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この一週間は激動であった。実家に帰って卒業式用のスーツを購入したのだがレジで「受け渡しは21日となります☆」と言われた。卒業式の翌日である。日本中の引っ越し業者から「如月さん今月引っ越しですよね!?うちなら○万円でやりますよ!」と電話が殺到する事になり、私はこのにっくきスマートフォンを鴨川の向こう側へスローしかけた。余談であるが私は実家に帰りたまたま愛知で友人と飲んだ際、ある女性と衝撃の出会いをして間違いなく2012年上半期で一番腹を抱えて笑う事になる。そして、早く誰かにこの喜びを伝えたくて天使と悪魔のフィフティ・フィフティ的な笑顔でJRに飛び乗って京都に帰ったのである。そしてこの女性のおかげでガールフレンドに浮気の疑いをもたれ、結果的に見ればはしゃぎすぎた罰をくらったような羽目になる。また、余談の余談であるが私はいつぞやの日記でガールフレンドにまたもや浮気の疑いを持たれ、これに関しては私に何の罪もないと断固言い張りたいところであるが間違いなく2012年上半期において変な冷や汗をかいた。浮気の冤罪を否定する彼氏の姿なんてマンガかアニメか、しょうもない程どんくさい男のすることだと思っていた私は鳩が豆鉄砲食らったような顔で「違うって!」と1万回くらい言う羽目になりとんだ二次災害を食らった。ネットとは本当に恐ろしい。そのせいかどうかは分からないが昨日の夜からガールフレンドからメールの返信がなく、ホワイトデーのプレゼントは渡せずじまい、部屋の片隅にうず高く積み上げられた引っ越し段ボールの頂上に借りてきた手猫のように鎮座している。まぁ、これはいい。そして京都に帰ってからは2つのバンドのレコーディングである。レコーディングというのは、やる前まではワクワクして楽しいのだがいざ決行してみると本当に精神と体力の限界をインターバル走するようなもんであり、スタジオは誰かがミステイクするたびに阿鼻叫喚の渦となる。そんなガンジーも裸足で逃げ出す苦行を乗り越え、私は今日全部で7曲のボーカル録りをした。7曲であるよ。この数値は気心知れた男どもで行くオールナイトのカラオケだったら屁の河童みたいなものであるがピッチのずれやタイム感、そして演奏とのテンションの兼ね合いなど様々な要素が複雑に絡み、私にとっては50m走の次に苦手な種目となりえるのである。辛いのである。なんやかんやで自分でも納得のいく代物が両バンドとも出来上がり、リリースは二つとも4月以降になると思う。楽しみだ。京都でやり残したことは多分、数えきれないくらいあるのだがそのうちの1つを、解消できた。今はその満足感に包まれながら今宵も京都のグレイトフル・ラーメンショップの一品をたいらげ、今はスーパーカップを嗜んでいる。ちなみに引っ越し準備はまだ終わっていない。気がつけば卒業式まであと5日。会おう会おうと言って結局再開できそうにもない友人もたくさんいるが出来るだけ色んな人を記憶に焼き付けて、できることなら今年のうちに本当に会いたいものである。さて、実家に送りつける荷物の整理でもしようかな。
2012年03月15日
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三月も早一週間過ぎ去ることになり、今更ながら本当に大学生活は短く、濃かったなぁと感じる。同じことを高校卒業の時も感じたと思う。私は4月から愛知県の豊橋に勤務する事が決まった。勤務地決定の電話はなぜかオヤジからだった。受話器の向こう側からでも連想されるもったいぶったニヤニヤ顔は、基本的にオヤジにとって良いことが起きていたときに発動されるものである。この大学に合格した時も我が子が自分の学歴にマル被りしたことでその笑みを浮かべ母親に気味悪がられていた。お茶目なオヤジである。港町で、割と広くて、新幹線とJRもある。豊橋についてそれくらいの知識しか持ち合わせていなかった自分は豊橋という地名を聞いた時も「豊橋!?・・・ってどこや!」とこんなリアクションであった。調べてみると中枢都市でない割には活気があり、良い街であるというなんともアバウトな結論が自分のなかで出された。それはまぁ、良い事だろう。しかしあと一カ月もしないうちにもう自分がスーツに身を包み全く知らない土地で全く知らない住宅の営業に駆け回っていると言うのはどうにも想像し難い。この住み慣れた「ぽえむ」という愛くるしいアパートの一室でレコードに耳を傾け、寝っ転がりながらギターを奏でるというのもあと何回出来ることだろう。そうこうしている私の横眼には引っ越し用の大きなダンボールが半ダースほど鎮座しており、なんだか一週間早く追い出されそうなプレッシャーを放っているような気がしなくもない。正直、関西に未練はアリまくりマクリスティ過ぎて何とも言えないが、こればっかりは運命なんだと思う。就職活動を始めてから今に至るまで、自分の選択の中で精一杯悩んで今のとるべき行動をチョイスしてきたし、それは他でもない自分が決めたことなので、後悔はしていない。ただこの4年間、とくに最後の2年ばかりにおいて自分がどれだけ幸福な時間を過ごしてきたのかを再確認させられる事ばかりだ。その一つにやっぱりバンドがある。正直私が大学時代に打ち込んだことはバイトとバンドというやたら字の似た二つしかない。大学一回生時の記事を漁ってみても全く同じことをのたまっている自分がいる。そのバンドで二つ、お知らせがある。私はKIRIEというバンドを4年間やってきた。ジャンルはエモメロディックといって1990年代にその隆盛を見せたこれまた地味であやふやな音楽なのだが、私はいたくそのジャンルが気に入り、プレイする事になる。その私が今までやってきたKIRIEは今まで3枚のミニアルバムを自主リリースしてきたが、今回東京のとあるレーベルからレコードをリリースする事に決定した。いわゆるインディーズレーベルのリリースである。その辺のよくわからん微妙な凄さはBECKでも読んで確認したまえ。レコードとは私たちのジャンルととても馴染みの深い物であり、私も1年前就職活動に嫌気がさし、気がついたらみんなの味方アマゾンでレコードプレイヤーをポチっていた。そして部屋を見渡せばこれまた就職活動と銘打って東京に行った際、レコードショップを渡り歩いて戦利品として持って帰ってきたレコードたちが積み上げられている。そして私たちのバンドにとって、レコードを出すと言うのは非常に、なんというか一つの夢みたいなものであり、私はその夢を実現するチャンスを得たわけだ。よかったね。しかし、というかやっぱりというか、KIRIEは大学卒業と同時に活動休止が決定している。理由は前ここでも書いていたと思うので省略。そんなエモを体現しているような感じのメンバーで3月はレコーディングする。収録するのは2曲。ダウンロードコードといってレコードプレイヤー持ってなくてもパソコンにインストールできる神の道具があるので発売されたら是非手に取ってみてくだしあ。そしてもう一つ。私は最近ダイコミというバンドを始めた。ダイコミとは勿論略称である。そんな売れない広告会社見たいな名前はゴメンである。しかし正式名称は売れない通信会社みたいな名前である。やかましいわ。これはキリエ解散かミーティングの際、「俺はメロディックを別のバンドでやるぞ」と言ったら「勝手にやれば」と言われ腹が立ったのでその怒りで結成したバンドである。(無論それだけが理由じゃない)そしてこのバンド、京都での知名度はほぼゼロで、多分このバンド知ってる人は全国に50人くらいしかいなくて、まだ岡山で一回しかライブしたことないくせになぜかインディーズレーベルからアルバムをリリースすることが決まった。話が急過ぎる。インディーズレーベルについての知識はBECKでも(以下略)前の日記でも書いたがこのバンド、私にとっては2つの大きな意味を持って結成した。一つは自分の作り出す音楽について。KIRIEは何と言うか、非常にホンダの車工場みたいな曲の作り方をしていて私はいわばライン工であった。それにプライドがなかったわけではないが、いつしか私は「自分一人でもこの世界に通用する曲が作れる」という自信を自分の手でつかみたいと思った。そしてもう一つは本当の意味で楽しんでバンドしたいと思ったこと。そしてそれは容易に、信じられないくらい何気ないことのように今できている。これが本当のバンドなんだろうなとしみじみ感じているのである。とまぁ、このダイコミがアルバムをイカれたレーベル(褒め言葉である)からリリースするわけだが、これは全国のタワーレコードやHMV,アマゾンでも購入可能になるらしい。なんてこった。結成3ヶ月でライブ一本、おまけにあと一カ月したらメンバーがドラゴンボール宜しく散らばると言うのに。なんてこった。収録曲は6曲だが、新曲を入れるかどうか悩んでおり7曲のレコーディング。これまた3月までに仕上げなければいけない。なんという急ピッチ。1回生の時パジャマで一日中アニメ見てたあの日をカムバックさせて今月に割り当てられるドラえもんの道具が欲しい。っていうかむしろドラえもんが欲しい。とにかく私は卒業ギリギリにこのふたつのリリースを決め、晴れて卒業旅行~ドキドキ夢のバンコク編~は見事破綻した。メンバーとは「旅行はじいさんになってからでも出来る」とお互いの傷をなめ合った。まぁ、いいんだけどね。こっちの方が面白そうだし、この勢いと流れは今しかないことだとみんな分かってるから。長々となったが私は半年後ライブとかできるのだろうか。休みとかちゃんと取れるのだろうか。てか何やってるのだろうか。色んな不安というか、不透明な部分がたくさんあるけれどそれでも今はやれることをやるしかない。できるだけ、色んなものを意識して見つめて過ごしたいと思う。
2012年03月06日
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やあやあ、あっちゅうまに二月やね。びっくりやね。ついこの前「あっけおめ~☆」とかゆうてたのにね。えらいこっちゃでホンマに。2月ともなるといよいよ学生生活の終わりがバシバシと感じられる。ゴールテープ見えちゃってるあの感じね。どうでもいいけどマラソン大会とかで最後の10Mだけ尋常じゃない速度出す奴四十位くらいにいたよね。まだ走れるじゃん、出せよそれ、みたいなね。うん、あんな感じ。うん、わからんね。しかしこの日記、マジで一体だれが見てるのかわかんないんですよね。そら、大抵は予想付くけどなんか私が全然予想つかへんような人が多分3人くらいみてるきがしてならない。「え!なんで知ってんの!」みたいな。いや、ええんやけど。全然見てくれて嬉しいんやけど。もうどうせやから自分から名乗り出てくれないすかね。「○○です!みてるよー!」って。なんかそういうの、あったら面白いやん。「うおー!まじかー!」てなるやん。プチプチ同窓会みたいな。最近の私はというとガールフレンドが始めた諸々のダイエットに便乗してキャベツばっかり食べてる生活です。キャベツダイエットです。慎ましやかな生活送ってる訳なんです。お金浮くかと思ったら実はそうでもない。けどキャベツは食べる。そんなエヴリデイ。バイトやめたこと、それからKIRIEがまぁ恐らく2月の2本決まってるライブをもって、活動休止になること、それらによってなんというか、一気に気分が楽になった感じがする。肩の荷が下りたというか。だから今は彼女の就職活動やらなんやらを割と真剣にサポート出来てるのでなんか人生のサイクル上手いこと出来てんなあと感じてる。これがまた社会人生活始まったら色々変わって来るのかもしれないけど。新しく試験的に始めたバンドも凄い新鮮で楽しい。なんというかバンドってこういうもんやったんやな、と感じる日々である。無我夢中に曲作りまくって、全員お金ないから自分たちでお金かけずにレコーディングして、なんとか今までのシーンで今までと違う人と一緒にライブできるチャンスもあって。なんというか大学生のバンドって感じだよなぁ、と。今はすげーラクに自分を出せて楽しいです。最近そのメンバーと必然的によく話すんだけど誰ともなしに「卒業後もやれたらなぁ」みたいな話になって、それが私にしたら酷く新鮮で「おっ?」ってなる。こんなこと、自分が思ったこともなかったし社会人になったらきっと忙しいとかそういうのとはまた別な理由で繋がることは出来ないんだろうなぁと半ばあきらめかけてたから。ただ、どこかで、そういうバンドってものに対する意識的なものが根っこから、恐れ多いけど自分が発信した表現によって変わり始めてる感じがしてそれは凄い嬉しい事です。私も最近は、できればずっと続けれたらええなぁという感情にシフトしてきた。そんな人生うまくいくことばっかじゃないと思うけど少しぐらい、そういう希望を持ってもいよなぁ、と。もうすぐその自分たちで何から何まで全てDIYしたミニアルバムが完成予定です。全六曲。出来るもん全て詰め込んだ我々の卒業制作です。お金ほとんどかかってないので多分牛丼一杯くらいの値段で売ると思います。よーし、おじさん奮発して、これ読んでる人には全員にあげちゃおうかな。ただ、こうなってくるといよいよ気がかりなのは3月頭に決まる私の勤務地。こればっかりはマジで予想付かないので最近はもう天命に任せて気を楽にしてる。そりゃできたら行きたいところはおおよそ決まって来るけど言っててもしょうがないよな、と。自分で金稼ぐって、つまりはもうそっから始まってるんだよなーと考えてるし、都合のいい事ばかり願ってるような人間にはなりたくねーなと思うのでこれで良いんです。リスクがないと幸せに気づきにくいって側面は絶対にあると思うから。というわけで明日は久しぶりのライブ。KIRIEの松岡ももうすぐでいったん休憩になりますね。雰囲気を楽しんでこようと思います。卒業旅行は海外に行きたいなぁ。私はね、タイに行きたい。タイに。理由は特にない。とかいって一人旅行だったら笑えるなおい。でもまぁ、それも一興か。肩こってきたので明日に備えて寝るぜ。
2012年02月03日
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みなさん明けましておめでとう。とまぁ、こんなところでわざわざ挨拶しなくてもここを見に来てくれている人々はすでにリアルで年末年始にお逢いしている人が大半を占めると思う。現に私はそれらのひとにブログの更新を推し迫られ、めいめい京都に逃げ帰ってきてから少し一服して今、こうしてせっせかと書いているのだ。しかしまぁこのブログのあけまして~のくだりも一体何回目になることやら。書き始めたのが確か中学二年生だから単純計算でわたしは8年もここで「明けまして~」のご挨拶を敢行しているのである。友人に適当に進められたこのちんちくりんなブログで。皆がアメブロやらライブドアやらなんやらにコロコロと鞍替えする中、俺はただ一人この訳分からんまるで現代の文明社会に反抗するようにアナログチックでアナーキーな女を愛し続けてきた。楽天は俺に表彰状の一つでもくれてやったらどうかね。今時いないよ、こんな若者は。とまぁ能書きはこれくらいにしておいて、やってきた2012年。学生生活最後の年である。まいったまいった。来年からは社会人ですぜ笑っちまうぜ。と、笑ってられるのも今のうちで現に私は昨日も内定先企業が指定する内科にて健康診断を強要され体の隅々まで調べられてきたばかりである。血をようけぶっこ抜かれた。しかも正確な数値に書類はコピーすら貰えず私はフガフガしたじいさんに「異常ない」とだけ言われて間抜け面で帰ってきたのであった。何なんだ一体。まぁこんな感じで年明けをスタートさせた私だが、今年は一カ月先の自分の姿さえ全く想像できない。晴れて社畜となったわたしがどんな罵詈雑言をここで炸裂させるかはまあこうご期待。そして私の周りには今年就職活動に飛び込んでいく者も多い。頑張れ、超頑張れ。3ヶ月くらい、まるでJ-POPの歌詞みたいな先の見えない闇の中でさ迷い歩くよdarling...みたいな状態がマジで続くけど、頑張った分だけ結果は出てくるから。それは内定っていう形で出りゃあそら良いにこしたことはないけど、そうじゃなくても自分の中になんというか、「あぁ社会ってこんな感じか」っていう、一種の悟りみたいなもんが見えてきて、自分の位置が再認識できるともう。それを経て変わってくる価値観が何個もある。私は4月頭くらい、内定出てない時からも自分中で多くの考えが変わってきたのを実感した。それは「働く」ってことの意味やったり、自分にとっての「金」の位置であったり、生きる場所とか、結婚する事とか、家庭とか。ホントに色々。それが間違いなく就職活動を通してのものだったから、やってよかったと思ってるし多分それは結果として内定出てなくても抱いていたと思う。受験と少し似てたな。等身大の自分から考えるモノ、と言う意味では。とまぁそんな感じだ、ようするに諦めずに本気でギリギリまでやってみろてことだ!偉そうにしてすまん!でも頑張れ!そういう気持ちです。あ、そうそう、バンドのことやけど。「ええいあのエモい日記から一体どうなってるんだヤキモキ!」ってなってる人がいたらすまん。あれからまぁしっかり話し合いまして。本当に初めてしっかり話し合ったとおもう。結論から言うと私が大学生活でずっとやっていたKIRIEと言うバンドは活動休止します。理由は表面的にはドラムの脱退ですが、私のKIRIEという一つの表現に対するテンションがいつ戻って来るか、自分でも全然分かりません。もしかしたら再始動する事はないかもな、と今は思っています。けど、自分はやっぱりメロディックパンクっていう音楽が本当に好きなので、それは別の形で続けたいなと思います。今は、少しずつですが前進していて、いつか本当にずっとやっていきたいと思えるメンバーと、本当にずっとやっていけたらいいなと。私は根っからのバンド人間ではないので月に一回の練習で、年に一回でも、ライブが出来たらそれでいいと思います。そうやって少しづつ、音と人間それぞれの距離を詰めることが一番大切な活動なんじゃないかと思います。バンドに対する自分のあり方は今も変わってはいない。それが自分とバンドというものの一番適切な距離感だから。KIRIEはあと京都で2本くらいライブをしたら活動休止かな、という感じ。一本はもう決まってて、2月18日にイギリスからUKメロディックパンクの至宝、SKIMMERがやってきます。それの京都編に出るよ。イギリスと言えば遡ること一年前のMIDWAY STILLが思い起こされる。おれからもう一年か。早い。とても楽しみです。チンタラともめてた3枚目のミニアルバムもようやっと出せそうです。とりあえずKIRIE最後の作品ということで今回はちゃんと歌詞も書きあげました。えらかったぁ。英語難しすぎて自分の脳がどれだけぷるるんとしてきたかを実感しました。とりあえず今はこんな感じです。全部上手くいってる人なんていないぜ。みんな頑張ってこうぜ。これから新しいバンドの練習なんで行ってきます。では。
2012年01月12日
