JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.09.04
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カテゴリ: 大和市歴史散歩
しばらくの間、「古都「鎌倉」を巡る」のアップで、隣接市の「大和市の神社仏閣を巡る」が
中断していましたが、本日から再度完歩まで、続きをアップさせていただきます。

【大和市の神社仏閣を巡る】目次

この日・3月24日(水)は「大和市の神社仏閣を巡る」の2回目。
1回目は相鉄本線の南側に位置する神社仏閣を訪ねたが、最初に前回訪ねなかった大和駅南側
そして小田急線の西側に位置する神社仏閣を最初に訪ね、その後北上し相鉄線を越えて
「ふれあいの森」、「いずみの森」を縦断し小田急線の「中央林間」まで歩くことを
計画したのであった。



この後に訪ねた「泉の森・ふれあいの森ガイドマップ」が駅前に。



最初に、相鉄本線の南側、小田急線の西側にある「山神社(さんじんじゃ)」に向かった。




大和市中央5丁目6-3。



社号標石「山神社」。



「社務所」。



参道の先に「二の鳥居」と「社殿」。



「二の鳥居」と手前の漸く咲き始めた桜。



「二の鳥居」の扁額「山神社」.



狛犬・阿形(右)。



狛犬・吽形(左)。



「おみくじ掛け」と「手水舎」、「手水石」が左手に。



手水石の由来
この手水石は厚木航空隊基地内に建立された厚木空神社のものであったが昭和、ニ十年
ハ月十五日終戦により基地が米軍の接収となったので破壊の危惧を深刻にうけとめた当時の
大和町長ハ木保隆・地元有力者とが協議しアメリカ軍に厚木空神社の下附を要請したところ
建物はすべて町に下附となったもので、その内から当神社は、手水石を譲り受け再建して
現在に至っているものである。」



厚木空神社起
昭和十九年三月三〇ニ航空隊(厚木航空隊)司令であった小園大佐が本土防衛の第一戦で
殉職した将兵の御霊を祀り空の守り神として武運長久と勇戦を誓うため厚木航空隊基地内に
建立したもので、報国の熱烈なるに感動した国幣中社寒川神社宮地宮司が、洗心の揮毫を
贈ったもので同年秋には荘厳に完成したものである。」



「納札所」。







社殿扁額「山神社」。



「内陣」。



「本殿」を見る。
御祭神は大山祇命 ( おおやまつみのみこと )。



隣りにあった「正一位稲荷神社」。







左から、以下詳細は『​ 大和市の石仏 ​』👈リンク から転載させて頂きました。
石祠
 寛政元年(1789):正面:山口喜一郎の名札あり
 右面:寛政元酉五月 宮本七郎左ェ門
 左面:惣氏子 九軒持
文字庚申供養塔
 延享四年(1747)
 正面:《三猿》 庚申供養塔 延享四丁卯天十一月吉日 
     小菅伝兵衛 同平右衛門 同 勝右衛門 同 太郎兵衛 同 吉兵衛 小菅治  兵衛
 右面:西 右 ほしのや道  東 左 ぶみやうし道 
     田辺□左衛門 田辺[  ] □七
堅牢地神塔
 嘉永五年(1852)
   正面:堅牢地神
   正面(台座部分):草柳村 □□次郎左衛門 小菅定六 同 □五右衛門 
                            下田伝右  衛門 小菅金右衛門 同 此右衛門 
                            同 彦右衛門 山口清泉 戸井田宇平次 下田半右衛門 
                            山口権左衛門 小菅伝蔵
   右面:相州高座郡下草柳字六軒村
   右面(台座部分):山先達 長圓坊
   左面:嘉永五壬子年仲春吉辰
出羽三山供養塔
   天明元年(1781)
   正面:《梵字》 月山 湯殿山 羽黒 三所大権現 東叡山御持 御本坊講中
   右面:天明元辛丑歳 東 神奈川 南 藤沢
   左面:霜月吉日 西 厚木道 北 八王子道



更に、左から
堅牢地神塔
 嘉永二年(1849)
 正面:堅牢地神 講中
 右面:五行受王歴成□道
 左面:嘉永弐己酉年二月社日相州高座郡中草柳邑
文字庚申供養塔
 宝暦九年(1759)
 正面:《三猿》 庚申供養塔 講中
 右面:宝暦九卯八月吉日 南かまくら道 西大山みち 草柳村 施主 小菅長兵衛
    □ 弥右衛門 □   八郎兵衛
 左面:北八王子道 東神奈川道 小菅源左衛門 同 善兵衛 同 半左衛門
一猿庚申塔
 寛文七年(1667)
 正面:《猿》
 市内最古の庚申塔。塔身の途中が二つに折れている。
文字庚申塔 」。
 天明四年(1784)
 正面:庚申塔 天明四甲辰年十一月吉祥日
 左面:東 かな川 北 八王子 道



前述の「文字庚申塔」から右に
兜巾型文字道祖神
 安政五年(1858)
 正面:道祖神
 右面:安政五午年正月十四日
 左面:下草柳村郷 中村講中
五輪塔
 安政三年(1856)
 正面:正月吉日
 右面:安政三丙辰年
 左面:下草柳講中
双体神祇道祖神
 宝暦七年(1757)
 正面:《双体立像》 [  ]神守 宝暦七丑六月吉日 草柳六軒村中



更に右手から
単体道祖神 
 寛延四年(1751)
 正面:《単体立像》 寛延四未年十二月吉日 下草柳村
石祠
 昭和十三年(1938)
 右面:昭和十三年二月建
 左面:施主 田辺利徳
文字庚申供養塔
 安永九年(1780)
 正面:《三猿》 庚申供養塔 安永九庚子十二月吉日
 右面:中草柳村 六兵衛 安兵衛 善右ェ門
 左面:世話人 吉兵衛 定右ェ門
単体(または双体)道祖神の下部断片
 年代不明
 正面:《双体道祖神》 中沢柳村 甚兵□ 佐五兵□ □五兵衛 太左衛門 藤左衛門 
    [  ] 孫  兵衛 □三郎 [  ]
石祠

奉納稲荷大明神御宝□ 」。
 文化十二年(1815)
 正面:奉納稲荷大明神御宝□
 右面:文化十二乙亥年九月吉日
 左面:施主 小菅重郎左衛門



そして次に訪ねたのが「法深寺」。
大和市中央5丁目7-9。



寺号標「本門佛立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう) 法深寺(ほうしんじ)」。
本門佛立宗寺院、妙深寺大和別院の「照山法深寺」。



本門佛立宗は慶長5年(1600)に日蓮聖人が苦悶の果てに悟りを開いた「南無妙法蓮華教」の
御題目を口唱することで救われるという日蓮宗の始まり(源)である。
寺紋であろうか。



「掲示板」。



境内の石灯籠。



境内には源平桃が咲いていた。。



ズームで。



ソメイヨシノも開花が進んでいた。



正面が「本堂」。



」が。



門徒会館の「清照會館」。



「本堂」入口。



こちらが「裏門」。



「本門佛立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう) 法深寺(ほうしんじ)」。



「法深寺」前の厚木街道沿いのソメイヨシノも開花が始まっていた。



厚木街道を西に進み右折すると左手にあったのが「下草柳公園」。




                           ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2024.08.28 07:11:11
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