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前回のblogのつづき。「水の流れる速さ」と「浸食するはたらき」「運搬するはたらき」の関係を十分に整理することができないまま、「どうして、BとCでは石や土の様子に違いがあるのだろうか」と課題を設定する。前回の授業で、AからCまでを取り上げ複雑になった(教師にとって?)ことから、今回は、BとCの違いに絞って考えさせる。TRくんのグループでは、B地点の石やC地点の泥を触りながら、次のように話し合っていた。TRくん「これ(C地点の泥)は、砂。これ(B地点の石)が、こうなる?」MRくん「うん。」TRくん「これがこうなる?」hmさん「固まったみたいな。これ(C地点の泥)が固まったみたいな。」MRくん「確かに・・・。」hmさん「これ(B地点の石)が、どんどんどんどん削れてって・・・。」MRくん「なんか、(C地点の泥の中に)鉱石みたいなきらきらがあるよ。」TRくん「ちょっと貸して。なんか前・・・。」MRくん「こっち(B地点の石)だ。これ、鉱石みたいにな輝いとるでしょ、これ。」TRくん「で?」MRくん「まあ、なんか、こっち(C地点の泥)にも、きらきらあるやん。」TRくん「まあね。・・・あー、だから、これ(B地点の石)が削れていってこれ(C地点の泥)になって、そのきらきらもそのまま残ってるってこと?」MRくん「そうそう。」hmさん「この前も言ってたよ、きらきらあるって。」MRくん「いっとった、少しいっとった。」このグループでは、3人(4人グループがだ、1人欠席)とも「粉砕モデル」で考えているようである。その根拠として、B地点の石とC地点の泥の両方に「きらきらがある」ことを挙げている。また、「粉砕」の仕方についても次のように話し合っている。TRくん「ねえ、前、HNくんが、なんかさ、これ(B地点の石)をゴツンゴツンってやったらさ、白いやつが出てきた・・・。」hmさん「(B地点の石を触りながら)ちょっと粉っぽいやつが出てきた。」TRくん「うん。ちょっと、おれ、やってみようか?(B地点の石同士をぶつける)」MRくん「出てきた。」TRくん「ほんとだ。」hmさん「こんな風に削れていったってことじゃないの?」TRくん「(hmさんが石同士をぶつけているのを見て)それって、削れてるの?」MRくん「・・・こする、だ。」TRくん「そうか、こすれるから、これが、こうやって、こうやって、下に置かれている石だとするよ。(もう一つの石が)流れてきたら、ガーンって。」MRくん「じゃあ、こすられてる・・・。あっ、分かった。こすっているように浸食されて、最後には・・・。」hmさん「なんか、こう、ガンガンって、いっぱい石が出てきて、ワーって、砕けたりして。」MSくん「そうか。(両手に石を持って)こんな風に川で流れながらバキン、バキンって。」TRくん「じゃあ、それ、長い川だと全部なるよね。砂だと。・・・短い川だとならん。」MSくん「それと、水の量。」TRくん「水の量に関係ある?」MSくん「うん。」他のグループでも、B地点の石同士をぶつける姿が見られた。やはり、多くの子どもたちがB地点の石が砕けたり削れたりしたものが、C地点の泥になったと考えている。実際に前時にHNくんの発言にあった「白い粉」が出てきたことも「粉砕モデル」を採用する根拠となっているのだろう。(つづく)※ 今回の記録は、平成25年2月26日のものである。
2013.03.12
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2月15日の研究発表会での公開授業の「次の授業」である。授業前に前時の板書のコピーと座席表を配ると、TRくんのグループでは、次のように話し合っていた。TRくん「(座席表を見ながら)MSくん、MSくん。これってどういうこと?」MSくん「えっと、石っていずれ流されるじゃん。」TRくん「うん。」MSくん「だけん・・・。」hmさん「石がなくなる。」TRくん「なくならないよ。」MSくん「砂がみたいな、水に流されるものもあれば、その状態で石・・・。」TRくん「もう一回言って。」