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久しぶり?に真面目な話を。明日、夕刻時にバンド会議が開かれる。聞こえはいいが、ただの愚痴の吐き合いもしくは一方的な暴露になるだろう。正直な話、解散も視野に入れている。そういう、話し合いだ。なんというかまぁ、私は持ち前の社交性と溢れんばかりの協調性によって今までこの問題を流してきた。そのツケがここで一気に爆発した。と言うわけで、私はオフィシャルな場所で何かを否定したり終焉を提案するのはものっそい苦手である。出来ればやりたくない。バンドメンバーってのはそれ以前にやはり一人の人間であるわけで、どんなバンドも人間同士の衝突や相いれない部分が見え隠れしながら、お互いがメリットとデメリットを天秤にかけながらライブに臨んでいるだろう。けれど、根底としてやっぱり好きと嫌いってのはものすごく重要なポイントだと思う。「尊敬してるけど苦手」とか、「うっとおしいけど認めてる」とかそういう薄い表現なんかでは包みきれないほど、このバンドは大きなものを抱え過ぎたと思う。私の場合、そういった「人間としての不和」をここ半年ずっと見てきた。実はね。それはひどく疲れる作業だったし、そういった時の経過はやがて、私がこのバンドで大きな音を出すことの快楽さえも奪って行った。今では私のライブに対する感情は、やりたくもない仕事で高収入を与えられているサラリーマンと近い部分でリンクしている。段々、「そんなしんどい思いをしてまでこのバンドがやりたいんか」という疑念が生じた。そうなったときに、初めて自分のバンドの技術的な部分、界隈におけるポジション、サウンド、そういったものを直視する事になる。ファーストデモを作った時は地位や名声、そんな言葉なんて自分達には関係ないと思っていた。とりあえず、速くて格好いい曲を。色んな人に聞いてもらいたいという感情すらなかった。自分達が、求められている場所で好きな音を鳴らすことが楽しくてたまらなかった。セカンドミニアルバムを作ったあたりから、事態はそんなに楽観視できるものではなくなった。自分としてはファーストの、ラフな視点をいつまでも持っていたかった。けれどいつしか自分達は「メロディックシーンの若手旗頭」なんて言われるようになり、あれよあれよと言う間に全国各地でライブした。何かが少しづつ、重くのしかかっている感じがしていた。この時から、自分達の作った曲に「好き」「嫌い」が出来始める。メンバー間の力関係が微妙な作用でシフトしていき、それに首をかしげながらも黙認した時代だ。そして今回、サードをリリースするに当たって、私は自分達の曲が凄く曖昧なものに見え始めた。本当に好きな曲が、セットリストから消え去ってしまうような気がした。メンバーの関係は、本当の仕事仲間になってしまった。事務的、機能的。求められているから演奏する。音を鳴らす理由が確実に前と変化していた。私たちはバンド内で、全くプライベートな話をしなかった。彼女の話、実家の話、休日に誰かと集まって遊ぶなどもってのほかだった。それが別に悪い事とは言わない。そんなバンドだって山ほどいるだろう。でも、「他の誰かが」とかじゃなくて「このバンドでは」、それがこの結果を招いた一番の原因だったと思う。根っこの部分で、誰も「こいつとやっていきたい」と思えなかったのだ。「いい音のギターを弾くから」「凄い曲構成を考えるから」「イメージをすぐに演奏できるから」そういった理由は、バンドをキープする理由にはなっても前進させる理由にはならないと痛感した。「この3人じゃないとできないことがしたい」という理由が欲しかったな、と思う。しかし、だからといって大学一年生の時からこのバンドをやりたいかと言えばそうではない。それは前述した生活の端々に、「やっぱりこいつは好かん」という所を垣間見てきたし、それはその都度正直に話しても解決する問題ではないだろう。人間の問題だから。おい、知ってるか。テレビでよくありがちなバンド解散の理由が「方向性の違い」ってのは本当にあるんだぜ。でも方向性って言ってもそれは多分、ほとんどの場合が「人間としての方向性」だと私は学んだ。サウンドは増やしたり減らしたり、角度を変えたりできても、人間のベクトルは隠れるか突っ切るか、ニ択なのだ。バンドという3人で作り上げた輪っかを、破ってしまう人間のベクトル。正解は無い。人生の一部における、ささいなバンドのお話だ。でもそれがそれぞれにとってどんな比重で自分の世界に存在するのかは、理解できなくても確かめあう事は出来る。それを今、する必要があるらしい。私は正直バンドなんかなくたっていい。それは決して軽視からの発言じゃない。もともと私にとってそれはライフワークなんて大層なものでもないし、富も名声も全く求めちゃおらん。そりゃあ、あった方が良いに越したことは無いが、少なくともそれが理由じゃない。しんどいと思ったら休めばいいし、アカンと思ったら辞めればいい。いっつも長文チンタラ使いまわしてあることないことアチコチで喋り散らす私だからこそ、今回の話はシンプルに感性を信じたいと思う。楽しくないから、やらなくていい。そういう話だと思う。今回ばかしはどうなるか分からん。ただ、もし一旦、全部なくなることになったとしてもこの半年間抱え続けたモヤモヤだけは全部言ってみようと思う。そうしないと、わたしはこういう事から顔をそむけてばっかりだ。周りなんか気にせずに、やりたいことやるだけやってしかも格好いいって、そんなに難しい事じゃないような気がするんだけどな。いつからだろうか、忘れたのは。
2011年11月30日
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悪い事は重なると言ってもこんな日があってもいいのだろうか。認めぬ。私は断じて認めぬぞ。起床10時、快適な朝を迎えた私はもう一回も休めない、「マジで留年る(おちる)5秒前!」となったどうでもいいゼミへ行くべく颯爽と自転車にまたがったら後輪が何者かにパンクさせられていた。一瞬で沸点を迎え阿修羅のような形相になったが犯人は分からない。もういいやと思って急いでバスに乗ろうとしたがバスが既定の時刻より20分たっても全く来ない。二条城付近で大破したのだろうか。アホったれ京都市バスなどはどうでもいいが、この時点で私はゼミ欠席が決定した。この怒りを誰にぶつければいいのか。じゃあもっと寝れたじゃねーかという割と根源的なところで後悔し始め、バス停で拳を握り締める如月。怯える子ども。せめて存在意義をなくした自転車を修理に出そう。そう思い立ちいつもお世話になっている近所の老夫婦が営む個人自転車屋へ。私が玄関を開け「すいませーん」というと目の前には完全にこれから楽しい久しぶりのお出かけという装いの老夫婦。ばあちゃんの方はまるで愛しい初孫の授業参観にいくような気合の入りっぷり。きっとこの日のこーでねーとを二晩寝ずに考え抜いたのだろう。そんな仲睦まじい老夫婦とパンクした自転車を引っ張りボケ面で突っ立っている私。お互いが「あ・・」と声を漏らす。「お出かけされるんですか!?じゃあ全然大丈夫です!!」「いや、大丈夫、30分で終わらせるから・・」と自転車を私から奪うじいさん。おめかしばあさんは逃げるように奥へ引っ込んでしまった。なんてことだ。どこまで私はKYなんだ。きっと宝ヶ池の公園にでも行くのだろう。ピクニックだろう。ばあさんはおにぎりを作ってたのだろう!!!いたたまれない気持ちで「お願いします・・・」と頭を下げる私。修理を待つ間、奨学金やらなんやらの返済のため銀行へ特別な口座を作りにいった。せめて、せめていろんな雑務を終わらせるんだ。出席はもう帰ってこない。老夫婦の時間も。。銀行へ行って手続きをしていると、私が言えた義理ではないが目の死んだ受付のオヤジに「如月さん、これハンコが正規の奴と違うよ、これじゃあ作れないね」と突き返される。一体全体今日はなんだってんだ。そう思いながらしぶしぶとハンコ探しに明け暮れる私。総勢4つのハンコが家から出てきたがなんと4つ全部違うと言う。しかも若干オヤジが怒ってる。1ついわせてもらうが怒りたいのは私の方だ。事の顛末は私の愛機をパンクさせたどこぞのクソ野郎である。結局、正規のハンコは実家にあることが判明。悲劇に震えた。私は日を改め来週に「印鑑の紛失による変更届」を出す運びとなり、最早全てのやる気を失っていた。これがなければ手続きなどもってのほかである。途方に暮れ、学校へ。卒論ではない。私の祇園でのバイトが今、てんやわんやしているのだ。反対を押し切って勝手にやめると言い出したクソゲー・後輩ボーイ。ボーイは続けたいが実家に「厳格」を絵に描いたようなガンコ一徹オヤジがおり、ボーイのアルバイトを強制的にやめさせられそうな無理ゲー・ピュアボーイ。二人のやっかい野郎どもを何とかすべく話し合いと相談を行うためだ。なんだって12月まで華麗にフィニッシュさせてくれないのか。功労賞とか普通あるだろう。これでは最早私の引退時期までもが不鮮明になってきた。いやだい、いやだい!結局一人の後輩は辞めることになったのだがその旨を電話で伝えると「如月さん・・・すみませんでした・・今度、飯でも食いにいきませんか・・?」とのたまうではないか。いいから!!そういうのいいから!!もう辞めちゃったらいいからあああ!!と雄叫びを上げて天に召されたい気持ちになってもう一人の後輩の相談にのる。すでに如月のライフポイントはゼロである。脳内でダニエル・パウダーが流れ始める。12月にオヤジと直接対決。それで決着をつけると結論がでたところで私は満身創痍になりながら一時間遅らせてもらったデートに向かった。せめて・・・せめて・・・「せめて」のゲシュタルト崩壊である。ガールフレンドと集合し、今日の大殺界的一日の一部始終を話す。話していると幾分か、気が楽になってきた。「あぁ、よかった・・・」胸をなでおろす。しかし、追いうちに不意打ち、果てはとどめの一撃はまさにここからであった。私の涙ぐましい努力と懸命なグルメサーチにより発見したお目当ての良質な居酒屋は「あいにく満席なんですよ~」という何ともそっ気のない答え。「まさか・・」という不安が脳裏によぎる。だが舐めてもらっては困る。私のグルメサーチを侮るな。早速二件目へ。すると、ダイニングバーであったはずのその店はなぜか完全なゆるふわお洒落系カフェへとなっていた。変わり果てたその姿に呆然とする私。ヘタななでられ方をされて機嫌の悪い猫のようにグルグル言い出すガールフレンド。よくない、よくないぞ。なんてことだ・・・なんてことだ・・・脂汗を流しながらほぼ一年半前の記憶を頼りに3件目へ。「たしか落ち着いた雰囲気で値段は割高だが良い雰囲気だったはず・・・頼むぞ・・・」と思いながら入った瞬間「いぃぃいらっっせせせぇぇませえ!(アゲアゲ)」みたいな声を浴び、直感した。「俺の知ってる店じゃない」と。店の雰囲気ってそんな変わりますか。一年前きたんすけど店長変わったんすか。リニューアルオープンすか。つか店員さんなんでジャンパー羽織ってるんすか。私服っすか。なんなんすか。なんなんすか今日。明らかに意気消沈したガールフレンドと、なんかもう怒りとか悔しさとか情けなさでもみくちゃになってTHE・EMOみたいな顔した私。運ばれてくるぼったくりバーみたいなドリンク。かつてこれほど望まれなかった乾杯があるだろうか。私は悟った。本当に、本当に今日は駄目な日のようだ。でもこのままでは帰れない。ガールフレンドの機嫌は、お金なんかじゃ買えない。この一日にクーリング・オフはないんだよ!とかなんとか必死で考え、頭ピヨピヨさせつつ、最低限の選択だったと思うが私はドリンク代を払ってさっき座った席を10分で立つことにした。そして、最終的に居酒屋へ。もうなんというか、本当に、こんな日があるのかと。私はそりゃあ割となんでもシレっとやってそこそこのことが出来る(と思う、今となってはもう自信がちょっぴりない)のだが、今日の自分のヤバさに恐れおののいていた。ガールフレンドにもそういうオーラを共有させてしまう自分がとてつもなく嫌になっていた。私の本日の出来損ないっぷりを肌で体感してもらったガールフレンドには励ましてもらった。心から救われた。最後にプリクラを撮ったりしたのだが、笑顔のガールフレンドの隣にはなんか死神みたいな顔した男が悲壮感を漂わせながら立っていた。誰だこれは。しかし、こんだけ嫌なことが続いたらもうこれからは当分大丈夫だ。何だかんだで一日は終わっていく。時間は色んなものを道連れにして、過ぎ去っていく。終わりよければすべてよし、だ。それにこんなツイテない日でもいい事が一つもなかったわけじゃない。ガールフレンドをお迎えに上がった時、なんと親父さんからギターを一本頂いたのだった。決して高い物じゃないが、嬉しかったなあ。このギターと、プリクラで死神の横に移るガールフレンドの笑顔が、今日の色んなバッド・シングスの引き換え賞品だったと思おう。十分じゃないか。そう、おれはポジティブシンキング。追伸・・・なんかこれ打ってるキーボードがバグりはじめたんだけど。
2011年11月25日
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「如月の奴、もうそろそろ書くやろうな・・」と思ってこのページを2ヵ月くらい阿呆のように開く作業、御苦労なことだ!!!私はね、そういうのは引っ張るんだよ!!お久しぶりです!!というわけで前回の日記から早3ヶ月たっているではないか。すまんすまん、ちょっと二度寝とかしてた。てな戯言は置いといてさて、夏休みも開けて秋到来、私はつい先月北海道に行ってきた。ライブをしてきたのだ。札幌遠征である。もう早一か月前のことなので記憶がそれほど鮮明ではないのだがとにかく筆舌に尽くし難い貴重な経験をしてきたことは確かだ。私はちょうど一年前に札幌に初めて行った。それは大好きなバンドを見るためだった。フェスなんぞではない。普通の企画ライブである。それを見にわざわざ行ったのである。好きすぎて「京都から見に来ましたと」と言ったら向こうも若干引いていたのを覚えている。そして時は流れ今年九月、私たちはなんとそのバンドとライブしてきたのだった。実にロマンチックな話ではないか。向こうは40歳を迎えそうな大ベテラン達である。日本のエモを支えてきた生きるレジェンドたちと共演出来るとはいったい誰が予想しよう。「おー、気がつけばこんなとこまで来たんかぁ」とまぁそんな感じであった。無論ライブはとても良い思い出になった。私はデジカメを持っていないのでガールフレンドにお願いして貸してもらい、興奮し過ぎて200枚近く撮影し、容量がなくなったので彼女の成人式の写真を消去して撮り続けた。なんたる外道。そのバンドの方々に記念としてバンドTシャツを貰った。やや大きかったがとてもうれしく、今でも家のタンスに大事にしまっていてどこにいったかちょっと覚えていない。嬉しかったなぁ。食べ物も旨かったぞ!食いしん坊諸君待たせたな!北海道は最高だ!ジンギスカン、海鮮、味噌ラーメン、雪印フルーツパーラー、札幌クラシックビール・・・語りつくせぬほどのグルメを堪能して帰ってきた。「ここでケチってどないすんねん!」と謎の度胸を見せた結果、10月後半は気がつけば通帳残高が150円くらいになっていて「ぎょぬぽ」みたいな声が出た。耐え忍んだ。とまぁそんなこんなの札幌ツアーが終わり、私は今なんとのう暮らしている。と、言いたいところだが諸君、世の中には卒論というものがあってだね。てんてこまいなのだよ。加えて明日から2日間、学生生活最期の学園祭が始まる。バンドは今年も参加する。どうでもいいが私のサークルはオーディション形式で勝負して上位8組が学園祭に出られる権利を得る。私の戦績はと言うと2年生・・・2位(破竹の快進撃。有頂天。ヒャッハー状態)3年生・・・2位(単位の取れない先輩たちに負ける。さっさと引退しろと願う。)4年生・・・2位(後輩に負ける。洒落になってない)という感じでなんか良いのか悪いのか。いや、良いんだろうけどなんちゅうかまったくこれはいかにも私の人生を体現している感じがして実に滑稽、ゆうてる場合か、というなんとも締まらない感じになっていた。まぁ、こういうの嫌いじゃないんだけどさ。まぁ最期のお祭りなので楽しみたい。今年はお笑いコンビがゲストでくるらしい。トータルテンボスが楽しみ。東京03とか来たら5000円払う。でも来ない。悲しい。そうそう、遂にボーイのアルバイトも今年一杯で引退が決まっている。ボーイ史のなかで4年間勤めたのは史上初、という偉いんだがアホなんだか分からん称号も得たので有終の美を飾ろうと思う。これについてはまた今度。まぁ簡単な近況報告になってしまったが、ぼちぼち更新していく。しないと怒られるので。ではまた。
2011年11月11日
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咳とくしゃみばかりしている。だが風邪ではない。なので余計に怪しく、何かの奇病に罹ったのかと慄いているのだが生憎私の体調に関するアティチュードは非常に曖昧であり、「怖いなぁ、なんだろうなぁ」と「そうだ、医者へ行こう!」の間には越えられない壁がいくつも存在している。なのでかかりつけの皮膚科を覗けばこの4年間で医者に行ったことは1度しかない。そう、ニセ健康優良児なのである。さて、お盆も開けて岐阜から京都へ戻ってきた。大学生という名の甘い汁を熊のプーさんもかくやと言わんばかりの勢いですすりにすすり、その堕落さを見て見ぬふりをするモラトリアム・ライフが確実に終わろうとしている中、帰省という行為もおそらくあと一度だろう。家族にも私が自分のしたい事をしている間に、ゆっくり滞在しなければ分からないほどの微妙な変化がおこっているらしい。そういった印象を受けた。よくも悪くも祖父母というポジションは、長生きしているだけあって家庭に与える影響力が強い。祖父母にとって私が「岐阜に帰って教員になる」ということは、恐らく数年前から未来のスケジュールに当たり前のように書き込まれていたのだろう。なので私のここ2年程の気持ちの変化なぞ知る由もなく、また私もそれらをいちいち帰省して「実はね・・・」なんて告白する事もなかった。なぜなら私からしたら「そんなこと知らんがな」状態だからである。だが、よくよく考えてみれば三兄弟の中で私が受けてきた祖父母からの特別な恩恵、あれらはもしかしたら未来を保障してくれるだけの前金のようなものだったんだろうか、と考えるとあまり宜しくない結果だが非常にしっくりきてしまう。今更過ぎて「そりゃないぜ!」と言うことすら憚られる。ディスコミュニケーションが生んだ悪の諸行ということでこの場は丸めて欲しい。我が家は至って普通の家庭だとこの20年信じていたが、普通の家庭なんてものは無いと気づく。先祖代々、目玉焼きに塩を降り続けた家庭にとって、嬉々として目玉焼きにソースをかけるご家族は「普通ではなく」、もし「目玉焼きには塩だろ家族」が食事を生死の次に重んじる家庭であれば両家の娘、息子が結婚することはちょっと難しいかもしれない。そういうこった。こういう所で人間の器量が試されるのかもしれぬ。つまり「何かを犠牲にして何かを守る」という考え方の人は「責任」や「恩義」を重んじるあまり自分の何かに嘘をついて生きる、それに慣れることを必要とされるのだろう。もしかしたらその生活は高山へ登った時のように、とても息をすることがしんどいかもしれない。だが、上手い事やる人は自分の道を曲げるのではなく、2月にせっせと県が行う道路の改装工事のように少し自分の道幅を大きくする。目的地までのルートは最短ではなくなるが、辿り着く進路を作り上げるのだろう。そこに必要とされるのは気遣いと、多少のワガママが言える自分だ。ある意味それも才能かもしれない。まったく、家族について考えごとなんてものは尽きないだろう。特にこの時期なんてのは自分の一挙手一投足がチェックされている。でもそれすらも、幸せなことかもしれない。拒否できる、幸せなのかもしれない。最近家族の話多いな。恐らく一番多くの友人に会った(もともとの絶対数が少なくいこともある)帰省だったが、たまたま飲み会に居合わせた微妙な友人なぞは正直、もう会わないんだろうなぁ、としみじみ思ってしまった。悲しいとはまた少し違う感情で、視界が不透明に。結局のところ自分っちゅうのは一体何者なんだと、そこに行きつく。就職活動中、某出版コンサルタント会社の社長がこのようなことを話していたのを思い出した。聞いた時も感じたがあれは本当だ。"Who am I ?"というよりかは"What am I ?"。そういう思考を、ストップさせたくないと思う。あぁ、今日こそは面白い日記書こうと思ったのに!熊のプーさんのくだりまで良い感じだったのだが見事に破綻した。陳謝。
2011年08月22日
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はてさて、大学生活で最後の夏休みが到来した。大体4回生なんてのはそもそもが長期休暇のようなものだがやはり決められたバケーションはテンションが違う。若干。かくいう今も、荷造りを途中で放り出し、気もそぞろにこのブログを書いてみている。何の荷造りかって?それはもうこの時期に私が荷造りをし出したら我が軽音サークルの夏合宿に他ならない。なんと4年連続でこの合宿に皆勤賞である。一回3万円なので私はこのそこまで面白くないサークルの合宿のために12万円はたいている事になる。おまけに去年に至っては幹事まで。全くもって狂気の沙汰である。「今年こそは絶対行かんぞ。その3万円で私は温泉旅行に行くんだい」と決心した矢先、同じサークルに所属する彼女が「来い、来なきゃ嫌だ。」と非常に反則スレスレのキュートなわがままを申し出し、渋りに渋って結局行く羽目になってしまった。まったく、これだから甘過ぎる男は駄目ね。でもまぁ、こんなこと出来るのも最後かな、と思うと悪い気はしない。事実、自分のバンド生活を支えてきた基盤は間違いなくここにあるのだから。と、無理やり美談に持っていく流れでこの(しかし・・3万か・・)という一抹の悲しみにはお口チャックしておきたいとおもう。色々な時間がなくなっていく中で、結局バンドに費やすところがほとんどだろう。レコーディングに札幌のツアーも控えている。この一文だけ見ればまるで売れている若手一押しバンドみたいだが全くそんなことはない。只のエンディングを見逃し続けたエモバンドだ。ベースは相は相変わらず変な声出すし。喉潰したろか。まぁとにかく夏で。遊びたくて。散財しそうで。最近筆不精だったので合宿から帰ったらなんか書きます。なんかやります。
2011年08月04日
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今日はずっと冷房のかかった部屋で布団にくるまり、まるでたれパンダのような生活を送っていた。連日のバイト、そして昨日の名古屋遠征と怒涛の三日間を駆け抜けた反動が本日のたれパンダである。ふむ、悪くない。バンドの方は相変わらずである。明確な終わりが無い事を良しに、「いけるところまでいく」という曖昧な答えで問題の先延ばしを続けているのだろう。今までバンドの最盛期はとっくに過ぎたと感じていたが、それが本当に最盛期なのかと考えると少し違う気もしてきた。「なんでも自由に動けた時間」があるからといって、それが必ずしも「バンドの一番うまくいった時間」とはならない。楽曲的には年輪を重ねることによって円熟していくはずだし、自分達が思わなくても周りはそう感じるだろう。それはどこかで自分が、「こんなに打ち込めた時間があったのだから、この時間が減ればもうこれ以上のものはできない」と恐れていることの裏返しなのかもしれない。でも自分がバンドにおける熱量が変わってきたのは間違いない。私は野球を12年やって、高校3年生の時、自分がこれ以上野球を求めていないと感じた。バンドもいつか、そうなるんだろうか。しかし前述した恐れと違い、不思議と、それは怖いと感じない。フラストレーションをどこまで許容しながら、そうまでしてバンドを続けることが自分にとってどんな意味を持つのかはよく分からない。けれどもまぁ、この大学卒業が1つのターニング・ポイントになることは確実だろう。それまでは「いけるとこまでいく」でもいいのかもしれん。次の音源はちゃんと歌詞入れようと思う。昨日の名古屋では高校からの友人が2人来てくれた。ハチミツ片手に就職戦線を見事に戦い、顔に似合わず栄冠を勝ち取りまくったが故に色んな意味で舐めまくった「戦場の歩くテディ・ベア」ことヨシオと、夏休みの京都古本市だけを生きがいに相変わらず悶々とした表情で生きるエモーショナル・メンFUMIO(feat.BBQ)は本当にありがとう。バンドの話だけじゃなくて。何事も考え過ぎってのは良くない。悩んだところでいい答えが出るわけでもない。8割くらいが一番いいのかも。今時「俺はお前らと違う」みたいな凍傷レベルの残念な発言はしないけど、それでももう少しだけ脳味噌足りてない人間ならラクなんだろうかーとか考える。自分が別段、冴えてる人間とも言い難いけど。生きがいがほしい。どう考えても仕事終わりの唐揚げとビールだけじゃやってけないだろ。多分。んー。モラトリアム、大学生ですなあ。
