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この頃、「授業デザイン」という「ことば」をよく目にするようになった。しかしながら、その多くが、「指導案を書く」「事前に単元の構想をする」といったレベルのものばかりである。もちろん「デザイン」をどうとらえるかという個人差はあるのだろうが、前述したようなものは、7年前に本校の研究テーマの中に取り入れた「授業をデザインする」とは明らかに異なるものである。(平成18年度から3年間は「『みんなで伸びる授業』をデザインする」、平成21年度からの3年間は「ことばの力に培う『みんなで伸びる授業デザイン』」であった。)前回のblogを書くときに読み返した「授業の中で起きていることを確かめる」(藤沢市教育文化センター 2003.3)の中で、鹿毛雅治先生が次のように書かれているのを見つけた。これをきっかけに、「授業デザインという考え方」について、改めて考えてみたい。・・・・・ 実践のサイクルはしばしばPlan→Do→Seeとして描かれます。プランがまず出発点であり、評価が(少なくとも暫定的な)終着点であるという発想がそこでは前提になっています。授業が「脚本としてのストーリー」なのであれば、このモデルでも問題ないかもしれません。最初のプラン通りの振る舞いや結果であるかどうかを基準として授業の善し悪しを判断すればよいのですから。しかし、授業が最初のプランを逸脱するような「ハプニングとしてのストーリー」の要素を含んでいるのだとすると、授業をPlan→Do→Seeのさいくるだけでなく、Do→See→Planというサイクル、すなわち、振る舞いの結果を見取ることによって教師がプランを修正していく視点から授業を見ていく必要が生じてきます。つまり、教師とは単に事前に用意したプランに従って忠実に振る舞う存在なのではなく、「脚本としてのストーリー」を念頭に置きながらも、子ども達の様子や状況の変化に柔軟に対応しながら、現在進行形の判断を授業展開に生かしていこうとする存在なのです。・・・・・単なる事前のプランだけでなく、「事前の計画」だけでなく「授業中の即興的な判断・修正」、さらには「授業後のリフレクション」まで含むものを、「授業デザイン」と呼ぶのである。つまり、授業中も授業後も、まだまだ「授業デザインの途中」なのだろう。
2013.07.24
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先日書いた「授業記録をナラティブ(物語風)に描く〜その1」のつづき。授業記録を書くときは、授業(子どもの発言)の「流れ」と「つながり」を意識する。特に、「流れ」を意識することの「よさ」について考えてみる。鹿毛雅治先生(慶應義塾大学)は、「授業の中で起きていることを確かめる」(藤沢市教育文化センター 2003.3)に、「『ストーリー』としての授業」として次にように書いている。・・・・・ 授業は一種の「ストーリー」として理解することができます。 ・・・(中略)・・・ 授業のストーリーには二種類のものがありそうです。一つは「脚本としてのストーリー」です。これは、教師が授業に臨む前に構想したストーリーで、脚本通りに授業を進行させようとするはたらきを持つものです。例えば、指導案というのは「脚本としてのストーリー」を表現する有力な手段だと言えるでしょう。もう一つは、「ハプニングとしてのストーリー」です。それは事前に筋書きを描くことが不可能で、その場にいる人たちによって、即興的に演じられていくものです。したがって、何が起こるかあらかじめ予想することは困難で、事後の結果としてのみ、その全体像が見えてくるという性質を持っています。 ・・・(中略)・・・ これまでの授業は「脚本としてのストーリー」のみによって解釈される傾向があったように思います。なざならこれは教師サイドにたった理想としての授業像であるとともに、指導案など目に見えやすいかたちで表現されているため、教師たちにとって理解しやすい枠組みだからです。しかし、「脚本としてのストーリー」だけに頼って授業を解釈しようとすることによって、ともすれば目の前で起こっている現実から目を遠ざけてしまい、「こうすればこうなるはず」という「色眼鏡」を通して授業を価値判断にしてしまうということが起こりがちです。授業理解がゆがめられてしまう危険性があるわけです。 授業で起こっている現実についてより真摯な態度で理解しようとするなら、「ハプニングとしてのストーリー」を無視することはできません。いやむしろ、子ども達だけでなく、教師をも含めた一人ひとりの学びを丹念に見取っていくためにはむしろ「ハプニングとしてのストーリー」を大切にし、それと「脚本としてのストーリー」との関連性を検討することこそポイントになってくるように思います。 ・・・(中略)・・・ さらに、授業のストーリーは一話完結ではなく、歴史性を備えているという点にも注目すべきでしょう。個々の授業は「これまで」(子ども、教師、クラスの過去)と「これから」(子ども、教師、クラスの未来)を結ぶ連続性を前提とした「ネバーエンディングストーリー」の一コマでもあるわけです。だからこそ、一つの授業のストーリーを読み解いていくことは、これまでの授業を振り返り、これからの授業を見通していく切り口となるのです。・・・・・「色眼鏡」をはずして丹念に子どもの学びを見取るために「ストーリー」を大切にする。私にとって、このような授業記録を書くことは、「理解しやすい枠組み」だけで授業を解釈(評価)しない訓練でもあるのだろう。
2013.07.24
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8月2日・3日に筑波大学附属小学校で開催される日本初等理科教育研究会中央夏期講座で実践発表するための資料をつくるために、このblogを読み直して昨年秋に実践した「ものの溶け方」の振り返りをupしていなかったことに気づく。(発表する実践は「流れる水のはたらき」なのだが。)ある原稿に「実践を終えて」を書いていたので、「とりあえず」それをupしておく。・・・・・今回の実践を終えて、「とかす前 → とかした後 → 水を蒸発させた後」の変化を筋道立てて説明しようとする子どもの姿を見ることができた。その中で、溶かす前の食塩の一粒一粒が「小さな粒」の集まりであり、水の中に入れることで粒の表面からばらばらになるという考えをする子どもも見られた。これは、実際に食塩を水にとかすときに見た「もやもやしたものをだしながらだんだん小さくなる」という様子から水の中にある食塩の小さな粒をイメージしたのりみさんと、「水に溶かした食塩の重さは変わらない」という実験結果から、一つの粒が二つに分かれながらどんどん小さくなっていくのではないかと推論したようこさんの考えがモデルとなり、それぞれの考えをたどることにより、他の子どもたちにもより合理的な考えを追究することを促したのだろう。多くの子どもたちが観察・実験結果とともに、直感的・断片的に気付いたことを振り返りながら、自他の考えを検討することができた。また、水を蒸発させて取り出した食塩の粒の大きさがちがう理由を話し合う場面でも、教師の話から得た情報やそれまでの生活経験をもとに考えるとともに、既有知識にあった他の事象と照らし合わせて推論しようとする子どもの姿も見ることができた。これは、普段の授業の中で、観察・実験の結果から論理的に思考することともに、観察・実験の結果そのものを見直すこと、つまり、観察・実験そのものに「もどす」ことを教師の授業中の大切な役割としてきたことの成果であると考える。また、グループや学級全体での話し合いの中で、たどたどしいながらも思考しながら「語る」ことを大切にしてきたこと、そして、板書を工夫し、キーワードだけを取り上げるのではなく、その「語り」を可視化することを心がけてきたことも大きく関係していると考える。もちろん、全ての子どもたちが「小さな粒になる」ことを受け入れたわけではないが、「粒子モデル」を使って考えることのよさを実感することができただろう。今後も、「ことば」を大切にしながら、目の前の事実から推論する子どもを育てていきたい。
2013.07.23
