JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.04.04
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カテゴリ: 国内旅行
この日は3月17日(木)、南アルプス市内の工場に仕事で社長と向かう。
16時過ぎに仕事を終え、この日は下部温泉に宿泊を予定していたので、カーナビをセットし
国道52号・身延道をJR下部温泉駅に向かって富士川沿いを南下して行った。

『甲斐国志』に拠れば、承和3年(836年)に熊野権現が出現して温泉が湧いたとする伝承を記し、
この温泉を中心に下部村が形成されたという。また甲斐国造の塩海足尼が領内巡視の折にたまたま
発見し、「塩部(下部)の湯」と名付けたとする伝説もある。
鎌倉時代の日蓮書状(『日蓮聖人遺文』)によれば日蓮が当地で湯治を行い、室町時代には
塩山向嶽寺の開祖・抜隊得勝も湯治をしたと言われる(『抜隊語録』による)。
甲府の一蓮寺(甲府市太田町)に伝来する一蓮寺過去帳にも地名が見られる。戦国時代に下部村は
湯之奥金山や木材伐採など河内地方の産業を支える拠点にもなり、下部温泉は河内領主の穴山氏が
再興し(天正6年(1578年)7月20日佐野次郎右衛門尉宛穴山信君朱印状、風水被害を受けた
温泉の復興を命じる内容)、徳川家康も入浴したという(『国志』)。
江戸時代に湯治場となり、身延山久遠寺参詣者も利用した。戦国時代には武田信玄の隠し湯である
とする付会伝説が加わり、近代には富士身延鉄道(身延線)の開通により浴客は急増した。
1956年(昭和31年)6月15日、国民保養温泉地に指定された。
旧下部町南西部に位置している。南東の毛無山西麓で、富士川の支流で毛無山から発する
下部川(湯川)に沿って静かな温泉宿が並んでいる。下部温泉駅前には温泉街最大の宿泊施設
下部ホテルがあるほか、温泉街の中心地にある源泉館は足元湧出泉が有名である。



昔、著名人にも愛された湯治場・下部温泉郷
日本の名湯百選にも選ばれている下部温泉。1300年の歴史があると言われていますが、
第12代景行天皇の時代、甲斐の国造であった塩海足尼(しほのみのすくね)がこの地を訪れ、
湯気が上がるのを見て「塩部の湯」と名づけ、それが転じて「下部の湯」となったという伝承も
あります。
その泉質が怪我の療養に良いとされ、武田信玄は戦場で傷ついた兵を療養させていたそう。
このことから「信玄の隠し湯」と呼ばれ、多くの湯治客を迎え入れてきました。
その中には著名人も多く、例えば、明治時代には新渡戸稲造や若山牧水が、昭和に入ると、作家の
井伏鱒ニが執筆活動の拠点にしたり、名優・石原裕次郎が怪我の療養に訪れたりしました。
現在は、レトロな雰囲気を残す富士川地域最大の温泉場として多くの宿泊客を迎えています。」

今、下部の湯の効能を裏づける! ? 松葉杖を供養する祭
下部温泉には、昭和41年に始まったユニークなお祭りがあります。それは「松葉杖供養祭」。
下部のお湯で怪我が治り、不要になった松葉枚を炊き上げるという奇祭で、かっては武者行列や
山車のお練りもあったそう。木製の松葉杖の需要が減った今でも、全国から松葉杖が寄せられ、
毎年5月の熊野神社春季例大祭に合わせ厳かに開催されています。



そして「上川」交差点を左折し、国道300号を富士川に架かる「富山橋」を渡り、
「浪高島トンネル」を通過し、「常葉川」に沿って進むと右側に目的地の「下部ホテル」に到着。
入口の巨石には「下部ホテル」と刻まれていた。
山梨県南巨摩郡身延町上之平1900。



「下部ホテル」入口。



「下部ホテル」案内板。
二種類の源泉と十二からなる湯舟を巡る
戦国武将、武田信玄公ゆかりの下部温郷はニ千年の歴史を刻む、隠し湯の里。
多くの湯治客や旅人を癒し続ける名湯です。
ニ万坪にも及ぶ自然林の中に佇む当館の湯は、庭内より湧出する硫黄泉(下部ホテル源泉)と、
引き湯の下部奥の湯高温源泉。
良質の異なる二種類の温泉を、七つの露天風呂を含む大浴場など十ニの湯舟で
ご堪能いただけます。



