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自分以上に広宣流布に活躍する人材を見つけるならば、あなた自身が広宣流布に貢献したことになる。偉大な功徳が得られるのである。池田会長指導
January 31, 2013
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後輩を成長させようと努力するとき、自己もまたみずから成長するものであり、幹部はいかなる場合でも、受け身になってはならない。戸田前会長は、指導にあたって自分よりもみんな偉くしようという精神で臨まれた。これが指導者としての究極の精神である。--池田会長指導人材育成するためには、自身も人材とならなければならない。自分自身が、学会指導を求め悩み、御本尊に祈ること。自らの眼前の苦悩に挑み実証を勝ち取ることだ。その姿のみが後輩に、地区にブロックに波及していく。会合で、打ち出しのレジメをよみ、活動方針を説明しようと、人材は見つけられないし育てることもできない。何のための信心なのか。自身が強くなるためにあると考える。人材育成とは、苦悩渦巻く現実の社会で、自他共になにものにも負けない強い人間を育むことにあるのだ。
January 30, 2013
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苦闘の峰を越えずして勝利はない。峰が高く険しければ、辛労も激しい。しかし、その峰を登攀すれば、洋々たる未来が開かれる。 「勝つ」とは、法の正邪を決することである。それは、文証、理証、現証によって、明らかにされる。そして、最終的には、人間の姿、生き方による勝利の証明が大事になる。 つまり、人格を磨き、人びとの信頼を勝ち得ることであり、崩れざる幸福境涯を築き上げていくことである。 人びとを不幸にする悪と戦う、強い破邪の心なくして本当の慈悲はない。また、心が健康で、強くなければ、優しさを貫くことはできない。 「心の財」とは、生命の強さ、輝きであり、人間性の豊かさである。さらに、三世永遠にわたって、崩れることのない福運ともいえよう。その「心の財」は、仏道修行によって得られるのである。 「蔵の財」「身の財」も、人間にとって大事なものではあるが、それを手に入れれば、幸福になるとは限らないのだ。 人間の幸福のために、最も必要不可欠なものは、「心の財」である。心が満たされなければ、幸福はない。 心の力は無限である。たとえ、「蔵の財」や「身の財」が剥奪されたとしても、「心の財」があれば、生命は歓喜に燃え、堂々たる幸福境涯を確立することができる。 わが生命から込み上げてくる、この勇気、希望、躍動、充実、感謝、感動、歓喜......。これこそが「心の財」であり、私たちの信仰の目的も、その財を積むことにあるのだ。 いわば、それは幸福観の転換であり、「幸福革命」でもあるのだ。 【新・人間革命「命宝」】
January 29, 2013
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まことのみちは世間の事法にて候、金光明経には「若し深く世法を識らば即ち是れ仏法なり」ととかれ涅槃経には「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」と仰せられて候を妙楽大師は法華経の第六の巻の「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず」との経文に引き合せて心をあらわされて候(白米一俵御書、1597頁) 世間の常識から離れて仏法はない。社会に実証を示してこそ、仏法の目的は達せられると考えるのであります。社会は厳しい。ゆえに信心根本に、題目を唱え、力強く生きてかなければならない。絶対に負けてはならないと心に固く誓うのものです。池田先生は、"第38回 「SGIの日記念提言」聖教新聞2013.1.26掲載"で述べられている。「ゆえに私ども創価学会は、草創の頃から、「貧乏人と病人の集まり」と時に揶揄されながらも、さまざまな苦しみを抱える人々真っただ中で、"ともに支え合って生きる"ことを最大の誇りとして前進を続けてきました。まして昨今は、災害や経済危機に象徴される『突然襲いくる困窮の危険』が、多くの人々から大切なものを一瞬にして奪い、背負いきれない事態が各地で相次いでいるだけに、孤立化を防ぐ要請はますます高まってきているといえるでしょう」と。 自らの宿命転換をなし、社会に実証を示すべく死に物狂いで戦う。この人間革命の実践が真の仏法の実践である、という生き方をしていきたいと思うのであります。
January 28, 2013
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一念の 力に勝(すぐ)る 敵はなし 成すも成なさぬも 己(おの)が心ぞ 【トインビー会談へのプロローグ】から
January 27, 2013
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信心の深さが変わらなければ、生活は変わらない。信心が深ければ生活は一変する。運命の転換ができるのである。 ◇行き詰まりを感じたならば、大信力を奮い起こして、自分の弱い心に挑み、それを乗り越え、境涯を開いていくことだ。それが我々の月々日々の「発迹顕本」である。(戸田先生の指導)【「ひまわり賛歌」】聖教新聞07・9・24
January 25, 2013
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日蓮大聖人は「日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼ての用心深ければ身によせつけず」(御書1340頁)と仰せである。 御本仏にすら、魔は付け入ろうとするのだ。魔とは、人を悩ませ、仏道修行を阻む働きだが、それは人が油断し、弱気になった心のすきに入り込む。魔を打ち破るのは、真剣な唱題しかない。 【「社説」】聖教新聞07・9・24
January 24, 2013
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来もしない援軍を待つことは、昔から、籠城する場合のいちばん愚かな手段だと言われています。有名な桶狭間の戦いで、清洲の城で籠城しようという意見があった。しかし、天下を見渡してもどこにも織田家を救いに来る援軍はいない。このようなときに籠城することを、馬鹿ばかしいと信長は考え、合戦に打って出てしまった。ところが日本の場合は、前の戦争で、ドイツが勝つことをあてにしていたのです。ドイツの勝利が確定しているわけでもないのに、それを頼みにしていたのです。戦争はあくまでも勝負ですから、どうなるか分からない。それなのに、ドイツが勝つのを待つということから、日独伊の三国同盟ができるわけです。当時の日本政府や軍部には、どちらが勝つとかいう判断があったのではありません。「勝ってくれなくては困る」のが本音で、「勝ってくれなくては困るから、勝ってくれるはずだ」というふうに考えたわけです。これはドイツが勝つということを信じて当てにしてたということより、勝つことを願い、それをあてにしたと言えるのではないでしょうか。しかし願い事は、所詮、願い事にすぎない。願い事をあてにすると、外れるのが道理ということです。希望的観測から物事を判断する、そういう考え方自体が間違っているのです。あらゆる戦術において、希望的観測から考え方を出発してはならない、それが兵法の鉄則であるはずなのに、日本はしてはならないことをしてしまったのです。【「孫子・勝つために何をすべきか」】谷沢永一/服部昇一著 PHP文庫
January 23, 2013
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(ここで山本伸一は、人生を強く、正しく生き抜き、幸福を築いていくには、何が必要かに言及していった。) ◇ それは、生涯、御本尊を離さないことです。そして、学会という、真実の"和合僧"のなかで、生き抜いていくことです。 人間は、一人では生きられない。また、個人というのは、どうしても弱くなってしまう。 だから、崩れざる幸福を築いていくためには、信心を切磋琢磨していくよき同志が、組織が、必要なんです。そう考えるならば、学会という、大聖人の御精神を受け継ぐ組織のなかで、信心に励めることがいかにすばらしいか、よくわかると思います。 ところが、活動が大変だとか、あの人が気にくわないとか、何かあると、すぐに愚痴をこぼし、文句や不平不満をいう人がいる。もちろん、松代の皆さんのなかには、そんな方は、一人もいないと思います。 ◇ 実は、その愚痴と文句が、信心に邁進してきた功徳、福運を、消すことになるんです。 また、それは、歓喜を奪い去り、心をすさんだものにし、自分で自分を不幸にしていく。 反対に、「ありがたいな」という感謝の思いは、歓喜を燃え上がらせていきます。 そして、歓喜は自らの心を豊かにし、幸福にします。歓喜あるところ、力は倍加し、勢いが増します。歓喜ある前進のなかにこそ、人生と広布の勝利があるんです。 つまり、同じ御本尊に題目を唱え、同じように学会活動に励んでいたとしても、愚痴と文句の一念なのか、感謝の一念なのかによって、結果は全く違ってしまう。 どうか、皆さんは、これから、ますます福運をつけていくためにも、感謝の心で、喜びをもって信心に励んでいただきたいのであります。 【新・人間革命 第12巻 愛郷 2006-09-08発行】
