書き始めた。彼の「ヴェリズモ」という場合、シチリア時代の作品をいうのだと思う。 いや、このヴェルガの小説というのは、なかなかにショッキングである。 「カヴァレリア・ルスティカーナ」も、岩波文庫で翻訳が出ているが(河島英昭訳)、日本語にしてわずか12ページの掌編小説ながら、密度の濃さは目を見張るばかり。オペラに出てくる男女関係、その露呈と決闘が、この短さにまとめられているのだから。実際に書かれていることの数倍が行間にあるというタイプの、典型的な小説だと思う。 ヴェルガが描くのは、シチリアの農民(小作人)の残酷な現実である。雇われて過酷な労働に従事し、厳しい自然と闘い、稼ぎは天候次第。男女関係はきわめて保守的で、婚前交渉は即陰口もの、教会にも入れない(「カヴァレリア」のサントウッツア)。それでもなお、本能のままに関係を結ぶ男女たち。 岩波文庫の「カヴァレリア」には、プッチーニが作曲を考えて、内容のあまりの残酷さに断念したという「ルーパ(牝狼)」という小説も収録されているが、これがまた凄い。目力であらゆる男を誘惑し、しまいに若い男に懸想して、お前より娘のほうがいいと断られると、男と娘を無理やり結婚させ、そして男と関係を結んでしまう女の話だ。男は文字通り悪魔に魅入られたようになり、しまいには女を殺してしまう。そのとき手にする「斧」の描写の凄いこと! ちょっと引用しましょう。 「緑に萌える畑のなかで、遠くに彼女の姿を認めたとき、葡萄畑を耕す手を放して、彼は駆け寄り、楡の木から、手斧をはずした。ルーパは、男が青ざめ、目を血走らせ、太陽に手斧をきらめかせながら近づいてくるのを見ても、一歩も後へ退かず、目もそらさず、左右の手に真っ赤なけしの花束を握りしめ、真直に歩みつづけて、あの漆黒の目で男を呑みこんだ。・・・(河島英昭訳)」。 私にとって、ヴェルガの作品は、正直、オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」よりよほどショッキングだった。なまなましくて簡潔で密度の濃い文体は、マスカーニのような甘ったるい音楽より、アルバン・ベルクあたりがふさわしいと思っているほどである。 D・H・ロレンスは、「カヴァレリア」の音楽のことを、砂糖水のように甘ったるいメロディ、と評したそうだが、さもありなんと思われる。 訳者によれば、ヴェルガは近年、マンゾーニ以降最大のイタリア人作家という評価が定着しているという。マンゾーニは古典だから、古典から近代への転換点にあたる作家という面もあるかもしれない。オペラ史でも、ヴェルディまでは古典、マスカーニ以降は近代、と区切れると思うので、それに相応しているといえるかもしれない。 「カヴァレリア」の映像としては、ゼフィレッリが監督した有名な映画版がある。ヴィッツィーニが撮影場所になったときいていたが、現地に立ってみるとすべてがヴィッツィーニではなさそうだ。たとえば復活祭に村人が集う教会は、ヴィッツィーニで実際それと(小説に出てくると)される教会だととても小さく、ゼフィレッリ映画に出てくる教会とは明らかに異なっていた。 いずれにせよとても小さな町で、こんなところで人に言えない男女関係があったら、早晩周囲に分かるのは知れているな、と思われたことだった。
January 24, 2007
ミラノから、シチリアのカターニャにやってきた。 ミラノも暖冬だったが(例年から零下になることもあるらしいが、8度くらいだった)、シチリアはやはりというべきか、もっと暖かい。昼間はコートなしで歩いているひとも見かけた(半袖も!)。日差しは強く、サングラスが欲しいくらいだ。 シチリアは初めてで、治安の点でちょっぴり不安だったが、町のまんなかはそんな変な感じはしない。ただ、ちょっと外れると、はっきりいって汚い。ごみだらけである。ミラノあたりもかなり汚いが、これに比べるとまだましだなあ。 驚いたのは、劇場の外側も汚いこと。 前も書いたように、今回のシチリア行きは、2-3月に実施するツアーの下見で、ツアーで行く劇場をあらかじめ見ておきたいという目的がある。なので、劇場の周りまで行ってみたのだが、前の広場が工事中でほじくり返されているのはまだしも、劇場の外壁が落書きだらけでびっくりした。日本だったらニュースものなのでは。 もうひとつ、ツアーで見る予定にしていたべッリーニ博物館(彼の生家)も、行ってみたら修復中だった。工事のおじさんにきいたら、完成はいつになるか分からないのだそうだ。やれやれ。 代案として、やはりカターニャ生まれで、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の作者であるジョヴァンニ・ヴェルガの生家(やはり博物館になっている)を入れようかな、と考えている。 それからシチリアに来て感じたのは、交通の荒っぽさ。車やバイクが、横断歩道もお構いなしでぶんぶん飛ばしてくるのだ。 これまで経験したヨーロッパの町だと、パリでもウィーンでもロンドンでもミラノでも、信号のない横断歩道でも、歩行者が歩き始めれば車は止まってくれる。この点は、日本のほうが車のマナーは悪い。横断歩道で待っていて、止まってくれる車はまずないから。 けれどカターニャでは、横断歩道を歩き始めようとするくらいでは、車は止まってくれない。意を決してずんずん歩き始めなければだめなのだ。これはかなり勇気がいる。 とくに、自慢じゃないが反射神経がきわめて鈍く、日本でも人や電柱にしょっちゅうぶつかっている私としては・・・・。 百聞は一見にしかず。来て見なければやっぱり分からないのです。下見はやっぱり必要、と実感したカターニャの1日だった。
