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ここのところ通っているメトロポリタンオペラのライブビューイング。手頃な価格でフルスクリーンのオペラが楽しめ、ここ2、3年で人気も定着してきました。広報体制も充実しています。 ロイヤルオペラやミラノ・スカラ座など、他のオペラハウスの映像を映画館に配給する試みも散発的にはありましたが、ひろく認知されるまでには至らなかったようで、目下はメトの一人勝ち、といったところでしょうか。 そこへ、パリのオペラ座が参入するという。 試写のご案内をいただき、「ホフマン物語」を見てきました。 パリのオペラ座は、欧米でも5本の指に入るオペラハウスとして認知されていると思います。ここの大きな長所は、劇場が2箇所あり、宮殿のようにゴージャスなガルニエ(旧オペラ座)と、モダンで音響抜群なバスチーユ(新オペラ座)を演目に応じて使い分けているところ。ガルニエはバレエが中心ですが、バロック、古典派などの小さめのオペラにはよく使われます。ガルニエはとくに人気の会場なので、実際の観劇ではチケットがすぐ売れてしまうのが難点ですが、ライブビューイングならその心配なくして、会場の雰囲気を味わえるのも魅力的です。 今年度のライブビューイングの演目は8つ。うち3つがバレエで、会場も2箇所にちゃんと分散していました。フランスはバレエがお家芸ですから、バレエの演目があって、充実しているのも個性です。 オペラハウスとしては、メトのようにスターを集めてきらびやかに、というより、プロダクション全体の力で見せる、というのが特徴でしょうか。今回見た「ホフマン物語」は、そのようなパリ・オペラ座の特徴がよくわかる公演でした。 演出は売れっ子のロバート・カーセン。舞台を劇場に見たて、場面ごとに異なる趣向でその場の物語の空気を上手に創ります。(残念ながら電車が遅れてプロローグは観られなかったのですが )とくに第2幕、アントニアの物語で、二階建ての舞台の1階がオーケストラピットに、2階がオペラの舞台になっていたアイデアは秀逸。アントニアは「歌手」だから、とてもふさわしいですよね。それをバスチーユの大舞台でやるのだから、迫力満点です。これは実際に見てみたい、と思いました。 第3幕のジュリエッタの物語も、舞台上に客席があり、それが「ホフマンの舟歌」にあわせて波のように揺れるというおしゃれな演出。うーん、さすがカーセン。 今回のライブビューイング、メト同様幕間のインタビューもあります。楽屋に入り込んで歌手や演出家に突撃する、という趣向。カーセンのインタビューもありました。全体を劇場に見立てるアイデアは、プロローグの「ドン・ジョヴァンニ」から思いついたそう。3つの物語が、男性ホフマンの成長過程をあらわしている、という解釈も面白かった。純粋な片思い(オランピア)、ロマンティックな恋愛(アントニア)、官能的な愛(ジュリエッタ)ということだそうです。なるほどねえ。 歌手ではまずオランピアを歌ったジェーン・アーチボルドに瞠目。名前は知っていましたが聴いたのははじめて。技術的にもハイレベルだし、ちょっと硬質の金属めいた輝きのある声が、自動人形であるオランピアにぴったり。ドレスが脱げてしまう演出にはちょっと笑えましたが。 アントーニアのアナ・マリア・マルティネス、ニクラウス=ミューズのケイト・アルドリッチも好演。アルドリッチはリヨン歌劇場の来日公演や、ラ・ヴォーチェの「ドン・キショット」などで日本でもおなじみのメッゾで、最近スカラ座など各地で大活躍しています。 もうひとり驚いたのが、タイトルロールのステファノ・セッコ。彼も日本で「椿姫」を歌ったりしていましたが、どちらかというとリリカルな声で、正直それほど強い印象を受けたことはありませんでした。けれど今回は出ずっぱりのこの難役を、終始安定した、柔らかなテノールらしい声で歌い上げ、ナイーブな詩人の物語に強い印象を残しました。歌手が上昇していく様子をみるのは、嬉しくまた楽しいものです。 パリ、オペラ座のライブビューイングは2月から公開。第1作はバレエの「ドン・キホーテ、続く2作目のオペラ第1作はフランスオペラの代名詞、「カルメン」だそう。メトとはまた違ったテイストのハウスなので、見比べるのも面白いと思います。 http://www.opera-yokoso.com/
