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一昨日のマイケル・ジャクソン死去のニュースには驚いた。まだ50歳、死因は心臓麻痺ということだが、これは前の世代のもう一人のスーパースター、エルヴィス・プレスリーの場合と同じである。プレスリーが死去したのは1977年、42歳だったそうだから、マイケルよりもまだ若い。プレスリーのデビューは50年代中頃であり、若い頃の画像をYoutueで探すと、ほとんどがまだ白黒であるというのには、時代を感じさせる。 プレスリーが生まれたのはミシシッピ、育ったのはテネシーで、いずれも南部に属する。おそらくは、そのことが、彼の歌に大きな影響を与えたのだろう。家族と写っているプレスリーの少年時代の写真を見ると、戦後すぐの頃のアメリカ南部の白人の暮らしが、けっして豊かではなかったことがよく分かる。今はそうでもないかもしれないが、南部での黒人差別の厳しさは、たぶんそのこととも無関係ではないだろう。 いっぽう、こちらでは、東国原宮崎県知事の例の発言をめぐって、なにやら大騒ぎのようだ。最初は出馬要請を断るための口実かと思っていたが、そうでもなく、結局、自分が自民党総裁選に出馬することを認めろという話らしい。現在の規約では、出馬には20人の推薦人が必要ということだが、そうすると、出馬に必要な推薦人を党の側で用意してくれということなのだろうか。これもまた、ずいぶんと筋の違うわけのわからぬ話である。 そもそも、一政党が県民の頭越しに、現職の知事に出馬要請をするというのがおかしな話なのだ。そうであるなら、まずは宮崎県民の皆様に、お伺いを立てるというのが筋だろう。ようするに、この話でいちばんなめられているのは、あいもかわらず地方の住民だということになる。東国原知事がどうするかは知らないが、自民党の支持率が下がっている中、県民を足蹴にするようなことをすれば、選挙がどうなるかはわかったことではない。 今頃になって、解散権がどうの改造がどうのと言っている、麻生首相や細田幹事長にしろ、なにがしたいのかさっぱり理解できない鳩山弟にしろ、自分の党の都合しか考えず、地方をなめきった古賀選対委員長にしろ、この国の政治家は、自分がとうに裸であることを知らぬ 「裸の王様」 ばかりである。こうも 「裸の王様」 が多くては、目のやり場にも困ってしまうではないか。 前の記事に続けて、昔の話をもうひとつすると、学生時代の先輩にYという人がいた。神戸の灘高の出身で、話によれば、高校生のときの69年に大阪で行われ、糟谷孝幸という岡山大の学生が死亡した、70年安保の11月決戦デモが人生最初のデモだったというとんでもない人で、亡くなった作家の中島らもと、たぶん同学年ぐらいになるはずだ。 その人は、おもに在日韓国人支援の運動に関わっており、小倉の大韓基督教会の牧師だった崔昌華さんを招いた講演会などを学内でやっていた。崔昌華という人は、かの金嬉老事件で、彼を説得するために現地静岡の旅館に駆けつけたという人でもあるが、当時はNHKを相手に、自分の名前はサイ・ショウカではない、チョエ・チャンファである、勝手に日本語読みをするな、という訴訟を起こしていた。その後、外国人登録証への指紋押捺拒否の運動なども展開していた。 当時の日本では、韓国の朴正煕政権は、左派やリベラル派によって軍事独裁とかファシズムなどと呼ばれて強く批判されており、投獄されていた詩人の金芝河に対する支援などの運動もさかんだったのだが、彼は自分が行っている運動に対して、そのようなスローガンが持ち込まれることをいっさい認めなかった。それは、在日韓国人支援の運動にそのような政治的スローガンが持ち込まれ、運動が特定の政治性を帯びてしまうことが、支援していた人たちとその運動に対して不利益となることを、じゅうぶんに理解していたからだろう。 とはいえ、自分が左翼であることを隠していたわけではない。それは、彼が付き合っていた向こうの人たちも、十分に知っていたことである。彼の下宿に行くと、トロツキーからローザや毛沢東まで、ありとあらゆる著作が壁一面に並んでいるという、とてもただの学生とは思えない人でもあった。とにかく、この人にはとてもかなわないと思わされた人でもある。 