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選挙戦のつばぜり合いが始まった、あい変らず盛り上がりそうに無い。選挙は、国民主権を表明する最大の手段のはずだが、与野党対決の構図にならないよう争点を“ぼかした”?“はずした”?奇妙な選挙戦の様相である。 ところで、与党が与党たる所以は??、はたまた、野党が存在意義を語る心は??……当然のことながら主権者たる「国民の選択した国政のあり方」と与党が主張することになるが。はたして本当に当然視して間違い無いだろうか。 一票の価値が軽いと嘆くことの無いよう、過去を問い、現状をかんがみ、さらに、将来の希望を託するに足る政党か、候補者か、解散前の与党の政策の大部分が争点から外されていることの不自然さも問いたいものである。 国民審査も同時に行われるが、憲法判断回避の目立つ昨今の裁判例に忸怩たる思いを抱く人士も多いのではないだろうか。三権分立の確立を内部から危うくしている判事の存在は無いか、日頃無関心に過ぎるきらいがあるので、この際勉強したい。 判事の業績評価は簡単ではないが、国民審査のたたき台となる資料が乏しすぎる。政党や弁護士会の意見表明は参考に出来ないのだろうか研究の余地ありと思う。
2005.08.28
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大文字五山送り火(京都)、(奈良大文字送り火は8月15日に行われた)。祖先の霊を迎え、そして送るお盆が終わり、いまや、核家族時代にも遠く離れて暮らす親子、親戚の絆も結び直される伝統的民族祭事として、単に宗教的側面に止まらない風習として大切な行事の一つである。 信仰する宗教によって、お盆の行事の無いのもあるが、信教の自由が保障されたいまもお盆休み制度を採っている企業は多い。いろいろな宗教、民俗行事、祭事が混交して存在する日本の姿は、平和をもたらしているものは何かを示唆していると思う。 お盆に、核家族社会の現代、憲法の持つ意味や意義について、また、信仰について思いを新たにした。
2005.08.16
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8月15日、絶望的な状態での無条件降伏から60年、1億火の玉本土決戦と狂気の沙汰を唱える軍首脳は、勝利の望みがない状態でなお降伏を反対する。前線部隊に武器弾薬無く、司令部だけが徹底抗戦論を展開。 いたずらに、被害拡大の事態を招いた。責任はもとより軍指導部であるが、政府よりも軍部に強大な権力を持たせた、旧帝国憲法の不備にあったと指摘されている。 国民300万人の死が遺したものは何か、瞑して心すべし。先祖供養の時季である。―合掌・・・
2005.08.15
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国政の停滞は、いまや歴然たる事実として露呈しているが、選良たる議員のモラルや識見に依存している間接民主主義制度上、国民の与望は選挙によってのみ表明される。 豊かなものはより豊かに、弱者はよりイジメられ、自己責任論とは弱者にのみ向けられ、原因者には問わない論法は糾弾せねばならない。国民に目標を見失わせた責任は取ってもらうのがスジと言うものである。 さて、各党派の選挙態勢を眺めてみると、自民党は「党内に敵あり、野党にあらず」、とばかりの余裕?の戦略、「郵政民営化」論を前面にすでにマスコミ対策の布石は終えた感さえする。 もう一方の与党公明党は、達観している??のか読みきっているのか、選挙に臨む体制はいつも執っている?普段どうりとの印象が強い。 対する野党は、ネクストキャビネット体制をとっている民主党をみると、印象は与党内野党??と言うのは失礼だが、パンチに欠けるというのは過言だろうか、とても必勝体制を布いているとは思えない。勝ちに行くとは国民に熱情を伝えるエネルギーが必要である。すなわち野党としての闘志を感じられないのである。呑気な父さんと見られないよう“ねじり鉢巻”体制を望みたい。 正統野党?は妥当ではないかも知れないが、共産党の場合は、弱者の視点と平和憲法をまもるを前面に、選挙体制は着々?と整えつつあるように見える。いつもながらの理路整然とした論調は小気味よささえ覚えるが、結果に結びつかないきらいがある、選挙戦を盛り上げ躍進を期待したい。 女性党首の社会民主党、戦争を無くそう、平和を訴え一途に憲法擁護を叫んできた、戦後50年の政治史に赫々たる実績をみるが、最近の凋落が寂しいと思うのは単なる郷愁?政治に理念を訴えつづける姿勢には共感を覚えるが、も少し華やかさがあってもと思うが…存在感を増して欲しい。 自民党の党内抗争に気をとられず、国民に希望と勇気を与える政治の担い手としての真の選良の府、衆議院選挙である。政治改革の好機であり、投票率を上げる方法は野党の選挙態勢にかかっている。はたまた、選挙民の一人として心して1票を投じたい。
