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昨夜はなかなか寝付くことができず、午後11時ごろから午前3時ごろまでベッドの中であせっていました。 当然今日は午後から強烈な睡魔にたびたび襲われ、危うく気を失いそうになりました。 帰ってきてから、昨日書いた21日の「ローマ編 1」に満足できず、一部書き換えたり、追加したり、修正を加えていたらこんな時間になってしまいました。 申し訳ありません。22日の「ローマ編 2」は明日以降の執筆になってしまいます。 今日は加筆・修正版の「ローマ編 1」を読み返していただいて、気を静めてください。おやすみなさい。迅
2007/10/29
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私の四十うん回目の誕生日です。五十路の峠に足がかかるところまで来てしまいました。 私が20代のころの50代は、見上げるような人たちばかりでした。今、私は、若い人たちに見上げられるような人間に成長しているのだろうか。 自分が見上げていた50代と、自分がなろうとしている50代にはかなりの開きがあるように感じてしまう。 何もしなくても50代。何かをしての50代。 迅
2007/10/28
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昨日は昼間は眠たかったのですが、日本時間に合わせるため、我慢して起きていました。でも、どうしても我慢できず、2時間ほど昼寝をしました。 そして午後11時ごろベッドに入ったのですが、今朝は9時まで一度も目が覚めませんでした。普通は5時ごろには目が覚めてしまうのですが、やっぱり時差が体内で長セ氏切れていないようです。 明日までに調整が完了しないと、月曜から復帰する仕事に支障がでそう。 先ほどから会社のアドレスに溜まっているメールをチェックしていますが、現実に引き戻されて、ちゃんと社会更生できるか不安です。 迅
2007/10/27
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本日午前9時半ごろ、無事ローマより帰国しました。 旅の荷解きはすませましたが、まだ、時差ぼけで頭が朦朧としているので、もう少しましになったところで旅行記を掲載していきます。 とても楽しい旅で、リフレッシュすることができました。迅
2007/10/26
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2007年10月24日 ローマ4日目のつづき トレビの泉を後にしてヴェネツィア広場へ。ここは2日目にも訪れた場所。ローマの中心あたりにあり、幹線道路が放射状に集まってきていて交通量が非常に多いところです。 ヴェネツィア広場とヴィトリオ・エマヌエーレ2世記念堂 ヴェネツィア宮殿(博物館) 15世紀中盤に建てられ、16世紀中ごろまで歴代のローマ法王が暮らし、18世紀末までヴェネツィア共和国大使館、20世紀にはムッソリーニのファシスト党の迎賓館として使われた宮殿。ヴェネツィア広場の西側を占める。 マルクス・アウレリウス帝の騎馬像(コピー)ヴィトリオ・エマヌエーレ2世記念堂の裏手カンピドーリオの丘にある、ミケランジェロがデザインしたカンピドーリオ広場に立つ。現存する歴代皇帝の像のうち、騎馬像は哲人皇帝アウレリウス帝のみ。オリジナルはすぐ横にある美術館の中にある。像の奥に見える建物はローマ市庁舎。 再びフォロ・ロマーノ。この西側(写真右手)に向かうと、「真実の口」が置いてあるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会があります。 続きは11月30日のブログで書いています。迅
2007/10/24
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2007年10月24日 ローマ4日目 朝のトレビの泉 昨夜の騒動を無事乗り越え、朝も早くから朝食を取り、8時前にはホテルを出ました。何といっても、今日が実質ローマ最後の日です。おととい見られなかった行きたいところを全て回って、子供たちや甥、姪、友達へのおみやげをゲットしなくてはならないのですから、いつまでも寝ているわけには行きません。 ということで、本日最初に行くところはトレビの泉です。2日目と同じように地下鉄バルベリーニで降りて歩いて数分のところにそれはありました。 さすがにまだ観光客はいませんでしたが、掃除をしている人たちがいました。 気がつきましたか。真ん中の人の右肩あたりから右方向に茶色い帯が見えませんか。あれはコインの帯なのです。左側の人がT字上の棒でコインを帯のように寄せて、右側の人がホースの先につながった棒を使ってコインを吸い込んでいきます。ホースは右手前に見える青い集じんポンプつながっていて、コインはポンプ内のフィルターにつかまってジャラジャラと音を立てていました。 すばらしい彫刻たちですね。 ここは、観光客が集まってきて、観光スポットらしいトレビの泉になったころにもう一度来ることにして、ヴェネツィア広場からフォロ・ロマーノを経由してサンタ・マリア・イン・コスメディン教会へ向かいました。もちろん歩いてです。コスメディン教会にはあの「真実の口」があるのです。迅
2007/10/24
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2007年10月23日 ローマ3日目 カプリ島から帰ってきた夜 バスはローマの渋滞を抜けて、予定通り午後8時半ごろ共和国広場近くのディアナ・ホテル前に到着。ここで帰りの交通機関の説明があり、地下鉄A線は夜は延伸工事をやっていて午後10時ごろ止まってしまうと教えられた。私たちがホテルに帰るには地下鉄A線を使います。そのときにはそれほど気にしなかったこの情報が、後で非常に重大な意味を持ってい来るとは知る由もありませんでした。しかもこの情報にもイタリア人のいい加減さが発揮されていました。 ガイドは希望があれば希望に沿ったレストランにも案内すると言ったので、何人かは彼に連れて行ってもらうことにしたようです。その中には例の3人娘も含まれていました。 私たちは昨夜のレストランで、もっとちがうスパゲティーを試してみたくて、危うい記憶を元に捜し始めました。しかし、これが間違いの始まり。私と奥さんの記憶が一致しない。仕方がないので、それぞれの主張する記憶の両方を捜してみましたが、それでも見つからない。お互いの記憶力のいい加減さに唖然としながら、テルミニ駅の周辺をうろうろして、適当な代替レストランを捜すことにしました。 しかし、なかなかこれだというレストランにめぐりあえず、40分ほど歩き回ったところで、もうここにしようと、地元の人でそこそこ埋まっていたレストランに入りました。 そこでは魚料理とピザとスパゲティーを食べました。魚は白身魚で秋刀魚を太らせたほどの大きさで、一匹まるまるを塩焼きにしてありました。やや塩辛さが気になりましたがおいしかったです。ピザは生地がパリパリのやつで、具はハムが一枚どんと乗っていたり、アスパラガスがポロリと乗っていたり、いつものピザとはちょっと趣が違うものが出てきて、しかもあまりおいしくない。スパゲティーはそのショックでどんなスパゲティーだったか忘れてしまいました。 勘定はクレジット・カードを使わず現金で払いました。なんとなくカードが使いづらそうな店だったからで、しかしこの判断がこのあとまもなく後悔と変わるのでした。 手もとに7ユーロの現金を手に地下鉄に乗るためにテルミニ駅に向かいました。地下鉄は二人分で2ユーロなので7ユーロで十分でした。(この時点までは) テルミニ駅の地下に降り、地下鉄乗り場に向かいました。しかし様子が変だ。地下鉄B線には人が流れていくのに、A線方面は人がまばらでなんとなく暗い。さらに進むとA線乗り場に向かう通路の格子戸が閉まっている。しまった! 時計はすでに10時半を過ぎていました。確かガイドは10時で止まると言っていたなあ。本当だったんだ。仕方がないタクシーで行くか。しかし7ユーロでは足らないだろうなあ。と思いつつタクシー乗り場へ。 そして運ちゃんを捕まえて、「7ユーロしかないねん。トゥスコラーナ駅まで行ける?」「・・・・・・・」 何を馬鹿なことを言っているんだというような顔で 「No」 あえなく玉砕。仕方がない、どこかで円をユーロに両替しよう。 確かこの辺に両替所が・・・・・閉まっている・・・・・・・。