彼には、大学を出たばかりの 「できちゃった婚」 で途方にくれていたところに、自分が勤めていた塾に紹介してもらったりと大恩があるのだが、その後、そこがつぶれてそれぞれ別のところに移り、付き合いが途切れてしまった。風の噂では、その後、弁護士となり、在韓被爆者や在日コリアンの年金などの問題でも活躍しているらしいから、その筋の人なら、誰のことだかたぶん分かるだろう。 関係ない話だが、70年代には、サルトルもファノンも、左翼学生にとっては必読文献のひとつであった。なにしろ、三上寛はあの野太い声で、「サルトル、マルクス並べても 明日の天気はわからねえ」(参照)と歌い、サングラスをかけた野坂昭如は、ウィスキーのテレビCMで、「ニ、ニ、ニーチェか、サルトルか、みーんな悩んで大きくなった」(参照) と下手な歌を歌っていた時代でもある。若い人がサルトルを復権させようというのはかまわないが、そのくらいのことは常識として踏まえておくべきだろう。 もうひとつ、宗教団体(?)である幸福の科学が、選挙に参加するために幸福実現党なる組織をつくり、あちらこちらで運動している。こちらでも青いTシャツを着て、のぼりを掲げた運動員を街頭で見かけたのだが、幸福を実現するという言葉を掲げれば、幸福が実現できるのなら誰も苦労しない。運動にとって、スローガンというのはたしかに重要だが、看板だけの中身のないスローガンや、理解しがたいスローガンでは意味がない。
2009.06.27
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イラン情勢がたいへんのようだ。先週に行われた大統領選挙では、保守派とされる現職のアフマディネジャド大統領が約65%、改革派と言われるムサビ元首相が約32%というほぼ2対1の大差で、現職大統領の再選ということになったのだが、敗れたムサビ支持派が選挙の不正を訴えて各地で抗議行動を広げている。 首都テヘランでは、ムサビ支持派による数万規模の無許可デモが行われている。すでに死者も出ているらしいが、これは、ちょうど30年前に起きた、パーレビ王朝が倒された革命以来、最大の反政府運動ということになる。30年というのは、出生率の高い国なら、国民の半分以上が入れ替わるぐらいの長さになるだろう。フランス革命後の混乱が、ナポレオンの敗北で終息したのも、蜂起からほぼ30年後のことである。 振り返ってみると、イラン革命が起きた1979年というのは、国際的な大事件の相次いだ年であった。1月には、カンボジアのポルポトを支援する中国が、ベトナムに対し懲罰と称して戦争をしかけ、7月には中米のニカラグアで独裁者のソモサ政権が倒れた。10月には韓国の朴正煕大統領が側近の部下に射殺され、12月にはソビエトによるアフガニスタン侵攻が始まった。 朴正煕暗殺事件のときは、たしかある障害者団体がやっていた街頭カンパの支援に引っ張り出されていたような記憶がある(違うかもしれない)。ただし、その知らせを聞いたのがどういう経緯だったのか、詳しいことは思い出せない。ひょっとすると、号外でも出たのかもしれない。 その年というのは、本来なら大学を卒業する予定だったのだが、諸般の事情により翌年までお預けになってしまった。早い話、ろくに講義に出ていなかったから、卒業のための単位が足りなかったというだけのことなのだが。 前年に、京都大学の同学会が主催した集会があって、そこでの集会後のデモでお巡りさんになぐられて、気がついたらどこかの病院に寝かされていた。そのときは一週間で退院したのだが、帰ってきてもどうも目の調子がおかしい。左右の視線がきちんとあわない。それで、地元の病院で見てもらったところ、右目の眼球の下の骨が折れているという話だった。 結局、手術をして、まあよくはなったのだが、病院から出てきてみると、今度はまわりの連中と話があわない。中越戦争で、中国を支持しベトナムを非難するビラを出したり、ソ連を「白くま」と呼んで非難するビラを出したりと、まるでいっぱしの政治党派のような活動を始めていて、およよと思ってしまった。 そのへんのことには、いろいろと裏があったのだが、こんなバカな連中と一緒にやれるか、ということで足を洗った。ぼこりあいにこそならなかったけれど、気まずい別れであった。当時すでに、カンボジアの虐殺のニュースもちらほらと流れていたのだが、そういった現地の事情も知らずに、ようもまあそんなことが気軽に言えるよな、と感心したのを覚えている。 その連中が、今どこでなにをしているのかは、ほとんど知らない。学生時代には、青やら赤やら、あちこちにいろいろと知り合いもいたのだけれど、その連中ともほとんど付き合いはない。ただ、一度だけ、地元のニュースで、行政相手のつまらぬ事件の容疑者として、ちょっと知っていた者の名前が出てきたことがあって、おいおい、お前、まだそんなことをやっているのかよ、と呆れてしまった。 その当時、それから10年後にソビエトが解体し、鉄のカーテンで仕切られた 「社会主義圏」 なるものがいっせいに崩壊してしまうとは、いったい誰が予想していただろうか。まことに、十年先は闇である。今から考えれば、当時のアフガンやアンゴラでの無理な膨張政策と、アメリカとの軍拡競争が、彼ら自身の首を絞めたということなのだろうが。 話は変わるが、社会において不利な立場にある少数者や、いろいろな理由で自らは声をあげにくい人らを支援し擁護することは、むろん否定されるべきことではない。しかし、その場合に真っ先に考えられねばならないのは、なによりも当事者であるその人たちの立場であり、利益でなければならない。 「日の丸」 反対だの、天皇制反対、ファシズムがどうのという主張がしたければ、そういう運動とは切り離して、自らの責任ですればよい。たとえ、その主張に一定の正当性があろうと、それとこれとは別の問題だ。それを混同するのは、少数者の権利擁護という社会運動に、政治的な主張を持ち込むことであり、そういう人たちを、自らの政治的主張のために利用していることにすぎない。それが分からぬというのであれば、君らは、自分らが支援しているつもりの人たちの利益を本当に考えているのか、という話になる。 ベスト電器の不正ダイレクトメール事件から始まった、自称 「障害者団体」 の認可をめぐる問題は、郵便会社職員の逮捕から、とうとう厚労省の官僚逮捕というところにまで発展した。事件の背後には、政治家の関与もささやかれているが、この事件というのもよく分からない。そもそも、地検の特捜がわざわざ出張るほどの問題なのだろうか。 問題の 「第三種郵便物」 というのは、障害者団体向けの郵便物割引制度のことだが、連れ合いが持っている古いパンフ類を内緒で引っ掻き回していたら、「社会福祉事業団体 日本脳性マヒ者協会 全国青い芝の会総連合会」 という団体が発行していた、ぺらぺらの機関誌がでてきた。これには、ちゃんと裏側に 「第三種郵便物認可」 と印刷してあるから、不正ではない。 くしくも、これも1979年の発行で、「故横塚晃一会長追悼号」 と題されていた。横塚さんというのは、青い芝の会の指導者で、その世界では伝説的人物といってもいい人だが、生前に会ったことはない。ただし、副会長だった横田弘という人は、全国大会で一度だけ顔を見たことがある。当時、福岡の会長を務めていたN氏に、お前ついて来いと言われて、しかたなくついていったのだが、そのときの大会がどこで行われたのかは、とんと思い出せぬ。なにしろ、30年も前のことであるから。 そういえば、先日、地元のニュースでこのN氏の姿が流れたのだが、顔は変わらぬが、頭のほうはすっかり悲惨なことになっていた。やっぱり、昔の仲間だとか友人などというものには、あまり会わないほうがよさそうである。お前、誰だよ、とかいう話になりそうだし。紅顔の美少年もいまいずこ、というのでは、笑い話にもならない。 若いということは、多かれ少なかれ、愚かさや未熟さと同義である。思い返すなら、自分も、いろいろと愚かなことをしたものである。とても人様のことをあれこれと言えた義理ではない。ただ、自分の愚かさが自分に返ってくるのはしかたないとしても、関係のない人様の足を引っ張ったり、迷惑をかけぬぐらいの注意は必要だろう。
2009.06.19