January 22, 2013
オペラのなかのオペラ。 「アイーダ」は、その言葉が似合う作品だ、と思います。(有名な「凱旋行進曲」も含めて)美しい旋律、劇的瞬間、オーケストラの充実、三角関係を主軸にした物語の分かりやすさ、くっきりした人物と感情の輪郭、息抜きのバレエなど、よくできていると同時に人気オペラの条件を種々備えているからです。 ソニア・フリゼルの演出によるメトロポリタンオペラのプロダクションは、「アイーダ」を知るのに格好のプロダクション。空想の古代エジプトにふさわしい壮大な舞台は、これぞオペラ!と言いたくなる豪華さを備えています。メト定番の人気プロダクションでもあり、ライブビューイングでも別キャストで上映されています。「アイーダ」は読み替えはなかなか難しい作品だし、これだけ豪華なものをまた作るのも大変でしょうから、何十年もメトの定番になっているのも頷けます。1989年に収録されていた映像はDVDになっており、ドミンゴ、ミッロ、ザジックという当時のスターたちの、パワフルな声の饗宴が楽しめます。「アイーダ」の映像で1枚、と言われたら迷わずこれを推しています。(ちなみに手元の映像には、演出家の名前が見当たりません!映像ディレクターの名前はあるのに。。。今はいちばん注目される「演出」ですが、それがここ2、30年の潮流なのだ、ということがよくわかります。) 今回のキャストは、「今」のオペラ界を代表する歌手と、彗星、という言葉がぴったりのニュースターの共演。ラダメス役のアラーニャ、アムネリス役のボロディナはそれぞれこの役を世界中で歌っています。一方タイトルロールのアイーダを歌ったウクライナ出身のモナスティルスカは、ここ2、3年でスターダムにのし上がったまさにフレッシュな歌手。彼女は2011年の初夏、ロンドンで「マクベス」のマクベス夫人をきいてたまげてしまった歌い手です。とにかく低音から高音までむらなく出るし、声自体もパワフルで伸びがいいし、マクベス夫人の強いキャラクターにもぴったり。相方のマクベスを歌ったキーンリサイドが知的なタイプなので、気の弱い夫を叱咤する妻、という役割が際立ち、迫力でした。その後彼女はアイーダ役でも好評を得、今回がメトデビュー。こんな大役でメトデビュー、それもその演目がライブビューイングで世界に配給なんて、すごいことです。 果たしてそのモナスティルスカ、「大器」を予感させる演唱を披露してくれました。 「アイーダ」というオペラは、敵役にあたるメゾソプラノのアムネリス役の印象が強い作品で、アイーダ役が弱いとアムネリスに圧倒されてしまいます。だからアイーダ役は相当な力が欲しいところなのですが、世界のトップ・メゾのひとりであるボロディナのアムネリスに、モナスティルスカは立派に並び立っていた、と思います。 まずこのひと、技術的にきわめて安定しています。新人とはちょっと思えない。そして声に情感がある。実際の年齢が若いせいもあるのでしょうが、初々しさを声で表現できるのも魅力的です。色はちょっとくすみがちですが(言葉のディクションが明瞭でないせいもあるかもしれません)、柔軟性もあり、そして高音がよく通って見事です。よくコントロールされ、まったく危なげがないのも驚異的。決して絶叫調にならないのもうまさを感じます。もちろん演技も含めて未完の部分もありますが(やはりディクションはもう少し鍛えてほしいです)、これから伸びる可能性は十二分に感じさせました。将来が楽しみな大型歌手であることは間違いありません。 ちなみにロンドンで、「まだ英語はあまりできないらしい」と小耳にはさんだのですが、今回のライブビューイングのインタビューでは通訳つきで登場。初々しいというか、ほほえましい感じもしました。きっとあと2、3年もしたらインタビューも堂々と英語でこなし、今回のことを「あのときは」と振り返るのでしょう。その時にもまた彼女を聴いてみたいものです。 迎え撃つ?ボロディナも立派というか、貫禄です。