January 23, 2007
ヴェネツィアから、ミラノにやってきた。 今回はスカラ座に行くということもなく、ミラノは単なる中継地点。明日から、来月末から始まるシチリアツアーの下見のために、シチリアに飛ぶための足場である。 何人か知人に会ったが、そのなかのひとりであるミラノ在住の日本人歌手に会った時、今回ヴェネツィアで観てきたオペラの話になった。 今回のイタリア旅行の前半、ヴェネツィア滞在の最大の目的は、フェニーチェ歌劇場で上演された珍しいオペラの鑑賞だったのだが、そのとき経験した私にとっては不可解な光景の理由を、彼にきいてみたかったのである。 フェニーチェで鑑賞したオペラは、マイアベーアの「エジプトの十字軍」。マイアベーアと言う作曲家は、オペラ史の本には絶対出てくるのだが、作品が上演されることはめったにないという不思議な、そして気になる存在である。19世紀のパリ・オペラ界最大の人気作曲家として君臨し、ベルリオーズ、ワーグナー、ヴェルディらがみな影響を受けたとものの本には必ず書かれているのだが、本当に上演がない。大規模な「グランド・オペラ」が多く、歌手に要求される水準もきわめて高いので、上演しづらいのだという。 今回上演された「エジプトの十字軍」は、マイアベーアがパリに出る前、イタリアでイタリア・オペラを発表していた時代の最後を飾り、当時は大成功を収めて、パリに出るきっかけをつくったという作品だ。1824年にフェニーチェで初演されているが、今回は1835年以来実に172年ぶりの復活上演。これは見なきゃ!と勇んで駆けつけた、というわけなのである。 公演自体のレベルは高かったと思う。形式はイタリアのオペラ・セリアではあるが、オーケストレーションの凝り方や合唱、重唱のパワフルさに、マイアベーアの個性を感じたし、初演当時はカストラートがやったという(今回はカウンターテノールが担当)主役をはじめ、歌手陣に要求される技術的レベルも高度な作品で、独唱陣も健闘していたので、個人的には満足度の高い公演だった。 ところが、聴衆ときたらきわめて冷淡だったのである。 すでに休憩時間に帰るひとがぼつぼつ。そして終演後も、さっさと席を立つひとがかなり。スタンディングオベーションをしている聴衆もいたが、全体的に反応は冷ややかで(ブーが出るとか、そういうわけではないのだが)、カーテンコールもごく短かった。 日本だったら、これだけ難しい作品、をこれだけのレベルで聴かせたら、客席の反応ははるかにいいはずだ。それが不思議で仕方なかったのである。 ミラノ在住の日本人歌手氏の意見から考えるに、イタリアと日本では、どうやら聴衆の、公演に対する考え方が違うらしい。 歌手氏が言うには、イタリアの聴衆の考え方というのは、「俺はこの公演のためにこれだけ金を払ったのだから、それだけ楽しませてくれ」というものだ、という。 対して日本では、かなりなオペラファンだと、スタンダードな作品より珍しいものを聴いてみたいという気持ちがある。1年ほど前に、ヴィヴァルディの「バヤゼット」というオペラが日本で上演されたが、1回だけの公演ということもあり、チケットが早々に売り切れたのは、日本のオペラファンの興味が深いことを象徴している。 日本人歌手氏に、この「バヤゼット」の話をしたら、 「なんですか、それ」といわれた。 イタリアでは「バヤゼット」のような作品が満席になるなど、考えられないらしい。 「日本では、珍しいものを、それもいい演奏家が取り上げれば、下手に「ボエーム」なんかやるよりよほど満席になりますよ」と言ったら、へえ、と驚いていた。 そう、日本人には、今まで取り上げられなかったものをあえて取り上げる、冒険することに対する敬意があるのだが、そのような考えは、イタリアのオペラファンにはないようなのだ。 私など、今回のマイアベーアなんて、凄いことだなあ、と思ってしまう。マイアベーアの、それも時々は上演のある「ユグノー教徒」のような代表作でなく、イタリア時代の作品なんて、やるだけで価値があるではないか、と考えてしまうのだ。 話していて、以前、ジュゼッペ・ジャコミーニが「音楽の友」のインタビューで話していたことを思い出した。 「日本は、芸術に対する敬意が残っている、世界でも数少ない国です。だから私は、日本に来るのです」という発言である。 その言葉が、今回のことでちょっと納得できた気がする。 本当に、日本の聴衆のレベルはとても高い、と思う。オペラだけでなく、クラシック一般も同じことだ。以前話をきいたヴァイオリニストの寺神戸亮さんも、「日本の聴衆の集中力の高さなど、世界一」だと言っていた。その通りだろう。 イタリアの歌劇場や歌手がせっせと日本に来るのは、単に稼ぎのためだけではなく、聴衆の反応のよさも大きいのではないだろうか。聴衆の反応が暖かい、ということは、来日した歌手や演奏家がよくインタビューで口にする言葉だが、そうだろうな、と最近つくづく思うようにになった。 とはいえ一方では、日本人より外国人をありがたがる傾向が、まだ残っているのも事実だけれど。 もうそろそろ、欧米のファンに引け目?を感じるのはやめたいものだ。日本人の感性や勉強熱心さは、つくづく素晴らしいものなのだから。 ところで、「エジプトの十字軍」のレポートは、2月2日付け朝日新聞夕刊「アラウンド・ザ・ワールド」に掲載されます。お見逃しなく!?
