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近頃のマスコミの報道の、さまざまな事件に対する扱い方というか、書き方話し方で感じることなんですけどね。とりわけ最近は、実に幅広い層の人々がやらかす刑事事件が多いではないですか。それらに対して、マスコミが精神分析まがいのことを云ったり書いたりするわけですよ。それ自体、別に悪いことじゃあないとは思うんですけど。ただ気になるのが、直接犯人の鑑定に当たった精神鑑定士だとか、その道にかなり精通しているプロの人の話なんかを聞いて報道してるのならまだしも、その犯人の生い立ちだとか家庭環境などを調べて、それだけで、あとは記者なりキャスター、解説員などが、自作自演で、作ったことをそのまま公にアウトプットしちゃう。あれって、どうなんだかなあ、とクビを傾げたりしてしまう今日この頃。以前より、特定の人物に対して、その人の生まれ育ちや言動に焦点を当てて、彼がどんな性格であるかを述べたりコラムにまとめたりすることというのは、確かに流行していた。はては、それが飛躍して、一冊の本になって出たものだって少なくない。異常な少年犯罪の犯人とか、少年少女誘拐殺人犯の「心の闇」みたいな話。勝手気ままに行動する女優、ドラッグを服用する歌手、エキセントリックな政治家、どこぞの教祖の狂った活動などを「精神障害」と称したものとか。そういうものを、彼らの「性格分析」とか「診断」と名づけて世に問えば、確かに一見それなりに盛り上がるし、時間や字数稼ぎにはなってるようにも見える。おそらく、オジマ社長だとか、ホリエモン容疑者をターゲットにした、そういう話題や記事が、早晩いろんなところで取り沙汰されることだろう。確かに盛り上がるかもな。たとえばオジマさんは、子どもの頃から仲間を口車に乗せて小遣い巻き上げて遊びの金にしてたとか、ホリエモンは、自室で日がなパソコンいじってる地味でおとなしい少年だった、みたいな話っていうのは。でも私に云わせると、そんなものは「ヒマつぶしのただの悪口」に心理学っぽい尾ひれをつけて、体裁を整えただけじゃねえか、と思ったりしてね。少なくとも、自分で真面目に拾い集めた情報には見えない。他人の持ってきた話に、頭の中のボキャブラリーをひっつけて出しただけ、みたいな感じ。遊びや娯楽目的の内容ならそれでいいのかもしれないけど、事件の解明によって、最終的には社会の改善の一翼を担うべきマスコミ報道が、そんなものを今、公に流してるバヤイかなあ、と思わざるを得ないのネ。別にそういうネタを扱ってもいいけど、それらは、すべてがある程度落ち着いて、ヒマになってからやって欲しいものだ。ホリエモンのことを「虚業」だなどと、公然と云ってるマスコミが作るそういうコンテンツもまた、「虚構の作品」にすぎないと思ったりします。わかったかナベツネ、フルダチ、チクシテツヤコノヤロー。それでもやりたいんなら、マスコミやめて、小説家とか放送作家でもやればよい。って、かくいうオレのほうこそ、こんなこと書いて油売ってるバヤイではないのだった(汗)。
January 31, 2006
今週は、試験も目前なので、なかなか「楽天広場」にたどりつくこともままならず(というかメンドくさいし寒いし眠いし・・・)、気づくと布団の中で震えながら目覚めるという日々が続いておりました。でも今日は久しぶりにあたたかかったね(^^)。とはいえまだ勉強が残ってるし、メンドくさいので、ザザッとまとめ書きでございます。日記所要時間は30分ナリ。<依存症みたいなもの?>なんだか、朝晩のニュースを見るというと、相変わらずトップはホリエモン一色だあね。よほどオイシイネタらしい。回転寿司でいうところの大トロ、ウニ、アワビ、ボタンエビといったクラスか。視聴者側としては、そろそろもう別のニュース主体でいいんだけど(まあ、個人的にもそこそこ楽しんじゃったワケだけど)、マスコミ的には、たぶん彼の話題を手放せないのだろう。なんか、報道すればするほど、面白いからねー。 >ホリエモンまあ、今回に関して云えば、叩けば叩くほどホコリが出るっつーか。思い起こせば、彼が近鉄バファローズを買うとかなんとか云い出してからというもの、彼のニュースは、いつも面白かったなあ。ニュースの楽しみ御三家といえば、「イチロー、小泉、ホリエモン」と云いたくなるぐらいだったからなあ。だが、彼がタイホされてしまったので、シャバでの面白い話は、新たに出てこないことが決定してしまったため、マスコミも、名残惜しんでいるんだろうねえ。明日から禁酒!と決めた前の晩、おとっつぁんが名残惜しそうにビールを飲んでる、みたいな感じかもね。<悪夢>昨晩、久々に悪夢を見た。ちゃっちゃと寝るために、夜中に酒を茶碗に1杯だけ飲んで、布団をかぶって眠りについたのだが。酒の酔いに任せた眠りってやつは、往々にして浅いワケで。だもんで、夢を見るんだと思うんだけど、寝酒をくらった夜に見る夢というのは、最近ほとんど悪夢なワケアルネ。ウチの部屋にギャング団が押しかけてくる夢。で、ドアをガンガン蹴飛ばすのだ。「泊めろやオラー!!」とか叫びながら。どうしようか迷っていると、窓ガラスを何者かが機関銃で打ち破るワケアルネ。もはや絶体絶命!! みたいな状況で、目が覚めたら朝の4時。どうも、悪夢の内容も、なんかに追われている夢が多いんだよねえ。しかも、追いかけてくる人というのが、決まって関西弁なのだ(笑)。<キャスティング>うひゃー、「ギャンブルレーサー」の連載が、完全に終わってしまったあ(T T)。学生時代からずっと読み続けてきたので、すごく心にポッカリと穴が開いてしまったような気分です(って大げさか)。連載中に映画化かドラマ化して欲しかったんだけど、それはついぞかなわなかった。けど、競輪がテーマで、「あぶさん」以上にリアルの選手が登場してた漫画だけに、実写化が難しいような、とはいえできないこともないような、微妙な感じではあるんだよね。実現したら、競輪通には納得いかない仕上がりになるかもしれないけど、けどシロウト目には、ドタバタと面白い作品になるに違いないと踏んでいるのだが。それでもって、キャスティングが良くてヒットすれば、競輪人気の向上につながるから、競輪界の協力は得られそうだと思うんだが。役者に誰を選べばいいか、といったことを、アホウのように、よく想像していた。もはや、その実現はありえないので、これを期に「映画orドラマ版・ギャンブルレーサー」マボロシのキャスティングを紹介しちゃいましょう。まずはじめに、主役の関優勝には竹中直人。本当は泉谷しげるかビートたけしにしたかったのだが、実際にバンクを回らせなければならないので、体力的にムリ。関の一番弟子、金尾にはガタルカナル・タカ。同じく二番弟子、売二にはウド鈴木で、三番弟子、金作にはダンカン。あとは、あまりにガリガリじゃなくて、そこそこ動けそうな役者や芸人ならば誰でもOK。なべやかん、ナイナイ岡村、山本太郎なんかが出てくれるといいなあと思ってた。関の息子の役は、なべやかんあたりがいいかなあ・・・。すいません、しょーもない話なのにキリがなくなりそうな予感がするので、このへんで日記を終わります。また気が向いたら、ってことで。m(_ _)m
January 29, 2006
こういう運の悪い人間が、日本中1人ぐらいはいないかな?コツコツと積み上げた貯金で、マンション「グランドステージ」を購入し、ライブドアオートで買った中古車で買ってきた吉野家の牛丼を、一家揃って食べるのが夢だった、という人。おあいにくちゃ~ん(泣)。
January 26, 2006
