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最近、私が「多元的な学び」にこだわっているのは、8月の本校研究会の中で、佐伯先生が「多元的」という言葉を使われたからである。「多様なこととは違うのか」という質問に対し、佐伯先生は「多元的とは、次元が違うということだ」と答えられた。なぜ、「多元的な学び」をめざす必要があるのか、この半年、ずっと悩んできたが、少しずつではあるがわかるようになってきた。先日、いろいろな資料を読み直している中で、佐藤学氏の日本教育新聞の中の記事に目がとまった。 ・・・・ 皮肉なことは、この50年間に日本のプロジェクト単元と協同学習は衰退の一途をたどってきたのに対して、欧米の学校はこの30年間の「静かな革命」によって、プロジェクト型のカリキュラムを実現し、教科書と黒板を中心とする一斉授業から協同学習を中心とする授業への変換を実現してきたことである。 ・・・(中略)・・・ 特に、21世紀の知識社会への対応として「知識や学びの量」から「知識や学びの質」への転換が図られ、教育内容の高度化が推進されるとともに「多様な文脈で知識を活用する」プロジェクト型のカリキュラムが組織され、多文化共生の社会を実現するための学びにおける「協同(collaboration)」が図られてきた。 ・・・(中略)・・・ 協同的な学びを実現する創造は、多様な人々が信頼し協力しあう多文化共生の社会を準備する意義を有している。 ・・・・「多様な文脈」「多文化」「多様な人々」。「多元的」であることを表す言葉であろう。
2006.01.31
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2月17日(金)の研究発表会を前に、新しいスーツを購入した。本校に赴任して3年目になるが、研究発表会前にスーツを買うのは、はじめてである。2年前、当時の教頭先生から「研究発表会に向けて」指導と管理を一覧にしたプリントをいただいた。そのプリントには、「授業づくり」から「教科理論の提案準備」や「環境整備」の関することまで細やかに書かれている。今回、「スーツを買おう」と思い立った(?)わけは、そのプリントに「スーツの準備」と書かれていたからだ。これまでの2年間は、研究発表会直前の忙しさで「スーツを買いに行く暇もない」と思っていたが、今年は、例年より1週間遅い開催のせいもあり、「スーツを買おう」という気分になった。しかし、このことがよい「気分転換」になる。1月になり、いつも研究発表会のことで頭が一杯であったが、スーツを買いに街に出かけたことで、その時間だけでも頭の中を「からっぽ」にすることができ、ちょっとスッキリしたような感じがする。少しゆっくり過ごした日曜日をふり返ると、1月17日にNHKで放送された「プロフェッショナル」を思い出す。その日の放送では、小児心臓外科医・佐野俊二氏のことが取り上げられた。多い日には1日5件の手術を行うという佐野氏は、常に自分をベストの状態にするため、手術が始まる前に何も考えない時間をあえて作り、頭をからっぽにしてリセットするという。本校は、毎年研究発表会を開催してる。「スーツを買うこと」は、単なる身だしなみではなく、その経験の中から得られた「研究発表会に向けてベストな状態にする方法」なのであろう。
2006.01.29
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初等理科教育2月号の湯澤正通先生(広島大学)の原稿を読み直してみる。その中に、2月17日(金)の本校研究発表会での授業のヒントとなることがいくつかある。それは、次の2点である。(1)自然の規則性を「ルール」という言葉で表現されていること(2)その「ルール」には、「ばらつきや広がり」があり、それへの子どもの関わりは「多様」であること本校理科の研究テーマは「きまりを創りだす楽しさを味わう理科学習」であり、自然の規則性を「きまり」を呼んでいる。「きまり」と「ルール」は、ニュアンスが近い。またこれまで、「多元的で多様な学び」について、このblogでも何度か書いたが、「ルールのばらつきや広がり」に関わらせていくことが、子どもたちの「多元的な学び」を保障するのではないか。湯澤先生とは、2年前にお会いして話をする機会があった。初等理科教育の中で連載をされており、無理をいって研究室を訪問させていただいた。たしか、そのときには、「かげふみあそび」と「磁石レントゲン」の実践を見ていただいたのだが、先生が話された「より具体的な思考を促すことが大切である」という言葉が、その後の研究の方向性を示すものとなった。また、湯澤先生著の「認知心理学から理科学習への提言」が、一番の参考文献である(「協同」ということについても、おおいに参考になった)。今、ふり返ると、日帰りで広島まで行った甲斐があった。「ルールには、ばらつきや広がりがあり、それへの子どもの関わりは多様である。」研究会直前で、大きなアドバイスをもらうことができた。