January 22, 2007
今日までヴェネツィアで3泊したが、町のすばらしさはさておき、ユーロ高から来る物価高にはつくづく参っている。 たしかユーロが導入された当初は、100円そこそこだったはず(100円以下の時もあったときいた)。それがわずか5年ちょっとで、157円くらいなのだから閉口してしまう。 ヴェネツィアの両替屋では、1ユーロ172円!この分では1ユーロ200円時代も近いのではないだろうか。 ただでさえ物価の高いヴェネツィアで、打撃である。 ヴェネツィア価格の例をいくつかあげると、 別に高級とはいえないオステリア(リストランテより格下、地元のひとも多い)で、パスタ、魚料理、コーヒー、デザート、水、ワイン4分の1リッターで48ユーロ。昼だというのに、7000円近い値段である。 超有名カフェ、「フローリアン」でカプチーノを飲んだら、7.2ユーロ、ざっと1000円!有名カフェとはいえ、はっきりいって薄汚れた店内なので、居心地はよくない。 公共の交通機関である水上バス(ヴァポレット)、1回券5ユーロ、800円弱!1日券は12ユーロだが・・・ ホテル代もイタリアは高い。以前から安くはなかったが、ユーロ導入、ユーロ高で拍車がかかった。いつもホテルはネットで予約するのだが、今回はローシーズンなので、まずまず(3つ星、4つ星)のホテルが100ユーロ前後で取れたものの、ヴェネツィアやミラノの最高級ホテルは、東京のそれよりはるかに高い。ミラノでは、最近できたブルガリのホテル、1泊13万!というのがあった。東京で「マンダリン・オリエンタル」に泊まっても、もう少し安いのではないだろうか。同じフォーシーズンだって、ミラノより東京のほうがずっと安い。 日本が、そして東京が「物価が高い」というのは、過去のものになりつつあるのかも・・・
January 21, 2007
今回の旅の前半は、ヴェネツィア。何度も来てはいるが、冬に来るのは初めてである。 イタリアの古い町はどこもそうだが、ヴェネツィアはほんとに独特。イタリアで一番凄い町、だと個人的には思っている。何しろ繁栄した期間が長いから(ローマは別だろうけれど)、建物ひとつとっても色んな様式がごっちゃになっているところが面白い。バロックの窓とルネサンスの窓が同じ建物にあるとか・・・「ナポリを見て死ね」というが、「ヴェネツィアを見て死ね」といいたいくらいだ。 「水の都」という通り、車がなくて水路だけというのも当たり前だが独特で、風景はともかく、来てみていつも思うのは、静けさ。車がないとこんなに静かなんだ!と、来るたびに実感する。 今回はとくに冬なので、観光客が少なく、静けさがよけい心地いい。 人が少ないおかげで、見所もゆっくり見られる。観光シーズンではとても考えられない。(それでもサンマルコ大聖堂は行列していたが)。 不便なことは、タクシーが使えないことと(疲れてもひたすら歩くしかない)、道がややこしくて迷うこと。地図はまずあてにならない。道端で地図とにらめっこしていたら、現地の女性が助けてくれた。別れ際、「地図なんか見ちゃだめよ」と言い残して。 今日は昼間、フラーリ教会に行った。ティツィアーノの描いた「聖母被昇天」のあることで有名な教会だ。ヴェネツィア滞在中のワーグナーが、「トリスタン」作曲に際してインスピレーションを受けたとか、色んな芸術家に影響を与えた作品である。 ここも夏場は人でいっぱいだが、今日はしんとして、ゆっくり鑑賞できた。他にも多くの絵画彫刻があり、これだけでひとつの美術館のよう。ヴェネツィアの凄さである。 またこの教会は、モンテヴェルディのお墓があることでも知られている。前に来たときは探しそびれてしまったが、今日はちゃんと見つけることができた。赤いばらが一輪、墓碑の上に置かれていた。 このフラーリ教会には、思い出がある。 もう20数年前になるだろうか、初めてヴェネツィアを訪れた時のこと、ここの「聖母被昇天」に魅了されてしまったのだ。 ちょうど、8月15日の聖母被昇天祭の当日だった。礼拝が終わったばかりのところに行き合わせたのだが、金色にかがやく絵(祭壇画である)の前に、色とりどりのグラジオラスの花がうず高く積まれており、それは壮麗な眺めだった。 その時のヴェネツィアは、どこもかしこも印象が強烈で、あまり美しかったので「もう当分来ない」と心に決めた覚えがある。再訪して「こんなはずじゃ」とがっかりするのがこわかったのだ。 写真を撮るのをやめたのも、この時。心の映像のほうがずっと美しいから、写真を撮ってもがっかりするだけ、と思いました。 その後しっかり、ヴェネツィア行きも写真も再開してしまったが。 ヴェネツィアは仕事で、そして写真は、必要に迫られて、というところだろうか。人に説明するのに、写真があったほうが、やっぱり楽なのですよね。 再開すればそれなりに、メリットはあるものだと思っている。 冬のヴェネツィア、いいですよ。物価の高さ(たぶんイタリア一)がたまにキズだけど。
January 20, 2007
パソコンがまったく使えなかったイタリア旅行から帰国してはや3日。ようやくブログを再開することができた。 19日の日記だけれど、実は今日は30日。それでいて旅日記を始める不始末、お許し下さいませ。 さて、海外でよくあるハプニングのひとつに、「ロスバケ(ロストバゲージ)」がある。 飛行機に乗るときに預けたトランクが、積み込まれそこねてしまうことだ。次の便で届く時もあるが、最悪の場合はなくなってしまう。 しょっちゅう旅をしていると、「ロスバケ」に出会う確率も高くなると思うが、私の場合は幸い?まだ一度だけ。もっとも「置き引き」に2度あっているでしょ、と言われるとぐうの音も出ないのだが・・・ 一度遭遇したロスバケは、個人旅行で、チューリヒの空港でのことだったが、空港で待つこと2時間弱、幸い次の便でちゃんと届いた。 ところで、ツアーの場合、誰よりもロスバケに敏感なのは、当然ながら添乗員さんである。 ベテラン添乗員になると、万が一のために1泊分の身の回り品は手荷物につめて置いてください、とアナウンスするくらい。 あるツアーの時に添乗してくれた添乗員さんは、どの航空会社がロスバケ率が高いということにも詳しかったが、その彼に、ロンドンの空港で見せられた光景はショッキングだった。 トランクを山のように積み上げたトレーラー?が、積み上がったトランクがてっぺんからごろごろ落ちるのをほうったまま、悠然と走っているのである。 「(運転手の)給料が安いし、やる気がないんですよ」 というのが、添乗員氏の解説だった。 幸い私たちのツアーに影響はなかったが、あの地べたに放り出されていたトランクがどうなったのか、考えると胸を締め付けられる??のであります。
January 19, 2007
