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職場にかかってくるセールス電話は、いちおう門前払いせずにワタシのところにまわすようにしてあります。ろくでもないセールスもありますが、中にはこちらの知らない有益な情報をもたらしてくれる電話もありますので、外界との窓を閉ざすことはできません。しかし今日かかってきた電話には驚きました。真っ正面から競合しているA社の人が「当社の新サービス×××についてのご説明をさせていただけませんか」なんて言うんですから。×××じゃわからん!と思われるでしょうがお許しを。それを言うと分かる人には分かっちゃいますから。まあ大雑把に要約すると、「今後のWeb業界において、それを持っていることが間違いなくアドバンテージになる技術」に基づいたサービスということです。今のところワタシの会社はその×××については出遅れ気味で、なんとか他社にキャッチアップせねばと情報収集していたところ。そこに、まさにそのベンチマーク相手がウチに電話してきて、それについて教えてくれると言うんです。電話の向こうの声は若い女性。気持ちマニュアルでも読んでいるかのような棒読み口調。その辺から察すると新入社員か?おそらくウチが自分の会社の競合先とは知らずに、ホームページか何かを見て電話してきたのでしょう。これ、別の業界で言えばトヨタのビルに日産のセールスマンが「ウチの開発中の新車の説明をさせて下さい」と飛び込んできたようなもの。あ、いえ喩えが一流すぎますが、雰囲気は分かっていただけるでしょう。女性の説明が一段落ついたところで、ちょっとイタズラ心を出して、聞いてみました。「なるほどね、×××についてはワタシも勉強中なんですけど 貴社が優れていると言われている○○○な部分について、 もう少し聞かせてもらっていいですか?」ちなみに「○○○な部分」というのはこの技術のかなり核心の部分。一般向けのパンフレットでは「詳しくは営業担当にお問合せ下さい」といった形でぼかされているところです。拒否されるかと思ったら、電話の女性はワタシを基礎知識のある話しやすい相手だと思ったのか、ペラペラとしゃべりはじめるじゃないですか?あげく「詳しい資料をお持ちしましょうか?」と。ちょっとちょっと待ってよちょっと!(なぜか郷ひろみ口調)「はい?」「あのね、あなたウチが何の会社か知った上でそれをお話しされて いるんですか?」「何の会社、といいますと・・・」「○○○○○○という会社です。もし上司の方が近くにおられたら その会社に営業をかけていいかどうか聞いてみてください」というわけで、電話は保留されてしばらく沈黙。30秒ほどして女性が再び電話口に。「あの、すみませんでした・・・。申し訳ありませんが・・・」「でしょう?うち、お宅の競合ですから。そんな大事なことをライバル 会社に教えたらまずいですよ。あなたは新入社員ですか?」「はい」「ワタシのほうも、あなたからもし資料なんかもらってしまったら、 新人を言葉巧みに誘導しただろうと御社から疑われるでしょうし、 いいことないですから。そういうわけで、この話はこの辺にしとき ましょうか」「すみません・・・」というわけで、管理者の皆さん、新入社員の若者にセールス電話をかけさせるなら、NGリストくらいは作ってくださいね。そういえば、ワタシがコンサルティング会社に勤務していたとき同業のコンサル会社(業界上位)から「経営セミナーのご案内」の電話がかかってきたことがありました。ウチがライバルと認知されていない、どこのどいつか知られていないからこそ電話してきたのだろうし、そういう意味では複雑な気持ちになるセールス電話でしたね。
2007年06月29日
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仕事場のデスクの上にはミスコピーした紙を4分の1に切った手製メモパッドとボールペンを常備しています。電話メモ?・・・として使うこともありますがそうじゃない。アイデア帳?・・・うーん、そんなにアイデアは出てこない。実は、「今何をしようとしていたか忘れないためのメモ」。情けない話ですが、何かしようとして資料を探したりしていると何を探していたのか忘れてしまうんです。最近、頻繁に。とくに過去のメールを見ていたりすると絶対ダメですね。さっき受信したメールが目に入ってそっちを読んでしまい、うっかりレスなどしようものなら、そもそも何のためにメールを開けていたのか、かなり高い確率で忘れてしまいます。大丈夫かワタシ?そんなわけで、探しものをするとき、もしくはこれから何かを考えようとするときは、それをメモに書いておくんです。「去年の代理店別売上リストを探す」みたいな感じで。それにしても、一気にささっと書かなければなりません。下手をすると書いている途中で忘れてしまいますから・・・。若い頃にしょうもないことばかりをたくさん覚えすぎて、頭のメモリが容量いっぱいになってしまったのか。PCみたいに脳もディスククリーンアップ機能とか最適化とかできたらいいんですが・・・。ちょっと空間をあけないと辛い。ワタシのどうでもいい記憶、だれか引き取ってもらえませんかね?