2005.08.14
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原爆“Memorial Day”<ナガサキ>8月9日。平和祈念式典がきょう執り行われた。戦争のもたらす悲惨さ、中でも原爆の脅威は現地を訪れた人は肌身に感じられる。被爆国の悲鳴は核保有国の為政者には届いていない。いたずらに核兵器管理機構強化にすりかえられている。平和の持つ意義は疑問の余地は無い、だが実現の手法は多様であるが故に未だに明確な道筋は示せないでいる。多くの為政者の努力も犠牲者の念いも厚い壁に妨げられている現状は、少数の邪悪な考えを持ったものに政治が毒されてきたことが大きい。そのことを許容、迎合してきた国民世論がまず目覚めなければならない。平和を訴え60年<ナガサキ>8月9日、いまも原爆症に苦しむ被爆者の皆様にお見舞い申し上げ、また、犠牲者の冥福を心よりお祈りし、哀悼の誠を捧げます。
2005.08.09
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国民不在政治にうんざりしていたが、ようやく自らの手法が招いた八方塞に最後の手段にでた。果たして、転換点をひも解く能力を備えていると自負しているのか、はたまた、出たとこ勝負と自暴自棄になったすえの“なる様になるだろう”式の一流の自己責任論を打ち出したのか。最期の付けは国民へ、それも弱者により重く負担させる手法は、願い下げにしたい。外務省不祥事をうやむやに葬り、イラク参戦は国会の憲法論議を封殺?しての派遣強行も、アメリカの犬と揶揄されたうえ、平和主義放棄と見なされたのか首脳外交に乗り出しても袋小路にはいった状態である。あげく、いまやテロの標的の恐れまでついてきている。年金改革は難解なまま結局のところは先送り、弱者に財源を求めるお粗末さ。国民不在の政治手法、為政者の無為無策を糊塗する自己責任論すり替えは不快以外の何者でもない。総辞職の声は正論だろうが、国会の論戦の低調さは内閣の責任ではない、解散、出直しが順当なところと思う。
2005.08.08
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昨晩は雷雨で愛犬の悲鳴もあり騒がしいひと時だった。今朝は、おかげで爽快で“クール”の一語に尽きる上天気。最も午後は炎暑の予想でまだまだ暑さ真っ盛りである。今年は、雨が少ない地方が多いので、昨晩のような雨は大歓迎である。節水の呼びかけは解除にならないまま続いている、雷神の適度の活躍を請いたい。
2005.08.07
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1945年8月6日8時15分、一大閃光と共に十数万の人命と動植物の生命を奪ったおぞましい殺戮の“Memorial Day”である。多くの声も無く一瞬のうちに絶命した人、「水、水、水をください」と苦しい息の下必死の嘆願のうちに息絶えた数多の人、人、人…60年の月日は記憶のかなたとはならない。尊い犠牲者と遺族の哀しみの思いを無にしてはならない。無念の声を胸に抱いて再び汚辱の歴史を呪うような事をおこさないよう、日本が先導者として世界平和実現に邁進しなければならない。“平和”は戦没者300万人のすべての声なき声に応えることであり、そのことが何よりの慰霊につながることと思う。日本が名誉ある地位を得るうえで最も力を注ぐべき筋道であろう。
2005.08.06
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昼寝から目覚めた、遠くで電話が鳴っている、寝起きの水分補給をと急須の取っ手を持ったが手近な所の電話のような気がして、半信半疑で受話器を取った。まさに、我が家への電話であった。しかも、相手の声が割れていて聴き取り難い、反対側の耳に持ち替えるといつも通りの音声で聞き取れた。耳の上部側頭を押すと軽い痛みがある、改めてもとの手に受話器を持ち替えると相手の声が割れて聞き取れない、初めての異常体験に内心うろたえた。電話を切って約30分余りで収まったが、あまりの暑さで軽い熱中症だったように思う。パソコンの調子も挙動不審?である。暑さ対策、“要注意”…盛夏…
2005.08.05
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