2006.01.27
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今日、2月17日(金)の研究発表会に向けて、大学生といっしょに教材(教具)づくりをした。最近、私が教材(教具)づくりをしていていると、同僚の先生方から「楽をしている」といわれる。その原因は、次のような手順で教材(教具)づくりをしてるからであろう。(1) 教材(教具)のサンプルをつくる。(2) 同僚の先生に見てもらい、アドバイスをもらう。(3) 大学の研究室にお願いして、学生といっしょに必要な数の教材(教具)をつくる。もちろん、作業の手間から考えると「楽」をしてる。実際、夜遅くまで単純作業をくり返す必要はなくなった(本当に、このことだけでも感謝してる)。しかしながら、この教材(教具)づくりには、大きなメリットがある。一つは、いろいろなアイディアを得ることができるということ。(2)では、「材料」や「作り方」についてアドバイスをもらうのだが、教材(教具)の完成度を高めるとともに、操作性が高まる場合も多い。操作性が高まることにより、新しい使い方が生まれ、授業のアイディアが広がる。もう一つは、学生といっしょにつくる中で、その教材(教具)を使って、どんな発想をするかを知ることができる。「ビー玉エンジン」や「積み木ふりこ」のときも、私が予想していなかった考えが出され、実際の授業場面で、いい参考になった。一人で作業すると単なる教具づくりなのだが、この「やり方」は、立派な「教材開発」である。つまり、教材を開発するとき、多くの人の目に触れるということもポイントの一つである。決して、「楽」をすることだけが目的ではない・・・。
2006.01.25
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実験の技能を身につけるためには、「状況」と「場」が必要である。ただし、理科の授業の中で、観察・実験がきちんと行われているとするならば、小学校における子どもたちの理科に対する興味・関心の高さをあわせて考えると、「状況」という点については、ある程度は満たされているであろう。(実際は、このことが満たされていないことも多々あるのだが・・・。)残りは「場」であるが、単に実験技能の練習をすればよいというわけでなはい。あくまでも、「状況」とセットでなければならない。昨日授業した、「ろ過」を例に挙げて考えてみる。「ろ過」の練習をするとき、「ろ紙のセットの仕方」や「液体の注ぎ方」などがポイントとなる。単に技能の習熟のために練習をさせるとき、子どもたちは、これらの「必要性」には、ほとんど着目しない。実際、中学校でろ過をさせてみると、ろ紙からあふれるほどの液体を平気で注ぐ子どももいる。しかし、「水溶液のなかのホウ酸を取り出したい」という強い問題意識があれば、「ろ紙のセットの仕方」や「液体の注ぎ方」を無視するわけにはいかなくなる。このときがチャンスである。ろ紙と溶け残りのある食塩水や砂糖水などを「余るほど」準備し、「実験を成功させるために、ろ過の練習をしよう」と投げかけるのである。「余るほど」準備するが、たいした「苦労」や「金額」ではない。子どもたちは、「溶け残ったホウ酸と水溶液を分ける」という「状況」を意識しながらも、楽しみながら「練習」をくり返すことができる。「状況」と「場」をセットで考えること。このことは、実験の技能だけでは、知識や概念の獲得の場面においても大切なことである。
2006.01.24