(ピンチや) もうひとつ両替所があったはずや、こっちや・・・・・・・閉まっている・・(大ピ~ンチ) 11時近くなんだから、開いているほうがラッキーというものだ。 しかし、困ったなあ、万事休すだ。「あの3人娘に会えるといいねえ。彼女たちならタクシー代程度のユーロの現金持っているだろうから。」って、奥さん。(そんなドラマみたいに都合のいいことが起きるわけがないだろう)(でも、確かにテルミニ駅近辺で食事しているはずで、おそらく地下鉄に間に合っていないだろう、だからひょっとしたらひょっとするかも。いやいや、それは非常に都合の良い希望的観測的想像だ)などどうろうろしていると、!!!!!!!!!!!!!!!!!「さっ、さっ、三人娘だ!」 叫んだのはふたり同時でした。 あまりの都合のよさに、あまりのうれしさに、しばらく事実をそのまま受け入れることができず、混乱しながら彼女たちの方へ駆け寄っていました。 彼女たちも私たちに気がつき微笑みかけてきました。(まるで女神様や~) 彼女たちも地下鉄には間に合わず、駅員らしき人を捕まえてバスがあることを聞き出して、いまバスターミナルに向かっていたところだったのでした。まったく、たくましい大和なでしこたちです。 私たちは涙の放浪記を語ってさしあげました。 彼女たちはユーロ現金もちでした。うれしさのあまり、「バスなんかやめていっしょにタクシーで帰ろう。タクシー代は私たちが持つから、ユーロを立て替えておいて。」「わあ~ラッキー、おねがいしま~す。」 というわけで、5人乗りのタクシーに乗り込んでホテルへLet's go! (ちゃんと前列にも運転席を入れて3つの座席が付いているタクシーがあるのでした) タクシーの中で奥さんが彼女たちの年齢を聞きました。私たちの間では、「20代前半かなあ。でも、それなら入社数年ということになるから、平日にまとまった休みを取ってくることは無理だから、学生じゃないか」というのが結論でした。 しかし、彼女らは29歳のOLでした。学生は無理があったかもしれないけれど、29歳とは想像もしませんでした。彼女たちは「日本人から見ても子供っぽく見えるんですねえ」とちょっとがっかりしていました。 とにもかくにも、日付が変わるころ無事に5人はホテルに帰ることができました。改めて3人女神様たちありがとうございました。 ところで地下鉄A線の運転終了時刻ですが、ガイドは午後10時と言っていたのですが、調べてみたら最新ガイドブックには午後9時と書いてありました。まったくイタリア人度120%のガイドでした。 波乱の夜を乗り越えて日付は24日に変わっていくのでした。 24日は実質ローマ観光最終日です。 迅
2007/10/23
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2007年10月23日 ローマ3日目 カプリ島ソラーロ山へ 昨日(2007年11月24日(日))の「世界不思議発見」はナポリ、カプリ島、ポンペイ遺跡がテーマでした。 カプリ島の青の洞窟も出てきましたが、入り口が小さくて小船に寝そべって入っていくところが写っていました。撮影のときも結構波が高そうで、波の低くなったときを狙って船頭さんが鎖を手繰って洞窟へ無理やり入っていくといった感じでした。取材班は運が良かったのですね。 さて、リフト乗り場にならんでいよいよソラーロ山に登ります。リフトはスキー場にあるリフトとまったく同じで落下防止のバーが付いています。 リフトの乗車券(往復) プチッと破られて改札終了 少し登ったところからの風景(リフトより) もうちょっと上からの風景(リフトより) 風はそよ風でちょっと涼しいかなという感じ、太陽の熱で十分暖かでした。山頂は寒いのかと思いましたが、太陽のおかげで震えるようなことはありませんでした。 山頂展望台からの眺め 海が碧いでしょう いやあ~、山頂からの眺めはすばらしかったです。見渡す限りの碧い海、開放的になりますねえ。しばらくとどまっていたかったのですが、ガイドから頂上には10分間だけと言われていたので、みんな渋々くだりのリフトへ向かいました。(ガイドは下の乗り場で待っています) 下に下りたらバスが待っているのかと思ったら、斜面の道にずらっと並んだみやげ物屋めぐりをさせられました。名物レモン酒なるものを試飲させられて熱烈に勧められましたが、結構アルコール度がきつく、味も癖があり、おまけに値段も高い!ので遠慮しておきました。このレモン酒なるものは、どこのみやげもの屋にも置いてあって値段は大体同じでした。 みやげもの屋街道をずっと進んでいくと建物がなくなり、視野が急に開けたところに出ました。ここからの眺めも絶景でした。 帰り道にみやげもの屋を冷やかしながら歩いている内にタイムアップ。いよいよバスの時刻。また、細い道をアクロバティックな運転で船着場へと向かいました。 再びジェット・フォイルでナポリへ、船内ではほとんどの人が眠っていました。私もうとうとするうちにナポリに到着。 ポンペイ組は既にナポリの船着場に到着しており、カプリ組みがバスに乗ったら即出発。ローマまでは約3時間半の道のり、到着は午後8時半ごろの予定。 中間地点でみやげもの屋に途中下車。こっちはサービスエリアがなくていったん高速道路を降りて旅行客目当ての休憩所兼みやげもの屋によるようです。 みやげもの屋の入り口で、トウセンボした日本語がうまいのか下手なのかわからないケバイお姉さんが、店内の説明と割引クーポンを配ってくれてトイレへGO! 落ち着いたところで、職場へのおみやげ(クッキーやチョコ)を買い込んで、義理のあるところへのみやげはクリヤー。世話になっている会社の事務員さんには、オリーブオイルのハンドクリームを追加で買ってゴマをすります。 本日の行事をほぼ終えて、今夜遭遇する大事件?(と本人たちはそのとき思った)のことも知らずに、バスに揺られてうつらうつらするのでした。 23日はまだまだ終わらない。 迅
2007/10/23
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2007年10月23日 ローマ3日目 カプリ島での昼食 カプリ島のフェリー乗り場付近 レストランに運ばれるバスの中でいっしょになった、ローマから別のツアー客を引率してきた日本人の初老の女性ガイドが教えてくれましたが、青の洞窟に入れるのは1年のうちに半分もないということです(冬季は閉鎖)。ですから、入ることができたら結構ラッキーということのようです。 レストランは普通の田舎のレストラン、屋外の屋根付スペースに大きなテーブルがいくつも並んだうちの一つに案内されました。 3人娘のひとりと若いカップルの女性、それに女性4人組+1の男性が船酔いでダウン。ベンチで休んでいました。せっかく楽しみにきたのにかわいそうですね。男性は柑橘系の飲み物で回復しましたが、女性二人は尾を引いていました。 食事のほうは、最初に飲み物の注文を聞きにきて、みんなブラッディー・オレンジやレモンジュースなどをたのみました。1杯4ユーロなり。 最初に特に特徴のないサラダ、続いて白身魚のソテー、なのにガイドの説明はマグロだと!こりゃタラだろう。ここでも出た、いい加減なイタリア人。 3品目はやっぱりスバゲティ(トマトベースのソース)、これはうまかった。最後はジェラート、さすがにこれもうまい。まあツアーについている昼食してはこんなものかな、という感じです。 しかしバスケットに入れて出されたパンの固いこと。私たちのテーブルで余ったパンは、そのまま次に入ってきたツアー客のテーブルに運ばれていきました。 食事を終えた時点でやっぱり青の洞窟は閉鎖されたまま、ツアーはアナカプリとソラーロ山に変更(というか青の洞窟がだめな場合の準備された代替ツアー)。 アナカプリとは「カプリの高い場所」というような町で山の斜面にへばりつくように、およそ4,000人が暮らしているそうです。ちなみに一番の観光スポットカプリ地区には12,000人が住んでいるそうです。ソラーロ山というのはカプリ島で一番高い山で標高589mあり、アナカプリからリフトで頂上の展望台まで行くことができます。 私たちを乗せたミニバスは、小型の自動車がぎりぎりすれ違える程度の崖の上の細い道を、観光バスと、地元の人のトラックと、巧みなテクニックですれ違って行きます。たいしたものです。 アナカプリのバスターミナル(といっても小さな広場)につくとカフェやみやげ物屋がひしめきあっていました。そして目の前にリフト乗り場。 今日は天気がよいので、さぞやすばらしい風景が見られることでしょう。迅
2007/10/23