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このblogでも紹介したように8月2日・3日に筑波大学附属小学校で開催される日本初等理科教育研究会中央夏期講座で実践発表するのだが、その発表資料をあわてて書く。発表内容は昨年度12月から3月にかけて実践した「流れる水のはたらき」で、その授業記録はこのblogにupしているのだが、数ページにまとめるのは難しい。特に、困ったのは「終わりに」である。このblogでは、1時間1時間の授業後の振り返り(単なる反省も多いのだが)を書きっぱなしていたので、あらためて単元を通した振り返りということでとまどってしまった。しかも、「偶数ページにする」という制約があったため、少ない行数にまとめなければいけない。ということで、とりあえず、次のよう「終わりに」を書いた。・・・・・ 今回の実践を終えて、子どもたちに、実際の川の様子とモデルとして取り上げたいくつかの実験を結びつけて捉えさせることの難しさを実感した。実際の川の成り立ちは、時間的にも空間的にもスケールが異なる自然事象だからである。また、実際に石の角をとる実験が実施できないとともに、長い年月をかけてて固い岩盤が流れる水によってけずられる様子も観察することができないことも、川の成り立ちをイメージすることを難しくする原因の一つである。 しかし、この「よく分からないこと」きっかけに、流れる水のはたらきについて考えたり、その一つ一つのはたらきに着目して流水実験の結果を振り返ることを促したと考える。また、実際の川が「上流は深い谷になっていて土砂崩れが起きていた」ことや「上流や中流にも石や砂が積もっているところがあった」という事実を根拠にして自分の考えを説明することにもつながっていった。 このことは、子どもたちに深い概念的な理解を促すとともに、「多様な根拠となる事実から推論する」といった論理的な思考力を育てることにもつながったと考えている。・・・・・本当に「とりあえず」のまとめである。これから、発表に向けてプレゼンをつくる。また、実際の発表では全国の先生方の意見を聞くことができるだろう。その度にこの実践を振り返り、このblogにupしたいと思う。今回の振り返りは、「とりあえず」である・・・。
2013.07.23
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今年も「科学の祭典熊本大会」に参加する。ただし、私は単なる「引率」で、実験講師としてブースを担当するのは子どもたちである。子どもたちにブースを担当させるのも、今年で9回目になる。(ただし、奉仕作業と重なり、子どもたちが参加するのは1日目のみ。)青少年ための科学の祭典熊本大会と き 8月17日(土)18日(日)10:00〜17:00ところ グランメッセ熊本入場無料今年、子どもたちが担当するブース(実験)は「昆虫模型をつくろう」と「人体模型エプロンをつくろう」。「昆虫模型づくり」は、ここ数年行っている実験であるが、画用紙を切ってクワガタの形を作ることができるとあって案外人気がある。そして、今年はじめて挑戦する「人体模型エプロンづくり」であるが、これは授業で取り組んだ「人体模型Tシャツづくり」の改良版である。Tシャツの代わりにポリ袋を使い、直接描き込むのではなく、画用紙に印刷された臓器を切り取って貼るようにした。このブースでは、子どもたちも「人体模型Tシャツ」を着る予定である。上手くいくかどうかは未知数だが、子どもたちがどんな説明をするのか(どんな光景になるのか)楽しみである。
2013.07.22
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今年の夏休みも、いくつかの研究会に参加する予定である。その多くが、附属小に赴任して10年間で毎年参加するようになった研究会である。その中でも、最も長い研究会が(このblogで私が実践発表すると紹介した)日本初等理科教育研究会中央夏季講座である。ちょうど10年前、附属小の先輩から「東京などで開催される全国規模の研究会に参加した方がよい」と勧められ、何も分からないまま雑誌で調べて参加した。実際に参加してみると、熊本はもちろん、九州からの参加は私だけ。勧めてくれた先生の「せっかくだから」とアドバイスもあり「勢い」で懇親会にも参加した。その後、6年続けて参加。(その後の3年間は研究部長として参加する会と重なってしまい参加できなかったのだが、昨年からまた参加している。)その間に2回(今年を入れると3回)の実践発表をさせてもらう。また、2年目から、雑誌「初等理科教育」にも毎年執筆させてもらっている。このような「ネットワーク」ができたのも、毎年参加していたからであろう。しかし、同じ研究会に毎年参加するメリットは「ネットワークづくり」だけではない。それぞれの研究会には「歴史」があり、どうしてもその研究会のもつ「空気に馴染む」には数回の参加が必要である。特に、授業の「ネタ」を探すのではなく、提案や報告される授業を分析しながら「話題についていく」中で、しっかりと考えることを目的とするならばなおさらである。このblogでも書いたが、7年前の4月に秋田喜代美先生(東京大学)に紹介された「教育のアクションリサーチ研究会」にも5年続けて参加したのだが(2年前に「学びの共同体研究会」になり、開催場所が熱海から伊東に移ってからは参加できていないが)、最初は戸惑いが大きく、分科会でもなかなか発言することができなかった。今振り返ると、当時の「わたし」の勉強不足が原因で、その研究会で「語ることば」をもっていなかったのである。もし、7年前の1回目の参加の後に「私には合わない」「私には学ぶことがない」と感じ、次からの参加をしなかったならば、今の私はなかっただろう。なんとか当時の「わたし」は、分科会で1回は発言するという目標を立て参加申し込みをすることができた。もちろん、いろいろな研究会に参加して「視野を広げる」ことも大切だろう。しかし、1、2回の参加では、なかなかその研究会に参加する「よさ」は実感できないだろう。と、考えるうちに、毎年参加する研究会の数が増えてしまったのだが。(しまいには日程が重なってしまって参加できないことも・・・。)なお、この夏に参加する予定の研究会は今のところ次の通り。・・・・・7月30日・31日 東海国語教育を学ぶ会授業づくり学校づくりセミナー(滋賀)8月 2日・ 3日 日本初等教育研究会中央夏季講座(東京) ※ 私も1日目の午後に実践発表します!8月 4日〜 6日 社会科の初志をつらぬく会全国集会(京都)8月18日・19日 学びの共同体研究会・別府(別府)・・・・・7月30日から8月6日にかけて、いわるゆ「研修ロード」である。全国の先生方と語り合えることが今から楽しみである。
2013.07.22
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本年度の本校の研究は、分かりやすくいうと「子どもたちが授業の中で論理的に思考することができるようにする」ということであろう。しかし、このように書くと、私たち教師は「論理的に思考することができるように訓練する」、または、そのために「型を教える」ことを真っ先にイメージしてしまう恐れがある。たとえば、子どもたちに発表するときには、その内容とは関係なく事前に「『主張』を言ったあとに『根拠』と『理由づけ』を述べなさい」と直接的に指導したり、そのような発表ができるようなワークシートを作ったりする。また、子どもたちが自由に発言したとしても、その発言の中に「主張」「根拠」「理由づけ」の3つが揃っているかということを機械的にチェックしようとする。しまいには、どんな発言にも必ず「主張」「根拠」「理由づけ」の3つが含まれると思い込み、授業中も授業後も教師自身が混乱し、「トゥールミンモデルは難しくて現場では使えない」と投げ出してしまう。やはり、子どもたちに何かの力をつける、育てるというときには、とびつきやすい「方法」ではなく、しっかりとした「哲学」が必要である。そこで、あらためて「『対話』で広がる子どもの学び−授業で論理力を育てる試み−」(内田伸子、鹿毛雅治、河野順子、熊本大学教育学部附属小学校著 明治図書 2012.2)を読み返してみると、鹿毛雅治先生(慶應義塾大学)は次のように述べられている。・・・・・ 論理を大切にする授業とは、教師と子どもが一緒になって論理をつむぎだし、みんなで意味を創り出していくコミュニケーションプロセスそのものだといえるのではないか。そしてこのような相互触発的でダイナミックなコミュニケーションを授業で実現するための条件として、少なくとも以下の三点が挙げられる。(1)「語る−聴く」という学級風土 ・・・ (略) ・・・(2)「考え抜く姿勢」を引き出す課題 ・・・ (略) ・・・(3)論理に敏感な教師 ・・・ (略) ・・・ 「論理をつむぎだす授業」の体験の積み重ねこそ「考え抜こうとする子どもたち」を育む。それは論理的思考の「形式」や「スキル」を訓練することでは決してない。「思考力」とは、理解や表現、そして相互コミュニケーションを大切にした授業のプロセスに表れる現象であり、そもそも「かたち」を教え込まれて身に付くようなものではないからである。・・・・・「思考力」とは、「形式」や「スキル」を訓練して身に付くものではなく、コミュニケーションを大切にした授業に表れる子どもの姿である。これこそが、私たちがもつべき「哲学」であろう。また、この「哲学」を共有しようとするときに「論理をつむぎだす授業」という「ことば」がキーワードになるのではないか。「つむぎだす」を辞書で調べてみると「あたかも綿から綿糸を紡ぐように、細やかな作業によって言葉や作品を形にしていくこと」とある。このことこそ、これまで私たちが大切にしてきたことではなかっただろうか。
2013.07.22