Ima venezia ni imasu.Hotel deha PC ga tukaenainode Internet Cafe ni kimashita ga,blog niha akusesu dekirunodesuga, kokono PC ni nihongo kinou ga nainode,nihongo ga utemasen ! Kanashiiiiii!kakitai kotoha iroiro arunode itsuka PC ga tsukaeru hi made zannen, gomennasai!Venezia ha kiri desuga, amari samukunaku, kankoukyakuga inainode, kaitekidesu.今 ベネチィアにいます。ホテルではPCが使えないのでインターネットカフェに来ましたがブログにはアクセスできるのですが、ここのPCに日本語機能が無いので日本語が打てません!!!悲しいぃ!!!!書きたいことはいろいろあるのでいつかPCが使える日まで残念、ごめんなさい!ベネチィアは霧ですが、あまり寒くなく、観光客がいないので快適です。Love Hiroko HP管理者が日本語を追加しました。よろしかったでしょうか?(S・O)
January 18, 2007
明日から、10日間ばかりイタリアへ行く。 ヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場で、マイヤベーアの珍しいオペラの上演があるのを聴くのが第一の目的、第二の目的は、2月末から予定しているオペラツアーの下見である(自腹です)。 マイアベーアは、オペラ史の本には、フランス・グランド・オペラの大家として必ず名前が出るひとだが、公演はめったにない。これくらい、名声?と公演の数がつりあわない作曲家もいないのではないだろうか。 歌唱をはじめ、音楽的に上演が難しいとよく言われるが、本当かどうかは耳でたしかめないと分からない、と思う。 フェニーチェ劇場に入るのも初めてなので、劇場を見るのも楽しみである。 ところで、下見に行くオペラツアーの本番(2-3月)で、困ったことが起きた。 ツアーで鑑賞する予定のオペラ公演に出る予定だった有名歌手が、2人ばかりキャンセルしてしまったのである。 歌手のキャンセルは、洋の東西を問わず日常茶飯事ではあるのだが、「このひとがこれを歌う!」というのが目玉になるような有名歌手が降板してしまうと、そのためにツアーを組んだこちらは辛い。 申し込み済みのお客様には当然知らせなければならないので、担当者が連絡を取っているが、キャンセルが出てしまうのはしかたのない状況である。 有名歌手が出ないと払い戻しに応じることもある日本のオペラ公演に比べ、海外のオペラ公演は、予定されていた有名歌手が出なくなっても、それを理由に払い戻しに応じることはまずない。公演じたいがなくならない限り、払い戻しということにはならないのである。 こればかりはお手上げ。私たちにはどうしようもない。 「オペラ保険」でもあったらいいのにな。 ところで、パソコンは持参するものの、無線LANに接続できない町やホテルでは、ネットは使えなくなりそう。このブログ、しばらくお休みになるかもしれません。
January 17, 2007
今月後半、18日から、久しぶり(3ヶ月ぶり)の海外に出るので、だんだんせわしなくなってきた。 本当なら今夜は、ドニゼッティ歌劇場の「アンナ・ボレーナ」にもう一度行く予定だったのだが、出発前に片付けるべき仕事や荷造りに追われて、泣く泣くパス。 憂さ晴らし?に、昨日購入したDVD、「フェニーチェ歌劇場2006ニューイヤーコンサート」をかけ、横目で見ながら荷造り。 あまりこのようなガラ・コンサート的なDVDは買わないのだが、大好きなバス歌手、ロベルト・スカンディウッツィの名前を見つけたので、思わず買ってしまった。 スカンディウッツィはイタリアのバス。ヴェルディのバスの役の得意なひとで、安定したテクニックと明るい声質を併せ持ち、表現力にもすぐれた歌手だ。日本では、2001年に新国立劇場で「ドン・カルロ」のフィリッポ2世を歌っている。その前にはサントリーのホール・オペラの「シモン・ボッカネグラ」にも出ていた(と思う)。 私はとくに彼の「シモン・ボッカネグラ」のフィエスコ役にほれ込んでいて、パルマとアムステルダムでまでわざわざ聴きに出かけたくらい。彼にとってこの役は、世界中で歌っている得意な役だ。「ドン・カルロ」のフィリッポ2世もそうだけれど。 イタリアのバスというとフルッチョ・フルラネットが働き盛りで活躍しているが、フルラネットも好きだけれど、スカンディウッツィはもっと好き。温かくて深い声なのだ。 いずれにせよ、個人的にはテノールよりバスやバリトンが好みなのである。 ところが、スカンディウッツィ目当てで買ったというのに、彼が歌ったのは何と「ドン・ジョヴァンニ」の二重唱「お手をどうぞ」だけ。他のソリスト、ソプラノのチェドリンスやテノールのカレヤはアリアを歌い(カレヤは2曲も)、「乾杯の歌」なんかもしっかり歌っているのに、バスが二重唱一曲とは・・・!おまけに表紙の写真にも、解説のグラビアにも、スカンディウッツィは影も形もないのである・・・。ヴィジュアルも結構いけるのに、もったいない! 55分という収録時間だから、コンサートを全部収録しているかは疑問だが(解説には「ハイライト版」とは書いていないのだが)、それにしても不公平。これではバス(やバリトン)のファンは浮かばれない。高音ばかりがオペラ(歌唱)じゃないのだけれど・・・。 憤慨のあまり仕事がはかどらなかった!というのは言い訳です・・・。
January 16, 2007
オペラの公演に出かける楽しみのひとつは、思いもかけなかった演奏(とくに歌)に出会うことにある。 予想を裏切って?素晴らしい公演に出会える歓びは、ゾクゾクするほどすばらしい。 数日前、久しぶりにゾクゾクを味わった。 ドニゼッティ劇場の来日公演、「アンナ・ボレーナ」である。 今回のドニゼッティ劇場の出し物はふたつ。「ランメルモールのルチア」と、「アンナ・ボレーナ」。 前宣伝を大々的にしていたのは、今話題のコロラトゥーラ・ソプラノ、ランカトーレが主演した「ルチア」の方だった。 ランカトーレは悪くなかったけれど(超高音が楽々出せる素質、高音になるほどよく通る声、正確な技術はすばらしい)、表現力という点では今ひとつだった。若さも関係しているだろう。まだ30前なので。オーケストラも感心できるできばえではなかった。 それが、テオドッシュウが主演した「アンナ・ボレーナ」では、指揮者が代わったせいもあると思うが、オーケストラが見違えるような活力にあふれていた。 そして、何といっても、テオドッシュウが素晴らしかったのである。表現力、声の幅、深さなどの点で、最近聴いたコロラトゥーラ・ソプラノのなかでも抜きん出ていたと思う。 何より、体当たりで声を通じてすべてをさらけ出すプリマ・ドンナ根性を、見せ付けられた気がした。 昨今はとかく演技や外見がよければ、声の幅が狭くとも表現力が深くなくとも人気が出てしまう風潮だが、テオドッシュウは「声」の威力を示してくれたのである。 本人も乗っていたようで、カーテンコールでは嬉しそうな表情を隠さなかった。 客席もそれに応じるように熱気を帯びて行ったが、その様子を目の当たりにして思ったのである。これはイタリアの小屋の雰囲気だなあ、と。 メトとかウィーンとかいった、気取った?劇場の来日公演だと、こうはいかない。 イタリアの劇場の、ちょっと埃っぽい、汗や歓声のしみこんだような濃密な空気。その片鱗が感じられた、貴重な一夜だった。