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世の中には、自分にとって 「分かる議論」 をする人と、「分からない議論」 をする人がいる。「分かる議論」 とは、ようするにその人がなにを言っているかが分かるということである。厳密に言うと、それは正しいということが 「分かる議論」 と、間違っているということが 「分かる議論」 の二つに分かれるが、ここではとりあえず、その 「正しさ」 が分かる議論のほうを主に指すとする。 いっぽう、「分からない議論」 とは、そもそもその人がなにを言っているのかも、なにを言いたいのかも分からない議論のことである。であるから、この場合、それが正しいのか間違っているのかも、分からないということになる。 ネット上の論争とかを見ていると、いっぽうの人の言うことはよく分かり、もういっぽうの人の言うことは全然分からないということがよくある。そういう場合、人はだいたいにおいて、自分が理解できる人のほうを支持しがちである。なにしろ、いっぽうはいちおうなにを言っているか理解できるのだが、相手の方はなにを言っているのかが全然分からないというのだから、これはまあ無理からぬことである。 しかし、よく考えると、これにはおかしなところがある。なぜなら、事実についてであれ、観念についてであれ、「論争」 とはある主題をめぐって行われるものであり、自分にとって理解できるいっぽうの議論は、それ自体としては正しいとしても、その 「正しさ」 というのが、じつは論争の主題や相手の主張とは全然関係のない、たんなる一般的な 「正しさ」 であったり、まったく頓珍漢な明後日のほうを向いた 「正しさ」 にすぎないという可能性もあるからだ。 当たり前のことだが、一般に自分にとってよく 「分かる議論」 とは、それが今の自分の知識とか理解力とかにぴったり一致しているか、またはその範囲内にあるから、よく分かるわけだ。それは、たとえば、高校レベルの数学を十分に理解した者にとって、中学レベルの数学の問題など、ちょちょいのちょいで解けるのと同じである。 人は、「分からないもの」 と 「分かるもの」 とが並んでいると、どうしても 「分かるもの」 の方を選びがちなものだ。しかし、「分かるもの」 ばかり選び、好んでいたのでは、「進歩」 も 「向上」 もない。足し算でも掛け算でもなんでもよいが、人間誰しも 「公式」 のようなものを覚えると、それをどこでもここでも振り回したくなる。 「公式」 というのは便利なもので、使い方さえ間違えなければ、誰がやろうと必ず正解が出る。なので、世の中には、間違えてバツをもらうのが嫌なばかりに、間違える心配のない同じような問題ばかりいつまでも解いている小学生のような人もいる。なるほど、新しい問題などには挑戦せず、自分の能力の範囲内の問題ばかりしていれば、間違える心配は永遠にない。いつもいつも百点がもらえる。それはたしかに気持ちのいいことではある。 とはいえ、それでは、カゴの中の輪の中で、輪をぐるぐる回しているハムスターと同じだ。一生懸命手足を動かしていて、自分では走っているつもりなのかもしれないが、じつは一歩も前には進んでいない。というわけで、論争において 「分かる議論」 をする人と 「分からない議論」 をする人がいたならば、「分かる議論」 をする人よりも、「分からない議論」 をする人の言い分のほうをよく考えてみたほうがいい。 なにより一番駄目なのは、「分からない議論」 をする人に対して、適当に選んだ自分の手持ちのレッテルを貼っておしまいにし、「分かる議論」 をする人の肩をそそくさと持ってしまうことだ。「教科書」 に書いてないことを言う人の中にも、「教科書」 についてまったく無知な人間もいれば、「教科書」 に書かれていることなど、言わずもがなの前提にしている人もいる。 「教科書にはそんなことは書いてない」 と指摘するのは簡単だが、とりあえず、そういう違いぐらいは考えておいたほうがよい。たしかに、1+1 は誰が計算しようと2になる。だが、それだって、2進法ということになれば違ってくる。そもそも、世の中、教科書に書かれてあることしか言わぬ人ばかりでは、ちっとも面白くもない。 ただし、残念ながら 「分からない議論」 がすべて意味のあるものとは限らない。それが分かったことで、必ずなにかが得られるとも保証できない。とはいえ、それでも頭の体操ぐらいにはなるだろうから、まったく無駄というわけでもあるまい。むろん、それも時間があれば、の話ではあるのだが。 さて、政局のほうは、鳩山総務大臣の辞任で、麻生内閣の支持率がまたがくんと下がったそうだ。安倍内閣以来、あれやこれやの迷言でおなじみの、あの鳩山邦夫氏がそんなに人気があったのだとはちっとも知らなかった。これもまた、よく 「分からない」 ことである。 関が原の合戦のとき、信濃の山奥の真田家は、兄の信之が東の家康につき、弟の幸村は西の三成についた。これには、東軍・西軍のどちらが勝っても、真田家が生き残れるようにという父、昌幸の深謀遠慮が隠されていたという説がある(真偽のほどは知らない)。 民主党結成時には手を組んだ鳩山兄弟が、その後、路線の違いとかで二手に分かれたのには、ひょっとすると同じような思惑があったのかもしれない。ただし、これは根拠などなにもない、ただの思いつきである。