持ち前の深みと艶のある美声はたっぷりと豊饒で、成熟した「女」を漂わせ、恋のライバルを追いつめます。アムネリスは本来もっと若い王女ではあるのですが、まあこの迫力に免じて?降参いたしましょう、という感じ。メトでもう35回も歌っている役というだけあって、さすがに手中にしている印象で、演技も余裕です。アイーダに投げる視線の蔑みの交じった凄みには思わず頬がゆるみました。女王、の貫禄ですね。 2人の女性にはさまれたラダメス役のアラーニャ。 この役はスカラ座で降板したという波乱もあった役で、どうかな?という気持ちもあったのですが、健闘していたと思います。出だしのアリア「清きアイーダ」がとてもていねいに歌われていて、まず嬉しい驚き。最後は弱音をきれいに伸ばして、声の輝きとパワーで押していたドミンゴとはまったく違う味付けをしていました。インタビューで、ヴェルディの指示を守ったらそうなった、過去の偉大なテノールもそうやっていた、と話していて納得。全体的にていねいに歌っていて好感が持てました。後半はより声が出るようになり、パワフルな女性陣と堂々と渡り合っていました。とくに第3幕の幕切れ、自分が国を裏切ってしまったと呆然としながら、アイーダへの愛にひきずられて迷う瞬間、男の惑いを痛切に感じさせてくれた。ああ、この部分の音楽はこんなに悲痛で切なかったのだ、と思えたのは、アラーニャと指揮のルイージの功績でしょう。 そのルイージの指揮、ドラマの緩急をわきまえた巧みなもので、よく歌うと同時に、作品のシンフォニックな面を際立たせて、「アイーダ」の音楽の充実ぶりをよく伝えてくれました。 他のソリストでは、アモナズロ役のギャクニッザがど迫力の演唱。スケールの大きなグルジアのバリトンで、スカラ座で「リゴレット」を歌ったりしている歌手です。野性の男、アモナズロを手中にしていた、劇的な演唱でした。 歌手陣を振り返って改めて思うのは、同じプロダクションでも、やはり時代によって歌唱スタイルは変わっているのだなあ、ということです。私も持っている1989年の映像で歌っている主役3人は、もちろん素晴らしいけれど、今日聴いた3人と比べると声のパワー、力で押しているという感じ。技術的にも瑕はないからそれはそれでもちろん立派ですし、聴き応えはあります。今日聴いた主役たち、とくにアラーニャとモナスティルスカは、より繊細で、心理的な表現に重きを置いていた印象。これはこれで「アイーダ」の心理的な面をよりくっきりと浮き出してみせてくれ、悪くないのです。以前は、同じ劇場の同じプロダクション、しかも決定版というべき映像があるのを、なぜまた映画館で?と思ったりしたのですが、やっぱり見る価値、聴く価値があるのだ、と思い直しました。演奏は生きていて、常に移り変わっているのですから。 ライブビューイングのもうひとつのお楽しみが幕間のインタビュー。再演だと演出家のインタビューがないのですが、その分、裏方のスタッフを紹介して、舞台裏を隅々までみせてくれました。通常は何をしているかわからない舞台監督の紹介など、オペラを知る上でとても興味深かった。 人気演目のせいか、また日曜日の午後のせいか、会場の東劇はほぼ満員。こんなに客席が埋まったのは初めて見ました。休憩時間の女性トイレは長蛇の列で、これまた初めての体験。こういう演目でオペラ入門を果たす方も多いのでしょう。初めての方でもリピーターでも、正攻法のこの「アイーダ」は十分に楽しめる、と思います。 「アイーダ」は25日までです。 http://www.shochiku.co.jp/met/ それから、アモナズロ役のギャクニッザは、9月のスカラ座の来日公演で、ヌッチとダブルキャストでリゴレットを歌います。スカラ座来日公演のサイトはこちらです。こちらでは「ガクニーゼ」という表記になっているようですが。。。 http://www.nbs.or.jp/scala2013/column03.html
January 20, 2013