2007年06月28日
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あるブログの抜粋なんですが、まあちょっと見てください。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ある日若槻千夏にとって彼の裾をつかみ、生きる屍と化したらしい。それでもマイホームの頭金は前借りするそうだ。その論争において、城咲仁だって、品性下劣でどうしようもない言葉を吐きつつも武士の根性を見せた。あんな光景は二度と見れないだろうな。最悪の事態を予測したのか、酒井若菜は後先かまわずに誰もが待ち望んでいた結末になった。調子こいてるからそんなことになるんだ。慌てながら長瀬智也は年金が全然返ってこないので、UFOが現れた。ちょっと許せなかったな。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・要するに、いま検索頻度の高いキーワードを使いまくって日記の文章にしているわけです。こんなのがもうちょっと続き、最後はエロサイトへのリンク。ようやるよ、まったく。これ、ブログ検索したらかなり上位に出てたんです。そういうわけで、ブロガー(と言っていいのか?)としてはそれなりの達成感があるのかも知れませんが。ゴクローサンです。
2007年06月27日
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しかしマスコミの力というのは凄いものですな。ほんの2週間前には存在すら知られていなかった男が、今や時の人。だれって、ビリーですよ。バンバンでもジョエルでもなく、軍隊式エクササイズのインストラクターのトランクスさん。(違った?)この週末、テレビはどこのチャンネルに合わせても軍隊ズボンを履いた黒人のオッサンが怒鳴り声を上げてるじゃないですか。一応中途半端ながら企画屋・広告屋に属しているワタシなりに考察してみたいんですが、この「ビリー来日」って画期的なんじゃないかと。だって、ビリーなんてこの国のほとんどの人は来日するまで知らなかったでしょう? 普通、来日プロモーションをマスコミが取り上げるとしたら、ハリウッドスターとか、「すでに有名な人」でしょう。今回は報道によって有名人を作り上げたわけで、順序が逆だろうと。もっとも、東京ではそれなりに知名度はあったんですか?ワタシは今月始めに東京に出張したとき地下鉄で「ビリー」の社内吊り広告を見たのを覚えています。そのときは「よくあるダイエット広告」くらいにしか思っていませんでしたが・・・。ニュース検索してみると、「ビリー」の記事が初めて登場するのは6月5日。(この時期「ビリー」の検索結果はまだまだ「ジョエル」が多いです)6月19日段階でも「いま話題のビリーって誰?」みたいな記事があったり、まだそれほど知っている人は少なかった模様。それが、来日プロモーションをこれでもかというくらいに取材させテレビで東京での盛り上がりぶりを流しまくったらこの効果。もはや大阪人の会話にすら「ビリー」が普通に出てきます。(実は大阪人は「東京で大人気」に弱い)「『知らない』は『存在しない』と同じ」と言われますが、「ビリー」の件は一夜で、いなかった人をまるで前からみんなが知っていたかのような存在に仕立ててしまったという。実際、軍隊式エクササイズなんて商品として見れば新しくないでしょう?ワタシも以前いた会社の合宿新人研修(ワタシは講師側ですから)で「ビリー」じゃないですがアレ的なビデオを流してやったりしましたよ。ボクシング的な動きはかなり似てますし。(しかしきつかった)中身は陳腐でも、マスコミの手にかかれば「新鮮で刺激的な商品」になるんですねえ。ほんと、だからマスコミは政治や宗教とは距離を置いてほしいんですよ。って飛躍でもなんでもなく。
2007年06月26日
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さっきFMでABBAの『ザッツミー』がかかってました。懐かしいなあ。ABBAを知ったのは、中学2年のとき同じクラスだったヨシモト君の影響です。今の中学2年ならもう洋画も洋楽も十分に楽しめるだけの目や耳を持っているでしょうが、当時の中学生はワタシも含め、みんなまだまだガキでした。女子はアイドルに夢中、男子は放課後の野球の試合と週刊誌の連載まんがの続きがどうなるかで頭がいっぱいでしたから。そんな時代に、ヨシモト君の下敷きには外人のロックミュージシャンの写真が入ってました。前の席だったワタシが振り向いて「それだれ?」と聞くと「シド・ヴィシャス」と。それが彼とワタシの縁の始まり。『NANA』みたい?しかしセックスピストルズとABBAを同時に聴いているというのは、今思えば味わい深い趣味ではありますが。その音楽フリークが、なぜかワタシに洋楽のレコードを貸してくれたんです。頼みもしないのに次々と。後になってその理由を教えてくれたんですが、要するに彼はワタシを音楽ファンとして養成し、ワタシにも洋楽のレコードを買わせ、それを自分も聴こうと考えていたという。当時はまだ「レンタルレコード」なんてありませんから、音楽を聴くにはレコードを買うかFM放送を聴くかしかありません。特別に裕福でもない庶民の子供が毎月何枚もLPレコード(死語)を買えるはずもないので、彼は他人のサイフを利用しようとしたわけです。思い出して腹たってきた(笑)。まあしっかり彼の罠にはまってしまったわけですが。彼が鼻歌まじりによく歌っていたのがABBAの『ザッツミー』でした。ノリのいい曲で、最後にたたみかけるように盛り上がる“I'm really not the kind of girl you'd marry That's me”を彼は見事な(と当時のワタシは思いました)発音で歌っていました。ワタシがとてもマネできないと感心すると、「英語のスペルなんか見たらローマ字読みしてしまうやろ。 聞こえるまんまにカタカナに書き出して歌ったらええんや。『ア、リリナ、ザ、カノガユ、メアリー、ダッツミー』や」そんな会話を思い出したわけですよ。FMでABBAを聴いて。30年ぶりに。その後、彼とは高校が別々になって関係は切れてしまいましたが音楽の道に進んだのかな? 検索しても出なかったところを見ると、それほど大物にはなってないのか(笑)。なんてことはどうでもいいや。『アバ・ザ・ムービー』も一緒に観にいったよな。今だから言うけど、ワタシは映画館で洋画を見たのはあれが初めてだったんよ。なんばプランタンの裏にあった映画館。国際劇場だっけかな?覚えてるヨシモト? あの映画館ももうなくなったよ。