ホリエモンの会社が、なんで罪に問われたのかとか、どうなってしまうのかとか、そういうことは皆目わからないので、すべては外部の情報に委ねるしかないのだが、では果たして、彼らの心情を全く察せられないのかといえば、個人的には、全く察せられないということもない。とくに、下で働いとる者たちは、さぞかし辛いだろうなあと同情してしまうね。ヒューザーもそうだけどさ。下っ端の大半は、そゆこと知らずに黙々と働いてるだけなのにさ。また、会社衰退だとか、経営者が狼狽する姿というのを、こんなふうにニュースなんかで生々しく見ちゃうと、どうしても一般論的には考えられなくて、考えがどうしても主観的になってしまう。自分の会社がつぶれたのを思い出したりするので、見ていて辛くて仕方ないのだ。ホリエモンの会社が、このあとどうなるのかについては、全然わからないが、彼がもし、今後なんらかの形で再起をするのであれば、今まで軽視してきたであろうものの大切さを、改めて見直すべきじゃないのかな。お金、会社(株式)、人間関係、信頼関係。あとは、口だな。なによりおめえの口が軽さは、災いの火種にいつも点火しちまってるんだからな。最近交流のあったらしいホソーキー・カズチャン(デーモン小暮閣下似)は、そういうことを何も教えなかったのかな。
January 24, 2006
テーマの設定の仕方を間違えたかな? とやや後悔しつつ、気を取り直して。NHK「みんなのうた」で唄われてる「グラスホッパー物語」が、今お気に入りである。「みんなのうた」って、放映する時間が、今まではっきりわからなかったのだが、日曜日夜10時55分頃、ちょうど「サンデースポーツ」のあとの時間帯に、確実に見ることができるというのが、最近わかった。「グラスホッパー」というのは、バッタのことらしい。芝生の上をホップしてるわけだから、多分それで間違いないんだろうね(辞書引け!ってな感じではありますが)。唄ってるのは、懐かしの教育番組「できるかな」のノッポさんと、子どもたちの合唱団。最近テレビでときどき見かけるようになったのだが、どうもこれが、彼のCDデビュー曲ということのようだ。まあ、もともとパントマイムの人だから、声を出して唄うことなどなかったわけだからね。「できるかな」でも、完全に無言を貫き通したわけだしね。失礼ながら、小さい頃、この人は言葉の不自由な人なのかな、としばらくの間思い込んでいた。歌は、ノッポさん扮するところの、年老いたバッタを主人公にした「メルヘンチックな短いミュージカル」という感じの曲になっている。だがメルヘンとはいえ、決して侮れない。このバッタが、子どものバッタを囲んで、自分の昔話をする内容が歌なわけなんだけど、同時に、人間の若者へのメッセージを含んでいるようにも感じられる。バッタのおじいさんが、子どもたちに話して聞かせる物語は、以下のような感じ。* * * * * * * * * * * *舞台は、都市部にある、とある公園(たぶんこのバッタたちがいる場所だろう)。この公園に棲息していた、若き日のおじいさんバッタが、ある日、この公園を飛び出して、外の都会へと冒険に出かける。ところが、たどりついた都会は、目の前の道を、バッタにとっては甚だ巨大な自動車が縦横無尽に走り回り、舗道にはこれまた巨大な人間が歩き回っていて、足の踏み場もない。人の足や車に踏んづけられそうになりながら、逃げ回った挙句、地下鉄の中へと紛れ込んだバッタ、もはや行き場を失って大ピンチ。するとそこへ、一人の人間が現れて、彼をそっと両手に保護すると、彼を再び公園へと放してくれたのである。おじいさんバッタは語る。「もう一度公園の外へ出たいかって? いやいや、外の世界へ出るには、このとおり私はもう老いぼれてしまった」と。やや寂しげでなシーンではある。なんとなく、人間の若者が、都会文化への好奇心を抱く姿と重なってみえる。あるいは、自分がやりたい夢にチャレンジする姿にも。そして、夢破れ、再び故郷へUターンして地元で稼業を営んだり、最終的に安定した生活を確保できる職場を選択して就職する姿に。けれども続けて、おじいさんバッタは云う。「だが君たちは違う!」君たちはまだ若いんだから、勇気を出して、もっと自信を持って、自分の可能性に、積極的にチャレンジしてみなさい、という、人間の若者に向けられたメッセージにも聞こえるのである。* * * * * * * * * * * *昔流行った「およげたいやきくん」とやや似たメッセージをはらんでいるが、「たいやきくん」の場合、最後は見知らぬおじさんにとって食われるという、悲劇的な終わり方であった。「グラスホッパー物語」のほうは、最後、ポジティヴな形で曲をしめくくっている。しめくくりに、おじいさんバッタが云う。「君たちが私の代わりに、あの親切な人にお礼を云ってくれるというのも、また悪くない」この言葉は、環境保全というテーマもあるが、さらに大切なものとして、現代社会において人々の間に忘れ去られかけている、思いやりや、人との相互扶助の精神をも示唆しているのではあるまいか。・・・ってどうも最近、話が大げさになりがちなもんで、こんなオチです(笑)。
January 23, 2006
ホリエモン、いきなり逮捕だってさ。思った以上に、事件の傷口は深いようで。巷じゃあ、このあと、各紙の号外が配られることだろうねえ。。。
January 23, 2006
大相撲、当初はさほど注目していなかったのだが、ニュースや新聞など見てると、今場所はなかなか面白いようで、紙面上も白熱している。朝青龍がトップにいない、というのが場所を盛り上げているひとつの原因のようだが、新大関の琴欧州も頑張って、機能の時点でまだ優勝争いに残っているし、平幕の北勝力という、以前平幕優勝を惜しくも逃した力士が、再び優勝争いに絡むなど、珍しく話題が豊富である。だけど、私が個人的に応援しているのは、これらの話題力士とは別の、2人の力士である。前頭2枚目の栃乃花と、新入幕の嘉風。この2人は、すでに負け越しが決定しているのだが、なかなか気持ちのこもったいい相撲をとる。深夜に、NHKで大相撲のダイジェストで1度チェックしたが、今場所もまた、2人とも負けはするものの、きっぷのいい相撲をとっていた。この2人には、実は共通点がある。大学を卒業して入門してきたのだが、前相撲→序の口からスタートして、地道にコツコツと、「相撲の番付」というヒエラルキーを上がってきたのである。当然、新入幕、あるいは新三役など、いわゆる「出世」する年齢というのは、他の力士に比べてやや高め、つまり「スロー出世」ということになる。従来、大学出身力士というのは、学生時代にタイトルをとるなど、ある程度の実績を積んで、相撲部屋からスカウトを受け、幕下付け出しからスタートする場合が多いのだが、スカウトの対象となるアマチュア相撲の大会で、タイトルを逃してしまったなどの理由で、幕下付け出しというアドバンテージを得られなかったが、それでもなお、好きな相撲で飯を食いたい一心で、稽古に励んできたわけなのである。新入幕の嘉風という力士は、それでもこれまで、割合順調に番付を上げてきたのだが、栃乃花のほうは、過去、貴乃花たちの全盛時代に一度、小結まで上がった経験を持ちながら、大怪我で幕下まで転落し、30代半ばまでかかって再び復活してきたという、ボクシングの輪島功一さんを髣髴とさせる、大変な苦労人なのである。そういう生き様というのに、近頃すごく共感を覚え、応援したくなるわけアルネ。「こいつがあきらめてないんだから、オレもあきらめられない」みたいな気持ちをかきたててくれる。スピード出世した力士のほうが、いろんな意味で有利だろうとは思うけど、私が応援したい力士は、こういう、スロー出世の人とか、回り道してる人なんだよね、最近は。ただ、回り道というのは、ただでさえ短い力士人生の中で、華やいでる期間というのが、人よりだんぜん短いのだ。だから、よしんば上に上がってきたとしても、桜の花のように、パッと咲いてパッと散っちゃう(引退する)ことになってしまうのだ。だから、そういう力士たちというのは、「泣きな~さ~い~ 笑い~なさぁ~い♪」という歌がピッタリの人生なのだ。「そのへんの美学がいぃ~んだよぉ」と、中尾彬風にいうのはこっちの勝手なんだけど、力士たち本人は、できることならもっと楽な出世コースのほうがよかったなあと、ないものねだりとか、後悔なんかしてるのかもしれないネ(笑)。
January 20, 2006