2011年07月11日
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ふむ。皆さん、お久しゅう。私だよ。やっとこの3週間が終わりを告げそうだ。私はこの手記を書き終えたら荷造りをして18時発の電車に飛び乗り、京都へ戻る。そう。教育実習が終わったのだ。この3週間は内容が濃すぎてあんまり事細かに語る気力が残っていない。しかしまぁ、教師の真似事みたいなことをしてみて教員という職がとても魅力的な仕事であることにも合点がいった。なるほど、確かに生徒は可愛く、まるで弟や妹が出来たようだった。それもどうかとおもうが。巧くいけば授業は国語の授業は本当にやりがいがある。特に生徒から「先生の授業分かりやすかったよ!」と言われることがこんなに嬉しいとは少し意外なことでもあった。しかし、教育実習というのはハッキリ言って教師の一番美味しいところだけを3週間見続ける期間である。例えば担任を持った場合の通信、アホな親の対処、問題児の指導、テスト作成及び答案、そして土日の部活顧問・・・。私たちが体験しなかった教師の「負の部分」は相当なものがある。私は親の御陰でそう言った物を実習に行く前から散々見てきている。なので教師のやりがいは見いだせたが、それが「よし!教師になろう!」には直結しなかった。人生の選択肢として、可能性は大きくなったが。やっぱり自分にとって野球という物がどうやら大きいらしい。自分はそう感じなくても、そういう親の子として生まれた子供のディスティニー的な決定事項は凄いものがある。なのでやっぱり私は色んな事を鑑みてもどうしても岐阜で教師という線は微妙臭い。私は甲子園に監督としていきたいとはサラサラ思ってない。そんな暇があるなら六甲山で夜景とかみたい。やっぱりこの3週間はお世話になった野球部に費やす時間もあった。特に土日など。結局の所、自分にはそういう場所に飛び込んで「お前ら!甲子園いくぞ!」という熱意がない。どうしても部活という物が自分の中で残業の域を出ない、んじゃないかな。ただ、教師という職はやっぱり安定していて、それでいて生徒が毎年変わっていくという刺激もある。安定と刺激の微妙なバランスを求める自分としては非常に良い物があった。それに付随してくる色んな物を何処まで自分が上手く心で消化できるか、そういうものだった。自分は本当に良いクラスに入れて、それについては恵まれた自習だったなと思う。なんというか、自分の好きな空気感を持っているクラスだった。熱気を帯びることはなく、かといって冷たい訳じゃない。自分が生徒で入っても居心地は良いだろうな、という全体的に75点みたいなクラスだった。最後には全員の写真が何枚も入ったアルバムをもらった。贈呈されてから3分くらい「空気読んで泣けよタイム」みたいなのがあったが、最後に泣いたのが「中学生の時見た金八先生」という私に泣けるわけがない。「ごめん、泣けないわ」って言ったら「まぁ先生感情ないもんね」って言われた。いや、あるよ?まぁそんなこんな。また京都に帰ってゆっくりしたら更新します。
2011年07月04日
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先日、バイトの新人を独り立ちさせるために開店準備のサポートに行き、最近少し体調が悪いな・・・と思いながら帰ってみるとなぜか玄関は開いており、中に入ると「好きな食べ物は白いご飯」で有名な小出が打ち上げられたセイウチみたいになってサッカー日本代表を楽しそうに見ていた。そのくつろぎっぷりのおかげで小出の違和感は全くなく、まるでルームシェアの友人のようだ。就職活動で関西に来ていたらしい。その後色々あって初めて岐阜の友人にガールフレンドを披露することになるのだが、その時酔っぱらっていたウチのアレは来た瞬間にベッドインし、圧巻のリラックスムードを独自で生み出した。「清楚でおとなしい娘をイメージしていた」、という小出の顔からは最早「意外」の文字が浮かび上がってきそうな勢いである。まぁ、そんなもんだろう。最終的に彼女が一年先輩である小出にタメ口を使い、何故か小出の方が「そうですね・・!」などと敬語を使い始める始末で一体どうしたもんだ、まぁいつもこんな感じか、という謎の平常心を取り戻し、そのあやふやな3人のバランス関係が形成された。加えてその後、彼女をタクシーに乗せる送り途中に史上最大のメロドラマみたいな喧嘩が大通りで勃発してしまった。夜中の3時である。迷惑以外の何者でもないがなっちゃったものは仕方ない。なんでそうなったか私の方が聞きたい。ションボリして部屋に帰り、小出にその旨を試しに行ってみると何故か小出が一番アタフタしだして「俺・・今からでも帰った方がいいんじゃ・・」という誰も得しない解決方法を編み出し私に一蹴されることになる。今にして思えばあれはあれで面白い一夜であった。もう二度としたくないが。そんな感じで私は最近まで生活しておった。それはそうと岐阜に帰ってきた。遂に来たるべき時が来たのだ。教育実習である。なんとも弾まぬ気分である。それというのも帰省した瞬間に内部関係者である父親から「お前の担当教員、野村やぞ」と言われたことにある。野村とはいわずもがな、高校時代野球部においてその名を轟かした、あの鬼監督である。通告された瞬間、色んなしょっぱい思い出がフラッシュバックする。当時一秒でも一緒にいたくなかったのにその人と3週間、同じくクラス、そしてその人の前で古典(笑)の授業。なんの罰ゲームだというのか。まぁ担当クラスが2年生という事らしいのでそこは良かった。っていうかほぼ2年だと思うが。ついこの間まで厨房だったガキんちょ達ではおもしろみもヘッタクレもない。保母さんと変わりない精神で挑まねばならぬことになったろう。twitterなんかで、他の教育実習に行った同期達を見ていると、それはそれは想像を絶する多忙さらしい。我がバンドのドラムも教員志望の一人である。「まぁ適当にやってくんべ!」と意気揚々と秋田へ帰っていったのだが、その余裕はどこへやら、一週間の音信不通状態となりその数日後、「飲み屋なう」という完全に現実逃避のテンプレートみたいな呟きをしてまた姿を消すことになる。一体なんだというのか。今日はこれから事前オリエンテーションということで、これから3週間勤め先となる母校に行ってくる。もう通学道を忘れているレベルだが。まぁこうなったら開き直ってやるしかないのだろう。開き直ろうぞ。では行ってくる。
2011年06月09日
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アホみたいな晴天が続いたと思えば今日は土砂降りの雨。前日との最高気温が10℃も違うっていよいよ日本がおかしくなってきた感じ。こんな時こそ僕たちくらいシャキッとしましょうや、って事で。内定、二つもらいました。ハウスメーカーと、求人広告会社の二つです。狙ってた住宅業界と、マスコミで一個ずつなので自身としては及第点かな、と思ってます。応援してくれた皆さん、ありがとうございます。如月はね、頑張ったんですよ。これでも。6月には教育実習もあるし、ここで一応就職活動を終わらせようと思う。お金もキツイし。余談になるけど就職活動ってある意味経済力が一番重要だと思った。そりゃ勿論、会話スキルとか、対人能力とかとはまた違うけど。毎日あっちこっちいって、大阪に一日行けば少なくとも2000円は消費するからね。食費やらなんやら。全国区の企業なら東京もいかなきゃならないし。そうなると簡単に諭吉さんがすっ飛ぶって寸法さ。私は出版も受けていたのでガンガン東京へ行きまくったけど、結局東京で受けた企業は最終面接まで一つも残らなかった。SAD。東京が私に教えてくれたことは高速バスの乗り方と、松屋の絶対的な信頼感と、レコード発掘の楽しさだけだった。いいけど、いいけどさ。就職活動をこれで半年近くやってたって計算になる。この期間は中々キツかったけど、学ぶべきことが多すぎてそのスピードは本当に速かったと思う。ただでさえ短く感じる大学生活を更にこの期間が加速させた印象。していくうちに自分の大事なもの、大切にしたいこと、将来のビジョンなんかは少しずつ軌道修正されていって、当初の予定だと私は大手貿易会社に勤めて4年に一回は海外を飛び回るシナリオだったはずだ。今からすると「若いねぇ」と感心せざるを得ない。どこかで自分の長男的な、保守的な部分がニョキニョキと顔を出し始めて私の夢は「休日の夕方5時過ぎに、嫁と犬と河原を散歩すること」に変更された。アットホーム過ぎる。こういう変化から、住宅業界を見だしたような気がしなくもない。とにもかくにも自分にとって「家」とか「家庭」とかそういうメッセージが強いものになってて、勤務地とか給与とか、それらに直結する思考が自分にでき始める。その中で、「仕事の面白みを感じてやれるか」とか「バンドを続けるか」とか副次的な、それでいて自分の中でないがしろにはできない命題も絡んできて正直なところ良く分かっていない。もしかしたらこんなこといっておいて一年後の自分は教壇に立って「先生、書き順ひでぇな、おい。」って言われてるかもしれない。何が起きるか、自分でもわからない。とにかく、そういった悩める選択肢ができたことは今の時代、非常に幸福なことだと思ってそれは素直に享受したいと思う。また就職活動している同志は勿論いるし、自分もまたやり始める可能性だって十分ある。けど、少し自分はラクな位置に立たせてもらったので、思い上がりかもしれないけど就職活動の悩みとかあったら何でも聞きたいと思う。ついこの間まで自分も公園で不合格通知を握り締めながらビール飲んでた身であったことを決して忘れてはいない。ダラダラと書き連ねたが現時点ではこんなところである。数少ない読者の衆、ホントにありがとう。なんか協力できることがあったらホントにいってほしい。そして、マジで頑張れ。でも無理はすんな。色んな悩みは、これから始まるんだろう。
2011年05月23日
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もう5月ですなぁ。「4月の雨は5月の花をもたらす」っていうけど本当だったら良いね。とにかく暖かくなってくれないとせっかく買った春服やらなんやらが着れない。ライブしたり見に行ったりを久々にしてCDやレコードも買いまくったので金欠感がすごい。けどいっつも「あ、これヤバい・・お金ない・・明日生きていけない・・!」ってなるギリギリの時に何かしらの収入があるので1年に3回くらいそういう全く求めてないスリルを味わいながら生活している。アルバイトも遂に自分が最年長。他のボーイは自分より2つも年下という訳でただでさえ溢れだすようなオッサン的な雰囲気はより濃厚に。そのポジションが更に強固なものになりつつある。後輩の育成なんてものを自分がやるとはね。そろそろ引退時を考えたいんだけどこういうの決まって辞めたいときに辞めれないんだよなー。そもそもこのボーイと言うアルバイトを辞めたら自分は一体残りの大学生活どういった道で金銭を得ればいいんだろう。まぁ質素な生活に努めれば早い話なのだがけっきょくそんなのするわけがない。気持ちの良いくらい金遣いの荒いガールフレンドを筆頭に顔を合わせればボーリングの誘いしかしない学部の友人、焼き肉に誘う犬のような犬など...私の周りには誘惑が満ち満ちている。断れるわけがなかろう。この時期になって何かを振り返る、という事が多くなってきた。そりゃ勿論まだ大学生活は終わってないわけだけど最近、久しく会った誰かとしゃべっている時に(誰だったのか見事に覚えていない)「大学生活どうだった?」と言われ、おいおいまだ終わってねーよなんて思いつつ、けど世間一般からしたらもうそろそろ潮時を感じてもいいことってことなんだなーとしみじみ思ってしまった。やーね、辛気臭い。まだ就職先も決まってない青二才なのにね。1年前の自分は本当にバンドのことしか考えていなかったなぁ。上手く軌道に乗り出して、周りから評価を貰って「あ、これ面白いかも・・」って思い始めて。自分が就職することなんてやっぱりどこか他人事に思っていた。それは自分の中で丁度、夕方のサイレンのように待っていればやがて向こうから来るものだと。なんか最近こういうしみったれた日記多いなぁ。こうやって面白い事言えんくなってくんかなあ。怖いなぁ。芸人失格やなぁ。とにかくこの連休が終わったら来週は最終面談が2つあるんでその結果報告をここでしたいなーと思います。そしたら面白事いいます。いや、絶対。"April Showers,May Flowers"
2011年05月06日
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断続的に雨が降る中、昨日から気持ちとしてかなりゆっくりした日々を過ごしている。今は自室でカフェオレなんぞをすすりながら、東京遠征に行けば最早恒例行事と化しているレコ屋めぐりによって遂に出会ったEversorの1stを聞きこんでいる。中古価格7000円である。体中の体毛が抜け落ちるかと思った。なんとまぁ4回生らしい過ごし方。時間の弄びっぷりが半端じゃない。とても就職活動中とは思えない。最近は就職活動の事ばかり日記で書いたり、ツイッター呟いたり。まぁ現時点で自分の生活の軸が完全にそこに根差されているから仕方ないんだろうけどなんというか、こういう時だからこそ感性を違う方向に向けたいなぁ。と思う。けど、そう思う反面、今は自分の限りなく近い将来を考えなければいけない時なんだと思う。高校受験、大学受験もそれなりに頑張ってはいたがやはり、なんとかなる感が常にあった。それは自分の中に「守られている」という安心感がやはりあったからだろう。親に、社会に。それが今回は無い。あぁ私も今回ばかしはマジで働くんだなぁ、としみじみ思う。同時に自分が守る側になろうとしてるんだなぁ、と思う。つい数か月前までは世の中のあることない事見つけ出しては、痛快毒舌SFアニメみたいな日記を書き散らかしていたこの私が、である。なんてこったい。両親や祖父母に電話をした。就職活動のとりあえず経過報告と、5月に出来たら岐阜に帰ろうと思う、という旨を伝えるためだ。私の家は、父方の祖父母の家に隣接している形になっている。なので家柄、というのがあるかは分からないが傾向的に「男なら○○~」みたいな意識が強い。そのくせ、孫たちには岐阜に帰って来て欲しい感情を必死に隠してはいるがモロバレというチャーミングな一面もある。長男である私はその代の初めての男の子ということもあり、非常に可愛がられ、怒られた記憶は皆無であり(両親には散々怒られたが)、その愛情をなみなみと注がれてあやうく窒息しかけるレベルで育てられてきた。しかし、そういった期待は時として私の中で非常に大きな鎖となっていた。「これだけ甘やかされたのだから失敗は許されない」という気持ちは小学校の時からあったと思う。祖父母の思うある一定の基準。「お前なら~くらいは」という名文句を私は常に聞いてきたし、実際そうだと思ってきた。私には弟が2人いるが、どちらも正直言って、私よりなんというかこう、世渡りが上手くない。そんなに頭も良くない。っていうか悪い。三男坊に至っては知能レベルが金太郎アメのようにどの年代を切り取っても同じであり、果たして一体人生をどこからやり直したらオツムの出来が良くなるのか、タイムマシーンを引っ提げて意気揚々とやってきたドラえもんでも判断しかねるレベルである。そんなもんだから、兄貴の自分が失敗したら色々とまずいわけである。恐らく両親も、祖父母も、そして私もそれは思っていた。読者の諸君の中には「考えすぎやろ!一族全員でマッサージしあって肩の力抜けよ!」と思われる方もいるかもしれないが、これはもうしょうがないのである。そういう家だし、それが普通なのである。私が先陣を切って何かを成功させ、弟よ、それに続け!というのが如月家の必勝リレーなのである。甘やかされた私は、それが責務だと思ってきた。そしてこの就職活動も。自分の大学生活は家にバカ高い経済ダメージを与えるだろうと思った高校3年生の時、本気でやりたいことやってやろう、甘えるだけ甘えようと思った。そして、就職だけはしっかりしようと思った。この4年間を最後の甘えにしようと思ったのである。別に滅茶苦茶稼いで何かを恩返し、とかそういうのではない。そりゃ勿論形ある物でのお返しもするが。私としては家族が安心して私を見送る結果を作ることが大事なのである。安心させたいのである。である、である言い過ぎである。大学に入る前に自分が守りたいと思ったこと、大学生になって自分が守りたいと思ったもの、どちらも大切だし、ありがたい事にこの人生の命題は二者択一ではないのでどっちも守る気。ふむ。こういう自己分析、完全にやるタイミング間違えてるな。
2011年04月27日
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さてさて四月も遂に下旬。私の就職活動もマジでハイライト的な展開を迎えつつある。野球でいえば3-2で負けてる7回の表、ワン・アウトで走者は一・二塁。迎えるクリーンナップはこの試合まだノーヒット、と言う感じ。とにかくこの2週間くらいが一番の山場になるんじゃないかな、という限りなく確信に近い予感。この時期は遂に内定をもらった人間が知人に出始める頃。そうかと思えば自分のごく小さなコミュニティの周りは、未だ同じように苦戦する同士がたくさんいて、本当に人生の分かれ目というものをまざまざと目にする。なるほど、ここが分岐点。事実が下る坂はとても緩やかで、それでいて非常にスリリングね。先日ガールフレンドと話していると、彼女が「こんな大学生の現状で選べる就職先なんて不確かで、そこが正解な訳がない。転職ありきの問題だと思う」というようなニュアンスの発言をしてて(多分こういう意味だと思う)、なるほどなーと感心する半面、どこかクエスチョンマークな事項として自分の中にあったことをよく覚えている。確かに私たちはこの就職活動を本当に一生の職として重視するあまり、多分「いずれ転職したい」というビジョンを持ってる奴って確かに少ないなー、ってかいないなーと思った。けどこの話をしてた時、私はこのご時世で現職よりも転職先が良いところになる保証なんて何処にも無いからなぁ、という考えで聞いていた。しかし、よくよく考えてみると「まぁいずれ転職するからなぁ」という考えを持ったまま就職活動してる自分を採ってくれる企業は例えブラックでもないだろう・・とこの数カ月でわかった。人事は全員が賢くは無いが間違いなくバカではないと思う。真剣に入りたいと考えている人間と、そうでない人間はやはり言葉の重みが違うし、それは学生の私でも感じるのだから、これは当然だろう。しかししかし、もっとよく考えると問題はそんなことじゃないような気がしてきたのだ。ここからは私見が強く絡む、まぁ私なりの最終回答だ。私達はこんな大学生の身分だからこそ、必死こいて企業研究して、入りたい企業を決めるべきだと思う。要は、この時を生きていた自分たちなりの答えを、悩みまくって見つけることが大切なのではないかと。私はぶっちゃけ自分に少なからずの自信を持っていて、それは社会人として通用するかは飛び込んでみないとわからない。けれど、少なくとも同期の人間で自分よりスーパーな奴をあんまり見たことがない(と言っても私の周りなどサークルくらいしかないから周りの偏差値が低すぎるというのもある)。勿論、自分が一番な訳ないので、きっと自分より凄い奴なんてアホほどいるだろう。けど、それを見越してもまぁ、良いところくらいには居るんじゃないのかなー、なんて思ってるから大企業にES一枚で落とされたりすると「むむむ!」となる。私の書面アピールの仕方がまずいんだろうが。「会ってもっと喋ってくれよ!」と思うからこそ、私は自分をじっくりみてくれる企業に会えると、なんというか、感謝のような気持が芽生える。「よくぞ俺を見てくれた」と。そういった企業が、自分の最終回答として残る会社なのかは分からない。また、そこが一生勤める会社として適切なのかなんてもっと分からない。けれど、私としては社会人のスタートを切る理由なんて、それで充分だと思うのだ。私は、もし自分のこの絶対的な自信が勘違いでなければ、慢心でなければ、その力をこの会社のために使いたいと思うはずだ。無名の実力派用心棒を雇ってくれた大名への奉公、みたいなもんに似ている。そこで自分が良いパフォーマンスを見せて、「お前を雇って正解だったよ」と言ってもらえれば私としては感無量。それで企業が成長すればいう事はナシだ。結果を出すことが、私の中で自分を紙で落とした大企業への「仕返し」みたいなものとして、昇華されるだろう。なので、大学生のひよっこだからこそ、無い知恵使って必死に就職活動すべきだと思った。決断を下すという事が、自分への責任を持つこと、その自分の表明になるのだと私は思う。もしそれで「やっぱ駄目だった」となれば、その時は彼女が言ったように転職すればいい。そして「大学生の頃の俺はアホだったんだなぁ」と思えばいい。けど、そのアホの道は自分で悩んで決めた道なのだから、そういった自分を認めて生きると言う事が大切なんじゃないかな、と。ある人事に「君は機転が利く人間だから、無意識のうちにグレーゾーンに入りたがるんじゃない?」と言われ、「こやつ・・できる」ってなった。そういう人に会うと、ニヤリとする。祇園で働くと決めた時もそうだが、私はこう見えて大切な決断はその場の直感重視である。そういう21歳の自分を、信じてみたい。仕事人間にはならんけど。あと今日の面接の最後に「君、そのボサボサの髪の毛を何とかしたまえ」って言われてから「テヘっ!」って言っといた。