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「もののとけ方」の学習で、ホウ酸の水溶液の水を蒸発させて、溶けているホウ酸を取り出すという実験をした。この実験を行うには、次の2つの実験技能が必要である。(1)水溶液を「ろ過」し、溶け残ったホウ酸と水溶液を分ける。(2)水溶液を「アルコールランプで加熱」し、水を蒸発させる。この実験をする子どもたちの姿を見て、気になったことがいくつかある。実験技能に「個人差」があるということである。驚いたことに、マッチを擦ることができない子どもがいたのである。アルコールランプの使い方は、4年生で学習する。今担任しているクラスの3分の1は、私が昨年も授業したが、その子どもたちは、全員がマッチを擦ることができる。また、マッチを傾けて火の大きさを調節することもできる。もちろん、最近では実験でもマッチを使わないこともあるだろう。しかしながら、(マッチがいいか、チャッカマンがいいかということが別にして)本校では、火を使う実験ではマッチを使っている。つまり、マッチが擦れないということは、4年生で何度もアルコールランプを使ったのに、自分では一度も火をつけなかったということになり、このことが問題なのである。4年生にとって、物(水・空気・金属)を加熱して、そのあたたまり方や状態の変化などの規則性を追究することは「魅力的」である。また、アルコールランプで何かを加熱するという実験そのものにも、子どもたちは興味をもつ。そんなときに、「マッチを擦る」という方法を教えれば、少々怖がりながらもマッチが擦れるように挑戦する。昨年、私のクラスでは、「ビー玉エンジン」や「アルファベット型の金属板」を取り入れて「もののあたたまり方」の学習をした。その追究の途中に、徳用マッチを買い込み、マッチをする練習をした。単なる練習であったが、子どもたちはとても意欲的であり、全員がマッチをすることができるようになった。やはり、技能を身につけるためには「状況」と「場」が必要だということであろう。
2006.01.23
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初等理科教育2月号の湯澤正通先生(広島大学)の原稿に、私の実践が紹介された。原稿のタイトルは、「教育心理学の立場から先行学習を捉え直す~教師の相違・工夫が生きる先行学習」である。私の「視点の明確化の必要性」「観察・実験を見直す」という主張について、わかりやすく説明してもらっている。今回は、とりあえずそのまま紹介する。 ・・・・ 本誌'05年6月号に掲載された原口淳一氏の実践研究(3年「日なたと日かげを調べよう」)をもとに考えてみよう。原口氏は、雪の日の学校の駐車場の様子を写真で提示し、そこから子どもたちが読み取った「日なたと日かげには、雪がとける、とけないほどの温度の違いがある」という知識から学習を始める。すると、その後の観察は、日なたと日かげを比べて、何が違うのかを見いだすためのものではなく、日なたと日かげには、本当に温度の違いがあるのかを確かめるものとなる。しかし、それだけではない。 「日なたと日かげには、温度の違いがある」というルールには、ばらつきや広がりがある。すなわち、場所や日時、条件によって日なたと日かげの温度差は変化する。子どもたちは、雪がとける場所ととけない場所のイメージから、「日なたと日かげの温度には、大きな違いがある」というと予想を抱いている。そして、午前9時に調べてみるが、日なたと日かげの温度差は、1℃ほどしかなく、子どもたちはそのことにとまどいを感じる。そして、1時間ごとに日なたと日かげの温度をはかり、温度差が広がっていくことに歓声を上げる。子どもたちは、観察を通して、「日なたと日かげには、温度の違いがある」というルールのばらつきや広がりを実感したのである。 ・・・・ 先に、発見学習と対比的に先行学習を述べたが、実は、発見学習と先行学習では、発見させるものが違うのである。発見学習では、「日なたと日かげには、温度の違いがある」ことを子どもたちに発見させるのに対して、先行学習では、「日なたと日かげには、温度の違いがある」ことを前提にしたうえで、例えば、時間によって温度差が生じることを発見させるのである。 どちらの発見が子どもの考える力を伸ばすのだろうか。筆者は、ルールそのものの学習よりも、ルールのばらつきや広がりに応じて柔軟に適用の仕方を変えることが、子どもの思考力にとって大切であると考える。 ・・・(略)・・・ 先行学習では、単なる知識(ルール)の検証のためではなく、知識の活用としての実験や観察の工夫を行うのである。 ・・・・ ルールのばらつきや広がり、そしてそれへの子どもの関わりは多様である。そこに、教師の創意・工夫が生きてくる。 ・・・(略)・・・ そのような多様なばらつきや広がりの中で、現に学びつつある子どもにとって最も身近で、切実なものは何か。そのような変数について子ども自ら探索し、発見できる課題を工夫することが、教師の役割であり、先行学習のおもしろさである。 ・・・・2月の研究発表会に向け、この3年間の研究をまとめるための「ヒント」がたくさんある。
