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先週、天上で行われた太陽と月との戦いは、一時間足らずでぶじに太陽の勝利に終わった。といっても、事前にきちんと時間を調べていたわけでもなく、たまたま入っていた大型スーパーから出たところ、なんとなくあたりが暗くなっており、おまけに外に立っている老若男女のみなさんが、そろいもそろって天の一ヵ所を見上げているのをみて、そういえば今日は日食の日であったなあ、と気づいた始末ではあったが。 しかし、せっかくの日食もずっと観察できたわけではなく、ごく短時間だけ、あつい雲の合間から、ネズミにかじられたようなご尊顔が垣間見えるという程度にすぎなかった。そういうわけで、そのときからすでに予兆はあったわけだが、それから数日もたたぬうちに大雨となった。県内では数ヶ所で山崩れもおきていて、たいへんなことになっていた。 雨がやんでから、近くの川まで行ってみたところ、すでに水かさこそ引いてはいたが、まだ濁った水がとうとうと流れていた。雨の激しかった時刻には、おそらく川に沿った遊歩道にまで水があふれていたのだろう。川原に繁茂する草の類もすっかり流れになぎたおされ、粘土のように細かな泥が一面にべっとりとこびりついていた。しばらく眺めていたが、残念ながら大きな桃は流れてこなかった。 「司馬遷は生き恥さらした男である」 と書いたのは武田泰淳だが、その司馬遷が書いた『史記』 の西南夷列伝に、夜郎という名前の国の話がでてくる。場所はミャンマーやラオス、ベトナムと国境を接し、ミャオ族やイ族など多くの少数民族が住む、今の中国の貴州省や雲南省のあたり。時代は紀元前2世紀から1世紀、司馬遷を宮刑に処した当人である漢の武帝が統治していたころのこと。 西南夷の酋長の数は十をもって数え、そのうち夜郎国が最大である。その西方の夷族はびばくの類で、その数も十ほどあり、そのうちてん国が最大である。てんから北にも、酋長の国は十ほどあり、そのうち、きょう都が最大である。これらはみな頭髪を椎の形に結び、田を耕し、村落をつくっている。...以上はすべて巴・蜀の西南の外辺に居住する蛮夷である。 で、この夜郎国に漢の使いがはじめて到来したとき、夜郎国の王は 「漢とわが国とでは、どちらが大きいか」 と問うたという。司馬遷によれば、「道が通じていないので、てん王も夜郎候も、おのおのみずから一州の君主だと思いこみ、漢の広大さを知らなかったのである」 ということだ。ここから、広い世間のことをしらずに、自分がいちばん偉いと慢心している者の態度をさす、「夜郎自大」 という言葉が生まれたという。 さて選挙が近くなってくると、ネット上もいろいろと大騒ぎである。あるブログでは、現在の自公政権を批判するついでに、「ソン・テジャクこと大作大先生率いる朝鮮カルト『創価学会』」 などというあきれたキャンペーンをやっている。 公明党を批判するのなら、その政策と政治手法を問題にすべきである。創価学会を批判するのなら、その教義や社会的集団としての振る舞いを批判すればよい。「池田大作は在日朝鮮人出身だ」 などというネット上のあやしげな風説にのっかって、「創価=朝鮮カルトだ」 などと言い出すのは、おのれの排外的な差別思想をダダ漏れにしているにすぎまい。 かのブログの主は、日頃から 「マスコミの嘘にはだまされないぞ!」 とか 「政治家や官僚にはだまされないぞ!」 などと、さかんに力みかえっているようだが、そのかわりに、9.11陰謀論からユダヤやフリーメーソンの陰謀論まで、ありとあらゆる陰謀論にどっぷりとはまり込んでいる。彼によれば、明治維新はフリーメーソンの陰謀であり、孝明天皇も皇女和宮の婿さんだった徳川家茂も、その陰謀によって殺された疑いがあるということらしい。 それなりに長いはずの人生の中で、彼がどういう経験をし、その結果、今なにに腹をたて、なにに怒っているのかは知らぬ。だが、そうやって、世の中の様々な 「悪」 を体験し、その原因について考えているうちに、どうやら、あれやこれやの 「陰謀組織」 の存在に思い至ったらしい。だが、それでは、テレビで悪の組織 ショッカーと戦う、正義の味方 仮面ライダーや、黄色いマントをひるがえした月光仮面の姿に興奮していただろう、小学生の頃からぜんぜん進歩していないではないか。 世の中に、邪悪な意思によって統率された、ただ悪意だけにみちた組織が存在しており、その隠れた意思によって、社会や世間の人々が操作されていると考えるのは、典型的なカルトの思考である。