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(1)人的資本 (2)ライアビリティ (3)総合的に考えると 個人が資産運用を考える場合に、現在、明白に持っている財産と負債の他に、資産・負債それぞれの潜在的な可能性について考えることが重要だ。今回は、この問題を考えるために有用な「人的資本」と「ライアビリティ」の二つの概念について考えてみたい。 (1)人的資本 人的資本とは、厳密に測ることができるものではないが、将来獲得可能な収入を現在価値で評価したもので、「自分の株価」のような概念だ。「サラリーマンはカラダが元手だ」などとよく言われるが、たいていの人は何らかの人的資本を持っている。 たとえば、150万円の普通預金と300万円のETFとを持った30歳のサラリーマンは、本人の仕事や能力にもよるが、たとえば1億円を超える人的資本を持っていると考えることができる。期待できる生涯所得は2億円以上あるかも知れないが、金利とリスクを織り込んだ利回りで、将来の稼ぎを現在の価値に評価して1億円だということだ。 サラリーマンの場合、毎年あまり大きく変わらない収入がしばらくの間期待できるので、人的資本の資産としての性質は債券に似ていて、比較的安定している。450万円の金融資産の3分の2を株式で持っていると考えると、大きなリスクを取っているように思うかも知れないが、150万円の現金と1億円の円建て債券と300万円の株式が自分のアセットアロケーション(資産配分)だと考えて自分の状況を距離を置いて眺めると、風景が少し違って見えるのではないだろうか。通常の、年金基金の運用などよりもずっと低リスクで、ずいぶん手堅い運用方針に見える。 一般には、若い人は金融資産の中で大きな比率でリスクを取っていいように言われることがあるが、その正しい理由は「長期投資だとリスクが縮小するから」ではなくて、「人的資本を考えると金融資産の運用で取るリスクは相対的に小さいから」なのだ。 ちなみに、前者は、ファイナンス研究的には(という以前に、単に数学的に)誤りなのだが、新聞の資産運用特集・雑誌・単行本などに広く流通している、誤った運用常識だ。マネー本の著者の知識の正確性を測るときに有効なチェック・ポイントの一つなので憶えておくとよい(注:運用期間あたりの「年率」の収益の上下バラツキが、期間が長くなるほど小さくなる、右側がラッパ状にすぼまったグラフを付けて説明していることが特徴だ。データに誤りはないはずだが、この見方は不適当なのだ)。ただし、人的資本には個人差がある。 たとえば、若くても、病気などの事情で収入を得ることが難しい人は、人的資本が小さい。こういう人が、自分は「運用期間が長いから大きなリスクを取ることができる」と思って大きなリスクを取ることが不適当な場合がある。こうした個人差を理解してお金を運用することが重要なのだが、金融機関は、顧客についてそこまで親身に考えてはくれない。彼らは、顧客がお金を持っていれば、そのお金から最大限の手数料を取りたいと考えるだろうし、それが経済合理的には当然のことだろう。 若くて健康な人の人的資本の価値は大きくて割合安定しているが、高齢になると、今後稼ぐことができる時間が縮むし、健康の問題から稼ぎが不安定になるリスクもあって、人的資本の価値は落ちる。その代わり、平均的に見て、高齢者の方が若年者よりも大きな金融資産を持っている。高齢者の全てがお金持ちだというわけではないが、お金持ちの多くは高齢者だ。 人生の送り方という意味では、人的資本が縮小する老後までに、大きな額の金融資産や実物資産を築けると、経済的には成功といえるだろう。 (2)ライアビリティ 自分のお金の問題について考えるには、個人の資産と稼ぎを把握するだけでは十分とは言えない。人は働くためには、食べていかなければならない。住むところも必要だ。自分の衣食住以外にも、家族を単位に考えると、子供など稼ぎ手ではない家族も養っていかなければならない。もちろん、ただ食べて働くだけでなく、レジャーのための支出だって必要だ。