2011年04月17日
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4月に入って一気に忙しさが消え、割と落ち着いた日々を過ごしている。それは就職活動のカードが一枚、また一枚と減っていったことと、遂に私も4回生となって、とる授業がゼミの他無くなってしまったことに起因している。どちらもまぁ、凄いlet It Beな話しだよなぁと呑気に構えているわけだが。さて早ければ4月中にはすでに就職活動が一段落する人もいるわけで、ここ数か月の流れで私たちの将来のビジョンは何となく固定されていくのだろう。固定できたらそれはつまり良い話だと思うが、実際のところこの春で決まらない人間もたくさんいるわけで。私ももしかしたらその一人で、未来はフルーチェのように不安定なプルプル感で埋め尽くされているかもしれない。なんてこったい。前も書いたように、これまで大きな失敗、というか人生のタイムリーエラー的なものは自分の中でそんなに無かったので(SADな思い出は数えきれないが)、今回もこの人生の巨大な法則に乗っかってくれないかなぁとカルト的な希望観測を持っている。しかし一方で、今までのそういった結果は実はフェイクで、私をこの土壇場で窮地に追いやるための非常にタチの悪い悲劇なのではないか、とも思っている。もしそれが本当ならば私は目も当てられない惨劇を体験する羽目になる。いやだい。なんとか決まってくれないかなぁ。しかし、これ一生かかってるんだよなぁ。転職とかしない限り、自分が今後40年かける職が決まってくるんだと思うと胸熱な展開過ぎて腰が抜けそうです。最近は本当に腑抜けみたいな生活を送っててマジで自分の危機感のなさに驚いている。世の就職活動している人間の一日を全員分ユーストリームで配信してほしい。私だけなのか。私だけなのだろうか。本当に面接やらなんやら落ちまくっていて結構これキツイなぁ。私みたいに「できる」と思いこんでる奴ほどこれはキツイ。あぁ、もっと謙虚に生きるべきだった!なんて微塵も思っていないが。やっぱこういう人間はこういう人間なりのあがき方をしなきゃいけないんだろう。やだなぁ。出来るならばスマートかつスタイリッシュに決めたかったなぁ。なんてのは願望だけでいつの時も私はみっともない格好しても、それなりに努力してきたなぁと思いだす。やっぱこういう感じなのね。人生。あー知りあい全員と一日ずつ飲みに行きたい。こういう気持ちは大学受験以来だ。
2011年04月08日
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だからこのくそ忙しい時期だというとるのに私は何故か三日間連続でバイトに入っている。ご存知、祇園ボーイです。どうも。で、今日は二日目だったんだけど私の一番嫌いな流れだった。つまりは客は全くいないのに閉店が遅い、という日。今日は客が2名に対して閉店が3時だった。久々にしては結構堪えるし、そもそも就職活動中に私が入らなければいけない状況が何とも不愉快。チーフは何でも屋じゃない。けれど次々と新人が辞めていく中、残ってくれた後輩には文句は言えない。寧ろ感謝している。誰が悪いわけじゃない。しいて言えば、やっぱりママが悪い。本当にどうしようもない店って事は前から耳がもげそうなくらい聞いているし、目は腐るほど現実を見ている。それでも今日、新しい発見があったので眠いけど記しておきたい。私は今までしょうもないキチガイみたいな客が嫌いだったが、今日初めて、頭の悪いホステスが本当は一番嫌いと言う事に気付いた。酔った客の適当な言葉を受け流せず、「だって~○○じゃん!?」と反発する。客は当然気分が悪くなる。ホステスは反省するどころか持論を意気揚々とまくしたてる。地震でも書いたけど本当にイメージが足りない。自分の高い収入はいったい誰の懐から出ているのか、全く分かっていない。ここはお前の論を展開する店じゃない。私たちの答えは常に「イエス」であるべきだし、それが業務だ。それができなければホステスなんか辞めた方がいい。周りの人間や同じホステスに迷惑をかけるだけだ。もう40歳を超えているくせして本当に発想が子どもだと思った。閉店後、ずっと愚痴を聞かされていたが皿洗いに集中していて相槌を打つだけで、一切何も聞きたくなかった。よく「女は論理性のない、感情で物事を~」、みたいなこと言われる。こんなものはただの男尊女卑だと思うが、ルーツはこういう夜の部分にあるんじゃないかとおもう。酔った男のでたらめを真に受け、売り言葉に買い言葉。ちょっと考えれば何が一番ラクか、分かるはずなのに。これはビジネスだから、どんなに酔っぱらったアホにも対価を払わなくちゃいけない。それで私たちは生計を立てているのだから、必然だろう。祇園は本当に勉強になる。何よりもの救いは、こうやって嫌なことが何回起きても、明日ベッドから起きるのは昨日よりタフになった自分だと信じていることだ。結局は、自分で決めたことだし誰も助けてくれない。自分がやるしかない。いつかこのボーイ生活の全てを一つの小説にしたいと思っている。それまでは、毎日この朝の4時に感じていた色んなノイズを大切に整理しておきたい。ゆっくり、大切なことを飲み込んで、体に溶かしていく。イメージを。
2011年03月28日
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しゅーかつに最高の嫌気がさしたのでフラリとラーメン屋に赴いた。出来上がるまでの間、久々に携帯から日記を書く。なんとまぁ芳しくない就活。一寸先は闇どころか元々此処がどこだったのかすら分からなくなり、そもそも何故就職するのか、なんて今更すぎてかなり洒落になってない現状。先の地震で企業が6月以降の採用を決定するが、6月には教育実習で完璧なバッティング。伝家の宝刀、美味しいとこ取りは浅はかな皮算用となって自分の首を絞める結果に。結局いつもこうなんだよなぁ。なんかこう、空回りから抜けられない。とかウダウダいってる間にラーメン到着。五分で平らげて閑話休題。バイトも続々と辞めていき、そりゃママのキチガイぶりもあってしょうがないんだけど、正直キツすぎる。一体どこまで私に負担をかければ気が済むのか。これはアレか、なんかのテストなのか。辞めた子は責められないけどせめてあと1ヶ月は続けてほしかった。そういう決断力だけはホントにずば抜けてるよね。最近の若い子は。って思想が完全にオッサン。教員免許のおかげで最悪のシナリオはどうなっても回避できるけど、現時点でこの就活は何か悔しい。社会の理不尽と己の力不足を同時に感じるのは今まであまり無かったからだろう。不況のせい、地震のせい、バイトのせいと何かにすがる事は容易いけれど、それをしてしまったら本当に自分に絶望しかねん。何やかんやで私は自分に自信があるし、なんとかなると思っている。今は夜とお祈りメールが心を弱くしているだけだろう。明日になればまたタフに生活できるはず。こういう時本当にバンドしたい。ボリュームフルテン、思いっきりドライブかましたディストーションでメロディック・パンクを。ただ、困ったことにバンドもまた一つの悩みで、きっと今のバンドに去年と同じように高揚感はもう得られないだろう。避けがたいベクトルの違いが、刻一刻と近づいてる。そんなこと、もう随分前から分かっていたのかもなぁ。と、まぁこんな感じで今は何もかもがエモーショナルになって、公園で1人プワーっとしながらラーメンの余韻に浸っている。まだまだ弱い自分を認めなければ。もっとタフになりたい。鋼の精神が欲しいなぁ。ただ一つの救いは、頑張りたいと思える明確な付き合いが出来ている事だ。これにはホントに感謝してる。如月、精一杯のノロケである。まーとりあえず、解決策はもっと感性を研ぎ澄ませて、クレバーに行動する事だな。確かに色々勉強になってる。就活、してて良かった。あとは結果を残すだけか。取り留めのない文章だけど、少し切り替えれそうな気がする。よっしゃ、帰ろう。
2011年03月23日
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一回ちょっと堅い文章書いたんだけど不手際で全部消えちゃったから、もう感情を羅列していく。誰のためでもなく、自分が振り返るためなので。読者の皆様、見にくかったらすみません。あといつもよりラディカルになってると思うので。ご了承を。もう説明する必要もないくらの災害になってるけど、私がこの有事を知って思ったことが「絶対これを面接のネタにする奴がいる」って事だった。我ながら小さい人間だと思うが、でもこれは絶対いる。1000人はいる。「先の地震でも私は感じることがありました。自分にできないことは何か・・って」みたいな感じの奴。悪いとは思わない。ぶっちゃけ、むこう(企業)から聞いてくるってのも絶対あると思う。1000社くらいは本気であると思う。それくらいしないと就職できない、って考える脳みそ足りない奴がいるのも確かだと思う。でも、さっきもいったように私はそれを責めない。就職氷河期って言葉を使っていいのは当事者である私たちだけだ。本当にキツいのはやってる奴だけが分かるから。責めないけど、アホだとは思う。じゃあ地震がなかったらお前は何をしてたんだって思う。で、何が言いたいかっていうと大災害によって善悪の境界線に亀裂が入ったな、って事。当たり前にあったインフラが目の前から消えて、マスコミは「煽ってるだけじゃねぇか」と思われて、政治は「何か隠してるだろ」って思われて、これから経済がヤバい打撃を受ける。でもそれは至って普通のことで、境界線に亀裂が入ったっていうよりはもともと境界線なんてなかったって言った方が正確かもしれない。「オオカミと羊飼いの少年」の話のように全ての産業とそれを享受する私たちがいっつも曖昧で、「でもまぁ生活できてるしいっか」って思って部分が少なからずあったわけで、だからこういう衝動的な危険が襲ってきた時に耐久性がない。海外のメディアでは「一番訓練された国で大災害。日本人は感情を抑制する能力に長け、他国ではこうは行かなかっただろう」みたいに書かれてたけどそれはどうかな、と。根源的に抱えている問題は一緒だと思う。まぁ大抵こういう話になると最終的には「正義とは何か?」みたいな話になって来る。実際、今ままで私と一緒にアホみたいな事しか言ってこなかった奴が「俺はこんな時に・・」とか「世界は・・・」みたいな発言し出すのは結構よくあることで、でもそれは良い事だと思う。なんにせよ、思考を停止することが一番やっちゃ駄目なことだと思うからだ。けれど、こっからが持論であって、ぶっちゃけ反対意見もいっぱいありそうだからあんまり公言できず、だからこそここに書くわけだけど、思考を停止する事は駄目だけど行動の停止は私は駄目だとは思わない。往々にして、「有難迷惑」っていうのはこういう時によくあるんじゃないか。例えばtwitterを見ていても、かなりの有益情報に交じって、デマツイートであったり確定要素のない不安を煽る情報がリツイートされてたり、それ今はどうでもいいだろって人物が叩かれてたり、しょうもない文章が多すぎる。あるいはさっき言ったみたいに「こんなときにメディアは・・・」とか長文で持論持ってきたり、「俺にだからこそ今できることをやるんだ!」とかダラダラ宣言しちゃったりあるいはそういう発言をリツイートしたり。もっとイメージしろよお前らって思う。ましてやtwitterなんてのは生モノじゃないか。鮮度の良い物が残り、どんなに良い物でも時間がたてば通り過ぎてく。お前がそういう文章をチンタラ打ってる間に有益な情報が流れて行って、被災者の人がやっとの思いで充電した携帯からtwitterを開いて、少しでも有益な情報をつかもうとした時に「○○死ねよ」とか「こんな時にメディアは・・」とか見れて嬉しいと思うか。もし「俺にだってできることを!」とか「みんな力を合わせて!」とかいうプラスのメッセージだったとしても。もし私が被災者だったらありがたい。本当にありがたいと思うんだけど、今欲しいのはそれじゃないってきっと思う。なんか今の風潮で「何かやらなきゃ!」ってしてる人が凄いいるんだろうけど、正直その同じ人数くらいの被災者が「何もやらないのが一番ありがたい」って思ってるんじゃないかって考える。twitterだけの問題じゃないにしろ。けど、こっからが大事なことで本当に何もやらないのが良いとは思わない。あくまでもこれは「今は」って話だ。今めちゃくちゃ被災者のために何かを我慢したり、努力したりしている人達全員が、一か月後も同じ努力をしているとは私には思えない。絶対に「あの時、私は自分にできることはしてきた」なんて満足感抱いて、普通に生活して、テレビでまだ未完成の復興を傍観者のように見ている。もう一度書くけど、本当にイメージしろよって思う。今だけ見てたら本当に只のアホになっちまうぞ。お前の100の努力が自衛隊達のやってる100の努力と一緒のパフォーマンスができてると思うか。それよりも2週間後に献血行く方がどれだけ為になると思うか。「今日だけは絶対!」って何にも電気つけずに過ごすより、これから一か月コツコツ節電する方が良いんじゃないのか。電気のことはよく分からないけど、その努力に持続性と有効性があるのか、って思う。今私たちが出来る努力は多分一週間後にやった方が、被災者にとって嬉しがられると思う。一週間後から一カ月、ずっと継続したらもっと嬉しがってもらえると思う。だから、一週間後に何かする方がいいと思う。本当に黙ってるのが一番いいと思う。黙って、東海大地震に控えて準備するだけだ。いつ自分が「応援する側」から「悲しませる側」に回るかなんて誰にも分からない。現実味がないし、先の恐怖におびえるのは癪だけど、用意しといて損は無い。自分の生存率を上げる努力の方がよっぽど未来のためになると思う。今、何もダメージのない私たちがギャーギャー騒いでたら被災者の人達は「やっぱりヤバいんだ」って思うんじゃないか。私だったらそんなのは結構、嫌だ。だったらいつも通りアホみたいな発言してる方が私は賢いと思う。かなり自分で書いてても矛盾と論点の多い文書だと思う。「twitterでこういう事が書いてあって勇気をもらった」という被災者も、勿論いるとおもうし、何年後かに、きっとそれを題材にしたSNSの広告が出回ると思う。けど、比率を考えて欲しい。どっちが多いか、マジでよく考えて欲しい。美談に埋もれてく有益な情報は一体何人の為になっただろうか。でも今はこれくらいしか考えることはできない。どいつもこいつもアホばっかだと思うし、でも自分が何か分かっているとも思わない。結局、小さいことから抱いていた虚無感とか諦観は常に消えないままだってことを再認識しただけだ。書いててなんか無性に悲しくなったりしたけど、こういうのを吐ける日記をやってきて良かった。mixiだったらこれは多分私の中で押し殺して、風化していた感情だと思う。稚拙で知識の足らん文章ですいません。でも本当にイメージしてほしい。想像力が、皆足りない。
2011年03月12日
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二回目の東京遠征を終えた。今回は筆記試験もあったのでいささかしんどかった。しかし一回目よりかは確実に東京のイロハが身についてきてメトロの乗り方なんかもこなれてきた私の順応能力の高さと言ったらない。東京が俺を呼んでいる。あんまり行きたいとは強く思わなかったが。これでお金さえあればあとはオサレな服屋やレコード屋、ちょっと関西では食べられないようなご飯等、レジャーに富んだ遠征になるはずなのだが金銭的そんな余裕をかましている暇は無いし時間もない事に気付いた。っていうか俺はなにしに東京まで来ているんだ、と己の楽天主義にびっくりする。しかし今、東京ではシュルレアリズム展なるものがやっていてこれは是非とも見に行きたい。更に3月になれば岡本太郎展、続いて写楽展開催されるらしくこのアーティスチックなイベントの攻勢は一体何なんだと目を疑う。とにかく3月以降はきっと面接が多くなってきて時間的拘束は今よりも少なくなるのではと予想している。なので暇があればリフレッシュがてら行ってみようと思う。というか。これから怒涛のESの選考結果ラッシュだと思うのだが私は今のところ良い結果があまり出てない、と思う。個人的な裁量であるが私は自分が人事で、こんなESが来たら面白いだろうな、というのを目指して書いている。しかしその思いむなしく(と言っても3件くらいしか返ってきてないのだが)ES選考が通らないことに私は焦りと言うよりも多少、びっくりしている。更に言うなれば「この節穴野郎め」とさえ思っている。きっとこういうやつが3月中旬になってテンヤワンヤし出すのだろう。出版って本当に難しい、そして就職活動は確かに氷河期らしい。そういった印象をうける。っていうかもしかしたら自分のESの書き方が悪いのかもしれないが、とりあえずは自分を信じて、しかし過大評価せずにもう少し粘ってみようと思う。私に限ってそんなミスは無いと思うが・・・あ、過大評価だ。はっはは。よく「カバンは床において立たない奴じゃないと落ちる」とか「ヤフーメールのアドレスは落ちる」とか聞いて、最初は私もビビって「マジで?マジで?」ってなるのだが、冷静に考えたらそんなんで落ちてたら一体就職とは何なのかと考えざるをえない。そんな所で合否が決まる訳がない。アホらしい。ニャーニャー言ってた自分が恥ずかしくなるわい。自分を保つのが就職活動で一番難しいんだと思う。周りに流されるなの「周り」とは文字通り、自分の周囲にあるもの全てだ。それがわかっていれば、負けないと思う。
2011年02月25日
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惰眠を貪った後、バイトのために起きるとなんと雪が降っている。この光景をどこかで最近見たと思ったらなんてことは無い、就職活動のために赴いた東京での降雪であった。ツアーで一月に行った東京はライブを終えるとすぐに就寝、早朝出発であったためろくに観光なんていうものはできず、「今度来るときはゆっくり東京を楽しめればいいなぁ・・」なんて思いを馳せながら海老名SAを抜けたのだった。が、しかしまさかこんなクソ最高の気分で二度目の東京を味わう事になるとは。私は未だに慣れないリクルートスーツを身にまとい、宗勝(もうめんどくさいので変換しない)カバンと替えのシャツや下着だけを持ち、深夜の高速バスに揺られて東京駅に舞い降りた。東京駅に降り立った私は粉雪に身をくるみながら少し身震いし、そして驚愕した。何も無いのだ。そこには私を品定めするようにそびえ立つビルディングの列。早朝と言う事もあって私にはそれらがとても威圧的に見えた。すかさず私の脳内に「冷凍都市の暮らし、行方知れずアイツ姿くらまし」というフレーズがリフレインする。「何しに来たんだガキ、さっさと帰ってママのおっぱいでも飲んでな」みたいなウエッサイ・スタイルの怖さではない。例えるならコムサのスーツをセットアップで整えた眼鏡の男が、冷徹そうな笑顔を浮かべながら「ようこそ東京へ。せっかく来てくれて悪いんだけどこっちも忙しくてね。用件が済んだら早めに帰ってね」みたいな・・ってこれどう見ても俺じゃん。なるほど、面接の印象が悪いはずだ。とまぁそんな敵対心を一丁前に燃やしながら私の東京遠征は終わり、先日ホームに戻ってきた。東京に比べ、京都駅のバスステーションのなんて居心地の良い事か。このままずっとバス乗り場に住みたいくらいだ。そんな東京でのまだ始ってすらいない戦いに心身ともにもってかれた私は体力を回復するために惰眠を貪っていたというわけだ。そんな暇がないのは本人が一番分かっているので察して頂きたい。さて、バイトの時間が刻一刻と迫って来ている。この時期のなんて不透明なことか。形の見えない努力がこうもきついとは。まる出口の見えないトンネルに向って何日もかけて作った槍を次々と全力投球しているかのようだ。当たっているのか、貫通しているのかすらわからない。只、作る作業と投げ込む作業が続いていく。いやはや。怨むぜ宗勝!
2011年02月14日
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「センテンスは揺れる 僕はこんなにもしゃんと立っているのに」「就活で忙しいよ、忙しいよーう」と言っているのに、このタイミングでテストである。何を聞いていたというのだ、おい。忙しいと言うとるに。と、まぁ愚痴る暇があったら勉強せいと言われそうだが御蔭様で私は今日テスト最終日だった。私はどう考えても学生の就職率を軒並み下げようとしてるとしか考えられないこの腐敗しきった大学システムに打ち勝ったのだ。偉いぞ、私。今日のテストも無理無理オーラ全開でいったらレジュメ持ち込みアリだったり(友達がいないので情報が私のところまで回ってこない)生徒を舐めきったテストという名の感想文であったり(心で「ありがとう!」と絶叫した)何だかんだでいつもと同じく、デタラメでそれっぽい文章を書き連ね、30分が経過した瞬間一番乗りで退出する私だった。思えば一回生で初めて大学のテストを受け、「こんなもんか、ファックだな」と吐き捨てながら自己判定B以上A以下みたいな文章を書きまくっていた私は、3年たった今も全く同じ行為をしていることに気づく。なんてこった。「デタラメな文章をそれっぽく書く能力」を神様から授かった私は何かを乗り越えたことは度々あったが、それによって何かを勝ち得ただろうか。一体この3年間のテストで100単位ばかしの報酬以外に私は何を学んだというのだろうか。そう思うとエライSADな気分になること請け合いなのである。この実に微妙な、乳のサイズで言ったらBカップくらいの能力は就職活動で私を助けてくれるのだろうか。一番肝心なところでわたしはこのBカップ・ライティングに裏切られ、不合格通知を握り締めながら「そりゃないぜ、バーニィ!」なんて事にはならんだろうか。ちなみに私は巨乳好きでもなく、どっちかと言えば微乳に萌え、さらにぶっちゃければあんまり乳に興味がないので、これを見た世Bカップ以下の女性は気を落とさないように。気を落とすくらいならまだ可愛いが、恨み募ってmixiとかで「キサラギは異常性癖」とか「高校の時パンツ頂戴って言われた」とか根も葉もないことをかかないように。オジサンとの、約束だ。話がおかしな方向へぶっ飛んだがつまりはそういう、不安を抱えているのだ。まぁ乳のくだりからも推測できるようにそんな深刻に思っちゃいないが。という訳でこれから本格的に就職活動である。頑張らねば。昨日、夜に散歩しながら、某大手出版社の内定をゲットした私がすぐさま両親に電話をかけ、「母さん、俺、○○社受かったよ」と優しく伝えると母は電話越しに泣き崩れ「良かったね、がんばったんやね・・」と労いの言葉をくれ、号泣する母に代わって受話器をとった父親が「さすが俺の子やな、おめでとう」と照れ隠しながらも褒めてくれ、それを聞いた私も「おう笑・・頑張るよ・・」と照れながらお互い笑うという非常に心温まるエピソードを脳内で繰り広げニヤニヤしてたのだが「まてよ、バッドエンドもあり得るな」と考えた瞬間うわああああああああああああああってなった。みんな危険だからこの妄想だけはやめろ。どうでもいいけどこのパソコン、就活って一発変換できない。いちいち「しゅうしょくかつどう」って打たなきゃならない。「クソが!出ろ!!」って打つと宗勝になる。どこの武将だ。みんな頑張っていこう。宗勝!
2011年01月26日
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「どちらの鍵で開くのか 知っていたんだろう ベランダから飛ぶには 2月は寒過ぎて アスファルトは一瞥をくれる 僕には冷たそうだ」「少し太ったな・・」そう感じるのは私の手元にある20数枚の証明写真のせいだ。来る就職活動という名の自分の押し売り大バーゲンセールに身を投じるべく、私も京都で有名なフォトショップで写真を撮ってもらいに来たのだった。かなり名の通ったスタジオらしく、そもそも証明写真なんてあの大学購買の前に申し訳なさそうにボロく佇むスピード写真機で撮るもんだと思ったいた私はその設備に驚きを隠せないでいた。ここのスタジオで撮ってもらえば一流企業の内定獲得はおろか、我々の人生は右肩上がりの急成長を遂げるという。「このスタジオのおかげで彼氏ができた」や「撮った私の顔が佐々木希に似てきた」や「よく分からないけど幸運の壺が買えた」等、その喜びの声は後を絶たない。ちなみに私は佐々木希の顔は知らない。漢字があっているかさえ怪しい。隣の同じく就活生そうなヘラヘラした男はギャルっぽいお姉ちゃんがカメラマンで、楽しそうに会話しながら撮影を楽しんでいた。「鼻毛出てたら言って下さいよ~つか、抜いてくださいwww」などほざくクソ男を見てよくもまぁそんな下らん事が次から次へと口を衝いて出てくるものだなこの阿呆が俺と代われなんて思いながら、私は自分のカメラマンはどんなお姉さんなんだろうとワクワクしていた。そんなこんなで「はい、お待たせね~」といって出てきた私のカメラマンはなんか肝っ玉母ちゃんみたいな人だった。口調もどこか母親に似ている。「ちょい右に傾く!」とか「はい目ぇカーッと開いて!」とか、一体私ははるばる四条までバスに揺られて何の訓練をしているのだろうかと悲しくなった。とにもかくにも最近の加工技術はやっぱり凄いらしく、そのお値段も「でもお高いんでしょう?」とTVの前の奥様が問えば「うん、高いね」とタカタ社長に即答されるような感じの値段であった。まだ何もしていないのに金だけが吹っ飛んでいく。そんなこんなで就職活動もチラホラやっているのだが、遂に今日ESやら履歴書やらを書いてみようと思う。思うだけでやらないかもしれない。とりあえず誰か私に一体平成何年に小学校を卒業したのか教えてくれ。
2011年01月18日
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またせたな、お前ら。というわけでなんとまぁ4カ月近くも放棄していた日記を思い出したかのように更新してみる。別になにか心境の変化があった訳ではない。変わったのは心ではなくむしろ自身の環境や生活だろう。というのも、遂にバンドの活動を一区切りさせる時期になった。先週我々は東京・三重のツアー(といってもこの二か所だが)を遂行してきた。バンドのまぁ集大成と言えるこの2DAYSのライブはメンバーそれぞれかつてない気迫で、過去最高の演奏を叩きつけて終わった、などと大団円は待っているはずもなく、相も変わらず正念場に弱い安心の「なんだかなぁ」感を残し、良い感じでエモーショナルになって帰ってきたのだった。とはいうもののやはり活動には限度というか、全盛期というものが少なからず存在しており、去年の11月の学園祭LIVE、自主企画LIVEにおいてそれらの有効期限は見えたと言っても良いだろう。私はこの大学生活をほぼバンド活動にに費やしてきたと言っても良いだろう。そりゃ小説も書きたかったし、海外へ独り旅にもいってみたかった。アルバイトでためたお金で原付なんぞを買って、日本一周なんてものもしてみたかった。それらは全てバンドの所為で、というわけではないがまぁ優先事項として自分の心にバンドがあったため後手に回っていた。それに後悔はしていない。事実、それらを犠牲にして(という言い方はあまり好きではないし、適切ではないが)私たちのバンドは確かな熱量とある一定の地位を手に入れた。だからこそ、東京にもお呼びがかかったし、できたCDは皆が「いいね」と言ってくれた。それは単純に嬉しかったし、また手ごたえを感じていた。ただ、私はギターに対して結構本気で取り組んできたし、努力は無論、欠かさなかった。人格などはともかくとしてバンドを続ける上で、はっきり言ってかなり良いメンバーにも恵まれた。幸運だったと思う。そんなラッキーと努力を費やして、今のバンドがある。少し悲観的にモノを見れば、それだけしてもここまでしか来れなかったという事になる。おこがましい発言かもしれないが私はもうちょっと上に行きたかった。活動の有効期限の内に、本当に悔いのないバンドを作ってみたかった。誰が悪いとか、私の努力が足りなかったとか、そういう話をしているのではない。ただ、そういうバンドをやってきたという事実と、私の何処かにバンドというものに対する「しこり」が残っただけだ。これは変わらない。そういう現在が出来上がったというそれだけの話だ。私は何かをやめる話を切り出す話が苦手だと自覚している。なにかをやめたいときは「誰かがやめようって言ってくれないかなぁ」と心の片隅で目論む自分がいる。そんなんだからニュートラルな活動を強いられるわけだが、それはやめる話を切り出すことよりもずっと嫌だ。また、結局そういう役は自分で背負わなければいけないことを私は誰よりも知っている。コウモリは自分の強みも、弱みも、それに付随するなんとなくネタバレ気味な運命も何もかも分かるのだ。この八方美人め、くたばってしまえ。そんなこんなで私のバンド人生はここで一回、ストップする。それがストップなのか、フリーズなのか、はたまた止まっているようにみえるけど、それは既に次に向ってゆっくりとタイヤを回し始めているのかは分からない。とにかく、ギターを少し置く季節が来たらしい。皆の衆よ、ついに私にも就職戦線に乗り込む時が来た。このリアルなアイス・エイジに自分を奮い立たせて挑まなければいけない。私の毎度毎度飽きの来ない愉快痛快キテレツ君みたいな面白い日記を期待してきた諸君、そう簡単にお前の欲求が満たされると思うなよ!私だってクソまじめな面白くない日記を書くのだよ、知らんかったのかね!と、健気にもこんな瑣末なブログに毎回足を運んでくれる可愛い読者に対してさえ毒を吐き散らすほど私は狼狽している。高校受験、大学受験とはまた違う、強いプレッシャーを感じている。正直言ってあまり自信は無い。この私が、である。なんたるとこかと、自分のそれに狼狽しているのだ。大体自信なんかあったたら日記なんて書かない。このブログの連続サボタージュ記録を鬼のスピードで更新し、6月くらいに思い出したかのように「気付いたらなんかすげー企業の内定貰ってたわ笑 ヒャッハー!」とかいってまた敵を増やし、いつまでたっても嘘かホントか判別の付かぬ学園SFアニメみたいな小話を書き続けていた事であろう。そう、現実逃避なのだ。まぁ、しかしバンドが私にとって大きな、そして唯一の楽しみであったことに変わりは無い。それがなくなったのはやはりちょっぴり寂しいのである。よってこんな駄文をまた書き連ねるのだ。なので更新はまた、少しづつしていこうとおもう。ガンバって面白いことも書いてみる。モヤモヤを一気にキーボードに叩き込んだのでいくらか気分がマシになってきた。まぁなるようにしかならんわな。自分を売り込む事の楽しさは多分後に分かって来るんだと思う。そうでなきゃやっとれん。こんだけ口車がシューマッハもはだしで逃げ出すレベルで回転するのに自己PRが下手くそだったら洒落にならない。2月の浜名湖にBODYWILD一丁で飛び込んでやる。近々近況報告もしていこうと思う。君らはどんな感じだね。ではまた。
2011年01月11日
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最近日本語の歌詞がうたいたくてしゃーない。3cm tourとtoeとbluebeard混ぜた音で日本語歌いたい。けどいつまでバンドしてるんかよくわからん。仕事の事とか考えないかん時期が来てる差し当たっては今のバンドで頑張るとしてそろそろ「次」にフォーカス当てる準備をしないかん。後がつっかえて来とるでなぁ。いっつも堅苦しい作文しとるとたまにこういう稚拙で素直な文章書きたくなる感性が良い方向へむいとる、鋭くなっとる気がする。今やったらちょっとは良い小説書けるかもしれんな。色々な終わりが俺に「こい」ッテいっとる。アレが終わって いつの間にやら秋が無くなってパーカーを クローゼットから引っ張り出して張り詰める空気を迎え討てと 自分に言い聞かせてみんなどうするんかな。未来の事。俺はまだよう分からんわ。
2010年09月30日
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さーてさて、ようやく如月の半強制とも言える岐阜での滞在生活は今日、終止符を打とうとしている。目下の難題となっていた介護体験事前オリエンテーションという諸悪の根源をついさっき、絶やしてきたばかりである。いざ、都へ。思えばこれほど長い帰省は過去を振り返ってみてもなかったであろう。実に二週間、私は旧友とバーベキューをし、映画を見、家では美味い飯を際限なく食い続けたのである。ふむ、中々悪くない生活じゃあないか。御陰で私はこの二週間でしっかり太った。しかし、この二週間はささやかな楽しみ引き替えに、多くの苦汁を私に舐めさせたことになる。祖父母によって寄付された~チャリティー・如月を救うキャンペーン募金~の多くは殆どその旧友との交際費に消え、あやうく私は自分の帰省する旅費さえ失いかけた。加えてあのにっくき検便である。聞いていただきたい。岐阜市衛生試験所のなんたる怠慢。うだるような午後の日差しに負けず、時折負けながら、私はその場所をフラフラと見つけた。私は「これは一体なんなのか」と判別に3分を必要とするレベルのボロイ玄関を開ける。説明を受けたその日に、「今日は3時までなので気をつけてくださいね」と言うので急いで帰り、検便をわざわざもう一度試験所へもって行った。もうこんな所へ何度も来るのは御免だったのでさっさと済ませたかったのだ。完全に暑さにコールド負けを喫しながら玄関口で「これ、よろしくお願いします」と言うと中からヒョコヒョコと男が出てきた。既に背中には自身のリュックサックを背負っており、まるで帰り支度のようだ。「なにやってんだこのオッサン」と思っているとそいつは少しなにか「やっちゃったあ」みたいな顔した後でこういった。「すみません、今日やってないんですよ。来週出直してください」ちょっと待て。ちょっと待て。お前さっき私に説明してたよね?説明と検査が違う日って何?ていうかその時に言えばいいよね?お前絶対帰りたいからそう言っただろ。ていうか出直すっておかしいよね?アレか、大便的な意味で出直すって言うアレか。内容が内容なだけに、下手をすれば皆さんが今日の夕飯を美味しくいただくことに支障の出る、誠に宜しくない方向の話になってしまいそうである。しかし、誤解を恐れず言うならばその時私はその男をわりかし汚い公園の公衆便所などの便器へ「どっせい!」と顔ごとつっこんでやりたかった。しかもそんなしょうもない奴に私は検査代と称して3000円も取られてしまった。只でさえ金がないと言うとるのに。所詮、岐阜のお役所仕事など大層なモノではないことは重々承知であったがこれほどとは。将来公務員を目指している諸君はしっかりと向上心を持って業務に励んで欲しいモノである。特に検便にまつわる所は二度と私のような被害者を出さないでほしい。まぁこんな事を熱く書いていると「如月は二週間の間検便しかしていなかったんじゃないか」という疑念を抱きがちな読者もいるかもしれないので辞めておこう。そんな事はないぞ。その他にも夏休みのハイライトとしてはガールフレンドが「私も岐阜に行く」とかいって「まさかこんな辺鄙な場所に来るまい、はっは」と高をくくっていたら本当に来てしまい、如月家を中心とした激震が東海地方全域に走った事などであろうか。その他にも父親が東野圭吾に始まり万城目学など大衆小説のようなものを割と楽しんで読んでおり、自己の文学的な見方が随分変わったりもした。これはまぁ長くなるので次の機会に話したいと思う。そんなこんなで今日、やっと比較的優雅な軟禁生活からフライ・アウェイして京へ戻る。やはり私はそっちの暮らしの方が性に合っている。こちらはこう、鋭いギラギラしたモノに欠ける。まぁしかし、そこが魅力でもあるのかなと最近気づいたが。さて、夏休み後半も若々しく頑張って楽しもう。よっこいしょういち。
2010年08月25日
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さぁ更新していこうか。サマーバーケーションとは名ばかり、日々惰性のバイトに明け暮れ、やっていることと言えばミクシーの日記チェックと「別にどっちを応援している訳じゃない」みたいな曖昧なスタンスで傍観している甲子園くらいの世のメンズ・ウィメンズ達の一服の清涼剤。それがこの日記であったりするわけなんだな。これが。とりあえず今日は猛暑日なのは当然、クソ暑いらしい。これだけ暑いと草野球チームに絶対一人はいる、「俺高校では外野だったけど、ピッチャーも全然いけるんだよね」とかいって中途半端な速さのストレートを武器にして四球の山を築き上げるエセ投手を思い出す。そしてオートで腹が立つ。何故かは知らん。手加減を知らない太陽光。この暑さで多治見を中心とした高齢者の方々の負荷は増える一方である。そして当然若者は家から断固出ない。私もその一人である。そして甲子園の視聴率は毎年安定するのだ。しかし、そんな私もちゃっかり甲子園を見ていて気づいたのだが、最近の高校球児は私たちの頃とかなり違っているように見える。例えば近頃の彼らはゲームセットからの勝利校の校歌斉唱までの時間が異様に長い。よく見ていただくと気づくのだがこの謎は主審が「ゲームセット」と言ったあとに判明する。彼らは普通、最後のアウトが成立してからホームを中心にランダムで整列する。そして「ありがとうございました」と挨拶をした後、対面した選手と握手や一言ずつの言葉を交わしたりするのだが、最近ではこの時間がやたら長いのである。早い話が負けた高校がサッサと自軍のベンチへ帰って行かない。一体何をそんなチンタラしているのかと思えば、彼らは自分が前評判でライバル視されていた選手、エース同士、気になった選手同士(決してアッー!的な意味合いではない)を相手の列の中から探しだし、握手はおろか普通にお喋りをしているのだ。しかし、この話は何も負けた選手が悪いのではなく、勝ったチームが感激と勝利の余韻のあまり敵に話しかけに入っているケースも稀にある。このため、負けた選手はいつまでもホーム周辺をうろつく結果となり何とも言えない甘ったるい雰囲気がグラウンドに溶け入る。私はこれを別に問題視するわけではないし、まぁそういう文化があっても良いと思う。しかし私はどこか腑に落ちず「なんだかなぁ」と阿藤快風のため息を禁じ得ない。仲良くやるのは良いが、君たちはさっきまで闘志をむき出しにして3年間の全てをお互いぶつけ、勝利をもぎ取ろうとしていた敵同士ではなかったのか。確かに自分の負けを認め「絶対にお前らが優勝しろよ」というエールを送る気持ちはスポーツマンシップに乗っ取っており、実に見事な振る舞いといえよう。しかし君らはあまりにもその切り替えが速すぎる。速すぎて私は本当にコイツらは勝ちたかったのかという疑いの念を抱きかねない勢いである。これは多分、野球をやっている子ども、というか高校生の考えや価値観が微妙に変化してきており、その周りを覆っている空気が何というか綿飴作り機の周りみたいにトロロンとしてきたからではないか。こういう場面で私は常々「良くも悪くも」という表現を使いがちであるが大抵この「良くも悪くも」が使われるケースと言うのは、往々にして、あんまり良くないのである。そしてこの話も然りである。さらによくよく見ていれば他にも選手同士が(例えばランナーと一塁手が同じ場所にいるケース)笑顔で仲良く話している時を見かけたりもする。試合中にである。私は「はて、自分が高校野球をやっている時もこんなだったか」と小首をかしげる毎日を送っている。まぁそんなに言うと懐古主義者のようで私のスマートかつソフトな脳がカッチコチに誤解されそうなのでこの辺でやめておく。ハタからみたら全く気づかないし、問題ですらないだろうがなんというか、なんだかなぁ、である。
2010年08月17日
