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私には音楽的センスが全くない。忘年会とか歓送迎会などで私が歌うとあまりに音が外れているので皆が転げまわって笑うのが常だった。名曲を聴くと心が洗われるとか、疲れがとれるとかいう人がいるが、自分にはどれがそういう曲なのかはさっぱり分からなかった。これは遺伝的素質でどうすることもできないものと思っていたが、最近の子供達には音痴の子供はいない。ラジオやテレビやスマホなどで音楽を聴きながら育ってきている。私達の子供の頃は貧乏な家庭にはラジオも蓄音機もなかった。私の母は歌が好きでよく歌っていたがそれが全く音程が外れていたのだと思う。子供達にしてみればラジオもテレビもなかった時代、母親の音程が間違っているなどと知る由もなく知らず知らずの内に母親の音程になじんでしまったのかもしれない。音痴は先天的なものではないかもしれないと思うようになった。音程が外れていて人から笑われるのはあまりいい気分ではないが、人生はそればかりではないのでそれほど苦にしないことにしてきた。しかし心の奥底では上手に歌いたいという気持ちがあったのでどうせ死んでいくのだけれど死ぬまでに何とかまともに歌えるようになりたいとの思いで、歌の先生についてレッスンを受けている。ピアノも習っている。しかし本より音楽的センスがゼロに近かったので殆ど上達していない。それでも最初の頃からみればほんの少し上達したかもしれないので、今年の忘年会には恥も外聞も捨てて一曲歌おうかと思っている。
2018.11.29
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廊下やトイレでゴミが落ちていると大概の人は拾うと思うが私も拾う。たまに見過ごして通り過ぎると心が苦しくなる。母は農家に嫁に来る前は女工として製糸工場に勤めていた。その工場での体験なのか自分や友人が入社試験を受けた時の体験なのか状況はよく分からなかったが、或る試験場でわざと廊下にゴミを落としておいてそこを通って試験場に入ることになっているがそのごみを踏みつけて通るかよけて通るか拾うかで点数が異なり、拾った人が合格になったのだよと子供の時から何度も何度も聞かされた。筆記試験や口頭試問もあったかもしれないがそれより人が見ていないところで(実際には試験官がどこかに隠れていてこっそり見ていた)どのような行動をするかで人は評価されるのだよということを教えてくれたのだと思うが、ごみを見るといつも母を思い出す。小学校を卒業するとすぐお子守りや製糸工場等で働き学歴はなかったが本を読むのが好きでジャンバルジャン(ああ無情)の話を良くしてくれた。大きくなってからのことで印象に残っているのは、国立甲府病院に5年務めた後博士号をもらうために北里大学病院に研修医のような形で就職した時のことである。胃カメラ研修の時一緒に研修している仲間は北里大学を卒業したばかりの若い研修医である。私は他の病院の勤務を経てからの研修なので35歳を過ぎており、年齢的ギャップを感じて精神的に辛いことがあった。そのことをたまたま相模原まで来てくれていた両親の前で話したら母が「そんなことはすっかまっちょし」と言ってくれた。勉強するのに年齢差なんか関係ない。ということに気づき、以後は年齢のことは気にしないで研修することが出来た。母には様々な恩義を受けたが自分はといえば全く報いていない。晩年入院していた時などお世話できればよかったがそれも殆どできなかった。そのことを思うと悲しくなるが、その教えに忠実に生きることがせめてもの恩返しと思って廊下や道に落ちてるゴミは拾っていこうと思う。
2018.11.27
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22歳の若者、貴景勝が13勝2敗で優勝した。心からおめでとうを言いたい。千秋楽の相撲をずっと見ていたが私が観ていた範囲で立ち合いで両拳をきちんと土につけて相手をみて立ち合いをしたのは貴景勝だけだった。ほとんどの力士は相手の隙をうかがってさっと指を砂につけて立ち合いをしていた。貴景勝はガマガエルのようにきちんと両手を土俵につけて立ち上がっており、これが本来の相撲だと思う。栃ノ心と松鳳山の相撲はどちらかが手をついていなかったとして2度取り直しになったがそれは指が砂についていなかったというだけできちんと両手を土俵につけていなかったからではない。人気力士の遠藤は立ち合い前の棒立ちがあり、立ち合いの時も他の力士同様指をさっと砂につけるだけの立ち合いが多い。実力はあるのになかなか上に行けないのは立ち合いに問題があると思う。貴景勝を見習ってきちんと両手をつく立ち合いを心掛ければきっと成績が上がると思う。今度の貴景勝の優勝は多くの力士や親方に基本の大切さを改めて印象付けたと思う。来場所以降立ち合いにおいて第2、第3の貴景勝が出現することを心から願っている。
