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イタリアの劇場っぽい公演。 そう思う公演の典型?に、「座長オペラ」があります。 主演の歌手か、指揮者か、誰か飛び抜けた存在がいて、「一座」を引っ張ってしまう公演です。 先月のスカラ座の来日公演での「リゴレット」は、まさに主役のリゴレットを歌ったヌッチ一座の座長公演でしたし、7月にローマの歌劇場できいた「ナブッコ」なども、指揮者ムーティの座長公演、というにひとしいものでした。両方とも、そのほかの歌手(出演者)も、それなりのレベルではあったのですが、突出したひとりの力に引っ張られて、底上げされた、という感じ。そういう公演て、全部が揃っている公演より、かえって印象に残ったりするものです。 で、今回のイタリアオペラツアーで、一番印象に残った公演が、イタリアの若手指揮者ミケーレ・マリオッティが指揮した、ボローニャ歌劇場の「ナブッコ」でした。 マリオッティの「ナブッコ」には、以前も驚倒した覚えがあります。2009年のパルマ、ヴェルディフェスティバルでの演奏。このときは主役がヌッチにテオドッシュウという豪華版で、歌手も充実していましたが、何より(それこそヌッチ以上に)瞠目したのはマリオッティでした。 とにかく最初の1音から引き込まれました。鮮やかで、大胆で、エレガントで、繊細で、ダイナミック。デューナミクがくっきりしていて、音がきれいで、弦の響きが鮮やかで、彩りがあって変化に富み、ひとつひとつの楽器の音色が美しい。あのヴェルディ初期の「ズンパッパ」があれほど多彩になりうるのだと知ったのは、衝撃でした。作品観を変えられた演奏といってもいいくらいだったのです。 あれから4年。今回は、それをうわまわる素晴らしいできばえでした。 はじめの1音から持って行かれる。遠くから憧れるように響いてくる金管。そして次の瞬間、オケの総奏が炸裂する。あくまで、エレガントさ、美しさを保ちながら。楽器の色合いを生かしながら。この離れ業ができる指揮者、天才です。序曲から、まずブラボー!の嵐。 冒頭の合唱が始まっても、熱気と集中力は衰えることを知りません。同時に冷静なんです。マリオッティのなかに、「ナブッコ」という作品に対する確固としたイメージができあがっている。すごく大胆で聴かせてくれるんだけど、一歩間違えれば野暮になってしまう部分はすごく繊細に気を使う。たとえばユニゾンで下りてくる合唱のような部分は、とてもていねいに扱うので、野暮にならない。決して粗野にならない。「ナブッコ」においてこのような解釈で成功しているのは、今の指揮者ではマリオッティ以外に知りません。 そして、繰り返しですがひとつひとつの楽器の音の美しいこと。歌心にあふれていること。くっきりと独立性を保っていること。全体として、その音楽性の豊かさ。脱帽です。この音楽を聴いたら、よくきく「ナブッコ」って単純な音楽だから、などという批判的な囁きは、空虚にきこえます。 (一般に思われているワーグナーなどとはまた別の次元で)「ナブッコ」ほど、実は指揮者に左右されるオペラもないのではなかろうか、と思わされた公演でした。 歌手は正直、スカラ座などよりは一ランク下がります。題名役のブルガリアのバス、ストヤノフは、パリだチューリヒだとよく出ているひとですが、無難なのですがいつもながら華に欠け(まじめすぎるのでしょうか)、アビガイッレ役のピロッツィは、高音になると声をはりあげるという、「うまさ」からはほど遠いもの(それでも大喝采というのは疑問です。これって、ムーティがよく批判する「伝統的な」大声はりあげて受けをとる、という演奏の典型かもしれない)。ザツカーリアを歌ったロシアのバス、ベロセスルキーは、以前ムーティの「シモン」でフィエスコを聴いてよかったので期待していたのですが、ちょっと歌い過ぎ?なのかやや不安定。声は迫力があり、イタリアものでもいける範囲だと思うのですが。。。。 全体のバランスとしても、まとまっていたとはいえないキャスティングは残念で(誰がキャスティングしたのかなあ)、なんとなくマリオッティの指揮ならそれこそケルメスのようなピリオド系の歌手で聴いたらエレガントさが生きたのではないかと思ってしまいました。 付け加えて言うなら、パリ在住だという日本人俳優、笈田ヨシによる演出も、コスチュームをつけた演奏会形式の枠を出ないものでした。まあ、観劇のじゃまをされる演出よりはるかにましです。 