January 22, 2013
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御聖訓には、「禍も転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか」(御書1124頁、通解)と、絶対の御約束である。法華経の行者の祈りは必ず叶う。どんなことがあろうとも、強盛な祈りのある人は「変毒為薬」することができる。何も恐れるものはない。 「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さは(障)りをなすべきや」(同頁)とも仰せである。病魔をはじめ、あらゆる魔を打ち破り、退散させていく根源の響きこそ、題目の師子吼なのである。 御金言には、こうも記されている。「ひとたび南無妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の梵天・帝釈・閻魔法王・日天・月天・衆星・天神・地神、乃至、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性を、ただ一声に呼びあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である」(同557頁、通解) 深遠なる「一念三千」の法理にのっとって、題目は、あらゆる人々の生命に仏性を呼び覚ます。わが国土に、仏天の加護の働きをみなぎらせていく原動力である。 さらに大聖人は、教えてくださっている。「題目を唱えたてまつる音声(おんじょう)は、十方の世界に届かない所はない。我々の小さな声でも、題目の『大音』に入れて唱えたてまつるゆえに、宇宙のなかで到達しないところはない。例えば、小さな音声でも、ほら貝に入れて吹く時、遠くまで響くようなものである。一念三千の大事の法門とはこれである」(同808頁、通解) 題目の力が、どれほど偉大であるか。それは、大宇宙を動かしていく究極の力である。題目の音律は、わが生命の仏性を脈動させながら、大宇宙へと轟きわたっていく。 題目を朗々と唱えゆく人は、わが生命力を満々と湧き立たせながら、あの友、この友の生命を変え、そして、わが地域、わが社会、わが世界を、平和へ、繁栄へと向かわせていけるのである。 【第2総東京最高幹部協議会】聖教新聞08・4・8
January 21, 2013
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「勇気あれば 勝利ゆるぎなし」(藤沼貴訳「戦争と平和」岩波文庫)--。 これは、かの大文豪トルストイが記した、人生の万般に通じる勝負哲学の一節であります。「勇気で勝て!」この師子吼を、まず、青年部に贈りたい。 幸福になるのも勇気です。試練に勝つのも勇気です。人に尽くすのも勇気です。平和のための行動も勇気です。 勇気の中に、行動があり、信念があり、活躍があるのです。 意気地がなく、ずる賢く、要領がいいものは、みな、共通して勇気がない。 そして、自分の弱さに負け、堕落して、格好だけは、うまく取り繕う。一番恐ろしい畜生のような人間です。 断じて、そうなってはいけない。 諸君は「勇気で勝つ」のです。 【ロシア国立人文大学「名誉博士号」授与 名誉会長の謝辞】聖教新聞07・6・1掲載
January 20, 2013
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「創価」とは、永遠に崩れぬ、一人ひとりの精神の価値を創造しゆくことだ。それは「絶望」を打ち破る「希望」だ。「恐怖」にも「憎悪」にも、断じて屈しない「勇気」だ。 ◇文永八年(一二七一年)の九月十二日は、日蓮大聖人が発迹顕本された竜の口の法難の日である。それから二年後の九月、大聖人は佐渡の地より、大難に怯まず信仰を貫く鎌倉の女性門下らに送られた。「第六天の魔王が、十の大軍勢をもって戦を起こし、法華経の行者と苦悩渦巻く海の中にあって、聖人と凡夫が共にいる娑婆世界を、取られまい、奪おうとして争っているのである。日蓮は、その第六天の魔王と対決し、大兵を起こして二十数年になる。その間、日蓮は『一度も退く心なし』である」(1224頁、通解)この蓮祖の御心に直結するゆえに、我ら創価の師弟も、平和と正義の大闘争において、「一度も退く心なし」と戦い抜くのだ。 【随筆 我らの勝利の大道「不滅の原水禁宣言55周年」】聖教新聞2012.9.12
January 19, 2013
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日蓮大聖人は仰せである。「昔、徳勝童子という幼い者は、土の餅を釈迦仏に供養して、阿育(あそか)大王と生まれて閻浮提の王となり、最後には仏になったのである」(御書1380P、通解)妙法のため、広宣流布のために真心を尽くすことが、どれほど尊いことか。どれほど偉大な功徳があるか。大変な時に護られる。一家も栄える。人間革命していける。生々世々、そして子孫末代まで豊かな福徳に包まれていくことは間違いない。それこそ、世界一の王者のごとき境涯になれるのである。広布のための行動は、結局はすべて、自分自身のためになる。その根本は「信心」である。「心」である。 御聖訓には、「凡夫は志ざしと申す文字を心へ(得)て仏になり候なり」(同1596P)と仰せだ。法のため、広布のため--この一点に、真摯に、わが心を結び合わせていくことが大切である。そうでなければ、何をやっても空転してしまう。ここに、功徳を積む「方程式」があるのである。釈尊の時代の"貧女の一灯"のごとく、尊き信心の志は、永遠に輝きわたる大功徳となる。このことを、深く強く確信していただきたい。また、大聖人は、こうも述べられておられる。「たとえ功を積んでも、真実でない人を供養すれば、大悪となっても善とはならない」(1595P、通解)悪人に供養しても、功徳がないどころか、大悪となってしまうとの厳しき仰せである。この御聖訓に照らせば、大聖人に違背した日顕宗にいくら供養をしても、功徳を積むことはできない。それどころか、大悪となってしまう。仏法の因果は峻厳である。 【各部代表協議会】聖教新聞08・12・7
January 18, 2013
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戸田先生は、地道な努力を重んじる方であった。 ある時には「激動の時代である。勝負の世紀である。自分の足元を固めた人が勝者となる。これが鉄則である」と語られていた。 「さあ、いよいよ戦いが始まるぞ!」--こうおっしゃる戸田先生の声が、耳朶に鮮やかによみがえってくる。 そして、次のようにもおっしゃった。 「宇宙のあらゆるものは刻々と変化する。学会も、去年と同じようなことをやっていては、広宣流布は腐ってしまうぞ。皆、大いに生まれ変わらなくてはならない」と。 皆さんとともに進む重要な1年である。一日一日、新たな心で、新たな価値を創造していきたい。 【全国代表幹部協議会】聖教新聞09・2・1
January 16, 2013
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--前半戦から祈り抜いてきた結果ですね。シーズン中には、お父さんが危篤になり、一時帰国をされましたね。岩隈 昨年7月、がんで入院していた父が危篤になりました。一瞬、帰国しようか迷いました。4日間隔の先発ローテーションを取るか、親を取るか--。両方取る!そう腹を決め、監督に掛け合って、急きょ帰国したのです。男同士で照れくさかったですが、初めて父と正面から向き合ったように思います。父が何より喜んでくれたのは、僕が信仰を継承していることでした。話が弾み、心が通い合い熱いものが込み上げました。その後、父は亡くなりました。帰国が最後の親孝行になりました。1日だけの日本滞在でシアトルに戻った翌日が先発でした。体調は最悪でしたが、気迫で投げました。終わってみると、13奪三振という球団新人記録で勝ったのです。監督や周囲の評価が一変しました。親孝行したつもりが、結局、親に守られたように思います。 --最後に、「青年学会 勝利の年」の抱負を。岩隈 「常に前進!」でいきます!現状に満足した時点で、停滞が始まります。何があろうが、常に前へ! 前へ! 応援してくださるすべての人に、勝利で応えるために、この決意で進みます。 【新春インタビュー 岩隈久志さん】大白蓮華2013.1
January 14, 2013