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4年前に明治図書「楽しい理科授業」で連載していた「授業が変わるものづくりのヒント」。今回は、その「第2回」を紹介する。・・・・・授業が変わるものづくりのヒント 第2回パワーアップピッカリロボ(4年「電気の働き」)□パワーアップピッカリロボ 今回紹介するのは、「パワーアップピッカリロボ」。先月号で紹介した「ピッカリロボ」を乾電池2コに発展させたものづくりです。可動部分が、片方の端子につくと豆電球に明かりがつき(写真1)、反対側の端子につくと、もっと明るくつきます。(写真2) 必要な材料は、ソケットつき豆電球、乾電池2コ、導線、厚紙、アルミホイル、ビニルテープ。可動部分は、前回と同様「はとめ」で固定しました。(写真3) 4年「電気の働き」では、乾電池の数やつなぎ方を変えると、豆電球の明るさが変わることを学習します。「パワーアップピッカリロボ」は、豆電球の明るさの変化を楽しみながら実感するとともに、乾電池を直列につなぐと明るくなるという発見した「きまり」を定着させることにもつながります。また、完成したものに電流計につなぐと、電流の大きさも調べることができます。(写真4) 実際の授業では、乾電池を並列、直列につないだときの豆電球の明るさの違いを調べた後に、この「パワーアップピッカリロボ」づくりに取り組みました。□直列つなぎになっているはずだけど この「パワーアップピッカリロボ」を子どもたちに提示すると、「直列つなぎだ」「暗い方は、並列つなぎ」「はやくつくりたい」と声を上げます。しかし、実際につくろうとして、提示した「パワーアップピッカリロボ」の裏側を見ても、その回路は複雑でよく分かりません。 子どもたちは、「明るくなるときは、直列つなぎになっているはずなんだけど」とつぶやきながら、発見した「きまり」を活かそうと試行錯誤をはじめます。□「使わない導線はかくせばいい」 子どもたちがたどり着いた解決策は、「使わない導線はかくせばいい」こと。これは、はやくできあがった子どもが、説明するときに使った「ことば」です。この「ことば」をきっかけに、他の子どもたちも「パワーアップピッカリロボ」の複雑な回路を乾電池を出発点に「輪」として見ることができたのです。
2013.07.16
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先日のblogで、4年前に明治図書の雑誌「楽しい理科授業」(私の連載終了と同時に廃刊になったのだが・・・)に連載していた「授業が変わるものづくりのヒント」で書いた原稿の一部(第11回)を紹介した。せっかくなので、第1回からここで紹介する。・・・・・授業が変わるものづくりのヒント 第1回ピッカリロボをつくろう(3年「電気の通り道」) 今回から12回,実際に授業で取り組んだ「ものづくり」を紹介していきます。 新学習指導要領が前倒しして実施される今,「習得・活用・探究」をキーワードに,あらためて「ものづくり」の「よさ」を見直してみてはいかがでしょうか。□ピッカリロボをつくろう 今回紹介するのは,クワガタの角を閉じたり開いたりすると豆電球がついたり消えたりする「ピッカリロボ」。(写真1・2) 角を開いたままにして間にものをはさむと「テスター」としても使えます。(写真3) 厚紙でつくった土台に,乾電池や豆電球をビニルテープで固定します。(写真4) 角の部分は,開いたり閉じたりすることができるように「はとめ」を使いました。昆虫に限らず,自由に閉じたり開いたりするものを土台として考えさせると,豆電球や乾電池の場所,導線の長さなどが異なり,一人一人自分の土台に合わせて具体的に思考することになり,理解も深まります。(写真5・6) 実際の授業では,明かりがつくつなぎ方を調べた後に,この「ピッカリロボづくり」に取り組みました。□「輪っかの途中を切ればいい」 このピッカリロボをつくるときに活用する「きまり」は「豆電球に明かりがつくときに電気の通り道は1つの輪になる」こと。角を閉じたときの回路をイメージすれば簡単につくることができるのですが,子どもたちには意外と難しいようです。 実際の授業でも,土台の上に乾電池と豆電球を置いたり電気の通り道を図に書いたりしながら,子どもたちは試行錯誤をくり返すことになりました。 そんな中,子どもたちの話し合いの中で,「輪っかの途中を切ればいい」という発言がとびだします。とまどっていた子どもたちもこの発言をきっかけにして,それぞれのピッカリロボを完成させることができました。 電気の性質を活用したピッカリロボづくり。回路に対する見方や考え方をより確かなものにすることができます。
2013.07.16
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前回のblogのつづき。「どうしてAより上流にあるZは中流の様子をしているのだろう。」本時の導入で配った資料を見れば一目瞭然のはずなのだが、「AよりもZのほうがゆるやかなはずだ」ということが「わかったこと」として話し合いが進んできた。おそらく、この「Zはゆるやか」ということも曖昧だった(本当は資料を見れば一目瞭然なのだが)のだろう、学級全体の話し合いの後半は「Zまでの川の様子」が話題になる。・・・・・IYくん「みんなと似てて、えっと最初にZの方がAよりゆるやか、だから石もAとBの間くらいの大きさで、えっと、石が大きくなったのは、たぶん、最初は全部石は平等で同じだったと思うけど、Aはたぶん下流に行くほど小さくなって、たぶん、AとBの間くらいの大きさになってて、上流のは、そのまんまで、削られたっていうふうになって・・・。」T 「うん?ここ(Z)から、ここ(A)までで、どうして大きくなったのか、どうしてごつごつしたのかということに対しては?」IYくん「最初は大きさは全部同じだったんだけど、なんか、そこがよく分かんなかったんですけど、なんかZがたぶん削られたのかなって。でも、もし水とかに削られてるなら、Aの方が流れが速いからたぶん、Aの方が丸くなってると思うから・・・。」T 「削られるならAの方が削られるはずだって。esさん。」esさん「私は、MKくんがいったZは丸丸してるっていうのは、たぶんZより上に川があって、そこから、そこにあった大きな石がぶつかったりして削られてZにある丸丸した石になったと思うんですけど、でも、そしたら、ZからAに行くときに、またZにある石がぶつかって、角が削れるんだと思うので、それは、たぶん、Zにある石とAにある大きい石は、別々のものと思うんで、それはなんでかなっと思いました。」T 「smさん。」smさん「私もesさんと同じで、Zの石はAのところに流れてきてるんだったら、もしそのZとAがいっしょの石だったら、写真とかを見てても、Aの上流にあるすごいでかい石とかはないから、もし、流れてきたとしても、たぶん水の量とか絶対流れないはずだから、esさんと同じで、別々なんだろなって・・・。」T 「最後にHNくん。」HNくん「みんなが、流れがゆるやかっていってるんですけど、その写真を見ているとiPadの写真とかで、すごい波っていうか白いのがたくさんあったから流れが速いっていう証拠だし、写真を見ていると、川の中とかにけっこうでかい石もあって、しかも角ばってるのもあって、Zの傾きの新しく配られたやつに、Zよりまだ上があるから、そっから流れてきたからB地点と似ていると思って。あと、A地点のあの石っていうのは、流れてきたんじゃなくて落ちてきたみたいな感じに、そのあるから、やっぱり・・・。」T 「落ちてきたって、どこから落ちてきたの?」HNくん「上、上。山?あの分かんないんですけど・・・。落ちてきたと思うし、それに、A地点にはちっちゃな石とかもあるから、それがZから流されてきたやつだと思いました。」T 「どうですか?自分のグループにかえって自分の考えをまとめましょう。」・・・・・HNくんの発言のように、確かにZ地点にある石も丸みを帯びているということはそこまで流されてきたということである。esさんやsmさんはいう「ZとAの石は別々のもの」ということが、どれだけの子どもたちに理解されたか不安は残るものの、ここで授業を終えた。後は、宿題で自分の考えをノートにまとめるだけだが、また子どもたちを「もやもや」させたまま単元も終えてしまった・・・。※ 今回の記録は、平成25年3月15日のものである。
2013.07.16
