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(2/27のつづき)こんなところを永住の地にする気持は、今のところない。自然に生える明日葉(アシタバ)があれば、生き延びれるってもんじゃない。急に海の縄文人に戻れるわけがない。3月6日は、天下に向って、吼えるのだ。私が公けになる儀式だ。これは、犬の近吠えではない、狼の遠吼えなのだ。世界に向っても吼えるつもりだ。世界平和を、核の廃絶を。そして、夏が来れば、また松川村を訪れ、スズムシたちと旅ができる。あの霊妙な音楽が懐かしい。ところで本当に三宅島にスズムシがいるのか、確かめたい。こんなに複雑で、まとまりのない思考がつむじ風のように吹き回っている。(つづく)
2010年02月28日
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(2/25のつづき)今の私はつむじ風の渦中にある。私の周囲の人間関係がコロコロ変る。三宅島と八丈島で考えた。なんでこうなるの、このオレは。/のあとは\。∧男のあとは∨。それなのに女の時になってもクルクル変る。悲観的になると、また新しい女との出会いが待っている。神しぐみなのか。つむじ風のいたずらなのか。AIUの学生から、「先生帰ってきて下さい」という電話が入る。「それを決めるのは学校側だから」とつれなく距離を置く。南極に残してきた秋田犬が吠えている。胸が痛む。しかし、今はまだ最南端の離島で漂っている。ちょっと風が吹けば、波が立ち、着陸できない流刑の地。出港することもできないこともある。(つづく)
2010年02月27日
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(2/24のつづき)まず、陰口をたたく、その人物を、警戒してしまう。真の参謀は、甘言で近寄る人をまず警戒する。つまり熱心に近づこうとする人をかえって警戒する。そこに「Why?」が入る。シャーロック・ホームズならずとも、勘でわかる。ドタキャンする人は、どんな人かわかる。される前に手を打っておく。(そのためにどの血液型にドタキャンが多いか。統計的にわかる)。今回の窓口チェンジには参った。浜岡氏に司会交替の可能性をほのめかしていたのも予兆があったからだ。しかし、キャッチャーの急変更は、この歳で骨身にこたえた。悶々とした。いかに名キャッチャーといえ、浜岡氏にも叱られた。「先生ご自身の負担は50万円を超えることになります。とにかくあと一ヶ月、何の引継ぎも受けていないんだから」。新しい窓口からも、袋叩きにあった。全責任は、私の監督不行き届きなのだ。(つづく)
2010年02月25日
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(2/23のつづき)この歳まで生きていると、予知能力が備わってくる。第一印象で何となくわかる。表情、とくに眼つき(これらのしぐさを英語ではtellsという)で、その人の近未来がわかる。言葉なんかではない。しかし、抵抗せずに、相手の動きに、乗っていく。これは一種の"腹芸"である。言葉以前の直観力が物を言う。周囲が、「先生の横にいるあの人には気をつけなさい」という人が必ずくる。そんなことは十分わかっていても口に出せないのがリーダーのつらさだ。ハラのあるリーダーや、ハラのある参謀は、口を出さなくてもハラでわかっている。だからリーダーにそういう耳打ちをする人の方が、狙われた人より、危険人物であることが多い。(つづく)
2010年02月24日
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(2/22のつづき)監督も、「スズムシとディベートか」と、うーんと唸った。「ぼくはスズムシにディベートで負けた、という題名はどうですかね」と、私も茶目っ気がでてきた。若い人といると、気も若くなってくる。もう70歳が目前に迫っているというのに。3月6日はプロジェクトの窓口が病に伏し、1ヶ月少し前に、だれか後釜をお願いします、というメール依頼が飛び込み、私も浜岡も焦った。いかに変化球に強い両者も、あわてふためいた。フライヤーもできていないのに。急遽新人服部真子と岩崎弘治を窓口に立てた。哀願して、承諾してもらうのに一日かかった。捨てる神あれば、拾う神ありだ。柔道参段の私の得意技はつばめ返しであった。相手がかけてくる技をとっさに感知して、裏ワザで倒すという早業だ。この目にも見えないスピードが同時通訳にも役立った。(つづく)
2010年02月23日
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(2/20のつづき)ドラマ? そんなものはない。ただ松川村から虫カゴごと宅急便で送られてきたスズムシたちと、旅に出たエピソードだから、内容は淡々としたものだ。だが低予算のインディー系の映画となれば、アマチュア監督が取り組んでも、結構おもしろいモチーフになるんじゃないかと、ふと自負したくなった。だから、私から監督に近づいた。1月31日の私のために舞台づくりをしてくれた、ICUの服部真子女史(僅か23才)が、数週間で90名を集めてくれた。この歳で、この集客数。女・紘道館の幹部たちが舌を巻いた。岩崎弘治、根田芳夫という強力な(マグネティックな)男性パワーもこの若き卑弥呼を支えている。(つづく)
2010年02月22日
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(2/19のつづき)武士道も英語道も、なまじ"意地"(self-esteem)を死守しようと妥協しないから、酷い結果になることが多い。ホームレスへ転落する原理を明かす本を読むたびに、寒くなる。まだ島流しの方がいいか。足はいつの間にか、八丈島へ向った。最西端の与那国で悟るところがあったから、次は太平洋の最南端へとなった。不思議に「スズムシ日記」と繋がっているのだ。映画『つむじ風食堂の夜』の篠原監督が、この物語を映画化するには、ドラマが要るという。(つづく)
2010年02月20日
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今年の大きなテーマは、「大学か私塾か」という教育問題に絞られそうだ。大学は私塾化を欲し、私塾は大学化を欲する。∧と∨との闘いは、呼吸があえば、磁石の両極のようになる。しかし、噛み合わず、疎遠になることもある。人の世で、別離は避けられない。大学は人の虚栄心を満たすから、いいビジネスとなる。私塾は「実」を求めるが、マネーが動かない。人は低きより、高きを求めるからだ。私塾が大学化すればいいのだが、今はネコでもシャクシでも高学歴を求めて「大学」を求めようとする。大学をつくろうとする。もしこの流れに逆らえば、私は転落する。何度も修羅場をくぐってきた私は慣れっこになっているが、転落は何度経験しても、つらくていやなものだ。(つづく)
2010年02月19日
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来る3月6日、外国人記者クラブ(有楽町)で、私の古希の祝いを兼ね、角川出版同時通訳記念パーティーが催されます。 基調講演(私の)『平成・武士道』と、恵隆之介氏(話題のジャーナリスト)による『海の武士道』。最後の広島原爆被害者・斉藤孝氏がオバマに、そして世界に訴える、原爆廃絶の叫び、「青いトマト」を私が日英同時通訳実演をします。更に、マイケル・ジャクソンの裏の立役者・ジェット・エドワーズ(オバマのキャンペーン・ソング、全米3位)が、それを歌詞にして歌った「青いトマト」のライブ・ミュージックが楽しめます。これまで、「裏」の世界であった英語武蔵の私も、この際「表」の、あるいは何らかのメディアの世界へ進出するかもしれません。70歳からオレの人生が始まると豪語してきた私にとり、正念場になるともいえます。ブログの愛読者の皆さん、万障繰り合わせ、足をお運びください。詳細は紘道館HPの案内をご参照下さい。担当者が急きょ変わり、案内が遅れ、お詫び致します。その代わり、私の絵日記をポスター代わりに、とりあえず、ポストしますので、イメージだけでもお掴み下さい。今後とも、窓口(当日司会?)の浜岡勤参謀と、岩崎弘治、服部真子のゴールデン・カップルの演出ぶりにご注目下さい。紘道館HPはこちら。
2010年02月18日
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(2/16のつづき)なるほど、理想論者でぼんぼん気質の聖徳太子も、これじゃ勝てない。それにしてもすごい分析。同じ「寄生」という言葉を使っても、表の文筆家としての品格がある。――この品格が私の文体に寄生してくれれば、私も文筆家としてメジャーに昇格するのだが。こんなことをブログで愚痴っているから、マイナーのままなのだ(笑)。ところで、難訳語の一つである「和」をめぐって、英文エッセーを書いた。英語で書いた方がロジックがすっきりすることがある。この「和」が武士道とどう結びつくのか。いずれ館長ブログで発表する。お楽しみに。(つづく)
2010年02月17日
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(2/15のつづき)しかし、梅原猛は、ウィルスとか寄生虫といった下品な比喩は用いない。彼は、藤という木の本質に迫る。 「藤は、一言にていうならば、雑草の生命力をもっている木である。それは、むしろそれ自身の性をもたず、他の木にまきついて、その他の木を枯らしつつ、自己を成長させていく木である。寄生が、この木の本性である。この木を自己の姓に選んだ藤原氏とは、大した氏族だと思う。これは、鎌足の意志かもしれないが、その意志通りに藤原氏は繁栄したのである。」(『隠された十字架』P.160より)(つづく)
2010年02月16日
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(2/13のつづき)シャーロック・ホームズの演繹推理法の使い方が見事だ。氏をサムライと私が評価するもう一つの点は、彼が「行者」であるということ。吉田松陰並みの飛耳長目(いろいろな人をたずねて、耳から学び、あらゆる土地の現場へ飛び込み、眼で確かめる)を実践され、足でも書くという周到ぶりで実に頭が下がる。氏の分析にはwhy-becauseのロジックがある。なぜ中臣鎌足が藤原鎌足となったのか。あるときは中臣(神道)、あるときは藤原(仏教)、そしてこの宗教的葛藤の中で、両家を、そして両宗教を張り合わせながら、支配していく。このtwo-pronged approachは、ユダヤ民族が得意とした生き残りの戦略ではないか。徳川、足利、日本の大名家は長くともせいぜい200年。しかし、藤原家という寄生虫は、500年以上も続いている。その秘訣は、姿を見せず天皇に仕えているという裏方に徹したからだ。まるでユダヤ民族。(つづく)
2010年02月15日
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(2/12のつづき)信貴山にも雪が降った。そんなある日、道場近くの法隆寺へタクシーで走る。ポケットには、梅原猛の『隠された十字架』(新潮文庫)が入っている。私はこのサムライ学者が好きだ。彼の聖徳太子分析は圧巻。全巻読んで溜息をついた。この本は、法隆寺の謎に迫っている。彼こそディベーターだ。しかも音楽がある。謎解きをするのだという、学者の意地がメロディーに乗って貫き通されている。茨の道がある。道中に出くわす、論敵に対し、正々堂々と闘う。その対決のリズムが読者をハラハラ、ドキドキさせる。しかし、仮説から始まったメロディーとリズムを「和」でまとめるハーモニーがこの学者の思考の中にある。(つづく)
2010年02月13日
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(2/11のつづき)故新渡戸稲造と較べれば、知名度のない私は谷底の住人。まるで格が違う。そんな裏街道の旅人が、表舞台のチャンピオンに挑むのは、不遜、いや無謀な企てだ。そのために、∨の底より、さらに低く身を落とし(これが「行」)、断食道場を執筆地に選んだのだ。低くなればなるほど、高くへ登りたくなる。Low living. High thinking.(暮らしは低く、思いは高し)だ。断食大学に目覚めたのも、そういう周囲の空気の変化ゆえである。今年の夏は、3泊3日の半断食合宿(ICEE英語入門講座)まで企画している――多分だれも来ないだろうな。不思議に「気」の大家、浜岡勤塾頭が乗り気であったから意外だ。(つづく)
2010年02月12日
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(2/10のつづき)まだ仮説の段階なので、全てがdebatableである。英文出版は――縁があればのことだが――年内は無理だろうが、いずれやる。この元気のない今の日本に活気を与える書として期待していただきたい。日本の武士道を世界平和を望む国々の人の鑑として読んでいただきたい。 断食の魅力はなんといっても、空腹。空である。真空状態になれば、そこから思考が産まれる。∨の極だ。玄米食を捕食に断食している人には、「玄の玄」という玄人(くろうと)っぽい表現を用いる。人は、身も心も谷底に落ちれば、這い上がろうとする。(つづく)