「下部ホテル」と切り抜かれた竹灯篭。



踏切手前が「下部ホテル」入口。







駐車場に車を駐め、「下部ホテル」本館に向かって進む。



手前が6階建ての「東本館」、奥に8階建ての「西本館」があった。



手前にあった「法王稲荷」社。



その先には句碑群が。



3人の句が紹介されていた。



「高浜虚子先生」と。



この行や 花千本を 腹中に  虚子 ( 昭和 33 4 13 )
昭和 33 年4月 13 日に、「裸子」 100 号記念大会に、富士山西麓の白糸の滝経由ここ下部ホテルに
来たらしい。この旅の途中の桜が素晴らしくて詠んだ句であると。



百枚の浴衣を干すも花の中  素十
高野素十(たかのすじゅう)は茨城県出身の俳人・医師(医学博士)。高浜虚子に師事。
虚子の唱えた「客観写生」を忠実に実践、簡潔で即物的な写生句で頭角を現し、山口誓子、
阿波野青畝、水原秋桜子とともに「ホトトギスの四S」と称された。
「芹」主宰。本名:高野与巳(よしみ)。



春惜む花も過ぎたる山の湯に  俳一佳 」。
堤俳一佳は虚子の弟子、山梨ホトトギス会。
堤俳一佳(一九〇四~一九九四)は、富士宮市を拠点として活動した俳人である。
昭和初期から「ホトトギス」に投稿し、高濱虚子と強い師弟関係を結んだ。
昭和二四年(一九四九)には、俳誌「裸子」を創刊した。俳一佳は、国鉄職員として
山梨県・長野県で駅長を歴任、「裸子」刊行前後から富士宮市に居住し、
退職後、本格的に活動を始めた。
なお、「裸子」は、俳一佳没後は、平成六年(一九九四)からは堤高嶺主宰、平成二三年
(二〇一一)からは堤信彦主宰に引き継がれ、現在に至っている



下田ホテルの「本館」玄関に向かって進む。



「玄関」。



「フロント」。



体温チェック。



「南山梨 観光マップ」。



それぞれの観光地には多くの写真が。



「レンタルe-バイク」コーナー。



下田ホテル敷地案内図。



フロント前のロビーには巨大な木彫りの虎が迎えてくれた。
「虎さんはなでると喜びます。背中に登ると悲しみます!」と。



顔をズームして。



ロビーを望む。



「雛人形 七段飾り 」。



最上段の「男雛女雛」をズームして。
二段目には、「三人官女」。



「雛人形 七段飾り 」の裏にあった絵画。



ロビーの外には「足湯」があった。



縁側に座って自然を眺めながらのんびり入る足湯は最高なのであった。



和太鼓ショー 」会場。



大太鼓、小太鼓がこの日の出番を待っていた。



「風林火山」幟。
武田信玄が軍旗に用いた「孫子」の句「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」を略称したもの。
「疾(はや)きこと風の如(ごと)く、徐(しず)かなること林の如く、侵(おか)し掠(かす)めること
火の如く、動かざること山の如し」と。



「全館ご案内」。



7階エレベ-タホールからの「常葉川」と「国道300号」。



そして我々の和風部屋。



八畳の部屋。



そして。窓から見える老松の上に「アオサギ」が巣を造っているのを発見しカメラで追う。



アオサギ(青鷺[、蒼鷺、Ardea cinerea)は、鳥綱ペリカン目サギ科アオサギ属に分類される鳥類。
本州・四国では周年生息する(留鳥)であると。



ズ-ムして。
頭部は白い。額から眼上部・後頭にかけて、黒い筋模様が入っていた。
体上面は青灰色。種小名cinereaは「灰色の」の意。背に灰色の羽毛が伸長する(飾羽)。
下面は白い羽毛で被われ、胸部の羽毛は伸長(飾羽)する。前頸から胸部にかけて、破線状の
黒い縦縞が入る。側胸や腹部は黒い。雨覆の色彩は灰色で、初列雨覆や風切羽上面の色彩は黒い。
人間でいう手首(翼角)の周辺には2つの白い斑紋が入る。
虹彩は黄色。嘴は先端が黄色と付け根は薄いピンク色。



後ろ姿を。



大きく羽ばたいて。






                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.04.04 08:14:43
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