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前回のblogのつづき。単元の学習の最終回に設定した「どうしてAより上流にあるZは中流の様子をしているのだろう」という課題。久しぶりに(?)グループでも活発に話し合いっていた。この実践をスタートさせたときは、石の大きさと川の傾きを関係付けてとらえさせようと考えていたのだが、今回の課題では、その「ゆるやかだから石は小さくて丸々している」という考えが邪魔しているようである。学級全体の話し合いでは、次のように発言が続いた。・・・・・T 「じゃあ、誰からでもいいですよ。YKくん。」YKくん「なぜB地点に似てるかというと、みんなは最初AとBの間っていったじゃないですか。それは、写真に向こう側の奥のところに山があったからじゃないですか。だから、山があったからA地点とB地点の間っていったけど、A地点のもっと先だから、つまり、A地点にある山とA地点の奥にある山があって、その山の谷間のところに川が流れてて、だから、谷間が平地みたいになって、だから、BC地点とB地点と似てる地形になったんじゃないかなと思いました。」T 「MKくん。」MKくん「ぼくも、最初、ぼくの班のktさんとuhさんで考えたときに、今、青で塗った部分を最初考えていたんですよ。でも、川はなだらかだから、Aまではのぼってはこれないと思って、で、あくまでもぼくたちは、えっと考えた図は、あの・・・。」T 「ありますか?」MKくん「はい。この山は、この山に位置してて、もしこの図だったら2個目の山のてっぺんだったら、まず少しちょっとAほどはないけど少しなだらかだし、ここからゆっくりいって、Aは傾きがあるから、ここからこういうふうにいったらつじつまが合って。で、どうしても分かんなのが、Zは、Bみたいに石が丸丸しててAみたいにでかくはないから、どうやってAみたいにごっつい石になったのかなーって思いました。」T 「困ってるのは、丸々した石が、どうして・・・、どういうこと?」MKくん「だから、Zの石はあのiPadの写真にもあったように、Bよりも少し大きい石みたいな感じで丸丸してたのに、Aはもう丸丸した石はそんな見当たらずにゴツゴツしたごっつい石がたくさんあったから、どうしてそんなゴツゴツなるのかなーって、感じです。」T 「shさん」shさん「あの私は、Zの土地の様子がBに似てるから中流に似てると思うんですけど、で、Aはあんな山がこうあって、あのてっぺんなんだけど、こんな平たいというかなんか富士山みたいなやつ?そんな感じ。そこで、Aになったら斜面になるから、Aになったらゴツゴツした岩とかが出てくると思うんですけど、で、そのおっきいAにある岩は、雪崩とかで、落ちてきて、川にドンときたなのじゃないのかなって思いました。」T 「雪崩で落ちてきたって、どういうこと?」shさん「雪崩、っていうか土砂崩れみたいな感じ。・・・崖崩れ?」T 「あー。SMくん。」SMくん「えっと、Zは山のてっぺんなんですけど、すごくゆるやかなんですけど、あのMKくんのに答えるんですけど、Zはゆるやかすぎて、水の流れが遅いから、その・・・、どっちかというと、AからBにかけてがその流れが図でも分かるようにすごく急で、山のてっぺんには大きい石もあると思うんですけど、Zはゆるやかで、その大きい石を運べないんですよ。それで、Aになってどんどん急になっていくから、流水実験のときみたいに削っていくじゃないですか。そのときとかに、大きい石とか出てくるといったらおかしいけど、さっきshさんが言った通り雪崩?雪崩とかそんなのがあると思うんですけど、そんなのでAからBにかけてけっこうたまっていって、たまっていくっておかしいけど、それで、AからBにかけてすごい急だから、BからCに似てるんじゃないのかなって。」・・・・・これまで「石の大きさの違い」を「粉砕モデル」で考えてきたMKくん。今回提示されたZ地点の写真と前時で「Aの上流には、もっと大きい石(岩)がある」といっていたことと合わないのだろう。何とか説明しようとするものの、学級全体での話し合いでは、同じグループで少数派だったSMくんの考えが他の子どもたちに受け入れられることになった。Z地点の写真といっしょに提示した白川の傾き(勾配)を示す資料が十分に使われていないことは気になるものの、A地点にある石(岩)は、土砂崩れが起こり「そこで」供給されたという考えに多くの子どもたちは納得したようである。(つづく)※ 今回の記録は、平成25年3月15日のものである。
2013.07.16
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前回のblogのつづき。グループでの話し合いの中で「わかった」と声を上げた直後に「全然分からない」とつぶやいたhmさん。そのノートを見てみると、次のような図が書かれていた。しかし、導入で子どもたちに配った白川の傾き(勾配)を示す資料は次の通り。おそらく、自分の考えに矛盾を感じているのだろう。その後、hmさんのグループは次のように話し合っていた。・・・・・hmさん「(TRくんのノートを読む)石が上流で削られすぎて、小さな石になった。」shさん「えっ、なんで?これから、これ、この次にAがあるんだよ。」TRくん「そうだよ。上流じゃん。」shさん「TRくんの説明だったら、Aの次にZがあって、B、Cってなっていく・・・。」TRくん「だって、Aも上流なんだから、もう削られてるじゃん。」hmさん「だって、なんでさ、はじめちっちゃくて、大きくなって、ちっちゃくなって、ちっちゃくなって・・・。はじめちっちゃいんでしょ?」TRくん「もとは大きかったんだよ。それが削られて・・・。」hmさん「なんで、Aにあんな大きな石があるの?」TRくん「・・・、崖から落ちてきたんじゃない。」shさん「どこから小さくなったの? 」TRくん「流れが速いところ。」shさん「ここ(Z)が一番最初なの。(Zの石は)どこで削られるの?」hmさん「削られそうじゃないじゃん。」shさん「小さな石になったってさ、まず、ここ(Z)でこの大きさなの。この大きさなんだよね。」TRくん「うん。そうだよ。」shさん「で、Aにあるおっきな岩っていうのは、雪崩とか起きて、あそこにドーンっていっちゃったの。だから、別にここで削られるってことはないの。」TRくん「何で、何で、何で?」・・・・・(雪崩と崖崩れを間違いながらも)核心に近づいているようにみえるsmさん。また、hmさんも軌道修正ができたようである。それに対して、TRくんはまだまだ納得できない様子である。(そんな中、MSくんは「褶曲、褶曲」とつぶやいていた・・・。)(つづく)※ 今回の記録は、平成25年3月15日のものである。
2013.07.16
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前回のblogのつづき。「どうしてA(南阿蘇村立野)より上流にあるZ(南阿蘇村久木野)は中流の様子をしているのだろう」と課題を設定したものの、子どもたちはとまどっている様子である。TRくんのグループでも、iPadでZ地点の写真を見ながら次のように話し合っていた。・・・・・TRくん「石が小さいんだよ。・・・えっ?なんで?」shさん「っていうか、中流と上流の石が混ざってる。」TRくん「なんで?えっ、逆流?」MSくん「ていうか、Zを掘った様子ないのかな?褶曲とかで傾いた可能性あるじゃん。」TRくん「何?褶曲って。」MSくん「(自分のノートを曲げながら)褶曲ってさ・・・。」TRくん「曲がるってことを言いたいんでしょ。」MSくん「たとえば、大昔、褶曲があって、それで反転したとか。」TRくん「反転?・・・よく分からない。」hmさん「どう思う?どう思う?」TRくん「石が削られすぎた。」hmさん「はっ?こっちに山があって、こっちがZ、A、B、C、D・・・。」shさん「だから、これ(Zの写真)が、これからAにいくんだよ。だから、削られないでしょ。」TRくん「山が平らなんだよ。」shさん「富士山じゃあ、それ。」hmさん「山があって、こっちがZで、こっちがAなんじゃない?わかった。輪っかになってるんだ。でもさ、はじめに川ができるときには、わき出てくるときには・・・。」・・・・・MSくんは、もともと中流だった場所が、地殻変動で隆起しA地点よりも高い位置になったといいたいのだろう。そんなことが話題になる中、hmさんは山の断面を図に書く途中に何かに気づいた様子である。しかし、そんなhmさんも、しばらくすると次のようにつぶやいている。・・・・・shさん「ここって、なんていうんだろ。上流、中流、下流?」TRくん「上流。」shさん「上流?」TRくん「だって、Aより上だから上流でしょ?」hmさん「全然分かんなくなってきた。」shさn「・・・上上流。」hmさん「全然分かんなくなってきた。」・・・・・もともと複雑な現象である「上流と下流の石の大きさのちがい」。さらに複雑にしてしまったということであろう・・・・。(つづく)※ 今回の記録は、平成25年3月15日のものである。
2013.07.16
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いよいよ「流れる水のはたらき」も、最後の授業である。今回は、まず次の写真を提示する。この写真に写っている川が「白川」だと伝え、「どこか」と尋ねると、子どもたちは次のように発言した。・・・・・IYくん「ぼくは、AとBの間だと思うんですけど。まず、一つ山があるというのと、川幅がBとCと比べると細いと思って、あと、石の大きさもBとCの間は、もう、すごい小さいんだと思うけど、まあ石も見えるから、たぶんAとBの間だじゃないかなと思いました。」smさん「私は、BとCの間だと思うんですけど、BとCの間だけど、どっちかというとBの方に近いんじゃないかなと思うんですけど、理由は、後ろの方とかは、もうなんか山みたいな感じじゃなくて、どっちかというと、なんか雑草が生えてるみたいな感じで、で、1回白川にいったCのときとか、Bに行ったときも、周りは山とかじゃなくて、木とか雑草とかだったから、Bに近いかなと思いました。」SMくん「ぼくは、BとCの間で、どっちかというとCに近いと思うんですけど、山は見えるんですけど、けっこう遠くに山があるからけっこう距離があるし、あんまり傾きがなさそうだから、どっちかというとCに近くて、石の大きさもちっちゃくなってるんで、どっちかというとCに近いんだと思います。」・・・・・これまでの学習をもとに、多くの子どもたちがいわゆる「中流」だと考えているようである。そこで、地図を示しながらこの写真がA地点(南阿蘇村立野)よりも上流のZ地点(南阿蘇村久木野)で撮ったものだと伝えると、驚きの声が上がる。その後、Z地点まで含む白川の傾き(勾配)を示す資料を提示し、「どうしてAより上流のZは中流の様子をしているのだろう」と課題を設定した。しばらくの間、子どもたちはiPadの中のZ地点の写真を見ながら、「えー?どうして?」ととまどっている様子であった。(つづく)※ 今回の記録は、平成25年3月15日のものである。