2010年02月11日
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(2/9のつづき)さあ、断食が始まる。食べる時間がなくなると、その余った時間を思考して、書く時間にあてられる。しばらく休んでいた紘道館の館長ブログを再開するために、初日から気を引き締めて書いた。書き下ろし「新武士道」というところか。紘道館館長ブログ――Bushido on an empty stomach――の連載はもうすぐ始まる。少しばかり、「気合い」が入っているので、読者の方でも、気を引き締めて、辞書を片手に私の英語のみならず、思考まで厳しく検証していただきたい。これを下敷きとして、日本のBushidoをもう一度、世界に広げてみようと思っている。(つづく)
2010年02月10日
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(2/8のつづき)これまでの武士道は、父親的であったが、私の新武士道は、海的、谷的(V語的)、母親的な武士道ということになる。「海の武士道」は3月6日の復活祭で恵氏に語ってもらうつもりだ。とにかく、教と育は、両極でなくてはならないのに、育の面が欠けている。だから、教える方も教えられる方も、乾電池化する。塾は人を、そして組織を磁石化させる。武士道における男女のコラボは、マグネティックである。西洋の騎士道では、男は強いもので、弱い女を守るというタテ思考だが、両神(イザナミ、イザナギ)の協力により営まれてきたこの国では、男と女は、タテではなく、ヨコで、結ばれているのだ。結び、縁――すべて紘道館の紘のように糸偏。磁石の論理は、この糸偏の縁結びパワーのことだ。(つづく)
2010年02月09日
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(2/6のつづき)いや、断食大学とは、まだ名(虚)ばかりで、まだ私塾の段階だ。お母さん大学のようなもので、別に定まったカリキュラムがあるわけではない。やはり大学という名前の方がカッコいいのだ。お金が流れてくる。塾はまだジュクジュクと、音霊からして不気味だ。お金が来ない。しかし、大学は最高教育機関といわれるが、実は内部(たとえば教授会)はドロドロ(sleazy)だ。どちらも似たようだが、ジュクは師弟共に熟そうとしているから、師弟とも目はギラギラと輝いて、生命の息吹が感じられる。大学はとんがった∧(山)で、人の知を教えるが、育てない。塾は∨(谷)で、堕ちた人まで救い、ゼロから出直させる。だから、この「育」は母親的だ。(つづく)
2010年02月08日
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(2/5のつづき)講義といっても孔子ではないから、一方的に教えるのではない。むしろ道を説く私は老子に近い。だから、朱子学より陽明学の講学(ディベートに近い)を好む。究論(ディベート)は、探究心のあるエリートを中心に教える。その反対に、衆生、すなわち、究論より感情的で放心的なアーギュメントが好きな人たちに対しては、対論(ダイアローグ)で挑発しながら対話を進めていきます。DebateもdialogueもどちらもDワードで、「対」が生じる。1人ではなくduo(2人)だ。「法隆寺は何のために建てられたのですか」「聖徳太子の」「建てたの。自分のお金で。何のために」断食行者には、知識人も多いが、このWHY(なぜ)に弱い。「藤原氏が...」「あの蘇我を殺し、聖徳太子一族25名を殺した犯人が...」「よく知っているね。事実はね。しかしその理由は...」「そう、遺族の怨念を鎮めるため。死者を"崇"めるのは、"祟"りが恐ろしいから。よく似た漢字だが、同じようなもの。明日、法隆寺へ行くが、一緒に行きたい人...。出席はとりません。単位も与えません。それでよかったら、ぼくと一緒に勉強をしましょう」こういう授業は、私塾形式の方がやりやすい。断食大学の私塾化はこんなところから始まる。(つづく)
2010年02月06日
