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この伊勢うどん、いつ頃から食べられていたのかは定かではないが、その歴史は相当古いようだ。昔は素うどんと呼ばれ、古く江戸時代以前よりこの地の農民はうどんに地味噌からできた「たまり」を少しかけ食べていたのが初めだといわれている。その後、鰹節などでだし汁を加え食べやすくしたのが『伊勢うどん屋』の始まりで約360年前に浦田町橋本屋七代目、小倉小兵さんがうどん屋を開業した。
2018年04月29日
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御当地人気料理特選に選ばれていて、B級グルメの人気を決めるB-1グランプリにおいては第1回と第2回は第1位、第3回は特別賞となった。地域おこしの成功例として取り上げられることもある。一般的なやきそばとの違いで、最も大きな特徴は、噛み応えのある、麺のコシ。フツーのやきそばの麺は、小麦粉と水で練って蒸した後、ボイルします。しかし、富士宮やきそばの麺は、蒸した後、強制的に冷やし、油で表面をコーティングしています。この製法により、富士宮やきそばの特長であるコシがある麺となっています。
2018年04月26日
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もんじゃ焼きは、東京の下町と埼玉県東部、群馬県東部と栃木県南部で見られる料理。もともとは、主に間食として供された。小麦粉を溶かす水の量がお好み焼きに比べてはるかに多く、タネ(汁のこと)にソースなどの調味料を一緒に混ぜ込んでしまうのが特徴である。タネの水分が多い分、食感は鉄板に接する外部はパリッとしているが、中はトロッとしている。1819年刊『北斎漫画』に、「文字焼き屋」の挿絵があり、この時代既に江戸にもんじゃ焼きに類するものがあったことが分かっている。焼くときにタネで文字を書いて遊んだことから「文字焼き」と呼ばれ、それが「もんじゃ焼き」となったとの説が有力である。
2018年04月23日
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横浜発祥と言われるラーメンの一種。肉と野菜、もやしをあんかけにしたラーメン。漢字で書くと生馬麺、生碼麺、三碼麺、等。諸説あるが、生(サン)は新鮮な野菜のシャキシャキとした食感の意。馬(マー)は麺の上に乗せることをさすと言われる。三種類の具を使ったから、という説もある。(新横浜ラーメン博物館:ラーメン知識学「ラーメン辞典」より)発祥は横浜中華街の聘珍楼とも、伊勢佐木町の玉泉亭ともいわれており、その後、中華街や伊勢佐木町だけではなく、市内の町中にある中華料理店などのメニューにもなったため、横浜市民としては馴染みの麺になっていった。新しいもの好きの横浜人にとってピッタリのものだが、プライドが高い人たちだけに、サンマーメンの市外流出を苦々しく思っている人も少なくない。
2018年04月20日
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1920年代半ば、「崎陽軒の名物を考え出さねば」と考えた野並茂吉社長は、そのヒントを求めて横浜の南京街(現在の中華街)を食べ歩いた。そして、ほとんどの店で“つきだし”にシウマイが出されていることに気づいたのである。「味は日本人の好みに合っているし、南京街のどこでも食べることができる――これは横浜の名物になる!」と直感した野並社長は、さっそく“横浜風シウマイ”の開発に取りかかった。しかし、蒸した状態でおいしいシウマイも、冷めた状態で食べるとそのおいしさが半減してしまうのである。中略 シウマイをベースとした新製品の開発がスタートして一年、ついに“冷めてもおいしいシウマイ”を完成させた。さらに、揺れる列車の中でも食べやすいように、大きさを1口サイズにするなどの工夫を凝らした。こうして、ヨコハマ名物“崎陽軒のシウマイ”が誕生したのである。崎陽軒は、銀座の街角で煙草のキャンペーンをしていたピース娘をヒントに、1950年、横浜駅ホームに「シウマイ娘」を登場させた。雨の日も風の日も晴れやかなコスチュームにたすきをかけ、20個入りのシウマイが入ったかごをさげてシウマイを売り歩くシウマイ娘はアッという間に"横浜の名物"として定着し、連日さまざまなメディアで取り上げられるほど一世を風靡した。(崎陽軒のホームページより)新しいもの好きの横浜人だからこそ出来たシウマイ弁当。リーズナブルな価格で未だ人気の弁当。私自身も年に3~4回食べている。米の専門家も「この価格で、このご飯は!」と絶賛するほど。
2018年04月17日
