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人の不成仏は我が不成仏、人の成仏は我が成仏(一代聖教大意P0401)利他の生き方が、自分自身の幸福につながる。どんな差別でも、誰かを差別するということは、自分を差別するということなのです。
June 29, 2010
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衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり(一生成仏抄P0384)自分の一念が変われば一切が変わる。環境を作るのもわが生命の善悪である。環境は自分の一念の反映であり、広布への決定とした一念に立った時、すべてよい方向へ行く。人間は傲慢になった時、増上慢になった時、無明の生命に覆われる。大事なことは妙法を唱え、わが生命を磨くことである。この自己変革は、一家も社会も、一国も大きく変えられる。
June 22, 2010
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妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり(一生成仏抄P0383)自己変革を心掛け、唱題を実践することが大切である。足下を掘れ。そこに泉あり。
June 21, 2010
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夫れ無始の生死を留めて此の度決定して無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、衆生本有の妙理とは妙法蓮華経是なり故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり(一生成仏抄 P0383)ただ何をするにせよ、「人のせい」にする弱さがある限り、希望の大道は開けません。まず「ぜんぶ、自分で決まるんだ」「自分が強くなるんだ!」と決意することだ。
June 19, 2010
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大日如来の父母と生ぜし所と死せし所を委く沙汰し問うべし、一句一偈も大日の父母なし説所なし生死の所なし有名無実の大日如来なり(諸宗問答抄P0382)人間を超えた架空の存在を崇拝してはならない。人間以上のものを崇める信仰観は、その裏返しに人間を手段化しかねない。
June 16, 2010
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浄土宗と申すも権大乗の一分なれども善導法然がたばかりかしこくして諸経をば上げ観経をば下し正像の機をば上げ末法の機をば下して末法の機に相叶える念仏を取り出して機を以て経を打ち一代の聖教を失いて念仏の一門を立てたり譬えば心かしこくして身は卑しき者が身を上げて心はかなきものを敬いて賢人をうしなふがごとし(本尊問答抄P0371)善導・法然の中国・日本の浄土宗の始祖は巧みに衆生を誑かした。法華経は立派な教えではあるが、末法の衆生は機根が低い為法華経にはついていくことができない。末法の衆生には浄土教こそふさわしい、と。そもそも、民衆は愚かではない。これほど人間を愚弄した考えはない。法華経は、人間は一見愚かで弱いものに見えるかもしれないが、その生命には仏界という強く素晴らしい命があると説く。自らを卑下することなかれ。自分を信じるのだ。その作業が祈りなのだ。
June 14, 2010
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法華経は釈尊の父母諸仏の眼目なり釈迦大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり仏は所生・法華経は能生・仏は身なり法華経は神(たましい)なり(本尊問答抄P366)法華経が仏を生み出す根本法。能生とはあらゆるものを生じる根本。所生とはその根本から生じたものである。
June 10, 2010
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問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし(本尊問答抄P365)人生、生活の根本規範。生きる姿勢。価値観を決定付ける原点。「仮使(たとい)発心真実ならざる者も正鏡に縁すれば功徳猶多し」(日寛上人)
June 5, 2010
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現証に付て事を切らん(下山御消息P349)現証をもって決着をつけよう。
June 4, 2010
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小善を持て大善を打ち奉り権経を以て実経を失ふとがは小善還つて大悪となる薬変じて毒となる親族還つて怨敵と成るが如し難治の次第なり(下山御消息P344)「小善に甘んじて、大善に背けば大悪となり、小悪でも大悪に反対すれば、大善となる」(牧口先生)中途半端な小善は、しばしば社会の巨大な悪に加担する結末となる。
June 3, 2010
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檀戒等の五度を制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを一念信解初随喜の気分と為すなり是れ則ち此の経の本意なり(四信五品抄P0340)末法の初心の者には戒と定は修行の妨げとなる。題目は法華経の根本。大聖人の魂そのもの。意味がわからなくとも、唱えること自体、功徳がある。
June 2, 2010
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信を以て慧に代え・信の一字を詮と為す(四信五品抄P339)お題目をたくさんあげた人が一番頭がいいことになるのです。
June 1, 2010
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