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(6/28のつづき)継続は力。日本人が大好きな言葉。私も大好き。天才とは続けることのできる人間、と定義するくらいだから。私はすぐにギヴアップし、そしてすぐに切れる人間を、凡人と定義してしまう。定義に強い国民は欧米人と中国人。日本人はいい加減。定義のできない人が多い。だからディベートが苦手。サムライとは、「利」より「義」をとる、と私は言う。(つづく)
2010年06月29日
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(6/25のつづき)李白は、陽明学でいう「狂」(常軌を逸した行為)の実践者だ。酒が大好き(横井小楠のように)、詩、女(4人の妻がいた)、刀剣(文武両道)、そして老荘思想に酔った。手塚治虫のようにユートピアを求めたロマンチスト。なぜあのとき長安(日本でいえば東京)へ行かなかったのか。なぜ出世の手段である、科挙の試験を受けなかったのか。多分先祖が西域へ流罪されたことがトラウマになっていたのでは。「李白」の著者である安楽氏は、李白は、咎の反作用の幽人だと表現する。私の言葉でいえば、逆境ゆえに青く燃えざるをえなかった悲運の詩人ということになろうか。この日、講談社インターから電話があり、編集会議で「武士道」がパスしたという。出雲の神々さま、ありがとう--。(つづく)
2010年06月28日
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(6/24のつづき)どういうわけか春日井図書館で最初に手にしたのは「李白」の本だ。九天に上って遊ぶが如し――隠岐の島の頂上から見渡せば地球が丸見えとなったことを思い出した。清風朗月一銭の買うを用いず――風や月をエンジョイするのに、一銭のカネもかからない。どうも李白が近くに感じる。経済的な窮地に立たされると、同じく悲運の烈士が身近に感じる。李白を天才とすれば杜甫は秀才だ。この相性のよい二人の詩人は、どちらも裏に徹した。表は科挙(進士)を受けるエリートだ。ランクを意識する日本の大学は、こういう社会的ステータスを気にする。(つづく)
2010年06月25日
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(6/23のつづき)5月17日の日記にこう書いた。 高学歴は、play games (手打ちをする)低学歴は、play for real (真剣勝負)Samurai, regardless of academic credentials, prefer to play for real(サムライは、学歴に拘らず、真剣勝負を好む)考えてみれば、竹島問題(隠岐ではこの話が多かった)も日韓両国の交渉で戦争であった。裏で闘った立役者の矢次一夫(岸信介の参謀)と柳泰夏(李承晩の参謀)の二人はどちらも、学歴のないサムライであった。表の人間はランキングを気にするが、裏の人間(昔の任侠の徒)はサムライと同じく、虚より実をとる。(つづく)
2010年06月24日
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(6/22のつづき)名古屋の家に戻る。一通の手紙が気になった。勝手連の光永勇会長が、永田町にオフィスを構えるという。勇ましい。18歳のときに、学校教育に疑問を持ち、公立高校に対し、自立し、宮古大学を設立している。宮古島に私立大学を建てた当時、14,5名というが今は日本を動かす一大勢力となった。江戸のド真中で旗揚げするという。島の人間はスケールがでかい。いや学歴の低い人間は、失うものが少ないだけに、バカでかいリスクがとれる。(つづく)
2010年06月23日
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(6/19のつづき)たとえ条件が悪くても、この島を死守する気概が、日本という本島を守るのだという私の大義名分を奮い立たせることになる。そう考えるだけでゾクゾクする。AIUがN学園になり、私塾の雄たる私が「公」の教育に乗り出すことになる。なんと痛快な発想ではないか。だれが朝敵になるかは、だれが玉をとるか次第だ。出雲の稲佐の浜で、イナ(YES)かサ(NO)の綱引き交渉でもやってみるか。神風連の悲願が聞こえる――朝敵するのもくにのため~~また民のため~~(つづく)
2010年06月22日
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(6/17のつづき)もう飛行機が待っている。大阪へ戻った私は、大阪紘道館(木澤リーダー)を訪れた。心はまだ隠岐にある。あの3日間、私の心に何が起こったのだろう。My mind is with Tokyo. But my heart is with Oki. 隠岐の人は血気盛んだ。今でも小・中学校で相撲大会が行われている。牛突き行事も盛ん。しかし、ここには情理がある。"人情"相撲というのがそれだ。最初に勝った力士は、二度目はわざと負けるという取り決めがある。八百長相撲ではない。敗者の面子も立てる人情相撲だ。もし、この人情相撲がAIUのN学長と私の間で行われたら、二人の面目も保たれ和合するのだが。私はできる(スズムシから学んだ知恵がある)が、相手はできない。となれば、縁がなかったことになる。(つづく)
2010年06月19日