2013.07.16
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前回のblogのつづき。「どうしてA地点(南阿蘇村立野)とB地点(菊陽町戸次)では石の大きさが違うのだろう」という課題に対し、「侵食モデル」や「粉砕モデル」で説明する子どもたち。思わず次のように問い返してしまった。・・・・・T 「じゃあ、あなたはこれはもっともっと大きかったんだ、それが流れているうちにこれ(A地点の石)になった、で、Bに流れていくうちにこれ(B地点の石)になる、ということ?。」・・・・・この「不用意な問い返し」がきっかけになったかどうか分からないが、おそらく「話し合いの節」を折ってしまったのだろう、次のように発言が続いた。・・・・・T 「どうでしょう。hmさん。」hmさん「えっと、私もOYくんといっしょで、あの石とかに当たって小さくなったと思って、疑問があって、すごくゴツゴツして大っきいのに、丸くてちっちゃくなるのは何でかなって、不思議に思いました。」T 「えっ。あー。」hmさん「すごい差がある・・・。」T 「これ(A地点の石)からこれ(B地点の石)がすごい差がある。これがこれになるのが不思議だってこと。どうでしょう。GTくん。」GTくん「えっと、ぼくはちょっと、MKくんに反対意見、反対意見といったらおかしいかもしれないんですけど、まず、その、たぶん、その、石っていうのは、上流のそれがA地点の石が、そこにもともとあったと思って、その理由は、たぶん、その前にもあるとしたら、それがもっとでかかったというなら、そこのもっと大きい石があったじゃないですか。それも、もっと大きいのがあったということだから・・・。」T 「(パネルを見せながら)こんなのかな?」GTくん「そう、それもここに流されたことになるから、いくら川であっても、それは、それより大きいのを流すにはちょっと水の力ではできないんじゃないかなって、もともとあって、で、あの、上流から流れてくる石は水とか石同士がぶつかってしたんじゃないのかなと思います。」T 「esさん。」esさん「私は、hmさんに答えるのと、あと自分の意見なんですけど、まず、自分の意見はOYくんと似ていて、みんなも見た通り、Aは水の流れが速くて運搬するはたらきが強いので、Aの石がBに流されて、その流されている途中に石と石同士がぶつかったりして角が取れちゃってBのが丸く小さいと思いました。で、hmさんのに答えるっていうのは、あの、さすがにhmさんがいっているように、先生が持ってきた大きい石が、そこまで小さくなるっていうのは、ほとんどないと思うから、あれはAの中でもある程度小さい石が、その、さっきもいった通り、Aは水の速さが速くて、運搬のはたらきも強いから、まあ、ある程度の大きさだったらまだ流れると思うから、それは、あの、大きい石が小さくなるのはたぶんないんじゃないかなって思いました。」T 「うーん。これ(A地点の石)はさすがに流れない。」esさん「にくい?」T 「流されにくい。もうちょっと小さいのが流されてきて、こう角が取れたんだって。これ(B地点の石)より、ちょっと大きいくらいだったということ?」esさん「うーん。」T 「ksさん、どうですか?」ksさん「esさんと同じで、えっと、OYくんの意見にも似てて、Aにある小さめの石が、Bに流れて、流れるときに石同士とかがぶつかったり、川の底にたまってる石とかにぶつかったりして、もともと、まあ、小さいけど角があるゴツゴツした石が、少し小さくなって、丸くなったのがBの石だと思うんで、上流から石が流されてきて、その流される間に・・・。」T 「じゃあ、これ(B地点の石)はもともとAにあったときには角があった。角があってゴツゴツしてたんだ。それが流されてくる間に丸くなった。」・・・・・最後に、目の前にある石を指しながら、「これ(A地点の石)が、これ(B地点の石)になったと考えている人?」と尋ねると、手を挙げた子どもは5、6名だった。が、本当に子どもたちはモデルを変更、修正したのだろうか。せっかくGTくんも「写真の中にある事実」にもどそうとしたのに、私が「さすがにこれ(教師用机の上のA地点の石)は流れない」と邪魔してしまったのではないか。不安だけを残し、いよいよ次時は「最終回」である・・・。※ 今回の記録は、平成25年3月12日のものである。
2013.07.12
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前回のblogのつづき。「どうしてA地点(南阿蘇村立野)とB地点(菊陽町戸次)では石の大きさが違うのだろう。」グループでの話し合いの後、学級全体では次のように発言が続く。・・・・・T 「じゃあ、誰からでもいいですよ。OYくん。」OYくん「えっと、ぼくは、川の上流から流れてきた石が他の石や水で削られて小さくなっていったのがBにあるから、石の大きさがちがうと思います。」T 「じゃあ、大きい石があって、それが流されているうちに小さくなった。IYくん。」IYくん「OYくんに付け加えで、まず最初にでかい石があって、それが水の浸食やなんか、石同士でぶつかり合ったりして、まあ、割れたやつがまあAからBの間で、それがたぶん、水とか石とかに何回もぶつかりあって、たぶん、丸くなって運ばれていったんだと思いました。」T 「TRくん。」TRくん「ぼくは、Aの大きい石があるじゃないですか。その大きい石に流れている石が当たって砕ける?まあ、砕けて、その砕けた石が水に流されながら、砕けた石の角が取れてBの石になるんじゃないかと思いました。」T 「uhさん。」uhさん「私も、OYくんに付け加えなんですけど、Bは山の方から石がおりてくるときには、Aよりも時間が長いから、それで、削られる量とかも時間が長い分だけ多いから違うと思います。」T 「うん?どういうこと?川があって(黒板に図をかきながら)ここがA、ここがB。この辺りから流されるけど、ここと、ここの長さが違うので、ここは大きくて、ここは小さいということ?」uhさん「そうそう。」T 「これがこれ(A地点の石)で、これがこれ(B地点の石)。」uhさん「そうそう。」T 「smさん。」smさん「私は、前もいったんですけど、A地点とかであった土砂崩れとかで、土砂崩れとかからも小さい石とか出てくると思って、土砂崩れだけってわけではないと思うんですけど、その土砂崩れとかであった小さい石がB地点までいってると思って。で、理由は、Aの大きな石は、上流の岩では流れないって思って、水の流れが速くても、水の量が少なかったら角とか少ししか削れない、水に浸かってる部分しか削れないと思うからAとBでは大きさがちがうんだろうと思いました。」T 「大きい石は何?Aで土砂崩れが起きて、小さな石は流されて・・・。」smさん「流されるけど、Aの大きな石は、上流の水の量とかでは、写真とかで見ても、全然大きな石には水が浸かってないから、大きな石はそのままで、少しは削れるかもしれないけど、Bよりは削れない。」T 「MKくん。」MKくん「えっと、ぼくはuhさんといっしょで、まず結論からいうと、石の流される時間がAとBでは違うからってことで、詳しくいうと、山から流れて削られてきたものがそのAの石で、山から削られてAからBになったのがBの石で、もし、最初に山からこの石(教師用机の上にあるA地点の石)が流れてきたとして、この石がどんどん流れて、Aになったときは、これよりも半分くらいかな?それぐらいの石になってると思うけど、もしこの石がBまでいったら、もうその半分の半分、4分の1のくらいの石の大きさになってると思います。」T 「じゃあ、あなたはこれはもっともっと大きかったんだ、それが流れているうちにこれ(A地点の石)になった、で、Bに流れていくうちにこれ(B地点の石)になる、ということ?。」・・・・・「A地点とB地点の石の大きさの違い」に焦点化したことによって明らかになった「粉砕モデル」の根強さ。そんな中、写真の中にある事実にもどろうとしたsmさん。見学のときもみんなでこの「土砂崩れ」は観察してるのだが、写真があるともどりやすい。それでも、「粉砕モデル」や「侵食モデル」の方がシンプルに説明しやすいということだろうか。黒板に図を書くのも、書きやすいのも確かである・・・。(つづく)※ 平成25年3月12日ものである。
2013.07.12