2009.06.15
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19年前に栃木で起きた 「足利事件」 の犯人として無期懲役の刑を受けていた、元幼稚園バス運転手の菅家利和さんが、再審前であるにもかかわらず釈放された。菅家さんは、当時いくつも起きていた同様の他の事件についても 「自白」 していたが、検察は奇妙にも他の事件については不起訴とし、一件のみについて起訴している(参照)。 連続した幼児の行方不明と殺害という重大事件であり、しかも本人がせっかく 「自白」 までしたというのに、検察はなぜか他の二件については起訴を見送った。むろん、それは、「自白」 以外の物証の不足が主たる理由だったのだろう。だが、おそらくは検察も、他の二件に関する 「自白」 の任意性と内容の真偽については、当初から疑問を持っていたのではないだろうか。 むろん、事件はそれぞれ別である。理屈を言うなら、他の件に関する 「自白」 の疑わしさと、起訴された本件の 「自白」 の問題とは別だと言えなくもない。しかし、そのことは、少なくとも当時の取調べには、容疑者に対して、本人がやってもいない事件についての 「自白」 を迫る雰囲気があったということを示唆している。であるなら、裁判所は本件に関する 「自白」 の任意性と捜査の適正さについても、当初から疑いを持つべきではなかったろうか。 もし、菅家さんが一件ではなく、他の件も含めて起訴され、そのすべてで有罪となっていれば、死刑となっていた可能性は非常に高い。実際、飯塚で起きた同様の事件では、二件の殺害容疑によって、被疑者は死刑判決を受け、すでに刑も執行されている(参照)。 問題は、DNA鑑定の技術的精度だけではない。鑑定や科学的技術そのものの精度がいくら上がったとしても、結局は人間がやることである以上、故意か故意でないかに関わらず、その過程において、なんらかのミスが生じる可能性はつねにある。そのことも忘れてはならない。 さて、前置きならぬ前置きが長くなった。ここから本題にはいることにしよう。ただし、前置きと本題といっても、全然関係がないわけではない。お題は、「レッテル」 の正しい貼り方と使い方ということ。 よく、議論の場などで、「レッテル貼りはよくない!」 と言い出す人がいる。そういうときの 「レッテル」 とは、つまりカテゴリ的な概念のことだ。たしかに、印象操作や思考停止を伴う 「レッテル貼り」 はよくない。だが、だからといって、分類のためのカテゴリ使用をすべて禁止するわけにはいかない。 それでは、世界について思考するには、世界に存在する事物と同じ数の概念が必要ということになる。それは、見知らぬ町へ行くのに、その町と同じ大きさの地図を持って行け、というようなものである。 概念は、具体的な事物や関係の抽象によって得られる。個々の具体的な事物は、様々な側面を持ち、様々な関係の中にある。だから、同じものでも、見方や視点、関係付けの違いによって、様々に定義することができる。つまり、カテゴリ的概念とは、すべて事物の一面を捉えたものにすぎないということだ。イルカとマグロは生物学的にはまったく別だが、海洋生物としては一緒である。なので、海洋汚染に対しては、イルカもマグロも利害が一致するのであり、ともに団結してたたかおう! ということになる。 巨人ファンの中にだって、仏教徒もいればキリスト教徒もいるだろう。その場合、球場では仲がよくとも、宗教の話になったとたんに喧嘩を始めるかもしれない。逆に、同じ信者どうしであっても、一方は巨人ファン、他方は阪神ファンであり、野球の話については犬猿の仲という人もいるだろう。「好きな球団」 というカテゴリも、「宗教」 というカテゴリも、具体的な個人の全体を包摂することはできない。どんなカテゴリだろうと、あるカテゴリに包摂されるのは、そのカテゴリと関連したその人の一部であり、全体ではない。 