2018.11.25
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今日は勤労感謝の日で家にいたので大相撲九州場所を観た。小結貴景勝が勝って12勝1敗でトップに立ち、大関高安が11勝2敗で追走し、明日の高安ー貴景勝戦が極めて重要な直接対決になる。高安が勝てば2人が12勝2敗で並び、千秋楽の相手との試合で勝った方が優勝となる。大関高安はまだ一度も優勝していなくて今場所はチャンスなので何とか優勝させてあげたいが貴景勝にも勝たせてやりたい。今場所は師匠(親方)が退職して貴乃花部屋がなくなり別の部屋にやむなくお世話になった新参者できっとかなり肩身の狭い思いをしているであろう力士である。その力士が優勝したら凄いことで極めて精神力の強い力士だと思う。小結に昇進した時記者会見の時親方の貴乃花は同席してくれなかった。今度も親方が去っていき別の親方の処への居候の身。そんな力士が優勝したら前代未聞で後世まで語り継がれると思う。高安ー貴景勝の熱戦を期待している。このブログは本日パソコンに詳しい人にDropboxというソフトを入れてもらいそれを利用して下書きを別のパソコンで書いてそれをこのブログに移して書き上げたものである。凄い時代になったものだと思った。
2018.11.23
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韓国政府は21日、慰安婦問題に関する日韓合意に基づく韓国の「和解・癒やし財団」の解散を一方的に発表した。また戦時中日本の企業が韓国人を強制的に働かせたとして日本の企業は損害賠償金を支払うべきであるという韓国最高裁判所の判決があった。最高裁判所といえば最高の良識の府と思われるがそこでも国際社会での常識から全くかけ離れた判断をしており、まともな国とは到底思えない。「和解・癒やし財団」については日本側から10億円拠出しているが、「もう合意はなかったことにして破棄する」と宣言した。国と国との約束を簡単に破棄する政府も国民も信用することは出来ない。韓国では日本に対する悪口や憎しみ感情を日増しに強くしているが、日本人はじっと我慢して黙っている。それどころかヘイトスピーチ規制法を作って韓国に対する悪口を言うことを禁じている。どちらの国民の方がレベルが上かは比べるべくもないが、日本人だっていつまでも黙っているとは限らない。いつ爆発するか分からない。他人に対して嫌なことを言ったりしたりするとその反作用は必ずある。韓国の人達にはそれは分かっていないのであろうか?韓国内で自分達で学び成長することを願っているが、それが出来なくて暴挙が限界を超えれば大人の国の人達も黙っていなくなる。行動に出る人も出てくるかもしれない。そのようなことも分からない韓国人の目をなんとか覚ましてやりたいと願っている。
2018.11.22
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ゴーン会長は経営破綻の日産をV字型に上昇発展させ今や日産、三菱、ルノーの総司としてトヨタを抜いて世界2位の車の販売台数を誇る業界トップの業績を上げてきた人である。5年間で100億円の報酬を受け取っても妥当かもしれない。問題は証券取引所への報告で約半分の50億円と過少申告したことにある。税金を少なくするためである。その他にも海外に4か所も豪華な住宅を建てたり家族旅行に何千万と会社の金を使ったりしている。大金持ちなのに私的なことに自分の金を使わないで会社の金を使う。役員報酬の年間20億円は何に使っていたのだろうか?一般に欧米の億万長者はためた金を社会に還元すべく基金を作ったり様々なところに寄付したりしている。資本主義の本質は個人が金儲けすることが許されている社会であるが、儲けた金は必ず社会に還元しなければならないという不文律があった筈である。実際多くの億万長者はそれをしてきたがゴーン氏は自分の収入は増やしても国への税金は払いたくない、社会にも還元しないというさもしい姿をさらしたのだと思う。会社経営の手腕は超一流で並ぶものもなかった人かもしれないが、資本主義社会で生きるルールを知らない個人主義的な人で人間的には半人前の人のように思われた。告発、逮捕を契機に人生を見つめなおしてもらいたいと思う。
2018.11.20