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「スチールの椅子 感覚のベッド この部屋少し冷えすぎじゃない?」合宿も終わり、ゴースト的な意味での童貞も卒業したところでようやく岐阜に帰ってきたわけだ。いつぞやの日記でも悪態を吐きまくった通り介護体験事前オリエンテーションなる悪魔の所業があるので私はエライ長いこと岐阜に滞在せねばならない。こちらの生活はまぁ悪くもないが、暇すぎて私の首はキリンさんに、お鼻はゾウさんになってしまうわ。旧友とも再会し、祖父、父、私と親子三代にわたる晩酌も交わしてきた。そして今日祖父母に連れられて岐阜の鮎も堪能。鮮やかな焼き目、プリッとした大きな白身・・・やはり鮎は塩焼きに限る。ジューシーで実に美味い。最後の雑炊も絶妙である。京都の犬好きで犬みたいな顔した友人に自慢しようと思って、写真を撮りまくっていたらフォルダに保存されていなかった。きっと神様が「やめろ!これ以上アイツに鮎鮎叫ばせたら彼女から苦情の電話が来るぞ!」というお告げを下さったのだろう。どうでも良いが犬顔のコイツはここ2ヶ月ほどずっと「鮎食いたいのう、くやしいのう」とはだしのゲン~岐阜ver.~みたいなセリフを言いまくってた所為か、彼女に嫌われるどころか段々そいつ自身が鮎に見えてきた。きっと鮎が憑依しているに違いない。塩を振ってやらねば。さて、前述したとおり岐阜は車を持っていなければ見事に軟禁生活の完成ある。一応免許も晴れて取得し、車もあるっちゃあるのだが初心者マークを京都に忘れた。「そんなものどうでもいいじゃないか」と諸君は思うだろう。その通りである。初心者マークなぞは何やかんやで免許は取ったモノの中途半端なドライビングテクニックと持ち前の臆病さで「ふええ・・わかんないよう・・」みたいになる奴だけ付ければいいのであって、私のようにちょっとしたことでは捕まらない、また捕まったとしてもやっぱり捕まらない合法的ルパンの様な輩にそんなモンは不要である。まぁ祖父母が割とお堅いほうなのでこんな事になっているのである。しかしこんなに暇なのだ。有効利用しない手はない。よって私は暇をもてあましているので色々してみたいと思う。多分一週間で飽きるが。ここの更新も少しはマメになるであろう。とりあえず近況報告はこの辺にしておいてまたギターをぽろろんと奏でよう。では。
2010年08月15日
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巷では台風が接近していると皆が一様に騒いでいる。全く腹立たしい。台風もよりによってこんなタイミングで来なくても良いではないか。何を律義にそう毎年ルーティーンワークのようにオイデヤスのか。全くはらだたすぃ。私はまだ京都でやるべき事が山ほどあるというのに。と言うのも、私は所属するサークルの夏合宿から昨日、帰っていたばかりだ。今年で三回目になるこのイベントも気がつけば私が幹事である。なんという事か。気がつけば最後の合宿だったかもしれない。私としては宿決めから企画、当日の発表からトラブル対処まで最善を尽くしたつもりである。自分の替えのパンツが一枚足りなかった事を除けば、概ねこの合宿は成功したと言っても良いのではないだろうか。集合写真の皆の良い面がそれを物語っている。さて、そんな合宿2日目の夜の事。その日もコピー練習に明け暮れた私は夜の3時に最後の練習を終え、風呂に入りリビングでくつろぐ皆の元へ合流した。リビングの人間は全員テレビに釘づけになっている。不穏なBGM。低い男の声でナレーションが入る。私は缶ビールのフタを片手で開けながら「またかい」と思った。皆が熱心に見ているのは「呪いのビデオ」である。この合宿では大体2日目の夜になると皆で呪いのビデオを鑑賞するのが先代からの伝統となっているらしい。この自由参加という名の強制イベントは、場を盛り上げるために霊力的にかなりパワフルな逸品が選ばれるらしく、一人では絶対にそんなビデオが見れない屈強な男(笑)達が合宿前日にTUTAYAとGEOをハシゴして素材探しに奔走する。その「みんなで見れば怖くない」的な謎の安心感で一体誰が得をするというのだろうか。現に去年、そういうものにめっぽう弱い一回生の女の子がよせばいいのに雰囲気に押されそのビデオを鑑賞し、しっかり見た後で泡を吹いて倒れるという完全に期待通りの展開が待っていた。とまぁそんな観賞会が今宵も開かれていたというわけだ。私はそういうものが好きでもなければ嫌いでもない。どうせ身の危険が及ぶ可能性があるならそりゃ避けるわい、というスタンスなのでそのビデオは途中からビール片手にぼんやりと見ていた。「あんなんクダらねぇべ?」と完全無欠の秋田訛りで話しかけるのは私のバンドのDrであり、会計としてこの合宿は毎日の買い出しに疲労を隠しきれないコンである。ちなみに断っておくがこのコンは遡ること約二年前に私がここの日記で紹介した「難波の地滑り ~KONTA~」(2008 夏)とは完全なる別人である。こちらのコンはKONTAよりも百倍まともな人間であり、あちらのKONTAの方が色んな意味で常軌を逸している。ただこちらのコンも普通かと言えばぶっちゃけそうでもなく、参考までに話すと彼は文学部のコピー機に向って「このファッキン・クソ野郎!」とあられもない言葉で罵った輩である。変っちゃ変なのだ。「まぁ、みんなああいうのが好きなんだろうな」と私が相槌を打つ。「あんなん見る訳がわっかんねーわ。つまんねーべ?」「結局人が作ったものに変わりないからな。と、いいつつ俺らも見てる訳だが」こんな会話をしつつ私たちはいわゆる「問題のシーン」だけ鑑賞し、「やっぱりつまらない」という総意のもと、就寝することにした。さて、こんな会話をしたからであろうか。私は帰宅した昨日、なんと人生で初めて金縛りにあってしまった。事の顛末はこうである。昨日の私は疲れていたこともあってすぐにベッドに入った。しかし眠りが浅かったのか、一度起きてしまいパソコンを少し触った。本格的に寝たのはそのあとになる。時刻は大体3時。そう、あのビデオを見ていた時間だ。気がつくと私は仰向けになっていた。この時点で私は「おかしい」と思った。私は仰向けで寝られないのだ。なのに今、私は仰向けで寝ている。意識は起きているが本当に自分の目が開いているのかどうか分からなかった。しかし、その時感じたのは「ここは私の部屋じゃない」という感覚であった。その感覚は、いつの間にか左に現れた黒いカーテンのようなものに見た瞬間、確信に変わる。私の向かって左側、本来なら机やソファーがある場所に、ぼんやりと黒い何かで私の視界は遮られている。「いやいやいや」と、私はとりあえずツっ込んでみた。あり得ない。私のこういった心霊現象の類へのアカウントの低さはこの20年の中で証明済みだ。バイト先の霊が見えちゃう風俗譲さんにも「君は全然ないよ~」とお墨付きをもらっている。血統書つきのノー・ゴースト体質の私に限ってこれはない。早くこの悪い冗談から抜け出そう。そう思って私は「よっこいしょ」と腰をあげた。否、正確には「あげたつもり」だった。・・・・・・・・動かない。・・・・・・・・。「いやいやいやいや!!!」と私はもう一度、割と強めにツっ込んでみた。待ちたまえ。動かないわけがない。私の体だぞ。誰の権利で私の身体の自由が侵されるというのか。日本国憲法に反していると言えよう。全く心外だ。早くドッキリでもなんでも良いからさっさと茶番を終わらせてほしい。しかし思いむなしく、私の体はそれはもう見事にコッチコチであった。指一本動かない。どうやら眼球だけはかろうじて動くらしい。私はとりあえず冷静になろうとした。しかし、私がそろそろ3回目のツっこみをしようとした瞬間、私には信じられん事が起きた。ドスッ・・・ドスっ・・・ゴトン・・!誰かが私の部屋を歩いている。ふむ、これは参った。何とまぁ、私が金縛りはおろか、こんな体験をするなんて。私はとりあえず目を閉じた。さて、どうしてくれようか。いや、どうにもできないんだった。なんせ動かないのだ。反撃はおろかツッこみさえままならない。漫才師失格である。キサラギのお笑い人生に幕が降りようとしていた。いや、ご丁寧な事に幕ならさっきから下りている。その幕のおかげで何にも見えない。誰が黒幕じゃ。そんな訳の分からん事を考えている間中、その「誰か」は私の部屋を行ったり来たりしていた。私はなぜかそれが男である事がわかった。理由はないが、雰囲気からして絶対に女性ではない。成人の、割と大柄な男である。あぁ、これはアレだ。怖い。てゆうかヤバい。私の神経は初めてまともになった。少し遅い。私はカチンコチンの氷像のようになった頭でいろいろ考えたが最終的に「寝たふり」をした。何故かと言えばめっちゃ大男やん→なんか熊みたい→っていうか熊なんじゃね?→寝たふりする?→一応しとこ。という事であった。なんともおめでたい思考回路である。いっそ死んだ方がいいかもしれない。私の「死んだふり」が功を奏してか、単にあきれたのか、お目当てのいかがわしいDVDを見つけたのか、いまだに分からないが大男は私には一切何もしな来なかった。そしていつの間にか黒いカーテンが去り、男の足音は消える。しかし金縛りは解けない。これがおそらく、2回続いたと記憶している。気がつけば朝の10時。私は1年前、泡を吹いた例の彼女のメールで起きていた。嘘のような本当の話。これを書いている間中、私はずっと後ろに寒気を感じているが振り返らない。振り返れない。そんな事を考えているとホラ、あなたの後ろにも・・・・
2010年08月10日
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時は西暦2010年。宇宙船地球号の乗組員キサラギの大学生活も早3回の前期を終了し・・(以下略)というセオリー通りの前節は置いておき、兎にも角にも夏休み前のテストが終わったわけである。そして来る夏休み。常夏のアバンチュール。サマー・オブ・ラブ。訳が分からない。あぁ、そうそう、私は元気です。お久しぶり。私と言えばまぁ何ら精神的な変化はない。大学生活の中で起きるイベント、活動、その他諸々の慢性的な日常において私の屈強かつ詐称的な心身に影響を及ぼすものなどあるだろうか。否、無きに等しい。センチな恋の病とかは別にして。よせ、つっ込むな。バンドの方も活動が過渡期を迎えているような気がしなくもない。この夏に音源をもう一枚作り、できればインディーズレーベルから出せるかな、出せたらいいな、ええい、いいから出せよこの野郎的な思惑は有る。しかしまるで演奏しているメンバーたちの今までの人生を彷彿とさせるような中途半端なジャンル、そして26時間テレビのMISONOもかくやと言わんばかりに日に日に方向性を見失っていくその音源。まるで私たちのこれからの未来を暗示しているかのようではないか。そんな彼らがそのような高待遇で日の目を浴びることはまぁ、うん。察してほしい。来る夏休み。しかし思惑はまたしても期待を外しその実態は私の脳内娯楽志向を完全無視のスケジュールである。そのハイライトはなんといっても教職免許の取得に必要な「介護等体験」という名の魔の諸行に違いない。中学校免許の取得には特別支援学校で教育を受ける、いわゆる障害を持った子供たちとの教育体験を受けることが義務付けられている。これは無論、中学校の教師になろうものならば当然そういった子どもたちの教育を任されるケースもあるわけで、こちらに関しては何の問題も心配もない。しかしここからがおかしな話であり、中学校免許の取得にはもう一つ、なぜか地元の介護が必要になった高齢者の方々のお世話を体験せねばいけないという。しかもその期間は先述した特別支援学校が2日間に対してこちらが5日間(一週間)という謎っぷり。しかもしかも、その体験のために私はわざわざ何もない夏休みの期間、岐阜に一度帰り事前オリエンテーションを受け、あろうことか検便まで受けさせられるのである。なぜ教員免許を取ろうとするものが高齢者の方々の介護体験をする必要があるのか。こんな事を世のお偉いさま方に唱えればそれはそれは見事な回答が返ってくるに違いないので声を大にしては言わない。しかしわたしはここに何か国家的な、大きな力を持った誰かのさもしい考えと圧倒的な支配の影を見出せずにいられない。私たちは人員補充のコマではない。とまぁ未来への文句はこれくらいにしておこうと思う。私は基本的に世の中にポイズンを吐き散らしてはいるがその実、そんなに怒ってはいない。そう、私は紳士なのだ。知らなかった人はこの機会にぜひ覚えておいてほしい。決して「歩くコミュニケーション・ナイフ」とか言わないように。とまぁこんな戯言を相も変わらず撒き散らしたわけであるが、これは元気な証拠だね。そうだね。最近の休みは天気の良い日は鴨川でのんびりコーラを飲みながら本を読むという「いかにも京都のくされ文学青年のやりそうな事ベスト3」に完全に食い込んでくる王道の過ごし方を今さら実践している。いやぁ、書物はいいね。良い町には良い川がある。というのは私の一つの考える定義の一つであったりする。「流れるもの」とは、そういう大切な役割を担っている気がするのだ。私はまぁ、そんな感じだ。五時の西日でポケットをあたためながらチャイムで前髪を揺らしながら「次は帽子がいるのだらう」と そう思ったのだそれはもう、切実にそれはもう、ぼんやりと
2010年07月29日
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私たちが村上春樹の小説に求めるもの、それは一種のリアリスティックなヒーロー像である。 物語の中のヒーロー達は往々にして裕福であり、海外の文学に精通している。ユーモアと教養があり、酒とセックスを優雅に楽しむ。彼らは私たちの想像しうる限り、一番現実に近いところにいるフィクションである。それ故に私たちは「自分たちも、もうすぐで彼らのようになれるかもしれない。あるいはそれは、部屋の模様替えを楽しむかのようにとてもシンプルな事なのかもしれない」といった確かな夢を抱く。 私たちは幼いころ夢見たように、ウルトラマンにも仮面ライダーにも実はなれないことを知ってしまった。しかし、こういった幻想の破壊と引き換えに「自分にも届きそうな感覚」のラインが形成されたように思う。例えばそれは高校野球選手の甲子園出場であったり、少し美貌に自信を持つ女の子のモデルデビューであったりする。そういった感覚のラインを曖昧にする不思議な魅力(実はそれは不思議でもなんでもないのだが)が村上春樹の小説には至る所に仕掛けてある。そういったヒーローに自分も届きそうな感覚、このイメージこそが読者に次の1頁をめくらせるのだ。 なぜ私たちがこういったヒーローに恋焦がれるかと言えば、それは現代の日本人が根底に持つ、欧米へ強い憧れにある。そしてその起源をたどっていけば直接、日本の太平洋戦争における敗戦へとつながるだろう。いじめられっ子がいつかガキ大将を倒すことを夢見るように、日本の敗戦後を辿っていけば自然とその思想や文化は欧米への従順、ひいては同化を目標としていることがみてとれるのではないだろうか。そういう意味では、村上春樹の小説は皮肉にも戦後文学最大の金字塔であるといえる。 しかしこういった背景よる村上春樹の批判はされるべきでない。彼は当時耽読していたカート・ヴォネガットやブローディガン、フィッツジェラルドといった作家から受けたインプットを自分なりに再構築し、ふんだんにアウトプットしている、いわば作家の大法則を見事に実践しているからだ。 村上春樹がここまでの絶大なる人気を誇った秘訣、それと同時にその成功のカギを握ったといっても良い評価すべき能力は二つある。 一つは前述したような「日本人が最も追い求める的確なヒーロー」を生みだすまでの、自身の背景にある欧米文学を脳内で改変し、「日本文学」として再構築する「転換力・順化力」である。 そして何よりも、現代の日本人たちが望む姿を完全なまでに見通す力である。朝食には手作りのトマト・ソースを塗ったフランスパンにポテト・サラダ、夜にはふらりと立ち寄ったジャズバーでボウルに入ったナッツをつまみながらウイスキーのロックグラスを揺らす。そういった限りなく現実に近い非現実を村上春樹は私たちの前にぶら下げる。私たちはファンタジー小説よりもタチの悪い魔法に、いまだかけられ続けているのだ。
2010年06月05日
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あまり話したこともない新潟の伯母から米や野菜、そしてイチゴが送られてきた。段ボールの封を切るとイチゴの甘酸っぱい風味がワンルームの部屋に広がる。鋭い赤色は殺風景な部屋にはあまりにも不釣り合いに見える。一つ手に取って眺めると、それは十分糖度が高いことが見て取れるほど、良い熟れ方をしていた。一つ丸ごと、口に含む。口の中でイチゴが、とっても優しい形で自分に同化していくのがわかった。私はその場でワンパック分のイチゴをたいらげてしまった。「お前だけには言われたくない」という現象は常に私たちの周りに転がっている。私は基本的にバイト先のママをまともな人間としてあまり見てはいない。一種の病人、もしくは自分とまったく違う生き物、そういった解釈で常に見ている。腐っても女性特有の鋭さなのか、私のそういった軽蔑とも憐みともとれる視線を彼女はおそらく気づいているのに違いない。そして、苛立っているのだ。自分より十も二十も年下の人間にこんな視線を貰えばそれは当然だろう。しかしそれでも私はその視線をやめない。又、やめられないだろう。私は一生、あの人間を病人のように、違う劣等な生き物のように自分の中に留めておく。後は、私がそれを隠すか、出すか、それだけの差である。しかし、ここからが大事な事であるが、そういったあまり好ましくない人間も、百ほどの狂言のなかにごく稀に、完全に正しい言い分を放つ事があるのだ。これがややこしい。私はこの1%に満たない確率で放たれる正論をしっかり受け止められる人間になりたい。おおよそ屑のような人間に「アンタは屑、生きている価値がない」と言われるのはかなりシュールで、その圧倒的なパラドックスで世界が歪みかける。しかし、そこで生じた歪みに耐えられなければ、私はやっていけないと思う。ここで「お前だけには言われたくない」と言ってしまえば、私も晴れて、屑の仲間入りであるからだ。屑の放った正論さえも、それは圧倒的に正論である。私は昨日、また悩み、強くなったと思う。世の中のヘラヘラ笑って過ごしている奴らには絶対にわからんだろう。わかってたまるか。屈辱を受けてなお、勉強である。私は耐えられる。イチゴの果汁が滴り、パックの底に浅い水たまりを作っていた。鮮やかな薄い赤は、やはりこの部屋には不釣り合いだと思う。
2010年04月27日
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お久しぶり。私は4月の激務をこなしにこなして、来たる五月病の到来を手ぐすねして待ちわびている。春の陽気に細胞をストップさせられ、口を阿呆のように半開きにする準備は万端である。「新入生歓迎!」という名目で己の存在をやたらグレードアップさせた挙句、そのキャピキャピさと鬱陶しさに磨きをかける一回生。私たちは一回生がキャンパスライフの味をしめ、段々学校に来なくなる5月まで常に耐え忍ぶ身となった。さて、我が軽音サークルも入会き・・じゃなかった、新入生を一杯入れるためには手段を選ばず。あらん限りの営業スマイルを駆使し、如何に我々のサークルが敷居の低い、友達感覚の、「あ、飲み会とかぜんぜんやりますよ!」的なサークルであるかをまくし立てた。そんなフザけたサークル説明を行った後に行う幹部会議の内容は遅刻部員の処罰の厳格化、そして演奏レベルと意識の低いバンドへの制裁をどうするか、であった。とんだピエロ集団である。しかし、私はこういうことがめっぽう得意、っていうか好きなので何ら苦でもないし、勿論罪悪感など皆無である。なので安心していただきたい。私は元気だ。さて、私のバンドのほうも五月の頭に名古屋遠征、その一週間後は愛媛遠征と話がよく分からん方向に進んできている。とりあえずポンジュースだけ買ってこようと思う。そして皆様お待ちかね「頑張れキサラギ!免許取得キャンペーン」のほうだが通りすがりのお爺さんを危うく轢き殺しかけた以外は実にスムーズ、ややスピードオーバーな展開でもうすぐ最終試験である。GW中に帰省して免許取得、と行きたいところだがどうにも私のテンションが上がってこないのでまぁ無理であろう。大体、受講システム的に長すぎやしないか。私のようなほかっておいてもメキメキ成長し、やがてマイカーを大破させる人間は飛び級させてもいいものを。そんな感じで近況報告を終わりにする。あぁ腰が痛い。