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2007年10月23日 ローマ3日目つづき ナポリの船着場でポンペイ組と分かれて、ナポリで待っていたイタリア人ガイドに連れられてジェット・フォイル乗り場へ向かいました。このガイドは、バスで一緒だったガイドより日本語がひどい。単語を並べるだけ、にちょっと毛が生えたのような程度。時々何をいいたのかわからにことがありました。 ナポリの船着場のカフェ フェリー乗り場を見下ろすヌオーヴォ城 ナポリ組のメンバーは、例の3人娘のほかに、同じく半日ウォーキングツアーで一緒だった女性中年4人組+男性1名(女性は姉妹や親戚のようでした)、若いカップル、そしてご主人がリタイヤして旅行三昧の品の良い老夫婦に私たちの総勢14人。 ジェット・フォイルの切符が配られいよいよ乗船。およそ45分の船旅です。波は比較的静かで船酔いの心配はなさそうです。私は船に酔ったことはにのですが、奥さんが昔、ホバー・クラフトで酔ってしまった経験があり心配していました。でも今日は揺れもほとんどなく、その心配もなさそうです。 ジェット・フォイルの切符 左が行きで右が帰り 波が高いと心配なのは「青の洞窟」。 洞窟の入り口は小さく、従って小さな船で入っていくわけですが、波があると入り口が危険な状態になるので、入場禁止になることがあるそうなのです。 カプリ島が間近に迫ってきたころ、船が上下に大きく揺れ始めました、ちょっと気持ちの悪い揺れ方です。この揺れで3人娘のひとりと、女性4人組+1の男性が酔ってしまったようです。 揺れを乗り越えカプリの港に到着。港は既にさまざまな国からの観光客であふれていました。さて、いよいよ青の洞窟です。・・・・・しかし。 「今、青の洞窟、だめです。波が高いです。入れません。先に食事して、青の洞窟OKだったら行きます。」 おいおい、今日のメイン・イベントだぜ。イタリアへ来ての初めての挫折。 ないものねだりをしても仕方がないので、黙って小型バスに乗せられて用意されているレストランへ向かうのでした。 迅
2007/10/23
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2007年10月23日(火) ローマ3日目 今日はカプリ島への日帰り観光の日です。日本で予めオプショナル・ツアーを申し込んでおきました。 朝6時20分に宿泊しているホテルのロビーで待っていれば、ピックアップに来てくれる手はずです。時差ぼけのせいもあるのか朝早く起きることにはなんの苦痛もありませんでした。 6時15分ごろにはロビーに下りて待ち始めました。6時20分になってもロビーには私たち以外に人はおらず、ピックアップも到着しません。 昨夜朝食を調達できなかったので少々お腹が空いてきました。ふと見るとロビーの隅のほうに自動販売機。近寄ってよく見ると、何か食べ物が入っています。助かった。チョコレートでコーティングしたバー状のケーキがあったので2本で4ユーロなりを購入してパクつき、日本より持参のペットボトルのお茶を流し込んでお腹を満たしました。 6時半になっても誰も現れません。イタリヤだから、と自分を納得させながら待ち続けました。6時40分、そろそろ不安になってきたところでピックアップらしき日本人の女性が登場。このホテルでピックアップするパーティーがもう一組いるらしく、フロントから部屋に電話をしましたが応答はなし。念のため食堂も見に行きましたがいませんでした。 遅れているので見捨てて集合場所に移動することにしました。どうやらここへ来るひとつ前のホテルでも、待っているはずの人がいなかったため捜していて遅くなったとのことでした。 それを聞いてふと思い出しました。日本を出発する3日前に、カプリ島ツアーの集合場所の変更連絡が来たのでした。最初の集合場所は共和国広場近くのディアナホテルに6時40分でしたが、急遽、宿泊するホテルで6時20分に変わったのでした。ひょっとして、ピックアップの彼女が会えなかった人たちは変更連絡を受け取っておらず、当初の集合場所へ行っているのではないのだろうか。それを彼女に伝えると、彼女はすぐに携帯電話で別のスタッフに連絡。ディアナホテルをチェックさせたところ、果たして見つけることができました。 結局私たちもディアナホテルまで運ばれて、ホテル前に待機していた大型バスに移されそのまま出発。車内にはなんとあの3人娘が・・・・。因縁を感じさせる再会でした。そのほかにも半日ウォーキング・ツアーで見かけた女性4人組グループも乗っていました。 バスが走り出してすぐに、日本語をそこそこ話せるイタリア人ガイドが挨拶と今日のスケジュールを発表しました。このバスには、ポンペイ遺跡観光組とカプリ島観光組が同乗しており、ナポリまで一緒に行き、カプリ島組はナポリ港で別れ別のガイドに連れられカプリ島に渡り、ポンペイ組はそのまま遺跡に向かうのだそうです。帰りは再びナポリ港で合流してローマまで帰ってきます。ローマ帰着予定時刻は午後8時半。 ナポリまでは295Km、高速道路を利用して約3時間から3時間半かかるそうです。 バスの中では、何人かが調達してきた朝食を広げて腹ごしらえを始めました。くそ~、腹減った。チョコケーキ食べておいてよかった。1時間半後の休憩スポットで何か食べよう。 そろそろ尿意も限界に近づいてきたところで休憩スポットに着いたようです。真っ先にトイレを済まし、カフェでカプチーノとチョコ入りのクロワッサンを買い込み、奥さんと一緒にかぶりついたのは言うまでもありません。 ところでナポリ方面の本日の天気予報は気温が低くしかも雨。そこでセーターを着込み折りたたみの傘まで持ってきました。ところが、南に下るつれて天気は良くなっていくではありませんか。観光にはありがたいのですが、やっぱり「イタリアの天気予報」でした。 予定通りの時間で道中事故もなくナポリ港に到着。ここでカプリ島組はバスを降りてジェットホイルに乗り換えです。果たして本日のメインである青の洞窟には入ることができるのでしょうか。迅
2007/10/23
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2007年10月22日 本日の最後 コロッセオを堪能した後は、お土産探しをすることにしました。 そんなことは最終日にすればよいという考え方もありますが、私たちはなるべく先に片付けて、心置きなく最終日まで楽しみたいというタイプなので、ひと通りローマを楽しんだ後は、お土産を片付けておこうということになったのです。 明日はオプショナルツアーでカプリ島への日帰り観光を入れてあるので、今日ある程度おみやげを確保しておかないと、明後日の実質最終日におみやげ探しをする羽目になってしまう訳です。 ヴェネツィア広場あたりから共和国広場まで延びるナツィオナーレ通りの両側には、いろいろな店が並んでいるのですが、小さな専門店がほとんどで、大きなデパートは見当たらず、スーパーにも行ってみましたが、こじんまりとしたものでした。価格的に手ごろなものが一ヵ所に集まっていて、一気におみやげを片付けられるようなお店は見当たりませんでした。 結局、探しあぐねて共和国広場近くのローマ三越に行ってしまいました。 当然日本人でいっぱい。歩きづめだったので座りたくて休憩所へ行ってみましたが、ここも(私たちより年配の)日本人のおじさん・おばさんたちでいっぱいでした。 ここの三越もブランド品中心で高い商品ばかりでした。その中でも比較的低価格の部類に入る高級ベルトを息子の友達用に購入しました。息子は、時々大学近くに住む彼のアパートに泊めてもらったり、静岡の彼の実家にお邪魔したりと世話になっているのでした。 外はすっかり暗くなったので、おみやげ探しは中断して、夕食を取るためレストラン探しをすることにしました。 何軒かのぞいてみて、雰囲気がよさそうな店を見つけたので入ってみました。(場所は良く覚えていません。翌日も行ってみようと思って、記憶通りに歩いたのですが行き当たりませんでした) とても寒かったので、あたたかいコンソメと、ポタージュのスープ、それに奥さんはトマトベースソースのスパゲティー、私はカルボナーラのスパゲティーを注文しました。スープはどちらもおいしく体も温まりました。 トマトベースのスパゲティーはソースがおいしいそこそこのものでした。そしてカルボナーラの味もそこそこでした。でも「ボーノ(おいしい)」と叫びたくなるほどではありませんでした。それはスパゲティ(パスタ)がイマイチだったからです。麺が太く、いわゆるコシがなく、まずくはないがおいしくもないいうものでした。せっかくのソースの味をパスタが減殺してしまっていました。残念。 結論。スパゲティーは日本のスパゲティーが一番おいしい。 日本人の舌に合わせて作られているから当然ですけどね。