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これまでの授業中の発言をみてみると、多くの子どもたちが、「上流と下流の石の大きさの違い」と「水の運搬するはたらき」を関係付けて考えることができようになっているようにみえる。そこで、今回は「どうしてA地点(南阿蘇村立野)とB地点(菊陽町戸次)では石の大きさが違うのだろう」と課題を設定した。自分の考えをノートに書いた後、TRくんのグループでは次のように話し合っていた。・・・・・TRくん「いいですか?えっと、2つあるんだけど、一つ目は浸食が働いて削られると思って、浸食作用が流れ速いとき強くなると聞いたから、でっかい石が削られてこう(B地点の石)なったと思う。で、二つ目が、砕けて削られて丸くなると思って、Aにある石が運ばれてる途中に、川底にある石に当たって、その、砕ける。それで、その後のこの図なんだけど、これが、川底にあった石とぶつかってこういうふうになって、これ角があるんだよね、ちょっと。で、それが削られながらとれていって、ドーンって、Bの石になる、じゃないかなって思いました。」hmさん「まあ、だいたいTRくんと同じなんだけど、上の方でなんか大きさがちっちゃくなるわけよ。ばーんと落ちたりして、なんか3つぐらいに分かれて、そこから、中流とかに流れていく間に、どんどん丸みができてきて、こんな感じになったと思うんだけど、いくら水の力だとしても、こんなに丸くなるのはちょっと不自然だと思うし、その上、こんなに小さくなるなのもあんまり・・・。あれ(教師用机の上にあるA地点の石)からはならないと思う。」・・・・・TRくんは、「侵食モデル」と「粉砕モデル」、hmさんは「粉砕+運搬モデル」であることが分かる。しかし、TRくんは前時には「Aの大きい石は流れない」と発言している。このことに疑問をもったのだろうか、MRくんが次のように指摘する。・・・・・MSくん「でもね・・・。TRくんがいっていることは本当なの?hsさんの意見がね・・・。TRくんの意見が合ってるなら、あの大きな石、Aの大きな石は・・・。」TRくん「あの大きな石とはいってないけど・・・、あれではないよ。ちょっと小さめ、なんかちょっと小さいやつは・・・。」hmさん「でも、大きいやつあるじゃん。」MRくん「だって、急斜でしょ、だから流れが速いじゃん。めっちゃ・・・。」hmさん「でも、こんくらいのがなるならさ、また大きいやつは方法が違うってこと?」TRくん「・・・大きいやつは流れないと思います。それか、これ(B地点の石)がAの石だとするよ。これがこう流れたとすると、角をガッガッってとっていくんじゃないかなっとは思う。」MSくん「でも、川底の石に当たって砕けると言ったよね。」TRくん「川底のね。うん。」MSくん「だいいち、水ってぶつかったときの力を減少するじゃん。だって、例えば・・・。」hmさん「まあそうだね。水の中にぶつかってもそんな痛くないじゃん。そういうことでしょ。」MSくん「たとえば、ここに石があって、水中の中に置いてるとするじゃん。その中に石を置いて、こうやっても(水面をたたいても)、ぜんぜん割れんじゃん。」TRくん「ああ、そうか。」MSくん「だから石が、割れなくない?」hmさん「だから、水の中では、あんまり力が働かない。」・・・・・MRくんは「浸食するはたらきには、石そのものを削って小さくする力はない」といいたいのだろうか、それとも「水の中で石同士がぶつかっても割れたりしない」といいたいのだろうか。はっきりしないのだが、MRくんとhmさんは妙に納得している様子である。このことが関係しているかどうか分からないが、その後、TRくんとhmさんは次のとうにつぶやいている。・・・・・hmさん「あれぐらい(教師用机の上にあるA地点の石)から、このくらい(B地点の石)になると思う?」TRくん「ちょっと自信ない。」hmさん「だよね。いきなりこれ(B地点の石)にはおかしいけど、どのくらいその道は長いのかな。」・・・・・やはり、「石が小さくなること」と「石の角が取れること」が混乱しているとともに、まだまだ「運搬モデル」よりも「粉砕モデル」や「侵食モデル」が根強いということであろう。(つづく)※ 今回の記録は、平成25年3月12日のものである。
2013.07.12
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今日は、昨日完成した「人体模型Tシャツ」を着て給食を食べた。子どもたちは、今どこと食べ物が通っているかと考えながら食べるなど、体のはたらきを「実感」することができる。はじめは恥ずかしがっていたものの、給食後の休み時間にも先生方や他のクラスの友だちに見せて説明する姿も見られた。子どもたちの感想は次の通り。MRくん「熱い食べ物を食べたときに、おおまかにどこを通っているか分かった。胃に食べ物がたまっている感じがした。そして、呼吸をすると肺が大きくなっていることが分かった。」SJくん「朝に運動をしたときに心臓がドクドクなっているとき、Tシャツの心臓もドクドクなっていたのでおもしろかった。」ayさん「食事のときとかに普段は意識しないが今日は意識して食べてみたら食道から今で食べ物が通ったのが分かった。少しだが胃が膨らんだ?」esさん「食べ物を食べたとき、温かい物の方がどこを通ったのか分かりやすくて、私のTシャツでは、肝臓あたりに入っていった気がした。肝臓から下は、あまり感じない。Tシャツがピッタリだったので、自分の体のなかがどうなっているのかよく分かった。」最後には、「下校のときも着て帰ろうかな」という声が聞かれるくらい、子どもたちは満足していたようである。※ 今回の記録は、平成25年7月11日のものである。
2013.07.11
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前回のblogのつづき。なんとか完成した「人体模型Tシャツ」。つくった感想をノートに感想を書いて授業を終えた。ノートに書かれていた感想の一部を紹介する。hsさん「私は、Tシャツをつくる前は、どの管がどことつながっているのかなどは分からなかったので、実際Tシャツに書くときに知ることができてよかった。肝臓は食べ物が通る道(消化管)の一部だと思っていたので、食べ物が通らないのにはびっくりしました。」JTくん「人体の中のだいたいの内臓の位置が分かった。腎臓は背中の方にあって、正面からじゃ見えないことが分かった。」ksさん「食道から胃、大腸、小腸、肛門まで1本の道?でつながっていることが分かった。ちょっとしたところ(食道や気管)をわすれてしまうと、すごく大変なことになることを実感することができた。」ktさん「意外と難しかった。気管と食道が違うということは知っていたけど、書いてみて改めて気づいた。3つのパーツ”消化管””肺と気管””心臓”に分かれていることが分かった。」wmさん「私は、Tシャツに肝臓や胃を書いて、あやふやに覚えていたそれぞれの役割に加えてつながりがよく分かった。なぜ、わざわざ重なったりして人間はできているのか理由がとても気になった。」明日は、完成したTシャツを着て給食を食べる。※ 今回の記録は、平成25年7月10日のものである。
2013.07.11
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このblogで紹介している「人体模型づくり」であるが、「楽しい理科授業」(明治図書)に「授業が変わるものづくりのヒント」を連載しているときに、7年前に実践したときの様子を原稿(2010.2月号「人体模型Tシャツをつくろう」)に書いた。今回の実践を実践を振り返るために、ここで改めて紹介する。・・・・・授業が変わるものづくりのヒント 第11回人体模型Tシャツをつくろう(6年「人の体のつくりと働き」)□人体模型Tシャツ? 今回の学習指導要領の改訂で「人の体のつくりと働き」に、次の内容が追加されました。 エ 体内には、生命を維持するための様々な臓器があること ここでは、主な臓器として、肺、胃、小腸、大腸、肝臓、腎臓、心臓を扱うこととし、学習指導要領解説には、「また、これらの臓器の名称とともに、体内における位置をとらえるようにする」と記されています。 「人体模型Tシャツ」とは,自分の体に合うように臓器をTシャツにかいたものであり、この人体模型Tシャツづくりに取り組むことにより、今回の改訂にある様々な臓器の「位置」や「つながり」を子どもたちに意識させることができます。(写真1)□自分の体に合わせて 必要な材料は白地のTシャツ、チャコペン(下書用)、マジック、絵の具です。レントゲン写真など、様々な資料を参考にし、実際にTシャツを着て臓器の位置や大きさを確認しながらかき込んでいきます。(写真2・3) また、図鑑などを参考にしながら色づけします。布用の絵の具もありますが、今回は、図工用の水彩絵の具を使用しました。(写真4) なお、透明のシートを重ね、血管をかき込むこともできます。(子どもたちは「血管エプロン」と名付けました。)(写真5)□胃は大腸につながっている? 実際に臓器をTシャツにかきはじめると、それぞれの臓器の「位置」や「大きさ」とともに、「つながり」が問題になります。図鑑を見ながら、一人の子どもが次のようにつぶやきました。「食道は胃につながっていて、胃は大腸につながっている?」 その図鑑をみんなで見てみると、たしかに胃と大腸がつながっているように見えます。 しかし、その後「でも、大腸の役割は小腸で養分を吸収した残りのものから水分を吸収することじゃないの?」と小腸や大腸の働きを見直すことになりました。 このように、それぞれの臓器を自分の体に合わせてかき込ませることにより、そのつくりと働きをわかり直させることができます。(完成後、人体模型Tシャツを着て運動場を走ったり給食を食べたりしました!)