けれど、それでも、マリオッティの指揮が、彼の解釈による「ナブッコ」が聴けただけで大満足の公演でした。「行け、わが想いよ」のアンコールもありましたしね。 終演後のカーテンコールでは、オーケストラのメンバーと劇場のスタッフが舞台上にぞくぞくとのり、横断幕をかかげて「文化を大切に!」とアピール。劇場前広場でも時々やっていると、当日小耳にはさみました。ボローニャの劇場も、経済的に大変とよくききます。 終演後はマリオッティを出待ち。幕がおりて10分くらいで、あっと言う間に出てきたのも驚きなら、相変わらずかっこいいのも驚き(てことはないか)。あらかじめ楽屋口からお花を差し入れしておいたのですが、「女性から花をもらったのは初めてだよ」と言われてぎゃふん。うーん、イタリア男からは花はもらう側になりたいものです?! それもこれも含めて、終演後のワインが飛切り美味しかったのは、言うまでもありません。「ナブッコ」ほど、viva verdiの言葉がふさわしいオペラは、やっぱり他にないなあ、と思いながら。。。。
October 29, 2013
今年最後のオペラツアーのお仕事で、イタリアに行ってきました。前後の単独行動(パリ、スペインのビルバオ)をはさんで、およそ半月の日程でした。 今回ツアーで訪れたのは、パルマ、ブッセート(ヴェルディの故地)、ミラノ、ボローニャ、そしてトリノ。 観劇したオペラは全部で6本。それぞれ独特の味わいがあり、楽しめました。ヴェルディイヤーでもあり、全演目ヴェルディで通しました。結果、「ナブッコ」から「ファルスタッフ」まで、いろんな時期の作品が体験できたのもよかったんじゃないか、と思います。 個々のオペラの感想はまたおいおい書くことにしまして、真っ先に書きたい、というか改めて思ったのは「イタリア」の(劇場めぐりの)魅力でした。 イタリアがオペラの故地であり、オペラがさかんな国(といってもかなり危うい状態ではありますが)なのは確かですが、オペラの旅先としても、ほんとうに魅力的だということを痛感したのです。 イタリアは、魅力的な町がたくさんあります。それは、この国がずっと中小の国々に分裂していたせいなのですが、そのために、どの町にもちょっとずつ異なる特徴がある。たとえばパルマとボローニャは車で飛ばせば1時間の距離ですが、ハプスブルク家の支配下だった宮廷都市パルマと、都市国家そして教皇領だったボローニャの雰囲気はずいぶん違います。ハプスブルクイエローがあちこちに見られ、どことなく優雅なパルマと、いろんな意味で「赤い」、誇り高い町、ボローニャ。 この2都市の劇場も、やはり相当に雰囲気が違います。もちろんいずれもイタリアの伝統的な歴史ある劇場なのですが、馬蹄形で華やかなパルマと、独特の円形?をしていて渋い色調のボローニャ。そんな劇場は、見るだけでも楽しいものです。そしてパルマから1時間も行けば、大都市ミラノと華麗なるスカラ座があるのです。 今回はとくに、ブッセートの客席300(オケピットを作ると240くらいか)の小劇場、ヴェルディ劇場でもオペラが見られましたし、トリノのモダンな劇場でのオペラもあったので、ほんとうにバラエティ豊かでした。町をめぐるように、劇場を巡る、という気分に浸れました。 イタリアのいいところは、繰り返しですが、このような劇場のある、そして歴史ある町が、車で行ける距離に点在していることです。これだと、旅もしやすい。とくに、ツアーだと行きやすいし、やりやすい。 対してスペインとかフランスとかいう国になると、これがなかなか難しいのです。 フランスにもそれなりのオペラハウスはいくつかありますが、パリを除くとみな遠い。トゥールーズ、ボルドー、ニース、ストラスブールなどなど。リヨンは比較的近いですが、それでもバスでパリから1時間というわけにはいきません。そのように遠い距離にある町を、劇場でいい出し物がある時につないで、たとえばツアーを作るのはまず不可能です。 スペインも同じ。スペインにはバルセロナ、マドリッド、バレンシアなど有名な劇場がいくつかあり、今回自分で初めて行ったビルバオの劇場もよかったですが、やはり遠い。バスで半日、1日がかりになってしまうのですね。 その点、イタリアというのは実に旅がしやすい国だなあ、と、つくづく感じました。 もちろん、町も魅力的です。観光スポットのローマだヴェネツィアだはもちろんですが、イタリアの小さな町をめぐるのは旅の醍醐味だといいたいくらい愉しいものです。