日本人にとっておいしいスパゲティーとは、日本で覚えたスパゲティーの味を物差しとして判断することになるのですね。 そこそこの満足度で夕食を終え、明日の朝食を調達すべく街をうろつきました。 明日は朝食は付いておらず。代わりにカプリ島での昼食が付いている日なのです。だから自分たちで朝食を準備しておかなくてはならないのです。でも、時間が遅かったせいもあって、何も買うことができないままホテルに帰ることになってしまいました。 まあ、集合してからでも何とか調達するチャンスはあるだろうと甘く考えていました。事のてん末は23日の部で。 ホテルに帰ってまっさきに確認したのが、部屋に追加の毛布が運び込まれているかどうかと、エアコンから暖かい空気がでてくるかどうか、でした。ほら、朝出るときにフロントに申し付けておいたことですよ。 ・・・・・・・・どちらも今朝のままだ・・・・・。 毛布はどこを探しても見当たらず、エアコンからは相変わらず冷たい空気が吐き出されてきます。「おいおい、無視かい、放置かい」。 仕方がないのでフロントまでクレームを付けに行きました。だって、電話じゃこんなややこしいやり取りができる自信がありませんから。 フロントにいたおねえさん(朝はおにいさんだった)に、今朝エアコンのチェックと毛布を追加しておいてくれるようたのんでおいたのに、何もしてくれていない。どうなっているのか、と静かに尋ねると。「エアコンは例年12月に切り替えるので今は冷房しかできない」と答えくれた。(どうやらセントラルヒーティングで冷房と暖房の切り替えが必要なシステムのようです)(なんだよ、ちゃんと引継ぎができてるんじゃん。だったら毛布も運んでおいてくれよ。ここがやっぱりイタリア人かい?)「寒くてたまらんから、毛布を2枚持ってきてくれ」と改めてオーダーしました。 ほんとうに毛布を持ってくるかなあと待っていると、呼び鈴の音。「お、来た来た」。 果たしてドアの外にはメードのおねえさんが、2枚の薄いキルティングを持って立っていました。毛布じゃないけどまあいいか。「グラッチェ」と言いながら受け取っていたら、横から「私たちにも、それ下さい」の声。 あれは確か、午前のウォーキング・ツアーにいた3人娘の内のひとりではないか。 「やっぱり寒いよね」 「寒いですよ。エアコンから冷たい空気が出てくるし」 そこでさっそく、さっきフロントで聞いてきた話をしてあげた。 「そうなんですか。じゃあ絶対毛布もらわなきゃ」 「じゃあ風邪をひかないように。おやすみ」 「ありがとうございました。おやすみなさい」 これが、3人娘との最初の接触でした。 その夜は、昨夜のように凍えることなく眠ることができました。 迅
2007/10/22
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2007年10月22日 午後の続き フォロ・ロマーノの「聖なる道」の終点近くまで来るとコロッセオが見えてきました。 フォロ・ロマーノ側からのコロッセオ。 この写真の正面あたりに見学入り口があります。 コロッセオの入場券、 ひとり11ユーロ。 完成は紀元80年ティトゥス帝の時代。完成を祝う祭典は100日間に及び2000人の剣闘士と9000頭の猛獣の命が失われたといわれています。 長径188m、短径156m、周囲527m、高さ57mのまさに巨大な闘技場。アリーナの床は失われ、地下の猛獣を入れた檻や剣闘士の控え室などが良く見えます。 コロッセオの2階から見えるフォロ・ロマーノ もともとはちゃんとした円形の闘技場の形をしていて、全てのアーチ部には彫刻が飾られていたといわれています。しかし、使われなくなって廃墟となった後に、格好の建築資材として彫刻や石材が持ち去られ、現在のような姿になってしまったのでした。 フォロ・ロマーノとは反対側からみたコロッセオ コロッセオを堪能したら5時近くになっていました。 これで行ってみたかったところが一段落したので、子供たちや甥、姪へのおみやげを探すために、フォーリ・インペリアーリ通りを経てナツィオナーレ通りを共和国広場方面に歩きながら、通り沿いの店をのぞいて回ることにしました。迅
2007/10/22
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2007年10月22日 午後の続き ここまでの踏破距離はおよそ5Kmとちょっと。これには見学した施設内をぐるぐる巡った距離は含まれていません。 「聖テレーザの法悦」に2回目のヒジ鉄をくったので、おとなしくフォロ・ロマーノに向かうことにしました。 どの道を通ったのかは覚えていませんが、目の前に突然ヴェネツィア広場が現れました。巨大なヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像がそびえ立ち、その後ろには巨大な白亜のヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂が堂々と立っています。 V.エマヌエーレ2世のことは、ほとんど知りませんでした。1870年のイタリア統一の立役者で初代国王なのだそうです。 残念ながら、記念堂は修復中で養生ネットが張られていてその威容の全体を拝むことはできませんでした。 記念堂の裏、市庁舎の立つカンピドーリオの丘の向こうには遺跡群が広がります。これが「フォロ・ロマーノ」。 7つの丘の中心にある低地で、古代ローマ時代には市民集会や裁判、商業業活動や政治討論の場が設けられた公共広場で古代ローマ発展の中核地だったところです。 セヴェルスの凱旋門とフォロ・ロマーノ(北側の丘からのながめ) ザトゥルヌスの神殿 元老院議場のまえで 一番南にあるティトウスの凱旋門 コロッセオの二階からフォロ・ロマーノを眺める(南側から) 皇帝たちの凱旋門や神殿や集会場の後がひしめくように立っています。全て2000年以上前の建物ばかりです。興奮しますね。 フォロ・ロマーノを縦走するとコロッセオが見えてきました。次はローマ観光の定番のひとつコロッセオに入ります。迅
2007/10/22
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2007年10月22日 午後の部のつづき やってきましたスペイン広場。 オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペック主演の「ローマの休日」で、日本でも一躍有名になったローマでも屈指の観光名所です。 スペイン階段に座って、登って、写真を撮ってとハシャイでいると、「ナカムラ!」と声をかけてくるイタリア人?「ナカムラ! タカハラ! Good! I like them!」 と日本語と英語で矢継ぎ早にしゃべる男。「ニホンニ イタコトアル。My girl friend is in フクオカ」「ナカムラ、タカハラ、ナカタ」「ワタシタチ トモダチ。コレヲドウゾ」 とミサンガを私の手にかけようとしてきた。 おかしいと警戒はしていたが、やっぱり来たか。これがうわさに聞いたミサンガ売りか。 「いらねえ。」と言って手を引っ込め、ヤツは何かを話し続けていたが無視してその場を離れました。俺としたことが、ちょっとスキを見せてしまっていたのかな。気をつけよう。 この後ミサンガ売りの攻撃をうけることになります たくさん歩いたのでさすがにお腹がすきました。食事ができるところを探してブラブラしていると、黒板にランチメニューを書いてある風(イタリア語なので良く分からなかったのですが、勝手に解釈しました)の店を見つけたので入ってみました。 席に付くと普通のイタリア語と英語併記のメニューを持ってきました。てっきりランチメニューを持ってくるのかと思ったのに。そこで店員を連れて表に出て黒板を指差して、「これはないのか」と聞いたところ、OKといいながら別のメニューを持ってきました。 体裁はランチメニューっぽいのですが黒板のとは内容がちがう。でも腹が減っていたので上から2つのメニューの内容を聞きました。シーフードの何とかのパスタと、豆と何とかのパスタだというので(店員の英語が結構怪しい)、それを注文した。 するとテーブルに載せられたものは、想像していたスパゲティ状のパスタとはまったく違う、貝殻の形のパスタが海鮮だしのスープに入っている皿と、小さな団子状になったパスタが豆と一緒に何かのスープに入っている皿でした。 見た目はおいしそうではなく、食べてみてもおいしくありませんでした。しばらく我慢して食べていましたが、半分くらいでギブアップしました。店員の態度も余り良くなかったので、もちろんチップは置いてきませんでした。 仕方がないので、ちかくのカフェでチョコの入ったクロワッサンを食べて空腹を満たしました。海外の旅先ではよく経験することですね。(私たちだけかな?) 気を取り直して、朝一で訪ねたサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会に行ってみました。 スペイン広場からすぐの距離にあるのです。ローマ市街はコンパクトにまとまっていて、歩いて観光するにはもってこいの街ですね。 朝はミサをやっていて、お目当ての「聖テレーザの法悦」が見られませんでしたが、今度は・・・・・・閉館中。開いているのは朝7時から12時までと15時半から19時だと入り口に書いてありました。ついていないなあ。 しょうがない、ではいよいよメインイベントのひとつ「フォロ・ロマーノ」に向かいましょう。 迅