2010年04月23日
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自分の生み出した文章は自分自身を投影、模写した具現の一つである。その種類に違いこそあれど、己の身から出るものは己に蓄積されたものだけである。だからこそ私は文章を書く上で常にアウトプットを上回るインプットを検索、収集、蓄積する必要がある。そうしなければ私が書く文章は常にオールド・タイプの劣化、あるいは精錬されたコピーでしかなくなるからだ。 私は現時点で何も生み出せていない。よってこの杞憂自体、おこがましい事であったりもするのだが、それは丁度、泳ぐ事が出来ない人間が海の怖さを知るようなものだと思う。海に潜む危険性を知っていて損はしないであろう。しかし、海を恐れすぎた挙句にその一歩が踏み出せない状態で立ち往生しているのならば、これは一番危惧すべき問題である。そして、今の私がそれである。 話が少し脱線したが、人間には大きく分けて3種類のインプットがあると思う。つまり、蓄積のカテゴリともあるのだが、それは経験、知識、想像である。前者の二つと最後の一つの大きな違いは外からの「来訪者」か、内からの「生産者」か、ともいえるのではないか。プロセス的には経験、知識を過去に感じたことにより想像が生まれると私は考える。ある突拍子もない考えがある日突然ひらめいたとしても、それは何か過去の、或いは現在の自分の持つ「何か」が引き金となって発動したアイデアである、というのが私の一貫した主張だ。 更にこれらは相互の循環機能をも備えている。ある時の経験や得た知識によって発動された想像は私を突き動かし、次なるアクションの理由となりうる。こうやって私はまた何処かへ行き、何かを学び、考える。よってこれら3種のインプットは相互関係のある太いチェーンのようなものではないか、と私は思う。 さて、当然のことだが私と云う人間はこの世にたった一人しかおらず、この「私」を完全にシンクロした状態で理解する人間はいないし、居て欲しくはない。しかし、冷静になってみれば当の自分すら己を完全に理解などしてはいないし、できることはないということに容易に気づくはずだ。「あの時なぜ自分はこうしたのか」「なぜこう思ったのか」それらに対する私たちの意見は「己」という一人の人間を精一杯客観的に眺めた時の一応の推察であり、断言はできないはずである。それほど私たちは色んな事をしてきたし、考えてきたし、それはこれからも継続的に増加していくだろう。ゆっくりと、しかし確実に。 私個人に限って言えば、全く本性というものがつかめないのが本音である。私のバックグラウンドが形成してきた「私」は実に様々な事を考え、生み落とし、今もワンルームの部屋のあちこちに散乱している。それが「人格」というファクターを通して多くの言動をアウトプットしていく。私にそれは止められないし、止めようとも思わない。それは小さな子供が閉め忘れた公園の水道の蛇口のように、供給源が絶えない限り一定に、確実に流れ出ていくものなのだと思う。 このどうしようもない多面性をもった私を、一つ一つ正確に、丁寧にはがし取っていこうと思う。これが私の創作活動の第一歩目だと考える。私の生み出すキャラクターはすべて私の分身である。言わせた事、させた行動、それはすべて、私がし得る言動であるし、そうなっていくのであろう。このキャラクターの細分化及び確立が小説の創作には必要不可欠である。ただ、これらの者たちは決して唯一無二である必要はない。最初はそうなのだろうが、物語とは往々にしてある者を勇敢に、ある者を傲慢に、ある者を矮小に、ある者を亡き者に変化させていではないか。ペンに染み込ませた自分と自分のぶつかり合いはそのセンテンスの中で融合と、乖離を生み出す可能性があるのだ。 ここからはペンをとってみないとわからない。その意思と想像は私の筆をどこに運ばせるのか。ひたすら繰り返すしかないだろう。唯一つ、自分自身に戒めるのならば文章の」流れ」は野球の試合同様、とっても大事である事をここにしたためておきたい。大逆転のドラマは7回表から始まると決まっているのだ。小説も同じだとおもう。ただ、それらの演出には優良な演出家が必要だ。私はそれがカタカナ、もしくは英語であると思う。彼らは力強く飛翔するタカのように頁の中を縦横無尽に駆け回る。その躍動のエネルギーが流れを引き起こすのではないかと私は考えている。尤も、それだけではないのだろうが。 今日の自分に書けるものはここまでと、私の中の一人が(この一人を私は随分気に入っている)忠告している。私はおとなしく従おうと思う。近い将来、この文章を必ず読み返すことがあるだろう。その時の私は何を思っているのだろうか。 「わかりっこない」私はつぶやく。 「なぜって、この瞬間すら分かってないんだ。分かっていたら筆をとろうなんて思わないさ」
2010年02月26日
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あぁ甘美な堕落に今日も吸い込まれる。通い続けている自動車教習所は技能検定の予約の取れなさがロト6並に困難になってきたことから完全にやる気をそがれている。おのれドライビング・スクールめ。車だけでなく我々の感情までハンドル操作しやがる。ちなみに私の指導員はシルバーの細いフレームの眼鏡をかけたイケメンのだるそうなお兄さんだった。おそらく私が女性であったのならば、好きなタイプになっていただろうという謎の見解を残して、私はただ今、交差点のスムーズなカーブを目下会得中である。もう忘れかけている。そんな心の半クラッチ状態をなんとかすべく、久方ぶりに散髪に行こうと思う。もうこの誰が得するのか分からないモフモフ、もといモッサモサの邪悪なキノコみたいな髪を伐採してしまいたい。髪と同時にこの怠惰な生活を打ち破りたい、そんな衝動に駆られたのだ。いっとくが失恋とかじゃないぞ。本当だぞ。忙しいのは事実だがその多忙さにかまけて、大切な時間まで忙しい振りをしてはいないかい?と自問すれば、すかさず自重気味の「イエス」が返ってくるこの2月下旬。時ばかり悪戯に消耗する迫真の演技で自分を見失うのは酷く馬鹿馬鹿しいな、と。自分はまだ何も成してないのに何かこう、「でも俺は違う」と頑なに叫び続ける。それは自身の否定ではないか。もしくはただの過信か。ふむ。わかっちゃいるが何ともならんな。悔しかったらなんかやってみろよ、そういう話だ。しかしここで問題なのは別段私はなにも悔しくない事だ。そうやって自分がまた何かで覆われるのを黙って承認するだけだ。あぁ。部屋の模様替えしたい。
2010年02月22日
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目覚ましの音を聞いた。短い間隔で鋭く、私の表面、ざらついた部分を振動させる。募るは不快感。そうそう、こんな目覚ましを設定していたな。こんなに苛ついてちゃ良い朝なんて来るわけない。後でアラーム音を変えてみようかな。…………。ちと間隔が短すぎやしないか。はて、と思うが早いか飛び起きるこの肉体。これは目覚ましではない。電話の着信音である。ディスプレイを開くと見覚えのないナンバーだった。しかし何故か、私にはこれがどうしてもでなくてはいけない電話だと分かっていた。分かってしまっていたのだ。ボタンを押した。「もしもし」「失礼します、こちらは自動車教習所です」そんなところだろうと思った。私はひとまず息を落ち着けた。眠い目をこする。「それで」わたしは続ける「今日はなんでしょうか」「はい、如月様のご予約されていた技能教習が本日の11時からでして、はい」「なるほど、え?」「ですので残念ですが、本日分はキャンセルとなります。」「ちょっと待ってくださいよ。その技能は確か火曜日のはずでしょう」「えぇ、ですから今日が火曜日になります」「なるほど、え?」「火曜日なのでご連絡しております」時計を見上げる。11時20分を過ぎたところだ。「え?」そんなこんなで私は午前中たっぷりと使って己の揺るぎない曜日感覚のおおらかさを嘆いたあと、キャンセル料を支払いに来た。ついでに授業も受けた。放心してなんにも聞いてなかったが。ほらね、起きるだろう?まだまだ続くぜ。
2010年02月16日
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わかったよ書けばいいんだろう書けば。なんてぼやいて筆を執る職をしてみたいもんだ。気がつけば周りを取り巻く就職活動という嫌悪すべき風紀。私たちの生活には「ES」、「SPI」など新鮮な言葉が盛んに飛び交う。今は刺激的なこれらも一年後の今頃には「一生聞きたくないワードランキング」を「センター」、「赤本」、「ママ」などの強豪とともに上位を占めるであろう。この中から一体、誰が最初に飛び出すかわからない、あの長距離走のスタート地点の「おまえどけよ」「おまえがどけよ」みたいな息苦しさにも似ているこのムード。そして全国の高校生の実に97%が「口にしたことがある」という記録をたたき出した(当社調べ)、あの中間試験の当日、HR前集まりだす生徒同士の「お前勉強やった?」「いやしてねぇよ」「うそつけ」「ほんとだよ!」という会話。後一年後には「勉強」が「シューカツ」にすり替わること請け合いである。しまいには「WE LOVE 就活」なんてT-シャツを着る輩が出てくるんじゃないか。日本の大学生がこれ以上阿呆になったら残された道は渡米しかない。アメリカン・ドリームに掛けるのだ。私の危惧は募る一方である。不安で夜も眠れなくなったのでとりあえず自動車教習所に通うことにした。この時期の教習所は非常に込むらしく、俗に言うストレート合格でも二カ月近くは必要とか。まだ一回目しか言っておらんので話のネタとしてはまだ未熟である。しかし、この私が京都で自動車教習所に通うのだ。筆舌に尽くしがたいほどの面白い事が起きるに決まっている。起こらないほうがおかしいのだ。よってこれからの私の教習所ライフによるネタは尽きることがないであろう。乞うご期待。と、謎に笑いのハードルを上げておいて、春休みを満喫したいと思う。と思ってたらもうすぐ春休み一カ月たってしまう。なんて早いんだ。自重したまえ。あぁ。誰か私に「こんな小説書いたらいいんだよ!」というずば抜けたアイデアを提供してほしい。でももし私がその役目だったらみんなに黙ってこっそり自分で書くと思う。よってそんな善人はめったにいない。仮にいたとしても絶対に「20・・いや、10パーでいいんだ」とかいってくる。絶対に利益奪いに来る。だって私ならそうするからだ。よってやっぱいい。自分で考える。こんなとき宗教者は神に頼るんだな。「御導きを」って。絶対に神様も裏で10パーセント貰ってるだろ。
2010年02月15日
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「権利を得たと大はしゃぎ 酒でふやけた子供保証書 気づかず帰る 寄生の宿へ 一体どこが 大人になったと お前が今日まで 何かしたかと」迫りくる後期定期試験。花の大学二回生もあと数ヶ月。いよいよ折り返し地点にさしむかうキャンパスライフを一体どうやって過ごすべきやう。レポートが同じく折り返し地点2000字で詰まったのでひとまず逃亡を計ってみた。一度Firefoxを開けばそこには一点の曇りなき電脳世界。なんと快楽的で、堕落的なシステムであろう。さて、今年で私も成人式を迎えたわけだがひとまず言うことは何もない。信仰の厚いものなら神様だか仏様だか、果ては鳩ぽっぽまでに「二十年、健康で過ごせました。ありがとうございます、民主党万歳!」と感謝し倒すところなのだが、生憎そのような慈悲深い心は持ち合わせていない。20年間、健康でこれたのはひとえに私のドライビングテクニック(自転車のみ)が人並み外れて優れていた事が勝因であるし、大病も患わなかったのは「無理はしない、人生は長い」のモットーのもと、自身の体を愛でに愛で続けた結果である。こうやって私は身体的にも社会的にもその桁外れの演技力と事故防衛本能によって安全を期して成人となったわけである。いいぞ、私。人を成す、とかいて成人だがなにもなりたくてなったわけではないし、どちらかといえば私はまだティーンエイジャーを堪能したかった。「えっ!?十九歳!?キャー若いー!新進気鋭ー!!平成の怪物ー!」とチヤホヤされたかった。それが二十歳である。大人たちの視線も「そりゃ何かできるだろうに」というクールを通り越して一種の冷ややかな感覚を帯びるであろう。これは何かを成さねばいよいよ具合が悪い。まて、あせるな。大器晩成という説もある。しかし本音を言えば、十代で何かを成してみたかった。人生、早い者勝ちの法則は未だ不動である。ビートルズが今出てきても感動は薄い。むしろ反応に困る。ジョン・レノンは殺されないで済むかもしれないが。しかし、自分から創られる何かはそれ相応の経験に基づいてでしか確固たる表現として成立しない。それは丁度、小さな子供が風船の紐を離してしまうように当て所なく社会を彷徨い、もしくは彷徨う権利も得ずに天井で止まったまま名無しの創造物としていつかはしぼんでしまうのだ。風船に入れ込んだ息のように、その表現に込められた感受性が特別であるのなら、決して誰の目にも止まらず悪戯に萎れていくことはないであろう。ただ、私を含めこの2010年の初月に張り切ってスーツや着物を着た多くの輩は、息を吹き込むことすらしていないのが現状である。というわけで、私も結局はそのような有象無象のひとかけらに過ぎないのだ。中学時代から続くこの自嘲的考察は未だ消えがたく、私の体のおいしいポジションを着実に陣取ってきている。あぁ如何せん。何かを成すにはあまりにも物と思想がありふれたこの時代に、一筋の切れ込みを入れられるかどうか。いよいよ穏やかじゃなくなってきましたなぁ。と、言うわけだから私はアクティブ&クリエイティブをスローガンに今年やっていこうと思う。なーんとなくで社会の歯車におさまるのはまっぴらごめんだぜ、Mr,No Future.あ、あけましておめであとう。
2010年01月14日
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今バイト先から拝借してきた芋焼酎を飲みながら、ポツリポツリと夏からほったらかしにしておいた小説なぞを書いて見ている。だがいかんせん筆が進まないことと、つまみにとっておいたあられがピリ辛とおもっていたらその名も「サクッと大辛」。辛いという味覚の限界を通り越して最早痛い。小説どころの騒ぎじゃなくなってきたのでしばし、休憩している。最近思うところあって経済の本を読み漁っている。詳しい経済用語などは全く知らないので、私が読んでいるのは経営戦略やマネジメント能力といった、人材やアイデアなどについての経済本である。つまるところ私は何がしたいのだ、といった話になった時。一番ベストなのは今書いている短編本が芥川川賞受賞、新進気鋭の若手小説家として文壇デビュー。一方そのころに制作した自身のバンドのデモCDが過去前例のないインディーズシーンの注目を集め、プレスが追い付かないほどのセールを記録。双方の印税によって私生活は不自由ない暮らしとなり、就職活動はひとまずスル―して期待される初の長編小説を目下、執筆中。といったイメージなのだが多分、色々難しい。よって教職の免許をとるべく、単位稼ぎに勤しんでいるわけだが最近、就職活動してもいいのでは、と考えるようになったのだ。私は子どもが比較的好きであるし、公務員の待遇は政権交代をしたといえど今もなお美味しい。それにいつ潰れるかともわからぬ、好きでもない会社に入るのなぞクソくらえだ!ファッキン野郎め!と考えていたのでもうこのまま何も起こらないならば教職課程一本に絞って就職活動はしない気でいた。しかし、最近自分のやりたいことは案外会社というコミューンに入ったときに現れることになるのではないか。アイデアを用いて、どうすれば売れるのか考え、対外の人間と交渉し、契約を結び、上下関係の中で適した場所で人間を使い、また自分を使い、金儲けをする。そういった仕事は自分が好むところでもあるのではないか、そう考えた。さらに会社は徹底された競争社会の一場面でもあるため、限りなく横一線の教師に比べ、自分の力試しにもなる。どんどん周りを抜いて上にのし上がるのは愉快極まりないだろう。私は自分を一番活かせる職場に行きたい。就職活動において大切なのは「やりたい事」と「得意な事」が限りなくリンクすることだ。大半の学生はその双方を持ち合わせることなく、惰性の活動によって一生の仕事をきめようとしている。そんな志で会社に入っても上へ昇格することなどは勿論、続けることすら困難であろう。と考えた末に分かったことは何の会社に入るかというのはそんなに重要ではないこと。別に私たちは「家具メッチャ好きです!」って言ってニトリに入るわけではないし「もうエアフォースしかはけません!」ってナイキに入るわけでもない。そんな理由があるに越したことはないが、大事なのはその会社にどんな人間がいて、どんなポジションが必要とされているかではないか。と、ここで講釈を垂れ流したところで私も無知に変わりない。ただ、「やべーやべー」とやかましくSPIの本を読み流しながら20も30も面接を受ける奴らには絶対に負けない自信がある。ただ、上には上がいることも、分かっている。まぁ最終的に僅差で私が勝たせてもらうが。そういうわけで小説を書く作業に戻ろうと思う。やっぱり就職活動なんて、できればしたくないのだよ。
2009年12月13日
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ボーイのバイトを始めて早1年と半分になるのだが、だからと云って私がこの世界でそこそこの信頼と評価を頂けるわけでもなく、数多の失敗を今もなお繰り返し今日だってママの電話で起きる日々。結局は「学生ボーイ」の囲いから抜け出すこともない。だからどうだって話でもないし、こちらとしてみれば日給さえ貰えれば何ら不満も支障もない。しかしいろんなことを我慢して我慢して、そして最終的に怒られたりすることはやっぱり腹が立つし褒められればやっぱり嬉しい。そんな当たり前の感情が倒錯して、「あぁめんどくせぇよ」と思う。なんて素直なのだろう。バイトに限った話でもないけれど。自分はこう、立ち回りが人よりはいささか良い。でも随所で八方美人をキャンペーンガールもかくや、と言わんばかりに振り撒いていたらそのしっぺ返しが必ず返ってくる。ヘラヘラ笑ってスル―していた事象が数日後に若干面倒くさくなっていつもこけてる。そのたびに「人生うまくいかんな」とか「やっぱこういう星の下に生まれたんやな」と感じる。しかしここが私のすごいところで、この事態に悲観はしてない。私は確かに何回かずっこけつつ、失敗しつつ、ヒ―コラ言ってるのだがトータルで見てそんなに悪い人生じゃない。むしろ少し上手くいってるくらい。偏差値で言ったら57くらい。何と見てそれを言ってるのか、誰と比べてそれを言っているのか、それは本人もわかりかねますぅてな感じであるが、とにかく概ね人生に今のところ不満の一点もない。何とか上手くやればもう少し、この自己判定人生偏差値が60の大台に乗る気がするがいかんせんこういう星の下的な、細木数子的なアレが働いているのでこれが何をどうすればいいのかさっぱりわからん。最近店のママに「あんたホンマに最近いちびってばっかやな」と言われている。最初こそ「ウッセ、ボケナス黙って俺に客さばかせればええんじゃ」と思っていたが案外人生的な意味で当たっているんかもしれぬ。こう、なんというか出るべき所が少しずれていて、損をしている感というものがあるのだろうか。つまりは「待て、ここは引くべきだ」というときとイケイケゴーゴーの時を測りかねている感じ。そんな鈍い、確かな感覚。そう思ったらママもアホを一周通り越して頭良く見えてくるから人っていうもんはわからんなと思う。おお、明日バイトに行くやる気が少し出てきた。明日にはなくなってると思うけど。もうすぐ新年やなお前ら。今年はどうやった。まて、これ今聞くとなんか後々「はぁ、めんどくせぇけど日記でもかくか」って時にネタがなくなるな。やから考えなくてよろしい。私はある意味、一番「大学生大学生」してるんじゃないかなぁ。あぁ芥川賞欲しい。サンタさんに頼んどこ。靴下覗きに来たサンタさんが「芥川賞」って書いてある紙見たらビビるやろうなぁ。んで、段々「このクソガキ普通にけん玉とか書けや靴下にコンドームとか入れるぞ」って思うやろうな。私だったらそうする。あっちゅうまですなぁあ。