「仮面舞踏会」はヴェルディの傑作のなかで、微妙な立ち位置のオペラです。 個人的にはメジャー作品だと思っているのですが、最近の上演回数を考えてみると、そうでもないようで。日本では新国でずいぶん前に、何年か前に二期会で、そしてこの2月には藤原でやるそうですが、藤原さんは20数年ぶりだそうです。イタリアオペラの牙城?のはずの藤原さんでそうなのか、という感じ。 海外でも、そう回数は多くなさそう。「ドン・カルロ」などのほうが最近はよく上演している印象です。 音楽もきれいだし、ドラマ的にもヴェルディオペラのなかではよくできていると思うのに、なぜだろうか。 ひとつは、たぶん、主役ですね。「仮面」は、ヴェルディオペラには珍しく主役がテノールで、それも「椿姫」のヴィオレッタなみに出ずっぱり。性格も多面的だし、かっこいいし、やりがいがあると思うけれど、明るくて華のある声、そしてパワーと表現力があるテノールが必要です。あの三大テノールはみなこの役を得意にしていて、ドミンゴもパヴァロッティも名盤がありますが、あのクラスのテノールが必要。それが、最近ではちょっと難しいかもしれない。 ですが、今、高水準でこの役が歌える希少なテノールのひとりだろう、という演唱を見てきました。 メトロポリタンオペラのライブビューイング。マルセロ・アルヴァレスが主演する「仮面舞踏会」です。 南米アルゼンチン生まれ、明るくて抜けのいい声と、大作でもむらなく歌い通せるスタミナ、人柄のよさをにじませるパフォーマンスで人気のアルヴァレス。もともとリリコでしたが(彼を初めて聴いたのは新国の「リゴレット」の公爵ですが、あっ!いい歌手!と驚かせてくれました)今や希少な、スピント系のヴェルディの役柄も歌える歌手へと成長。この分野でテノールが払底していることもあり、世界中でひっぱりだこです。 今回の「仮面」でも、熱演を聴かせ、見せてくれました。 ラテン系の素直で伸びのいい声の明るさは、ちょっと能天気な王様、グスターヴォにぴったり。とくに今回の演出では、グスターヴォの破滅型的な面がコミカルに、喜劇的に強調されていたのですが、それに彼のキャラクターもよくあっていたと思います。ちょっとあぶなっかしいけれど、人のいい王様、というキャラがよく出ていました。声楽的にもほとんど破綻なく、熱っぽさもあって聴いていてとても心地がよかった。「この役を世界中で歌えて幸せ」とインタビューで語っていましたが、納得でした(ちなみに英語も上手になりました。。。)。 今この役で聴いてみたいな、と思えるテノールは、彼と、若いところではフランチェスコ・メーリでしょうか。その一人が堪能できて幸せでした。 王様の恋人役アメーリアは、ヴェルディ・ソプラノとしてひっぱりだこのラドヴァノフスキー。スケール感とダイナミズムにとむ、アメリカの大型ソプラノです。「ヴェルディを歌うには情熱が必要」とインタビューで語っていましたが、その言葉が頷ける体当たりの熱唱、熱演で、まさに情熱的な声が迸ります。とくに第3幕冒頭のアリアは素晴らしかった。この演出では主役たちに「静けさ」が与えられている、という話もありましたが、第3幕のアリアでは彼女のまわりが静穏な空気に包まれ、感動的でした。 人気バリトンのホヴォロトフスキー。ステージでのかっこよさ(インタビューでもナルシシストぶりを発揮)と声量の大きさが一番の人気の理由なのでしょう。個人的には、抜けの悪い声(ロシアものみたいに聴こえます)と、大きなブレス音が気になるのですが、スター性はぴか一なのだろうな、と感じます。会場を沸かせるツボを心得ている歌手のようです。 個性豊かな3人の主役に対する脇役も高レベルの歌手ぞろい。占い師ウルリカのステファニー・ブライズのど迫力(声が豊麗で、言葉も明瞭だし、低音がよく出るのはもちろん、中音域もあぶなげありません)、オスカルのキャスリーン・キムの精確なテクニックと、きらめきと透明感を備えた声。いずれも満足の行くものでした。ちなみに、出番はそれほど多くないけれどいいアリアが2曲もあるオスカルは得な役だ、といつも思います。 ルイージの指揮もうまい。彼ならではの職人芸が最大限に発揮され、ダイナミックなドラマの局面から繊細なため息まで、劇的瞬間をしっかり聴かせます。歌手の呼吸も生かされ、声とオーケストラがうまくブレンドされたオペラらしいオペラ、が楽しめました。 さて、今回一番話題になっているのは、オルデンの演出のようですが、うまくいっている、と思いました。 