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September 14, 2019
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テーマ: 自分を知る(166)
カテゴリ: カテゴリ未分類
――アップしそびれていたもの――
2015年8月1日


先々週、久しぶりに友人○からメールが届き、
彼女の生活の変化を知って驚いて
翌日電話をしました。

私も腸が動かなくなった事で
病院の対応が合わなくて、
今の病院に辿り着くまでの話しなどをしました。

去年も3ヶ月間腸が動かなくなったけれど、


そしたら彼女は
「今聞いた話の私の感想言ってもいい?
 Mちゃんの身体がどうして不調を訴えているのか
 身体に聞いてみた?

 私の印象では、小さいMちゃんが
 まだ泣いているんじゃないかな。」

ああ、忘れていました!
身体に聞くのを忘れていました!!

この12年、
身体と心の繋がりを知るために
色々参加したり読んだり見たり


忘れていた私。

暫く前には、
果てしなく長くて深い断崖に
細い橋が掛かっている事に気付いて喜んだけど、
それきりになっていました。


友人に気付かせてもらいました。


それで、
私のインナーチャイドルに会おうと思ったら
会い方を忘れてしまっていました!

なんと言う事でしょう。

また一から勉強し直さねばと思い、
たまたま見つけたのが

『「自分のために生きていける」と言うこと』
齋藤学(家族機能研究所代表)著 大和書房

副題には「寂しくて、退屈な人たちへ」とある一冊。

図書館で借りて読み始めたら
沢山感じる事があってメモを取り、

メモを取り過ぎて進まないって言う・・・(*´ェ`*);


中でも

― 第1章「退屈」に耐えられず、何かにすがりつく心 ―
●人は「耐え難い寂しさ」をどう心理的に防衛するのか(p37)

 が大きなヒントになりました。



―――――― 以下要約 ――――――

乳児時代の経験による「耐え難い寂しさ」から起こるパニックを
心理的に「ごまかす」、ないし「防衛」する手段としての
「自己治療」の1つが「嗜癖」であり、

最も原初的な形態が赤ちゃんの「指しゃぶり」で
次が「マスター○ーション」です。←わいせつもしくは公序良俗に反すると出ました( ̄Д ̄;