総選挙に出馬して、あえなく 「惨敗」 したオウムもまた、そのように考え、見えない強大な敵と戦うために、サリンだのVXだのという 「毒ガス兵器」 を開発し、銃の製造に手を出したのではなかったか。 おのれを無垢で純粋な 「善」 とみなし、おのれの外部に純粋な 「悪」 が存在するというマニ教的二元論にもとづいた 「陰謀論」 的思考は、差別的で排外的な思考とも、きわめて親和的である。おのれがカルト的思考にどっぷりつかっておきながら、他人を 「カルト」 呼ばわりするとは、片腹どころか両方の腹が痛くなってくる(「片腹痛し」 の語源は、もちろん、「そばにいたくない」 という意味だが)。 詐欺でも催眠術でも、自分は絶対に騙されないなどと思っている人間ほど、いざとなるところりと騙されるという。オレオレ詐欺にだまされるのが、世の中の動きに遅れた高齢者や、世間知らずの 「田舎者」 だけだなどと思っていたら大間違いだ。そんなにだまされたくないのならば、だまされないようにいろいろと学べばよろしい。「おれは絶対に騙されないぞ!」 などと力みかえったあげくに、最低最悪のがせねた(参照)にだまされ、踊らされていたのでは笑い話にもならない。 「ものを知らぬ」 ことは恥ではない。ものを知らなければ、知るための努力をすればよい。恥ずかしいのは、「ものを知らぬこと」 を言訳として、「ものを知らぬこと」 に居直り、「ものを知る」 努力をしようともしないことだ。「論語」 には 「思いて学ばざればすなわちあやうし」 という言葉があるが、そこからただの 「夜郎自大」 までは一直線である。 ヘロドトスの 『歴史』 には、現在のトルコ東部からイラン一帯を支配していたメディアと、トルコ西部にあったリディアの二つの王国の長年の争いが、日食をきっかけに和平に向かったという話がある。岩波文庫の注によれば、このときの日食は紀元前585年5月28日のものではないかということだ。 「リュディア、メディア両軍とも、昼が夜にかわったのを見ると戦いをやめ、双方ともいやがうえに和平を急ぐ気持ちになった」 とヘロドトスは書いているが、それが事実であるならまことに喜ばしいことだ。 先日の日食では、ガンジス川のほとりに集まった老若男女、善男善女のみなさんが、天を見上げて祈りを捧げている姿が映っていた。その姿は真剣そのものだったが、彼らとて、もはや日食ごときで、「世界の終わりだ!」 とまで思い込み、泣き叫びはすまい。 暦もなく、天文学も発達していない時代であれば、いきなり太陽が暗くなり、昼が夜に変わったりすれば、それこそこの世の終わりかというような騒ぎになっても不思議はない。神の怒りを解くために、いけにえを捧げたりした時代もあったかもしれない。 さいわいにして、日食は1時間もすれば元に戻るものではあるが、そのような不安が解消されたのも、いうまでもなく科学の発達と普及のおかげである。世の中には、「科学教」 などというものと戦っているらしき人もいるようだが、そういう勝手につくりあげた妄想に駆られて、風車に突っ込む前に、すこしはおのれの姿を省みてはどうだろうか。だまされないために必要なことは学ぶことであって、ただ力みかえることではない。
2009.07.28
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世界の三大恐妻家といえば、一番はなんといってもクサンチッペを妻としていたかのソクラテスだろう。ディオゲネス・ラエルティオネスの 『ギリシア哲学者列伝』 によれば、家業をほったらかしては、人を集めて分けの分からぬ議論ばかりやっていたために、彼は腹を立てたクサンチッペから街頭で水をぶっかけられたり、着ているものをむりやり剥ぎ取られたりしたという。 二番目はというと、ロシアの文豪トルストイということになるだろう。人道主義者として知られるトルストイは、全財産を慈善のために放棄しようとして妻と争いになり、家出の途中に汽車の中で熱を出し、おりた駅でそのまま亡くなったという。もっとも、享年は82歳というのだから、すでに十分に生きたといっていいだろう。彼が亡くなった駅は、その後その名前をとってレフ・トルストイ駅と改名されたそうだ。 クサンチッペもトルストイの奥さんも、世間では夫の仕事や才能を理解できなかった 「悪妻」 の典型のようにいわれている。しかし、富士だって優美なのは遠くから眺めている限りのことであり、近くによってみればごみや石ころが散乱したただの山である。夏目漱石も、小宮豊隆などの弟子からは 「則天去私」 を絵に描いた偉人のように言われているが、一緒に暮らしていた奥さんに言わせれば、ただの癇癪もちである。 