MSくん「(教師用実験台の上の石を指さしながら)あれみたいな・・・。」T 「じゃあ、前に集まりましょうか。」MSくん「ちぇっ。」ほとんど前時にグループで発言していなかったMSくんが、語りはじめた瞬間であったのだが、また、教師(私)が遮ってしまった・・・。子どもたちが黒板の前に集まり、まず、A(南阿蘇村立野)、B(菊陽町戸次)、C(熊本市小島)の水の流れと「浸食するはたらき」「運搬するはたらき」を振り返り整理する。これは、これまでに2回の流水実験の結果として一度はまとめているのだが、前時に子どもたちが混乱しているように見えたため、あらためて整理する。すると、次のような教師(私)とのやりとりが行われる。T 「まず、浸食するはたらきは、A、B、Cになるにつれて、どうなる?」C 「弱くなっていく。」T 「なぜ?」C 「水の流れが遅くなっていくから。」T 「うん、水の流れが遅くなるから、浸食するはたらきはAが一番大きくて、Cが一番?」C 「弱い。小さい。」T 「小さい。じゃあ、運搬するはたらきは?」C 「C地点が大きい?」esさん「AからCにかけて、どんどん小さくなるんじゃないかなって思って、えっ、だって、AからBにかけて、運搬するはたらきが大きくなるってことは、流れが速くないと、大きくならないと思うから、まあ、あの、水の流れが遅くなるにつれて、たぶん、はたらきも小さくなるんじゃないかなと思いました。」T 「どうですか?・・・うん、そうですね。運搬するはたらきも、流水実験のときも、そうだったでしょ。」このやりとりからも、「運搬するはたらき」と「水の流れる速さ」との関係のとらえが十分でないことが分かる。それなのに、また「あいまいな」まま授業を進めてしまうのである・・・。(つづく)※ 今回の記録は、平成25年2月26日のものである。
2013.03.11
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2月15日の研究発表会の授業を振り返ったり、先週末にあった新学習指導要領シンポジウムの発表資料を準備したりするために、先週1週間は、子どもたちのノートを見直す機会が多かったのだが、その中で子どもたちの考えがグループや学級全体の話し合いの中で変化していることが多いことに気づく。授業の内容によって多少異なるのだが、私の授業の終末では、グループや全体での話し合いを踏まえて、改めて自分の考えを書かせるようにしている。また、その中で、クラスの友達に伝えたいことを付箋紙に書き、次の時間には、それをまとめたものを(以前このblogでも紹介した)「座席表」として子どもたちに配っている。おそらく、「改めて自分の考えを書く」とき、もしくは、「クラスの友達に伝えたいことを選んで書く」ときに、振り返り(リフレクション)が生じているのであろう。このblogでも何度か「教師自身のリフレクション」について書いたが、子どもにとっても、自分の考えや考え方を振り返ることは重要である。この、子ども自身の「学びのリフレクション」について、内田伸子先生(筑波大学監事、当時お茶の水女子大学副学長)は、平成19年3月に開催された日本学術会議主催公開講演会「知識社会における教師の科学的教養と教員養成」の資料『生活概念から科学的概念へ「-高い専門性と子どもの認知的葛藤を洞察する力-』の中に、次のように書かれている。 ・・・・・ 公開授業というと、ともすれば教師にとって都合のいい発言だけをとりあげ自分の目標計画、指導案にはめていく。しかし熊大附属小では違っていた。教師たちが取り上げる発言は優等生のものばかりではない。気になる子どもの発言は教師にとっても手に負えないこともあるに違いない。しかし、あえて取り上げる。「わかり直し」をさせるために子どもたちに「もどす」ようにしている。学びのリフレクションがいたるところで見られるのである。わかったつもりになっていても、このわかり直しの作業の中で子どもたちは自立的に探求する。子ども自身の探求心に導かれて、バラバラの知識がつながり、規則や仕組み、意味が了解されていくのである。こうして、小学校段階から、優れた教師に導かれ、支援されて、「自立した探求者」が育っていくのである。・・・・・友達のつまずきやこだわりをきっかけに、自分自身の「わかったつもり」に気づき、わかり直しの中で「バラバラの知識がつながり、規則や仕組み、意味が了解されていく」こと。このことが、今、全国各地で叫ばれている「言語活動の充実」や「学び合い」の目的であろう。(このように考えると、本校でもよく使われるのだが、「話し合いによって思考を練り上げる」という言葉は適切ではないと感じるのだが・・・。)また、昨年度までの3年間の「附属小研究だより」に書いた全ての原稿に、「論理科」について次のように説明している。・・・・・「論理科」とは・・・全ての教科等で音声や文章を使って表現すること(言語活動)を通して論理力を高めるため、その中核として新設する教科です。「論理科」では・・・「論理科」では、子ども自身が自分の「ことば」で「語る」ことを大切にします。「ことば」を使って考える、そして、「ことば」にすることによって自分の考えや考え方を振り返る。そんな子どもの育成を目指します。・・・・・これは「論理科」がスタートしたばかりの(実際には、授業はスタートしていなかったのだが)平成21年の7月につくったチラシにはじめて書いた文章であるが、「自分の考えや考え方を振り返る」としている。当時、内田伸子先生に「『考え』と『考え方』の二つを振り返るというところがいい」を話していただいたのだが、今、よく考えると、私が使っていた「振り返り」に2種類あることに気づいた。一つ目は、「自分の考え」そのものを振り返るのであり、先ほどの「学びのリフレクション」である。これによって、自分の考えをより妥当なもの、いわゆる「論理的」なものにすることができる。二つ目は、「自分の考え方」、つまり、「思考の仕方」や「学び方」を振り返るのである。これによって、論理的に考えることや友達と学び合うことの「よさ」に気づくことができる。この2つを繰り返し経験することによって、論理的な思考力は身についていくのだろう。しかし、このように考えると、私の実践は前者に偏っていたような気がする・・・。
2013.03.07
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先週末、熊本大学で開催された新学習指導要領シンポジウムの理科分科会で提案するため、子どもたちのノートを改めて見返す。すると、このblogの「ものの溶け方〜『ものがとける』とは〜その16」で紹介したuhさんのノートの前のページに「思考した跡」を発見する。これは、「ものの溶け方〜『ものがとける』とは〜その13」で紹介した二つの「モデル」について検討しているということが分かる。まず、一つ目は、anさんが提案したモデルである。・・・・・anさん「私は、途中までとけて、とけきれないところがあって、そのぎりぎりのとけれないところまでいったものが小さな粒で、水の中に小さな粒が入ってると思う。」「私はanさんの意見に反対で、前の実験で、とかしても重さは変わらななかった。一つ一つがどんどんちっちゃくなるんだったら、重さがどんどん軽くなっていく。」・・・・・これは、単元のはじめに食塩が水にとける様子を観察したときの様子から「直感的に」考えたものであろう。もともとの食塩一粒が「もやもや」したものを出しながら、小さな粒になる様子をノートに書いている。授業の中では、このことに対し、ksさんが次のように反論している。・・・・・ksさん「私はanさんの意見に反対で、前の実験で、とかしても重さは変わらななかった。一つ一つがどんどんちっちゃくなるんだったら、重さがどんどん軽くなっていく。」・・・・・この「重さは変わらない」ことを意識したのだろう。この後に、osさんが次のような二つ目のモデルを提案した。・・・・・osさん「anさんと同じ考えかどうか分からないけど、一つのが小さく二つになって、その二つの一つがまた小さくなって、その二つのどっちかがまた小さくなっていく。一番小さいのを足したら、もとの一つ分と同じ重さになる。」・・・・・「重さが変わらない」という実験結果を根拠に「論理的に」考えていることが分かる。しかしながら、多くの子どもたちが「重さが変わらないことは分かるけれど、実際に見たとけ方とちがう」となかなか納得しない。uhさんも、このような「やりとり」を自分の考えをノートに書きながら行っていたのである。一度、osさんと同じようなモデルを書きながらも、大きくバツをつけ、anさんと同じモデルをノートに書く。しかし、「周りから?」と書き、「やはり」と最初のosさんと同じモデルを再び書いていることが分かる。この次の時間に、以前紹介した「粒の表面から小さな粒がバラバラになっていく」モデルを書いているのである。注目すべきは、「〈根拠〉塩の結晶はわれなかった」と書いていることである。これは、前のノートを書いた後に、もう一度食塩が水にとける様子を観察したのだろう。自分が選択したモデルに観察結果との整合性がないことから、もう一つのモデルとの折衷案を考えたのである。uhさんには、友達とのかかわりの中で、協同的で、創造的な学びが起こっていたということであろう。私自身にとっても、uhさんの考えの変容は、これからの授業をデザインしていく中で、「直感的な『ことば』」と「論理的な『ことば』」が対話の中で交流したよいモデルとなる。
2013.03.07
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2月15日の公開授業を振り返り、本当に反省ばかりであったが、2週間かけて子どもたちの発言やノートをていねいにみてみると、学級全体の話し合いの前後で考えの変化が多くみられた。その中で、前回までのblogでも紹介したesさんの変化に注目してみる。まず、esさんは、全体の話し合いが始まって2番目に、次のように発言している。・・・・・esさん「えっと、私は、そのTRくんとはちがうんですけど、あの、上流から下流にかけて?あの、運搬のはらたきが、あの、大きくなってるんじゃないかなって思って、そのはたらきによって、上流から下流にかけて、石が、その流れて、立野(A地点)のあまり大きい石じゃない、普通ぐらいの石は、流れていくうちに、その、他の石とかとぶつかって、角が取れていって、で、下流の、下流ぐらいへんになっていくと、ほとんど、その、角がなくなって、小さい石になったんじゃないかなって思います。」・・・・・そして、全体の話し合いの最後に次のように発言している。・・・・・esさん「えっと、私は、smさんのに答えるんですけど、あの、上流からB地点にかけては、たぶん運搬のはたらきっていうのは、水の速さが速ければ速いほど強くなるんじゃないのかなって思ったから、あの、流水実験で分かったように、さっき、そのksさんがいったと思うんですけど、A地点までの水の速さとか運搬の力は、かなり大きいと思うから、そっから、B地点かけて石を運ぶっていうのは、簡単に運べるって思うんですよね。で、でも、B地点のときには、もう、水の流れが、ほとんど遅くなってるから、運搬のはたらきが、ほとんど、あまりない?状態だから、その、石は小さくても石は運べないんじゃないかなって思ったから、B地点にある石が、C地点にあった、その、砂?ていうか、泥?と同じっていうのは、私はちがうんじゃないかなって思いました。」T 「(B地点の石を持って)これはA地点にあって、まだ、これは流されたんだって。ところが、B地点からC地点の間では、もう、これは?」esさん「流されなかった。」・・・・・全体の話し合いの前後で変化があることが分かる。esさんのノートを見てみると、全体の話し合いの前には、次のように書いていた。そして、全体での話し合い後の振り返りの時間には、次のように書いている。やはり、esさんの考えは、「運搬+粉砕モデル」から「運搬モデル」に変わっていたのである。おそらく、私は上手く取り上げることができなかったが、子どもたちの話し合いが、「運搬するはたらき」に焦点化していた(焦点化しつつあった?)ということではないだろうか。わずかではあるが、救われたような気持ちである。
2013.03.01
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