「トリビアの泉」、夕べ久しぶりに見たけど、面白かったなあ。毎週欠かさずチェックして、目を皿のようにして見るよりも、たまたま気が向いたから見た、という状況で見たほうが、楽しめる番組のようだ。「真面目にやろうという意識0パーセント」というコンセプトに、「トリビア」に限っては共感できる。だいたいが、くたびれてちょっと一服、という時間帯に見るので、さらに疲れるような番組は向いてないのだ。タモリの番組というのはおしなべて、努力だの情熱みたいなものが全く感じられない、出演者自らくつろいで、全員がふざけて楽しむ、という不思議な番組。それがうまくいってる場合とそうでない場合があるのだが、「トリビア」はそういう意味で、うまくいってるほうの番組なのだろう。と云う話はさておき。昨夜私が一番おかしかったのが、「ふてぶてしい顔の鳥がいる」という話。あんまりたくさんの「へえ」はもらえなかったのだが、腹を抱えて笑わせてもらった。今後「ふてぶてしい顔シリーズ」でもやってもらえると、個人的にはうれしい。ふてぶてしい顔の魚とか、ふてぶてしい顔の虫とか、動物じゃなくても、ふてぶてしい顔の彫刻とか、そういう話題を全国の人たちに投稿してもらいたい。この「ふてぶてしい顔の鳥」というのは、以前別の番組の映像で見たことがあるのだが、ハシビロコウという、アフリカのほうに住むコウノトリの仲間で、1日1回餌の魚を捕らえるとき以外、気を消して、ピクリとも動かないという、ヘンテコリンな鳥なのだ。それでも乱獲されて絶滅の危機に瀕しているという、せっかく気を消してるのに、ぜんぜん身を守れていないという、ますますヘンテコリンな生き様の鳥なのだ。なんとなく、勝ち星がつく瞬間だけ投げて400勝までたどりついた、ふてぶてしい晩年のカネやんとか、走り回らずに相手チームのゴール前にだけずっと貼りついて、ゴールを決めたときだけ派手にダンスをしちゃったりなんかする、ふてぶてしいベテランストライカーなどに似た生き様と云えなくもない。また、この映像に登場してきた「芸能界一ふてぶてしい顔の俳優」と紹介され、鳥の写真を見て「うーん、ふてぶてしい」とつぶやいていた役者さんは、我が家の近所に住んでいるらしく、駅でよく出くわすのだ。かといって、顔見知りというわけでもなく、知り合いでもない人と「こんにちは」とか「お仕事どうですか」といった、サザエさん一家のような気の利いたことを全く云えない私は、話しかけられないままに、ときどき彼と向かい合わせで電車に座ってたりもする。で、この役者さんは、目が合ったりすると「ちっ、人の顔じろじろ見るんじゃねえよ」というような顔をして目を伏せ、無愛想な顔でゴルフ雑誌などを読んでたりするのだ。その所作があまりに自然なので、彼は「普通のふてぶてしい顔のおっさん」然として、他の誰に声をかけられるでもなく、普通に電車に乗って移動しているのだ。これはこれで、非常に好ましいことだと思う。ヘタに陽気な人気者だったりすると、居合わせてるこっちが落ち着かないからね。できれば、いろんな「ふてぶてしいもの」を紹介してもらって、その都度このおっさんを登場させて「うーん、ふてぶてしい」とつぶやいてもらい、彼を「『ウソツキ』の女」に続いて、トリビアの準レギュラー化してもらえると、地元的には盛り上がると思うのだが(?)。彼が、道で出会った小学生に「うーん、ふてぶてしい」などとからかわれ、「コラ、待ちやがれ!」と云って、子どもたちを追いかけている光景を、見てみたいものだ。ううむ、こんなしようもない話を書くのに、どうしてこんなに字数を費やす必要があるというのか。毎度のことながら、我が筆力の拙さを痛感するネ。
January 19, 2006
さて、我が受験も間近に迫ってきて、1つめの大学院から受験票も届き、いよいよスポーツ選手のいう、コンセントレーションという奴が高まってきた感じがする。ここまで再(再々々?)就職を放棄し、半年以上1日平均6~7時間、勉強ばっかしやってきたのだから、今度は大丈夫だろう、という楽観的な考えと、これでもしダメだったら、精神的に落胆がでかかろうなあ、ということへの不安とが入り混じった感じ。最近、胸の奥で、なにやらモヤモヤした「何か」が存在するのを感じる。腫瘍とか動悸、胸焼けなどといった、物理的あるいは身体機能的なことではない。もっとこう、感覚的な、心の中のモヤモヤである。よくわからないので、今朝、図書館へ向かう途上で、ためしにこいつに注意を向けてみた。いばらく意識を集中していると、次第に、このモヤモヤは、やかんでお湯が沸騰しているかのような、ボコボコ泡立つような感覚であるような気がした。これが、フォーカシングというカウンセリング技法の本に載ってた「フェルトセンス」という奴なのかな、と思って、引き続きその感覚に意識を集中させていると、ボコボコは、なにやら妙な規則的なリズムを作って、泡立っているような感じがした。ボコボコッ、ボコボコッ、ボコボコッ、という、馬がひづめを鳴らして走っているような、あるいは別のもののような。この感覚の正体は、まだよくわからない。そして、その感覚が何で今、こんな形で意識されたのかも、よくわからない。このボコボコ感は、おそらくまた、胸の奥で起こると思われるので、折を見て再度、意識してみようかと思う。私は受験直前だが、冬季五輪もまた、時期を同じくして開幕しようとしている。出場する選手たちもまた、直前の準備に余念なく、調整を続けていることだろう。また、他のいわゆる高校大学などの受験も、いよいよ本格的にはじまるわけで、センター試験が今週末からはじまる。挑む舞台の場所は異なるのだが、彼らの今の気持ちというのは、私の今の気持ちとも相重なるものがあると思う。お互い悔いのないように、残りの準備を頑張りましょう。「集っ中っ!」(安藤美姫風)
January 18, 2006
ホリエモンの会社がポカをやってしまい、彼は一瞬のうちにポカエモンとなってしまった。これは本人が今まで水面下でたくみに進め、明るみに出ずに済んできたことを、部下のドジエモンに丸投げしていたせいで、それまで秘密裏に進めてこれた処理が、うっかりバレてしまった、ということなんでしょうかねえ。よく知らないけど。本人があれこれ手を出して、忙しくなってるうちに、そっちのほうまで手が回らなくなったことが、あるいは「想定外の敗因」だったのかもしれぬ。彼の会社の、これまで話題を呼んできた大企業の株式取得が、あまりに唐突にして露骨であり、さらに大手テレビ局の買取なども試みて恨みを買っているせいか、どのマスコミからもシニカルな報道をされ続け、世間的にも、彼を批判的な目で見る人は多い。波及力のすっかり弱ってしまった彼の敵は多く、瞬く間に彼は世間から、みそっかすのような評価を受けることにもなりかねない。そういう意味では、ミソエモンというべきか。で、その後どうなるのかといえば・・・。ポカエモン改めミソエモンは、警察による強制捜査の後、だんだんとその違法行為が明るみに出ることとなり、さらに厳しい取調べを受けることは間違いない。そこで刑事さんとのやりとりで、「あんた『クロエモン』だろう?」「何いっているんですか、はっきりした証拠がない以上『シロエモン』でしょう!」などと、ミソエモン改めシロエモンはなおも、人を食ったような反論を続けるのだが・・・。やがて、取調べの結果、シロエモンがやってきた株取引の違法性が、法的にも事実関係からも明らかになり、彼がクロエモンだったことが、白日の下にさらされることとなる。そして、裁判の結果、執行猶予はつくものの、残念ながら有罪判決が下って、彼はツミエモンとなり、多額の保釈金により保釈されるが、同時に彼は、ゼンカモンへの改名を、余儀なくされるのであった。「そんなベタなニックネームはイヤだなあ」と本人はぼやくが、すべては己の身から出たサビ。さらにそれに追い討ちをかけるように、従来の提携先からも、「なんだかこっちが、ワケがわからなくなってるのをいいことに、そんなテキトーな取引をする会社と提携したら、こっちが信用されなくなっちまうよ!」などと云われ、相次いで取引撤退の憂き目に遭うと同時に、それまでともに働いてきた、ブカエモンやヒショエモンたちも、次々と会社を去っていく。そうして一人取り残されてしまったゼンカモンは、それまで取得した株式をすべて清算して会社をたたみ、六本木ヒルズのマンションも売却して、表舞台から、忽然と姿を消してしまうのであった。そんな彼を、世間の人はヨステモンと呼ぶのであった。