2007年06月25日
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初めてカメラの中古買取センターというところに行ったんです。キヤノンの一眼レフ。三脚と取替え用フィルター数点を持って。実はすべて失踪中の馬鹿イトコのもの。叔母に「もう捨てるけどいる? いらなきゃ捨てるけど」と言われたので、それはもったいないとワタシがもらい受けたのでした。かといってワタシももうフィルムカメラで写真を撮ることもないし、撮ったら現像にお金がかかるし、結局持っていても仕方ないと観念し売ることにしたのです。センターで担当のお兄さんに査定してもらったところ、電気系統に故障があるとかで買い叩かれ、全部ひっくるめて3,000円也。多分買った値段は全部足して20万円は下らないと思うんですが・・・。まあいいや。仕入れはゼロ円だし、ちょっとしたお小遣いです。査定してもらっている間、店内のイスに腰掛けて、ぼーっと展示品(もちろん中古カメラ)を見ていると、面白いものを発見。カメラが無造作に陳列台の上に積み上げられているじゃないですか。バーゲンのワゴンセールみたいな。こんな光景初めて見ました。そのカメラの山には「JUNK CAMERA」というプレートが立てられています。積み上げられているカメラには値札が貼ってあって、なんと500円!いくら中古でもそりゃちょっと安すぎるじゃん!食い入るようにそれを見ていると、店員さんが笑いながら「ははは、それは写らないですよ」「え?壊れてるの」「はい、もう撮影はできないんですが、置物にしたりとか、 子供のおもちゃにするといって買っていく人もいるんです」「へえー」なるほど、子供のおもちゃにスクラップのカメラというのは意外にいいかも知れません。写りはしなくても、ホンモノの手触りとか重さとか、そういうのって結構子供にとってはうれしかったりするものです。おそらくキディランドで子供向けの「オモチャのカメラ」を探してもきっと500円ということはないでしょう。経済的でもあります。もし自分に子供がいたら、こんなのを与えてもいいかなとありえないことを考えたり。積み上げられたカメラの一台を手に取り、両手で構えたらうっかりシャッターボタンを押してしまいました。カシャッ、と乾いた音を響かせたシャッターは、まだ現役であるかのようでした。
2007年06月21日
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昨夜、昼間に起こった渋谷の爆発事故のニュースを見ようと報ステを見たら古館氏が現場まで出向いて、詳しくレポートをしていたわけですよ。30分くらいかけてましたかね。すごいですね。東京って温泉と一緒に天然ガスが出てくるんですね。たしかに関東ガス田って何かで聞いたことがあります。従業員だけでなくて、たまたま前を歩いていた人も巻き添えを食ったとは、なんと運の悪い人か。そういえば目と鼻の先の新宿で大きな看板が落ちてきて女性を直撃とか、あんまりな事件が東京都心で相次ぎました。あんな町に行って大丈夫かワタシ・・・。ニュースがひと段落ついたので風呂に入り、出てきて扇風機のスイッチを入れ「はー気持ちよかった」。ん、何か忘れてるような気がする。何だっけ。今日の曜日に関係しているような・・・。あーっ!なんてこった!『セクシーボイスアンドロボ』の最終回だったんじゃないか。完っ全に忘れてたああああ。時計を見ると、23時3分過ぎくらい。あああ、さっき終わったばかり。がっくり。うっかり見損ねたテレビ番組って、終了した直後に気付くんです。そんなことないですか?気付いたのが翌日なら「しゃあない」とすんなりあきらめられますが、直後はショックが大きい・・・。自分に罰を与えるために60分正座&セルフ往復ビンタ。
2007年06月20日
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ワタシの勤務先はいくつかWebサイトを運営していまして、その中にはせっかく作ったはいいものの、ほとんど更新もされずほったらかしになっている、建物で言えば「廃墟」みたいなサイトがいくつかあります。そういうものにもコストはかかるわけで、いくつかを整理しようという話になったんですが、そのうちの一つはリニューアルして存続させようという話になりました。その担当には、今年入社した新人のK君を任命。今そのサイトの一日のアクセス数は100いくかいかないか、(ワタシのブログでも更新した日はもっといくぞ)何をやっても今より悪くなることなんてないから、好きなようにやってみろと。そう伝えたらK君、喜ぶよりも考え込んでしまいました。何を悩む必要がある?と聞くと、「今後の収益化の見通しとか、検索エンジン対策とか・・・。 アクセスを増やそうと思ったらやっぱ広告ですよねえ」おいおい、何でそうなるのか。サイトが「店」なら広告は「客寄せ」。店がつまらないのに客をどうやって呼び込むか考えるなんてのは順序が逆だろが。まずは面白いコンテンツを作ることを考えろよ。単純な問題を自分で難しくして動けなくなるなんて馬鹿。シンプルに考えろ、やるべきことを書き出せ。優先順位をつけろ、スケジュールに落とし込め。分からないことは人に聞け、できないことは人に頼め。プランは完璧でなくていい、70%くらいの出来で着手しろ。あとはやりながら修正すればいい。動く前に悩むな。動いてから悩め。言ってて思いました。どれも自分が苦手なことばかりじゃん(苦笑)。
2007年06月19日