こういうことには、キリスト様も頭を痛めたらしく、マルコの福音書によれば、故郷のナザレに帰って説教をしたさい、昔からの知り合いとかに 「あいつは大工ではないか、マリヤの息子ではないか」 と嘲られたあげく、いつものような奇跡をおこなうこともできず、結局 「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」 というすて台詞をはいて立ち去ったという。 トルストイの家出をめぐっては、戦前に当時まだ気鋭の評論家であった小林秀雄と、彼より20歳以上年長の明治の小説家 正宗白鳥との間で有名な論争がおきている。ことの発端は、正宗白鳥が 「トルストイについて」(岩波文庫 『作家論』 に所収)という短文の末尾で、次のように書いたことにある。 二十五年前、トルストイが家出して、田舎の停車場で病死した報道が日本に伝わったとき、人生に対する抽象的煩悶に堪えず、救済を求めるために旅に上がったという表面的事実を、日本の文壇人はそのままに信じて、甘ったれた感動を起こしたりしたのだが、実際は細君を怖がって逃げたのであった。 人生救済の本家のように世界の識者に信頼されていたトルストイが、山の神を恐れ、世を恐れ、おどおどと家を抜け出て、孤往独遇の旅に出て、ついに野垂れ死にした径路を日記で熟読すると、悲愴でもあり滑稽でもあり、人生の真相を鏡にかけてみるごとくである。ああ、我らが敬愛するトルストイ翁! これに対し、小林は 「作家の顔」 の中で、「偉人英雄に、われら月並みなる人間の顔をみつけて喜ぶ趣味が僕にはわからない。リアリズムの仮面をかぶった感傷癖に過ぎないのである」 と書いて、激しく噛み付いた。 「あらゆる思想は実生活から生まれる。しかし生まれて育った思想がついに実生活に決別するときが来なかったならば、およそ思想というものになんの力があるか」 と書いた、若き小林の啖呵はなかなかのものである。小林がいうとおり、生活から生まれぬ思想はただの空疎な借り物にすぎぬが、生活べったりの思想には意味がない。 思想は生活から生まれるものだが、それが思想となったとき、必然的に生活からは乖離せざるをえない。そのような乖離に気づいてない者がいるとすれば、それはその人の思想がただの借り物にすぎないからだ。乖離自体が問題なのではない。乖離しているからこそ、そこに現実との緊張感も生まれる。問題なのは、そのような生活からの乖離という自覚もなしに借り物の思想を振り回すことだ。今も昔も、あっちからこっちへと、ただ軸を変えただけで、なかみの変わっていない 「転向」 は、そこから生まれる。 ただし、白鳥の言いたかったことはそういうことではない。白鳥の文章を読めば分かるが、白鳥が嘲笑したのは、偉人の行いとあれば、たとえ屁をここうが、立小便をしようが、どんなことでもありがたがる者らの俗物性なのである。なので、この論争はまったくかみ合っていない。白鳥は小林が言うように、なにもトルストイを 「月並みなる」 俗物のレベルに落とし込んで喜んでいるわけではない。 ただ、それはそれとして、小林の書いていることには、まったく意味がないわけでもない。論争というものの評価が難しいのは、今も昔も変わらない。当事者の一方のみが後世に伝えられたりした場合などは、とくにそうだ。この論争でも、小林がのちに 「批評の神様」 と偶像化されるようになり、その文章が今も読まれているのにくらべると、白鳥のほうは分が悪い。白鳥に言わせれば、大見得をきった小林の啖呵など、「当たり前じゃないか」、「意味のない空言になるのではあるまいか」 ということになる。 さて、三番目の恐妻家はだれかというと、いくつか説があるようだ。ぜいたくで有名なジョゼフィーヌを妻とするナポレオンだという説もあるし、ねねを正室とした秀吉だという説も一部にはあるようだ。ただし、秀吉の場合、日本の恐妻家としては文句ないが、やはり世界的にはさほど有名でないというのが難点だろう。 むしろ、ここではマルクスを有力な候補としてあげたい。マルクスの妻はイェニー・フォン・ヴェストファーレンといって、彼より4歳年上の貴族の家の娘である。ドイツ人で名前に 「フォン」 がつくのはそれだけで偉いのだが、イェニーの兄はドイツ統一前のプロイセンで大臣を務めてもいるのだから、なかなかの 「家柄」 である。 マルクスは、イェニーが嫁入りのときについてきたお手伝いさんに、フレデリックという息子を生ませている。これはむろん妻であるイェニーの目を盗んだ行為であろうが、生まれた子はエンゲルスの子ということにされ、エンゲルスは死ぬ間際になって、ようやく周囲に真相を打ち明けたという。