数年後、ギターを小脇に抱え、「カネさえあれば~国も買えるんじゃ~♪ ワシが世界を買いとったるけん~♪ もしもしカメよ~ワシの話を聞け~♪」などといった、傍若無人にもほどがある歌を、高らかに唄いあげる、謎のストリートミュージシャンの話題が、何の前触れもなく、広島地方を中心に西日本一帯を席巻することとなる。その過激なミュージシャンのウワサはやがて、大阪、名古屋を経由して、一路関東方面へと、破竹の勢いで突き進むのだった。ヨステモンは、その消息について、あまりに話題にさえのぼらなかったため、東尋坊あたりで身投げをして、ドザエモンになったのでは、との流言が飛び交ったのだが、どっこい彼は生きのびていた。さらに彼は、ホームレス生活や日雇い労働者生活を経てレゲエモンとなったのち、なぜか流浪のアーティストの道を選んで音楽活動を開始すべく、ひそかに作曲を学び、同時に歌唱力も磨いていたのだ。こうして、転んでもただでは起きないレゲエモンの、仁義なき人生劇場は、疾風怒涛のごとく、史上空前のスケールの波乱の予感を漂わせつつ、その第二幕の緞帳を上げるわけであるが、その先の話は、めんどくさいのでフォローしないのである。というか、単にニックネームをコロコロ変えて遊んでみただけアルネ。ホリエモン御本人、ならびにホリエモンファンの皆しゃん、ゴミンナサイ。m(_ _)m
January 17, 2006
高校時代の友人のお父さんが亡くなり、昨日はその通夜だった。心からご冥福をお祈りする。30代後半ぐらいの年頃になると、こういう報せというのは、悲しいことに、かなりひんぱんになる。その日訪れたクラスメイトは6人。友情に厚い1人の友達が、あちこちに声をかけてくれた。各自それぞれ、いろいろな思いがあったのだろうと想像する。以下は私の勝手な思いではあるが、こういうことがあったときほど、わが身の甲斐性のなさというか、いまだに不安定な立場にいることへの情けなさを思い返し、再認識することはない。例えて云うなら、冷たい水を、バケツで頭からかぶるような思いだ。私の両親は、幸運にも今も健在であるが、身の回りの仲間や親類が、この世からいなくなるケースが近年、年を追うごとに増え、自分たちの病気に対する不安も加わって、ますます心細さを感じているんじゃなかろうか、というふうに思う。たまに実家に顔を出すとき、今まで自分勝手に生きてきた挙句、両親をいまだに安心させることさえもできないことに対し、気分が一瞬ひどく卑屈になる。その次に「なんとかしなければ→よし絶対なんとかしよう!」と強く思う。親に対して、何の親孝行もできずにきているが、せめて安心させてやることぐらい最低限するのが、息子の義務だろう、と自分にいい聞かせている自分が、そのときはいる。だが、そうして実家をあとにしてから、徐々にその強い気持ちは弱まっていき、再び「のべっ」とした日常に逆戻りする。その繰り返しである。今はまだできないとはいえ、近い将来には、なんとかしよう、という気持ちだけは、せめて持ち続けたいと思う。昨日は、そんなことを改めて自覚させられる日だった。先週、病院で偶然に父に会った。必要があって健康診断を受けに、かかりつけの病院に行ったときのことだ。ここは、父が2年前に癌の手術を受けて入院していた病院でもあるのだが、それより少し以前には、自分もそこに入院していたのだ。その後両親は、別の場所に移り住んでいったのだが、さほど遠くない場所でもあるので、父は現在も定期的に診療を受け続けていた。私が自分の健診料金を払おうと並んでいると、右手で「おお!」という声がして、振り返ると父がいた。父は健康だったもう少し若い頃、やや太りすぎと思われるぐらいの大柄な人だったのだが、手術を受けて以来、年々、身体が小さくなっていくように思える。支払いを済ませたあと、しばし、互いの近況とか、どうでもいいような話題を、ボソボソとしゃべった。「生活は大丈夫か? また時間を作って遊びにくるといい」と、父は、さだまさしの「案山子」みたいなことを云って、少しの間、楽しげに笑った。一瞬、胸が詰まった。時間がとてもゆっくり過ぎていくように感じ、そのとき私は「時間の神様」に、このまま、せめてこの病院の一角だけは、この大事な時間の経過を、どうか、ゆっくりのままにしておいて欲しいと、心の中で真剣に祈った。けれども、平素より、八百万の神々に対して全く信心深くない私の、場当たり的で姑息かつ自分勝手な祈りが、このときに限って、都合よく神様のもとへ届く道理などないのだった。
January 16, 2006
ちなみに私は、この手の虫はそんなに好きではないのだが。。。またまた地元の話。近所に、変な店があるのを発見した。まだ、「都営三田線のぶらり旅」でも紹介されていない。店の名前を「クワトロ」という。レストランか何かと思って近寄っていったら、「世界の昆虫の店」とあり、海外のナントカカブトムシ(種類の名前を忘れた)の絵が看板に書いてある。まあ、たぶんクワガタムシから取って「クワトロ」にしたのだろうネ。こんな店、果たして全国のあちこちにあるのか、はたまた珍しいのか。もし他所に、この手の店があまり無いのだとしたら、「ムシキング」をきっかけに、世界のカブトムシやクワガタムシはブームであるだろうから、お父さんかお母さんを伴った子どもたちで、この店が、そのうち大繁盛となることは間違いない。
January 14, 2006
最近、ある50代後半の男性作家が、同窓会で腹を立てていたというエッセイを読んで、しばしケラケラ笑ってしまった。彼の青春時代というのは、まさにビートルズが全盛の頃だったわけなんだけど、彼はビートルズのサウンドを、落ち着かないという理由で好きになれず、もっぱらニール・セダカだのポール・アンカなどのポップスを好んで聴いていたという。ところが、あるとき彼の高校時代の仲間と同窓会をすることになって、懐かしい仲間が顔をそろえたのだが、宴が進むうち、その中の約2名が、「みゆき族にアイビールックにビートルズ、いやあ懐かしいなあ」「やっぱり俺たちは、ビートルズ世代だもんなあ」などと話しはじめた。彼はケッと云ってそっぽを向いた。なぜならこの2人は高校時代、ビートルズなどには目もくれず、もっぱら舟木和夫とザ・ピーナッツに夢中だったというのを、知っているからだ(笑)。彼らの隣で、高校時代、クラス一のワルだった同窓生がニコニコ笑ってる。彼は高校時代、ビートルズのレコードを、バイト先のレコード問屋でこっそりせしめてはテープに録音し、クラスメイトに無理やり高価で売りつけては小遣い稼ぎをしていた。「よう、100円でどうだ?」と、この作家氏も何度か声をかけられた経験があるという。この同窓会のメンバーが「ビートルズ世代」なんていうのはおこがましい。あえて云うなら、「ビートルズ世代」と胸を張って云っても許されるのは、元不良の彼だけだ! と彼は心の中で叫びましたとさ、というところでこのエッセイはおしまい。笑っちゃったのは、こういう話になるようなケースについて、わからないこともないというか、かつて私の身の回りにもあったような話だなあ、と思ったりしたわけアルネ。ちなみに私は、学生時代などに、特に「こういう曲が好きだった」と、懐かしく云えるような音楽は、ほんのわずかしかない。さびしいといえばさびしいかもしれないけど、さびしくないといえば大してさびしくない。だが、我が学生時代というのは、今よりもずっと、ロックからニューミュージックから洋楽にいたるまで、本当にいろんな音楽が「息長く」流行っていて、友達の好みも、それぞれバラエティに富んでいて、いろんな友達から音楽の話を聞いて、その話を思い出しながら実際にその曲を聴いてみるのは、それなりに楽しかったけど、私には、それらの音楽の大半は、正直あんまり好きになれなかった。強いて今も心に残る音楽を挙げるとしても、ごくわずかにすぎない。そうこうしているうちに、やがて就職し、何年か経ったあるとき、職場仲間との酒の席で、ふとした折に話が途切れ、有線の歌が耳に入ったのがきっかけで、音楽の話になった。すると困ったことに、同じ部署の後輩Aが、「先輩の学生時代は、どんな音楽を聴いてたんですか?」などと、社交辞令的というか、場つなぎ的な質問を投げかけてくるわけアルネ。