January 15, 2007
コンサートやオペラに行くと、プログラムを買うかどうするか、迷う方は少なくないのではないだろうか。 とくに昨今の来日オペラのプログラムは、やたらりっぱでカラー写真もたっぷり入れて、3000円近い料金を取ったりする。広告もどっさり入っていて重いし、買わない方も少なくないのでは、と思う。 最近2回聴いたドニゼッティ歌劇場の公演では、1回は従来の公演通り、まずまず立派なプログラム、もう1回は「都民劇場」の主催だったので、ごく簡単なプログラムが無料配布された。 結果からいうと、無料配布のプログラムで、あらすじや出演者の紹介など、必要な情報はまにあってしまうのである。 立派な方がもちろん記事は多いが、どうしても必要な情報とか、知りたい情報があるかというとそうでもない。 たとえば私などは、「ルチア」ならルチアの作品の本質的なところー音楽的な特色などーを知りたいのだが、そのような情報はほとんどなく、ドニゼッティの紹介とか、劇場のあるベルガモの紹介文などがならんでいる。音楽事典かガイドブックで間に合うような内容である。 プログラムも重要な収入源というのは分かるが、それならそれで、買っただけのことはある、という内容にして欲しい、といつも思うのだ。 その点、新国立劇場のオペラ公演のプログラムは、内容的な幅が広くて充実している。物足りなさを感じるのは、派手な来日オペラの公演である。 何年か前に来日したある有名歌劇場の公演のプログラムなど、以前の解説の再利用や、現地のプログラムからの翻訳でお茶を濁していた。 お金を取るからには、プログラムもあなどって欲しくない。主催者の方々には、その点をぜひ考えていただきたいのだけれど・・・・。
January 14, 2007
「クラシックの敷居が低くなりつつある」のではないか、という楽観的?予測を、ちらほらきく。 理由としては、「のだめ」効果とか、GWにあるクラシックのお祭り「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」の集客の凄さ、などなど、である。 どこまで本物かはあやしいが、「のだめ」のような、いわば通常の「クラシック」の想定外のところから起こるブームはともかく、クラシック関係者の間でも、いままでとは違う「目のつけどころ」への試みが、ちらほらあるように思う。 たとえば、平日のマチネ公演。 従来クラシックのコンサートといえば、平日なら夜、マチネは週末、というのが決まりだったが、重要な聴衆層である女性や高齢者の出やすい時間を考慮して、平日マチネ公演も増えている。 新国立劇場でも平日マチネ公演を始めて、結構集客がいいようだし、昨日行ったドニゼッティ劇場の「ルチア」も、平日マチネ。残念ながらこちらは空席が目立ったが、主演歌手の知名度が低いことも関係していたようだ。 また西宮の兵庫県立芸術文化センターで、昨年の夏にあった「蝶々夫人」の公演は、8回(だったと思う)の公演がすべてマチネだったそう。もちろん週末もあったのだろうが・・・それで、ほぼ完売だったそうだ。 アーティストの側でもそのような意識が高まっているらしく、たとえばテノール歌手の佐野成宏さんも、そのような聴衆を意識して、平日マチネ、プログラムも分かりやすい、説明がなくてもただ聴いて楽しめる歌曲を集めた内容でのコンサートを、開催していた。 たしかに現役時代は、先々の予定はたてにくいし、時間も読めないだろうし、とくに平日夜のコンサートに行けるひとは限られるだろう。自由な身分になって、コンサートに行きまくっているというひとも少なくないはず(私も何人も知っている)。また主婦の方でも、昼間の方が出やすいのは当然のこと。それを考えると、時間に余裕があり、夜遅く帰る辛さのないマチネ公演が好評なのもうなずける。 気楽にふらっと行けるマチネ公演がもっと増えたら、クラシックの入り口がもっと広くなるのではないだろうか。 入り口を広げるといえば、「ラ・フォル・ジュルネ」のコンサートの入りのよさは、価格の安さに加えてひとつのコンサートの時間が短かったせい(1時間前後)ときいた。時間のことは、私達のようなクラシックおたくにはなかなか思いつかない。お金を払って行くなら、それなりの長さがあったほうが、聴いた気がする、という感覚なのだ。短いと損した気分になる?ような。 だから「クラシックの長さがしんどい」という感覚は、分かると思い込んでいたのはまったく思い込みで、本当は分からなかったのですね。
January 13, 2007
今日はベルガモ、ドニゼッティ劇場来日公演、「ランメルムーアのルチア」の、Bキャストを聴いてきた。 ダブルキャスト公演の場合、両方を聴くのが理想的だが、経済的、時間的になかなかそうもいかない。今回、Aキャストの方はあらかじめ手に入れておいたのだが、主催者からご案内をいただいて、Bキャストも見ることができた。感謝。 知らない歌手ばかりだったが、このような公演で、まだ無名だがいい歌手を発見したりすると、すごく得した気分になる。 今回は、幸運なことにそのケースだった。 エドガルドを歌ったテノール、ロベルト・デ・ビアージオが、「めっけもの!」だったのである。 詳しいことはHPの「コンサート日記」に譲るが、かなりドラマティックな役柄ができそうな、昨今貴重なタイプのテノールだと思った。これから注目したい。 来日公演を行う海外の劇場は、スカラ座やウィーンのような超メジャーではない場合、ひとりかふたりの有名歌手を目玉にするケースが多い。 今回のドニゼッティ劇場の場合、「ルチア」ではランカトーレ、「アンナ・ボレーナ」ではテオドッシュウという、それぞれのヒロインが目玉である。 ランカトーレは初来日だが、テオドッシュウはおなじみ。もちろんいい歌手だとは思うけれど、それにしても少し来過ぎ?なのでは・・・ 昼間、そんな話をあるホール関係者としていたら、 「日本人は、安全パイというか、特定の歌手に集中しますよね」 という話になった。 「高いチケット代を払わなければならないから、冒険したくないのは分かるけれど、知られていない歌手を知る楽しみっていうのも、もっとあっていいと思う」 同感である。上記のように、知らない歌手のなかかから「これは」と思うひとを発見する歓びは、とても大きい。 主催者側も、お目当ての有名歌手さえ来てくれれば、あとは劇場側の提示する歌手をそのまま受け入れているらしい。 本当は、主催者が自分たちの足と耳を使って確かめ、まだ世界的には芽が出ていなくとも、これから必ずブレイクするだろうひとを指名して連れてきてくれれば、もっと面白いのだけれど・・・。