2007/10/22
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2007年10月22日 午後のつづき コンドッティ通りは、前にも書いたとおり高級ブランドのブティックがずらりと並んだ通りです。いくつかのブティックを外から覗きながらぶらついていたら、ルイ・ヴィトンのブティックを見つけました。 実は奥さんの仕事仲間から、ルイ・ヴィトンの最近人気だというある財布を買ってきてほしいとたのまれていたのです。ネット・ショップでは一番安くて59,800円もする、白色が基調の長財布です。私の場合、財布の価格より中身の方がいつも少ない状態です。価値観の違いですね。 店に入ってざっと見て回ったところ、たのまれていた財布が見当たりません。そこで店員に、依頼人より渡されていたネットからダウンロードした写真を見せて在庫があるか聞いてみました。 するとニヤリと笑ってカウンターの後ろの引き出しからサンプルを出してきた。(おお、まさしくそれだ。)ところで「何でさっき笑ったんだ?」と店員に尋ねると、「・・・・・・・」(ニヤニヤ笑いながら)「何がおかしいんだ?」「・・・・・・・」(この野郎、何でニヤニヤしているんだ。ふざけやがって。黙ってニヤニヤするのは日本人の専売特許だ!)「もういい、いくらだ?」「345ユーロです。セニョール」(58,650円かネットより安いな)「よっしゃ、これこうちゃる(買ってやる)」「Thank you very much!」「付加価値税の免税手続きをすれば39ユーロ還付されます。セニョール」(ということは、差し引き52,020円になるな。むちゃ安いやないか。これなら友達も大感激だろう) 免税の手続き以下の条件がそろうと、商品にかけられている付加価値税が一定率で免税となり、還付を受けることができます。EU以外の国の居住者が個人使用のために購入して未使用のままEU域から持ち出す場合でTAX-FREEの看板を掲げる免税ショッピング加盟店で買い物をしたもので1店について同日の購入額の合計が税込みで154.94ユーロ以上であり店発行の免税伝票を入手しておりEU出国時に免税伝票に税関の確認スタンプを受けて免税払い戻しカウンターにスタンプ済みの免税伝票を提出した場合詳しくは旅行代理店に尋ねるか、ガイドブック等で確認してください。 私の場合、EU域の出国地はフィンランド(ヘルシンキ)なので、ヘルシンキで出国手続きをした後、税関でスタンプをもらって、払い戻しカウンターを捜しまわってやっと還付を受けました。 還付は現金でもクレジットカードへの返金でも選択できます。現金の場合、円でも受け取れますが手数料を取られます。また端数はユーロで払われます。 税関では買った現物を見せるよう求められる場合もあるということだったので、財布を機内持ち込み手荷物に入れていましたが、今回はそのような要求はありませんでした。 たのまれた買い物を終えた後は、映画「ローマの休日」でもおなじみのスペイン広場のスペイン階段に向かいました。迅
2007/10/22
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2007年10月22日 午後の部 コンドッティー通りで解散した後は、アウグストゥス帝の廟(皇帝廟)へ向かいました。 カエサル(シーザー)が後継者として養子にしたオクタヴィアヌスは、カエサルが暗殺された後カエサルの遺志をを継ぎ、カエサルの右腕であったライバル・アントニウスとの政争と戦闘に勝ち、初代ローマ帝国皇帝になってアウグストゥスと名乗ります。 そのアウグストゥスが建てた霊廟で、直径が90mもある円型で三段積みの建物です。ここに最初に葬られたのは、彼の後継者の第一候補であり、甥であったマルケルスでした。マルケルスの他にこの霊廟に葬られたのは、アウグストゥス、第二代皇帝ティベリウス、第五代皇帝ネロ、その母アグリッピーナがいます。 建てられた当時は、いやでも目立つ建物だったと思います。現在では、何なのかを知らなければ、空堀に囲まれたただの古い建物にしか見えないでしょう。でも、紀元前29年に作られたものなのです。それが2000年以上の時を経ていま、自分の目の前にあることにちょっと感動しました。 アウグストゥス帝の廟で感動した後は、すぐ近くにあるアラ・パチス(平和の祭壇)に向かいました。正式名称はアウグストゥスの平和の祭壇。カエサル暗殺後のローマ人同士の戦争を経て、アウグストゥスによってもたらされた平和の到来を祝い、この平和が長く続くようにと願うローマ人の想いの象徴として紀元前9年に完成したものです。現在はテヴェレ川沿いの近代的なガラス張りの鞘堂に守られています。 しかし、本日月曜日は休館日でした。残念。 お昼も過ぎてお腹も空いたので、スペイン広場まで行って食事を取ることに決めて、コンドッティ通りを戻っていくことにしました。つづく迅
2007/10/22
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2007年10月22日(月)の続き 次はミネルヴァ広場。広場の中央にはベルニーニ作の象の彫刻のうえに紀元前6世紀のオベリスクを乗せたほっとユニークなモニュメントがあります。 このモニュメントの正面にやや殺風景なサンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会があります。ソプラとは「上に」という意味で、教会名を直訳するとミネルヴァの上の聖マリア教会とうことになります。カエサル(シーザー)のライバルだったポンペイウスが建設したミネルヴァ神殿の上に、13世紀に教会が建築されたものだそうです。 ミネルヴァは知恵をつかさどる女神で、ギリシャ神話ではアテネと呼ばれます。 この教会にはたくさんの美術品が収蔵されているそうで、我々は15世紀後半に活躍したアントニアッツォ・ロマーノという人の「受胎告知」という絵をじっくり観ました。 サンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会の壁。 テヴェレ川が氾濫したときの水位を示す銘板。 美術品を堪能してから教会を後にしてコロンナ広場に向かいました。 この広場はキージ宮(総理府)の前であり、近くには下院もあるので、警官の姿とパトカーが目立ちます。警官の制服はスマートでかっこ良く、パトカーはアルファロメオ。ここはイタリア。 コロンナ広場にあるマルクス・アウレリウス帝の記念柱(180年) この柱は帝によるサルマシアの戦いとゲルマニアの戦いの様子を表した 浮き彫りで埋められています。高さは30m。 そして最終目的地コンドッティー通りまで歩いてツアーは解散。 このコンドッティー通りは、有名ブランドのブティックがずらりと並ぶ、パリならシャンゼリゼ、日本なら銀座といったような通りです。東へ向かっていった突き当りがスペイン広場です。 これでやっと2日目の午前の部の終わりです。次からは午後の部に移ります。 迅
2007/10/22