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(6/17のつづき)隠岐騒動や文武館の話にまで飛火した。中沼了三をスピリットとする尊皇攘夷の乱(隠岐騒動)の首魁は、水若酢神社の宮司だったという。宮司が正義党のリーダーとは。やはり神の国。ここは今も神楽が盛んだ。神楽を舞われる岩元氏も「神楽がなくなればムラは亡くなります。ここに人がムラがるのですから」という。佐渡島のばあさんの言葉を思い出した。「祭りがあれば、佐渡島は亡くなりません」と。こういう発想は大都会では生まれない。やはり、国際究論大学は、この島がいいか。心は千々に乱れる。(つづく)
2010年06月18日
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(6/16のつづき)隠岐の最後の日も、白島海岸から大山がくっきり見えた。4日間晴天続きとは、奇蹟的らしい。神々に迎えられているのか。畏れながら、ふとそう感じてしまった。日曜日というのに、隠岐酒造の毛利常務取締役(元社長の毛利氏は今も健在)が地酒をふるまってくださった。話がつきなかった。「隠岐誉」そして「建武」――勇ましい銘柄ばかり。海藻焼酎も飲んだ(ちょっとくせのある味だった)。(つづく)
2010年06月17日
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(6/15のつづき)人口が減り、廃島に近くなると、他国から占領されてしまう。尖閣諸島、竹島、対馬のように、実質上外国人に占領されてしまう。島じゃなくて、岩じゃないかと勝手に定義されて、ディベートに弱い日本の政治家は反論もできず、あっという間に占領されてしまう。もし、道前(西ノ島町、知夫村、海士町)がナワバリにこだわったら、隠岐全体の将来が、危うくなってしまう。私は「ここに磁石にすればどうか」と言った。ここには配流された後鳥羽院(19年のちにこの島で崩御)と無事脱出された後醍醐天皇という、皇道の鬼たちの後楯がある。横井小楠を、そして私を惹きつける一番大きな理由は、両天皇が残された威光だ。(つづく)
2010年06月16日
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(6/13のつづき)たしかに、島後を一日回ってわかったことは、ここの人は危機意識に乏しいということだ。すばらしい漁港、整備された町。空気はうまい。酒も美味しい(隠岐酒造のトップにも会った)。飛行場がある。「先生の私塾大学は、こちらの島の方がふさわしいですよ」という人がいた。いや武士の惻隠の情からすれば、やはり沖ノ島だ、といえば、牧尾実(『隠岐共和国』の著者)は、「もちろん海士でもいいですよ。隠岐が残ればいいのですから」と、太っ腹なところを見せる。(つづく)
2010年06月15日
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(6/12のつづき)隠岐諸島を日本の縮図とすれば、ここを立ち直らせれば沈みゆく日本を救うことができる。大都会より、ここが先か、と考えたが、また迷った。まてよ、この貧乏町では、生活費が稼げそうにない。また、収入より出費が増えるプロジェクトになってしまう。ただ町長の言葉がひっかかった。「海の武士道ですか。この町は海士(あま)町、つまり海のサムライの町ですよ」。なるほど、サムライという言葉に弱い私だ。翌日は、人口1.6万人で隠岐最大の島、島後(ドウゴ)へ渡る。ここには川があった。かっぱ遊覧船で八尾川周遊をする。吉元氏が隠岐で最後に残るのは、この島だろう、という意味がわかった。(つづく)
2010年06月13日
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(6/11のつづき)一年のときから日本語で究論(ディベート)をさせる。思考訓練が終ってから、グローバル言語の英語を叩き込む。そして英語は基礎(発音、文法)から徹底させる。音読から速読へ、英語でディベート(大学院は交渉)をさせる。ローカルICEE祭りを行う。本土から学生が集まるようなa magnet(メッカ)にする。このままでは道前高校(島での唯一の高校)がなくなる。そうすればこの島は消える。「吉本操氏は、この高校を守るために、命を懸けています」という。竜馬のような岩本悠一(ソニーを辞めて、この島へ移ってきた熱血漢)がいる。彼らは海士(あま)大学を設置し、人口流出を防ぐのだと、身体を張っている。そして、傷ましい町長を懸命に支えている。(つづく)
2010年06月12日
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(6/9のつづき)島を守ることは品格ではなく、気概なのだ。この町では、元服制度(立春という)が残っており、中学2年からこの伝統的な儀式を行うという。私のディベート大学教育はいつからやるのが理想的かと問われ、ただちに元服を終えた直後から、と答えた。まず、郷土愛、足腰を強くするために、相撲大会は従来通り強制させ、18才までには、農業、漁業の人通りの知識は身につけさせる。。ローカルの漁師、農夫のベテランから直接学ばせ、実践させる。これを実学と呼ぶ。いくら学歴があっても教えることだけの虚学のプロではなく、知行合一(陽明学)の精神で、師弟一如となって共に学ぶ村塾を目指す。晴耕雨読を実践。そして郷中教育、郷土史、日本史、世界史(それぞれの歴史に、マッチする神話を同時に教える)は必須。まずローカル・プライドを植えつける。(つづく)
2010年06月11日