2006.01.21
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算数の授業の中に、ゲームを取り入れる。今回は、「割合」と「百分率」を定着させるためのゲームである。まず、2人組になりジャンケンをし、勝った方から交代で問題を出す。「0.5」と問われたら「50%」、「28%」と問われたら「0.28」と答える。3回戦したら相手を変え、その間に間違ったり、3秒間で答えられなかったら負けである。ここまでは、以前このblogで紹介したやり方と同じである。そこで、今回はグループ対抗にした。教室を自由に歩き回り、自分のグループ以外の友だちと対戦する。勝ちは2点、引き分けは1点、負けは0点である。このグループ対抗戦もやり方も、本校の「英語活動」の中にあるゲームを参考にしたものである。本校の英語活動では、5年生の後半に「連続した会話」をどのくらい続けることができるかというゲームを取り入れている。このように、「短時間」のゲームを授業の中に取り入れることは、たしかに効果的である。今回、グループ対抗にしたことで、子どもたちは「やる気」と「プレッシャー」を感じていた。来週は、これに「歩合(○割○分○厘)」を加え、ゲームをレベルアップさせる。
2006.01.19
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この2年間、「教材開発」を中心にして研究に取り組んできた。特に、「発展的な教材」を単元の導入から取り入れるということを主張してきた。2月17日(金)の研究発表会では、この研究の「総まとめ」として授業を提案する。これまで、このblogでも紹介しているように、いろいろな「教材開発」に取り組んできた。「磁石レントゲン」「ヘロンの噴水」「ビー玉エンジン」「積み木ふりこ」。もちろん、簡単にこれらの教材が「見つかった」わけではない。実際、「ビー玉エンジン」は、指導案締め切りの3日前にインターネットで見つけた(昨年の研究発表会での教材である・・・)。しかしながら、最近では、この「教材開発」のスタイルがある程度定着してきた。まず、単元を決め、どのような授業をするのか「考えをまとめる」。このとき、その構想に「はば」をもたせておくことが大切である。その後、インターネットで検索したり、書店で本をあさったりする。私の場合は、大学の研究室に行ったりもする。うまくいけば、2,3日で「ヒット」することもある。そんなときは、授業の「アイディア」も、どんどん浮かんでくる。(今回の研究発表会で予定している授業は、このパターンであった。)また、なかなか見つからないときには、ホームセンターや100円ショップ巡りをする。最近のホームセンターや100円ショップには、私たちが予想もしないようなものがいろいろなものが置いてある。それらの材料から、イメージをふくらみ、それまで調べていた教材が「使える」とひらめくこともある。(「積み木ふりこ」がこのパターンである。昨年の研究発表会の前、研究部の先生方と100円ショップに買い物に行ったとき、円柱形の木材をみつけ「ヒット」した。)今回の研究発表会で提案する「授業」と「教材」は、結構早めに決まった。今は、その「教材」の操作性を高めることに、試行錯誤している途中である。
2006.01.18