私が何も答えられずにいると、横にいた同期の超体育会系男・Bが、「まあ俺らの頃っていったら、やっぱりサザンとロッド・スチュアートかなあ?」などと素っ頓狂なことをぬかす。こないだ上司に連れられて行ったカラオケで、彼が演歌一筋で、サザンじゃなくて「さざんかの宿」などのド演歌を熱唱していたのを知ってる私は、「え゛~~!?」と思わず指差したくなる気持ちを抑え、あいまいにうなずく。「へえーサザンですかあ。自分はやっぱりオザキですね、オザキの魂の叫びにも似た歌声に、自分は心底恋焦がれましたよ」ちなみに尾崎豊が大嫌いな私は、そういう発言をする奴を、気持ち悪いとさえ思う。な~にが「やっぱりオザキ」か。だいいち「魂の叫び」は、U2だべした。だが、そこは職場の同僚同士。道理をわきまえた私は、貝のように口を閉ざすのだった。「ああオザキねえ、いいよなあオザキは」Bはオザキというのを、「また会う日まで」の尾崎紀世彦だと思っているに違いないのだ。こうして、互いの話が通じてるんだか通じてないんだか全くわからんような、不毛な話はこのあと果てしなく続いて、表面上すっかり意気投合したAとBのペルソナコンビは、そのあとカラオケ屋に行って、朝まで歌い明かしちゃったりなんかしたらしい。カラオケの席で、Bが演歌一筋だということがAにバレたかどうかは、定かではないけど、普通だったらバレるだろう(笑)。
January 13, 2006
今日は「週刊モーニング」の、今年最初の発売日だ。けっこう、去年の暮れからずっと楽しみにしていたので、喜び勇んで駅売店まで駆け足してしまった(コンビニや書店は、配本時間が不定期なので、通勤サラリーマンを意識して雑誌を販売する駅売店が一番確実なのだ)。年末から気になっていた刑事モノ「刑事が一匹」の頁を、真っ先に開いた。その他、ドラマ化がスタートした「Ns’あおい」とか、先に終わったドラマより、スロー進行で進む「ドラゴン桜」、「カバチタレ」なども欠かせない。「島耕作」は、今や常務取締役になってしまった。課長の頃からずっと読み続けているが、相変わらず彼は頭が切れ、そしてモテる。「クッキングパパ」の今週のメニューは、「にんじんライス」だった。最近、買い過ぎたにんじんが余ってしまって、どうやって消費しようか、気になって仕方なかったので、さっそく今日の晩のメニューに採用することにした。意外と美味くできた。だけど大量に作りすぎた(笑)。なので明日の朝飯も昼飯も「にんじんライス」である(泣)。「浪人生(受験前)」の私の現在の生活は、日中試験勉強、昼飯どきの読書、夜のテレビ観賞と、残りの時間は、この日記を書くのと、夕方の30分間のジョギングを中心とした簡単なトレーニングをやる以外、大した変化がないので、ささやかながらも必要不可欠な刺激ではある。ドラマ「Ns’あおい」は、さる筋の情報によると、あまり面白くなかったらしいのだが、原作のスタートも、あまりパッとしなかったので、これから主人公の「あおい」以外の登場人物のキャラが立ってきて、だんだん面白くなるかもしれない、という期待感は、少しある。ただ、主役の石原さとみちゃんは、「あおい」役としては少し若すぎるような気がするな。作中の「あおい」は、仕事の上がりに、ビールの大ジョッキを一気に飲み干したり、生意気な高校球児の弟を、パーンと張り飛ばしたりする豪放磊落さも持ち合わせているのだ。石原さとみちゃんって、確か未成年じゃなかったかな。いくら演技がうまくても、ビールは飲めないからなあ。「モーニング」で、原作を欠かさず愛読している私としては、そういう細かいところまでフォローしてくれないドラマは、あんまり見たくないのだ。
January 12, 2006
我が家の建物の土地に、昔、学習塾が建っていたのを、先日、ひょんなことから思い出した。1階の自転車置き場の奥に、誰が住んでいるともつかない、やや小汚い「部屋」みたいなのを発見し、昨日まで全く気にとめてなかったんだが、見つけたもんだから急に気になってしまったのだ。ウチの建物は、1階が本屋になっていて、2階から上が賃貸マンションになっている、ということになっている筈なのだ。はじめ、マンションの管理人室かなあと思ったが、入り口のドアの前に自転車がデタラメに並べられていて、とても出入りできるものじゃない。本屋の事務所かな、と思ったが、本屋の事務所は店舗の中に、別にあるのである。「なんだろう・・・?」と思って、しばしぼんやり見ているうちに、入り口の脇に、ガムテープがビタビタ貼られた、郵便受けらしきものがあるのを発見した。何の気なしに、そのガムテープをビリビリはがしていったら、郵便受けに宛名らしき、汚い文字が書いてあるではないか。そこには「○○進学ゼミナール」と書いてあった。ああ! と、私はそこでやっと思い出した。私の現住所というのは、実は子どものころから住んでいた土地なのである。その後何度か、各地を行ったりきたりしたけれど、結局、「住めば都」というか、一番居心地がよいということで、しぶとく同じ町内に住んでいるのだ。ちなみに、昔からの友達にはぜんぜん会わない。皆、他所へ移り住んでいるらしい。子どもの頃というのは、この周辺は空き地ばかりで、目の前にある中学校も、当時は広い原っぱになっていて、そこでバッタやトカゲを捕まえたりしていた。その脇に、あるとき学習塾ができた。小学校時代、専門の「塾」として建っている建物は珍しかったので、印象には残っていたのだが、受験とは無縁の僕にはぜんぜん興味のわかない話で、塾通いの子たちを尻目に、僕らは脇の中学の予定地で、野球ボールを追いかけて走り回っていた(その頃は、野球ができるように整備を施されていた)。その後、その塾はいつしかつぶれてしまい、私もこの町を出てかなりの年月を経てしまい、その間に本屋が建ったようなのだが、その頃には、そこが塾だったことなど、すっかり忘れ果ててしまっていたのだ。そして、現在その本屋の上がマンションになり、そこに自分が住んでいる、というわけだったのだ。さっきのガムテープの貼られていた郵便受けというのは、どうも、ここがその「学習塾時代」の頃のもので、この小汚い部屋というのは、塾の事務所が残ってるものらしい。ということは、このマンションの土台や1階部分というのは、そのまま維持されていて、それでこの部屋だけ残されたということなのか。我々が住むマンションは、ウワモノということなのか。そのへんの詳しい経緯などは、よくわからない。でもまあいいや。なんだか、なつかしいんだか不思議なんだか、さっぱりわからないんだが、そういうわけで、私の住処はその昔、当時近所じゃ珍しい学習塾だったのである。なんだかとりとめのないような話だけど、中身の薄っぺらさの割に、いきさつの説明がややこしくて、どうもうまくまとまらない。
January 11, 2006
このところの寒さが、気候的に尋常でないのは確かなのだが、それでも朝、暗いうちからジョギングしてる人もいるし、新聞屋さんや魚屋さんなど、早朝から仕事にいそしんでる人も大勢いるわけで。スキーやスノボ、冬山登山などのレジャーを、週末の楽しみにしている人もいっぱいいるし。それにひきかえ、なんで自分はこんなに寒さに弱くなったのだろう、と思っていたのだが、「寒い寒い」と云ってるうちに、なんとなくその理由のひとつがわかってきた。もちろん、エルニーニョ現象などといった異常気象の問題だとか、外的要因は、他にもたくさんあると思われるし、大雪にみまわれて大変な状況の北国の人たちには、シャレになってないような題材の話ではあるが、それとは別に、あくまで自分の内的な話ということで。早い話が、自分の肉体が「寒さに弱い身体」になり下がっているのだ。つまり基礎代謝量が下がってしまっている、ということ。燃焼することによって寒さから身を守る、という役割であるべき体脂肪が、適切に燃焼しない。だから、身体も動かないし、それをいいことに動かさなくなって、ますます身体が重く、動かなくなってしまう、という悪循環が続いているのだ。全く身体を動かさないわけではないけど、動かしていたころに比べると、ぜんぜん動かしていないのが実感できる。あたかも、クマかなにかの冬眠のようだ。重くなった身体を横たえて、冬はじっと動かずに、あなぐらの中でじっとおとなしくしつつ、ときおり目を覚ましては、甘酒かなんか飲んだりなんかしちゃったりして。先日、マラソンの千葉真子選手が、ハマちゃんの番組に出てしゃべっていたが、チバちゃんは、毎日の練習で、ノンストップで40km、トータルで60km以上も走るという。この人たちの練習量は、マラソンランナーの中でも、少し走りすぎなんじゃないかと思えるほどの規格外の練習量なんで、そんな練習まで真似する必要はないけど、見習うべき点はある。とくに精神面。かくいう私もいちおう、毎日夕方に走っているけど、その距離は平均3km、長くても6kmが限界だ。それ以上走ると死にそうになって、翌日アキレス腱やひざを必ず痛める。10年前までは、毎日約8~12kmは走っていたので、そのころから比較すれば、半減以下である。このへんの落差というのが、基礎代謝量の低下と、寒さに対する耐性の低下に結びついているものと思われる。ただ、これが元に戻らないかというと、決してそんなことはないわけで。日々の心がけ次第で、いかようにも復活は可能なのであるが、この心がけってやつが、最大のネックなのでアルネ(苦笑)。