まずコントラストが明瞭です。ヴェルディ作品の大きな特徴は、音楽とドラマに見られるコントラストだと思いますが、今回は演出で明暗をくっきりと描いていました。たとえば第1幕で、グスターヴォはじめ一同が浮かれ騒ぐなか、ひとりまじめに佇んでいるレナートとの対比。第1幕はコミカルに、第2幕はシリアスに、そして第3幕は前半はシリアス、後半は明るめ、という、各幕間の対比。音楽を理解して演出していますから、音楽にある喜劇性と悲劇性〜これが「仮面」の大きな特徴〜がよくわかりました。とくにコミカルな面を、合唱に与えた動きの多い演技などで強調していたのは、改めて「仮面」の音楽の喜劇性を際立たせて興味深かった。 「仮面舞踏会」は、音楽はすばらしいです。歌手たちもインタビューで絶賛していましたが、どこをとっても流麗で、破綻がない。一方で、たとえば「リゴレット」や「椿姫」に比べてキャラのたちが弱いといえばそうかもしれないし、流れがいいので、その2作などに比べると全体が均質に聴こえてしまうかもしれない。(ちなみに作品自体はフランス人オーベールのグランドオペラ、「グスターヴォ3世」の翻案です)。 オルデンの演出は、全体的な美しさに埋もれてしまいがちな本作のコントラスト、本質をよく理解させてくれるものでした。時代設定は20世紀におきかえられていましたが、読み替えではまったくありません。名作を、私たちにもわかりやすく、ちょっとリシャッフルしてくれた、という感じでしょうか。好評だったのはうなずけます。 最後のグスターヴォが息を引きとる場面は、天国的な音楽にあわせて、ゆっくりと静謐に、けれどグスターヴォは立たせて声を聴かせるなど、オペラならではの演出もされていて、ちょっとの意外性とともに楽しめました。天井画として最初から「イカロスの失墜」がずっと描かれていたのですが、それが最後の場面になって、失墜するイカロスが天井から下がるのも圧巻でした。現地で見てみたいプロダクションです。 この幕切れを見ていて思い出したのは、初期の「アルツィーラ」。日本ではまだ初演すらされていないマイナー作品ですが、実は幕切れは「仮面」にそっくりで感動的です。あんな作品も見てみたいものです。 もうひとつ、今回嬉しかったのは、ライブビューイングで脇役によく出ているバス、キース・ミラーのインタビューが初めて見られたこと。カルメンのスニガをはじめよく出ているひとなので、気になっていたのですが、ようやく正体?がわかりました。学生時代はアメフトの選手だったという彼、バスらしい深い響きのいい声で、インタビューに応えていたのが印象的でした。今回は悪役のひとりトムでの登場ですが、演技力もあり、貴重なバスだと思います。 メトロポリタンオペラのライブビューイング、「仮面舞踏会」は18日までです。 http://www.shochiku.co.jp/met/
January 16, 2013
NYのメトロポリタンオペラで上演があったばかりの演目を、映画館で観られる、メトロポリタンオペラの「ライブビューイング」。 今月は何と4演目が観られる!という、充実の月です。 その第1弾、「皇帝ティートの慈悲」を観てきました。 モーツァルト最後の年を飾るオペラで、神話や古代史を題材にした伝統的なオペラ「オペラ・セリア」の最後の作品にあたるオペラです。「オペラ・セリア」は長い間、物語がお決まりなせいで冷遇されてきましたが、最近は見直されていることはファンの方ならご存知かもしれません。モーツァルトの場合も、「イドメネオ」は立派にレパートリー入りしていますし、「皇帝ティート」も上演機会が増えています。どちらもやはり音楽が素晴らしい。「イドメネオ」はザルツブルクの宮廷と決別した青年時代の記念碑的作品ですし、「ティート」は晩年の音楽の澄んだ美しさ〜「コジ」のような〜が味わえます。 「ティート」は生で観たことが2度あります。一度は国内で、二期会の公演。あのコンヴィチュニーが演出するというので話題になりました。それはそれで面白かった。その後二期会とコンヴィチュニーは定期的に仕事をするようになりました。今年も「マクベス」が上演される予定です。 もうひとつは、ザルツブルク音楽祭で体験した、アーノンクール指揮、クシェイ演出のもの。