2025年10月06日
XML

​​ 新吾を召し捕れ

新吾は、京都の中院通朝の屋敷に来ていました。
「では、何故あなたを殺そうとしたのです」と新吾が通朝に尋ねますと・・・御所の修築のことで、所司代の態度があまり冷たいので、腹に据えかね談じこみましたが、それが気にくわなかったのでしょう・・・と通朝がいったことに、「たったそれくらいのことで」と新吾が言うと、
通朝「そうです、それが徳川幕府の政策なのです」
新吾「 ​徳川幕府 ​​ ?
…天皇は尊んで扶持せず、荒廃した御所の塀を修築する財力すら持たされていない・・・と通朝が話すと、新吾は即答で、
新吾「 ​分かりました​ 、塀の修築は、私がさせていただきましょう」
これには通朝もびっくりして「あなたが ? 」と言います。

​​
​新吾「不審に思われるかもしれぬが、 私も一万石の扶持を持っている
と言うのを聞いて、またまた通朝がどいうことだと驚いた様子を見せると、六平太が「御安心なさいませ。この御方は葵新吾様でいらっしゃいます」と口添えします。
​​新吾「 父になり代わり 寄進させていただきます 」​​


新吾は母上に頼んで五千両の金子を一時立替えてもらって送ってほしいことの内容の手紙をお縫に出します。お鯉の方は、手紙に母上と書いてあったのがうれしくて、金子の使い道は分からないまま手配をお縫に命じます。
新吾は、庭に寝ころび、空を見つめ恋しい ​母上お鯉の方のことを思って​ いました。
新吾「やっぱり母上は、 ​夢で思っているような​ 、お人かもしれないなあ・・・
   上・・・母上・・・
( ​​ 思いが込み上げ、 きな声で ​​ ) 母上
​​
と呼び起上ります




そこへ通朝が、新吾からの五千両で塀の修築の手続きを取り、帝も大へん喜んでいたことを伝えに来ます。「 それは結構でした 」​ と新吾も喜びを表します。
通朝が気がかりなことがあると・・・金利寄進は徳川家の法度、新吾が将軍の御子とはいえ・・・そこまでいったとき、新吾は「 ​ご心配にはおよびません​ 。万一のときは、 ​私が責任をとります​


そのころ、由紀姫と新八郎も京に入り、六平太とばったり会うのでした。通朝の屋敷にいる若い侍は葵新吾だという報告を聞いた牧野河内守は、朝廷への寄進は天下のご法度、相手が新吾様とあれば、みだりに手出しもできない、しかし「うまくいけば、備中殿と相図り、新吾派の覆滅をきすることもできる」と考え、将軍家ご上洛まではそっとしておくよう、山村与八郎に命じます。

上洛の途中、宿舎の二条城に入った吉宗に、河内守が御所の塀の修復の件を報告します。朝廷への寄進はご法度、厳重に調べて処罰するように吉宗が、備中は、取調べたところ、葵新吾様であることを報告します。「新吾が」と動揺する吉宗を、備中守と河内守はチラッと視線を合わせます。
その大金は江戸から為替で、と聞いて、新吾の扶持を管理するのは酒井讃岐と吉宗がいうと、河内守が「意外な御方から・・・お鯉の方様から」と聞いて、吉宗の顔色が変わりました。そして、十分取り調べた上で断をくだすといい席を立っていきます。そ のことは、大奥のお鯉の方にも讃岐守から伝えられました。お鯉の方が送った金子を新吾が朝廷へ寄進した、新吾へのお咎めは必定と聞いて、お鯉の方は「お金を送ったのは私です、私が責めをおいます」と讃岐守が「新吾様の扶持を管理するのは拙者です」と言い、私におまかせくださいと。すると、お鯉の方は讃岐守の様子から
お鯉「讃岐どの、お腹をめされるおつもりですね」
讃岐「新吾様のことをこころよからず思うやからは、このときとばかり上様を責め立てましょう。拙者の腹一つで済むことならば」
お縫が讃岐守に申し出ます。お縫は、今回の手配はすべて自分がやったこと、新吾様のために死ねるのなら本望だ、といい控の間で逆手に持った懐剣を讃岐守が叩きおとし、やって来たお鯉の方の言葉に、お縫は泣き伏します。

参内の支度の間で、
河内「お鯉の方様の蟄居、酒井讃岐の閉門など、一応名目はたちましたなれど、肝
   心の新吾様が」
すると、吉宗が備中守と河内守に向かっていいます。
吉宗「そち達は名目さえつけばよいのか」
二人は顔をあげ吉宗を見ます。
吉宗「お鯉や酒井は朝廷の寄進とは何の関係もない。新吾の罪を軽からしめようと
   思えばこそ、そち達の名目を立てるため、お鯉は自ら蟄居を申し出たのじゃ
   ぞ。余も今までは城中の不和を避けるため、つとめて新吾の話には触れまい
   と努力をしてきた。
を思う親の情に変りはない 。余の苦衷わかるか」
参内の時刻が来たとの知らせを受た吉宗は、部屋を出る前に立ち止まり河内守に、新吾の居所はわかっているのか、と聞きます。河内守は、中院通朝卿の屋敷にいることを伝えると、
吉宗「将軍として命ずる。朝廷への寄進は天下の法度、 ​示しをつけぬ訳にはいくま
   い​
​新吾を召し捕れ​ ​ 


続きます

🎥​​ ​新吾二十番勝負』前回までの投稿掲載分は、ページ内リンクできるようにしてみました。下記のそれぞれをクリックしてご購読することができます。


新吾二十番勝負・・・(1)


新吾二十番勝負・・・(2)

新吾二十番勝負・・・(3)

新吾二十番勝負・・・(4)

新吾二十番勝負・・・(5)