どの町にも個性があり、それぞれの空気があり、それぞれの全盛期の美術品が残ります。ふと入った教会で、素晴らしい絵に出くわしたりすると、もうけもの、という気分。今回の旅では、時間のある日にはフェッラーラやベルガモといった町を訪れましたが、いずれも町歩きの愉しい小都市でした。 そして、食べ物がおいしい。 イタリア人の「食」へのこだわりは、日本人にも勝るとも劣らないものですが、とくに彼らは、「郷土」の食にこだわります。グルメ番組も多いですが、お店の紹介というよりその土地の料理の紹介のほうが多いような。だから、それぞれの町にそれぞれの自慢料理があるのです。パスタ料理もしかり。北イタリアでは、いわゆる乾麺のスパゲッティはまず出てきませんが、そのかわり町ごとにお得意のパスタ、あるいはお米料理があります。中身が入っている、いわゆるぎょうざのようなパスタもとても種類が多い。それを、地酒=地ワインといただくのは、オペラに勝るとも劣らない愉しみです。 ドイツも劇場の数はイタリアより多く、その点でもオペラ王国といえばドイツなのかもしれませんが、そういう愉しみは、正直限られていますよね。 そしてイタリアでは、オペラにも、「地」の香りがあります。 決してうまくはないけれど、「ナブッコ」になると抜群にノリがいいオーケストラとか。これも決してうまくはないけれど、なんとなく熱血で客席を沸かせてしまう歌手とか。伝統芸能、郷土芸能的なオペラ。それもまた、匂いがあって面白い。 今回のツアーで、あるお客様が、「完璧なオペラ、っていうのはなかったかも」という感想を漏らされていました。それは、そうかもしれません。「完璧なオペラ」を求めるなら、たとえば、ロイヤルやウィーンやメトやザルツブルクのいい時に行った方がいいのでしょう。 けれど、完璧でなくとも、強烈に印象に残るオペラ、というのが、イタリアにはあるのです。 7月にローマで聴いたムーティの「ナブッコ」。そして今回聴いたなかでは、ボローニャで聴いたマリオッティの「ナブッコ」がそうでした。 より完璧なオペラに近いものなら、今回ならスカラ座の「ドン・カルロ」のほうが完璧に近かったといえます。けれどボローニャの「ナブッコ」は、歌手は決して高水準とはいいがたいながら、マリオッティの素晴らしい、天才的な指揮で、忘れられない公演になりました。 また今年の前半でいえば、「完璧」=揃っている、に近いのは、ドレスデンで聴いたティーレマンの「ばらの騎士」だったかもしれない。けれど、これも歌手はドレスデンほどではなくとも、ムーティの指揮に持って行かれてしまったローマの「ナブッコ」のほうが、はるかに鮮烈な公演でした。少なくとも、私にとっては。 ひとりの天才が決める公演。そういうのが出てきやすいのも、イタリアなんじゃないかな、と思うのです。 イタリア、やっぱりやめられません。
October 28, 2013
今シーズンの新国立劇場の開幕公演は「リゴレット」。 ヴェルディ・イヤーにちなんで、ということですが、「リゴレット」はよくやる演目だし、先月スカラ座が来てやってしまったし、お客さん的にはどうかなあ、と、ヴェルディファンとしてはちょっと気がかりではありました。演出家が、新国で水浸しの「ヴォツェック」をやったドイツ人のクリーゲンブルクというのも、日本のファンの好みに合うかどうかという危惧も、なかったわけではありません。 「ヴォツェック」だと、お客さんもそれなりにコアな層が来るでしょうし、ドイツ系の演劇重視の演出に理解のある人も少なくないでしょうが、「リゴレット」に来る方というと、それこそ先月のスカラ座公演のような、名歌手に伝統的な舞台が好きな方のほうが多いだろうからなあ、と思ったのです。 その危惧は当たらないでもなかったようで、シーズン開幕の土曜日マチネ公演にしては、少々空席も目立ちました。 しかし、内容は、空席があってもったいないと思わせてくれる、充実したものでした。 まずは歌手。よく揃えたと思います。主役のヴラトーニャは近年ヴェルディ・バリトンとして世界中で活躍しているイタリア人歌手ですし、ジルダ役のゴルシュノヴァはドレスデン国立歌劇場の専属だった歌手で、ジルダは得意のレパートリー。そして公爵役のキムは、新国の「椿姫」でも評判になった、よく鳴る甘い声のテノールで、彼も世界中で活躍している歌手です。 3人とも、実際高いレベルでした。(終演後、事前に、このあたり(彼らのキャリア)をもう少しアピールしておけばよかったのかも、と思いました。)これだけのメンバーを揃えられたら、世界のトップクラスの劇場にまったく引けをとりません。 個人的に一番よかったのはゴルシェノヴァ。やや細めですが、よく通る澄んだ声で、高音がよく通ってきれいです。技術もほぼ完璧。それは、先月のスカラ座公演で歌っていたモシュクのような表現力を備えるにはまだ至りませんが、素直でやや硬質の声は、純朴で一途なジルダのキャラクターによくあっていました。この春、日本に来たおりに、新国立劇場にご一緒したドレスデン国立歌劇場の営業部長、シュナイダー嬢が、ゴルシュノヴァがジルダを歌うという広告をみて「彼女のジルダはすばらしいわよ」と言っていた理由が、よくわかりました。 題名役のヴラトーニャ。声はもちろんいいですが、どちらかというと表現力で勝負するバリトンのよう。演劇的といいますか。たとえばあのヌッチのようなけれん味は出さずに、登場人物の心を掘り下げて行くような歌唱。有名なアリア「悪魔め、鬼め」は、ヌッチだと前半と後半をがらりと変えて「聴かせる」のですが、そうはせずに、ごく自然に前半と後半をつないでいく歌い方です。でも、リゴレットの心もようを描き出す点では、うまいなあと思いました。 ロンドンなどでも活躍する韓国人テノールのキム。テノールらしいいい声に恵まれています。甘く、やわらかい色合いがあるのも魅力。技術面では他の2人に1歩譲りますが、テノールらしい「声」を「聴かせる」という意味では十分に堪能させてくれました。 脇役陣のなかでは、モンテローネ伯爵を歌った谷友博さんがよかった。この役はよく年配の歌手が歌うのですが、たしかに老人役とはいえ気迫が必要ですから、谷さんくらい歌い盛りのひとのほうがいいな、と思うのです。今日はその点、満足できました。 新国立劇場合唱団による合唱も、活躍の部分は少ないながら、いつもながらの水準の高さでした。 さて、演出です。 基本的なコンセプトとしては、成功していた、と思います。 舞台はホテル。プログラムのインタビューでクリーゲンブルクは、ホテルは「大都会の代名詞」であり、現代の光と闇が同居している場所である、というようなことを言っていましたが、なるほどです。たしかに16世紀のマントヴァ公の宮廷、華やかで豪華で享楽的だが光と陰が同居している猥雑な場所、を現代に求めるとしたら、高級ホテルかもしれません。悪がなされていても、お客のプライバシーを守るという見地から公にされない場所。マフィアやギャングの本拠のひとつとなっていてもおかしくない場所。 公爵とその取り巻きは、そのホテルを根城にするマフィアのような扮装。舞台の左右にはバーカウンターが設定され、リゴレットとスパラフチーレの出会いはバーで進行します。呪われたリゴレットがやけ酒をあおったりするシーンも、自然でリアル。 メインの装置は、舞台正面に据えられた巨大な円形の、ホテル内部をあらわす装置。新国の回転舞台をうまく使い、高さも生かして迫力でした。階段をゆききする動きも面白かった。 第3幕はホテルの屋上。スパラフチーレのようなアウトローたちのたまり場という設定。ホテルの暗黒面の象徴です。「スプマンテ ドウカ(公爵)」、「マントヴァ ビール」などのネオンサインが輝き、思わずくすり。よくできているな、と思いました。 照明も明るくて舞台が見やすかったし(これ、結構大事だと思います。暗い舞台は見づらくて効果が半減です)、女流のホフマンによる衣装も、和装の趣味を適度に取り入れた、おしゃれで美しいものでした。女のはしくれとしては、あの衣装を見るだけでも楽しめました。 唯一よけいだったのは、第2幕の冒頭で、半裸の女性たちが公爵やその取り巻きに弄ばれるシーン。あれはちょっと説明過剰でしょう。(げんに、観客のアンケートにある感想で、あのシーンがいちばん評判が悪かったと、新国のひとにききました)。どこかで観たような気もがしましたが、そう、ザルツブルクで上演されていた、下着姿の女性が続出するクシェイ演出の「ドン・ジョヴァンニ」の舞台に似ていましたね。 ちょっと物足りなかったのは指揮(ピエトロ・リッツォ)。イタリア系の指揮者ですが、あまりイタリアっぽくない。以前新国で「トロヴァトーレ」も指揮していましたが、その時も感じましたが、イタリア人にしてはかなりシンフォニックで、切れ味が重い。歌のことはあるていどわかっていると思いますし、慎重でていねいといえばそうなのですが、ヴェルディの音楽はもっと断固としたものが必要です。熱い、巻き込んで行くようなものと突き放せる冷静さ。