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もうじき東京人になるワタシですが、住むところを検討したり、新しい生活を想像するのは楽しいものです。いろいろと下調べをするには当然インターネットをフル活用しています。やはりネットがあるというのはすごいことですね。ネットがなかった頃、12~13年くらい前、同じだけの情報を手に入れようと思ったらどれほど時間がかかったかと想像すると、自分が超人になったようにさえ感じます。基本的なところでは、不動産会社のHPを見れば家賃の相場が分かりますし、「行政サービスの比較サイト」なんかを見れば、市や区のサービスも比較検討することができます。住みたい土地の名前でニュース検索をすれば、どんな出来事があるか、昔から揉め続けていることや将来への課題は何があるかも把握できます。(簡単に言うと「ガラの悪い土地」かどうかのチェックですが)。Google Mapは上空からの写真でエリアを見ることができるので、緑のあるところに住みたいワタシに重要な情報を提供してくれます。そして最後はブログやmixiから発信される住人のナマの声を拾えば、行政からの広報内容の裏づけが取れるというもの。しかしmixiには都内のたいていの「市」「区」、人口の多い「町」は住人のコミュニティがあるんですねー。住人同士がたがいに情報交換していて、「子供が熱を出したんですが良い病院はないですか」みたいな質問に丁寧に答える人がいたり、微笑ましいやりとりが展開されています。関係ないですが「吉祥寺」のコミュニティで「駅前で媒図かずおを見た」という書込みがやたら多いのには笑ってしまいました。そうか、東京って有名人がたくさん住んでいるんだなあ。吉祥寺も悪くないかな。しかし、知れば知るほど気分が重くなる情報というのもありましてそれはアレですよ、ゴミの問題。ところによってはゴミ回収が有料だとニュースで聞いていましたが、自分がそういう立場になると思うと抵抗ありますね。とはいえ、行政もよほどゴミを増やしたくないんでしょう。あれだけ人間がいれば処理施設もパンクするでしょうし。そう考えると、大阪という町がいかにゴミに対して寛容であったかと(というか気を使わずに生活できたか)いま実感しています。だって、粗大ゴミ以外は燃えるものと燃えないものの分類だけでいいし、基本的にタダですから。いつだったか職場で大量の電池を捨てなければならないことがあってまさか普通のゴミと一緒に出すわけにいかないだろうと大阪市役所に電話して指示を仰ぐと、「燃えるゴミと一緒でいいですよ」でしたから。こっちが「いいんですか?」と聞き返したくらいです。「本当にいいんですか?」「はい」「電池なんか燃やしたら有毒物質が出るんじゃないですか?」「大丈夫です。ものすごい火で燃やしますから」「ものすごい火ですか・・・」「ものすごい火です」というやりとりを覚えています。東京もそういうパワーのある焼却炉を作ってほしいもの。とまあ、話はそれましたが、ゴミの分類の細かさや有料である点は新しい生活に少なからず影響を与えそうです。細かいことを考えるのが嫌いなワタシは、おそらくややこしいゴミが出るものは最初から買わないでしょう。でもmixiで拾った住人の声によると、プラスチックごみは洗って出すのがルールだそうで、納豆も使用済みのパックを洗って出さないといけないそうじゃないですか。めんどくさいよそれ。でも、こんなことで納豆を遠ざけるのは辛いよなあ・・・。
2007年06月18日
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いま、某ネットカフェにいます。実はワタシ、ネットカフェなるものに入るのはこれが初めて。漫画喫茶ならあるんですけどもね。自宅にインターネット環境がないのを「土曜・日曜は『思索の日』と気取っていたんですが今日はどうしても調べ物をしなくてはならず仕方なく利用することになったわけでして。入店して、いろいろと発見がありました。・意外にインターネットをやっている人が少ない。 ほとんどの人が漫画を読んでいるか寝ています。・意外に清潔。また意外にイスが楽チン。 後ろに重心のあるゆったりしたイスは 結構疲れないものです。(だから寝に来るのか)・意外に店員さんが好印象。初めてのワタシに分かりやすく 料金システムを教えてくれて、言葉遣いも良かった。 また案内された席でしばらくするとIEの調子が悪くなり、 申し出るとすぐに別の席に案内してくれました。 (しかも使用開始時間を新しい席についた時間からにしてくれた)。壁に「サラリーマン支援割引」というポスターがあって平日昼間はスーツ着用のお客は最初の1時間50円割引だそう。どっちかっていうと「サボリーマン支援でしょうに」(笑) と、あまりキーをカタカタやっていると隣の席のお兄さんににらまれてしまいました。安眠のお邪魔でしたか。たしかにさっきから物音を立てているのは私だけでした。では、この辺にしておきます。というわけで、日曜昼下がりのネットカフェからご機嫌よう。
2007年06月17日
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出ましたよ!新人女子社員から採取する「いまどきの略語」コレクション第三弾です。では、新語が出現する10秒前から場面を再現しますね。舞台はオフィス、席を外していて戻ってきた女子スタッフ(先輩)がなにやらぶつぶつ言ってます。先輩「あー、あたしの電卓がない。机の上に置いといたのに」新人「さっきFさんがちょっと貸してって言って、持って行きました」先輩「またか~。Fさんに貸したら絶対返ってこないんだよなあ」新人「あはは、カリパクですね」先輩「?」はい、ここでストップ。「カリパク」、ご存知ですか?新人女子によると、「借りたままパクッて(自分のものにして)しまう」という意味なのだそうです。これはちょっと地域性があるかも知れませんね。ではまた!
2007年06月15日
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知らない名前のWeb制作会社から電話があって、聞いてみると、ワタシの(というかワタシの会社の)運営するサイトに「公式ブログ」を書いてくれているタレントTさんのホームページを作っているとのこと。Tさんに頼まれて電話をくれたそうで、さすがタレントさん、自分では動かないのね。用件は何かというと、Tさんのブログにバナー広告を貼りたいと。Tさんのホームページにリンクさせたいそうで、まあ大した問題ではありません。ワタシはOKと回答しました。「ありがとうございます。ではバナーを送りますのでアドレスを教えて下さい」。「*****@*****.co.jpでお願いします」「はい、では送ります」そのまま電話を切ろうとするので、ワタシは思わず「ちょっと待って」!「もしもの場合のためにそちらのご連絡先も教えてくださいよ」「あ、メールに書いときますから」「うーん、まあ・・・、じゃ、お願いします」それが昨日の話。イヤな予感が当ったというか、まだバナーを添付したメールは来ません。それを伝えようにも相手の連絡先が分からない・・・。だから言ったじゃん!