これなどは、まさにマルクスの恐妻家ぶりをあらわすエピソードといっていいだろう。白鳥がこれを知ったならば、なんと言っただろうか。 さて、先週の都議選をうけて、いよいよ麻生首相が解散を決断したらしい。あの結果では、地盤の弱い議員らが浮き足立つのも無理はない。とりわけ、都を地盤にする議員としては顔面蒼白・驚天動地の思い、まさしく生きた心地もしないといったところだろう。 その意向をうけて、自民党内では大騒ぎのようだったが、結局不発に終わったようだ。実際、衆院の任期切れはもう目の前に迫っているのだから、解散をいつにしようがたいして違いはあるまい。その直前に党の顔を変えたところで、みっともないだけである。だいいち、それで総裁を選びなおし、国会でむりやり首班指名をやったところで、総選挙で負けたのでは目も当てられぬ。 史上最短の内閣は、ポツダム宣言受諾後の敗戦処理にあたり、54日間続いた東久邇宮内閣だそうだが、たとえいま麻生にかわって総理になったとしても、選挙で負ければそれでおわりである。そうなれば、2ヶ月続いた宇野内閣や羽田内閣どころか、「宮様内閣」 をも上回る、史上最短記録ということになる。いくら総理・総裁のいすが魅力あるものだとしても、そのような後世に恥を残すことになりかねない危険な賭けを、今この時期にあえてしようという酔狂者もいないだろう。 ようするに、中川・武部の両元幹事長や、そのしたにいる有象無象の議員らも、あえて自分で火中の栗をひろおうという度胸も覚悟もないままに、だれかをあてにした策謀ばかりやっているように見える。そもそも大将のいない戦など、戦にすらならない。これでは、へなへなの麻生や細田・河村といった面々にすら勝てるはずがあるまい。 巷間に伝わる予定では、21日解散で8月31日投票ということらしいが、とするとまさに夏休みの最中、夏のいちばん暑い盛りの中での選挙運動ということになる。こちらでは山崎拓などがそうだが、現職議員を含めて、立候補を予定している方々の中には高齢の人も多いようだから、ここはけっして無理をせず、くれぐれも自分の体調を考えて選挙戦に臨んでもらいたい。 実生活とはなれて飛行しようとするのが思想本来の性格であり、力であるからだ。こういう力の所有者であることが、人間を他の生き物から区別する一番大事な理由なのである。抽象の作業がもっとも不完全となり、その計量的性質がもっとも曖昧になると、思想は実生活の中に解消され、これに屈従するよりほかになすところを知らないようになる。これをぼくらは通常思想とは呼ばず、風俗習慣と呼んでいる。小林秀雄 「文学者の思想と実生活」
2009.07.18
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6月は雨が少なくて、このままではどうなるかと思っていたら、7月に入ってからようやく雨が降り出した。やや季節遅れの梅雨というところだろうか。われわれの住む猥雑なる下界は、空一面に低く広がった落し蓋のような厚い雲で閉じ込められ、自ら放出した熱で自家中毒を起こしている。 雨の合間に外に出てみると、こないだまで輸入家具を扱っていた近くの倉庫のような建物が、いつのまにか、数年前に 「元気があっていい」 発言でいちやく全国に名をとどろかせた某議員の事務所に様変わりをしていた。きたるべき選挙に備えてということなのだろうが、アップになどしなくても十分にでかい顔だというのに、さらにその下に麻生首相の顔まで並べているのだから、暑苦しくてたまらない。9月に個人演説会を予定しているということだが、それはちょっとのんきすぎやしないかなと思ってしまった。 自民党内の内紛は、いよいよ末期的な様相を呈している。このままでは総選挙は戦えないとかで、一部からは総裁選前倒しという声も出ているようだが、その連中はようするに自分の首が心配なだけだろう。そもそも、小泉チルドレンなどと呼ばれる、前回の選挙で大量に当選した新人議員など、ほとんどが自分の力ではなく、小泉元首相の人気のおかげで当選したにすぎないのだから、一期だけでも議員を務められたことを天に感謝すべきである。 次も当選したけりゃ、人に頼らず自分の力で正々堂々と戦えばよろしかろう。この連中は、いったいなんのために、4年も議員を務めてきたのだろう。4年の間に自分がやってきたことに自信があるのなら、選挙も間近な今頃になって右往左往するのはあまりに恥ずかしいことだろう。首相ってのは、日本国の政治全体に責任を負っているのであって、君らの選挙のためにだけ存在しているわけではない。 