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ゼリーフライは、埼玉県行田市で作られている郷土料理の一種。標準的な作り方としては、おからと茹でた馬鈴薯を2対1の割合に、つなぎに鶏卵と牛乳を加えて混ぜ合わせ、コロッケのようにまとめるが、コロッケとは異なり小麦粉・鶏卵・パン粉による衣を着けないで素揚げしたものをソースにくぐらせたものである。いわゆる「おからフライ」の一種で、軽食として食べられることが多い。主に行田市内の各地でスタンドやカウンター形式で売られている。行田市持田の「いっぷく茶屋」の先々代の主人が、日露戦争に従軍した際に戦地で中国人から「野菜饅頭」なる食品の作り方を教わり、これをアレンジして作り出されたものである。近所の祭で屋台を出し、販売していた。明治末期からあるが、他の地域にまで普及はしなかった。名称の「ゼリー」は、一説には、形状や大きさが小判に近いので「銭」が訛って「ゼニーフライ」から「ゼリーフライ」となったとも言われるが、詳しくはよく分かっていない。
2018年04月14日
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レモン牛乳(レモンぎゅうにゅう)は、栃木県内の製乳メーカー2社が生産している乳飲料の通称である。無脂肪牛乳や生乳に甘味料とレモン風味香料を加え黄色く着色した飲料で、レモンなどの果汁と酸味料は入っておらず、レモンの味はしない。
2018年04月11日
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全国的に有名になったが、宇都宮市の人は、実によく餃子を食べる。。但し、2007年の調査では政令指定都市になった浜松がエントリーしてきて、餃子NO.1は浜松になった。(1位浜松、2位宇都宮「家計調査」2015~2017年平均 総務省)。(実は1989年にビジネス雑誌で「日本一餃子を食べるのは宇都宮」という記事を書いたのは私です)宇都宮はとにかく餃子の店が多い。「みんみん」、「まさし」、「宇都宮餃子館」などのチェーンをはじめ市内にはなんと165店もあるのだ。最近は餃子で町おこしをしているほどで、餃子だけで30種類以上のメニューの店もある。宇都宮に餃子の店が多いのは、戦後中国からの引揚者が多かったためといわれているが、忘れてはならないのが気質だ。栃木の人はひと言でいうと渋めのいぶし銀タイプ。恥ずかしがり屋で話し下手で人見知りをする人が多い。また真面目で律儀で堅実だが、慎重すぎるきらいがあるため商売は決して上手とは言えない。私も以前、餃子の店を何軒かハシゴしたことがあるが、宇都宮の餃子専門店の特徴は、餃子しか出さない店が多いことだ。ご飯はもとより、ビールさえも置いていない。これも、いかにも真面目な栃木らしい。ついでに言えば、栃木の人はどちらかというと殻にこもるタイプが多いだけに、殻にくるまっているモノが好き?なのである。
2018年04月08日
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もともと、宇都宮は昔、帝国陸軍の連隊区があり、当時、遊郭、料亭、バーなどが栄えていたところ。宇都宮には「パイプのけむり」という名前を冠した店が、たくさんある。実は宇都宮がカクテルの街になったのは、「パイプのけむり」のオーナーの大塚徹氏による功績が大きいといわれる。自ら腕を磨くとともに、スタッフのバーテンダーを育て、全国的な大会へどんどんチャレンジさせていった。そして、数多くの優勝者を輩出した。宇都宮のバーやバーテンダーは、それに続けと腕を磨き、バーテンダー日本一を15人も輩出する、「カクテルの街」となったのである。栃木の男性は、カラオケでみんなでワーッと盛り上がるというより、静かに1人で、あるいはせいぜい2、3人で酒を楽しむタイプが多い。キャバクラよりバー向け(顧客としてもバーテンダーとしても)の気質なのである。
2018年04月05日
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福島県会津地方では、饅頭に衣をつけて揚げたものを、総菜やそばの具にしている。これが饅頭の天ぷらである。揚げることで甘みが穏やかになるらしい。仏前に供えて硬くなったの饅頭を油で揚げて、もう一度軟らかく食べられるようにしたのが始まりともいわれている。会津の人は祖先を大事にするからお供え物を忘れないし、もったいない意識が強いから簡単にものを捨てない。この気質が饅頭の天ぷらを生んだと考えられる。
2018年04月02日
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