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研究発表会まで、あと1ヶ月になった。参加申し込みも届くようになり、最近は発表会の内容についての問い合わせも多い。その中でも、「『公開授業研究会』では、何をするのか」という質問が多い。案内状の中に、全体会(全体発表・公開授業研究会)と書かれており、「普通の講演とは違う?」ということを感じてもらえているようである。本校の研究発表会の案内は、出版社のホームページなどでも掲載してもらっているが、その中のいくつかには、次のように書いてもらっている。 ・・・・・公開授業研究会 佐伯先生VS附属小教諭 授業について徹底討論!! 講師 青山学院大学 教授 佐伯 胖 先生 ・・・・・つまり、発表会当日の授業について、ステージの上で授業研を行い、佐伯先生にばっさりと「斬って」もうらうのである。そこで「まな板の上にあがる」予定になっている教科は「算数」と「体育」、そして、予備として「理科」である。本年度、佐伯先生には校内の研究会に2回来ていただいた。そのときの様子は、以前このblogで紹介した。理科は、2回ともばっさりと斬られてしまった。今回、佐伯先生に授業を「提案」できるチャンスがあるかどうかわからないが、「作品化」を主張の中心にし、しっかりと準備をしておきたい。
2006.01.16
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私の原稿が載った雑紙が届いた。筑波大附属小が発行している「教育研究2月号」である。今回、執筆したのは「教育イノベーション」というコーナー(?)である。「イノベーション」とは、「技術革新、新機軸、刷新」という意味だそうだ。毎回、全国の特色のある学校や授業が紹介されている。この原稿を書くきっかけとなったのは、筑波大附小の鷲見先生の紹介である。3年前、毎年夏にお台場の未来科学館で行われる初等理科教育中央夏期講座で鷲見先生とであった。その後も、毎年この研修会で話をすることができた。また、メーリングリストなどでのやり取りもあり、昨年の研究発表会前には、指導案について、いろいろと助言をもらうことができた。今回、紹介した実践は「ビー玉エンジン」である。何でもよいということであったが、「一番自信があるもの」、そして鷲見先生にもアドバイスいただいたものとして、この実践で書くことにした。その雑紙の「あとがき」に、短いながらも次のような講評をもらうことができた。「教育イノベーションでは、発展的な内容から導入を試みた4年理科『ビー玉エンジン』の事例を原口淳一氏に紹介していただいた。具体的で説得力がある。」今回、実践を紹介するとともに、この3年間の研究(主張点など)を整理することができ、この原稿を書いた成果は大きい。
2006.01.12
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今日は、指導案の2回目の検討会ある。朝早く起き、指導案を修正しようと思ってパソコンを開いたものの、ウンともスンともいわない。なんと、電源が入らないのである。これには焦った。大切なデータは、バックアップすることを心がけているものの、指導案のデータは最近作ったものであり、フラッシュメモリーの中にも、そのデータは入っていない。指導案の修正ができないまま出勤することになった。それに、困ったことがもう一つあった。始業式にもかかわらず、学級通信が印刷できないのである。結局、子どもたちに事情を話し、次の日の時間割だけを伝えた。その日の午後、「パソコンに詳しい」同僚の先生に、データだけ取り出してもらい、他のパソコンで作業することになった。パソコンは、どうやっても電源が入らなかったので、ハードディスクを取り出し、ハードディスクケースに入れ、USBでつないでデータを取り出すことができた。幸い、データそのものに異常はなかった。(自分ではできなかった作業である。本当に助かった。)私が使っているパソコンなどの機器は、私が本校に赴任したときにそろえたものがほとんどである。IT活用を中心に研究に取り組んでいた時期もあり、3年間「酷使」し続けてきたものばかりである。2月17日(金)の研究発表会の授業でも、パソコンを使う予定であり、分科会や全体会のプレゼンでも使用する。もちろん、それまでの準備にパソコンは欠かせない。2月17日の研究発表会に向けて、大きな不安を感じる1日であった。(予算的にも・・・。)
2006.01.10