January 12, 2007
今日は飯田橋のトッパンホールで、ニューイヤーコンサート。 鈴木秀美氏の指揮で、モーツァルト・プロ。「コジ・ファン・トウッテ」のハイライトに、「ジュピター」交響曲という、モーツアルト晩年の傑作をそろえた聴き応えのある内容だった。 演奏については、HPの「コンサート日記」に書くとして、一番印象に残ったのは、「コジ」でナビゲーターをつとめた、ダリオ・ポニッスイ氏。 かねてから多才ときいてはいたし、彼の演出したオペラも観たことはあるが、今日はつくづく唸ってしまいました。 まず存在感。ニューヨークの演劇学校に学んだそうだが、そうすると「マルチ」の出発点は俳優ということになるのだろうか。まったく「俳優」らしい存在感である。その点では、共演の歌手はとてもかなわない。 「ダ・ポンテ」、そして「ドン・アルフォンソ」役に扮しての語りも、わかりやすく気がきいていた。 ドン・アルフォンソ役のほうでは、歌手に混じってアルフォンソのパートを歌ってしまったのにも驚いた。「歌と踊り」もよくやっているようだけれど、本格的なオペラをここまで歌うとは想像していなかったので。 コンサート形式のオペラに解説をつけ、ちょっとしたセミ・ステージにするようなやり方は、最近ちらほらあるように思う。初心者にもとても親切で、人気の高いやり方だ。大いに企画していただいて、気軽なオペラとして定着させ、オペラファンを増やしてくださいね。
January 11, 2007
2007年の初オペラは、ベルガモ・ドニゼッティ劇場の来日公演、「ランメルモールのルチア」だった。 ここ数年、驚異のコロラトゥーラ・ソプラノとして活躍しているイタリアのソプラノ、デジーレ・ランカトーレが主役を歌うことが売りの、公演である。 もう一度聴く予定なので、感想はそれから「コンサート日記」に書くつもりだが、純粋に音楽的な面以外で一番感じたのは、「劇場の大きさ」という障害だった。 今回の会場となっている東京文化会館は、ご承知の方も多いと思うが、収容人員およそ2300人の大ホール。対して、今回の来日メンバーが歌っているドニゼッテイ劇場は、中に入ったことはないが、イタリアの普通の劇場と想定すれば1000席あるかないか、ではないだろうか(中に入ったことがない、というのは、ドニゼッティ劇場は常打ちの劇場ではなく、公演回数がとても少ない、ということも関係している)。 今回のメンバーは、中にはランカトーレをはじめスカラ座で歌っているソリストもいるが、原則的にはイタリアの劇場に出ているメンバーとすると、文化会館ではかなり負担が大きい。そう感じたのである。 声量が足りない歌手がほとんどだったし、このような劇場に慣れていない、という印象を受けた。 主催者側としては、興行面を考えれば、できるだけ大きな会場を使いたくなるのも無理はない。音響的にとかく評判の悪いNHKホールで外来オペラがよく上演されるのは、キャパシティの大きさが第一の理由である。 メトロポリタン歌劇場やスカラ座のように、海外でも大きな劇場を擁するところの来日公演ならそれでもいいが、ドニゼッティ劇場で2300の劇場という設定には、なかなか苦しいなあ、と正直思ってしまうのである。 このくらいの劇場だったら、新国立劇場の中劇場くらいが理想なのではないだろうか。 主催者の都合も、会場のスケジュールもあるだろうから、来日公演に理想の会場を割り当てるのはなかなか難しいかもしれない、とは思う。けれど遠路はるばる来てくれた歌手たちが力を発揮できる場所というのを、できることならもう少し考えて上げられるといいのになあ、とも思うのである。
January 10, 2007
連休も終わり、外でのお仕事が本格的に始動。 今日からカルチャーセンターの新しい講座が始まった。テーマは「バッハ」。作曲家バッハのなりたちを、主にその環境から読み解こう、というような内容である。 大学院時代に留学したときのテーマもバッハだったし、音楽ツアーも西暦2000年の「バッハへの旅」から始まったので、バッハはやはり一番身近な作曲家なのだが、だからといってバッハが分かるのか、と言われると答えにつまってしまう。 バッハの生まれ育った土地に行ってみるとよく分かるのだが、やはりバッハの活動の基本はルター派の教会であり、その音楽を理解するにはやはり宗教的理解が不可欠だと思うからだ。 残念ながら「仏教徒」を名乗っている私には、その点からの理解は力不足である。 そんな私が、これまでの「バッハ」に関する仕事で気に入っているもののひとつに、バッハの生き字引みたいなハンス・ヨアヒム=シュルツェというバッハ研究の大御所先生が書いたかわいい本、「コーヒーハウス物語(原題は『ああ、コーヒーはなんておいしいんでしょう!』)の翻訳がある。(これなら、俗っぽい内容なので・・・) ご存知「コーヒーカンタータ」をめぐって、ドイツへのコーヒー伝来から、曲の内容のユーモラスな分析まで、コーヒーの文化史+コーヒーカンタータ解説、のような本だ。 翻訳した時、編集者が乗ってくれて、ページをコーヒー色にしてくれ、本当にかわいい本になった。 残念ながら、初版を売り切った時点で絶版になってしまい、そのうちなぜか私の手元にもなくなってしまった(誰に貸したか記憶がないのです)。諦めていたら、その話をきいたある知人が、ネットオークションで手に入れてくれた。その嬉しかったこと! 裏表紙に鉛筆で「400(円)」と書かれているのだけれど、誰の手を経てきたのか、想像するのもちょっと楽しい。 それにしても、ネットって本当に便利なものですねえ・・・
January 9, 2007
