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スーパーで、うっかり無洗米を買ってしまった。しばらく前から売られていることは知っていたけれど、もしも口に合わなかったら、しばらくそれを食べ続けることになってしまう。それを思うと、あえて買う気にはならなかったのだ。なのに・・・。なにを慌てていたのだろう。米びつに移してふと袋を見ると、無洗米と書かれたシールが・・・。あっっと思ったものの、あけてしまったのだから返品もかなわない。しばらくそれを食べることになってしまった。洗わないのは確かに楽だったけれど、水分量をいつもより多めにしないと、ずいぶんと硬い炊き上がりだ。私も夫も硬めの食感の方が好きなのだけれど、一旦冷めてしまうと、驚くほど硬くなってしまった。ちょうどその頃、お腹の調子を崩していた娘には、当然お粥にするしかなかった。さらに無洗米も終盤に差し掛かった頃、もう一つ問題が発生。えーと、大根を下茹でするときはどうすればいいのでしょう?なにしろ無洗米なのだから、お米のとぎ汁がないのだ。とぎ汁が出ないこれこそが無洗米最大の長所なのだけれど・・・。薄い期待を込め、大根といっしょにお米を入れたものの、あの独特の苦味をとることはできなかった。そりゃそうだ。なにしろそれを取り去るための糠がお米にないんだもの。いつもなら大根を煮たのが好きな娘に、一口に食べた後、「これ食べられない。」とはっきり言われてしまった。まあ、大人の私達は苦くたって食べたけれどね。この味は無理強いできないなあ。と思うでき上がりだったのだ。そんなこんなで無洗米。味はまあ悪くなかったのだけれど、なにか有事がない限り、あえて選ぶことはしないだろう。後は、うっかり間違えないようにしなくちゃね。
Oct 23, 2011
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猛烈な台風の後、大きなアカシアを根元から切ってしまうまでに、数日の間が空いた。なにしろチェーンソーは私が操れるシロモノではないし、とにかく、夫の休みを待つしかなかった。近所でも大きな樹が倒れたうちは少なくなく、その数日の間、どこのお宅も、その後片付けをあたふたとしているようだった。庭で、私ができる限りの後片付けをしていると、通りかかったご近所の方がみなさん、まあまあこれが・・・。と声をかけてくださった。やはり大きな樹が倒れてしまった家のおばあちゃんが、「ウチも倒れてしまってねえ。今、人を頼んで切ってもらうことにしたから、その前にお米とお塩まいておいたわ。えぇ、やっぱりねぇ。大きな樹だったから・・。」とおしゃべりしていった。あぁ、なるほど・・・。お米とお塩をまく。それはただのモノとして樹を見ていない、魂を持つ、と考えてなんとはなしにとった行動なのだろう。お米とお塩の効力なんて、そんなおまじないみたいなもの・・・。と言ってしまえばそれまでなんだけど・・・。私は特定の宗教を信心しているわけではない。おそらくはそのおばあちゃんもそうだろう。けれど、お寺に行けば手を合わせ、神社に行けば拍手を打つ。一応そんな程度の信仰心は持ち合わせている。そんな程度の信仰心だけれど、そのおばあちゃんの言葉にはっとさせられた。そんなわけで、夫にもそんな話をして我が家でも同じようにお米とお塩をまくことにした。だから、かどうかわからないないけれど、それをしたことで、あきらめのような、さっぱりした気分になったことは確かなようだ。あぁ、それがお米と塩の効力なのかもしれない。アカシアに対しても、切ってしまうことを選択した自分達に対しても。おまじないレベルかもしれないけれど、きっと昔からこういうことは、続いてきたことなんだと思う。お年寄りの話は聞いておくものなのだな。
Oct 19, 2011
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