アーノンクールの明度が高くてわくわくする音楽は素晴らしかったですが、クシェイのシニカルな演出は余り愉快ではありませんでした。歌手の中心はセスト役のカサロヴァで、この時の彼女は素晴らしかった。ティートにシャーデー、ヴィッテリアにレッシュマンとキャストはザルツらしく豪華でしたが。 両者とも、「演出」が大きな比重を占めていたプロダクション。オペラ・セリアは物語が硬直的とか時代遅れとかいわれて、読み替えが当たり前、のような気がします(ヘンデルがいい例です)。正直、当たり外れがあり、首をかしげてしまうものもある。 今回のメトの「皇帝ティートの慈悲」は、故ジャン・ピエール・ポネルの演出。「読み替え」などどこ吹く風、ポネルらしい品のいい佇まいの、正統的すぎるくらい正統的な舞台で、音楽の美しさを心行くまで堪能させてくれました。 まずはハリー・ビケットの指揮でしょうか。古楽系らしいすっきりとした見通しのよさはありますが、情熱的で推進力があり、ドラマを支えながら控えめに、けれどいつも物語っていて好感が持てます。モーツァルトの音楽のちょっとしたひだの官能も見逃さないていねいさもあります。プロの仕事、を見せつけられた気がしました。 歌手のとびっきりはヴィッテリアを歌ったフリットリ。このひとの表現力の高さ、音楽性は現代最高レベルに達しています。高音から低音まで危なげなく(低音の迫力!)響かせ、音楽の輪郭をしっかり際立たせる技術を持ち、そのなかでいろんな表現ができるのです。 声のなかで音楽が形作られている、そんな印象を受けます。しっとりと格調高い声の魅力は言うまでもありません。高い技術と魅力的な声を持ち合わせた歌手は他にもいますが、声の中身まで感じさせてくれる歌手というのはそうそういないように思えました。インタビューでの受け答えも余裕しゃくしゃくで、プリマドンナの貫禄を見せつけました。 今回の公演の一番の目玉、セストを歌ったガランチャもきわめて水準の高い歌唱。直線的なところはまだまだこれから耕す余地がありますが、声、技術ともにむらがなく、声の通りがいい感じが伝わります。表情も豊かで、天性の演技力にも恵まれているように感じられました。 アンニオを歌ったリンジー、セルヴィリアを歌ったクロウ、2人の若手歌手も熱演。とくにリンジーは凛々しい?外見も素敵で、早くも「ガランチャの後」の人気歌手になりそうです。(そういえば、今や押しも押されぬスターのガランチャ、アーノンクールの「ティト」ではアンニオを歌っていたことを思い出しました) 若手、スター、ベテラン入り乱れての熱演。1曲終わるたびに、モーツァルトの音楽の美しさにため息をつかずにはいられませんでした。「ティート」でこれほど音楽に集中できたのは初めてのように思います。なんだかんだ言っても、マイナーな演目は、じっくり音楽に集中できる演出のほうが、作品の全体像をつかめます。コンヴィチュニーも面白かったけれど、やっぱりこういう演出で一度体験することは大切と痛感しました。 意外?だったのは、思ったより入りがよかったこと(失礼!)。関係者の方にあったので話をきいてみたら、現地での好評がネットなどで伝わったらしいこと、マイナーな演目なので安くて気楽なビューイングで一度というファンが多いのではないかと分析していました。なるほど、と頷けた内容でした。 とかく主催側としては、マイナーな演目は腰が引けがちになるようで、その気持ちも分かります。失敗したら大変ですから。けれど新国立劇場で「ピーター・グライムズ」や「ルサルカ」が予想以上に入り、好評だったのは、「いろいろ観てみたい」というお客さんの要求を反映しているのではないかと感じています。 メジャーな演目、それこそ「椿姫」や「リゴレット」だったら、キャストがよければ入りますが、ただ普通に?やってもかえって難しい。それなら、ヴェルディなら「シモン」のようなマイナーな作品を、正統的な舞台で、いいキャストを揃えてやった方がお客さんは喜ぶのではないか、と勝手に思っているのですが。。。。(以前びわ湖ホールでやっていたヴェルディの日本初演作品シリーズは、完全にそのような意図でした) 「皇帝ティートの慈悲」、明日までです。 ご興味のある方はぜひ。 http://www.shochiku.co.jp/met/