最近、とくに首都圏が中心だと思うが、フリーペーパーが全盛である。 一昔前まで、フリーペーパーといえば、要するに広告紙だったと思うのだが、リクルートが出した、20代サラリーマン向けフリーパーパー「R25」は、一般の雑誌に匹敵するような記事も豊富で、人気が高いよう。その女性版で「L25」も登場した。 どちらも、フリーペーパーの概念を破った「読みで」が特徴のように思う。記事と広告がほぼ半々くらいという内容は、一般の雑誌と変わらない。 女性誌、とくにファッション雑誌など、ほとんどすべてといっていいほど広告か記事広告の世界だから、読めるフリーペーパーは画期的である。 最近、「クロワッサン」を久しぶりに買ったら、半分以上が記事広告のようになっていて驚いてしまった。これなら、フリーペーパーを読んだほうがまし、だと思ってしまう。既成の雑誌にとっては脅威だろう。 クラシック音楽界でも、フリーペーパーが現われている。 「ぶらあぼ」は以前から有名だが、最近、「チケットクラシック」というフリーペーパーができた。 コンサートやオペラのチケットの販売業務と、フリーペーパーを結びつけた新しい形態で、当初は期待されたと思うし、内容も広告関連にとどまらず、読物も豊富で充実していたのだが、今のところ試行錯誤の状態らしく、誌面刷新を繰り返している。 誌面じたいの傾向は堅苦しくないので、クラシック専門誌よりとっつきやすいと思う。フリーペーパーだと一般のひとが手に取りやすいから、受容層が広がる。順調に定着してほしいのだが・・・。 それにしても、この調子でフリーペーパーが盛んになると、今に雑誌はただで読む、が常識になるかもしれない。すごい時代になったものである。
January 8, 2007
今年は「選挙の年」だそう。統一地方選挙と参議院選挙。新聞やテレビの討論番組でも、かなりとりあげられている。 郵政選挙を別にして、最近の選挙で物足りないのは、本来あるべき自民党と民主党の対立軸が、ぼけていることである。 もともと政策が似たようなものだからといってしまえばそれまでだが、ならば別の政党になる必要はない。 この場合、物足りなさの責任は、私の印象では民主党側がより大きい。「詰めが甘い」といったらいいだろうか。 前の国会で成立した教育基本法だって、タウンミーティング問題をはじめ突っ込みどころは色々あったのだから、もっと対立軸を明らかに、論点を詰めてやれば、もっと支持が集まる余地は十分にあったのではないだろうか。それがあいまいなままにずるずると成立を許してしまうのでは、野党第一党の意味がない。 もう2年くらい前になるだろうか。民主党のあるベテラン議員の夫人と、コンサートで立ち話をしたことがある。 彼女の主張は「とにかく政権交代させてください」だった。 政策より何より、とにかく選挙による政権交代を実現すること、日本人はこれまでそのようなことを経験していないので、経験すれば自信につながる、という内容だったと思う。 ナマイキな私めは、 「政策がはっきりしていなければ投票はできない」 と抵抗し、そしてちょっぴり失望してしまった。これじゃ、政権交代は難しいだろうなあ・・・と。 二大政党制への道は、なかなか厳しいようです。。。
January 7, 2007
ひさしぶり!に映画に行った。 「敬愛なるベートーヴェン」。ひさびさの?本格的クラシック映画、といったらいいのかな。ネット上でもかなり感想が出ていたので、鑑賞を楽しみにしていた。 私の見るような映画はだいたい女性客が多いのだが、今回はかなり男性客が目に付いた。それもかなりの高齢層。オールド・クラシックファンだろうか。 想像したより、渋い内容の映画だった。 「第9」に秘められたエピソード、といううたい文句だったので、第9の初演がクライマックスになるのかと思いきや、「大フーガ」が次なる焦点になり、その革新性、それが理解されないこととベートーヴェンの孤独が浮き彫りにされたり・・・ この監督は「大フーガ」によほど思い入れがあるのかなあと思っていたら、プログラムを買ったらやはりそうだった。女流監督のアニエスカ・ホランドは、「後期弦楽四重奏曲」が大好きなんだそうだ。うーん、渋い・・・。 物語自体はフィクションだし、細かい突っ込みどころはいろいろあったが(たとえば創造された女弟子のアンナ・ホルツが、楽団員の陰からベートーヴェンの指揮を指図する場面なども、盛装した女性がステージ上でそのようなことをするのは当時の感覚からいって難しいと思う)、ネットなどで話題になっていた「ベートーヴェンの人間像」については、それほど違和感は感じなかった。もちろんデフォルメされているとは思うし、彼の「孤独」も強調しすぎていると思うが(ベートーヴェンは男盛りのころはかなりモテていた。女性の方から熱をあげたことも何度かあったはずだ)、基本的な感覚はしごくまっとうな人間として描かれているのではないだろうか。 自己を強烈に恃むので、周囲と摩擦を引き起こしてしまう光景が何度か登場したが、あれだけのひとならそれだけの自負があって当然というもの。最近来日したアーノンクールやノリントンだって、自分の音楽に対する自信はなみなみならぬものがあるという。ましてベートーヴェンにおいておや、だろう。 もうひとつ、この映画を観て感じたのは、これは「(ベートーヴェンに弟子入りした)女弟子のディスカバーマイセルフ」ストーリーなのだなあ、ということだった。 彼女はベートーヴェンのそばにいて、その創造過程を目撃、共有することで、自分の内面に目覚め、自分の本当に求めるものを探し当てていく。うすうす感じていた恋人の凡庸さをはっきりと自覚し、そこから離れる決心をする。つまり自立していくのだ。 女弟子を演じたダイアン・クルーガーも、この役柄のそのような面に魅せられたとインタビューで語っていた。 女流監督ホランドの目的は、そこにもあったのではないだろうか。彼女自身、自分のキャリアを築く中でさまざまな自己発見があっただろう。監督が敬愛するベートーヴェンによって自己の内面を呼び覚まされていく女弟子の姿は、監督の姿にも重なるように思えた。
January 5, 2007
銀座、というより日比谷、というよりガード下から通りをはさんだ向かいに、「慶楽」という中華料理やさんがある。 昭和25年創業の、古い店だ。 銀座に映画を見に出かけ、軽い夕食を取ろうとして思い出し、久しぶりに入った。久しぶりっていっても10数年ぶりだから、久しぶり以上かな・・・。 もちろん経営は中国系のひとで(大陸かどこかは分からない)、カタカナ交りのメニューはえらく読みづらい。原語のよこに小さな字で「アワビウマニ」なんて書いてあるくらいなので。。。 入り口あたりは(たぶん寒風のせいで)空いていたが、奥に入るとサラリーマンで満席。ビールとタバコの匂いがむんむんして、昨今の清潔第一のレストランにはなくなった、なつかしい空気があった。 読みづらいが豊富なメニューを前に迷っていたら、 「これ食べてれば間違いないよ」 ちょっと離れた席にいたおじさんが、お箸にはさんだものを高く掲げて教えてくれた。 「春巻きと焼き豚」 春巻き?どれが?と一瞬思ったが、それも当然で、ここの春巻きは普通想像するそれと違い、太巻き風なのだ。それを輪切りにして盛り付けてくる。一皿に特大春巻きが二本分、輪切り状態で盛られてくる。 回りを見ると、けっこう皆、この春巻きを食べている。皆が食べるんだからこれは試す価値あり、と見た。 果たして特大春巻きは美味だった。からっと揚がった皮のなかに、千切りにしたたけのこと椎茸、セロリ?らしき野菜などがぎっしり。熱々のところをハフハフしながらほおばると、口のなかにじゅわっと色んな味が広がる。この複雑な旨みが、中華料理のよさかなあ。 おなかの調子が悪いはずなのに、だんなと一緒にぺろっと平らげてしまった。骨付きのまま角切りにした焼き豚、からっといため上げられたチャーハン。品のいい中華レストランとは違う、味のある味。おなかの具合のせいで、ビールが飲めないのが残念!だった。 こういう店があるところも、銀座の魅力なんですね。きっと。