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日本の近代化をもたらした二人の英雄、西郷隆盛と大久保利通、二人は鹿児島の同じ村に生まれ育って互いに励ましあいながら成長してきた。 西郷は男気、大久保は頭の良さでお互いを支えあい、大久保は西郷を兄貴と思い、西郷が島流しにあった時などはその救出に全力を尽くしてきた。二人は竹馬の友で親友で明治維新を成し遂げた後は力を合わせて新生日本の舵をきっていくはずだったが大久保が岩倉使節団の一員として先進のヨーロッパ諸国の研修に行ってきてから二人の関係はおかしくなった。 西郷は国内に残り朝鮮問題などに取り組んでいたが大久保の頭の中は近代化が進んだ西洋諸国のことで頭が一杯で朝鮮など問題外だった。西郷にとっては朝鮮は大問題、強情な二人が真正面から衝突して決別することになるが、もし西郷も海外視察団に加わっていたらこのようなことにならなかったと思う。 薩摩の田舎武士の倅が時代の流れの中で国を動かすまでに成長したことは信じられないほどすごいことだがその彼らの一方が外国に行ってきただけでこうも違ってしまうのかというのも驚きであった。こののち西郷は西南戦争で自決し、大久保は暗殺されて亡くなるが、日本の新しい時代を切り開いた二人の英傑の最後は悲しい。しかし彼らのお陰で今があることをしみじみ思う。
2018.11.18
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時代が変わり大学が広き門になり、夜間大学や夜間高校で学ぶ学生や生徒は少なくなったがかっては昼間働いて夜学ぶ学生は多かった。先日の中学同級会で会ったK君は商業高校を卒業してNECに就職し、仕事をしながら夜間大学に通ったが、仕事と学業で大変だったがあの時代が一番懐かしく楽しい時代だったと語ってくれた。今日たま々夜間高校、夜間大学を卒業した人の手記を読んで感銘をうけたので紹介する。その人が5歳の時電器工場に勤めていた父親が出奔し、母親が農協の仕事や河川工事をしながら長男の彼と弟と妹を育てた。父親が女の所だかどこだかわからないが突然いなくなった家庭への世間の目は冷たく彼の心はすさむばかりで喧嘩に明け暮れていた。中学卒業後は電器工場に勤めて定時制高校に通ったがそこで同じように苦学している友人に励まされた。「苦労して学校続ける意味が分からんから辞めようかと思う」と友人に話したら「俺たち今はみんな貧しくて惨めだが仕事と学業をやりきれば定時制だからこそ得られるものがあり、昼間の生徒より立派な人間になれる」と言われて歯を食いしばってがんばった。卒業後東京に出て昼間働きながら夜大学に通う道を選んだ。二部学生(夜間大学)は昼間の学生より恵まれない家庭環境の学生が多かったが社会経験や行動力は昼間の学生より優れていて考え方がしっかりしていた。逆境に打ち勝つ根性が培われ、おれは大学生だというエリート感覚がなく、昼間の学生より平等感を知らず知らずに身につけていた。彼は大学卒業後は市役所に勤めて市民のために働いたが二部学生として培った逆境に打ち勝つ力や人々に対する思いやりの行動が高く評価されて市長や県会議員やコムニユテイのリーダーになって社会や人々のために尽くしているとのことである。人のために尽くすという理念が二部学生だからこそ培うことが出来たと書いていた。読みながら思ったが二部学生は国の宝であり、わが国や世界を思いやりでリードしてくれる人達である。逆境を乗り越えて戦う雄姿に幸あれと祈る。
2018.11.18
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一人横綱の稀勢の里がその重圧からか初日から4連敗してしまった。相手がくせ者ぞろいで勢いのある関取達だったので運も悪かった。今日は積極的に攻めて相撲は勝っていたが土俵際で捩じられ物言いの末負けてしまった。彼の心中いかばかりか心苦しくて自分も苦しくなってしまった。明日からどうするのだろうか?フアンの願いは明日から立ち直って優勝は無理でも勝ち越しまで行ってほしいと思うが、今までの相撲をみるとそれも望めないかも知れない。とりあえず明日から休場して引退するかしないかはよく考えてからにした方が良いと思う。人生勝つことよりもまけることの方が多い。私は自分がいろいろのことで負けてばかりいるので野球でも相撲でも負けている方に応援するが、今の稀勢の里の場合は応援してもどうすることもできないように思う。願いとすれば優勝も勝ち越しも横綱のプライドも全てを捨てて裸一貫、平の力士のつもりで勝っても負けても全力で残りの土俵を務めて貰いたい。全てを捨てれば気持ちが楽になり別の力が湧いてくるかもしれない。稀勢の里頑張れ!!