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2007年10月22日(月)の続きナボーナ広場の噴水の説明を聞き終えたところで、しばしの休憩となりました。広場を囲むたくさんのカフェでカプチーノを楽しむもよし、近所を散策するもよし。私たち何人かはガイドさんがおいしいと推薦する広場からちょっと入ったところにあるカフェに行きました。ローマのカフェはテーブルと椅子を表に出しているところもありますが、カウンターで立って飲むところが多く、案内されたところもそういうところでした。こちらでは、まず最初にレジに行ってお金を払い、レシートをもってカウンターに行き注文するという方式が一般的です。一杯2ユーロのカプチーノをたのみ堪能したところでトイレへ。外国ではトイレに気を使います。いつでも利用できるトイレが町中にあるわけではないからです。トイレに行くと日本人が列を作っていました。そして女性トイレの方から「ここも便座がない!」という声が。「なんだ?」と思って男性用に入ると洋式トイレがひとつ。しかも便座もふたもない。どうやら女性用も便座がないようです。奥さんに確認すると、やっぱり便座が取り付けられるところには穴が開いているだけで便座もふたも付いていないそうです。トイレを利用するものちょっとした運動ですね。これはほとんどのカフェでそうでした。休憩を終えて向かったのがサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会。この教会は第7回十字軍を指揮したルイ9世を祀る教会で、カラバッジョの絵で有名だそうです。その絵は、左側廊5番目の礼拝堂に飾られている「聖マタイと天使」「聖マタイの召し出し」「聖マタイの殉教」の3部作です。礼拝堂は暗いのですが、フェンス前においてある小箱に10セントまたは50セント入れるとしばらくの間ライトアップされて良く見ることができます。拝観料ですかね。(この仕組みは今回訪ねたどこの教会でも同じでした)次はいよいよパンテオン。パンテオンとは「全ての神々の」という意味で、30万もいたといわれる古代ローマの神々に捧げられたものだそうです。古代ローマは313年にコンスタンティヌス帝が一神教のキリスト教を公認するまで、日本と同じあらゆるものに神が宿ると信じた多神教の国でした。パンテオンは紀元前27年にアグリッパによって神々に捧げられましたが、火災で焼失したため、118年にハドリアヌス帝が立て直したのだそうです。おそよ1900年前の建物です。 パンテオン正面とオベリスク 「AGRIPPA(アグリッパ)」の文字が読み取れます本堂は円形で高さ、直径ともに43.3mもあり、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂をもしのぐクーポラ(ドーム)なのだそうです。そしてクーポラの頂上には直径9mの天窓が開いていて、内部の唯一の光源となっています。穴が開いているだけですから雨が降れば降り込んできます。 クーポラ頂上の天窓 かつて神々が祀られていた場所に今では国家的な功労者を祀っています。まずは初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世、そしてラファエッロ。 ラファエッロの墓 1900年前の建築物に直接手を触れた興奮を覚えたまま、ミネルヴァ広場へとツアーは続きます。 迅
2007/10/22
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2007年10月22日(月) ローマの2日目 昨夜は寒く、夜中に目が覚めてしまいました。(時差ぼけの影響もあるのでしょう) 朝一でレセプションに暖房が効かないのでチェックすることと、念のため毛布を2枚部屋に入れておくことをたのみました。これで安心。でもここはイタリアだということをわすれていました。それはこれから何度となく思い知らされるのですが、この件では今夜でした。 さてと、今日の午前中はオプションで付けた「半日ウォーキング・ツアー」です。ここから地下鉄で7つ目のバルベリーニ駅の真上にある、バルベニーニ広場のトリトーネの噴水前に8時20分に集合です。 6時半、ホテルの食堂が開く時刻に行ってビュッフェスタイル(日本ではバイキングと言っていますが、海外では通じません)の朝食を取りました。これはツアー料金に含まれています。 食事の内容は日本でも見かけるアメリカンタイプの食事です。パンに焼いたソーセージとベーコン、炒りたまご、数種類の生ハム、フレークにヨーグルト、フルーツなど。ちょっと違うのがクリームやチョコが入った数種類のおいしそうなパンとケーキが並んでいること。 そして、エスプレッソマシン。これには食堂のお嬢さんが付いていて、注文に応じてエスプレッソ、カプチーノ、カフェオレを作ってくれます。 私たちは、アワアワのカプチーノをたのみました。ミルクの泡を乗せたたら出来上がり・・・・ではなくて、チョコレートで泡の上に花の絵を書いて出来上がり。ちょっとおしゃれ。それにおいしい。はまりました。 食事の味はまあまあ。短期間ならこれでもOK。 食事を終えて7時過ぎにはホテルを出発。地下鉄の最寄り駅ポンテ・ルンゴまで石畳の歩道を歩きます。 外はまだ暗く、天気は曇りでちょっと寒い。ローマの緯度は函館とほぼ同じで、しかも今はサマータイム。ですからこの時間でもまだ暗いのです。気候は地中海のおかげで東京と同じくらいとの事前情報でした。 天気予報では16℃くらいで晴れのち曇り。東京より8℃ほど低くなっています。昨日も書いたように急に寒くなったようです。一応セーターは1枚持ってきましたが、天気予報を見て、薄いジャンバーだけを羽織って出てきました。しかし、ここで大きな判断ミスをしていたのでした。ここはイタリアなのでした。それは・・・・・・・・この後出てきます。 さて駅に着いたら地下鉄の切符を買わないと。地下鉄の料金はどこまで行っても1ユーロ。切符はタバッキでも買えますし、自動販売機も買えます。でも自動販売機はおつりが出ませんので注意。 自動販売機には私の出会った範囲では2種類あって、どちらも10セント、20セント、50セント、1ユーロ、2ユーロ硬貨が使えます。1ユーロ分入れれば1枚、2ユーロ硬貨を入れると2枚出てきます。 地下鉄には自動改札機があります。切符の表に磁気テープが張ってあって、改札機の投入口に切符を入れると日時を刻印して戻ってきます。と同時に目の前の透明なアクリル製のドアがスライドして道を開けてくれます。 切符の有効期限は、刻印された日時から75分間。乗り換えは自由ですが、一度駅を出てしまうと無効になります。駅を出るときは出札機はありませんが、ディズニーランドなどの遊園地の出口にある、例のバーを押して出る機械があります。 地下鉄の切符の表。タバッキで買うといろいろなコマーシャルが入ったものが売られます。上から2番目のは駅の自動販売機で出てくるもので、これはいつも同じデザイン。 これが裏側。バーコードの上に日時の刻印が見える。下側が刻印した時刻で、上側が有効期限。75分間有効だということがこれからも分かります。 午前7時50分ごろ集合場所であるバルベニーニ広場に到着。なぜ集合時間より30分も早く来たのか。実は、集合する前に見ておきたいものがあったからです。それは今日のツアー・コースとは反対の方向にある「サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会」にあるベルニーニ作「聖テレーザの法悦」という彫刻です。 「聖テレーザの法悦」はダン・ブラウンの小説「天使と悪魔」にも出てきて、なぞに迫る道しるべのひとつとなっています。 サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会はバルベニーニ広場から1Kmほどの距離にあり、朝7時から開いています。サクサクと初めてのローマの道を歩き教会に向かいました。そして入り口を入ると・・・・・・・・。「ミサをやってる。だめだ。」なぜなら、「法悦」は正面祭壇に一番近い翼廊に飾られているからです。いくら図々しい私でも、ミサの最中に説教している神父さんを無視して、祈りを捧げる信者たちの間を縫って見に行く勇気はありません。まして日本人として、そんな礼を失した行為はできません。仕方がないのであきらめて集合場所に戻ることにしました。 バルベニーニ広場には「トリトーネの噴水」というちょっと変わった彫刻があります。この前が集合場所です。 トリトーネの噴水。 奥さんが写っているので目隠しをさせてもらいました。ちょっと無粋で申し訳ありません。彫刻はほら貝で水を噴き上げている構図です。背後には集まってきている日本人たちが見えます。 すでに10人ほどの日本人がうろうろしていました。最終的にはおばさんたちの4人グループ、老若男女のカップルが3組(私たちを除く)、若い女性の3人組、もっと若い男女の6人グループ、単独の若い男性が1人、そして私たちとよく覚えていない何人かの合計28人。 ところが8時20分を過ぎてもガイドが現れません。「まあ、イタリアだから」。日本人はおそらく全員がそう思って待ち続けました。結局20分遅刻してイタリア人のガイドがやってきました。「今日は道が混んでいてバスがなかなか進まなくて、でもなんとか時間に間に合ってよかったです。」と上手な日本語で第一声を発しました。(どこが間に合ってんだい?) それにしても寒い。