カテゴリは、事物についての特定の視点で構成されたものである以上、しょせん一面的な概念でしかない。一面的なカテゴリによって構成された 「全体」 とは、それ自体一面的な 「全体」 にすぎぬのだから、どんなカテゴリも、個の全体、個が有する関係の全体を包摂できはしない。具体的な場面において、どのカテゴリを適用し、優先させるかは、そこでの問題に依存するのであり、カテゴリそのものから引き出すことはできない。 「やつは○○だ。追い払え!」 といった差別や集団的憎悪は、個と全体を同一視し、個を全体に解消するところから生じる。彼らにとっては、AやBという個人、つまり個人としての人間などはどうでもよいのであり、AやBという個人が○○というカテゴリに属するかどうかが、すべてなのである。ようするに、彼らは、たった一枚の 「レッテル」 が生きた個人のすべてを包摂しうるかのように考えているのであり、これもまた、悪しき 「レッテル貼り」 思考のひとつということになる。 「毒物」 というレッテルは、とりあえず注意を喚起するという点では役に立つ。しかし、毒にもいろいろあるのであり、具体的な場面では、それでは役に立たない。同じ毒でも、青酸カリと砒素ではまったく違うし、対処の方法だって違う。だから、目的と必要に応じて、レッテルはさらに細かく分類し、正確に貼らなければならない。レッテルを正しく使うということは、どんなレッテルも万能ではないということをふまえ、使用しているレッテルの意味、すなわち、その効用と限界を正しく認識しておくということだ。 悪しき 「レッテル貼り」 とは、まずは不正確で曖昧なレッテルを使用することであり、また、その誤りを指摘されても、がんとして認めようとしない頑迷さのことである。そして、「毒物は毒物だ」 という一見正しそうに思える、ただしよく考えれば、ただの同語反復に過ぎない論理を振り回して、毒物Aと毒物Bの違いを認めようとしない 「レッテル全体主義」 のことでもある。 なので、レッテルの正しい使い方と間違った使い方を区別できず、たまたま悪しき 「レッテル」 として使われることのある言葉を見つけただけで、パブロフの犬のように、「それはレッテル貼りだ!」 と叫び出す人も、実は同じ 「レッテル貼り」 思考に陥っているということになる。つまり、「レッテル貼り」 とは、個々の場合に応じた具体的な思考と判断を放棄した、怠慢かつ怠惰な思考のことなのだ。 裁判で言うなら、「有罪」 と 「無罪」 というのもひとつのレッテルである。「容疑者」 とか 「被告人」、「受刑者」 というのも、同じようにレッテルである。警察に逮捕されたのだから、検察に起訴されたのだから、すでに有罪判決を受けているのだから、とそこで思考を停止して、「彼が犯人に違いない」 と決め付けてしまうのは、まさに悪しき 「レッテル貼り」 思考の典型である。 たしかに、証拠もなしに警察が逮捕状を請求するはずがないとか、有罪の見通しもないのに検事が起訴するはずがない、根拠もなしに裁判官が有罪というはずがない、などというのも、全体としてならば、そこそこの推論としてなりたつかもしれない。しかし、個別の事例について判断するときには、そのような前提は、ただのよけいな先入観でしかない。全体としての蓋然的な正しさは、個々の事例における正しさとはまったく関係ない。 「司法の独立」 という原則によって、裁判官の身分が保証され、その判決に対して責任が問われないのは、ときの政治権力や有力者の意思、あるいは法的判断以外の利害によって、裁判官の判断が左右されることを防ぐためであって、どんな判決を下そうがおれたちの勝手だよ、とあぐらをかくためではない。 われわれは一生懸命やった、あの当時はあれでしかたなかった、という警察や検察、裁判所の弁明が、いまだにまかりとおるようでは、「国家無答責」 なる法理がまかりとおっていた 「大日本帝国憲法」 の時代とまったく違わない。国家とその機関は国民に対してなにをしても責任を負わないというのでは、「国民主権」 など絵に描いたもちですらない。 冤罪を生み出さないために必要なことは、自白や証拠に疑問があるなら、徹底してその不明な点を追究するという態度だけである。当時のDNA鑑定の不正確さについては、最初から疑問が出されていたのに、なんだかんだといって10年以上も再鑑定を退け続けたのには、面倒くさい、という以外に、いったいいかなる理由があるのだろうか。 この国の司法では、「疑わしきは被告人の利益に」 という近代司法の大原則があまりに無視されすぎてはいないだろうか。警察・検察や裁判所などの関係者もまた、個々の被疑者や被告人、受刑者を、それぞれ名前を持ち、家族を持ち、また未来を持っている生きた人間としてではなく、「レッテル」 が貼られた書類の上の記号としてしか見ていないということなのだろう。警察・検察の主張を鵜呑みにし、せいぜい検事の求刑をいくらか割り引いた刑を言い渡すというだけなら、サルでもロボットでもできることだ。