2018.11.14
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日韓関係は今も昔もかなり悪い。豊臣秀吉が朝鮮征伐の兵をだし、朝鮮民族をかなり苦しめた。明治政府がスタートした時その新しい日本政府を認めようとしない朝鮮に対して強硬派は武力で制圧すべきだと主張していた。その時西郷隆盛は大義名分のない侵攻は諸外国から見ても日本が悪いと取られてしまう。日本から使節を送り、恐らく朝鮮はその使節を殺すだろうからそれを大義名分にして攻めればよい。その使節には自分がなるとした文書が残っており、西郷隆盛は征韓論者だとして韓国からも恨まれている。しかし林真理子原作の「せごどん」の昨日放送分では殆ど決まっていた西郷の朝鮮使節が盟友だった大久保利通や岩倉具視の反対で反故にされてしまう。大久保が強硬に反対したのは朝鮮に使節として渡った時西郷が殺されるのは親友として忍びないので断固反対したと思っていたら、新政府の主導権争いで西郷と大久保は敵対関係になっており、西郷の力量なら殺されないで日韓関係をうまく修正して手柄をたてて主導権を握るとみて反対したとみられる。原作者は西郷が物語の主人公なので西郷を美化して書いている面もあるかも知れないが、西郷の評価が分かれるのはこの征韓論と後の西南戦争である。「せごどん」では日韓関係を正常化させようとした西郷を大久保が邪魔した(昨日の段階ではまだその中途)ように描かれつつあるが、今までの西郷の行動から見て私もそれが真実だったのではないかと思う。結局西郷は大久保や岩倉に中央政府の参議の席を追われて鹿児島に帰って西南戦争を引き起こすことになるが、あの時西郷が朝鮮に渡っていたら日韓関係の歴史はがらっと変わったかもしれない。板垣退助などの賛同を得るために方便で朝鮮は必ず自分を殺すと書いたが実際は日韓関係を修復する自信があったと思う。本当に殺されてしまったら戦争になりまた別の歴史になったと思うがいずれにしても西郷の志を絶った大久保や岩倉の責任は重いと思う。西郷の挫折の影響はいまなお続いており日韓関係は憎みあいのままだ。大人物が現れて修復してくれることを願う。
2018.11.12
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昔から睡眠時無呼吸の症例はあったが全く関心は持たれていなかった。しかしバスや電車の運転手が事故を起こして健康診断の結果、彼らが睡眠時無呼吸症候群だったとして注目されるようになり今では殆どの病院に同症候群の専門外来がある。7時間の睡眠中に10秒以上の無呼吸が30回以上出現するか1時間に5回以上出現するものと定義されているが、殆ど自分では認識することが出来ない。家族に指摘されて病院受診して診断されるが、10秒どころか数分無呼吸になっている人もいる。 症状は睡眠時間は取れているのに昼間うとうとすることが多く、運転中など神経を集中していなけれなならない時でも眠くなってしまうとか、寝ている時口の中がからからになっているとか夜間何度もトイレに起きる(夜間頻尿)とか、朝起きた時すっきりしなくて寝たような気がしない等が自覚症状である。他覚所見としてはイビキである。これは殆ど必発で睡眠中に筋肉の緊張が緩み、舌根が沈下して気道閉塞が起こり、呼吸の度に粘膜同士でこすれて大きな音が出る状態である。それがひどくなると完全閉塞が起こり、無呼吸になり、体の中の酸素が欠乏してくると慌てて大きな呼吸をするのを繰り返すことになる。一緒に寝ている家族が患者のイビキが止まってどうしたのかなと思っていると突然大きな息を吸いこんでくれて安心することになるが、あまり長く止まっていると死んでしまうのではないかと不安になることがある。 対処法は舌根沈下を防ぐために横向きかうつ伏せで寝ることでかなりイビキが少なくなり無呼吸も減ってくる。下あごが少し前に出るように造られた歯型(マウスピース)を口の中に入れて眠る方法や、口を開けて口呼吸をしているから口の中が乾いたりイビキが出るので口が開かないように絆創膏で上下の唇を張り合わせる方法もある。