2013.07.10
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途中「地層の観察」で中断していたが、いよいよ「人体模型Tシャツ」を完成させる。鉛筆で下書きしていたものをサインペンでなぞり、絵の具で色をつける。だんだん色がついてくると、理科室の実験台の上でなんだか「解剖」しているようにも見えてくる。そんな中、一部の子どものTシャツに「食道」が描かれていないことが話題になる。友達に「食べたご飯は、どこを通るのか」と指摘され、やっと気づいたようである。実際に描くことによって、やっと「わかったつもり」に気づくことができるということだろうか。その後、数名の子どもたちの「人体模型Tシャツ」が完成する。「きもちわるい」といいながらも、Tシャツを着て理科室の中をうろうろしているときの表情は、とてもうれしそうであった。(つづく)※ 今回の記録は、平成25年7月10日のものである。
2013.07.10
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前回のblogのつづき。見学を終え、学校の到着したのは午後3時。拾ってきた(採ってきた)石を整理したあと、観察メモをもとに気づきや感想をノートに書いて終了である。ノートに書かれた気づきや感想は次の通り。・どこにでも地層があることが分かった。・私たちが立っている下にも地層がある。・地層をつくる層の中には柔らかいものや固いものがある。・地層はどのようにできたのだろうか。・地層をつくる層は、大・中・小の3色ではなかったのはどうして?・どのように層が積み重なっていったのか。・どういう順番で重なっているのか。・下に重い小石が積もって、順にどんどん粒が小さくなる?・粒の大きいものと小さいものが交互になっているのがどうしてか。・どのくらいの年月をかけて固くなるのか。・一番大きい粒(石)でどれくらいのものがあるのか。 など2学期の追究が楽しみである。※ 今回の記録は、平成25年7月3日のものである。
2013.07.10
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前回のblogのつづき。今回、観察したのは宇土市にある御輿来(おこしき)海岸の露頭。地層をよく見てみると、「黄色」と「灰色」層からできていることが分かる。それぞれの層を虫めがねで観察すると、黄色の層が砂、灰色の層が泥でできている。その「黄色の層」の中に厚さが10cmを超え小石(れき)が混ざっているものもあった。観察をはじめて30分たった頃、地層から少し離れた場所から眺めさせる。すると、「立っていた場所の下も地層だ」と声が上がる。その後、子どもたちの観察場所は足もとにも広がることになった。そんな中、「落ちている石を拾ってよいか」と訪ねられる。落ちている石も「しま模様」なのである。「少しだけだったら」と答えると、まだ落ちていない「とれそうな岩」を大事そうに採ろうとする子どもの姿も見られた。午後1時40分。観察を終えて、バスにもどるときも歓声が上がる。先ほど歩いてきた場所も「しま模様」が続いていて地層がつながっているのである。子どもたちは「全部地層だ」と、20分ほどかかる帰り道も楽しみながら歩いていた。子どもたちにとって、土地の成り立ちのスケールの大きさを実感することができた見学になったことだろう。(つづく)※ 今回の記録は、平成25年7月3日のものである。
2013.07.10
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今回も大学のバスをお借りして「地層」の見学に出かける。見学場所は、学校のある熊本市の南西に位置する宇土市下網田の御輿来(おこしき)海岸である。11時に学校を出発し、現地に到着したのは正午前。(1時間で行ける場所に見学場所があるのはありがたい。)見学地の隣にある宇土マリーナの芝生広場で昼食をとった後、12時30分頃から露頭の観察をスタートする。観察する露頭まで、海岸に降りてからもけっこう距離があり、しばらく歩くことになる。。その途中、「しま模様」の岩の存在に気づくものの、子どもたちは地層の存在と関係付けてとらえていない様子であった。途中、小さな露頭を見つけ「地層があった」と声を上げる。20分ほど歩き、何とか「お目当て」の露頭に到着。予想以上に地層が高く大きかったからだろうか、「大きい」と声を上げる子どもも。子どもたちは、グループに分かれて、地層の様子をスケッチしたりデジカメで撮影したり、さらには、地層に近づいて虫めがねで観察したりしている。何を調べたいのだろうか、露頭によじ登ろうとする子ども。事前に十分注意をしていたのだが・・・。(つづく)※ 今回の記録は、平成25年7月3日のものである。
2013.07.09
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夏休みが始まる直前ではあるが「土地のつくりと変化」の学習をはじめる。まず、7年前に見学に出かけたときに撮影した「地層」の写真を提示した。すると、子どもたちは「しましまだ」「地層だ」と声を上げる。そこで、「どうして『しま模様』に見えるのだろう」と問い、地層を「しま模様」が分かるように切り出した岩石を観察させた。しばらくすると、「土の色が違う」とともに「粒の大きさが違う」ということに気づいたからだろう、多くのグループが虫めがねを使って観察しはじめた。その後、「実際の地層の観察で調べたいこと」を書き授業を終える。ノートを見てみると、次のように書かれていた。・どのような場所に地層はあるのか。・実際の地層の大きさや高さはどのくらいなのか。・地層はどこにでもあるのか。・どんな色の層があるのか。・違う場所にある地層は同じような層になっているのか。・地層の表面はでこぼこしているのか。・実際にどのくらいの種類の砂や小石でできているのか。・地層をつくる粒で、一番大きい粒はどのくらいの大きさなのか。・どんな粒の大きさの層の順番になっているのか。・粒の大きさが異なるものが混ざっている層はないのか。・地層は、何段(層)あるのか。・地層は横縞ばかりなのか。・地層は崩れるのか。・地層の上に木が生えているのか。いよいよ明日、実際の地層を観察する。※ 今回の記録は、平成25年7月2日のものである。
2013.07.09
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最近、図工と音楽の授業を観る機会があった。どちらの授業とも鑑賞後に子ども同士が話し合う活動が設定されているものの、その話し合いにどうも「深まり」が感じられない。おそらく、感性を大切にする教科であるとともに、いわゆる技能教科だからだろうか、言語活動の重要性、さらには論理的に思考することの必然性が授業者自身に明らかになっていないのだろう。しかしながら、4年前に本校が「論理科」カリキュラムの開発をスタートさせたとき、内田伸子先生(筑波大学監事)にアドバイスいただき、「理性と感性の協働」をキーワードにして授業づくりに取り組んできたはずである。当時は(もちろん、今でも)「腑に落ちる」という「ことば」に置きかえて考えることが多っかったのだが、このことが逆に図工や音楽の授業づくりを難しくしてしまったのではないか。(理科や社会では便利なキーワードだったのだが・・・。)そこで、改めて内田先生が本校で講演(平成21年度研究発表会)されたときのプレゼンを見直すと、次のようなスライドがあった。「イメージの表現力と評価力」。おそらく、「何か」を表現しようするときや鑑賞して「何か」を感じたときに「ピッタリあう『ことば』が見つかる」ということと関係があるのだろう。また、「何か」を説明するとき、生活経験を語るとともに、その語りに因果律(結論先行型)の言語形式が使われることによって理性と感性が協働するとも書かれている。(算数や理科も含めて)改めて原点にもどり、実践を見直す必要がある。(つづく)
2013.07.06
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8月2日(金)、3日(土)、筑波大学附属小学校で開催される日本初等理科教育研究会中央夏期講座で実践発表します。平成25年度第52回日本初等理科教育研究会中央夏期講座テーマ「今、理科で何が大切か?」開催日 平成25年8月2日(金)、3日(土)会 場 筑波大学附属小学校 文京区大塚3-29-1参加費 会員:3000円 一般:5000円※ 事前の申し込みは必要ありません。 発表する内容は、昨年12月から今年3月にかけて実践した5年「上流と下流とは」(流れる水のはたらき)です。できるだけ子どもたちの様子を動画を使って紹介できればと思っています。詳細はこちら。東京でお待ちしています。
2013.07.02
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前時に行った「赤い色水につけたホウセンカの葉や茎の色の変化の観察」。根から色水が吸収され、葉の先端まで行き渡ることは分かったのだが、前回使ったホウセンカが小さかったため、葉や茎の断面などの観察が十分にできなかった。そこで、今回は大きめのホウセンカを掘り起こし、再度実験する。実験結果は次の通り。はっきりと「水の通り道」を観察することができた。あとは、この「水の通り道」と「光合成」を関連付けてまとめさせる。早足で進めてしまった単元。子どもたちは、どれだけ実験結果を整理することができているのか心配である・・・。※ 今回の記録は、平成25年7月2日のものである。
2013.07.02