自慰が活発化している4~5歳児は
頻繁に「耐え難い寂しさ」に襲われている状況にあり、

夫婦間の緊張や暴力、安心感の醸されていない家、
母の情緒的不在や
親から放射されるはずの「温かいもの」の不足に見舞われています。


他のタイプの自己治療として
感情の麻痺・鈍麻があります。

感情を麻痺・鈍麻させる事で
痛烈な痛みや怒りから自分を守りますが、

終始ぼーっとして愚鈍そうな子供になり、
大人になっても残ると離人症になります。

現実感が失われ、自分の外の世界がガラス越し、
カーテン越しに存在するように感じられたり、

ロボットになった自分を、
外から観察しているような感覚になります。


別のタイプの自己治療では、
痛みを伴う意識を人格から分離して追放する手法もあります。

パニックの現場を忘れて
危機的恐怖を意識から駆逐する事を
アムネジア(健忘)と言います。

残酷な親や冷酷な親の仕打ちを忘れて
親を理想化しておけば楽に生きられますが、

他人からの同じようなストレス経験にさらされると
防衛線の切れ目から、
忘れていたはずのものが噴き出してその人を覆います。

これをディソシエイション(解離)と呼び、
それが極端な形で出たものが解離性同一性障害
(多重人格・人格の交替)です。


――――――――――――――――――――


私は小学校に入学するまで
母の実家に預けられていましたが、

自分の家に帰った日に
暗い家の中で火鉢に当っていた父方の祖母が

「Mこっちゃ来い、こっちゃ来い」
と手招きしました。

私は玄関の外、
明るい日差しの中で思わず後ずさりし、

これまでのノンキな生活は終わったのだ、
もうこれまでのように生きていられない
と恐怖を覚えた以降、

小学4年生頃までの記憶が殆どありません。

小学校での記憶は幾つかありますが、
家での記憶がありません。


記憶が消えている事に気付いたのは
娘の不登校がきっかけで始まったカウンセリングで
自分の記憶を手繰っているうちに、

保育園時代の記憶の映像はリアルで鮮明なのに
「自分」を自覚した小学4年生の前の記憶が
殆どなかったからです。

学校での記憶が幾つかあるので
家の記憶がない事に気付かなかったのでした。


これはアムネジア(健忘)なんだろうと思います。
辛い事を切り離してしまったんでしょうね。

幼少期を、
人の出入りが多くて常に人が近くにいるお寺で過ごし、
利他的で働き者の寡黙な祖母の元で育った私は

突然暗い家でたった一人になって過ごす午後の時間と
複雑な関係性の陰険な状態が続いた家族と過ごす夜は
非常にストレスになったのだろうと思います。

だから生きるために辛い事に鍵をかけたのでしょうね。

これは解離性健忘症として、
他に離人性障害も当てはまる事があると思いました。

現実感が薄くて、全てが遠いと感じる日常。

高校受験も大学進学も全く意に介さずにいたので
私は本番で上がると言う事がありませんでした。

というより全てが人事のように感じていたので
何がどうなっても気にしていませんでした。


大人になってからは、
色んな事が段々ストレスに感じるようになり
今や些細な事も大きなストレスに感じて大変です。

それで子供の頃の鈍さは何故なのか?と
ずっと不思議に思っていました。

何しろ状況はしっかり記憶があり
情景も話した内容も憶えているのに
何も感じなくて人事のようだったからです。

小学1年生の時には
授業中ぼーーーっとしていたそうで
忘れ物だらけだったそうです。

遠足すら知らないでいたため
母は近所の子に聞き廻らなければならなかったそうで、

知的障害があるのだと
担任の先生も親も思っていたそうです。


所が知能テストをしたら驚く高さだったので
先生も親も驚愕したのだそうです。

それで中学の頃から
「知能指数が高いんだから、やれば出来るはずなのに!」
「私の子供なのになんで勉強できないの!」

と言われ、言われるほどに勉強するまいと思いました。

何でも指図してコントロールしようとする母への
唯一の反抗だったのでしょうね。

勉強しないで読書ばっかりしていました。
他に漫画と模様描きね!


「1年生の時は知的障害があるようだったのに
 知能指数が私よりずっと高いくせに
 なんで勉強できないんだ!」

と母にと何度も言われて、

自分の記憶がない小学校低学年時代の事を責められてもと
大変困ったものでした。

それで『「自分のために生きていける」ということ』を読んでいて

 ―――――――――――

 感情を麻痺・鈍麻させる事で
 痛烈な痛みや怒りから自分を守りますが、

 終始ぼーっとして愚鈍そうな子供になり、
 大人になっても残ると離人症になります。

 ―――――――――――

を読んだ時にこれだ!と思ったのでした。


私は心の痛みから自分を守るために
現実から心を切り離して
遠くで生きていたのでしょうね。

だから遠足すら知らない
愚鈍な子供だったのでしょうね。


よしよし(^_^)/"
ちっちゃい私よしよし(^_^)/"

頑張って自分を守っていた
ちっちゃい私よしよし(^_^)/"

おっきくなった私が抱きしめてあげるよ
よしよし(^_^)/"



後半の部分を読んだ時は、

私は人間としての知恵がないのは何故だろうかと
長い間疑問に思っていたのですが
これで分かった気がしました。

 ―――――――――――

 別のタイプの自己治療では、
 痛みを伴う意識を人格から分離して追放する手法もあります。

 パニックの現場を忘れて危機的恐怖を
 意識から駆逐する事をアムネジア(健忘)と言います。

 残酷な親や冷酷な親の仕打ちを忘れて
 親を理想化しておけば楽に生きられますが、

 他人からの同じようなストレス経験にさらされると
 防衛線の切れ目から、
 忘れていたはずのものが噴き出してその人を覆います。

 これをディソシエイション(解離)と呼び、
 それが極端な形で出たものが解離性同一性障害
 (多重人格・人格の交替)です。  

 ―――――――――――

私は多重人格はありませんが、
高校生の時に孤独に耐え難く

私を理解してくれる唯一の友人を出現させて
感じた事を唯一話せていた事がありました。

それまでは日記に書く事で
思いを絞り出していたくらいでしたが、

高校の友人達と一緒にいる時に
「淋しい」と何度か言って
「人前で淋しいって言わないで、迷惑だから」
と友人に言われた事がありました。

家で受け入れられないのなら
友人にと思っていた私は心の行き場を失い

それで私にだけ見える友人を出現させたのだろうと
今なら分かります。

以来、心に鈍い私は磨きが掛かってしまって
人前で感情を出すのが益々下手になったのでした。


そう言えばある集まりで、
私は中学生の時から日記を書くようになり
この日記にだけは心のうちを出せたと話しました。

ある人がその事で、
人前では本心を語らない人と捉えて
私に警戒心を持つようになった事があります。

私は自分の感情に鈍いので
自分がどう感じているのかすら気付かないで生きていたので
後で日記に書いた事を読んで初めて気付く事があるのでした。

だから作為的に人前で別人を演じていた訳ではないのですが
自分の感情にすぐ気付く人にとっては
私は理解し難い人間なんでしょうね。

まあ私自身、自分が分からなくて
ずーっと自分を知るために
あっちほじりこっちほじりしているくらいなので
他の人が警戒しても致し方なしですね。


多重人格ではないですが、
10年に一度くらいの割合で

自覚無しに自分の口から出た言葉に
驚愕する事があります。

私はどこでそんな事を考えていたのだろうかと
ビックリするのです。

口から出た言葉を自分の耳で聞きながら
この人は誰だろう?と思うのです。

あれは・・・あれも何か関係があるのでしょうか。

自分が感じた事を封印している何かがあって
その封印された部分の私が暴れるんでしょうか?

さぁてね、次はこれを解明して行こうかと思います。





●2015年8月1日●





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Last updated  September 14, 2019 04:10:54 PM
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