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(6/7のつづき)話題の山内道雄町長に会う前に、タクシーで島を半周回った。うーん、ここなら国際ディベート大学の候補地の一つになるな。三大美村(「日本で最も美しい村」連合に加盟している)、そして山の伏流水がまた美味しい。ラフカディオ・ハーンがここを永住の地にしたいといったが、女房に断られたという港町。鏡のように滑らかで静かな海。半漁半農の町。やり手で知られた山内町長(私より一歳上)は、スケールがでかい人物だ。自ら給料を大幅にカットした。島を死守するための自己犠牲のゼスチャーだ。それに触発された職員たちも自主的に賃金カットを申し出し、鬼の町長を泣かせたという。まるで上杉鷹山。(つづく)
2010年06月09日
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(6/6のつづき)今私は修験道を意識している。――修験者が登りつめたる焼火山 これぞ誠の常若(とこわか)の道いかに70歳といえども、私はまだ若いのだというつっぱりもある。降りてすぐに別府港に近い黒木御所(後醍醐天皇の)を訪れた。その受付けの人は、なんと焼火神社の松浦道仁宮司(48)であった。教育論や天皇論で花が咲いた。次の宿泊先は、同じく島前の中之島。菱浦港に着く。ここはまるで別世界。(つづく)
2010年06月07日
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(6/5のつづき)「隠岐の海」が4連敗。気の毒だ、もう見たくないと島の人はいう。しかしみんなが心を痛めながら見続けているのだ。翌朝、焼火山(たくひやま)を登った。足が棒になるまで登りつめたところに焼火神社がある。宮崎駿が喜びそうな風景。境内には猫一匹いなかった。社務所にもだれもいない。マムシにも会わなかった。竹の杖も必要はなかった。まるで私がこの山を独り占めしているような気になった。(つづく)
2010年06月06日
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(6/3のつづき)西之島町は、美しい島だった。息を呑むような絶景(a breath-takingly beautiful island)、国賀海岸からは日御崎や大山が見えた。タクシーの運転手は、うーむ、こんな絶好の日和はなかった、と何度も唸っていた。多雨の出雲へは何度も来ているが、これまで一度も雨に降られたことはない。運転手がボソッという。「島の人は、いいことをしても当り前、悪いことをしたら許されません」と。人間力を鍛えるのは、やはり島か。弁護士も警察もいらない。周囲の村人たちの眼が光っているだけだ。村から町へ、市へ発展するにつれ、犯罪が増える。ただ、村人はライバルに負けまいという気迫に乏しいのでは。(つづく)
2010年06月05日
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(6/2のつづき)――八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくるその八重垣を――スサノオのこの歌が日本最初の和歌とされている。ここから出雲という名称が生まれた。 翌日私も一句浮んだ。――八重垣の沖に隠れし隠岐の鬼 ミカド救うは鬼の鬼なり――この鬼はサムライのつもりで書いた。鬼はdevil(邪気)ではない。天皇にも憑依する。建武の中興の士、後醍醐天皇も一種の鬼ではないか。弥生人に追われた縄文人、そして表の天皇の守る裏の武士(サムライ)--これらは全て鬼である。大楠公に魅せられた横井小楠は、自らの名前を小楠とした。これも多感なサムライ。そして末席を穢すようだが、私も英語の鬼、いや英語の天狗か。今、護国の鬼にならんとしている。(つづく)
2010年06月03日
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(6/1のつづき)そこで我々は向かい、叶い石に清めの願をかけることにした。神社で拝むときは、願いごとをせず、ただ感謝するのみだと自らに誓っていたが、今回は違う。平成武士道(仮題)を現実のものにしたい(編集会議をクリアして欲しい)という切実な願いがある。願い事を書いた。「出雲のご縁ネットワークにより平成武士道がブレークし、世界平和のため、一隅を照らせん(make a difference)ことを念ず」と。御神籤は末吉。多難が続きそうだ。(つづく)
2010年06月02日
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(5/29のつづき)下山して和歌発祥の地である須賀宮へ向い参拝。行くところ、どこでも六角形の紋がある。それにしても、平成武士道の精神は、スサノオノミコトから--つまり神話から--始まると言い続けてきただけに不気味だ。初めて会った野津氏が私がまさに求めていた由縁の地へ導いてくれたのである。その参拝の途中に、講談社インターナショナルの倉持哲夫編集長からケータイ電話がかかる。編集会議が近づいている。武士道を英語で書きたいと申し出ている私の意向を伝えたいのだが、「英語の先生でしょう」という冷たい声もあり、説得に難航しておられるようだ。英語の達人ということで、どこか偏見がある。日本の文化など書けるはずがない、という先入観が。(つづく)
2010年06月01日
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