情熱と冷静の同居。それが必要だとつくづくおもいます。後、ドラマを描く力ですね。それらの点で、ちょっと物足りない。 新国は、ワーグナーのペーター・シュナイダーとか、ドイツものにはいい指揮者を連れてくる一方で、イタリア系の作品に関しては指揮者がいまひとつ。これまでその方面でよかったのはパルンボとカリニャーニくらいでしょうか。イタリア人のいい指揮者は若手からベテランまで大勢いますので、ぜひ一考をお願いしたいところです。開幕公演だったら、来月N響で「シモン」を振る大ベテランのサンティあたりに頼んだって、いいんじゃないかなあ????? N響にはノセダとかザネッティとかいっぱい出てますよね。 とはいえ、全体的には高水準の公演。スカラ座の来日公演の値段を考えたら、いい席でも半分以下、手頃な席だと1万円以下で楽しめます。どうしようかな、と考えていらっしゃる方は、ぜひ。 追記新国のプログラムはいつも幅広い執筆者がいろんな視点から書かれていて、勉強になります。今回のはとりわけ充実していました。作劇法に関する森田学さんのエッセイ、ヴェルディ歌唱の変遷をわかりやすく解説している水谷彰良氏のエッセイなど(いわゆるイタリアオペラの「黄金時代」は伝統の継承という見地からみると邪道、というのは目からうろこ)、ハプスブルクなど西洋史の専門家である菊池良生氏の検閲をめぐる話など、どれも読み応え満点で新鮮で、勉強になりました。「リゴレット」のプログラムなんて(どうせわかったことしかないんだろう)」という先入観を打ち破ります。ぜひご覧ください。(私も末席をけがしておりますが。。。 )
October 13, 2013
やってしまいました。 「ジュゼッペ・ヴェルディの200歳のお誕生日を祝う会」です。 発端は、「イグ・ノーベル賞」だったような気がしますが、定かではありません。「心臓移植したマウスに「椿姫」を聴かせたら寿命が延びた、モーツァルトや「エンヤ」より延びた」という研究結果でしたが、それをみて、「やはり今年はヴェルディの年なのだ」と思ったような。そしてふと、「ヴェルディの200歳のお誕生日パーティをやりたい!」と思ったのですね。だって、好きな作曲家の生誕200年なんて、どう考えたって、自分の人生でもうないもの。 「ヴェルディの誕生日パーティ、やりたいなあ」 あるひとにそうもらしたら、 「面白い。やりましょう!」 別のグループの、頼りにしているお姉様方にも話したら、「あら、面白いじゃない、やりましょうよ!」 持つべきものは、オペラファンのサポーター?であります。 では、場所をどうするか。 これも、数日で決まってしまいました。 当初、イタリアンレストランを考えたのですが、知っていてかし切りにできそうなところは、せいぜい20名くらいしか入らない。それじゃ、ちょっと寂しいなと。で、ネットで探したりして、下見に行く候補を決めていたのですが。 「うちでできるかもしれません」 このブログにも書いた、演奏会形式によるスカラ座の「アイーダ」に行った帰り、何人かの知人と飲んだ時に、ある一流ホテルに勤める女性がそういってくれたのです。 実は彼女は、かつて私が企画した「ヴェルディへの旅」に添乗してくれた女性でした。その後転職をし、今は六本木にあるあの「リッツ・カールトン」で仕事をしているのでした。 「え、だって、リッツなんて高いでしょ?せいぜい会費1万円くらいでやりたいんだけど。。。」 「うーん。ちょっとやってみますけど、多分大丈夫だと思う」 素晴らしい! 翌日、さっそく彼女から連絡がありました。会費1万円は可能。ただ、誕生日当日の10日は会場がふさがっていて、11日なら大丈夫、だという。 ちょっと悩みましたね。やはり誕生日当日にやりたかったので。 けれど、第一声から相談し、結果的にすべての雑務を引き受けてくれたサポーターのK氏にも相談した結果、 「この会場がとれるなら、 11日でもやむを得ないのでは」 という結論になったのです。 これまで仕事がらみで数十件のパーティにかかわってきたK氏いわく、レストランなどだと人数の変更とか、出し物とか、いろんな準備が大変。ホテルはプロだから、安心して任せられる。 なるほど。じゃ、そうしよう。 さて、それからが、当然ながら大変でした。だって10月11日にリッツでやると決まったのが、9月の20日過ぎ。人集め(告知)から、パーティの内容から食事から、いろんなことが襲ってきた訳です。 一番大変だったのは、やはりお知らせですね。