2009.06.05
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新型インフルエンザの感染者は、まだまだ増えつつあるが、弱毒性ということもはっきりし、一頃の騒動はどうやら山を越えたようだ。しかし、テレビをつけていると、1日に何度も、「冷静な対応をお願いします」 という首相のあのだみ声を聞かされるのはたまらない。「冷静な対応」 だなんて、今頃になってなにを言ってんだとしか言いようがない。 かつてエンゲルスは、『イギリスにおける労働者階級の状態』 の中で、世界でもっとも豊かな国の労働者らがいかに悲惨で惨めな暮らしを強いられているかを、克明に描いた。国家が豊かであるということと、国民の貧しさとは必ずしも矛盾しない。それが、当時まだわずか25歳だったエンゲルスの指摘したことだ(それは、むろん今でも多かれ少なかれあてはまる)。 それと同様に、国家とその軍隊の装備や戦力は、国民の貧しさとも必ずしも矛盾しない。世界には、スラム街でその日暮らしの生活をしている多くの貧困者がいる一方で、核兵器や遠くまで飛ばせるミサイル、高速で空を飛びまわる戦闘機をそろえて得意になっている国もある。インドもパキスタンも、またもちろん先日、晴れて 「核保有国」 の仲間入りをしたかの国でも、それは同じことだ。 しかし、言うまでもなく、そのようなものは煮ても焼いても食えはしない。人間にとって必要なものは、まずは食べるものであり、次に雨露と暑さ寒さをしのぐ場所である。先日、インドでは、アカデミー賞を取った映画に出演した子供らの住んでいた家が 「不法建築」 ということで取り壊され、路上生活を余儀なくされたというニュースがあったが、ようやくその二人の子役には、州から約束のアパートが 「ご褒美」 として与えられたそうだ。むろんそれは二人にとっては喜ばしいことだが、家を失った子供はその二人だけではあるまい。 当該の問題に直接の関係を持たない者が 「安全地帯」 から声を上げることは、非難されることではない。声を上げることが 「安全地帯」 からでしか可能でないのであれば、まずは 「安全地帯」 にいる者が声をあげればいい。それは、今はまだ声を上げられない当事者らに対する励ましとなることもある。また、そのような 「われわれは見ているぞ!」 という声には、現状を今すぐ変えることは不可能だとしても、少なくとも現状のこれ以上の悪化を防ぐぐらいの力はあるかもしれない。 誰も声を上げられないならば、誰かがまず、「王様は裸だ!」 と叫ばなければならない。チャウシェスクの独裁も、誰かがあの広場で、「お前は裸だ!」 と叫んだことをきっかけにして崩壊したのではなかったのか。誰かの声がきっかけとなって、それまでのタブーが破られるのなら、誰が口火を切ろうとそんなことはどうでもよい。王様の行列を前にして、「王様は裸だ!」 と叫んだ少年に対して、いったい誰がその資格や権利を問うただろうか。 たしかに、日本にはかつて朝鮮を植民地として支配した責任がある。だが、相対立するかに見える二つの問題があるときに、一方の問題を持ち出して、他方の問題に対する批判を封じようとするのは、ただの相殺論法に過ぎない。「王様は裸だ!」 と叫んだものが、自分もまた裸であることに気付いてなかったとしたら、笑いものにはなるだろう。しかし、だからといって、実際に王様が裸であるのなら、それを指摘した言葉の正しさまでが損なわれるわけではない。他者への批判が倫理的な非難に値するのは、それが自己の責任を隠蔽し、自己への批判をかわすことを目的にしている場合のみである。 他国への侵略や、自国内の少数民族への抑圧が 「悪」 であるなら、自民族である自国の民衆に対する抑圧もまた 「悪」 である。