January 10, 2006
けふは成人の日だから、午前中は各地で成人式。今年は、数年前の、どっかの県知事による「バカもの出て行け事件」みたいな事件は、なかったんでしょうな。ウチの近所の公民館にも、成人式帰りの若者たちが集まっていた模様で、昼は近所の飲食店なんかで、「簡易同窓会」でもやってたみたいです。そんなこんなで、街中を、着慣れぬスーツ姿ボーイズと、和服ギャルの群れが歩いてるのに何組か出くわした。僕は、冬の和服の白い襟巻きみたいなのが好きだね(笑)。当然のことながら、スーツ姿にはあんまり興味がなくて、和服ギャルたちにばかり目が行ってしまったのだが(笑)、なんつーか、今の成人式ってのは独特アルねえ。何が独特かっていえば、女の子の半分以上は、髪の毛を茶色とか金色とか、その中間のゴールデンレトリバーみたいな色なわけで、中には先天的な人もいるかもしれないけど、染めてるわけでしょう。それが、成人式ってことで、判でついたように、和服を着て日本髪を結う。だもんで、彼女たちは当然、茶髪や金髪の日本髪、ということになるので、「顔は純日本風だけど、遠目からパッと見ると外国人が日本の格好してるみたいに見える、だけど近づいてよく見たらやっぱり日本人」といった、おもしろい装いになるわけです。・・・などと書くと、今日、晴れて成人式を迎えた元ヤマンバ風ギャル(顔はまちゃまちゃ風)から、「なんだオヤジテメー、あたいの、ゾクのチョー(?)やってるカレシにいいつけてぶっとばさしてやっからよー、されたくなければ土下座すっか3万円よこせよ」などと脅されそうですが、誤解されないように云っとくけど、決してバカにしてるわけではなくて、おもしろいと云ってるだけなわけです。「これが現代の成人式スタイル」ってことで、その格好が記念になるんなら、それでいいんじゃないの?美容院とかで、着付けの先生に、「あたい金髪だからアタマはそのまんまでいいよ」と云ったのに、「ダメ、一生に一回の成人式よ、ちゃんとしなさい!」などと説教されてそうなったんでしょう。よく知らないけど。だからそれでいいんでしょうよ。よかったですね(^^)。僕は、20歳の頃、日取りを勘違いしたせいで、成人式に出たことがないので、こうして晴れの日を迎えられた皆さんを、とてもうらやましく思っております。成人、おめでとうございました。
January 9, 2006
野洲高校のある滋賀県野洲町は、元・大相撲力士で人気タレントだった、故・蔵間さんのふるさとである(ってなんじゃその前振りは)。この、小さな町にある、県立野洲高校が、全国大会2連覇を狙う鹿児島実業という強豪を、個人技で突き放し、激闘の末に最後はねじ伏せた。いや、試合全般を見ると、「ねじ伏せた」という言い方が妥当ではないのかもしれないけど、少なくとも野洲の得点シーンを見る限りでは、どっちが優勝候補だかわからないほどの、技術レベルを感じたネ。とくに延長後半7分過ぎの逆転シュートの直前の、MFの選手のヒールパスには、鹿実のDFの選手が全く反応できなかったからね。まるで「キャプテン翼」の岬くんを見ているみたいだった。ボールの扱いが、あんなに巧いチームだとは思わなかったので、少々びっくりしたけど、試合中継のアナウンサーが、「野洲が高校サッカーを変えた!野洲が歴史を変えた!」と、あんまり騒ぎすぎるので、やや興ざめというか、わかったから黙っててよ、という感じ。日テレ系のサッカー中継って、トヨタカップもそうだけど、ダッサいアルネ。とくに高校サッカーの場合、高校野球とトーンを似せてるつもりだと思うんだけど、そんなのあんまり意味がないような気がするけどね。試合の後半35分ごろになると、必ず「○○高校のナントカ監督は、監督就任当初、部員がわずかXY人しかいなくて、はじめは校庭の石ころを拾うところからはじめたそうです」なんていう話を出しては、悲壮感を漂わせようとするし(笑)。もとをたどれば、たかが高校の部活なのに、そんなものごときで、スターとかシンデレラ物語を無理やり作って大仰に語るものだから、そっちのほうがしっかり耳に焼きついちゃってたりする。試合をあまり見なかった小生などにとっては、試合内容よりも、こいつらが語る「多々良学園物語」「野洲高校物語」「国見高校物語」「大阪朝鮮高校物語」「常葉橘高校物語」などのほうが、記憶に残ってたりしてね(笑)。決勝戦が、手に汗握る大熱戦だったのが、せめてもの救いだったよ。
January 9, 2006
昔、10年近く前まで、同じ会社で働いていた仲間から、年賀状が届いた。「今どうしていますか。転居したようですが結婚したのですか。そのうちまた会って飲みながらいろいろお話しましょう」と書かれていた。やや、彼の見当違いである。結婚したならその旨を必ず報告するし、パーティーをするなら招待する心づもりであるのだから。なるほど、会ってないと、互いの近況や思いなど、全然わからないもんなんだな、と思った。かくいう彼も転職後、いろいろ苦労を重ねてきたようなのだが、そのへんの状況というのは、やはり年賀状や暑中見舞いなど、たまに交換する便りを経てしか、わからないのだった。この人とは、職場は一緒だった反面仕事上の接点はほとんどなく、仕事以外の場で、一緒に競馬場に行ったり、「バンドを組もう」などと云ったあと何も活動できないまま、エレキギターを1本借りっぱなしになってたり、テニスをしたりと、まあ早い話が「遊び仲間」だったわけアルネ。考えてみれば、インターネットだの携帯電話だのを使いはじめるよりもはるか以前に、離れ離れになってしまったため、そういうツールを使った情報交換というのは、したためしがなかったのだ。私の身の回りには、そういう人がけっこう大勢いたりする。で、年賀状に携帯電話番号やメールアドレスなどを載っけたりとか、お互いしてなかったので、そのつながりは変わらぬままだったのである。だが、今年の年賀状にはアドレスが載っていた。「連絡くれ」との意思表示か。「浪人」である、現時点での自分の社会的地位はあまりにもつかみどころがなく、現在の身の上を、すすんで積極的に語りたい状況にはないため、逆に今の状態はつごうがいいような気も、しないでもない(笑)。しかし、相手も同様なわけがない。これまで、はがきでたまに拝見する彼の「近況」というのは、両親や兄弟の不幸であったり、転職を繰り返して苦しんでいる話であったりといった、本当につらそうな話が多かった。彼が幼少時からの苦労人で、そういった修羅場を生き抜いてきた話も、以前聞いていた。そんなこともあって、この時期に1度会っておかないと、2度と会えなくなるようなことになりかねないんじゃないか、という、考えがどうしても不吉な方向に及んでしまう。最近になって友達を何人か亡くし、自分もすんでのところで「犬死に」しかけてるのだ。そのへんは、精神的にも物理的にも、笑って済ませられない時期になってきてはいる。「いぬ年」と「いぬ死に」など、こんな取り合わせは絶対にダメダメである。春になったら、連絡をとってみようと思う。