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年末に、このblogに書いた「多様と多元」について、先輩の先生から電話をいただいた。その話の中で、いくつかのことが明らかにすることができた。その先生から一番に指摘されたことは、どちらも「いろいろ」ということであり、授業の中で、「いろいろ」な考えを求めているのであれば、「多様」と「多元」を区別する必要はないのではないかということであった。「多元」とは、子どもの根源的な立場(興味・関心、得意・不得意など)の違い、「多様」とは、そのあり様の違いである。たしかに、どちらも「いろいろ」であり、区別してとらえようとしていることそのものに問題があるのかもしれない。しかし、今回の研究発表会の授業でめざしているのは、「文化的な広がり」のある「いろいろ」である。先輩との話の中で「山に登ること」を例にあげて考える場面があった。登頂することめざす登山、景色を眺め楽しみながらゆっくりと登る登山、頂上からの景色を楽しみにして登る登山、体を鍛えるための登山、何かを調査するための登山などなど。このように、登山には文化的な価値や意味が「いろいろ」あり「多元的」である。今、あえて私が「多元」ということを取り上げているのは、このような「多元的な」立場を大切にすることによって、すべての子どもの「学び」を保障するとともに、より互いの見方や考え方を深め、その「学び」を「本物」に近づけようとしているからであろう。まだまだ、考察と吟味が十分ではないが、先輩からの電話によって、少しスッキリすることができた。これもblogの効果である。
2006.01.09
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2月17日の研究発表会に向けて、指導案を書く。今回は、授業と教材に「アイディア」があったので、あまり時間がかからなかった。図を描くのに少し手間取ったが、賞味4時間というところだろうか。結構、「はやく」指導案が書けるようになった(「アイディア」があればの話だが・・)。もちろん、はやく書ければよいというものではないが、「はやく書く」ということも、ある一種の技能であろう。「はやく」書けるようになった理由に、「型」ができてきたことがあげられる。授業のスタイルとともに、指導案を書く「型」が身についてきたのである。また、これまでワープロで書いた指導案が「たまってきた」こともあげられるだろう。多くの部分に、「コピー&ペースト」が使える。しかし考えてみると、私が指導案を書く「基本」を身につけたのは、教育実習のときである。実習校は熊本の学校ではなかったが、指導案を書くことに対してとても厳しかった。ワープロを使う時代ではなかったので、手書きの指導案に前日の夜に赤で大きくバツを書かれることもしばしばであった。そのとき受けた指導は、「日本語にすること(主述のねじれや飛躍がないように)」と「ねらいと手だてを明確にすること」であったことをおぼえている。本当に「徹底的な」指導であった。何事にも「基本」と「型」が必要ということだろうか。週末から、指導案の検討が始まる。「中味」についての吟味が進めばと願う。(ただし、締め切りギリギリにできあがることは、よくないことである・・・。)
2006.01.05
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「学力低下をどう克服するか~新しい指導要領の内容を構想する~」なんだか「ものすごい」テーマであるが、これは、私が年を越させてしまった仕事の一つである。実は、4月に刊行される雑紙の増刊号のテーマで、その中の一部を執筆することになっていたのである。締め切りは、12月の終わり。2月の研究発表会の準備等と重なり、とうとう1月になってしまった。このテーマは、PISAやTIMSSなどの国際学力調査の分析結果から、日本の児童の弱点であることが明らかになった単元を新しく見直すというものであり、私が担当した部分は、以前このblogでも書いた「日本では『太陽が西からのぼる』という間違いが多い」というTIMSSの結果を受けたものである。今回、このblogでも紹介している「かげふみあそび」の実践をもとに原稿を書いたが、主張は次の2点である。(1)複数回観察を行う (2)太陽の動きそのものを観察する「かげふみあそび」の実践では、コートを工夫し、何度かくり返し観察を行うことができる。その中で、「かげの長さ」に着目させ、「太陽の高度」を問題にしていくという単元の流れである。執筆のスタイルが、私が原稿を書くタイプと異なっていたせいもあり、原稿が遅くなってしまった。(いつも、言い訳ばかりのような気もするが・・・。)原稿を書き終えたのが1月3日の夜。研究発表会の指導案の締め切りは、1月5日の朝である。
2006.01.03
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