2007年06月14日
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事情ありまして削除しました・・・。
2007年06月13日
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昨日からトーキョーにいます。東京・大阪が2時間半になったおかげで最近は日帰り出張ばかりなんですが、今回は2日にわたって用事があるのでゆったりお泊り。これでこそ出張。というわけで、昨日の夕食はもう長いお付き合いのブログ友達とご一緒したり。会いたい人に会うというのは、食べたいものを食べるとか寝たいだけ寝るとかいうことよりココロが満たされますワタシの場合。ところが!ちょいと気を許すと落とし穴が口を開けているものです。まさにこの町は戦場、男はみんな傷を負った兵士(意味なし)。今朝、電車の中での話です。車内は朝8時台のすし詰め超ラッシュ。運よく前の席が空いたので座ったんですよ。これが落とし穴!数分後に乗り換え駅に着いて、降りようとしたら前の人が動かない。「あの、すいません、ちょっと、降ります」目の前の人垣はびくともしない。それどころか、乗ってくる人たちで逆にワタシが押し戻されています。なんじゃそりゃー!結局その駅で降りることはかなわず、走行中にぐいぐい人を押し分けてドア近くに陣取り(ラグビーかアメフトを連想)、次の駅で降りました。悲劇はまだ終わりません。陸橋を渡って反対側のホームに移ろうと思ったら、エスカレータ前に山のような人が!エスカレータにたどり着くまで約5分。(そんなにかかってなかったかも知れませんが、そのくらい待たされた印象)この大都市でサバイブするには、降りた駅の出口の位置まで頭に入れたストラテジックな行動が必要なのか・・・。ちくしょうッ東京の野郎ッ!と思わず小池一夫調に毒を吐くワタシ。なすすべもなくエスカレータの順番を待っていると、ワタシの前にするりと一人のオッサンが横から割り込んできました。なにしやがる!すでに沸点寸前のワタシは肩でそいつを列の外に押し出してやりました。なめるなよ東京モン!と目で罵ると、そいつはこっちを睨み返して捨て台詞。「ええやんけ、ちょっとくらい」大阪人かよ・・・。
2007年06月12日
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携帯で顔写真を送ると有名人でだれに似てるか判定してくれる「顔ちぇき!」をやってみました。(携帯でhttp://kaocheki.jp)サイトを開き写真を添付して送ると、あっという間に回答が返ってきます。ほんと、ちゃんとチェックしとるんか!?と疑いたくなるくらい。で、ワタシの写真を送ると「あなたが一番似ている有名人はヒュー・グラントです」・・・というのはウソで、「大泉洋」だそうです。聞くところによると大泉クンは男性で一番よく出るタレントなのだそう。てことは一番ありがちな顔ということですね。ちなみに女性ではチェ・ジウが一番なのだとか。じゃあ有名人本人の写真を送ったらどうだろうかと、手元にあったTVブロスの表紙の九藤官九郎を撮って送ると返ってきたのは「濱口優」。そういえば似てるか?それではとデビッド・ボウイのCDジャケットを撮って送ると「美輪明宏」と返ってきました。ぷぷっ。面白がって猫の写真を送ると「伴都美子」だって(笑)。人間でなくても答えは出るようです。こういう、システムをおちょくるような使い方も面白いです。でもこれすぐ飽きそう。だって自分と知り合いを一通りやったらもう見ないものね。たとえば自分に似た人の写真を見せてくれるとか、何度も見たくなる仕掛けがあればまた違うんでしょうが。
2007年06月11日
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えー、というわけで、思い出せばいくつもエピソードが出てくる夏休みアルバイト in 北海道の話もそろそろお終い。今回は牧場の皆さんとのお別れの段・・・なんですが、なぜかそのあたりの記憶がぽっかりない(笑)。最終日に給料をもらったはずなんですが、うーん、そのあたりどんな感じだったか何も覚えていないんです。というわけで省略。じゃあ後は何があるかというと、牧場を出てからの旅行ですね。10人のバイト仲間は一ヶ月間で3つくらいのグループに別れていました。といってもグループ同士対立していたとかそういうことはなく、食事のときになんとなく近くに座っている、みたいなゆるいグループ。そのグループ単位でそれぞれに「バイト終わったら一緒に旅行しようぜ」と計画を立てていたんですが、ワタシは牧場を出て一人で放浪したんです。なんでかな?別に嫌われていたわけではない(と思う)んですが・・・。もうあまり記憶がはっきりしないのですが、多分自分の希望とグループの計画が一致しなかったのでしょう。だということにしておきましょう。まあ数日後に札幌でひとつのグループのメンバーと落ち合って一緒にラーメンを食べたりしましたから。牧場を出て、最初に池田に行ったかな。ワインで有名なところ。そこまではたしか徳山クンと一緒でした。そこで飯食って別れて、徳山クンは用事があるとかで大阪へ。ワタシは道東へ。前々から釧路湿原が見てみたかったんです。広大な風景を予想していたのですが、しかし行ってみたら、広いのか何なのか良く分からない!実は高所から湿原全体を見渡す展望台があったんですが、下調べがいいかげんだったワタシはその存在を知らず、湿原の端っこのほうを軽くかすめただけで通り過ぎてしまったのでした。このあたり、同行者がいないとどうしても甘くなります(反省)。その日は夜遅くに根室に着いてビジネスホテルに泊まりました。多分それがワタシの「ホテル宿泊」初体験(たいていユースでしたから)。フロントで「4500円の部屋ならご用意できます」と言われ、宿泊料金の相場を知らなかったワタシは「高いな」と一瞬迷ったのを覚えています。