しかし、そういう声を抑えなければならないはずの内閣官房長官まで、「表紙をかえても」 とか言い出す始末。おいおい、天下の首相をただの本の表紙扱いとは、さすがに失礼ではあるまいか。麻生おろしについて記者団に尋ねられた野田聖子消費者相は、「麻生さん以上に総裁にふさわしい人がいますか」 と答えていたが、まことにそのとおりである。 野田消費者相が反問したとおり、今の自民党には、もはや麻生さん以上に総裁にふさわしい人間がいないのであり、それこそがまさに今の自民党がかかえる最大の悩みなのだ。思わず、この人、にこやかな顔をして、なかなかこわいことを言う人だなと感心した。「笑って人を斬る」 とは、まさにこういう言葉のことをいう。 さて、話は変わるが、人はだれでも自分の立場を持ち、自分の考えというものを持っている。「知識社会学」の祖であるマンハイムは、「インテリゲンチャ」 というものを、「社会のために世界の解釈を準備することを専門の仕事している社会集団」 と規定し、近代においては 「従来の完全に組織化された閉鎖的な知識人階層にかわって、自由なインテリゲンチャが台頭してきている」 と述べている。 彼によれば、この 「自由なインテリゲンチャ」 は、社会において比較的階級色がうすく、「社会的に浮動する」 階層であるがゆえに、政治という舞台においてあい争う、階級的利害によって拘束された政治党派のもつイデオロギー的で部分的な 「党派的見方」 をこえた、社会に対する全体的総合という見方を可能にするのだそうだ。 しかし、そうはいっても、どんなに偉大な知識人であろうと、個人としてみるなら、みなそれぞれに固有の歴史と背景をもち、その中で意識的無意識的に形成された、固有の立場と固有の主義主張というものを持っている。だから、「党派的見方」 からまったく自由ということはありえない。客観的な証明が可能な科学ならざる人間の思想とは、ようするに選択された一定の立場のことであり、それはその良し悪しは別として、「偏向」 や 「バイアス」 ということと同義なのである。 たとえば、なにかの問題をめぐってどこかで論争がおきたりすると、人はだいたいにおいて、その相対立する二つの主張のうち、自分が共感するほうの意見を実際以上に自分にひきつけて読み、その逆に、違和の残る、なんとなく共感できない意見に対しては、自己がもつ日頃の 「敵意」 や 「反感」 を投影して、実際以上に敵対的なものとして読んでしまいがちなものである。 ネット上で公開で行われる議論というものは、基本的にだれでも参加できる 「バリアフリー」 なものであるから、そのような無用な 「対立」 が持ち込まれ、話がややこしくなってしまうのはどうしても避けられない。結局のところ、お互いとも、妙な 「押しかけ応援団」 などは無視して、対立しているかに見えるさまざまな意見の中から、ただの石ころと、そうではないダイヤとをふるいわけるという努力が必要なのではないだろうか。 社会的 「弱者」 や 「少数者」 などの他者支援運動というのは、「当事者」 である他者の総体をまるごと支援するものであって、自分の好みでもってふるいわけてはならない。しかし、人はどうしても、自分につごうのいい 「当事者」 の声のほうに耳を傾けがちなものであり、しかもそれを実際以上に自分に引き付けて読んでしまう。 だが、「当事者」 といっても、けっして一枚岩ではないのだから、そういうときは自分にとって違和の残る 「当事者」 の声にこそ、注意して耳を傾けるべきだろう。まかりまちがっても、頭の中で自分が作り上げた 「期待される当事者」 像に基づいて、「当事者」 を勝手に選別するようなことはしてはならない。 それまでの 「反ファシズム」 運動から180度転換した、スターリンとヒトラーによる独ソ不可侵条約締結の報を受けて、「欧州情勢は複雑怪奇なり」 という名文句を吐いたのは、平沼赳夫の血縁上の祖父にあたる平沼騏一郎だが、現実というものはいつだって 「複雑怪奇」 なものである。なかなか両立しがたい矛盾や対立などは、いくらでもある。頭の中でこしらえておいた 「公式」 だけで、いつもいつも正解が出るのなら、だれも苦労はしない。 吉田拓郎が体調不良を訴えて、予定していた全国ツアーを中止したそうだが、拓郎君のことしの夏休みはいったいどうなるのだろうか。拓郎君が元気になって、また 「きれいな先生」 に会えるようになることをぜひとも望みたいものだ。
2009.07.11
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