太陽は雲に隠れ、風が出てきて余計に体温を奪う。ちょっと天気予報と違いすぎないか。「今日は雨の予報でしたが、このまま雨は降りそうにないですね、イタリアの天気予報は当たりません。だから誰も信じません。」とガイドの声。そうだったよね。ここはイタリアなんだった。信じた私がバカだった? さっそく出欠の確認を行ない、小型受信機とイヤフォンが配られました。イヤフォンを受信機に差込みスイッチ・オン、言われたとおりにチャンネルを18に合わせると、ちゃんと送信機で話しているガイドさんの声が聞こえてきました。これなら離れていてもガイドさんの説明が聞けて、姿が見えなくても安心だ。 ツアー・コースは、今日は月曜日なのでバルベニーニ広場ナボーナ広場サン・ルイージ・ディ・フランチェージ教会パンテオンサンタ・マリア・ソープラ・ミネルヴァ教会コロンナ広場コンドッティ通り(解散) です。月、水、金はこのコース。どちらかといえばリピーター向けですね。 で、日、火、木、土のコースは、バルベニーニ広場トレヴィの泉ベネチア広場フォロ・ロマーノコロッセオローマ三越(解散) です。こちらの方が初心者向けと言えます。 トレヴィの泉と言えば、昨夜のニュースで、何者かが赤い染料を投げ入れたために泉が真っ赤になっているところを写していました。事件の背景は分かりませんが、日本でも報道されましたでしょうか。 さてと、最初の目的地ナボーナ広場へは歩いていくのかと思ったら、なんとバスで移動すると言うのです。バルベニーニ広場近くの停留場へぞろぞろと移動。バス停には遅めの通勤時間帯とあって、通勤客が結構います。 「あ、バスが来ました。」の声に目をやると、やってきたのは満員のバス。「ちょっと無理ですね」とやり過ごすことに。このバス停にはいくつもの系列のバスが来るので、客が結構多いし、歩道が狭いので私たちはみんなの邪魔者になっていました。10分くらい待ってやっと乗るバスが来ました。でもこれも混んでいます。「ちょっと大変ですが乗りましょう」の号令で「パルドン」「エクスキューズ・ミー」と言いながらこんだ車内に体を押し込みました。なんとかドアが閉められたというほどの大混雑。さっそくローマの通勤ラッシュを経験させてもらいました。 バスに揺られること15分ほど。「おかしいなあ、地図で見ると歩いてもこのくらいの時間で来られる距離だぞ?」 あとで分かりましたが、このバスはかなりくねくねと遠回りをしていたようです。 さて最初はナボーナ広場。古代ローマ時代の競技場だったところで楕円形をしている。広場を囲む建物も楕円の弧の部分はやはり弧を描いている。広場には、ムーア人の噴水四大河の噴水ネプチューンの噴水 という荘厳な三つの噴水があり、広場を囲むたくさんのカフェで休憩しながら噴水を眺めるのもいいかもしれません。ただ、一番大きなベルニーニ作の四大河の噴水はこの日メンテナンス中で養生ネットで被われていました。残念。 ナボーナ広場。 手前がネプチューンの噴水。奥がメンテナンス中の四大河の噴水 ネプチューンの噴水 ムーア人の噴水 既定の文字数を超えてしまうので、続きは23日に書きます。 迅
2007/10/22
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10月21日(日) ローマへ出発成田11時出発のフィンランド・エアーAY074便でヘルシンキを経由してAY783便でローマ、レオナルド・ダ・ビンチ国際空港(通称 フィウミチーノ)へ18時40分到着という経路をたどります。成田からヘルシンキまで約9時間半、ヘルシンキからフィウミチーノまで約3時間半の長旅です。JR快速エアポート成田に乗り空港へ、最寄のJR駅から30分ほどで第二ターミナルに到着です。(都内への通勤には不便ですが、海外旅行には便利です)H.I.Sのカウンターで航空券を受け取って、フィンランド・エアーのチェックイン・カウンターへ行くと、すでに長蛇の列。20分ほどかけてチェックインを完了。ただし、4人席の真ん中2席の並びしか取れませんでした。続いて出国審査へ。予想通りこちらも長蛇の列。機内持ち込み荷物の検査が厳しくなっているためでしょう。液体は一人100ミリリットル以下のボトルに分けて1リットルの透明なジッパーつきバッグに入れて、しかも機内持ち込み荷物からから出して、荷物とは別個にトレーに乗せてレントゲンを通さなくてはならなくなっています。液体だけでなく、パソコンやジャケット、コートも個別にトレーに乗せなくてはなりません。また、金属探知機の感度を上げているためか、小銭や携帯電話はもちろん、金属製のバックルの付いたベルトも外してトレーに乗せないと探知機を通らせてくれません。ですから、探知機の向こうでは、荷物を受け取った人たちが、ジャケットを羽織ったり、ベルトを通しなおしたりと、ここでもやや渋滞します。これはヨーロッパでも同じで、帰路でのことですが、ローマでの検査では、私の前に並んでいた英国老人は、靴のかかとに金属の鋲が打ってあったので、靴もトレーに乗せるように指示され、私の方に「なんてこったい」といった顔を見せながら靴下の状態で探知機を通っていました。 やっとパスポートコントロールまでたどり着いたら、ここからはスムーズ。新しいパスポートはICチップ入りなので、キーボードを叩かないで読み取り機にかざすだけでデータが表示されて、数秒でスタンプを押して返してくれます。ここから搭乗開始時刻までの時間というのはまったくもったいないもので、免税店を冷やかして回ってもすぐに飽きてしまいます。あとはひたすらゲート近くで座って待つのみ。そうそう、先ほどは厳しく検査された液体ですが、手荷物検査を受けた後の保税地域内で買ったペットボトルの飲み物は機内持ち込みOKです。設置されている自販機にちゃーんと書いてありました。ただし、経由地で乗り換える次の飛行機には持ち込めません。成田から乗ったフィンランドエアの各座席には250ミリリットルのペットボトル入りの水が用意されていましたが、ヘルシンキで乗り換えるときには、この水は次の飛行機には持ち込むことができませんとアナウンスしていました。 搭乗機はエアバスA-340。今年の5月に導入された新しい機体のようで、エコノミー席でも全席にモニターと衛星電話が付いていて、映画、音楽、ゲームのメニューが多数用意されています。おかげで長いフライトもあまり退屈せずに過ごすことができました。退屈はしませんでしたが、もうひとつの楽しみ(そんなに期待できないかな)である機内食は、まったくどこの国のテイストを想定しているのか、とにかくまずい。最初の食事は親子丼ということだったが、「確かにライスに鶏肉と卵が乗っていますけど、それで?」というようなしろものだった。 ヘルシンキに着いたら、空港の周りは建物が見当たらず木々ばかり、まさに「ノルウェーの森から」って、ここはフィンランドだ! 海外に出ていつも腹が立つのが小便器。少々品の無い話で申し訳ありません。海外の小便器は、日本のように床までありません。大抵高い位置にラッパが付いているのです。なんとか背伸びせずに届きますが、まったく人種差別的便器です。空港やカフェだけでなく、なんとローマ三越の便器もそうでした。 EUでは、EU域の最初に到着した国で域内への入国審査を行ない、EU域内の他の国に移動してももう入国審査はありません。従って、私たちはフィンランドで入国審査を受けました。ヘルシンキからローマまでの機体はボーイングB-757で、こちらはモニターはなし、席の前後も狭いまさに短距離輸送型の機体でした。食事が出されたが、もちろん・・・・。 無事にローマ、フィウミチーノに到着すると、当然入国審査はなく、到着ゲートから直接荷物受取場へ進みます。幸運にも私たちの荷物は早いタイミングで出てきたので、空いている内に税関へ。・・っといっても税関員が数人立ち話をしている横を通っていくだけ、声もかけられることなくフリーパス。 フィウミチーノは、ローマ市内を流れるテヴェレ川がテルニア海に流れ込む河口近くに立地していて、ローマから南西に約35Kmの位置にあります。フィウミチーノからローマ市内への移動手段は、ツアーの送迎サービスを利用する(オプションの場合はひとり片道5,000円程度)タクシーで行く(1台40ユーロほど=約6,800円)電車で行く(ローマの中心にあるテルミニ駅までのノンストップの特急「レオナルド・エクスプレス」はひとり11ユーロ=約1,870円)などがあります。私の泊まるホテルは格安ツアーなので、テルミニ駅から地下鉄A線で南東に5駅目の郊外にあり、テルミニまで行って戻るよりも、国鉄FM1線のトゥスコラーナ駅へ行った方が早いし安い(ひとり5.5ユーロ=約940円)のでこちらで行くことにしました。