病院に行くと無呼吸の程度に応じてCPAPという機械での治療を勧めてくれることがある。これは電動で常に鼻から一定量の空気を送り込む機械である。無呼吸になるのは気道が完全に閉塞してしまうからだが外部から常に気道に空気を送り込んでくれるので完全閉塞を避けることが出来るのである。 本症候群に罹ると仕事の能率がさがり、自動車事故の可能性が高まり、記憶力も落ちる。上記に書いた自覚症状があり、家族からイビキがひどいと言われている人は一度睡眠時無呼吸症候群の外来を受診することをお勧めする。
2018.11.11
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昨夜中学の同級会があった。3年前の会より参加者が増えており、意外だった。東京や千葉、川崎などからよく山梨まで来たものだと思った。東京在住のある女性同級生が「Kさん(私の名前)は悪い所ないの?」と聞いてきた。「悪い所だらけですよ。睡眠時無呼吸症候群で呼吸が2分近く止まってしまうことがあるのですよ。過活動膀胱でおもらししたり夜何回もトイレに起きたりするのですよ。それに最近は背中が曲がってきたと言われているのですよ」と答えたら、「運動している?運動しないからそんなことになるのですよ。私は殆ど毎日筋トレジムに通い、30分は歩いていますよ。歩いてますか?」と聞かれた。それに対して私は「毎日が忙しくて中々できないです」と答えたら「時間は自分で作るもの。聞くところによるとピアノをしているとのこと。ピアノがなんの役に立つの?止めちゃいなさい。健康になるための運動をしなくちゃだめじゃないの」「お金を残しても死んでしまえば終わりなので私は健康ジムや旅行、温泉などに金を使って楽しんでいます。家に閉じこもっていないで外に出て色々な人と話をしています」とのことで「今日の話は大変参考になりました」と言ったら「参考にしてもらっても何の役にもたたないのよ。実際にしなくては!!」と言われた。確かにその人は元気はつらつとしており、老化が進んだ他の同級生達より輝いていた。本気になって運動しなくてはいけないかなと思った。他の同級生は私が神戸の学会に行ってきたことを知っていて内容が難しかったのだってねと私のブログを読んで知っており、驚くと同時に読んでくれているのだと思い嬉しかった。他の同級生は山梨のNEC工場に勤めていたが、いまはそれはつぶれてしまって市役所の一部になっており、当時はNECの工場は各県に一つ以上あったのが今では全国で3つくらいしか残っていないと話してくれて栄枯盛衰の悲しさを感じた。昔のNECの繁栄はそのまま中国に移ってしまったとのことである。色々なことを教えてもらい楽しかったし、意外にも皆さん歌が結構上手で驚いてしまった。3年後にまた開催するという。万事繰り合わせて参加しようと思う。
2018.11.08
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先週末神戸で開催された学会参加のあと兵庫県たつの市野田に住む友人M君宅を訪ねてきた。神戸とは対極の大変辺ぴなところであった。彼とは60年前静岡大学の入学試験の時同じ寮に宿泊したのが縁である。その時私は合格したが彼は不合格で翌年信州大学工学部に合格して信州大学に入ったので会ったのは受験の時だけだがどこか気が合って60年来の友情が続いている。後に私は静岡大学を中退して東京の晴海港で沖中仕として働くことになるが、沖中仕は今は港湾労務者と呼ばれるが港の土方で一般社会からは低く見られており、ホワイトカラーの人達は眩しい存在だった。沖中士から見ると大学生などはエリートでとても近寄れない存在だった。それなのにM君は遥々晴海港まで来てくれて高台から船底で働く私に手を振ってくれて感激した。その後私は医学部に合格して医師になり、彼はエンジニアとなって道はそれぞれ異なったが手紙などで交流を続けていた。