そこに違いなどありはしない。たしかに、それはその国の 「国内問題」 ではある。だが、どんな国の支配者にも、自国の民衆をほしいままに支配し抑圧する権利などないのは、いまさら言うまでもないことだろう。 北朝鮮が行った実験は、マグニチュード4.5から4.7程度の地震を引き起こしたそうだ。実験は、日本海に面した咸鏡北道というところで行われたそうだが、実験場から200 km離れた中国では、そのために学校が休校になったという(参照)。その地域が、もともとどのようなところであったのかは知らない。当然のことながら、実験場の周辺の住民は、とうに立ち退かされているだろう。だが、いかに地下実験とはいえ、砂漠の真中とかではないのだから、周辺に対して被害がまったく発生しないとは考えにくい。 北の 「指導部」 にしてみれば、核を持つことで、世界とりわけアメリカに対する発言権を高めると同時に、現在の 「体制」 への保証を取り付けたいという思惑があるのだろう。しかしながら、国家の体制なるものを保証するのは、ほかのどこの国でもなく、なによりその国の国民自身である。国民の支持を失った 「体制」 など、他国によっていかに保証されようが、いずれ崩壊せざるをえない。 豊かとはとうていいえない国において、そのような実験を繰り返し行うことは、その国の国民にとってなにを意味するのか。それは、不作と借金に苦しみ、白い飯も食えず、娘も売り飛ばさざるを得ないというような貧しい農民らがいた一方で、大和だ、武蔵だなどという、「世界に冠たる」 無敵の巨大戦艦を建造して悦にいっていた国と、いったいどこが違うのか。 理想を掲げたソビエトはなぜ崩壊したのか。東欧における優等生とまで言われた東ドイツは、なぜライバルであった西ドイツに完全に後れを取り、吸収合併されるという憂き目に会ったのか。かの国の人々のことが心配だという人がいるのなら、まずはそのような過重な軍備や、あのような狭小な国土で核実験を繰り返すことが、彼らの生活とその行く末になにをもたらすかをこそ、心配すべきではないか。 仏領赤道アフリカを旅行したとき、誰かに 「案内されて」 いる間は、すべてがほとんど素晴らしく目に映った、といったことを私はすでに書いたことがある。私がはっきり事物の姿を見はじめたのは、総督が回してくれる自動車におさらばして、単身徒歩で、この国を歩き回り、半年の時日をかけて、原住民たちに直接接触しようと思ったそのときからである。...... なぜか? プロレタリアは、すでに侵害された彼らの権益を防いでくれる代表者を、たとえ一人でも選出する可能性すらもっていない。人民投票は、公開で行われるにせよ秘密裡に行われるにせよ、これは人を馬鹿にしたものであり、見せかけであることは間違いない。すべての任命は、上から下に対して決定される。人民は前もって選ばれたものしか選挙する権利はない。プロレタリアはなぶりものにされている。猿轡をかまされ、がんじがらめに縛られ、抵抗などほとんど思いもよらなくなっている。じつに競技はうまくはこばれ、スターリンは見事に勝った。 これは、今から70年近く前、スターリンによる粛清開始のきっかけとなった 「キーロフ暗殺事件」 の直後にソビエトを訪問した、フランスの作家 アンドレ・ジッドが帰国後に書いた 『ソヴェト旅行記修正』 の一節である。その前に 『ソヴェト旅行記』 を書いて、革命への共感と同時に、しだいに官僚化を強めていくソビエト社会への不満と懸念をも表明したジッドは、スターリンを支持するロマン・ロランに非難されたそうだが、ジッドはロランに対してこの 「修正」 の中で、こう反論している。 私は今日まで、彼の作品に対して感心したことはないが、それでも、彼の精神的人格だけは少なくとも高く評価してきた。私の悲しみは、そこからきている。つまり、世には、彼らの偉大さをすっかり出し切らないうちに、人生を終わってゆく人たちがあまりにも少なくないと言うことをあらためて考えさせられるからである。おそらく 「争いの上にあれ」 を書いたロランは、今日の老ロランを手厳しく裁いているのではないか、と私には思われる。かつての日の鷲も、巣づくりを終えて、そこで憩いをとっている。
2009.06.01
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