January 10, 2013
遅まきながら、明けましておめでとうございます。 旧年中のご愛読、ありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。 さて、本年2013年は、オペラファンならご存知のように、ヴェルディとワーグナーの生誕200年。 ワーグナーについて熱く語る方はたーくさん!いらっしゃると思うので、私は(例年にも増して?)ヴェルディを熱く語り続けます。 新年早々、ヴェルディ、とくにイタリアにおけるヴェルディという存在を知るためにとてもいい番組が、「クラシカジャパン」で放映されました。 タイトルは「ヴェルディのふるさとを訪ねて」。今年発売される、ヴェルディの全27作のオペラを収めたDVD全集「tutto verdi」にちなみ、彼のふるさとであり、お膝元を自認するパルマとその周辺の地域にゆかりの地を訪ね、オペラ公演を紹介し、今のイタリアを代表する2人の演奏家〜指揮のバッティストーニとバリトン歌手のヌッチに、ヴェルディを語ってもらう、という趣向の番組です。 面白かった。パルマとその周辺のゆかりの土地は、10月の「ヴェルディフェスティバル」を目当てに毎年訪ねている土地なのに、そして語っているのは知っているアーティストたちなのに、新しい発見も知らないこともたくさんありました。そして、イタリア人にとってヴェルディはほんとうに特別なのだ、ということを改めて痛感した番組でした。 生家や後半生を過ごしたサンタ−ガタの屋敷など、ゆかりの地を案内してくれたのは、25歳!の俊英指揮者バッティストーニ。今もっとも注目されているイタリアの若手指揮者のひとりです。映像も美しく、ヴェルディ御用達のブッセートのハム店(毎年通ってます!)の紹介など、サービス精神もある内容。彼が「最高傑作」と呼んだ老人ホーム、「憩いの家」の紹介もありました。生前に完成していた「憩いの家」に、入居が開始されたのは没後1年たってからだった、というエピソードは、おおげさに感謝されることを嫌った彼ならではの有名なエピソードです。 知らなかったことは、たとえば、彼の所有していた農地が東京ドーム14個分!で、邸宅の庭だけで2個分だった、とか、ですね。毎年訪れるたびに散歩している庭が、そんなに広かったとは。。。。 「tutto verdi」が、ヴェルディの全作品を体験できる初めての映像全集だ、ということも新鮮でした。そういえばそうなのですね。担当ディレクターが、2006年(生誕250年)にオペラを全部録画した「モーツァルト22」のようなプロジェクトだ、と言っていましたが納得です。 興味深いことはいろいろありましたが、ひとつは、パルマやモデナの劇場に来ていた観客たちへのインタビュー。ヴェルディへのこだわり、愛、がふつふつと伝わってくる内容と話しぶりでした。「イタリア人にとって偉大な人」「偉大な人物を描き、今の自分たちにも共感できる情熱と愛情がある」。。。などなど。 また、今は現役を引退し、モデナで声楽スクールをやっている名ソプラノ、フレーニのマスタークラスが紹介され、彼女が「生徒の多くは、ただ声量があればいいと思っている」と苦言を呈していたのも印象的でした。 けれど、もちろん(と言いたくなってしまいますが)、一番興味深かったのは、バッティストーニとヌッチという、新旧の世代を代表するイタリア人演奏家のヴェルディ観です。内容は異なるところもありますが、「イタリア人にとってのヴェルディの重要さ」という部分は共通している。うなずかされ、教えられます。 まずは若いバッティストーニから。以下は彼の話の要約です。 「ヴェルディの魅力は、イタリアの音色、イタリアの歌にあります。音楽のなかに、地中海的なイタリアの光がある。 ヴェルディは庶民的な環境から世に出ました。その彼の音楽は、大衆に寄り添う、直接語りかけてくるものです。イタリアのすべての人々の心に入ってくる。音楽家の心に大切なものをくれます。指揮者にも多くの満足感を与えてくれるのです。 彼の音楽の魅力は、言葉、音楽、演劇の融合です。