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今年2月の研究発表会の公開授業5年「上流と下流とは」(流れる水のはたらき)の指導案には、そのときの「わたし」の「ねがい」を次のように書いた。・・・・・ これまでの学習の中で,一人一人の子どもたちが,観察・実験の結果などの事実をもとに推論しながら自分の考えもつことを大切にしてきた。例えば,発芽の学習での「発芽後に子葉が落ちる」や,ものの溶け方での「水に溶けた食塩の重さは保存される」などの事実である。 しかしながら,本実践で取り上げる「川の上流と下流の違い」は,長い時間をかけて起きた現象であり,教師から一方的に説明しても子どもたちは受け入れなかったり,事実のとらえ方にずれが生じたりすることもある。実際に川を観察したとき,上流や下流の様子の違いに気付いた子どもたちは,次のように発言した。「上流は,川はばが狭いから水の流れが速い。」「下流の川はばが広いのは,水が長い距離を流れたから,けずる力が大きくなったから。」 そこで、これまで以上に「目の前の事実」から思考することを促すとともに,川の様子と流れる水のはたらきを関係付けることができるような工夫が必要がある。 また,子どもたちは,「聴く−語る」という他者とのかかわり合いの中で「ことば」を使って推論したり,自分の考えを見直したりする。この「ことば」を大切にするとともに,事実を見直しながら思考できるような教師のはたらきかけを行うことにより,一人一人の子どもたちの見方や考え方をより科学的なものに変容させていきたい。・・・・・今回の実践も、この延長上にあると考えてよいだろう。そこで上述した「ねがい」の中のキーワードを抜き出し、今、目の前にいる子どもたちに当てはめて検討する。まず、「『目の前の事実』から思考する」「事実を見直しながら思考する」ということ。「上流と下流とは」では、単元末の考察場面においては、子どもたちから多様な事実が根拠として挙げられた。今回の実践でも、授業の中で多様な事実が多く上げられるとともに、「直感的・断片的なことば」をきっかけにその一つ一つの事実をより確かなものにするとともに、一人一人の推論の根拠にできるようにしたい。また、今回追究する「地層のでき方」は、「粒の大きいものから早く沈む」「積もることが何回も繰り返されている」という2つの原理が合わさった現象であり、子どもたちは、より複雑なモデルを探求することになる。根拠となる事実の「層」を厚くするとともに、それらとモデルを往還するような思考を促していきたい。次に、「長い年月をかけて起きた現象」を「流れる水のはたらきと関係付ける」ということ。「上流と下流とは」の実践では、「こぶし大の石は中流までしか流れない」「砂は下流まで流れる」という発言が多くあったが、このことについての疑問はほとんど上がらなかった。しかし、普段の川は、上流でも砂はほとんど流れていない。ましてや、こぶし大の石がごろごろと転がって移動することはまずない。それらは、大雨による洪水のときに流されたものなのである。特に、こぶし大より大きいのものになれば、何十年に一度の大洪水によるものであろう。昨年7月に熊本市でも大洪水を経験しておきながら、「上流と下流とは」の実践では、このことを十分に意識させることができたとはいえない。今回、観察する地層には「砂岩」はもちろん、「れき岩」の層もある。実際の川の流れる水のはたらきと関連付けた追究を促したい。最後に、「『聴く−語る』という他者とのかかわり合いの中で『ことば』を使って推論したり,自分の考えを見直したりする」ということ。このことは、担任でない私にとって切実な問題である。これまで担任していたときに取り組んできた「学級風土づくり」が十分にできないのである。しかしながら、5年から続けて指導することになり、少しずつではあるが「できる」部分が増えてきたことも確かである。子ども同士の「聴く」−「語る」関係の中で「友達の考えを辿る」とともに「自分の考えを(振り返って)辿り」、「友達の考えを足場にして」新しい考えを創りだすような「創造的な学び」を実現させたい。いよいよ明日は、子どもたちは本物の「地層」に出会う。その出会いを大切にするとともに、単元の中心となる2学期の追究に向けて、夏休みには子どもたちの観察記録などをもとに、しっかりと「ねがい」を鍛えていきたい。
2013.07.02
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この単元を授業するのは、なんと7年ぶりである。7年前には、たまたま(全日本工学研究協議会 全国大会の公開授業で)吉崎静夫先生(日本女子大学)に授業を観ていただき、著書「事例から学ぶ 活用型学力が育つ授業デザイン」(ぎょうせい 2008.3)に紹介していただいた。その中で、当時の「わたし」の「思い」について、次のように書かれている。・・・・・ 授業デザインは、実現したい授業への「思い」から始まる。 熊本大学教附属小学校の原口先生は、「地層のでき方はわかりにくいため、児童が誤った理解をしないでほしい。そして、地層の学習を通して、自然のスケールの大きさを実感してもらいたい」という「思い」をもっていた。そこには、「地層は、自然の営みの中で長い年月をかけて積み重なったものだけに、時間と空間の両面から『自然の神秘さ』を知ることができる格好の素材である」という、教師の「教材観」がある。なお、児童が「地層のでき方」について誤解しがちなのは、次の二つの原理を合わせて理解しなければならないからである。つまり、一つは「粒の大きいものから早く沈む」という原理であり、もう一つは「実際の地層は、積もることが何回も繰り返されていることによってできあがる」という原理である。(中略) 本事例には、主として、次の二つの意義がある。 第1に、ICTを巧みに活用した授業実践であること。 まず、現地の地層をデジタルカメラで撮影することによって、児童が必要なときに何回も教室で地層を観察できるようにしている。 次に、マグネットスクリーン上に「実際の地層」と「ペットボトルの中の土砂」のそれぞれの静止画を同時に写し出して、両者の比較検討を可能にさせている。 さらに、ホワイトボードを使って、それぞれの静止画の特徴を単純化させている。 第2に、「ペットボトルを使った実験の結果」と「実際の地層」とを映像を用いて比較させることによって、「地層のでき方」を考えさせている。 その際、ホワイトボード用のペンで二つの映像の中の「どろ」「砂」「れき」の各部分を色分けするとともに、ペンで書き込んだ後にプロジェクターを消して、書き込んだペンの色分けだけで二つの映像の違いを単純に比較できるようにしている。その結果、児童は、ペットボトルでの地層実験とは違って、実際の地層(海岸で観察した地層)では「砂の下に泥の部分がある」ことに気づいている。 このことは、「粒の大きいものから速く沈む」という原理と、「実際の地層は、積もることが何回も繰り返されることによってでき上がる」というもう一つの原理を深く理解することにつながっている。・・・・・7年前は、もしかしたらICTの活用さえ上手くいけばよいと思っていたのかも知れない。しかし、吉崎先生の本を読み返すと、当時の「わたし」の「思い」の中にも、今回の「ねがい」につながる部分もあることに気づく。子どもたちは、この二つの原理を合わせた現象をどうモデル化するのだろうか。また、どんな事実を根拠として持ち込むのだろうか。さらには、「長い年月をかけて繰り返し積もった」ということをどれだけ実感することができるだろうか。今週、この単元をスタートさせるが、主な考察場面は2学期に入ってからである。夏休みの間にも、しっかりと「ねがい」を鍛えていきたい。(つづく)
2013.07.01
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前回のblogに、授業記録の書き方として、次のように書いた。・・・・・子どもたちの話し合いの「流れ」や発言の「つながり」を意識して書く。特に、その中の「特徴的な発言」が中心になるように心がける。・・・・・確かに、私の授業記録は、目標に向かって「こうすれば、こうなるはずだ」というような事前の「仮説」、それに対する結果である「検証」としての記述はほとんど出てこない。どちらかというと「こんな出来事が起きた」というエピソード(こう書けばかっこいいが、そのほとんどが失敗談)が多い。これまで、「そんな記録を残して意味があるのか」と何度か批判されたこともある。そんな中、先日届いた福井大学教育地域科学部附属中学校から研究紀要(第41号 平成25年6月)の中に、次のように書かれていた。・・・・・ 本校の研究紀要の書きぶりには大きな特徴がある。「ナラティブ」(物語風)に単元実践を再構成していく書き方である。これは本校の研究が、学習者である子どもの学びの筋で授業をデザインすることから、実践記録も子どもの学びの実態を追いながら「ナラティブ」に書いていくことが必然になるのだ。実践記録として多い「仮説検証型」の論文形式では、本校のめざす子どもの学びのストーリーを描くことは難しい。理論を展開し、その検証のための実践ではないからだ。子どもたちの探究の学びに寄り添いながら、その展開を絶えず省察し、それを実践記録という形でまとめていくことで、本校の授業づくりから一貫している子どもの学びを見取ることにつながっていくのである。・・・・・記録を「ナラティブ」に書くことによって、「子どもの学びの筋」がより明確になるということだろうか。また、藤岡完治先生(元京都大学教授、元横浜国立大学教授)は、「学びに立ち会う ー授業研究の新しいパラダイムー」(藤沢市教育文化センター 2002.3)に、次のように書いている。・・・・・ 授業というのは、実は自分の含んだ一つのまとまり、「系」なんだということが教育実践臨床を見るときの大事なポイントだと思います。その中で「事実」を創り、「事実」に学ぶ。つまりそれは「相互性」なんですね。 「相互性」というのは、あらゆるものがすべて関係の中にあるということです。そこでは、Aという人はBという人を感じており、同時にCという人を感じて動いている。感じて動いて、動いたAをまたCが感じており、動いたCをBが感じている。そして、感じて動いたBをまたCもAも感じているというふうに、お互いが全部つながっていて、「感じて動く、感じて動く・・・」という関係が幾重にもできあがっているようなダイナミックな関係。それが「相互性」ということだと思うんですね。 「相互性」は「因果性」とはまったく違った見方ですよね。「AがこうしたからBはこうなったんだ」「Aがこういう作用をしたからBはこう変わったんだ」というふうに「原因ー結果」の関係でものを見ていくのは「因果性」だと思います。それに対して「相互性」というのは、それぞれが相手を感じ変化をし、変化をまた相手が感じ変化するという、そういう関係の中にいるすべての人が感じて動いているような場だと思うんですね。この「感じて動いている」全体を切り離してバラバラにしないで研究していくというのが教育実践臨床研究の特徴ではないかと思います。子どものことだけを調べる。教師のことだけを調べる。そういうのは教育実践臨床の研究ではないだろうと思います。・・・・・「流れ」と「つながり」を大切にする。前回、このblogで紹介した「レベル2」「レベル3」の記録が、授業の「相互性」を大切にしているからといえるだろう。(つづく)
2013.07.01
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