どんな方にお知らせするか、どこまでお知らせするか。 基本的には、私のツアーにいらしてくださった方とか、講座にきてくださっている方か、オペラ仲間でしたが、業界?の方をどうするかとか、いろいろ考えました。 また連絡手段も、年配の方だとメールをなさらない方も多く、そうすると郵送になるので、その準備も大変かなと迷ったりもしました。 当初は、メールで連絡のつく方にご案内していたのですが(電子メールの便利さを改めて痛感しました)、途中から、連絡手段が違うからとお知らせしないのは申し訳ないと思い、メールのない方には郵送でご案内しました。これが100通超。かたわら、業界の方などにもぼちぼちお声かけしましたが、やはりお忙しい方が多かったので、こちらは途中から諦めモードというか、わりと半端なご案内にはなってしまいました。 とはいえ、最終的には80名を超える方から出席のお返事をいただくことができました。 さあ、次は中身です。まず料理は「ヴェルディの好物」をいくつかいれてほしいとリクエスト。「ヴェルディ風リゾット」「ミラノ風リゾット」「洋梨の赤ワイン煮」、「パルマ産の生ハム」などを入れていただけることに。そしてデザートのメインは、「オテッロ」を作曲しているとき、それを「チョコレート計画」と呼んでいたことにちなんで、「チョコレートケーキ」を特注しました。 乾杯は、これはやはり「乾杯の歌」ですよね。何と、ばりばりの現役スターが2名来場いただけることに。二期会の今や花形ソプラノの安藤赴美子さん、そして藤原歌劇団を代表するバスの東原貞彦さんが来場くださり、歌ってくださることになりました。 そしてそして、「くじ引き」を予定していたら、続々と業界の方から豪華景品が!トリノ王立歌劇場「仮面舞踏会」ペアチケット、ライブビューイング「ファルスタッフ」ペアチケット、「ムーティ ヴェルディを語る」レクチャーのペアチケット、ムーティ自伝、そして、安藤さん主演の二期会「ドンカルロ」公演ペアチケット!!!急なお話にもかかわらず、絶大なご協力をいただくことができました。 そしてとどめに、あのアンドレア・バッティストーニからも、このパーティのためにメッセージをもらうことができたのです。 天国のヴェルディも、この企画をそっと後押ししてくれたのかもしれない。そんなことを思ってしまったほど、とんとん拍子の展開になりました。(まあ、郵送の案内状の準備をしていたあたりでは、「何やっているんだろう」とさすがにひとり首をひねって?いましたけれど) さて、当日。 開宴の1時間くらい前に会場入りしましたが、会場や受付、そしてお持ち帰りいただく雑誌(ショパン株式会社より、雑誌「ハンナ」をご提供いただきました)やちらしの準備でてんやわんや。ここでも、ボランティアの頼もしいお姉様たちや、主催者の方々の奮闘に助けられました。 開宴後は、これもかけつけてくださったイタリア大使館の文化参事官、DRモルテリーニ氏の主賓スピーチでスタート。安藤、東原両氏による「乾杯の歌」で乾杯(贅沢でした)。今や乗りに乗っている安藤さん、やはりオーラがあります。きりっとしてよく伸び、独特の輝きを帯びた声が会場を貫いてゆきました。 歓談の後、いよいよ「チョコレートケーキ」が登場。リッツカールトン特製のチョコレートケーキは、上にいちごがぎっしり!乗っている、チョコレートクリームのショートケーキタイプ。ろうそくも点いた状態で出てきて、あるヴェルディファンの「なぜチョコレートケーキか」の講釈のあと、皆で「ハッピーバースデー」をイタリア語で斉唱。ろうそくを吹き消して、誕生日気分を盛り上げます。 パーティの後半のハイライトはくじ引き。上にあげたような豪華景品が目白押し。やはり盛り上がります。チケットに加えて、ヴェルディが好きだったといわれるキャンティのワイン、「ヴェルディ切手」やCDも登場。〆はホテルのランチ券。けっこう、これが羨望の的だったりするんですね。 開宴から2時間超がすぎ、パーティは9時10分ごろお開きになりましたが、久しぶりに再会を果たした方も多く、ロビーでも歓談の花が咲いていました。 こちらはといえば、リクエストした「ヴェルディの好物」もほとんど口にできず、ばたばたと走り回っていた2時間でしたが、ほんとうに貴重な、宝物のような時間だったような気がします。 ご参集くださったみなさま、ありがとうございました。そして Viva e buon compleanno Maestro Verdi !!!