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--どうやって、その悪いリズムを克服していったのですか。岩隈 実は妻に思わず言っていました。「力の衰えを感じる......」と。すると、いつもは優しい妻が言いました。「何を言っているの。『力の衰え』なんかじゃない。気持ちの問題よ。苦しんでいるのはあなただけじゃないのよ。幼い娘が、日本語が一切通じないアメリカの学校で、必死になって、毎日、頑張っているのよ!」胸に突き刺さりました。不安で、自分のことしか頭になかった。申し訳なさでいっぱいになりました。そして妻が温かく、「思い出して。池田先生が何を言われたのかを......」 --池田先生から、どのような激励があったのですか?岩隈 2008年4月の青年部幹部会でした。右ひじの手術から復帰して開幕投手を務めたものの、体をかばいながらの投球でした。そのシーズン、投げられるか、不安だらけでした。池田先生は、不安を引きずる僕を見透かすように言われました。「不安など、放っておけ! 強くなりなさい!」厳しくも温かい指導でした。先生は信頼と期待を込めて、厳しく言ってくださったのだと全身で感じました。実は、その日は、僕の誕生日でした。生涯の贈り物でした。先生のおかげで、自身のおかれた状況がどんなに悪くても、それに引きずられなくなりました。苦しみを直視しつつ、左右されなくなったのです。ただ、対戦している打者に、投げる「一球」に、全魂を込めるようになりました。 --その年に21勝を挙げ、投手三冠(最多勝利・防御率・勝率)に輝き、沢村賞を受賞されました。その時のことを思い出して、メジャーリーグでも活躍できたのですね。岩隈 はい。先生の声が心に蘇り、不安が吹き飛びました。"そうだ。使われようが使われまいが、やるべきことに集中しよう! 打者一人一人との勝負。 一球一球に全力を尽くせばいいのだ"と。心構えを向いて、迎えた試合でした。中継ぎでの登板でしたが、メジャーで初勝利を挙げたのです。それまでは、メジャーリーグという環境に、"合わせる"ことばかり考えていました。それが一番大切だと思っていたからです。たとえば、"キャッチャーの要求どおり投げなくては"と--。でも、それだけでは足りない。勝つためには。どこか無責任だったのです。監督や周りの選手に自分の意見を言い、きちんとコミュニケーションをとるようになりました。それからは、先発ローテーション入りを果たすことができ、勝ち星を順調に伸ばすことができたのです。 --投球も大きく変わったのですか。岩隈 実は、シーズンの初めと、終わりでは、実感、スピードは上がりましたが、それほど投球内容は変わっていないんです(笑い)。強いて言えば、変わったのは打者と対峙した時の"心"でしょうか。考えとか、気持ちとかではなく、かなり奥深いところの"心"です。メジャーの強打者との対戦は、フィフティー・フィフティー(五分と五分)の勝負。"打つ"という打者の気迫と、"打ち取る"というピッチャーの気迫の真剣勝負です。"心"と"心"のぶつかり合うマウンドで、たとえ、ランナーを背負おうが、カウントが不利だろうが、"絶対に勝つ!""断じて打ち取る!"という"一念"が、全くブレなくなった。後半戦は特に、その"一念"が研ぎすまされていた手応えがありますね。朝夕、自分に勝ち、自身と向き合うリズムによって。"勝負は時の運"と言いますが、心の奥底の研ぎすました一念が、その運さえ、たぐり寄せるような気がします。 【新春インタビュー 岩隈久志さん】大白蓮華2013.1
January 13, 2013
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--昨年、念願のメジャー入りを果たされました。ところが、前半戦は、先発投手ではなく、中継ぎ「リリーフ」で起用されることになりました。岩隈 はい。日本での開幕戦の直後、監督からシーズンを「リリーフで使う」と言い渡され、耳を疑いました。日本では、先発でしか投げたことがなく、契約も先発で入団したからです。でも、そこがプロ野球とメジャーの違いだったんですね。球団にしてみれば、僕は単なる新人選手の一人。前年までの実績など参考でしかない。監督が自分の目で確かめなければ使わない、というのがメジャーの感覚だったのです。結局、実力を証明しなければならない開幕戦に、監督が満足できる内容を残せず、リリーフに回ったのです。覚悟はしていましたけれど、心が折れかけました。 --ただでさえ慣れない環境に加えて、リリーフという、これまでにはまったく異なる役割を託されたのですね。岩隈 もちろん、日本とは全く違う世界への挑戦なので、何にでも対応しようと懸命でした。練習はもちろん、ベンチでは相手選手の打撃を観察してはノートに付け、移動中も頭の中で投球を組み立てていました。でも、なかなか初登板が回ってきません。やっと中継ぎで投げられたのは十数試合目で、一軍登録の投手の中で最も遅い登板でした。それだけ、監督の信頼がなかったのです。