January 4, 2007
今朝の朝日新聞に、紛争地で医療支援を行うイタリア人医師の記事が載っていた。 ジーノ・ストラダ氏、58歳。紛争地で医療支援を行う民間組織「エマージェンシー」を設立、中東、アフリカなど13カ国で病院やリハビリセンターを作り、「市民でも兵士でもテロリストでも負傷者ならみんな診る」という姿勢で、現地でも広く信頼されているという。 昨年10月には、アフガニスタンでイタリア人ジャーナリストが武装勢力に拉致される事件が起こり、武装勢力の側から「イタリア政府との交渉役」を命じられた。イタリア軍の撤退など、武装勢力側の要求をイタリア政府に伝え、イタリア政府からの「ノー」を武装勢力側に伝える。交渉は不調に終わったが、人質は解放された。イタリア政府からも感謝の電話があったという。 軍隊を派遣している国の人間なのに、武装勢力側から信頼されて交渉役を頼まれたのは、彼の活動が現地で信頼されている証拠だろう。 このようなひとの存在は、結果的にソフトパワーで国の利益に貢献しているのである。 アフガニスタン・パキスタンで医療活動をやり、やはり現地で絶大な信頼を受けている日本人医師、中村哲氏を思い出した。 中村氏の場合は、アフガンの旱魃がひどく、医療だけでは失われて行く命に間に合わないと、井戸を堀り、水路を作り始めてしまったところがちょっと違うのだけれど。ストラダ氏のように何カ国にも展開するのではなく、その地域に根を下ろしてしまうやり方である。 ストラダ氏、中村氏とも、活動の基金は寄付である。個人や企業からのもので、政府からは受けない。戦争や軍事介入にかかわるからである。 ストラダ氏いわく、「すぐに「何人、兵士を送ろうか」と検討したがる政府には、ちょっと待ってくれと言いたい。戦争がもたらすのは別の戦争だけだ。私が欲しいのは、エマージェンシーのいらない世界なんだよ」
January 3, 2007
新年2日目、昔からの知人たちの新年の集まりに出かけた。 昨日食べ過ぎたせいで(ないしょ)、朝から調子が悪く、どうしようかと迷ったが、めったにない集まりなので気を入れなおして外出。 おしゃれする必要がないのが救いで、クローゼットかららくちんなスカートを出した。足首まで丈のある、ウェストゴムのやつ(これもないしょ)。これでダウンにショートブーツ、完璧防寒おばさんです。 電車を乗り継ぎ、目的の駅が近づいた頃、足元に目をやって驚いた。 スカートのすそから糸が何本も出ているではないか!それも何色もの! 思い当たることはあった。安物のせいもあり、このスカートはすぐすそが下りる。そのたびにいいかげんに直していた。それもその時に手元にある適当な色の糸で直していたのだ。 自慢じゃないが裁縫は家事のなかでも一番苦手。中学校の家庭科でパジャマを作った時なんぞ、縫い目が曲がってばかりでとても着られる代物にはならなかった。ぞうきんのミシン目もでこぼこだったし・・・・ そのすそ糸が下りていたのである。 下車駅で下りて回りを見回し、西友が開いていたのであわててかけこむ。切れそうな?はさみを買ってトイレで糸をちょんちょん。すそは全面的に下りかかっているが、ソーイングセットはないから、もうそのまま。あっちへ行ったら座っていればいいや・・・・ というわけで、年のはじめの買い物は「はさみ」。これで厄落としをして、今年は少々鋭く?なれるといいのだけれど・・・・。
January 2, 2007
あけましておめでとうございます。 読んでくださっている皆様に、よい1年でありますようお祈りいたします。 さて、年のはじめの楽しみといえば、年賀状もそのひとつ。ネット時代で年賀状もメール派が増えているが、こちらはまだまだ年賀状派である。 年賀状だけのお付き合いというのも結構多く、相手を思い出しながら見るのも楽しい。 ところで、年賀状の差出人名で、そのひとの「名前」を改めて確認することが時々ある。 ふだんの付き合いのなかで、正式な?名前を呼ばないひとももちろんいるが、知りあって以降に「改名」しているひとが何人かいるのだ。 なかには名前を二つ!使い分けているひともいるのでややこしい。 たいていは姓名判断に従った「改名」であり、きっかけは、「心機一転」ということが多いよう。 その気持ちはよく分かる。 恥ずかしながら私も、一時「改名」していた。「画数がいいから」という理由で、「浩子」を「博子」にしていたのである。理由は、まあなんとなく・・・鬱々としていた時期だったので、気分を変えたかったというのが正直なところ。 ものを書き始めた頃はまだこの名前を使っていたので、初期の?翻訳や解説では「博子」を使っている。 かなり定着していたのだが、元に戻した直接のきっかけは、母が亡くなったことだった。 せっかく両親がくれた名前を変えるのももったいないな、と考え直したのである。 同時に、「名前に頼ってどうかなる、というものでもないだろう」と思ったのも事実。 そういえば、「博子」に変えたころ、大学の後輩の男の子からこういわれた。 「名前を変えたくらいで人生が変わると思うなんて、お嬢さん育ちですねえ」 いや、お恥ずかしい。 けれどけっこう、私のようなことを考えるひとは多いようで、「事故が続いたから、それを避けるために姓名判断の先生のところで名前をつけてもらった」という50代のおじさんから、縁遠いから、はては離婚して心機一転、などという理由で名前を変えた同級生まで、私の知っているだけで改名したひとは10人を下らないのではないだろうか。 要は本人の気持ち次第で、それでよくなったと思えるなら、改名もいいんじゃないか、と今は思う。 ただ、姓名判断の先生とやらがつける名前は、けっこうややこしいものが多い。どうみたって「当て字」じゃないの?!と思ってしまうものもある。 だって、「洋元雄」と書いて「みつお」と読め、といわれても・・・・ねえ。「ようげんお」で変換しちゃうよ。 名前も文章も、「わかりやすい」って、重要な要素だと思うけれどな。
January 1, 2007
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