音楽は台本より先に生まれるのではなく、台本とともに生まれる。彼は言葉に従って音楽を書いたのです。 音楽の様式もすごく変わりました。彼くらい音楽が変わった作曲家は、ストラヴィンスキーくらいでしょう。 ヴェルディを振るのは、イタリア人指揮者にとってもっとも興奮することです。レパートリーの中心ですから。イタリアの劇場でヴェルディを振る時には、とても期待されます。観客は感動することを期待しているし、過去の偉大な演奏とも比べられる。イタリアの演奏の伝統を受け継ぎつつ、そこに新しい色を付け加えなければなりません。その美しさに終わりはない。ヴェルディはいつも新しい面を見せ、私たちを魅了してくれます。」 うーん、ここ、面白かったです。前のブログにも書きましたが、イタリアの聴衆というのは、演奏の「伝統」にうるさい面がある。たとえばスカラ座ならトスカニーニの伝統とか。一例はインテンポです。それを大幅に外れた演奏だと、ブーイングが出ます(たとえばバレンボイムが2010年の春にスカラ座で振った「シモンボッカネグラ」の初日ではブーイングが出ました)。だからイタリアオペラは「伝統芸能」的な面が強いと思うのですが、そのことを確認した言葉でした。 そして、ヌッチ。これは、やっぱり深い内容でした。 「私にとってヴェルディは特別です。これまで72のオペラを歌いました。ワーグナーもチャイコフスキーも。でも今はヴェルディしか歌っていません。価値観や人生の理想を共有できるからです。 ワーグナーの音楽は広大です。ヴェルディの音楽と比べても。でも新しくはない。じゃヴェルディは新しいのか?と言われるでしょう。あのズンパッパが新しいのか?と。新しいのは音楽ではない。人間性です。 彼は自己賞賛的ではありませんでした。自分の名前のついている劇場は作らなかった。代わりに病院を建てました。遺言状、これは出版されていますが、そのなかで彼は誰も忘れてはいないのです。 他の人は、音楽の天才です。私は彼の人間性に興味がある。だからヴェルディを歌うのです」 うーむ。これもほんとに、うなってしまい、そして共感してしまいました。 ヴェルディを聴く、それはただ音楽を聴くのではなく、その向こうにあるものを聴くこと(おそらくそれは最終的には「人間とは何か」ということ)、と私は常々思っているのですが、それを立証された気がしました。 思い出したのが、昨年11月、取材でヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場へ行った時に、芸術監督でヴェルディ研究者でもあるオルトンビーナ氏が語っていた言葉です。彼はこういったのです。「ヴェルディの興味深い、惹かれるところは、音楽と人間が一致しているところです」と。 そうかあ、という感じでした。 もちろん彼は人間としても偉大な部分があると思います。事業家としての才覚。福祉家としての活動。弱者への視線。それはほんとうに、スケールの大きな人間性です。 けれど一方で、は非社交的で、気難しく、かなり計算している部分もあるひとだとも思います。執念深いし、つき合いづらいところのある人間だと感じる。家庭的には実父との確執、晩年の三角関係など円満ともいえなかった。 けれど、特にイタリア人にとっては、そんなことを越えた何かを感じる部分があるのかもしれない。 イタリア人がヴェルディを語るのをきくとき、私はいつも、ああ、イタリア人ででなければ分からない何かがあるのかなあ、と思ってしまうのです。それを尋ねてみたいと思うけれど、勇気がなくて尋ねられなかったりします。 うなずきながら、考えながら、美しい風景に浸りながら、とても楽しめた番組でした。 クラシカジャパンにご加入の方はぜひ! http://www.classica-jp.com/program/detail.php?classica_id=CTUT1201 http://www.classica-jp.com/program/detail.php?classica_id=CTUT1201
January 9, 2013
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