January 8, 2006
純粋な高校サッカーファン、ラグビーファンは、こんなことどうでもいいことだから、あんまり考えながらは見てないはず。ちなみに、私はこれらの試合を殆ど見てない。見てないのに、見てきたようなことを書く。<裏話だけでも楽しめる(?)高校サッカー>遠野高校は、柳田邦夫の「遠野物語」のふるさとだけに、「妖怪パワー」で決勝まで勝ち進むかと思ったけど、負けちゃったんですね。で、対戦相手の、連覇を狙う鹿児島実業が勝ったので、これで山口の多々良学園が勝てば、決勝は「薩長決戦」になるかと思ったんだけど、そうはいかなかったみたいですね。さらに、この多々良学園ってのは、「ドラゴン桜」じゃないけど、倒産の危機に瀕していて、サッカーの快進撃が唯一の希望の光だったんですってね。サッカーとは全く関係ない、このへんの話をネタに、「スクールウォーズ」並みに面白い学園ドラマが書けるんじゃないですかね。書けないとしても、このネタをおかずに、向こう1週間ほどの間、毎食最低でも、ごはん4杯は食べられちゃうんじゃないですかね。オレだったら食べるね(笑)。<泣き虫じいさん孫15人>伏見工業高校の山口先生、優勝するたびに笑わしてくれるなあ。前回の優勝インタビューのときは、余裕の笑顔「だけ」だったので、少しガッカリだった(?)のだが、今回は、前回のリバウンドか、教え子である現役監督も、優勝した選手たちさえも、わあわあ泣いてるもんだから、それこそ遠慮なく、存分に泣いていた(笑)。泣きの伝統まで、弟子がしっかりと受け継いだ、泣き虫一家なのである。といった山口ファミリーなのであるが、とくみつさんだとかきんぱち先生みたいな、作り物の涙と違うわけであるし、高校ラグビーの頂点に立ってる学校のやってることだから、誰も表立って文句など云えまい(陰でハリさんとかが「喝!」とか云うだろうけどな)。事実、試合そのものも、スズメバチと戦うミツバチのごとくボールに集散し、縦横無尽に走り回って、運動量で相手を圧倒したようだ。これまで、よほど厳しい練習を耐え抜いてきたのだろうネ。だからこそ、決勝後のこの涙に結びついたのだろう、と思った。
January 8, 2006
なんとなく、(社)日本缶詰普及協会(そんな団体があるのかどうかは不明)が募集する、懸賞論文のようなタイトルですけど、まったく関係ない駄文アルネ。以下本題。けっこうさびしいというか、悲哀がただようというか、ウジがわくような話です。でも書いちゃう(笑)。最近、私は缶詰をよく食べる。一缶で一食分のメインのおかずになってしまうので、自炊がメンドくさいときには、いささかしみったれてはいるけど、楽でもあります(けど情けないけどT T)。なんとなく、アメリカの戦争映画の中の食事とか、災害時の非常食みたいな感じと思えなくもないが、どうやら缶詰は一般的にも流行っているらしい。パチンコをやらないのでわからないけど、景品なんかにもよくあるんでしょう。東京には、缶詰だけおいてある居酒屋なんてのもあるというし。最近思うのだが、缶詰は安い。とくに魚のヤツ。一缶で100円前後、スーパーの安売りで80円ぐらいのときもある。貧乏な男やもめが、卵と納豆と魚の缶詰だけで、1ヶ月越せてしまうんじゃないかとさえ思えてしまう。魚の缶詰の価格が安定している理由は、旬の魚を大量に獲って、即大量に缶詰にしてしまうからだという。保存がきくので、いつでもおいしい缶詰が食べられるというわけ。最近、マッシュルームの缶詰が、コンビニエンスストアから姿を消した。カレーとかハヤシライスを作るとき、ちょっとコクを加えたいときなんかに重宝してたので、個人的に残念に思っていた(一般的にはたいして残念じゃないと思うけど)のだが、そのかわり、スーパーの生鮮食料品売り場に、最近、きのこ類がものすごく安く豊富になっている(マイタケが200円ぐらいだったりする!!)ので、缶のマッシュルームの市場ニーズが、そのぶん下がってるのかもしれない。また、昔から馴染み深いもので、近頃おそろしく高価な缶詰もある。鯨の大和煮の缶詰なんて、昔はせいぜい200円ぐらいだったような気がするのに、この前みたら1000円近くもする。その他、牛肉のコンビーフ(ときどき馬肉などの安いのもあるのネ)も高くて600円ぐらい。なんでそんなに高いの? てな感じだけど、なんとなく理由はわかるアルネ。私のお気に入りは、サバの水煮とやきとりの缶詰。どっちも100円程度。サバの缶詰めは昔、プロテインが流行る以前のボディビルダーの筋肉作りに重宝していたという。漫画「餓狼伝」で、ビルドアップ中の格闘家が、メシ代わりにサバ缶をいくつも食ってるシーンがあった。それとは関係ないけど、サバ水煮の缶詰に、ちょっとしょうゆをたらすと、朝ごはんのおかずに最適。やきとりの缶詰めは、本当はやきとり屋のヤツのほうがいいのは云うまでもないけど、このニセモノっぽいところがいいネ。「長屋の花見」っぽくて(^^)。とくに好きなのが、中の煮こごり。これをインスタントラーメンのスープに混ぜて煮ると、お店ふうの味になる。なので、やきとり缶を肴にして、残った煮こごりで作ったラーメンでシメる、というのが、わびしい貧乏一人酒の王道なのである。だが、そんな王道を誇るよりも、嫁さんにきてもらったほうが1000倍以上幸せなのは、いうまでもない(笑)。
January 7, 2006
いわずもがなだけど、寒い。今朝はとくに寒かった。マジで日ごと寒さがつのる感じ。昔って、こんなに寒くなかったんじゃないかなあと思うんだけど、あるいは自分の心身とか精神力みたいなものが弱ってるせいでもあるだろう。でも、昔一時住んでいた山形も、こんなに寒くはなかったような気がするぞ。また昔は、こういう季節でも、早朝から気合入れてる乾布摩擦じじいが、近所にいたものだけど、今はどうなんだろう。それともそういう人は皆絶滅しちゃって、今は暖房じじいとかこたつじじいばかりが生き残っているのだろうか(って恐竜じゃないんだから・笑)。だが、「寒い寒い」とばかりも云っていられない、早朝から仕事の人たちには、本当に敬意を表する。新聞やさんには、近頃は敬語を使ってるからね(笑)。それはそうと、最近、NHKニュースでやる天気予報で、気象予報士が、「冬将軍」という絵を使って説明している。水色と灰色でデザインされた、大魔神(佐々木じゃない本家のほう)に似た、兜をかぶった「冬将軍」の顔が、全国の天気図の中の、北海道~北陸の日本海側の海岸沿いに乗っかってるのだ。NHKらしいといえばらしい擬人化(アカデミックというかダサいというか・・・)なのだが、なんとなくこのところの寒さに、ピッタリ当てはまってる感じもする。例年を上回る大雪に見舞われている北国の地域は、まさしく冬将軍の軍勢に襲撃されてる感じである。この場合、戦で火を放たれて焼かれているのではなく、風雪を放たれてるわけであるが。今朝の早朝も、冬のさむーい風がズシーンズシーンと、我が家(4F)の窓を、重い音を立てて吹きつけた。でっかい「冬将軍」が、外を歩いている姿を想像し、毛布に潜ってブルッと震えた。
January 6, 2006