October 12, 2013
オペラファンの目(と耳)が、肥えている。 そう思うことは、けっこう日常的になりました。コストパフォーマンスのいい公演には、みなさん敏感です。一方で、それなりの値段の公演は、なかなか難しい。公演が多いということもあるのかもしれませんが。。。。景気がまだまだ、ということだって無関係ではないと思うのですが、景気の影響を大きく受けるのは、浮動層(という言い方が適切ならば)でしょう。コアなファンはコスパをちゃんとみている、と思います。 最近そう思った好例が、昭和音楽大学のオペラ公演「オベルト サン・ボニファーチョ伯爵」でした。 「オベルト」はヴェルディの処女オペラ。習作的な部分も少なくなく、その2つ後の作品で爆発的な成功を収めた「ナブッコ」に比べるとまだまだ個性が開花している訳ではないので、あまり上演の機会には恵まれません。今回、昭和音楽大学でとりあげられたのは、生誕200年というきっかけあってのことでした。 とはいえ、これがなかなかの豪華版。指揮も演出も美術も衣装もイタリアから招聘。それも、ボローニャの来日公演だのびわ湖のヴェルディシリーズだの、藤原の公演だので日本に招かれている一流どころばかり。主役陣もそれなりに活躍しているプロですし、学生は、といえばオーケストラと合唱。彼らにとってはまたとない勉強の場です。 それで、チケット代はS席で4500円。「満席です」と関係者からききましたが、さもありなん、とうなずけたことでした。ファンの方はみなさん、知っているのです。めったに観られないオペラ、というのももちろんあったと思いますけれど、この内容で4500円は破格でしょう。 公演自体も、満足のいく水準でした。 いちばんの収穫は、スカラ座のアカデミーで活躍するベテラン、ダンテ・マッツォーラの指揮。やや荒削りなところもある若きヴェルディの音楽を、粗野になることなくうまくまとめていました。旋律線を描きだすのも自然だし、「ウンパカパ」のリズムもクッションをおいて、柔硬おりまぜてうまく聴かせます。ベテランの味わいとはこういうものか、という感じ。オーケストラのメンバーは、とても勉強になったのではないでしょうか。 歌手陣も女性を中心に収穫がありました。レオノーラ役の廣田美穂さんは、澄んだ、立体感のある声で、響かせるのがうまく、表情づけも自然。最後のアリアでは、死体となって運ばれてきた父オベルトにとりすがる演技も迫真で、涙を誘われました。クニーツァ役の丹呉由利子さんも優等生的なていねいな歌唱で、好感が持てました。 合唱も、男声を中心に、ていねいな演技とあわせて高水準。オーケストラともども、イタリアの地方の劇場よりよほどうまいのでは、と思わされました。 世界で活躍するマルコ・ガンディーニの演出は、舞台上に幕をたらし、その幕をあるときは上げ、あるときはおろし、ある時はその間に隙間を作って、幕の向こうの空間にたえず変化を与えることで、場面の雰囲気や人物の感情を示唆するという方法。基本的にはイタリア人らしい美しい舞台で、シンプルですが(限られているだろう予算のなかでうまくやっていたと思います)美しい。イタロ・グラッシの舞台美術、伝統的な雰囲気ですがシンプルで洗練されているシモーナ・モレージの衣装ともども、イタリア人の美学を体現してくれました。 そう、これで、4500円。人が入って、当然かもしれません。 いつも思うのですが、コアなファンというのは、定番の演目よりあまり上演されない演目を観たい気持ちが強いのではないでしょうか。そういう演目を、それなりのレベル、伝統的な美しさを踏み外さない舞台、そして「お得」な価格で観たい。それが、ひとつの要望なのではないか、と改めて思った、「オベルト」体験だったのでした。
October 7, 2013
「オペラにはまったきっかけ」をきかれることが、よくあります。 答えはきまって、「リゴレット(の四重唱)」。 小学生の頃、NHKイタリア歌劇団の来日公演の録画の放送をたまたまテレビで観て、音楽、とくに「四重唱」の音楽が耳について離れず、覚えたばかりの自転車に乗りながら口ずさんでいたらこけてしまった、という話を、しゃべり散らしたり書き散らしたりしているのですが、とにもかくにも、初めて耳に残ったオペラは「リゴレット」でした。その時のNHKイタリア歌劇団の公演では、もちろん他の演目もあったわけですが。 その時に公爵を歌っていたのが(後で知りましたが)パヴァロッティだったので、まあそのせいもあるのだろう、とも思っています。 が、最近、面白い話をききました。 友人、知人のなかで、とくにマニアではないけれど、年に1回くらいオペラに行きたい、というひとたちのグループができて、私が公演の選択とチケットの手配(なるべくコストパフォーマンスがいいよう考えていますが。。。)をやっています。 今年はスカラ座の「リゴレット」で、ベストキャストの初日を取り(3階席でしたが)、出来も素晴らしかったので感激してもらえました。 で、そのメンバーのひとりが、公演前に予習をかねて自宅でDVDを観ていたら、小学校低学年のお嬢さんが、「食いついてみていた」というのです。「いつ死ぬの?」とかききながら。 彼女が公演にいっている間、お嬢さんはお母様に面倒をみてもらっていたそうなのですが、帰ってきたら、また「リゴレット」のDVDを観ていたのだそう。お母様いわく「だって本人が観たいというから」。 「このオペラ、話とか説明できないし、子供にはどうかな、と思うんですけどねえ」 本人は、嬉しいようなぼやきたいような、複雑な心境のようでした。