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(2/4のつづき)吉田知仙道長は神女で、マクロビオティックの大家でもある。朝の礼拝後の講話は私に譲っていただけるので、朝の勤行のあるときは、喜んで即興スピーチを引き受ける。今回は、本断食(水と葛湯だけ)のときでも、断食大学の創始者の気持で、話をさせて頂きますという口上から始める。「日本は、死者の国、日本は怨霊の国です。宿便は怨霊です(笑)」(断食中の人は、心は澄んでいるから、素直に聴いてくれる)「この右上の額縁からにらんでおられるのが創始者、吉田修先生。今も私の話を聞いておられる。鎮魂の業のためにも、今日は断食大学の初日ですから、一生懸命お勤めさせていただきます。」ちょっと風変わりな講義が始まる。(つづく)
2010年02月05日
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(2/3のつづき)役小角は、モーゼに当る、救世主だ。信貴山にはいまでも山伏がいる。「行」は続いている。奈良県の生駒山の中腹に、生駒英語道場(今の紘道館の前身)を開いた。縁がある。亡き父母(明治人間)がデートをした懐かしい場所も生駒。どうも、畏れながら山に惹かれていく。満たされて戻ってくることを知っているからだ。∧を求めて∨に入る。久高島は違う。いきなり∨に入ると∧へ戻してくれる。琉球は、女が男を立ててくれる神女の島々なのだ。(つづく)
2010年02月04日
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(2/2のつづき)英語道は「行」なのだ。武士道の延長に、英語の術と道を同時に究める道がある。「道」といえば、嗤う人が多い――とくにマスメディアが好きな東京の学者の間に。しかし、武士道も「道」なのだから、The Way of Englishがあってもいい。『五輪書』の翻訳者のウィルソンは、「英語道はThe Way of Englishで充分通じます」と京都で私に語ってくれた。これが私の世界のキーワードだ。宗教に傾き過ぎた新渡戸稲造の『武士道』に欠落している概念だ。自己規制はいい。自己犠牲もよい。しかし、克己心をどう鍛えるのか。どうも武士道の原点は、山伏などの修験道に至る――そんな気がする。(つづく)
2010年02月03日
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(2/1のつづき)創始者の故吉田修道長は、「わしは、断食大学を考えておる」と、よく仰っていた。今になって、その気持がわかる。高さを求めて山を登る。しかし、頂上を極めればそれが「虚」であることに気づく。そして低くみていた谷へ戻る。そこに「実」があった。断食前はやはり緊張する。古い言葉では、垢離(こり)を取る、という。神仏への祈願や祭りなどの際、冷水を浴び、身を清めることだ。家庭もそれを知っているから、ピリピリする。新武士道の執筆に挑むのだ、というマタギ狩人の心境だから、古神道以前の縄文信仰なのかもしれない。虚の私が実を求めて、断食の行に入る。とにかく山が呼んでいるのだ。(つづく)
2010年02月02日
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(1/30のつづき)幸いこの冬は、客員教授(派遣社員みたいなもの)にとってつらい。学校で教える仕事はない。メディア人間ではないから、どこかから<引き>があるわけでもない。この寒中、餌を探さなくてはならない――北海道のキタキツネのように。ペンでは食えないご時世だからだ。しかし、そんなふうに深刻に考える前に、山籠りだぞという大自然の声は、私の脳幹に話しかけるから、もっと恐ろしい。ダビンチ・コードではないが、∧(山)は男、∨(谷)は女。信貴山断食道場はその谷間にある。宮崎駿が好みそうな森の小径が裏山にある。創始者の故吉田修道長は、この地で白色の大蛇を見つけ、ここだ(This is it!)と叫んで、ここに信貴山断食道場を創立された。こうだと思い込んだら、迷わずまっすぐに進むお人柄(O型)だった。(つづく) 1月の紘道館例会報告を更新しましたこちら
2010年02月01日
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