<曲目変更>フィギュアスケートの安藤美姫選手が、オリンピックを前に、フリー演技の曲目を変えるそうです。昨年までフリー演技で採用していた曲は、「マイ・ファニー・バレンタイン」という、なんとなく物悲しい、しっとりとした曲だったため、逆にこの曲に合わせて滑っても、安藤選手の持ち味である、躍動感やスピード感溢れる滑りが生かされ難く、観客からの手拍子などもなかなか得られ難い、という、難しい曲でありました。本人もこの曲にいまいち乗れて滑れていなかった、というのが、連戦の疲れとか技術的な不調以上に、評価を下げてしまった原因だったように、素人目からも見えましたし。本番直前での変更ということで、それはそれで難しいことだろうとは思いますが、若さによるパワーと持ち前の明るさで、乗り切って欲しいもの。調整さえうまくいけば、十分メダルだって射程圏内です。<惜しい! 大阪朝鮮高校>高校サッカーで、大阪朝鮮高校が、なんとあの国見高校を破ってベスト8まで進出していたそうな。テレビなどでは、よく見ていなかったんだけど、今年の大会は混戦といわれていたらしいので、このまま優勝までさらってしまえ! と思ったのですが、今日、惜しくもPK戦で負けたそうです。朝鮮高校の活躍というのは、大阪に限ったものではなくて、何年か前、都立朝鮮高校が、東京都予選の決勝で、隣接する古豪の帝京高校に延長戦にまでもつれる試合で、惜しくも敗れるということがあり、その活躍は、なかなかどうして目覚しいものがあります。いずれ、国立の決勝まで進出する日も、遠からず訪れるのではないでしょうか。<定時制今昔>ちょっと話題のトーンが変わりますが。古新聞を捨てる前に、過去の記事をたまにスクラップするんですけど、その中に、定時制高校がずいぶん様変わりしているらしい、ということが載ってる記事を発見しました。なんでも、今日、定時制高校に通う生徒というのは、全日制で不登校になってしまった子の占める率が非常に高いのだとか。それで、昼間外に出たがらず引きこもってしまった子を、定時制高校に通わせることによって、高校卒業資格を取らせる、という、いわば「補正校」的な役割を担っているのが定時制高校だったりするんだそうで。そういえば、山田洋二監督の「学校」という映画では、夜間中学に通う、いろんな年齢層の生徒と教師との交流が描かれていましたけど、その夜間中学に通う生徒の中で、この記事のごとく、不登校のせいで中卒の単位が取れなかったため、その学校に通っているという女の子がいたのを、正月ボケの頭にぼんやり思い出しました。ちなみに昔、僕らが通っていた高校にも、定時制というのがありましたけど、たまにすれ違ったりしていたのは、僕らよりかなり年配で、昼間は働いている「苦学生」的な人が、まだ主流だったような記憶があるのですが、現代は、それとはだいぶ様子が違うんだなあ、とだけ思いました。そういうあり方というのも、時代の要請があるのでしょうし、さほど珍しいことでもないのかもしれません。こうした定時制高校のあり方に対して、新聞記事はいささかシニカルな取り上げ方をしていたのですが、やがて今の定時制高校で立ち直り、そこを卒業して立派に社会人になり、やがてその新聞の購読者となる人もいるわけですから、そのことを考えると、望ましい態度ではないな、と思いました。あるいはこの記事の記者は学歴社会の中で、必死に受験戦争を戦いながら生きてきたのかもしれないけど、社会はもちつもたれつなんだからさ。
January 5, 2006
<プラチナ・ルーザーたちの「挫折ぞめ」>「僕らは3年間、悔しさを知らなかった」(高校ラグビーの準々決勝で、大阪工大高校に敗れた啓光学園のスタンドオフ・村田君)「我々には、今回の負けが必要だった」(箱根駅伝で5連覇を逃した駒澤大学・大八木監督)不遜に聞こえる反面、敗者の美学も感じられ、それぞれ、なんとも味わい深い一言。これまで勝ち続けてきたからこそ、今年のスタートで得た挫折を、大切そうにかみ締めるエリートたち。ある意味贅沢。目黒の茶屋で生まれて初めてサンマを食って、「珍味珍味」と絶賛する殿様みたいなもんだ。一生のうち、一度でいいから、こういうことを云ってみたいもんだ(そーでもないかな)。なんてったって、こんなことを云う以前に、世の中の大半の、栄光をつかんだことがないものには味わえない、エグゼクティブでエレガントで、スーパープレミアムな挫折感だからな(笑)。<2006年のNGワード>今年、こんなこと云わないほうがいいと、余計な心配をしたくなるような一言。「とりのまで来れただけでも幸せです」(開会式を終えた某選手)ということは、そのまま観光でもして帰るんですか・・・。「今まで生きてきた中で、いちばん幸せです」(4回転ジャンプを成功させたあとのフィギュアスケート・あんどうみき選手)ウソですな。てゆーか、パクリですな。「俺たちの分も頑張って、絶対優勝しろよ!」(ブラジル戦のあと、みやもと選手がロナウジーニョ選手に向かって)高校野球かよ。というより、お前が優勝しろよ。「会社をやめて、ここまで代表を追いかけてきた甲斐がありました(号泣)!!」(日本代表の快進撃を喜ぶサポーターたち)サッカーW杯がなければ、集団ホームレスと似たりよったり。そのあとどーする?「はんしんたいがーす買収? ああ、そういえばだいぶ昔にそういう話もあったかねえ」(忘れてる可能性なきにしもあらずの、むらかみふぁんどのむらかみ社長)どうなってるのか知らないけど、関心を失い次第、ちゃっかり他人の昔話にしてそうだよなあ。
January 4, 2006
<天神さま>生まれて初めて、天神様にお参りに行った。はじめ亀戸に行こうと思ったのだが、亀戸に行くには、秋葉原を経由しなければならず、秋葉原は、昨年末に某オタクから寸借詐欺の害を被ったばかりなので、湯島にした。さすがに有名なお宮さんだけあって、すごい人出で、大行列の中でイライラしていた。出店に、太一くんにそっくりのテキ屋が焼きイカを売っていた。おみくじを引いたら「中吉」だったけど、「大吉」だとそこでおしまいだから、それでよしとすることにした。<箱根駅伝>帰宅してTVをつけたら、信じられない展開になっていた。亜細亜大学が、9区でトップに立って、そのまま堂々の逆転優勝。昨日まで、下馬評にも上っていなかった新鋭の台頭である。亜大の監督さんは、かつてバルセロナで、女子マラソンの有森選手たちの補欠代表となった、松野明美選手(今ではおしゃべり婆タレに成り下がったが)のコーチをやってた人だという。優れた人材というのは、環境が変わっても、しっかりと根を張って花を咲かせるもんなんだなあ、と思った。<新撰組>「新撰組!」の総集編と、土方歳三のその後を描いたドラマを、NHKでぶっ続けで放映していた。なにやら、土方のドラマは、「新撰組!」のファンだったと云う人の、特殊なリクエストによるものだったらしいけど(よく知らないけど)。チラチラ見てみたけど、なんだかなあ、ってな感じ。ドラマのキャストのファンだとか、時代劇ロマンに酔いしれたい人たちには、それなりに感動を与えたかもしれないけど、なんだか私の目には、それなりに面白くはあった反面、イラクのフセイン政権の残党による、むなしい抵抗に重なって見えてしまってしようがなかった。総集編というところがなおさら、しつこい抵抗みたいでねえ。別にいいけど(苦笑)。切れの悪いうんこをしたあとのような感じだったね。ちなみに今日の晩飯はカレーだった(笑)。
January 3, 2006
今年もよろしくおねがいします。大晦日の夜は、小川 vs 吉田戦と、曙 vs ボビー戦が、ほぼ同時にやってたので、チャンネルを切り替えてるうちに、なんだかよくわからない感じになりそうだったが、とりあえず小川 vs 吉田戦の決着のシーンは見ることができたので、悔いはありません(?)。ボビーは、どこまで本気なのか、まったくよくわからなかったけど、結局のところ、大晦日の準備は、超本気でやってたということですな。曙は、これからどうするのだろう。失言番長の和田アキ子にナメたことを云われてたけど、こんな体たらくでは、アッコさんとやったほうが好勝負になったのではないか、などと週刊誌に書かれても文句はいえないかもね。小川 vs 吉田戦は、おおかた予想した通りの決着になったので、特に感想なしだけど、小川のチキン霊(?)が私の左足に憑依し、夜中にトイレに行こうとして歩いたらつまづいて、左足首を痛めてしまった。幸い、小川のチキン霊は、脳みそにまではとり憑いてこなかったため、夜中にベランダで裸になって「ハッスルハッスル!」などと、おたけびを発するようなことはなかった。あと、日本テレビの「ゆく年くる年」の岡村さんの火の玉を受け止める「みそぎの儀」みたいなのは、どうも元旦生中継を装って、前に撮っておいた録画のような気がしてならないんですけど、実際はどうなのだろう。画面の中でのものごとが、あまりに目論見どおり進みすぎる展開は不自然だったなあ。つーことで、正月らしいことは、まだ何もやる気がおきません。年賀状3枚ぐらいしか来ないし、フツーに朝から洗濯とかやってるし。普通の祝祭日の寝坊した朝、って感じ。
January 1, 2006
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