「オペラの話って、子供向けじゃないし、どう話していいかわからない」。たしかにねえ。 ちなみにそのお嬢さん、彼女が私たちと行った演目もよく覚えているようで、「リゴレット」の前は「トスカ」、その前は「清教徒」だったのですが、見た順番まで覚えていたそうです。ご本人は「リゴレット」の前は「清教徒」を見た、と勘違いしていたのを、「訂正されました」と苦笑いしていました。 うーん、だから、子供に訴える力って、題材(物語)とかそういう問題じゃないんですね、きっと。 いくら子供向けだといっても、「ヘンゼルとグレーテル」じゃ、舞台があってなんぼ。音楽が耳について離れない、というわけにはいかないんじゃないかなあ。フンパーディンクには申し訳ないけれど。 「リゴレット」という作品の引力を、改めて感じたできごとでした。 この秋も、懲りずに、あるカルチャーセンターでヴェルディ(とワーグナー)の話をしているのですが、作品をざっと見渡した時に、「リゴレット」ってターニングポイントだなあ、とつくづく思うのです。ドラマトゥルギーの発見、といったらいいでしょうか。作品に引き込む力がすごく強い。おそらく「椿姫」より強いのではないでしょうか。 そういう「力」って、子供にも伝わるのかもしれない、と、改めて思ったのでありました。追記 ところで、ある講義の準備のために、拙著「ようこそオペラ!」を読み返していたら、そのなかにあった大野和士さんの言葉のなかに、「子供もオペラがいちばんとっつきやすいのでは。子供を対象に「ドン・ジョヴァンニ」のハイライトをやったときは、「もう終わっちゃうの?やだ〜」と言う声が起こった」というくだりがありました。 私も昔そう思いましたよ。音楽とお話と、両方一緒に楽しめるものって、なかなかないよね、と。 やっぱりそれも一理あったのではないかなあ、と追憶に浸っている、(夏のような気候の)秋の夜です。
October 7, 2013
慣習になってしまっているオペラのタイトルを、「本来のタイトル」に戻そう、という動きが、時々あります。 よく言われるのは、「椿姫」でなく、原題の「ラ・トラヴィアータ(「道を外れた女)」に戻すべき、という意見。実際、日本ヴェルディ協会や藤原歌劇団、二期会などでは、「ラ・トラヴィアータ」を採用しています。 まあ、この作品の場合、 (原作の小説の邦題にあわせて)「椿姫」なんて呼んでいるのは日本くらいで、他の国ではすべて原題の「la traviata」ですので、変えるべき、という意見はもっともです。ただ、「椿姫」というタイトルが浸透しすぎているので、いまさら、という気もしないでもありません。ロマンティックな匂いがぷんぷんする「椿姫」を捨てるのは、とりわけ「ヴィオレッタ」に恋しているオールドファンには、どうでしょうか。「道を外れた女」と言われると、夢を破られるような気がしないかしらん。 それよりむしろ個人的に気になるのは、「セビリヤの理髪師」のケースです。 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、「セビリヤの理髪師」はもともと、「アルマヴィーヴァ(=伯爵のこと)」というタイトルでした。というのも、初演でガルシアという非凡なテノールを得られたため、主役を彼に想定、伯爵のパートは彼にあわせて書かれ、きわめて難易度が高い、主役にふさわしいものとなったからです。 とはいえ、解説書によく書かれているように、オペラのストーリーはパイジェッロの「セビリヤの理髪師」を土台にしていますし、初演後間もなく「セビリヤの理髪師」のタイトルでも呼ばれるようになったようですが。 「セビリヤの理髪師」の呼び名が定着したのは、並みのテノールでは、伯爵のパートが歌えない、ということもあったのでしょう。全曲の最後に置かれた伯爵の大アリア「もう、やめるのだ」も、ガルシアが出なくなると歌われなくなったようです。 とはいえ、ご承知のように、最近のロッシーニ・ルネッサンスに合わせて、伯爵を歌う歌手によっては大アリアも復活しています。私が初めてこのアリアを聴いたのはフローレスでしたが、ほんとうに驚愕しました。「アルマヴィーヴァ」と名づけられた理由が分かった気がしたのです。 他にもシラクーザなど、今このアリアを歌ってくれるテノールは何人かいます。それを聴くたびに、この作品は「アルマヴィーヴァ」と呼ばれるべきだ、と痛感します。 つい先頃も改めてそう思ったのは、メトロポリタンオペラのライブビューイングのアンコール上映で、「セビリヤの理髪師」(2005−6シーズンの再上映)を観たとき。 フローレスの伯爵が声も姿も光り輝く舞台なのですが、満足して映画館を出、駅に向かって歩いている時、やはり「セビリヤ」を見た帰りの、後ろを歩いているカップルの話を小耳にはさんでしまいました。 女性「なんか、あのひと(伯爵=フローレス)のほうが主役みたいだよね」 男性「違うよ、主役はフィガロだよ。「セビリヤの理髪師」だもん」 たしかに映像でも、フィガロ役のマッティのインタビューがやたら長くて、フローレスはディドナートと一緒のインタビューで、準主役扱い。それは、ないよねえ、と言いたくなります。 そろそろ、彼(やシラクーザ)が歌うときは、「アルマヴィーヴァ」に戻した方がいいんじゃないか、本気で、そう思います。
October 6, 2013
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