駅で寝ようかとも思ったんですが、寒かったのでホテルに泊まることにしました。今から考えれば4500円なんてかなり安いのに、当時のワタシのうぶなこと。うぶついでに、部屋の中の様子をノートに鉛筆でスケッチしたりしました。たしか。その後、根室から知床半島に向かい(陸路を行ったんですが、これも今思えば船で海から半島を見たほうが良かった)、そして再度北海道を横断して札幌へ。ここで前述のように一旦別れたバイトグループと再会。彼らは積丹半島方面を回ったということでした。再開したメンバーと札幌の中心部をうろうろして、北海道に来たらやっぱラーメンでしょうとラーメン横丁に行ったのですが、はっきり言って後悔しました。某人気店に4人で入ったら、カウンターにバラバラで座らされ、しかも食べている途中に店のオヤジに席移動を指示される始末。「ハイ、水持って横詰めて」みたいな。「観光ずれした店」もまた初体験。二度と行くもんか龍×。締めは函館。山の上から見事な夜景を見物し、夜遅くの青函連絡船で約1ヶ月ぶりに本州に帰還。船の中では東京から来ていた女子大生のグループと一緒になり、乗り合わせた他の大学生の野郎どもも交えて「旅の思い出話披露大会」になったんですが、こちとら1ヶ月の牧場生活で「他にない」エピソードは腐るほどあります。農作業の話、馬の話、海辺の気候の話などで女子たちの注目をかっさらったのは快感でした。うはは。青森からはまた特急電車で日本海側をまっすぐ下って帰るのですが、その記憶はほとんどありません。多分疲れ果てて眠りこけていたのでしょう。24年前の夏休みでした。
2007年06月11日
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実はその夏の北海道は雨が多かったんです。なんとアルバイト期間の3分の1くらいが雨か霧でした。襟裳のような海辺の町の霧というのは半端ではありません。もう2メートル前が見えない感じ。しかも移動が早い。海のほうを見て、なんとなく薄く曇っているなあと思ったら数分で霧が上陸し、身の回りを真っ白に包んでしまいます。映画「ザ・フォッグ」の世界ですマジ。雨の日は草が重くなるし、牧草を積み上げる作業ができません。そんな日は馬小屋の掃除をさせられたり(はっきり言って糞尿掃除)、使っていない倉庫を片付けさせられたり、牧場の人たちも無理に仕事を作っていた感じでした。いちおう公休日は7月中に2日あり、それ以外の日は仕事が楽であろうと日給が発生してしまうので、雨の日は申し訳なく思ったものです。休みの前日、仕事を終えた後、牧場の車を借りて町に繰り出したのを覚えています。町というのは、最初の日に牧場主の奥さんに聞いた「駅と反対方向に1時間行った先の町」。行ってみると、たしかにえりも駅前よりはたくさんの商店がありましたが、大阪で言えば快速電車が止まる駅の前よりもさびれているかな、というイメージ。「昨日、悲別で」みたいな世界。って、当時はまだそんなドラマはありませんでしたけども。行く先はもちろん酒場。いわゆる「スナック」。いちおう女の人がついてくれるお店で、毎日農作業をしているととりあえず相手が女性というだけでほっこりしてしまったものです。カラオケもありまして、でも昔のカラオケってろくな曲が入ってなかった(笑)。今みたいにヒット曲がすぐに入ったりしないんですよ。近大コンビの一人「馬場さん」はその夏ヒットしていた『悲しい色やね』を歌いたがったんですが、もちろんヒット中の歌などあるはずもなく、仕方なくアカペラで歌っていました。リモコンもありません。もうボロボロになった歌本を見て、「ママー、29Cの『いとしのエリー』」みたいにリクエストしてました。ワタシは『そんなヒロシに騙されて』なんか歌ったような気がします。あと『東京砂漠』とか『大阪で生まれた女』とか。歌い疲れたスナックの帰り、うまい具合にメンバーに飲めない男がいたので、彼に車の運転をお願いして牧場に帰りました。北海道の「国道」は舗装されていない箇所もけっこうあってガタガタ揺れて吐きそうになりました。それと、雲の厚い日の夜空は暗幕を引いた部屋のように真っ暗でした。あまりに暗すぎて、空が高いのか低いのか分からないくらいでした。自然の闇の深さを、ワタシはその夏初めて知ったように思います。
2007年06月09日
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その牧場は規模も大きく、ワタシたちのような「季節労働者」をしょっちゅう受け入れているのでしょう、寮までありました。ビルの工事現場の隅っこにあるようなプレハブなんですが、部屋は2人部屋で十分広く、それなりに快適に過ごせました。(タコ部屋みたいなのを想像していたのでちょっと安心)なんといっても涼しいのでエアコンなんてまったく不要。日によっては暖房が欲しいと思ったくらいです。バイトはワタシを入れて10人。同室で元ヤンキーの(ちょっと目が怖かった)「中島」。外交官の息子で帰国子女だった「太郎」。バスケ選手で背が高かった「ナオキ」。ワタシと同じ大学で建築科にいた「徳山」。関東からただ一人のメンバー、会津出身の「佐藤」。いっしょに来た「中野」さんと「馬場」さんの近大コンビ。京都の新聞販売店の息子「アトジ」さん、そして7月なかばに一番遅れてやってきた「馬渕」さん。おお、ちゃんと覚えているじゃんワタシ。寮の部屋の中にはテレビも何もないので、そこでは基本「寝るだけ」。一階に食堂があり、テレビもあったので、仕事を終えて帰ってきて夕食後は1~2時間そこでだべって風呂に入って部屋に戻る生活でした。朝は普通に8時起床だったんですが、みんな疲れていたので夜12時には自然に消灯してましたね。なんと健全なことか。その食堂でワタシは『ふぞろいの林檎たち』を初めて見ました。