財産の運用をどうするかを考えるためには、こうした将来の支出の必要性を考えなくてはならない。 将来お金が必要だ、という状況は、概念的には負債であり、いわば借金のようなものだ。「人的資本」のような決まった単語があるわけではないが、負債の意味の単語である「ライアビリティ」とでも呼んでおくことにする。ライアビリティとは責任・負債・債務などに対応する英語だが、本稿では、以下、将来必要な支払い義務全般を大きく指す言葉としてこの言葉を使う。 ライアビリティは、どのくらいのレベルの生活をするかに関する大きな伸縮性を持っているが、生活のレベルを大きく落とすことは一般に苦しいことなので、これをあまりに小さく見積もることは現実的ではない。 たとえば、高齢者の場合、これからの人生にどうしても必要なお金の額は縮小する。従って、それなりの金融資産を持っていると、生活を危機に晒すことなく取ることができるリスク額も大きくなる。 たとえば5億円持っている高齢者がいて、あと2億円あれば今後の生活を余裕を持って十分やっていけるという見通しがあれば、残りの3億円は全額株式投資しても大丈夫なのは自明だろう。こうした場合、実際には、3億円ではなくて、たとえば4億円株式に投資していても、投資の仕方が集中投資でない限り、 4億円がごく短期間(たとえば1年以内)に1億円以下になってしまうようなことは考えにくい。 高齢者は、残りの人生が短い分、ライアビリティが小さくなっているし、期間が短い分その把握しやすくもなっているはずだ。こうした観点で考えると、富裕な高齢者は、相当に大きなリスクを取っても生活の心配がない。たとえば、自分のライアビリティに対して、年金収入で十分対応できる計算が立てば、金融資産の投資にあって、リスクテイクを遠慮する必要はない。 (3)総合的に考えると 個人の資産運用を考える場合、自分の「人的資本」や「ライアビリティ」のことを頭の片隅に置いておくと、見通しが良くなる。 ライアビリティ(負債)の反対概念はアセット(資産)だ。金融機関の経営では、アセット・ライアビリティ・マネジメント(一般に「ALM」と呼ばれる)と呼ばれる考え方があって、資金の調達金利と貸し出し・運用の期間や金利のミスマッチによって生じるリスクを総合的に管理することが行われている。個人の場合には、銀行の経営のように神経質になる必要はないが、自分のライアビリティに対して、自分のアセットを構成する人的資本と資産(金融資産と実物資産の両方)がどの程度の余裕を持っているかという意識は持っておくといいだろう。 若い人は人的資本がおおむね潤沢だから金融資産でリスクを取ることができる場合が多いし、高齢者は持っている資産の割にライアビリティが小さいから同じくリスクを取ることができる場合が多い。 もちろん、個人差があるのだが、精神的に悔しいといったことを除くと、たとえば、当座の生活資金を確保した上で、残りをあらかた内外の株式に投資してしまっても、これが生活に決定的に大きく影響して大変だというケースは案外少ないのではないだろうか。
2008年10月17日
(1)リスクテイク行動の前傾化がカギ(2)個人型のリスクテイクと法人型のリスクテイク(3)報酬制度の設計に再考の余地 筆者は、ここのところ、バブルの生成と崩壊の仕組みについて考えを巡らせている。たとえば、目下の米国を中心とした金融危機的状況を招いた「サブプライム問題」は、不動産バブルと証券化商品バブルの「合わせ技」のように拡大し、拡散してきた。筆者の理解では、現在行われているような金融業界の再編(投資銀行のユニバーサルバンク化)は、金融機関を「大きくて潰せない」状態にしつつ、一時的に安定化させるだけで、バブルを発生させたメカニズムをそのまま温存して、むしろスケールアップしているように思われる。この問題への対処には、バブルの生成・崩壊のメカニズムを理解することが必要だし、もちろん、投資家が相場を理解するためにもバブルに関する知識は必須だ。 本稿は、内容的に本シリーズの第八十四回目「バブルのメカニズムを整理する」の発展的補足だ。統一的なアウトプットとしては、注目点を強調するなら「バブルとエージェンシー問題」といったタイトルの両者を統合した論文でも書くべきところだが、現在まだ考えているテーマでもあるので、この問題にご興味のある読者は、前掲拙稿と併せて読んでいただきたい。 (1)リスクテイク行動の前傾化がカギ 前掲拙稿では、バブルの過程を、(1)きっかけとしての金融技術革新や規制緩和、(2)リスクテイク行動の前傾化、(3)マクロの経済環境や金融環境、(4)バブルの崩壊(情報の非対称性の顕在化と流動性の不足)、といった順番で説明した。この中で、バブルがバブルとして育ち、そのスケールを拡大するにあたって重要な過程は明らかに(2)リスクテイク行動の前傾化だろう。 この部分については、たとえば「株価の上昇が、さらなる上昇を期待させる」といった単なる順張りの相場観や、「群集心理」とか「熱狂」、あるいは「時価の上昇による財産価値の増価がリスクテイク能力を拡大する」といった、投資家を一個の個人(それも、割合単純な)と考えて、上昇相場の勢いに煽られて勘違いをしてしまうプロセスとして説明されることが多い。 もちろん、こうした、あたかもビギナーズ・ラックに酔って自分の能力を過大評価した投資家のような心理と行動が、相場の過熱を招くこともある(しばしば起こるIPOブームの末期は、これに近いかも知れない)。しかし、これはいわば投資家本人の責任に基づく勘違いであり、この場合も世間に悪影響が及ぶことはあるが、後から大損をするのは投資家本人であって、問題としては大半が自業自得の範囲内だろう。 真に恐ろしいし経済倫理的にたちが悪いのは、投資家がリスクを本気で勘違い(過小評価)して起こるバブルよりも、投資家が「過大なリスクを分かっていても買う」ことによって起こるバブルではないだろうか。 たとえば、サブプライム・ローンそのものも、その証券化商品も、いつかは(不動産価格が上がらなくなればほどなく)デフォルトを起こすであろうことは、金融関係者なら少し考えると分かったことだろう。しかし、個々のプレーヤーの利害を考えると、バブルの発生過程ではそのようなことを考える「必要がなかった」。 (2)個人型のリスクテイクと法人型のリスクテイク 大きなリスクがあると分かっていても、たとえばサブプライム商品やブームとなった時の新興市場株のような資産に機関投資家や金融機関が投資をする合理的な理由が二通りある。 一つは、「ホンネの投資教室」第八十四回目「バブルのメカニズムを整理する」で述べた、金融機関のプレーヤー個人が持っている成功報酬のオプション性がリスク拡大を招くメカニズムだ。「成功報酬」という権利は「損益」を原資産とする一種のコール・オプションなので、トレーダーやセールスマンはこの価値を最大限にするためには、リスクテイクを(つまりボラティリティを)最大限にすることが合理的になる。また、成功報酬というオプションの清算は1年単位であり、一回貰ったボーナスは返さなくてもいいから、将来は破綻するかも知れなくとも大きなポジションを積み上げて(しかも、時価評価で毎年の利益を計上して)、成功報酬を実現してしまえばいい、という「会社の真の損益」と「個人の損得」の間の期間のミスマッチによる一種のALM的齟齬も存在する場合が多い。 ある欧州系の大銀行では、サブプライム商品を組み込んだCDOに大量の投資を積み上げてしまったが、この背景には、社内のファンディング・レートと CDOの利回りの差で、いわば「社内キャリートレード」ができたことと、それにリスク管理が追いつかなかったことの二つの要因があったようだ(この銀行の株主向けのレポートで明らかになっている)。 本来なら、金融機関の経営者にはリスクをチェックする役割が期待されるところだが、経営者が金融工学や「○○神話」的な相場の説明などの専門性にごまかされがちなことに加えて、経営者自身が大きな成功報酬制の下にあって、コール・オプションをロング(買い持ち)しているトレーダーのような利害を持っているのだから、バブルには歯止めが掛かりにくい。 