最後に会ったのは20年位前に彼が東京出張の途中に甲府まで足をのばしてくれて会って以来なので20年ぶりの再会だった。彼は建築110年くらいの古い家が倒れかけていたので潰すつもりだったがそれには300万円位かかるとのことで金もないので潰すのを止めて自分で傾いたのを少しずつ引っ張ってまっすぐにして腐った柱は継ぎ足しをして見事に住める家に改築し台所は土間の上に自分で建てて暮らせるようにした。今はその家を奥さんが近所のお年寄りに集まってもらってコーヒーなどを出して学習しあうサロンとして活用しているとのことである。彼は私のことを和尚と呼んでおり、和尚背中が曲がっているぞ。窓ガラスに映る自分の姿をみて修正しろと忠告してくれた。背中や腰が曲がるのは年齢的に仕方ないことだと思っていたが60年来の友人の忠告なので今後姿勢を正すことを心掛けて行こうと思う。
2018.11.07
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ラジオの「話題のアンテナ日本全国8時です」の月曜日の担当は医学ジャーナリストの松井宏夫さんで今日はインフルエンザを取り上げていた。インフルエンザにかかってた場合、薬を飲まなくても大体4日で快方に向かうが、タミフルを飲むと3日で快方に向かい1日短縮される。しかし朝夕2回で5日間も薬を飲まなくてはならない。しかし今度塩野義製薬から出されたゾフルーザという薬は1回飲むだけで1日で治ってしまうという夢の薬である。副作用もタミフルより少ないとなっているが、新しい薬なので今まで知られていなかった副作用もあるかも知れないので注意していく必要があるとのことだった。それにしても5日間飲んでもそれほどの効果が実感できなかったタミフルに対し、一回飲むだけで抜群の効果を示すとのことで今後はこの薬が治療薬の中心になっていくと思われる。医学の進歩は大したものだと思った。それに続いて予防注射を受けるに適切な時期についての解説があり効果が発現するまでに2週間位かかり効果持続期間は4~5か月なので11月上旬の今の時期が一番良いという話をしてくれた。
2018.11.05
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写真は学会が行われた神戸国際展示場(コンベンションホール)の入り口の様子と神戸といえばまず異人館と言われていたので学会が終わった後行ってきた異人館の内の風見鶏と言われるドイツ人が建てた館である。まず学会について言うと遺伝子など難しい内容が多く、スライドは殆ど英語だった。毎日夢中で患者さんを診ている開業医や小さな病院勤務の医者には高度すぎてすごいギャップを感じた。私について言えば忙しすごて中々休みが取れず学会参加もままならず久しぶりに学会に参加したのでこのように感じた面もあると思うが、日々の診療内容と学会発表内容が最近はどんどんかけ離れてきていることも確かだと思う。だからと言ってそういう専門的なことは知らなくていいということにはならない。自分が遅れているなと痛切に感じた今回の学会参加、すごい刺激を受けたのでこれからは何とか時間を工面して学会に参加するようにして最高水準の知識や技術を少しでも理解できるようになろうと思った。神戸は港町で美しい港とフラワー通りを始め綺麗な道や街並みが並んでいて、タクシー運転手や食堂の係員など皆さん大変親切で素晴らしい所だなという印象をもった。ガイド紙には色々な名所が載っていたが時間がなかったのでドイツ人が建てた風見鶏館とイギリス人が建てた萌黄の館を見学してきた。其の2館の比較ではドイツ人の方が豪華で重厚で素晴らしいと思った。アメリカ人館も明治中期の平均的日本人の家に比べれば比べ物にならないくらい豪華なものだった。そこはかなりの高台で、そのほかの異人の建物がいくつも並んでいたので、時間があったらもっと観ればよかったなと思った。
2018.11.05
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