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「西湖」って料理屋は結構有名で、何が美味いって事でなくて、定食が一番安いってことなどで有名なんだって事が後でわかった。お昼の定食が700円って聞くと、日本ならそんな値段どこにでもあるがな!なんてことを言う人がいるだろうが、いかに70年代とはいえ、ちゃんと店を構えたレストランでその値段は安い。もっと場末と呼ばれる(私としては、どこがパリの場末なのか、そんなことが言えるほどパリ通でもないので黙っていたいと思う)ところなら、もっと安い店もあるかも知れないが、まだ、その時代にはイタリー通りにベトナム料理店がたくさんあったわけでもないし、サン・ミッシェルからそこまで食べに出掛ける人もいなかったと思うので「西湖」が最安値ということにしておきたい。まずは前菜としてサラダか春巻きかを選ぶ。次に主菜として何品かのメニューから選ぶのだが、豚の八宝菜か、豚のカレー煮か、鶏の八宝菜か、鶏のカレー煮。そしてご飯。デザートはコーヒーか、中国のお菓子。それらがセットになっていて、税込み14FFRだった。子供のご飯茶碗ほど大きさの碗に盛られたご飯は、20代の男にとって少なすぎて、ついおかわりを注文してしまい、そうすると定食あつかいでなくなり、一品づつ値段が足された。そうすると2~3FFR高くなってしまうのだ。腹具合と懐具合で悩む、貧乏人なのだった。
2007.06.30
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カルチェ・ラタン周辺にはいろんな国の料理が集まっていて、なおかつ値段が安かった。たまたまサン・ミッシェル河岸にある安ホテルに逗留したこともあって、この界隈で食欲を満たすこととなった。河岸という住所はなんとなく魅力的だった。ボルタール河岸とか…。フランス語で書くとQUAIと綴って「ケ」と発音するらしい。フランス人が発音すればもっと複雑なアクセントやイントネーションの違いなんてあるのかも知れないが、なんぼ頑張って発音しても通じないので、ぶっきらぼうに「ケッ」って言ったら通じた。そのサンミッシェル河岸15番地に「ホテル・スエーデ」ってホテルがあった。いわゆるスエーデンホテル。そこから歩いて1分少々の所にハープ通りとユシュット通りがあって、この辺りが「カルチェ・ラタン」の北の端に位置した。昼はさほど混んではいないが、南にソルボンヌ大学があることもあって、学生さんや観光客が多く、簡単な軽食や総菜を売る店からトルコ料理、アフリカ料理、中国料理、日本料理、もちろんフランス料理、イタリアンなど、目移りするほど食べ物屋があった。その中に。たぶんこの近辺では一番安い中国料理店があった。その名は「西湖」。
2007.06.30
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いろんな意味で食べられるものは限られていた。経済的なものとパンが嫌いだという選択肢を加味すると、アジアの料理、しかも日本料理以外という結論に達した。なんて堅い書き方だけどぶっちゃければ、安くて米の飯が食えるって事が条件で、それにあっていたのが中国料理と言うことだった。まずは近場から安い中国料理店を探す。カルチェ・ラタンの周辺には学生向きの安レストランがあった。そして、たまたま見つけた安ホテルがカルチェ・ラタンの北の端にあったことが幸いして、なんとか食べていく事は出来るようだった。
2007.06.29
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パリでの食事はずっと頭の痛い問題だった。まずパンが嫌い。特に堅いフランスパンは大嫌いだった。だからって訳ではないがパンに合うおかずとしての料理も今ひとつ好きではなかった。だから、食べるものがなかった。酒がダメだからワインも飲めない。チーズは大ッ嫌い。ピッツァなんて人間の食べるものとは思えなかったし、スパゲッティーは好きだけど、私の時代はナポリタンかミートソースで、ナポリタンが日本人の創作スパだとは知らなかったから、何度叫んでもでてこなかった。なんとか食っていかないと入れないので日本食に走るけど、これが不味くて高い。昼飯がホテル代より高いなんてことが何度もあって、こんなことでは半年の滞在予定が3ヶ月で終わってしまいそうで、愕然とした。初めてパリに来たときに、エッフェル塔でステーキを食べた事があって、靴底と見紛うステーキを5000円ほどで食ったことがあったが、安物の日本料理店も替わりはなく、ズッキーニを塩もみしただけの漬け物に醤油をたっぷりぶっかけて一品として出された日には、ちゃぶ台ひっくり返して何度暴れたくなったことか。ぐっと我慢した生活に一条の光が見えたのは中国料理を食べ始めたころだった。
2007.06.28
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パリで生活をしようと考えたときに何も予備知識がないことを思い出す。なんてたって全くパリに興味のなかった男が、たまたま出掛けたパリに一週間ほどいただけで舞い上がってしまい、後先考えずにパリ行きを決めた感があった。だから、パリに行って何をするのかなんて全く考えず、行き当たりばったりのパリ行きとなった。パリで知っている場所といえば「モンパルナス」。以前の旅行で泊まったホテルがモンパルナスのホテル・シェラトンだったから、ホテルの廻りをウロウロしていたので土地勘(?)らしき物が何となくあると無謀にも信じていた。 知り合いから貰ったパリの安ホテルのアドレスと電話番号を握りしめ、飛行機に乗っちまったからもうおしまい。フランスの入国カードに「パリでの住所」ってのがあって、そんなものねぇよと震え上がる。前回は添乗員付きのパック旅行だったから、出入国カードなんてサイン以外は旅行会社が書いてくれていたから、そんなところまで気にすることはなかったが、これは困ってしまった。ホテルの名前は書いたがアドレスは分からない。ガイドブックも持っていない。どうしたものかと到着前から固まりかけていた。
2007.06.27
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私が初めてパリを訪れたのは1976年の春。 友人から薦められたパック旅行の穴埋めチケットを買ってパリに出掛けることになった。 生まれて初めての海外旅行で、何の興味も知識もないパリに10日間の旅行に出掛けた。ルーブル美術館、エッフェル塔、ノートルダム寺院。雑誌やテレビで見たことのある風景に、「あっ、ここ知ってる。テレビで見た。あっ、エッフェル塔!」なんて感じのおのぼり観光客と化した私は、酒が飲めないからワインも飲まず、パンが嫌いだからフランスパンを残し、チーズの臭いに閉口し、お米のご飯が食べたいと願いつつ10日間を無益に過ごし、帰国便の飛行機の窓からぼんやりと眺めたパリの空の下に広がる茶色の甍の波に、胸がぎゅっと締め付けられ、不思議と「ここに戻ってきたい」と念じていた。帰国後、フランスを目指す生活が始まる。 それまで勤めていた会社を秋に退社する旨告げる。残業に次ぐ残業でお金を貯め、パリで何をするのかを確認し、その後の生活のための準備を始めた。 その年の11月、会社を退社しフリーランスのカメラマンとなる。カメラマンとしての仕事を確立しながら翌年の4月を迎えた。そこから始まった延べ3年のパリ生活を軸に、海外の出来事や仕事の話し、そして今なお心惹かれるパリへの思い入れを、書きとどめたいと思う。 そんなブログ。始めたいと思う。
2007.06.27
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