2009年12月08日
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激動の11月も中盤に入ろうとしている。大学の研究発表も一段落し、今年一番のイベントと言っても過言ではない文化祭が先週ようやく終わった。14日に出させていただいたのだが、まぁ何というかアレだ。トリを飾ることへの興奮と、意外に多いお客さん、そして若干のプレッシャーなど数々の要因が入り乱れて演奏的には目を覆いたくなるようなライブをやっちゃったぜ!といった感じだった。ライブの終わりに行った己の奇行を冷静に書くことは、拷問以外の何物でもないのでここは自己の崩壊を食い止めるべく割愛させていただく。今から思えば恥ずかしい限り。ギターが壊れてなくてよかった。とにかく岐阜からわざわざ来てくれて、当日は大好きなご飯を絶ってまで知らないバンドを見続けたコイ○デ君と、そのコ○イデ君を4時まで一人ぼっちにさせた挙句、ライブが終わって疲労困憊の私に「清水寺に紅葉を見に行こう!」とかぬかしてくれたアイミヤ君は来てくれて本当にありがとう。私の知らないところで、私たちのバンドを評価してくだすっている方々もチラホラ見てくれていたらしく、多くのリクエストを頂けたこともあってCDをしっかり作ろうかと思う。多分年始になるかと。もしできたら成人式に持参して通常価格の3倍くらいで売ろう。んで、好きだった女の子に「お、俺、今バンドしてんだけどよぉー・・・」とかいってあげよう。ひゃっひゃっひゃ。そんあこんなでバンド活動のほうも一区切り付き、今週の木曜日はママの誕生日。人生、いいことも悪いこともある。それが終わったらサークルの幹部交代。もう我々が主導権を握るのである。なんたるスピード。おら、びっくりだ。激動の11月に変わりはないけれど、自分のやりたいことに少しずつ着工していこうかと思う。小説とか冒頭3行くらいで止まってるな。たまにはひねくれず、現状報告の日記も書かねば自分が何をやっているのか、自分でもわからなくなってしまう。自己満足とその余剰によって、世界は回っているんだなぁ たくを
2009年11月16日
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往々にして人間とは無い物ねだりである。そのジェラシーの増幅度といったら隣の芝は青いどころの騒ぎではない。隣の芝は青を通り越して黄金に輝き始めるのだ。あぁ幻の国ジパングはここに存在せり。一頻りの嫉妬を燃やした後は、頼んでもないのにその芝を刈る作業に入る。その敏捷性といったら出る杭が「出ようかな」とか考えているころから彼らは釘バット片手に我々を待ち構えているのだ。そのエネルギーを違うベクトルに回せないものなのか。我々はため息を漏らす。そんで、しっかり打たれる。一番醜悪なケースをここで紹介しよう。「老い」と「若さ」は遡ること1万年前からこの血まみれの戦争を行ってきていた。オールド・ピープルは剣を握れなくなった代わりにペンを、盾を持てなくなった代わりに書類の束を、そして斧を振りかざす代わりに権力を、といった具合にヤングメンたちをひらりひらりといなしてきた。若人はその余りあるエネルギーのぶつけ方が分からず、そのアウェイ戦を落とし続け、つけられたあだ名が「ゆとり」である。的確過ぎて涙も出ない。しかしその実、なぜ彼らが御老体に鞭打ってまでこのような労働に勤しむかといえば、何のことはない彼らは淘汰を恐れているのである。「俺たちの屍を越えてゆけ!」なんてワンピース的な威勢のいい高齢者は最早この世において絶滅危惧種であり、仮にいたとしてもフガフガ言ってて何が何だかわからない。名場面がしまらない。よってカウントには入らない。若者は舐められっぱなしである。セクシーな女性になら寧ろ御褒美だが、何が嬉しくて腹の出た年寄りに舐められなくてはいけないのか。しかし若者はそれなりに阿呆な事をこれでもかというくらいやらかしているので、いかんせん分が悪い。「若気の至り」で全部すんだら京都府警は週休5日制になるだろう。今の若者たちに足りないものは何なのか、私は腕を組んで考える。考えてるうちに「待てよ、アホが多いほうが相対的に私の評価はうなぎ上りになるではないか。ってことはこのままでいいではないか」という結論に至る。私は自分のことで精一杯なので若者の愚行を憂いている暇はない。仮に暇があっても憂うことはない。自己責任は社会の大法則である。諸君、走りたまえ。君は思っているより足が遅いのだ。
2009年10月30日
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11月 14・15日立命館大学 衣笠キャンパス 学生会館5Fホール軽音サークルロックコミューン 文化祭ライブ私は初日のトリで出る。快挙っちゃあ快挙だが、なぜトリで出られるのかよくわからん。が、多分、最初で最後だろう。オープンは12時~だが、私の出番は大体4時頃です。お暇ならば是非。ちなみに五時になると隣の建物でショコたんがライブを始めます。vsショコたんみたいな所あります。多分、勝てません。今が一番バンドに打ち込んでいて、結果が反映されている時期だと思う。「俺たち、このバンドで一生食っていくぜ!」みたいなノリではないし、活動は有限であるからこそ華々しく輝かしい、とは私のモットーの一つである。だから、これでいいと思う。今この瞬間にしかない衝動は明日になったら着実に薄れ、蝋燭の灯火の様にやがて消えていくのだろう。残った蝋の塊が、やがて振り返った時に私をニッと笑わせる、くすぐったい酒の肴にでもなれば言うことはないだろう。という謎の見解を含ませたデモCDを年内に作成する予定。どんな残り粕になるのか、乞うご期待。焦燥が詰まった11月は爪先を私たちに向けて、秋をガリガリと削る。恐怖をコートの内ポケットに突っ込んで、歩けよ歩け、もうすぐ二十歳。
2009年10月28日
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学校へ行っている間に携帯の電源が切れたらいつも、「これはいかん!もしバイトの後輩やバンドのメンバーが緊急のメールが来たらどうするんだ!いや、それならまだしもフッと女の子から『いま何してるー?』なんてメールが来た日には世も末だ!!あぁ、なんてマズイ事態なんだ」って思ってる。でも家に帰って夢中で電源につなげるけど誰からもメールが来てない。「おかしいな」と思って一応センター問い合わせもするけど来てない。流れるメッセージが「新着メールはありません(笑)」に見える。私はドコモにすら憐れまれているのか。まぁそんな些細な、至って些細な問題はひとまず隅へ追いやるとしよう。文化祭でライブすることが決定しました。多分11月の14日。暇な人は京都へ来てください。また詳しくはここで自慢しよう。てかこれ誰が見てるんだって話だが。最近私の周りで「付き合うことになったよ」みたいな人間が繁殖してきた。きっとだれもが人肌恋しい季節になってきたんだろう。秋はフォールし、恋人たちはフォーリンラブ。うまくないか、これうまくないか?よって今日はクリスマスが引き起こす性的な結合と、それに伴うカップルの増加傾向についてでも考察しようとしたが何だかどうでもよくなってきたので割愛する。セックスはできるときに阿呆ほどしたらいい。どうせオッサンになったらいろんな意味で役立たずになるのだ。今日もバイトだ。最近のママは怒らないので非常にやり易い。面倒なのは相変わらずだが。
2009年10月16日
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最近バイト先に新しく入ってきた祇園マスターみたいなオッサンがすこぶる稼働する御蔭で最近の私は「働くニート」化している。こんな身分でも日給が上がった。至れり尽くせりだが、こう、なんかね。そのオッサンは父親と年が一つ程しか変わらないという。驚愕の事実である。私は親父と風俗店で働いているようなものだ。違うか。大学卒業後、公務員という安定した職を早々に取得し30年近く教鞭をとる人間のいる傍ら、18から夜の世界へ入り当時で言うディスコやパブをいくつも渡り歩いて30年近く祇園で働く人間がいる。この両者が見てきたもの、飲み食いしてきたもの、感じてきた事は全く違うものだろう。そういう事は、面白い。私は比較が好きな人間だと思う。一人の小説家に没頭するよりも比較文学のほうが興味があったりする。生身の人間と付き合うのは面倒くさいけど、そういう人の内面を探っていく作業は非常に面白い。多分、趣味悪いのだろうが。その人間の持つ意見も、貴重な情報だ。ただそれが愚痴や自慢に変わったとき、話を聞く価値は一気になくなる。金にも代えがたい時間。それまでの時間に見合った分相応の経験談、伝聞などの情報を開示してくれるのは大抵、年のイッたおっさん達だ。しかし残念なことに彼らは得てして素晴らしい情報を私に与えてくれたあと、決まって上記したようなしょうもない話を繰り広げる。私は、それはしょうがないと思う。彼らはすでにボケ始めているのだ。過去の人間は未来に託すのが仕事である。貴重な情報を頂いた後でも、しょうもない話を聞いた後でも、その老人には敬意と「お疲れ様」の意味を込めてさぞ興味のあるように耳を傾けるのが我々の役目だ。まぁ同年代にでもオッサン以上にいい話をする奴はいると思うが、需要と供給のバランスがおかしい事になっている。だから「ゆとり乙」とか言われる。別にいいけど。世の中にはつまらない話が大きく分けて三つある。人の愚痴話。人の自慢話。そして昨日見た夢の話。するな、という訳ではない。その話を面白くできる自信があるなら、むしろするべきだ。いい意味で期待を裏切る事はセンスとユーモアが試される最高の見せ場である。ただ、私はあまりお勧めしない。なぜならそういう話をする人間は大抵、つまらないからだ。
2009年10月11日
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台風の前の静けさだろうか、辺りは人っ子一人居ないかの様な無音状態が続いている。この世界に自分だけが住んでいるような感覚、否、確かに世界は人で溢れ返っており、寧ろハジキ者にされたのは私であろう。その真偽はさておき、分かっている事は今夜、紛れもなく台風が来ようとしていることと、その前兆かなんかで今はとてつもなく静かであること。そしてこのタイミングでエロい動画とか見たら如何に窓を閉めていようと隣人にバレるってことだ。私の居住するアパートの隣にはもう一件、別の同じような学生アパートが建っている。その名を「ジョイフル長澤」という。数年前のフレッツなんたらのCMの女優を彷彿とさせる、こちらまでワクワクしてきそうな名前のアパートである。最近、その学生アパートにどうも、というか多分、っていうか間違いなく「家族」が引っ越してきた。学生アパートに家族ってどうよ、あぁやっぱり世の中色々大変なんだなぁ、と妙な推察と押し計らいで事なきを得ようとしたのだがそうは問屋がおろさない。っていうかおりてたら日記に書かない。生活音、というのだろうか。とにかくウルサイのである。最初は親父さんの「チャンネルどこやったんや!」というどなり声で起きた。「昨日まであったやろうが!」って知らんがな。どうせ「おはよう日本」とかみるんだろ。家族も早く探せ。絶対誰か知ってる。知ってるけど黙ってる。面倒くさいから。得てして中年盛りも過ぎたの親父というのは、家族内での好感度が軒並み下がるという過去のデータが出ている。(当局調べ)ちなみに親父さんの年齢は不詳である。またあくる日はコンポのスピーカーがやたら重低音が響き、「どれだけ自己主張の強いベースなことか」と呆れていたが、よくよく聞いてみたら隣の家の洗濯機が「ブォン!ブォン!」となっていて曲とシンクロしていただけだった。ちなみに聞いたいたのはジャズである。そのまたあくる日はお母さんがベランダに出て電話をしていた。得てして中年のオバサンというのは熱しやすく、冷めにくい。おまけに声が10代のころよりも1,5倍大きくなるというデータがでている。(当局調べ)無論、彼女の年齢は不詳であり、最悪、オバサンではない可能性すらある。ちなみに内容は歯磨き粉の使用についてだった。とにかくヤカマシイにもほどがあるこのご家庭。もしかして私のアパートの壁が薄いのかしらん、とも思ってみたが平均以下ということはあるまい。現に彼ら長澤家(家名である。そして仮名である。)が来る前までは穏やかな生活をしていたじゃないか。そうだ、そうである。まぁそんな長澤ファミリー、頼むから早く退去してほしい。台風と一緒にいざ、関東へ。起きてみたら彼らの表札や暮らしの気配は跡片もなく消えており、今までのは夢だったのだろうか・・みたいな宮沢賢治的エンドは無しだろうか。無しだね、そうだね。なんか太った気がする。ラーメンばっかり食ったからか。
2009年10月07日
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キャンパスには人がそれこそ腐るほどいらっしゃる訳で、実際半分位の人間は本当に腐ってるんじゃないかと思ったりするわけで、でもどっからが腐ってるか、それを傍から見分けるのは至極難しい。ロットン・パーティーは朝からオープン。話しかけてみたら意外に良い奴、っておまえは一体何様なんだと。腐ってるのはお前じゃないかと。中高の教員免許を取ることになった。これは怪しい香りがしてきた。人生が真実と妥協のコンクリートで固められる。セメントの匂いに私の脳は段々やられて、思考があらぬ方向に冴えわたる。そうしてきっと、教員採用試験にパスしていくんだろう、そうだろう。「反対意見のある人は代案を出してください」「特にありません」職場のボーイが一気に4人いなくなった。クビってのは本当にあるもんだ。かといって、生き残った私がすることはいつもと変わらない。金と人の雑踏を小走りに擦り抜けて一体どこへいくんだか。そんな半永久的テーゼはさておき、利用できるところまでさせてもらいますよ、祇園のみなさん。文学とか冷静に考えたら馬鹿らしくないかなぁ。森見登美彦さん、あんた正解だよ。
2009年10月05日
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夏休みが、終わってしまう。 ~以下、著者の回想シーン~と思ったけど回想する事が何もなかった。よって割愛。ポケモン銀リメイク、買ったけど早速飽きてきた。流石は俺。時代に左右されないこの不動っぷり。買ったけど。ゲームなんかでね、今を忘れてはいかぬ。買ったけど。そもそも配達のオッサンから受け取って2日間放置してたからな。たぶん、そんなに欲しくなかったんだろうな。あと主人公の女の子が俺好みじゃなかったのも敗因。ラブプラスの購入キャンセルして本当によかった。京都の寺めぐりとか面白そうとか思うじゃん?あんだけあるんだから絶対「ここ、俺のベスト・テンプルだから・・」みたいなのあると思うじゃん?あるかもね。俺はないけど。でも毘沙門堂は面白かったよ。受付の坊さんが気に食わなかったけど。思ったけどさ。アレよね。日本の仏教もさ、変なカルト団体と何も変わらないよ。信じ込んだらさ、最早神様が誰であろうと関係ないんだよね。そこに救いがあるって考えられるってことが重要なのよね。個人的にそういうのは信じてないし、信じる必要もないし、たぶんこの先も信じないだろうね。でもそれは否定じゃないのね。だから俺だって正月になったら仏壇の前で「今年も一年ウハウハできますように」って祈るし、神棚に「いろんな女の子と出会いたいです」って頼むしクリスマスは「いいじゃん!クリスマスだし」って言ってエロい事企むよ。俺にとって宗教はそんくらい。わかりやすく言うと柿ピー<<<<<宗教<<<<ワンピースの最終回くらいね。メッチャわかりやすいね。そんなことを醍醐寺で考えた。寺はいろんなことを教えてくれるなぁ。みんなも行ったらいいよ。寺。明日ライブだあ。がんばるぞう。
2009年09月24日
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無性にカップ焼きそばを食らう欲望に襲われコンビニへ出かけるその道中、道端に某週刊少年雑誌とエロ本が落ちていた。少年雑誌のほうは別段、珍しいことではなかったのだが京都の道端にエロ本が落ちているのを私は初めて目撃し、ひどく新鮮な、同時にどこか懐かしい感情に襲われた。思い出されるのは小学校も高学年に差し掛かったあの夏の日(実際はオールシーズンである)。下校途中で見つけた薄汚く汚れた卑猥な月刊誌。おもむろに開かれたページに描かれたまさにエロとグロのせめぎ合い、リアルに鼻血が出るのではと危ぶむほどの衝撃的なワンシーンが描かれていた。(その行為が「触手プレイ」なるものと理解するのはまだ先のお話である)一方そのころ当時、「ピュア神の権化」、「3/3の純情な感情が伝わる少年」など数々の異名を持っていたキサラギ少年(12)は理性と本能の第一次世界大戦状態。心の防波堤は決壊寸前。周囲の住民には避難警報が出ているレベルである。当時、落ち着いて素数を数えるなど有効的な防御方法を知らなかったキサラギ少年は「何たる淫行!け、けしからん!」という顔をしつつも心の中では「いかにして誰にも悟られぬよう次の1ページがめくれるのか?」という史上最大のテーゼについて脳内会議が第24回目まで進行していた。周りには誰もいないというのに。おませなチキンボーイである。最終的に少年はASIMOもそんなに曲がらんぞ、おいというほど首を360度回転させながら周囲の警戒を怠らず、かつ足で鋭く正確に週刊誌の側面をけり上げ、頁をめくるという荒業を試みていた。のちの黄金の左足である。当然、そんな偉業はあのコナン君のヤバい靴をもってしても成功するわけはなく、最終的には公民館の裏に隠れ、ひっそりと、しかし謎の衝動に燃えながらエロ本を楽しんだものである。誰かが来れば小動物のごとく敏感に反応し、すかさず竹箒などが収まっている倉庫の隅にエロ本を隠し、何食わぬ顔で下校途中の少年を偽った。決まった、我ながら完全犯罪である。しかし、それらの本は決まって次の日の下校中には消えていた。そのたびに「あの時の鍬を持ったジイサンに違いない!オイボレめ、お年なんだがら無理せずに若い世代におとなしく譲ればいいものを!ええい!」とヤキモキしつつ帰路に就いたものである。しかし、あの頃のドキドキしながら頁をめくった期待感。自分の知らない世界へ飛び込んでいるのだと感じる冒険心とほんの少しの背徳感。一冊の本は少年の心を大きく、深く創造し、着実におとなへと近づけていった。 一応確認しておくが、エロ本の話である。今ではそんな気持ちも、あの夏の日に置き忘れてしまったらしい。私はなにを追いかけるでもなく、何に追われているのでもなく、ただ惰性な日々を繰り返している。世間は夏休みも終盤に差し掛かるというのに、一体自分は何をしているのだろうか。何をしただろうというのか。過去の少年・キサラギはきっとガッカリするに違いない。怒りともどかしさを込めて「どうしてそこであきらめるんだよ!もっと熱くなれよ!」と言うことだろう。すまん過去の少年。私は熱しやすく冷めやすいどころか、何かに熱中することさえも、そのやり方を忘れてしまったらしい。今の私をどうか、許してほしい。そしてできることなら、私にその熱く、たぎる少年の心を分けて欲しい。もう一度私は何かを追いかけてみたいのだ。道端のエロ本が最終的には壮大なスケールの人生観を見させてくれたころ、私は部屋に初めて、しかも2匹いっぺんに突如発生したゴキブリを聖書で叩き潰していた。生活に変化は見られない。あぁ、なんと無常なことか。あてもなく動くその足で、どこへ行こうというのだろうか。どこへ行こうと、思えるのだろうか。
2009年09月07日
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