出番がないことで、次第に自身も揺らいでいきました。日本と違うストライクゾーン、打者のパワーは桁外れで、どこを狙って投げればいいのか。打ち取るには何が"正解"なのかを見つけられない。登板しても、感触がつかめず、手探りの状態で混乱するばかり。しかも時には数千キロにもなる移動距離に、じわりと気力を奪われていきました。そうして精神状態では、結果も出ません。敗戦処理みたいな登板が続き、先発ローテーションに入ることがどんどん遠のいていくようでした。一向に出口が見えない不安で息が詰まりそうでした。プロ生活で初めて感じた不安でした。 【新春インタビュー 岩隈久志さん】大白蓮華2013.1
January 12, 2013
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--2年前も、メジャーリーグの移籍を目指したものの、交渉がまとまらず、夢は一時、封印されました。岩隈 確かに残念でしたが、振り返れば意味がありました。直後の「3・11」に東日本大震災が起きました。応援し、支え続けてくださる東北の皆さんが一番、大変な時に、勇気と希望を送りたいと、プレーすることができたからです。しかし、感動をもらったのは僕たちの方でした。最も大変な中でも、東北のファンの皆さん、全国のプロ野球ファンの皆さんが、僕立ち東北のチームを応援してくださったのです。あれほどの感動は生涯、忘れません。実は、メジャーで使っているグラブには「希望」と刺しゅうを入れました。東北の皆さんの「希望の懸け橋」になりたい。その思いからです。 【新春インタビュー 岩隈久志さん】大白蓮華2013.1
January 11, 2013
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メジャーリーグは、見る者を圧倒する。投手ならば、一度は夢見るそのマウンドに岩隈久志投手が立った。アメリカ最強の打者を打ち取る投球は、2012年、リーグ最高との評価を受けた。しかし、開幕から3カ月、先発起用されない日々が続いていた。その試練をどう乗り越えたのか--。岩隈投手が語る。 選手生命の危機!その時、メジャーのマウンドが見えた! --メジャーリーグ初挑戦の昨シーズンは本当に素晴らしい活躍でした。後半戦に先発陣の一翼を担ってからは8勝4敗。防御率2.65は、シアトル・マリナーズ新人記録ですね。岩隈 ありがとうございます。皆さんの応援のおかげです! --どのようなきっかけでメジャーリーグを目指されたのですか。岩隈 直接のきっかけは、2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)です。世界の名だたるバッターを相手に、自身の持てる力のすべてをぶつける大戦は新鮮で、わくわくする楽しさでした。"抑えられる"という感覚を得たのも大きいです。でも、初めてメジャーリーグを意識したのは、選手生命の危機の陥った2007年でした。その年は右ひじの故障で5勝しか挙げられず、思い切って手術を受けた時でした。入院中、レッドソックスの松坂大輔投手が、ワールドシリーズの優勝トロフィーを掲げる姿をテレビで目にしました。"あの舞台で活躍したい"と思いました。ひじがまったく曲がらず、復帰できるか分からなかった。苦しくて、その重圧に、耐えて、耐えて、ただ耐えながら祈り抜いていました。その中で、湧きあがってきた思いです。真っ暗闇にポッと明かりがともったようでした。それが苦しいリハビリに耐える力になりました。 【新春インタビュー 岩隈久志さん】大白蓮華2013.1
January 9, 2013
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願いが実現しないときには、たいていその願いよりもっと強い力をもった二番目の願いが存在します。この第二希望は、第一希望に対する滑り止めとして作用しています。第一希望よりも強い確信があるものです。私たちは何かを望むとき、どのように取り組んでいるのでしょうか?自分の願い方をじっくり観察してみると、願いの要点をはっきり思い浮かべてポジティブに取り組んでいるのは、一日のうちせいぜい10分ぐらいでしょう。そのご、再び日常生活に戻っていきます。 では、残りの23時間50分はどうでしょうか。「うまくいきっこない」「すべてはナンセンスだ」「願いをかなえてもらう資格なんて、どのみちないさ」「どうせ負け犬なんだ」「運をつかむのは他のヤツに決まっている」などと考えていませんか?そうなると、どちらの願いが大きな力をもっていることになるでしょう?不変的で力強い願いはどちらだといえるでしょうか? 【宇宙に上手にお願いする法】ピエール・フランク著/中村智子訳 サンマーク出版
January 8, 2013
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皆さんがよくご存じの御聖訓に、「月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし」(御書1190頁)と仰せである。 もとより、私たちは凡夫であるから、緊張感を持ち続けるのは至難である。だからこそ、たゆみなく「題目」を唱え抜いてゆくのだ。 また「妙楽大師は《必ず心の固きによりて神の守り、すまわち強し》と言われています。心の堅固な者には、神の守りが必ず強いというのです」(同1220頁、通解)とも教えられている。 この「心」とは「信心」である。信心強き人を諸天は守る。心には無限の可能性がある。心ほど不思議なものはない。 【第2回関西最高協議会】聖教新聞07・11・19
January 7, 2013
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仏法では、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「娑婆即寂光」「化城即宝処」など、「即」という甚深の法門が説かれている。これは、「迷い」と「悟り」など、正反対の概念を、単なる「イコール」で結ぶものではない。誠にダイナミックな実践論であり、究極の希望の大哲学である。広宣流布を目指し、信心根本に進む途上にあって、いかなる難事が競い起ろうとも、断じて打ち破れないことはない。その時こそ、「宿命転換」できるのだ。「ピンチこそチャンスなのだ」「偉大な勝利の土台を築くのだ」と大確信に燃えて、勇気ある信心で、妙法という「絶対勝利」の軌道を、前へ前へと進んでいくことだ。牧口先生も、座談会などで悠然と語られた。「難というものは、どんなに大きな難であろうとも、それは大きな舟に小石を積んだようなものだ」一喜一憂する必要はない。「冬は必ず春となる」(御書P1253)との仰せを抱きしめて、「絶対に乗り越えられる!」「勝利しないわけがない!」と、一念を定めて祈り抜き、祈りきるのだ。大聖人は「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(同P732)と明かしておられる。妙法を唱え、妙法に生き、「勇猛精進」していけば、この法理に則り、どんな苦難も栄光に転じていく「逆転劇」が必ず開かれるのだ。この絶対の確信に立って、永遠の栄光を勝ち取るまで、"わが弟子として、不屈の信心を勇敢に貫け!"と、御本仏は励ましてくださっている。御聖訓には仰せである。「法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい」(同P1360、通解)勝つまで戦う!貫いて、最後は必ず勝つ!この堅忍不抜の一念で戦い抜いてこそ、無上の栄冠は輝くのである。 【方面長会議】聖教新聞09・10・6
January 3, 2013
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「生活といい、信仰といい(答えは)同じことであるが、これらに最も必要なものは、なんだろうね」「それは『確信』だよ」--。「新聞報道などを見ても、生活に負けていく人の姿は、皆『確信』が無くなったからだ。われわれは、大聖人様の御確信を、最高、最大のものとしていくことではないだろうか」「御本尊があるから大丈夫だ。御本尊を拝んでいるから、自分は大丈夫だ。この確信が胸の奥底から出てきたら信心は一人前です」「『いや、ああしなきゃダメ』『こうしなきゃダメ、どうなることか...』などと、そんな心配はいりません。私は御本尊を拝んでいるのだ。今朝も拝んだ。今も拝むのだ。わが人生は大丈夫だという確信がつけば、大丈夫です......きょうから、こうなりなさい。幸せになるに決まっています」戸田先生は、「信仰に対する絶対の確信」を強調されていました。 この信心があれば、どんな苦悩も絶対に乗り越えられる!--この大確信の源泉を、無限の希望の道を、身をもって大難を勝ち越え、教えてくださったのが、日蓮大聖人であり、その仏法を私たちは持っているのです。 【勝利の経典「御書」に学ぶ |高橋入道殿御返事|永遠の希望の道を 師とともに!】大百蓮華2013.1
January 2, 2013
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