こうした個人の合理性に基づく「リスクテイク行動の前傾化」の他に、法人・個人間の「競争」に基づく合理的で過剰なリスクテイクも存在する。 「すべての経済はバブルに通じる」(小幡績著、光文社新書)が説く「リスクテイク・バブル」は、たとえば1/2には満たないが無視できない確率でデフォルトする可能性のある証券(当面の直利は高い)に対して、ライバル会社がこれを持っているなら、自分もこれを持たないと、相対競争の期待勝率が1/2 を割ってしまうので、リスクが大きいと分かっていてもファンドマネジャーはこの証券に投資するだろう、といったメカニズムだ。 これも、バブルが拡大するメカニズムの一つだろう。巨額の成功報酬がなくても、ファンドマネジャーが大きなリスクを取ったり、銀行同士が不動産などに競うように融資を拡大したりする現象を説明できる一つの論理であり、いわば「法人型のリスクテイクの前傾化」を説明しているといえるだろう。 いずれのリスクテイク行動も、リスクを過小評価しなくても合理的な判断から過大なリスクテイクを行うという点にポイントがある。 個人型・法人型、両方のリスクテイク行動に共通するのは、いずれもリスクを取るのが「他人のお金」でだ、ということだ。トレーダーにしても、ファンドマネジャーにしても、自分の行動の結果が自分の経済的損得に影響するが、彼(彼女)が動かしているリスクは自分が負うリスクよりも圧倒的に大きい。また、本来のお金の主の利害のためにすべき行動と、彼(彼女)らが自分の利益にかなう行動との間にズレが生じている。 この状況は、委託者(プリンシパル)と代理人(エージェント)がいて、代理人は情報優位にあって、両者の利害に不一致があるという、典型的なエージェンシー問題の状況だ。 (3)報酬制度の設計に再考の余地 まだ適当な答えを見つけたわけではないが、金融機関のプレーヤーたちへの報酬システムについて簡単に一言述べておこう。 金融プレーヤー個人への報酬にあって「最悪1年成功すればあとはどうでもいい」と思えるようなサイズの成功報酬を与えると、特にリスク拡大へのインセンティブに拍車が掛かる。 日本であっても投資銀行マン(要は大手の外資系証券会社の)の場合、ベースサラリーは2,000万円だが、ボーナスは2億円だった、というようなケースがある。この場合、ボーナスの期待価値を高めることが重要であり、今年大きく稼げる可能性が高いなら、来年はクビでも仕方がない、という考えが生まれやすいだろう。 たとえば、ここでボーナスが最大でもベースサラリーの範囲内であれば、このプレーヤーにとっては、今年のボーナスよりも、来年の雇用継続の方が大きな利益になるので、長期的な視野に立つことが出来るし、過大なリスクを取ることが少なくなるだろう。もちろん、人によってはベースサラリーを上げる必要が出てくるだろうが、背景には税制上の理由などもあるのだが、インセンティブの設計の面からは、そもそもベースサラリー自体が小さすぎるという場合もあるように思う。 また、ストック・オプションなども報酬としてよく用いられるが、この場合、向こう10年くらい売れない形にするとか、あるいは、将来の配当だけを年金的に受け取るような条件をつけるとか、プレーヤーの利害を会社の長期的な繁栄と一致させるような工夫があってもいいかも知れない。 経営が悪化した場合に「影響が大きくて潰せない」という理由で救済される会社は、何らかの意味で公的な会社であり、社員の報酬にも公務員的な要素(規制)があってもいいはずだ。民間と公務員の「いいとこ取り」のような形はアンフェアだろう。 もちろん、投資家がヘッジファンドなどに投資する場合の条件の検討も重要だ。成功報酬はオプション価格理論を使った計算でフラットなフィーに換算すると過大な場合が多いと思われるし、そもそもこうした計算も出来ずに「成功報酬は儲かったときにだけ払うのだからいい」とか「成功報酬だと運用者も頑張るだろう」と思う投資家は愚かだ。
2008年10月03日
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