ワタシはそんなドラマがあることもそのときは知らなかったのですが、ある金曜日の夜、食事を終えて例によって食堂でだべっていると、部屋にこもっていた近大コンビが突然食堂にやってきて「おう、林檎見せてくれ林檎」と勝手にテレビのチャンネルを変えてしまったんです。始まったドラマは自分たちと同じ大学生が主人公でしたが、途中からではストーリーがよく分からず、ただCM前に必ず画面が真っ白になるのと、やたら流れる桑田圭祐の♪エェェリィィーィィのシャウトだけが印象に残ったのでした。そういえば、まだ当時テレビドラマで大学生が主人公というのは珍しかったですね。ドラマは基本的に大人のものでした。今みたいに、ほとんどすべてのドラマが若者向けになろうとはそのときは想像だにしませんでした。あと、テレビで見たものって何だったかな?やっぱし男ばかりだったので、野球を見ることが多かったような。巨人・中日戦で田尾がバッターボックスに立っていたシーンをなんとなく覚えています。
2007年06月08日
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奥さんの運転する車で走ること約15分。駅前に売店のようなものが4、5件ある「商店街」を抜けるとあとは笑ってしまうほど何もない大地。そりゃそうだ。襟裳というところは何もないと森進一が歌ったとおり。「必要なものがあれば駅前まで来るしかないんですかね」と奥さんに恐る恐る尋ねると「大したものはないよ」とあっさり。生活用品などは、牧場から駅とは反対方向に1時間近く車で走った先の町まで行かねばないのだとか。ついさっきまでは電車内で胸躍らせていたくせに、完全にシャバと隔絶される現実を目の前にすると、まるで刑務所に服役するような絶望的な気持ちに襲われたものでした。その日はゆっくり休んで、仕事は翌日から。大阪からやってきたバイト約10人はトラックの荷台に乗せられて毎日山の中に連れて行かれます。それがどこなのかなんて聞いても分かりませんから聞きませんし、連れて行くほうも何にも説明しません。とにかくそこはクサが刈り取られた牧草地で、遠くから見ると直方体の物体がなにやらごろごろ転がされています。サイズは50cm×30cm×70cmほど?(もう記憶が曖昧です)数日前まで稲のように立っていた牧草を刈り取って、針金をぐるんと巻いて固めたものがその正体(トラクタが草を刈り取ると同時に自動的に針金を巻きつけてポコポコ落としていくんです))。それをトラックに積んでサイロや倉庫に運び(これが何箇所もある)詰め込んでいくのがバイトの仕事です。なんとシンプルな。牧草地をトラックがのろのろと走り、バイトは地面に転がされた牧草の固まりを担いでトラックの荷台に放り上げます。トラックの荷台には牧場の人が乗っていて、荷台の隅から固まりを一つでも多く詰めるよう、端っこからぎゅぎゅっぎゅっと、石垣を積むように押し込んでいきます。ときには牧場の人もトラックを下りて積み込みに参加することがあり、そんなときは小学生(奥さんの息子)が4tトラックを運転していました。さすがに敷地内だけでしたが恐るべし北海道。牧草の固まりは一個10kgぐらいはあったかな?こいつをトラックに積み込むには、固まりを縛る針金の下に軍手をした両手の指を入れ、一旦胸にぐっと引き上げ、一呼吸おいてうりゃっと気合を入れて肩の上に持ち上げ、トラックの上に放り上げていきます。2、3日でコツをつかむというか、体が一連の流れを覚え込んでくれるので無駄な力が入らないようになるんですが、それまでがもう泣きたくなるほどキツイ・・・。北海道を舞台にした日本映画でこの作業をやっているシーンを見たことがあるんですが、女優が2人で固まりを持ち上げてキャッキャッ言いながらトラックに積んでいました。・・・そんな非効率なことやってたら永遠に終わらんぞ。想像できると思いますが、これがかなり腰にきます。というか、全身にきます。腕も脚もパンパンになります。指は軍手をしていてもゴツゴツの岩みたいになり顔をさすったら傷がつきそうなくらいでしたマジで。荷台にもう積めないというくらいに牧草を山積みにするとトラックはサイロ(もしくは倉庫)に向けて出発。サイロに着いたらトラックから固まりを下ろして、屋根裏のようなところに端っこから詰めていきます。おそらくそれが翌年までのお馬さんの食料になったのでしょう。バイトは「トラック積み込み」組と、それを倉庫で待ち受けて運んできた牧草を「下ろして積み上げる」組に分かれることが多く、積み込み組はトラックを送りだすと、待ち受け組はトラックを空にすると次まで1~2時間くらい何もすることがありませんでした。そういうときは、牧場の隅の何にもない芝生の上に寝転んでただ雲を見ていました。
2007年06月07日
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思いのほかコメントが好評でしたので「体験アルバイト in 北海道」のことをもっと書きます。ワタシ的にも、覚えているうちに書かないと忘れてしまいそうなので。まず大学2年のときにお世話になった牧場の話。「えりも牧場」というところで、牧場というと牛を想像すると思うんですが実はここ、競走馬の産地なんです。ワタシは競馬のことはまったく分からないんですが、まずまず有名な牧場だそうで「エリモ○○」という名前の競走馬はここ出身なんだとか。で、まずそこにたどり着くまでが大変。お金はないながら時間だけは売るほどあった(だれも買いませんが)ワタシのとった移動手段は電車。所要時間は1泊2日。いや別に「鉄ちゃん」じゃないですが、たまには電車の長旅もよかろうという、男の子にはそういう血が流れているんです。大阪駅からえりもまで、もちろん当時は「国鉄」!朝10時ごろに特急電車に乗って大阪駅を出て、京都まではなじみのある風景、そのうち湖西線から敦賀に出てあとは日本海側をずうううっと北上。ただただまっすぐ北上。