新吾二十番勝負・・・(6)

新吾二十番勝負・・・(7)

新吾二十番勝負・・・(8)

新吾二十番勝負・・・(9)

新吾二十番勝負・・・(10)

新吾二十番勝負・・・(11)

新吾二十番勝負・・・(12)


この記事の下のコマーシャルの下にも、橋蔵さんに関するものを載せています。時々下の方までスクロールしてみてくださいね。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2025年10月06日 21時15分13秒
コメント(0) | コメントを書く
[大川橋蔵 映画 (新吾シリーズ)] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

フリーページ

◆大川橋蔵の出演映画・・テレビ放送チャンネル・放送日・作品名


このブログ関連の大川橋蔵掲示板、ブログ


★葵新吾-*大好き大川橋蔵ファン広場*-掲示板


★心の軌跡💞忘れ得ぬ人*大川橋蔵*


★葵新吾-*大好き大川橋蔵ファン広場*-掲示板 partⅡ


☘️大好き大川橋蔵ファン広場partⅡ掲示板


✿大川橋蔵 出演映画作品ー年代順


🌸🌸大川橋蔵 映画作品別画像コーナー🌸🌸


●笛吹若武者(画像23枚)


●雪之丞変化(画像5枚)


●江戸三国志(第一部・疾風篇・完結迅雷篇)(画像35枚)


●旗本退屈男・謎の決闘状(画像18枚)


●おしどり囃子(画像28枚)


●若さま侍捕物帖 (地獄の皿屋敷・べらんめえ活人剣) (画像76枚)


●朱鞘罷り通る(画像32枚)


●若さま侍捕物帖(魔の死美人屋敷)(画像48枚)


●水戸黄門(1957年)(画像34枚)


●大江戸喧嘩纒(画像26枚)


●花吹雪鉄火纒(画像52枚)


●はやぶさ奉行(画像25枚)


●若さま侍捕物帖(深夜の死美人) (画像44枚)


●任侠清水港(画像35枚)


●ふり袖太平記(画像56枚)


●海の百万石(画像32枚)


●任侠東海道(画像24枚)


●復讐侠艶録(画像25枚)


●ふり袖太鼓(画像36枚)


●修羅時鳥(画像33枚)


●ふり袖捕物帖 若衆変化 (画像50枚)


●新諸国物語 七つの誓い 黒水仙の巻・奴隷船の巻・凱旋歌の巻 (画像63枚)


●緋ぼたん肌(画像57枚)


●若さま侍捕物帖(鮮血の晴着) (画像62枚)


●緋ざくら大名 (画像60枚)


●若さま侍捕物帖(鮮血の人魚)(画像104枚)


■画像いろいろA(春夏秋冬時期の画像から)(画像18枚)


■画像いろいろB(今までにサイド自由欄に掲載した舞姿、舞台等のスチル)


🌸hashizoある日のsnapshot


❶ある日の横顔・・(A)・(B)・(C)(画像179枚)


❷ある日、ある場所、何処かで・・(A)(B)(C)(画像130枚)


❸スタジオ、ロケ現場を覗いて(画像33枚)


❹雑誌撮影でご一緒に・・(A) (画像79枚)


❹--②雑誌撮影でご一緒に・・(B) (画像37枚)


❹-③雑誌撮影でご一緒に・・(C) (画像35枚)


❶・・⑵ある日の横顔・・(A)・(B)・(C)(画像6枚)


❹-④雑誌撮影でご一緒に・・(D) (画像21枚)


❹--⑤雑誌撮影でご一緒に・・(E) (画像 8 枚)


⛵⛵とみい思い出のimages


❶歌舞伎時代・・(A)(画像12枚) (B)グラフetc.画像4枚


❷舞踊〈舞踊会から・ステージから〉関係・・(画像50枚)


❸🌓橋蔵まつり、茶話会等関係 (画像29枚)


❹💃♬歌舞伎座でのリサイタル関係


☆大川橋蔵☆(生立ち・・・映画界へ入るまで) ❶ 1)~16)


☆大川橋蔵☆(生立ち・・・映画界へ入るまで)❷ 17)~29)完


★★この表情・あの表情・・特集雑誌等からのポートレートなど


★★kanariya好み//表情ポートレート


⑴◆大川橋蔵グラフ◆から (1958年平凡別冊6月号より)


(2)◆映画アルバム・大川橋蔵傑作写真集◆から (1959年映画ファン9月号)


(2)-2◆映画アルバム・大川橋蔵傑作写真集◆から(雑誌映画ファンより)


(3)◆トミイの魅力 大川橋蔵の全映画アルバム (1958年8月)


(4)◆映画アルバム第8号《わたしのトミイ》 (1960年3月発行)


(4)-2◆映画アルバム第8号《わたしのトミイ》 (1960年3月発行)


🤷‍♂️橋蔵に関する記事からの風評やよもやま話等


サイド自由欄

◇◇◇◇◇◇◇◇

★1959年増刊号平凡「あなたの大川橋蔵」から、橋蔵さんのいろんな画像を載せていきます。お楽しみください。

⑯ がくや ①
実演の旅の楽屋はとても忙しい。
地方のことだから楽屋も狭く、一日に三回の上演になると、ファンの訪問の応待やらメーキャップで、息ぬく暇もない。
星美智子さんとのこんどの東海道の旅は、お正月そうそうのいい時期とトミイの爆発的な人気で、楽屋の中も大騒ぎ。
橋蔵さんは新春そうそう嬉しい悲鳴をあげました。















(^^♪)**随時更新していきます**(*^-^*)
📦 (^_-)-☆★
フリーページの方でも橋蔵さんが待っています。
その都度アップしていますので、各項目をクリックして開いてみてネ。
★☆(^_-)

カレンダー


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: