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今日はカメラの日です。1977(昭和52)年、小西六写真工業(現在のコニカ)が世界初の自動焦点(オートフォーカス)カメラ「コニカC35AF(ジャスピンコニカ)」を発売した日なんだそうです。このジャスピンコニカって使ったことがありますが、実に画期的なのに感動しました。メーカーの小西六のえらいところは、世界初のオートフォーカスを一部のマニアのための一眼レフカメラではなく、普通の人が普段使いで使うコンパクトカメラに決めたことです。これによって多くの人がジャスピンコニカを手にし、便利さに感心し、多いに普及していったのです。普通オートフォーカスのカメラを作ろうとすると、レンズをモーターで駆動することを考えるのですが、このジャスピンコニカは、コンパクトカメラであるがゆえ、価格と大きさを押さえなければなりませんでした。そのために、このカメラはレンズをモーターでなくバネで動かしているのです。巻き上げレバーを巻くと、同時にバネが押し縮められ、レンズを駆動する準備ができます。シャッターを切ると、距離計で計った所定の位置までバネがレンズを動かすという仕組みになっていたのです。よく考えられた工夫です。 私は、昔のコンパクトカメラっていいなと思います。ボディーは金属製で、今のプラスチックの塊のカメラより高級感がありました。また、フィルムを送るレバーの感触も好きですし、メカニカルな音も素敵です。写真をとる性能は今のカメラの方が良いのでしょうが、趣味のものは必ずしも性能だけでは語れないと思います。古いライカなどを愛用する人もきっと同じなんだと思います。最近はカメラ屋さんに行っても、デジタルカメラしか売っていなくて、中古のカメラもフィルムカメラはほとんどなくなってしまって、中古の古いカメラで掘り出し物がないか探す楽しみがなくなりました。ちょっと寂しいです。
2005年11月30日
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今日は1129でいい服の日です。日本人の民族衣装は和服ですね。ほとんど着る機会のない和服ですが、当然、洋服のない時代はだれでも和物を着ていました。和の着物はいつごろから着られるようになったのでしょうか。縄文時代は服らしい服はなく、植物の繊維や毛皮などを使って、大きな布状にした物の真ん中に穴を明けて、そこから頭を出す貫頭衣だったと言われています。古墳時代になると、衣袴(きぬはかま)や衣裳(きぬも)という服を着るようになりました。衣袴はだれでも見た事があると思います。映画や教科書の挿絵で、ヤマトタケルとかが着ている服です。飛鳥・奈良時代になると服はさらに進化し、朝服というものになります。これはどちらかといえば中国の服みたいなものでした。そもそも着物のことを呉服と言うのも、今の中国に当たる呉から来た服の意味らしいです。当時の先進国であった中国の影響を強く受けているのは当然です。日本の服が中国の影響から開放されるのは、平安初期に、遣唐使が廃止されるのを待たなければなりません。平安の時代に入ると十二単衣や束帯という、だれでも良く知っている、いかにも日本という服になってきますが、これでも現在の和服のルーツには遠いようです。今の和服に近い形になったのは、江戸時代の小袖という服からのようです。鎌倉時代以降の武家社会で、合理的で動きやすい服がもとめられたことから、十二単衣などがどんどん簡略化され、小袖の形、ひいては現代の和服に近づいていったそうです。 本格的な和服は儀礼・儀式など着る以外はあまり着ないですが、浴衣や作務衣など簡便なものは、中国から逆輸入されていたりして、お店でもよく見かけるようになってきました。こちらなら気楽に着れますから、たまには和の気分を楽しむのもいいですね。
2005年11月29日
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今日は太平洋記念日です。太平洋の名前はポルトガル人でスペインの航海者フェルディナンド・マゼランが名づけました。マゼランは1519年、自分の持論であった西回りのルートで香料諸島へ到達する航路を航海するチャンスに恵まれ、スペインを出発します。1520年、南米大陸の南端の海峡を抜けて広大な海に出ることに成功しました。この時に抜けた海峡が後にマゼラン海峡と呼ばれる海峡です。太平洋の名前は、たまたまマゼランが航海したときに天候が良く平和な日々が続いたため、この名前となりました。 マゼランはその後、フィリピンに到達したのですが、ここで原住民に殺されてしまいます。船長を失ったあとも、彼の船とクルーは航海を続け、途中、香料諸島で大量の香辛料を積み込み、地球を1周してスペインに帰国し、地球が丸いことを証明しました。5隻で出発したマゼランの船団でしたが、最終的に帰国できたのは、1隻だけでした。277人いた乗組員は、わずか18人になっていました。歴史上最も困難な航海と言われています。マゼランは死んでしまいましたが、コロンブスも為しえなかった西回りで世界を1周するという偉業により歴史に名前を残すことになりました。 なぜポルトガル人であるマゼランが、スペインの船に乗っていたかというと、ポルトガルで多くの功績を残したマゼランをポルトガル王が軽く扱い、業績も評価しなかったため、ポルトガルに愛想をつかし、ライバル国であるスペインへ、西回りルートの可能性を手土産に、とりたててもらったのです。 マゼランは祖国を捨て、背水の陣で臨んだ航海を、自らは死亡しながらも成功させました。強い意志と勇気とそしてちょっとの意地に対して敬意を表したいと思います。
2005年11月28日
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今日はノーベル賞制定記念日です。ノーベル賞は、ダイナマイトの発明者アルフレッド・ノーベルの遺言により、制定されたものです。ノーベルは、ダイナマイトによって巨万の富を得たのですが、晩年、ダイナマイトが戦争に使われ、多くの人々を傷つけていることに心を痛め、自分の遺産を、優れた発明や社会貢献をした人に賞を与えるよう遺言したのです。ノーベル賞と一般に呼ばれていますが、正式には、「アルフレッド・ノーベルを記念した経済学におけるスウェーデン銀行賞」と言います。「物理学」、「化学」、「生理・医学」、「文学」、「平和」、「経済学」の6部門があります。「数学賞」がないのは、ノーベルがある数学者と仲が悪かったからだという説があります。 経済学以外の分野では、日本人も過去12人受賞しています。受賞するとメダルと賞金がもらえます。ちなみに賞金は約2億円らしいです。賞金はノーベルの遺産の利息を分配して与えられるので、6部門×2億円ということですから、1年間で12億円の利息が付くことになり、いかにノーベルの遺産が巨額であるかが解ります。 日本人で最近の受賞者は、物理学賞に小柴昌俊東京大学名誉教授、化学賞に田中耕一島津製作所分析計測事業部ライフサイエンス研究所主任です。科学者ではなく、企業の研究者が受賞するのは珍しいですね。自分の中では、ノーベル賞を受賞した日本人といえば、湯川秀樹博士、江崎玲於奈博士のイメージが強いです。特筆すべきは、平和賞を受賞した佐藤栄作でしょうか。ノーベル平和賞を日本人が受賞するというのはすばらしいことです。物理学賞や、化学賞も良いのですが、平和賞が一番、世界の中で日本が尊敬される事につながると思いますので。
2005年11月27日
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今日はペンの日です。最近は、パソコンで文書作成をする事が多いし、手紙もメールで済ませてしまうので、ペンで文字を書く機会がめっきり減りました。ふと気が付くと漢字がまったく書けなくなっていてびっくりしたり、やたら字がへたになっていてがっかりしたり。パソコンが普及する前は、毎日1000文字くらいは手書きの文字を書いていました。私は、ボールペンの書き味が好きでなかったので、万年筆を愛用していました。かすかなインクの臭いが仕事してるなあという気分になりました。私が使っていたのは、パイロットの安いものでしたが、モンブランなどの高級万年筆に憧れていて、いつかは手に入れたいと思っていました。今は、ボールペンも書き味の良い極細タイプやゲルインクタイプのものがあるので、わざわざ万年筆を使うこともないのですが、良い道具というものは持つ喜びがあります。高級な万年筆を買って、意識的に文字を書くようにするといいかも知れませんね。最後に、シャープペンシルは、家電メーカーのシャープが発明したものなんですよ。だれでも知っているかもしれませんが。
2005年11月26日
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今日は、小説家の三島由紀夫の命日です。憂国忌と呼ばれるそうです。壮絶な三島の死をご存知の方は多いと思います。時として天才と称され、ノーベル文学賞の受賞さえ期待される、小説家として順風万帆だったはずの彼が、いったいどうして、あんな壮絶な事件を起こさなければならなかったのか。私には到底理解できません。また、知りたくありません。あえて調べたりする事はしないできました。それは、私が三島の作品をいくつか読んで大変気に入っているからです。三島の作品は、一種病的な危うさを感じさせるものが多いように思うのですが、反面、すかっとさわやかな青春ドラマを描くことも有ります。私が好きなのはこちらのタイプの小説で、一番典型的なのは、「潮騒」でしょう。これは、山口百恵さん主演で映画化されていますから、多くの人が、あの牧歌的でロマンチックな世界を垣間見られていると思います。あのような世界を描く人が、あの事件を起こした事実を、私は受け入れられません。作品を楽しむだけなら、無理に現実と向き合わなくても良いですよね。 私のお勧めは「潮騒」と「夏子の冒険」です。特に「潮騒」は映画は見たけど小説は読んでないって人はぜひ一度読んで見てください。この2作を読むと三島ワールドにはまるかも知れませんよ。
2005年11月25日
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今日は、1124でイイフシ、鰹節の日です。カツオは日本人にとって古くから利用されてきた魚で、縄文時代の遺跡からも骨が出土するそうです。「古事記」にも「堅魚」、「煮堅魚」、「煮堅魚煎汁」などの表記がみられます。「堅魚」というのはカツオを天日干ししたもの、「煮堅魚」は一度煮てから天日干ししたもの、「煮堅魚煎汁」は「煮堅魚」を作るときにできた煮汁を煮詰めた調味料と言われています。大和朝廷は、カツオの産地に、税金としてこれらの産物を収めさせたという記録が残っています。鰹節は、大和朝廷以前のいにしえの時代には、単純に天日干ししたものだったのですが、現代の鰹節はそんな単純なものではありません。鰹節は以外と思われるかもしれませんが、燻製であると同時に発酵食品でもあります。その製造工程は気が遠くなるほど手間がかかり、書くのも大変なのではしょらせていただきますが、簡単にいえば、切って、煮て、骨を抜き、燻製にかけ、形を整え、カビ付けとカビ落としを4回以上繰り返す、というもので、大体半年くらいかかります。カビ付けのカビは、もちろんどんなカビでも良いわけではなく、えりすぐられた特別のカビを使います。このカビの力によって魚肉のタンパク質がアミノ酸に分解され、旨みが生まれるのです。また、特定のカビを繁殖させることによって、他の雑菌や、カビの繁殖を防ぐ意味もあります。これだけの知恵と手間をかけるからこそ、日本料理の出しは、調理場ではほんの数分で取れてしまうわけで、1日以上かけてとる西洋料理の出し、フォンと同等以上と思われる旨みが、こんな短時間の調理で引き出せることは驚異的です。 単なる天日干しから燻煙にかけることを始めたのは、1674年(延宝2年)紀州熊野浦の漁師甚太郎という人だと言われています。想像ですが、甚太郎さんは気が短かったのでしょう、早く乾燥させようとして、干したカツオの下で焚き火をしてすこしでも早く乾燥させようとしたというところでしょうか。また、カビ付けは、土佐藩で、燻製カツオに悪性のカビが生えるのを防ぐために、試行錯誤の結果、生み出されたらしいです。このように、多くの日本人の知恵と労力によって、今、私たちは美味しいカツオだしが楽しめるのです。 鰹節は鎌倉時代に、勝つ、男、武士、につながり縁起が良いものとされ、現代でも縁起ものとされるのは、この名残と思われます。今では、なかなか、塊の鰹節を大工道具のカンナのような鰹節かきでシュコシュコと音をたててかくことは一般家庭では見られなくなりましたが、余裕のある方は、年に一度、お正月料理くらいにはかきたての鰹節を楽しんでみてはいかがですか。
2005年11月24日
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今日は勤労感謝の日ですが、勤労感謝の日は戦後にできたもので、戦前は11月23日は、新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)でした。新嘗祭とは、天皇がその年に収穫された米を神様に捧げ、収穫を感謝し、自らも食す神事でした。新嘗祭の歴史は古く、「日本書紀」には飛鳥時代の皇極天皇元年(642年)に新嘗祭の記述があります。収穫を祝うことは、かって農業国家であった日本においては勤労を祝うことにつながり、戦後に勤労感謝の日に変わったのも納得です。今では神社で行われ、神事である新嘗祭の儀式も、昔は一般の農村でも、作物を神様に捧げて感謝する行事を行った事が、「風土記」や「万葉集」に残されています。昔は、新嘗祭が終わってからでないと新米もたべなかったらしいです。採れたらさっさと食べてしまう今と違って昔の人はやはり信心深かったものですね。
2005年11月23日
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今日は大工さんの日です。日本人の住居を伝統的技能によって永い間支えてきた大工さんですが、最近は木造でも2by4とか、そうでなければ、へーベルハウスなどのハウスメーカーの半規格住宅になってきていて、在来工法による住宅が少なくなっていますから、生粋の大工さんはずいぶん少なくなってしまいました。大工さんは図面もそんなに精密なものを作るわけではないし、ある規模以下の木造住宅は今、マンションなどで書類偽造で大きな問題となっている構造計算も免除されています。しかし、逆に計算しないで、きちんとした強度の住宅をつくるのは、大工さんの棟梁の経験とカンが物を言う、伝統の職人の技の世界です。子供のころなどは大工さんの仕事はまるで魔法のように見えました。カンナから吐き出される紙の様に薄く長い木の帯、ノミを金槌がたたけば、見る間に木材に穴がうがたれ、たちまち立体的に家の骨組みの形になっていく。あきずによく眺めていました。 大工さんの技は多種多様ですが、私が興味を持っているのは「継手」という物です。木材、特に柱や梁を1本物の材でできないときに、複数の材をつなぐ技術です。木材のつなぎ目に複雑な切り込みを入れ、パズルのようにはめ込んで、釘を使わなくても、がっしり、あたかも最初から1本物であったかのようにつなぐことができます。種類はかなりたくさん有り、中には難易度が非常に高いものもあって、大工さんの力量が表れるようです。 古民家などでも大切に手入れをしながら、100年以上も使われているものもありますが、宮大工と呼ばれる特別な大工さんが作った、法隆寺などのお寺は、1000年以上もその姿をとどめています。五重の塔が地震で倒れないのも、揺れをしなやかに受け流す構造が工夫されているのだとか。 時代はどんどん変わっていますから、住宅の作りも材質も変わっていくのはしかたないですが、伝統的な大工さんの技もなくならないでほしいなあと思います。
2005年11月22日
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今日はインターネット記念日です。1969(昭和44)年の今日、カルフォルニア大学ロサンゼルス校・スタンフォード研究所・カルフォルニア大学サンタバーバラ校・ユタ大学の4か所を結んでインターネットの元型であるARPAネットの公開実験を開始しました。あっというまに世界中に広まったような気がしますが、やはり実用化まではそれなりに時間が必要だったのですね。日本では一部のマニアがニフティなどでパソコン通信をやっていましたが、平成5年ころでしたでしょうか、インターネットのプロバイダーがサービスを開始すると、あっという間に普及が進みました。最初はだれでもアナログ電話回線でダイヤルアップ接続という、今から考えると笑っちゃうくらい遅い通信速度でインターネットをやっていました。ノートパソコンにもアナログモデムが標準で内蔵されていました。なんだか、懐かしいですね。 世界中のインターネットの管理をアメリカが一手に握っている問題で、世界各国の首脳は容認することに決定したようです。もともとアメリカが始めた事ですから、ある程度仕方ないとは思いますが、アメリカに丸投げするのではなく、国際的な相互チェック体制も作ってほしいと思います。インターネット犯罪はとても恐ろしいですから。 犯罪とは違いますが、最近、趣味の関係でアメリカのサイト(エロサイトじゃありませんよ)を覗くことがあったのですが、ボタンをクリックするといきなり何かのプログラムのインストール画面が勝手に開き、英語なので良くわからないのですが、なにやら次のページを見るにはこのプログラムが必要ですと書いてあるようだったのでつい、インストールしてしまいました。すると、ブラウザーのツールバーに勝手にそこのサイト専用のボタンがいくつか作られてしまいました。そこでアンインストールしようとすると、なんと、コントロールパネルの「プログラムの追加と削除」のリストにそのプログラム表示されないのです。しかたなく半日かけて以前とってあったバックアップでCドライブを復元しました。よく解りもしないのにインストールした自分が悪いのですが、アンインストールできないのはひどいですよね。アメリカのサイトはこういうのが多いらしいです。みなさんはお気をつけ下さい。
2005年11月21日
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今日はピザの日です。ピザの基本と言えるピッツァ・マルゲリータ誕生に関係した、ウンベルト1世の妻・マルゲリータの誕生日なのだそうです。 私はピザは大好きなのですが、宅配のものは生地の分厚いアメリカンタイプが多いようで、いま一つ。私の好きなのは、薄い生地がさっくりと焼けたイタリアンタイプなのです。私が良く行くピザ屋さんでは、オープンスタイルのキッチンで注文を受けてから焼き上げて、焼きたてを出してくれるのでお気に入りです。本物のモッツァレラチーズは、焼き上げてからせいぜい10分が食べごろで、それを過ぎてしまうと独特の伸びも、とろける味わいも失われてしまうのです。アツアツのまま急いで、はふはふ食べます。 ピザは、意外と簡単に自分で生地を焼く事もできます。最近は材料をセットにした商品もあるようなので、だれだも手軽に楽しめると思います。形は、なかなかきれいに丸くはならないですが、生地もソースもトッピングも全て手作りのピザは味わいひとしおです。ピザの生地に使う小麦粉はTypo.0(0番粉)というタンパク質の多い小麦粉を使います。これがサクッとした食感を生み出します。途中、発酵させたりの手間もかかりますが、パン生地の様な厳密な温度や時間の管理は必要ないので大丈夫です。焼く時は、家庭用の電子レンジで加熱できる石釜などもありますが、普通に250℃のオーブンで充分です。あらかじめ、電子レンジで加熱してからオーブンに入れてよりサックリ焼き上げるというワザもあるようです。ソースは、本格的なお店でもシンプルにトマトと塩だけで作る場合が多いので、ホールトマト缶を煮詰めて塩コショウでOK。トッピングはお好みで。シンプルな方がお勧めです。ちゃんとしたレシピを書ければいいのですが、しばらくやってないので忘れてしまっていて、レシピファイルから発掘しないと出てこないので、作ってみたい方は、ネット検索してみてください。 最後に、日本ではピザにタバスコは付き物のように思われていますが、イタリアではそういう習慣はなく、「日本人って変なの」って言われてしまうそうです。でも、私は断固としてタバスコ使いますが。
2005年11月20日
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鳥インフルエンザが中国で蔓延し大問題になっています。日本でも1年前くらいに問題になったことがありました。鳥インフルエンザが怖いのは、インフルエンザウイルスの性質にあります。鳥インフルエンザはやたらに人間に感染するものではないのですが、一度人間に感染してしまうとインフルエンザウイルスの頻繁に遺伝子変異を起こす性質のため、一期に人間社会で大流行してしまう恐れがあるのです。たちが悪い事に、人間に感染するインフルエンザウイルスは毎年遺伝子変異を起こして、去年使ったワクチンは今年は使えないことが多いのです。ワクチンは科学合成で作れる薬と違って、作るのに時間がかかるため、大流行してしまうとワクチンの供給が追いつかなくなってしまいます。ワクチンというのは、簡単にいうと、人間以外の哺乳類に毒性を弱く改良したウイルスなどを感染させ、抗原抗体反応を起こさせた血液を材料にしてつくるのです。いわば生体防衛科学兵器という感じでしょうか。このため短時間に大量生産するのは難しく、毎年、今年発生しそうなウイルスを予想して、ある程度あらかじめ準備したりしているのです。鳥インフルエンザウイルスが大量に遺伝子変異を起こし、人間に感染する能力を持つと手に負えなくなってしまいます。そもそもは、狭い空間で食用あるいは採卵用に鶏を大量に飼育することで発生する問題で、生き物を大量生産すること自体に難しさがあるような気がします。 病気の原因の代表格は細菌とウイルスがあります。最近は微細な単細胞生物で、その大きさは平均50分の1ミリくらいでしょうか。小さいながらも単細胞生物の持つ細胞核やミトコンドリアや鞭毛などを持っていて、多くの場合細胞分裂によって増殖します。感染すると、宿主の体液中や細胞内に入り込み増殖すると同時に毒素を出し、宿主を弱らせてさらに増殖しようとします。 一方ウイルスは、果たして本当に生物といえるのか微妙な存在です。ウイルスの基本構造は、核酸(DNA,RNAほぼ遺伝子と思ってもらっていいと思います。)をタンパク質の殻で包んだ構造で、細胞と言えるものを持っていません。大きさは細菌より遥かに小さく、たいていは電子顕微鏡でないと見る事ができません。。自己単体では、細胞分裂も生殖細胞による増殖も不可能で、増殖するときには、他の生き物の細胞に殻の中の核酸を注入し、この細胞の遺伝子に作用してウイルスの複製を大量に生産させるのです。生きているバイオテクノロジーとでも言ったらいいのでしょうか。ウイルスを大量生産したあとは、宿主の細胞は死んでしまいます。この凶悪な増殖形態から、コンピュターウイルスなどにも名前が使われるようになったのでしょうね。 インフルエンザに限らず、感染症の病気にかかった時には、自分のためにも職場のためにも仕事は休むべきと思うのですが、日本の余裕のない職場環境ではなかなかそうもいかないようです。こういうところこそ、法律で管理することが必要と思うのですが、なんとかならないものですかね。
2005年11月19日
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今日は土木の日です。土木といえばコンクリートです。鉄筋コンクリートなど言葉は皆さんご存知かと思います。でも、なにものなのかは建築・土木関係の人くらいしか知りませんよね。 コンクリートは石灰岩の粉末、粘土、、砂、砂利などを混合し、水で練った物です。水を加える事によって、石灰岩と粘土が硬化して全体が固まります。コンクリートの起源は古代ギリシャ、ローマの時代に遡ります。石組で作られた水道橋などの接着剤として使われました。もっとも、この頃のものは火山灰と石灰を混ぜた簡易セメントだったようです。日本でも最初はレンガ建築の接着剤として使われましたが、コンクリートを主体とした建築物が作られるようになるには、鉄筋コンクリートの技術の確立が必要でした。コンクリートは硬く丈夫なものの代名詞となるくらいですが、押しつぶす力には強いが、引っ張る力には決定的に弱いという欠点があったのです。この引っ張り力を受け持ってくれる第二の材料として鉄筋が使われます。鉄筋はコンクリートの塊の中に適切に配置することで、コンクリートの苦手とする引っ張りがかかったときに力を受け止めて全体の強度を向上させます。鉄とコンクリートの組み合わせが選ばれたのは、熱によって体積が変化する割合がほぼ等しく、年間の温度変化でも一体化が破壊されないことや、コンクリートのアルカリ性が鉄筋の錆びを防いでくれるということもありました。 昔はコンクリートは50年間硬化し続けると言われましたが、今ではいくつかの問題点があって、50年~100年使える建物を作るためには、それなりの工夫が必要であることが言われています。コンクリートは、ひびが入るという欠点があり、ひび割れないコンクリートを作る事ができたら、ノーベル賞ものと言われた事があるくらいです。多かれ少なかれ必ずひび割れるのでひびの出る場所をコントロールしたりして対策しています。コンクリート内部のアルカリ性が保たれなくなる中性化という問題もあります。これは表面の保護や、中に混ぜる砂の材質などで対策しているようです。 最近では、水に浮くコンクリートや、しなやかに曲がるコンクリートなど、日進月歩で新しいものが開発されています。私たちの生活を豊かにしてくれる土木であり、コンクリートですが、ちょっと危惧してしまうのは、不要になった巨大なダムや地中深く打ち込まれた建物の基礎杭などは、完全に撤去できるのか、できてもあれだけの量をどうやって処分するのかということです。物を作る時には、壊す時のことも考えるのはもはや常識であると思います。
2005年11月18日
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今日はボジョレーヌーボーの解禁日ですね。ワイン通に言わせれば、あれは神様へのお供え物で、飲むものではないと言われてしまう事もあるボジョレーヌーボーですが、軽やかな味わいで私はけっこう好きです。日本に輸入されているものはヌーボーの中でも高級なものが多いので大きなはずれがなく安心して買うことができます。 さて、ボジョレーヌーボーは普通のワインとは作り方がずいぶん違います。普通の赤ワインは酵母によるアルコール発酵のあと、リンゴ酸というブドウがもともと持っている酸を分解するため乳酸発酵させます。そうしないとリンゴ酸の強力な酸っぱさで飲めたものではありません。また、種に含まれるタンニンの渋みは熟成の過程で皮に含まれるアントシアニンに包みこまれてまろやかな味わいになるのです。最低でも1年は熟成が必要だと言われています。一方、ボジョレーヌーボーは仕込んでから1ヶ月で飲み頃になるワインです。ブドウはガメー種というブドウを使うことが法律で決められています。仕込む時には、炭酸ガスを仕込み容器の中に充填し、普通のワインでは加えられる酵母は加えません。酸素の少ない容器の中では、ブドウが元々持っている酵素の働きでリンゴ酸と糖分を分解し、アルコールを作り出す反応が勝手に始まるのです。酵母で発酵するのと違ってリンゴ酸が分解されるため、普通のワインのように酸っぱくなりにくいため、乳酸発酵の段階を省略することができるのです。また、種に含まれるタンニンの渋みはアルコールに溶けやすく、ヌーボーの酵素による発酵ではアルコール度数があまり高くならないことから、渋みも押さえられます。ヌーボーも種と皮を取り除いてから酵母で発酵させますので、出来上がりのアルコール度数は普通になります。解禁日にだれがヌーボーを一番に手に入れるか競ったのは貴族のお遊びが発端だったようですが、本来は収穫祭で神にささげられたものなので、日本風にいえば御神酒といったところでしょうか。日本人はこういう時節ものが大好きですよね。このワインはあまり細かいことを考えずガブガブの飲むのがいいですね。
2005年11月17日
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今日はいい色の日です。色って良く考えてみると不思議です。物理的には光の周波数の高い低いを色の違いとして認識しているわけですが、理屈では解っていても、自分の目が光の周波数に反応しているなんて思えません。三原色という言葉はだれでも聞いた事があると思いますが、絵の具などの三原色とテレビなどの画面の三原色とは違いがあります。絵の具などは含まれている顔料によって反射されている光を見ています。たとえば赤の絵の具であれば、顔料が赤以外の光を吸収し、赤の波長の光を反射するため赤く見えます。絵の具などの三原色はマゼンタ(赤紫)、シアン(緑かかった青)、黄でこれらを全部混ぜ合わせると黒あるいは黒に近い灰色になります。明るさが失われることから減法混色と呼ばれます。印刷業界などでは実際には三原色に黒を加えて四原色としている場合が多いようです。一方、テレビの画面やパソコンのモニターなどは、自ら光を発して色を表現しています。この場合の三原色はR(レッド、赤)、G(グリーン、緑)、B(ブルー、青)になります。この場合は三色を混合すると白になります。混ぜると明るくなるため加法混色と言います。カラーコーディネーターなど、色彩のプロの人たちは色に対して実に豊かな表現方法を持っています。たとえば、暖色、寒色など温度の概念や軽色、重色など重さの概念などを色の表現に用いたりします。 色という言葉は他に個性を表わす言葉にもなりますし、色気とか言う言葉もありますね。小野小町の有名な歌にこんなのがあります。 花の色は うつりにけりな いたずらに わが身よにふる ながめせしまに (約)花はもう盛りを過ぎ、色あせてしまった。ああこの長雨を眺めつくし、思いに屈している間に月日は過ぎ、色あせてしまった私のように小野小町といえど時の流れには抗えない切なさが伝わってきます。現代の女性は、容色が衰えてもさまざまな個性という「色」で社会に参加していくエネルギーを持っていますから小野小町より幸せかもしれませんね。
2005年11月16日
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今日は七五三ですね。幼いころ、わけも解らず、普段着た事のない窮屈な服を着せられて、神社に連れて行かれて、もう帰ろうよーとわがまま言って、千歳飴でなだめられ、写真館で写真を撮って帰ってきたのを思い出します。昔は子供が健康に育つことが今のように当たり前でなく、生後すぐに亡くなってしまうことが少なくなかったので、七五三のお祝いができるまで子供が成長したことはとてもおめでたい事でした。 七五三の起源はもともとは、村落という社会のなかの一員として認められる年齢に達したことを祝う儀式でした。昔の村落で生まれた子はすぐには村の一員としては認めらず、人名帳や氏子に登録するのは3歳から7歳の間に行われ、やっと村の子ども組の一員となることができたのです。その後世の中が武家社会になってくると3歳で「髪置き(かみおき)」、5歳で「袴着(はかまぎ)」、7歳で「帯解(おびとき)」というものが行われ始めました。「髪置き」はそれまで剃っていた髪の毛を長く伸ばして唐子まげを結う男女の儀式、「袴着」は5歳になった子がはじめて袴を履く儀式で平安時代には女児も行っていました。「帯解」は女の子の祝い。帯の代わりの付け紐を取り、初めて帯を結ぶ儀式です。これらをひとまとめにした行事が七五三といわれています。なぜ7と5と3かといえば、昔から中国では奇数は陽数と言われ縁起のいい数字とされていることから選ばれたようです。本来は数え年、つまり生まれた年を1歳と数えるやり方で3歳、5歳、7歳なわけですが、最近は満年齢でお祝いしている人も多いようですね。なぜ今日が七五三を祝う日になったかというと、11月15日は二十八宿という月の動きによって吉凶を決める占星術の一種によると、鬼宿日という、鬼が自宅から外出しない日(最上の吉日)にあたり祝い事に最適と言われているためこの日に子供の成長を祝う日になったということです。 七五三にはつき物の千歳飴は読んで字のごとく長寿を願う縁起もので、元々は江戸時代に浅草の飴売り七兵衛という人が「千年あめ」「長寿糖」と名づけて売り出したのが始まりだそうです。千歳飴はただ細長いだけの飴ではなく、内部に気泡を取り込むようにして作られており、口当たりを良くする工夫がされています。最近では、後継者不足で昔ながらの千歳飴がなくなってしまうと危惧されているようです。そういえば、富士屋のミルキーで代用してしまっていることも最近は多いような…。少子化の時代ですから、子供のお祝いは手抜きなしで行って、さらに後の世にも繋げていって欲しい物ですね。
2005年11月15日
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ここのところ、めっきり冷え込んできましたね。こう寒くなってくると鍋料理が恋しくなってきます。融通無碍な鍋料理、みなさんのお宅のスタンダード鍋はなんですか。すき焼きやおでんは王道ですが、湯豆腐をあてに熱燗を、なんていうのもこたえられませんね。ちょっと変わったものが食べたい時にはしゃぶしゃぶ鍋なんかもお勧めです。肉でも魚でも、さっとだし汁にくぐらせて半煮えくらいでいただくと絶妙な火の通し具合でジューシーにいただけます。安い材料でもリッチな気分が味わえます。食べる人が調理に参加できるのも鍋料理の良いところですね。また、一つの鍋を囲んで、楽しく食事ができる家庭は幸せな家庭です。最近は、ライフスタイルの変化などで家族が一同に介して食事をすることは昔に比べると少なくなっていますが、共に食事をすることは共に生きる事を意味します。食べる事は人間が生きとし生ける物であることをもっとも端的に表わす行為ですから、食卓を囲むことは大げさに言えば命を共有する事に等しいのではないでしょうか。 縄文式土器が発明された時に生まれたんじゃないかと思われるような鍋料理ですが、意外にも今の直箸でみんなでつっつくスタイルの鍋料理は江戸時代以降に生まれたようです。また、海外にもチーズフョンデュやチゲ鍋など鍋料理はあるのですが、日本のような直箸スタイルで供されることはないようです。日本でこれだけ鍋料理が浸透したのは、昔はどこの家にもあった囲炉裏のおかげだという説もあります。冬になると家族は自然に囲炉裏に集まり、鍋を囲んだことは容易に想像できますね。囲炉裏は、確かに鍋料理用の専用設備と思えるほど都合よくできています。 最近、年のせいか、古き良き時代の和モノが好きになって、ひなびた温泉旅館などにいってみたいのですが、昔ながらの和風の部屋で囲炉裏と鍋を囲んでくつろげるようなところ、ないですかねえ。けっこうニーズはあると思うのですが。
2005年11月14日
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今日は漆の日です。漆って、あまりなじみがない方が多いと思います。高級なお椀などに塗られている塗料ということくらいしか思い浮かばないでしょう。でも案外漆は古くから日本人の役に立ってきました。日本人が漆を利用し始めたのは、なんと縄文時代からだそうです。当時は当然ペンキなどあるはずもないので、唯一の塗料として、そして接着剤として漆を使ったのです。漆はとても丈夫な皮膜を作り、現代のウレタン樹脂やエポキシ樹脂塗料と比べても遜色がないくらいです。そして美しさでは到底工業的に作られた化学塗料の及ぶところではありません。私は若いころ、能登半島を旅して輪島に立ち寄ったときに、漆工芸品の美しさに感動しました。深く沈みこむ漆黒の背景に、鮮やかな色彩と金銀の花の装飾。蒔絵や沈金と呼ばれる技法です。せいぜいわずか1mmくらいの塗膜の厚さであるはずなのに、驚愕的な立体感を見せてくれるワザ。磁器が西洋ではチャイナと呼ばれるように、漆工芸品はジャパンと呼ばれています。日本の漆は世界で最も高品質です。残念なことに、国産の漆は、里山が失われていくことに伴って少なくなっていて、今はほとんど中国産の漆にとって代わられています。国産の漆は和漆と呼ばれ、高級な製品の最後の仕上げや、重要な装飾の際に使われる程度になってしまっています。漆は漆の木の樹液であり、主成分はウルシオールという樹脂とラッカーゼという酵素です。漆は一般の塗料のように乾燥によって塗膜を硬化させるのでなく、ラッカーゼの働きによって硬化するのです。ラッカーゼは特定の温湿度条件で漆の樹脂を硬化させる働きがあり、漆風呂と呼ばれる、今風に言えば塗装乾燥ブースのような部屋で硬化させます。漆工芸品は漆を縫った後も、研ぎや磨きなど多くの職人の手仕事により仕上げられます。漆かきと呼ばれる漆の樹液を採取する人、ナヤシやクロメと呼ばれる精製を行う人、漆器の原型を作る人、そして、漆を塗る人という具合に、多くの人々の手を経て漆工芸品は作られるのです。 漆の木は山で自生していますから、私の子供の頃は、うっかり触れてしまってかぶれるということもありました。人によってかぶれる人、平気なひとさまざまなのですが、一度かぶれると免疫ができるのか、平気になってしまう人もいます。この漆のかぶれのメカニズムは、研究している科学者はいないようで、今ひとつ良くわかっていないようです。 おそらく、漆工芸はせいぜい、人間国宝とか、無形文化財とかでしか生き残っていくのは難しいのでしょうね。縄文の時代から延々と続いてきた、ジャパンの名前すら冠された伝統工芸が、すたれてしまうのは寂しいことですね。
2005年11月13日
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先ほどテレビを見ていたら、とある番組のなかで、聞き捨てならない事を耳にしました。ある小学校で、人間の性(さが)や文化の本質の一端として、ある教師が、豚を子供から育て、最後にみんなでその豚を食べるというカリキュラムを考えました。ところが、親やPTAから残酷な行為であり、教育上よろしくないという批判が集中し、このカリキュラムを考えた教師は激しく叱責されたというものです。私は、このカリキュラムに対して共感を持ちました。人間は命あるものを殺し、食べる事でしか命を繋いで行く事ができません。野菜でさえ命ある生き物なのですから、菜食主義者も無罪ではありません。この現実をいかに真摯に受け止め、生命そのものである食材を、いかに大切に使うかということが、大切なのだと思います。それを、浅い動物愛護的考えを吹聴し、無垢な子供たちに、生き物の本質を無視した、上っ面の平和主義を語ることはいかがなものでしょうか。繰り返しになりますが、人間は動物であれ、植物であれ、命あるものを殺して食べる事でしか命を繋ぐ事はできません。せめて人間ができることは、尊い命をひとかけらも無駄にしないこと、最大限の感謝をすることなのではないでしょうか。現代人は、自分で家畜を育てる事も、育てた家畜をと殺し、食料に変えることも知らない人が多いです。昔は、豚や馬はともかく、ウサギや鶏などは農家では普通に飼われていて、当然それらはペットとしてでなく、食べるために飼っていたのですが、餌を与えたりの仕事は多くの場合、子供の仕事だったので、情が移ってしまって、つぶして食べる時には泣きわめいたものです。でもそういう、つらい、でも命の本質に触れていくことで、命の大切さや生きる事の重さを実感して成長していくことができたのではないでしょうか。いまの子供たちは命への思いは希薄ですし、自分食べている食べ物のほとんどが、自分以外の生き物の犠牲の上に成り立っていることなど全然わかっていないように思います。国の教育指針では、あまり哲学的だったり、宗教的だったりするカリキュラムは難しいのかもしれませんが、もはや、最低限の人間らしさすら、計画的な手法で潜在意識にすりこまなければならない世の中になってしまっているのかもしれません。
2005年11月12日
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今日、11月11日は、1のぞろ目のためか、いろいろな日になっていて、何について書こうか迷うほどです。例えば、 配線器具の日 (コンセントの差込口の形から) 電池の日 (+-+-から) サッカーの日 (11対11から) 下駄の日 (下駄の歯の形から) 煙突の日 (1111の形から)などなどたくさんあるのですが、今日は鮭の日ということで書いてみようかと思います。なぜ今日が鮭の日かというと、鮭という字の左側をみれば解りますね。 さて、鮭という魚は、身近でありながらかなり特殊な魚です。鮭は川を遡上して産卵することを考えれば解るように、もともとは川魚です。川で定住していたマスの類の魚が、進化の過程で海で回遊することを選択したものと言われています。食材としての鮭の特徴はあのサーモンピンクとも言われるオレンジ色っぽい身の色ですが、鮭は元々は白身魚なのだそうです。魚は多くの場合、定住型は白身、回遊型は赤身が普通で、筋肉のタンパク質の違いから、瞬発力に優れる白身と耐久力に優れる赤身という性質があります。海底でじっと獲物を待つヒラメなどは白身、一生泳ぎ続けていないと死んでしまうマグロなど回遊魚は赤身なわけです。鮭は元は川の淵などに定住していたわけですから本来白身なのが、海で回遊して、エビやオキアミを好んで食べるため、エビなどをゆでた時にわかる赤い色の色素を取り込んであの身の色になるそうです。 鮭は焼いても、鍋など煮物にしても、揚げても美味しいものですが、他の魚ではあまり見ない加工方法として、塩漬けがあります。特に丸ごと塩漬けする新巻鮭は見た目豪華なので、昔はお歳暮に良く使われました。年末になると、家々に鴨居から鮭が吊るされている様子は風物詩でもありました。それをお正月に料理して食べるのですが、私の母親は山育ちで新巻鮭の扱いがうまくなかったらしく、塩抜きがうまくできていなくて、焼いても煮ても塩辛かった記憶があります。おかげで私はスーパーで売られている甘塩鮭というものがどうも物足りません。でもやはりそういう人も少なからずいたようで、最近は、辛塩鮭というのも売っていますね。残念なことに鮭は普通、刺身で食べることはできません。寄生虫の危険性が他の魚より多いそうです。やはり、川で生まれるからでしょうか。どうしても生で食べたい時は、凍らせてルイベにすると寄生虫は死滅するようです。 鮭の身には、あの色の成分でもあるアスタキサンチンが多く含まれ、抗酸化作用で老化予防に効果があると言われています。この先もずっと絶滅させることなく、日本人が鮭を楽しめるといいなと思います。
2005年11月11日
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今日はトイレの日です。トイレは民族性や文化や歴史など、たくさん書く事はあるんですが、どうも下世話な話になってしまうのでやめておいて、水洗トイレの便器のことについてだけ少し。 我が家は古いマンションなので、機能的には大してめぼしいものがない普通の便器が付いていますが、最新の便器はほんとうにすばらしく、多機能で節水になっています。まず、陶器製の便器本体がすばらしい。抗菌・防汚コーティングがされていて、そんなに頻繁に掃除しなくても汚れがこびりつきにくくなっています。便器の汚れで一番困るのは、縁の裏側の、見えにくく、ブラシの届きにくいところの汚れなのですが、最新の便器では、縁そのものがなくなって、この問題が、完全に解消されているのです。また、洗浄時の水の流れ方の研究によって、最小限の水で最大限の洗浄力がでるよう工夫されています。私がいいなと思っている機能の一つに、プレ洗浄機能というのがあります。これは、使用する前に少量の水を流して、便器の表面に水の幕を張り、汚れをつきにくくするというものです。今の我が家のトイレでも使用する前に一度水を流して、便器の表面を濡らしてから使うようにしているのですが、うちの便器のロータンクの洗浄レバーは大小の区別がなく、すべて大と同じ水量が流れてしまうため、とても無駄なのです。洗浄レバーのタイプは、便器のタイプによって決められていて、安易に取り替えることはできません。便器の水路の形状によって、洗い落とし式とか、サイフォンボルテックス式とかいろいろあって、洗浄能力と必要水量がそれぞれ違うためです。私は割と古い物が好きな人ですが、トイレばかりは最新式がよさそうです。 最近の子供たちは、和式の便器を見た事がなく、使い方がわからない子が多くなっているらしいです。また、当たり前といえば当たり前ですが、欧米人も和式は使えない人が多いです。一説によると、古来は、概ねキリスト教文化圏は腰掛式、イスラム・仏教文化圏はしゃがみ式が多いそうです。 私は、家の中でも水回り、その中でもトイレは、快適な家作りのためにとても重要だと思っていますので、これから新築やリフォームを予定されている方は、できるだけ多めに予算をかけた法が後々吉と思います。
2005年11月10日
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今日は太陽暦採用記念日です。1872年(明治5年)明治政府によって旧暦から新暦に切り替えられた日です。暦は実に奥の深いもので簡単に手短かに説明することは無理なので、いくつかの豆知識を紹介します。 旧暦は陰暦といって、月の満ち欠けを基準に1ヶ月を決める暦です。月の満ち欠けの周期は約29.5日なので29日の小の月と30日の大の月が交互に繰り返されます。誤差が大きく、3年に一度くらい閏月を作る必要があります。1ヶ月の時間の流れを計るためには良いのですが、1年の時間のものさしにする場合にはちょっと無理があります。それもそのはず、1ヶ月は月が地球の周りを回る周期ですので、潮の満ち干を知るには好都合かもしれませんが、1年の中で、農作物の種を植えたりする季節を知るためには、あまり都合が良くありません。1年春夏秋冬は、地球が太陽の周りを回る周期ですから、太陽暦を使うのが自然なのです。古代文明でも、大半は最初は陰暦から始まっているようです。やはり、月の満ち欠けは視覚的にわかりやすいためでしょう。しかし、人類が農業という文明を手に入れたとき、より正確な暦を必要とし、星の動きや太陽の角度などを真剣に研究しました。文明によっては、そのために特別な役職を作ったりもしました。ヨーロッパに太陽暦をもたらしたのはあの有名なシーザー(カエサル)らしいです。エジプトですでに使われていた太陽暦(恒星暦)をギリシアに持ち帰ったということです。エジプトでは1年周期でナイル川が氾濫し、これが農業を行うために重要だったことから、早くから月ではなく、太陽とその他の星を基準にした、1年を正確に知ることのできる暦が発達していたのです。 日本は明治時代にやっと太陽暦に切り替わったので、ずいぶん遅いわけですが、旧暦でも単純に陰暦を採用していたわけではなく、何度も改良して、最終的には、太陽太陰暦という1ヶ月の長さは月から、1年の長さは太陽からという良いとこ取りをしたものを使っていました。しかし、細部にずれが生じて、補正をするのも大変だし、諸外国との共通性の問題もあって切り替えることにしたんでしょう。こんなに永い間、陰暦にこだわったのは、日本人が月が好きだったせいと考えるのは私の考えすぎですかね。 最後に、一週間の日曜日から土曜日までの呼び名の起源を知っていますか。これは太陽の周りを回る惑星からきているそうです。太陽から近い順に、水、金、(地)、火、木、土、天、海、冥というやつですね。これを使い始めたのは、驚くべきことに古代バビロニア人だそうです。バビロニア人は天の星を観察し、ひときわ明るく、他の星と違う動きをする星がいくつか存在することに気がつき、これを神格化して、自然界を司る神の名前を与え、図案化しました。インドの曼荼羅のようなものでしょうか。この並び順に曜日を決めたらしいです。肉眼ですから、土星までしか見えなかったのでしょうが、惑星と他の恒星の動きの違いを、正確に認識することがこの時代にできたことは、驚異的といわざるを得ませんね。 このように、暦は、天文学と深い関わりを持ち、また、宗教的文化とも切り離せない一面もある奥深いものです。気が向いたら、秋の夜長に勉強してみてはいかがでしょうか。
2005年11月09日
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今日はレントゲンの日です。誰もが健康診断や歯医者さんでレントゲン撮影をされたことがあると思います。わりと一般的であるものの、かなりの安全対策がされていて、必要以上に被爆しないように注意がされています。レントゲンはX線という電磁波の1種です。太陽光などに含まれる紫外線よりももっと波長の短い電磁波です。ドイツの物理学者、ウィルヘルム・コンラッド・レントゲン博士が1895年に他の実験中に偶然発見し、未知の光線の意味でX線と名付けました。また発見者の名前をとってレントゲンと呼ばれるようになりました。さて、物理学というのは不思議なもので、素人考えでは、電磁波は光や電波の事だから、放射線とは関係なさそうに思えてしまうのですが、そうではないらしいです。放射線にはα(アルファ)線、β(ベータ)線、γ(ガンマ)線、中性子線、そしてX線があり、その正体は以下のようになっています。α線 ヘリウム原子の原子核の流れ +の電荷を持つβ線 電子の流れ -の電荷を持つγ線 波長の非常に短い電磁波 電荷は持たない 物質に対して強い透 過力がある中性子線 中性子の流れ 電荷は持たない 物質に対して非常に強い透過力 があるX線 γ線よりはやや波長の長い電磁波 電荷は持たない 物質に対し て強い透過力があるといった感じで、まあ、γ線のおとなしいやつがX線という感じですかね。他の放射線の比べると危険度は少なく、実際、発見したレントゲン博士も危険性など知らずに被爆しまくりだったわけですが、80歳近くまで生きたそうです。他の放射線を出すラジウムを発見したキュウリー婦人が、白血病で亡くなったのとは対照的です。もちろんX線は、医療に使用するのですから最大限の注意が必要ということで厳重に管理されていますが。X線が発見された時、未知のエネルギーが発見されたと当時の物理学会に衝撃を与え、レントゲン博士は、記念すべき第1回のノーベル物理学賞を受賞しています。また、世間では、物体が透けて見える光線が発明されたというので、貴婦人がたは服を着て入浴をするようになったなんて、ほんとか?と思えるような話も残っているようです。 私はレントゲン撮影は痛くも痒くもないけれど、あのバリウムだけは勘弁してほしいと、いつも思います。
2005年11月08日
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歌手の本田美奈子.さんが、昨日亡くなりました。平成17年1月ころ、白血病で入院されて、わずか10ヶ月の闘病生活で逝かれてしまいました。本田さんは、アイドル歌手としてデビューし、エネルギッシュな振り付けと、当時としては衝撃的なおへそを見せたファッションで多くの人を魅了しました。特に「1986年のマリリン」は心に残る名曲でしたね。最近ではミュージカルで活躍され、また、東京電力のCMでも美声を響かせていました。まだ30代のこれからと言うときに残念でなりません。入院された時には、たとえ白血病といえ、きっと持ち前の明るさと元気さで、病魔を跳ね除けて戻ってきてくれると信じていました。こんなに早くお別れの日が来るとは思いませんでした。多くのファンの心に大切なものを残してくれた本田さんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
2005年11月07日
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スウィングガールズをテレビでやっていたので見ました。前からレンタルビデオでも借りてみようと思っていたのですが、機を逸していました。やっと見る事ができました。久しぶりに脳天気に楽しめる作品で最高でした。同じ監督のウォーターボーイズよりこっちの方が好みです。 実は、私は昔、吹奏楽部に入っていたことがあります。ほんとはそんなに音楽が好きではありませんでした。なのに吹奏楽部に入ったのは、楽譜が読めるようになりたかったのと、和音とか、音階とかの音楽の仕組みに興味があったのです。ハ長調とか変ホ長調とかって何?ミとファ、ラとシの間だけ半音なのはなぜ?3拍子と4拍子とどこが違うの?など、根本的な疑問をいくつか持っていました。楽器を演奏する腕前は全然上がりませんでしたが、いろいろな知識を得る事はできました。 トランペットやトロンボーンのような金管楽器は、ただ息を吹き込んでも音は出ません。マウスピースというカップ状の吹き口の中で唇を振動させて音を作らなければなりません。クラリネットやサックスのような木管楽器も吹き口に付いているリードという竹の板を、唇の当て方を微妙に調節しながら息で振動させて音を作ります。木管の中でもフルートとピッコロは音の作り方が違います。一見、金属製で金管楽器のように見えるフルート・ピッコロは、実は木管楽器です。フルート・ピッコロにはリードは付いてなく、楽器に開けられた穴に吹き込む息の角度やスピードを調整して、空気の渦を作り、音を発生させています。楽器は、ドレミ…の音階をそれぞれ持っていますが、例えば、クラリネットのドとフルートのドでは違う音になります。ピアノの音と比較するとフルートのドとピアノのドは一致します。ですのでフルートはドイツ式の音階表現でC(ツェー)管といいます。一方、クラリネットのドはピアノのシの♭になります。シの半音下がりという事ですね。よって、クラリネットはB(べー)管といいます。このように、同じ旋律でも楽器ごとに楽譜は異なり、Aの楽器の楽譜をBの楽器用に書き直すためには、移調という音階をずらす作業が必要になるのです。昔、文科系のクラブは部費の予算が少なく、あまりたくさんの楽器用の楽譜を買うことができなかったため、よくこの作業をやらされたものです。 ドレミファソラシドと音が高くなっていき、下のドと上のドとの間には、下のドの周波数×2=上のドの周波数という関係があります。つまり、1オクターブ上がるごとに周波数が倍になっていくと言う事ですね。複数の楽器で合奏をする時は、音合わせというものを行います。普通はオシロスコープを使って音を視覚化して基準の音に合わせるのですが、一度合わせても、演奏している間に楽器が温まったりして、少しづつずれてしまいます。だから、素人レベルだと、なかなか完璧に音が合うことはありません。楽器間で音が少しずれていると、ウァンウァンというようなうなり音がかすかに聞こえます。たった一度だけ、完璧に音が合った状態を経験を演奏会で経験したことがあります。音が完璧に合うと自分の楽器の音と他の楽器の音の区別がまったくなくなり、頭の中に音が響き渡るような感覚があります。こればかりは、経験してみないと解らない感覚で、けっこう快感だったりします。
2005年11月06日
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畳は、日本の住居にはなくてはならぬものだったのですが、最近は畳がない家庭も少なくないようです。あったとしても3LDKの1室だけとかが普通になってしまいました。私も、以前は築30年くらいの古い鉄筋コンクリートのアパートで、三つある部屋全てが畳敷きだったのですが、今は3DKのマンションに引っ越しまして、畳は四畳半の部屋が一つだけになりました。その部屋は寝室に使っています。引っ越してみて、やはり自分は生粋の日本人なんだなあと痛感しました。リビングのフローリングにソファーはなにか落ち着かないし、冬場はどうも膝から下が頼りないのです。寒いわけではないのですが、以前のような畳に接触している触感がない事に違和感を感じるのだと思います。おまけに法事などで正座するとあっという間に足がしびれてしまうようになりました(恥)。 畳の原料はいぐさとわらです。畳の芯の部分は米俵をばらして何層かに縫い合わせて板状に整形したものです。米俵も米を収穫した後に残るわらを有効活用したものなのですから、これ以上はないといっていいくらい、エコロジーな建材です。もちろん、これは、昔ながらの畳の話で、発泡樹脂を使った科学畳は除きます。畳表に使われるいぐさは自然素材でこれもエコロジーな材質ですが、いぐさにはとてもすばらしい機能があります。それは消臭機能です。いぐさの香り自体も、さわやかで日本人にとっては落ち着く香りなのですが、いぐさ一本一本の内部には、空洞があり、その空洞に三角形の立体格子状の複雑な構造があって、その小さな隙間部分に匂い成分の分子を取り込むことができます。さらに畳全体としては断熱性が高く、また、調湿性に優れているという特徴を持っています。最近では木炭を編みこんで、さらに消臭効果と調湿効果を向上させた畳もあるようです。建材としての耐久性も、畳は、傷つきに強く、傷ついてしまっても、畳表だけ取り替えることができます。畳表は、片面がくたびれてくると、裏返してもう一度使うという、徹底的に物を大切にする昔の日本人の精神が生きています。 昨今では畳職人が激減しており、このままいくと、日本の住宅から畳が消えてなくなるということもないとは言えない状況になってきました。出来合いのマンションでは、畳の厚さ分の床の高さを変更するのは大変なのでリフォームも難しいのですが、一戸建てで住宅を新築される方は、是非、畳の部屋をできるだけ広くとっていただきたいと思います。
2005年11月05日
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先日、紅茶の事を書いたときにも触れたのですが、大航海時代ってなんとも夢と浪漫に溢れた時代だったんでしょうね。もちろん、多くの人が夢なかばにして亡くなったことでしょうが、現状に飽き足らない人が、知らない島や大陸への好奇心あるいは一攫千金を狙って大海原へ乗り出していく。当時は帆船しかなかったので航海は風まかせで、自分の都合に合わせて風が吹いてくれるはずもなく、大変な苦労をしたことでしょう。事実、喜望峰を回り、初めてインドへの航路を発見したバスコ・ダ・ガマが、無事に本国ポルトガルへ帰りついた時には、乗組員の3分の2を失っていました。ほとんどはビタミンCの欠乏によって起こる壊血病に倒れたのです。それでも、インドのスパイスの利権を一手に握ったポルトガルは栄華を極め、ガマは膨大な報酬を受け、死ぬまで豊かに暮らしたのです。一方、インドを目指したはずが誤ってアメリカ大陸へ到達してしまったコロンブスは、失脚し、不遇な晩年を送りました。しかし、後にアメリカ大陸は、たくさんの農作物をヨーロッパにもたらしました。おなじみのジャガイモもトマトも南米ペルー原産なのです。現代日本人も大航海時代の成果の恩恵にあずかっているわけです。もちろん、大航海時代は、当時のヨーロッパの人々の生活へ多大な影響を及ぼしました。たとえば、日本は醤油と味噌の食文化に対して、洋食は塩コショウの食文化と言われます。もし、大航海時代がなければ、コショウは一部の王侯貴族のもので、普遍的な食文化にまでは至らなかったでしょう。今のヨーロッパの文化は大航海時代抜きでは語れないのです。 さて、現代から未来へ向けたあらたな大航海時代のステージがあります。そう、宇宙ですね。宇宙のどこかには、きっと地球人に匹敵する文明を持った惑星があるかもしれません。未知の文明は、新たなカルチャーショックを地球人類に与えてくれるかも知れません。しかし、こればかりは、映画やアニメのようなワープ装置が完成でもしないかぎり、永遠の夢に終わりそうです。
2005年11月04日
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今日は文化の日ですが、漫画の日でもあるそうです。今はゲーム機もあるし、一人にテレビが1台あって、好きな時にDVDでアニメを見られるような時代ですから、漫画の重要性は少なくなってきているかもしれませんが、私の子供のころには、子供たちにとって、なくてはならないものでした。当時、漫画は、親や学校の先生に言わせれば、大人にとっての煙草といっしょで、できるなら子供から遠ざけるべしといったような風潮がありました。しかし、私は当時も今も、そうではないと思っています。確かに下品なものもありますが、小説などでも下品なものはいくらでもあります。内容は漫画や小説といった表現の方法でなく、作者の考え方や信念で決まるものだと思います。私は、中学生の頃、授業時間の中で行う必須クラブというのがあって、漫画研究会に入っていたことがあります。漫画をまじめに作品として研究するクラブです。自分で遊びで漫画を描いてみたりして、漫画の表現の奥深さに驚いた記憶があります。どうすれば人物に動きを持たせられるのか、どうすれば迫力ある表現になるのか、感情表現はどうすれば効果的なのか、音や音楽をどう描くのか。実に複雑で繊細な技法で描かれており、二次元で三次元を表現する立派な芸術だと言いたいくらいです。 私が昔、愛読した作品を描いてくださった、手塚治虫先生や石ノ森章太郎先生や横山光輝先生はもういません。でも、いまでも心の中に作品の数々は残っていて、あるときは励ましに、あるときは癒しになってくれます。多分死ぬまで忘れることはないでしょう。ここまで人の心を動かすことのできる漫画は、やはり、りっぱな文化と言っていいと思います。
2005年11月03日
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今日は、博物館デーなのですが、私は、博物館や科学館が大好きです。科学現象や自然が生み出した鉱物や結晶などがわかりやすく展示されていて、飽きる事がありません。プラネタリウムが併設されていたりすれば最高ですね。 私がこんな科学大好き人間になったのは、子供の頃に親が与えてくれた学研の「科学」と「学習」という付録付きの教育月刊誌の影響が大きいと思います。特に「科学」の方は、毎回付録が楽しみで、植物の水栽培セットとか、超小型の顕微鏡とか、化学実験セットとか、おもちゃなんかよりよほど子供を夢中にさせてくれました。もちろん本の方も、付録に関連する科学を楽しく解説した記事で、今思えばとてもすばらしい知育雑誌だったように思います。特に記憶しているのは「ホモ・ウォラント」という、一人の青年が、飛行機の誕生と進化の過程を、歴史を遡って体験しながら、人類はなぜ空を飛ぶことにあこがれるのかを探っていく、というような漫画でした。子供には少し難しい哲学的な内容だったと今になっては思います。「科学」と「学習」、まだあるのでしょうか。あんなすばらしいものがなくなってしまっていたら寂しいです。 そんな科学大好き人間の私の夢は、生きているうちにオーロラをこの眼で見る事です。あと、青い地球を宇宙から眺めたいというのもありますが、ライブドアが、将来、商業宇宙旅行を実現するつもりらしいと、先日、ニュースでやってましたので、あと20年もすれば実現可能かもしれませんが、ちょっとお値段が高すぎて私には無理そうです。
2005年11月02日
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今日は、紅茶の日です。紅茶は、種類やブランドなど、とても奥が深く、こだわりを持たれている方も多いと思います。そんな方にとっては、私の知識などはないも同然なので、種類やブランドとは違った切り口で紅茶を語ってみたいと思います。 実は、紅茶も含めた茶は、スパイスと並んで、世界を激動の渦に巻き込んだ農産物だったのです。まず、紅茶といえばイギリスというイメージですが、ご存知のとおりイギリスが原産ではありません。茶葉の原産地は中国で、大航海時代の1510年ころにポルトガルによってヨーロッパに持ち込まれました。不思議なことにシルクロードによる陸路では茶葉は運ばれていなかったようです。しかし最初に茶葉が運び込まれたポルトガルでは、たいして話題になることもなく忘れられました。やがて、ポルトガルを戦争で破ったオランダが、海洋貿易の利権を握り、1600年代に入ると中国の茶葉がオランダ本国に持ち帰られ、王侯貴族にエキゾチックな健康飲料として愛飲されたようです。そのオランダもイギリスに戦争で敗れ、イギリスが海洋貿易の主役となり、東インド会社が設立され、多いに貿易が振興されました。イギリスでもお茶は人気を博し、中国からどんどん輸入されましたが、中国は茶葉の代金として大量の銀を要求したため、イギリスは銀の国外流出に苦しむことになりました。そこで銀に変わるものとして、植民地のインドで生産したアヘンを茶葉の代金としたのです。結果、中国はアヘン中毒者であふれ大変なことになり、中国とイギリスは戦争になりました。これがアヘン戦争です。この戦争はイギリスの勝利に終わりました。その後イギリスは、インドのアッサム地方に野生の茶の木が自生しているのを発見し、大量生産に成功します。もちろん、この影には植民地支配とか奴隷制度なども隠されています。さて、実はここまでは緑茶の話です。では、紅茶はというと、茶葉を船で運ぶ時に、赤道付近の高温高湿な海域を通過する際、自然に発酵し、紅茶になったという説がありますが、これは誤りです。茶葉は、もともと発酵酵素を内部にもっており、緑茶にするためには摘んですぐ加熱し、発酵酵素を破壊しなければなりません。また、加熱しないでほったらかしで発酵させたのでは美味しい紅茶にはなりません。茶葉は産地で摘んだ直後の処理で非発酵茶(緑茶)と発酵茶(烏龍茶、紅茶)に分かれてしまうのです。紅茶は、中国の福建省で作られていた半発酵茶である烏龍茶の製法が、全発酵に進化した物と言われています。烏龍茶もイギリスに輸入されていて、肉料理の油を流して口をさっぱりさせてくれるので需要はあったようですが、あまり質の良くない物も多く、主流にはなりませんでした。紅茶用には良質の茶葉が使われていたことや、色、香りがイギリス人の好みにあったのでしょう、すぐにイギリス国民に受け入れられ、世界初の喫茶店が生まれるなど、紅茶文化の花が開きます。19世紀に入ると、茶葉を運ぶのにもスピードが要求されるようになり、アメリカが高速帆船「ティークリッパー」を開発し、貿易において力をつけていきました。ちなみに、アメリカは、もともとはイギリスの植民地だったのですが、独立戦争のきっかけとなったのも、イギリスが高い値段の紅茶をアメリカに押し付けた事らしいです。一本の茶の木から、こんな人類の歴史を大きく動かす、ワールドワイドな物語が展開したのですね。
2005年11月01日
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