もう嫌になるほどまっすぐ。広すぎるぞ新潟。・・・心底疲れて本州の北端に着いたのはその日の深夜。そこから青函連絡船。当然外は真っ暗で、石川さゆりが歌った「北の果て竜飛崎」などどこにあるのやら。青函連絡船に「乗った」という経験はあるものの、ほとんど何の記憶もないのが残念(外は真っ暗だし、船室に入ったらすぐ寝たし)。北海道に渡ってからは、函館から札幌、札幌からえりもまで特急を乗り継ぎ。不思議なもので本州を走っている間は窮屈な座席で疲れ果てていたのに北海道に渡ってからは全然平気。苫小牧から海沿いに襟裳岬に向かって走っているときなんか窓を全開にし、ほとんど自分しか乗っていない車両の中で風に吹かれながら、「このまま目的地に着かなくてもいい」なんて思ったりしましたから。風景は人を癒す。いやマジで。といった個人的な思いには関係なく電車は予定通りにえりも駅に到着。そこには牧場の奥さんが待ってくれていたのでした。
2007年06月06日
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大学時代の今頃は、牧場か昆布かで迷う時期でした。何のことかというと、夏休みのアルバイトです。北海道で一ヶ月間住み込みで働くという体験アルバイトがあって、「牧場」というのは内陸にある牧場での仕事、「昆布」は海辺の町での昆布漁の手伝い。そのどちらかを選べたわけですよ。体験アルバイト・・・、自分で言ってて懐かしい響きに酔いそう(笑)。当時、扇町公園にあった学生アルバイトのメッカ「学生相談所」(通称ガクソー)に行くと、この時期には北海道アルバイトのポスターが貼りだされていたものです。ワタシは2年と3年の夏休みに参加しました。1年のときはこのアルバイトがあることを知らなくて申込みに間に合わず、4年はさすがに就職活動(当時は就活なんて略したりしなかった)があったので自粛。本心は4年の夏も参加したかったし、実際に4年間全ての夏休みをこのバイトですごしたツワモノもいたそうですから北海道恐るべし。そうなんです。働いているときはキツくて泣きそうになるんですが1ヶ月後に給料をもらってお世話になった人たちと別れるときには「また来よう」と思うんです。「はまる」とでもいいますか、まあ当時「はまる」なんて言葉を使うヤツもいませんでしたが。給料は、牧場も昆布も日当が8千円くらいだったかな?まあ住み込みでメシも風呂もついていてそれだけくれるのは当時の感覚としては悪い条件ではありませんでした。7月まるまる1ヶ月働いて得た20万ちょっとのおカネを元手に、8月は北海道を周遊し使い果たして帰ってくるというのがこのバイトに参加した大方の学生のパターンでした。要するに北海道旅行の資金を現地で稼ごうという。また牧場も昆布漁も数人の大学生が合宿することになるので一緒に旅行する仲間が調達できるという良さもありました。もちろん男ばっかしですけどもね。それで「牧場」か「昆布」の話なんですが、ワタシが選んだのは2年のときも3年のときもどっちも「牧場」でした。2年で「牧場」を取ったので3年のときは「昆布」にチャレンジしようかと思ったんですが、朝がメチャクチャに早いのと、あまり泳ぎが得意ではないので、船から落ちたり濃霧の中で遭難したららやだなあと。今考えればそんな危ない仕事をバイトにやらせるわけはないのですが、インターネットなど影も形もなく、ガクソーでもらったチラシ以外に情報収集のすべがなかった当時は、勝手に想像を膨らませて期待したり怖気付いたりしていたのでした。ほんとうに、あのころは何にもありませんでした。時間だけが、ほぼ無限大にありました。
2007年06月05日
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初対面の方と食事をともにするときの話題は、その人が仕事関係の方でないならば、互いの「身の上話」になりがちなのは必然。不思議なもので、自分が過去にどんな仕事をしてきて、今何をしているか、これから何をするつもりかといったことを「初対面の方に分かりやすく」を心がけて説明していると、自分自身もその話から「気づく」ことがあります。ワタシのキャリアは、広告と経営コンサルティングとインターネットという主に3つがあるわけですが(細かくいえばもっとありますけど。家具販売とかホテルとか)、そのジャンルの会社に所属した期間を見ると、70%くらいは経営コンサルティングなんです。けれども、自分の意識のシェアでいうと圧倒的に今のインターネットが一番なんですね。単純に今やっているからというのでなく、仕事と自分のフィット感が。そういうことに気づくんです。インターネットといってもワタシはエンジニアではなく、アートディレクターでありライターであり企画屋であって要するに絵とか写真とか映像とか文字とか(多少は音楽とか)表現の世界の住人ということです。ここにいる自分が一番しっくりくるんだよなあと。まわりのスタッフからも「アイドルのキャンペーンサイトを作っているときは本当にイイ顔をしている」と言われますし(笑)。だったらコンサル屋だったときの自分って何だったんだ、と。統計とったり分析したりクライアントの決算書を見てエラソーにコメントしたり。10年以上もそんなことしていたんだよなあ。どこか無理していたのかもなあ、と。そのときはそんな気は全然ありませんでしたが、今思うとそういう気になったりするんですよ。ワタシにとってコンサル屋の10年って回り道だったのか・・・。いや、それがあるから今の道にたどり着いたのかも知れませんし今の自分の強みでもあるのは間違いないし。・・・・・・・・・・・・・・・・すみませんね、その節は。自分ばかりしゃべって。今度はもっとそちらの話を聞かせてください。
2007年06月01日
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