レオナルド・エクスプレスもFM1線も同じ国鉄で、ターミナル駅のフィウミチーノからは北東を目指してトゥスコラーナのちょっと先までは同じ線路を走りますが、レオナルド・エクスプレスはそこから北西に進路変えて、終点テルミニを目指します。 しかもトゥスコラーナ駅からならホテルまで200mですが、地下鉄A線5駅目のポンテ・ルンゴ駅からは700mもあります。夜の郊外を奥さんを連れて荷物を引きながら歩くことを考えたら、距離は短い方がいいですからね。これもFM1線を利用することにした理由のひとつです。こちらの国鉄の駅では改札がありません。切符は切符売り場や券売機の他にタバッキ(キオスクのような売店)でも買えます。切符売り場の列が長いときはタバッキで買うのが早いです。私もタバッキで買いました。乗車券を買ったら、ホームに置いてある刻印機で乗車日時を刻印します。ローマの乗車券は刻印してから90分間は乗り降り自由となっているので、刻印が重要な意味を持っています。改札が無い代わりに車内検札が頻繁に行われるようで、刻印していないと罰金を科されるそうです。 国鉄の切符。上部に刻印がある 改札が無いので当然出札もありません。駅に着いたらホームからゲートを通過することもなく、いつのまにか出口まで行ってしまいます。事前に調べて行ったとはいえ、どの電車に乗ったらよいのかあいまいなまま、この駅からはFM1線の電車かレオナルド・エキスプレスしか出ていないという確信はあったので、とにかく一番早く発車するレオナルド・エキスプレス以外の電車に乗り込みました。でもやはり初めての地では不安です。すぐ前に座っていた私よりははるかに年配の女性に尋ねたところ、「大丈夫トゥスコラーナに行ける」と教えてもらいほっと一息。トゥスコラーナ駅に着いたのは8時過ぎ。駅周辺の町には開いている店もほとんどなく、暗い夜道をホテルまでスーツケースをゴロゴロひきながら歩きました。幸い変な人も徘徊しておらず無事ホテルまで到着しました。やっぱり200mを選択したのは正解でした。ホテルはホリデー・イン系列のアメリカンタイプのホテルで築10年以内の新しいホテルでした。新しくて清潔なのは良いのですが、部屋が寒い。後で聞いたのですが、先週までは東京と同じように20℃以上の暖かい日が続いていたのだそうですが、先週末から急に気温が下がり、北の方では雪まで降ったのだそうです。ですから、私たちが到着した日も最高気温が15℃程度で、夜は6℃くらいだったようです。エアコンからは冷たい風しか出てこなくて、仕方が無いので、予備においてあった毛布も使って一夜を過ごしました。なんやかんやで何とかローマのホテルまでたどり着き、無事ベッドで最初の夜を迎えることができました。 これからが本編ですが、これだけ書くのに結構なエネルギーと時間がかかってしまいました。果たして明日から会社から帰ってきてどれだけのことが書けるのか不安です。おそらく一日のできごとを何回かに分けて書き足していくことと思います。辛抱強く付き合ってやってください。それでは、「自己中旅行記-ローマ編 その1」はこの辺で終わります。明日以降をお楽しみに。迅
2007/10/21
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いよいよ明日はローマに向けて旅立つ日です。 旅行カバンに荷物をパックしながら、気分は盛り上がってきます。 でも現地で観光できるのが3日間ですから、きっとあっという間に終わって「もっといたいよ~」と思いながら帰りの飛行機に乗り込むことでしょう。 帰国予定は10月26日です。 帰ってきたら、自己中旅行記-ローマ篇-を書きますので待っていて下さい。 スリには気をつけないと。 迅
2007/10/20
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今日は週末であるとともに、来週いっぱい休みをもらうために、懸案事項を片付けられる最後の日です。 朝からTO-DOリストに従ってバリバリと仕事を片付けていきました。 私の予定に割り込もうとする輩もいましたが、それも適当に捌いて、一心不乱に仕事をしました。明後日からのローマのことだけを考えて。 目の前のにんじんの効果は絶大ですね。 定期的ににんじんをぶら下げてくれたら、一年中トップスピードでがんばっちゃうのに。 いつになく仕事をした一日でした。 帰り道の雨もまったく気になりませんでした。迅
2007/10/19
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3ヶ月ほど前に植えたコーヒー豆。 今朝、奥さんが芽が出ていることに気が付いて、出張中の私に写真つき携帯メールをくれました。実は、昨年9月にも一度挑戦したのですが、残念ながらそのときは発芽してくれませんでした。だから、ちょっとうれしい。どんどん大きくなってくれ。迅
2007/10/15
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中日ドラゴンズが、セ・リーグ クライマックス・シリーズ第1ステージで、阪神に2連勝して第2ステージに進みました。この勢いで、巨人に3連勝で日本シリーズへGOだ!迅
2007/10/14
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旅行代理店から21日からのローマ旅行の最終案内が届きました。フィンランド航空を使うことになったため、ヘルシンキで乗り換えてローマに入ることになりました。21日は11時成田発で、ローマに18時40分(現地時間)。時差は7時間(サマータイム)。だから成田を発つときにはローマは4時。ヘルシンキでの待ち合わせ時間の1時間を除いても、飛行機に乗っている時間は13時間40分。エコノミー症候群になりそう。腰も痛くなりそう。準備は着々と整いつつあります。ローマは見たいところ満載で、地下鉄やバスも使いますが、基本的に歩き回ることになります。それでも、観たいところを全部回ることは到底不可能。くたくたになって帰ってくることになりそうです。いよいよローマモードレベルが上がってきました。明日からは恒例の営業所キャラバン2連泊ですが、ぜんぜん苦になりませ~ん。 迅
2007/10/13
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今朝は名古屋に向かって移動の日、最寄の駅に到着するとちょっと雰囲気が違いました。そうです。自動改札機が故障で改札がフリーパスになっていました。どうやらJRだけでなく、私鉄も、地下鉄も自動改札はアウトのようです。これは、SuicaやPasmoなどの電子マネーの相互乗り入れのために、被害がJRのみにとどまらず私鉄などにも及んだのだと想像できる。となると、おそらくシステムのプログラムミス=バグが原因なのだろう。などと想像している内に応急措置で8時20分ごろには復旧しました。あとで、ニュースで確認したところ、やっぱりシステム上の問題でした。いろんなサービスが相互乗り入れされて、私たちの生活は便利になりましたが、こういった脆弱性からおこる混乱に対するセーフモードはいまひとつのようです。 迅
2007/10/12
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創業300年の老舗、伊勢の赤福が30年にわたり製造日を偽装。ああ、赤福よ、おまえもか。指名買いをされるほどの絶対の人気とブランド力。それなのに信用よりコストと利益を優先したのか。ショックでした。 私は愛知県の出身なので、伊勢の赤福は子供のころよりコマーシャルで親しみ、実際にお土産でもらって食べて、お土産として贈ったりと、なじみの深い商品です。 ショックですね。 迅
2007/10/12
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佐賀のがばいばあちゃん島田 洋七 佐賀のがばいばあちゃん ご存知のベストセラー。話のタネに図書館で順番待ちして借りました。今朝は、茨城まで乗り換え時間を入れて2時間ちょっと電車の旅をしましたが、その間に読み終わってしまいました。島田氏は作家ではないので、当然文章で読者をひきつけられる訳ではありませんが、あまり考えることなく、すらすら読める内容なのであっという間に読み終わります。島田氏が子供のころに母親と離れてすごい貧乏を経験していたことにはびっくり、それを「先祖代々の由緒正しき貧乏」と言い放ち、楽しむかのように知恵と図々しさで生きてきたばあちゃんにはもっとびっくり。落ち込んだときや、自分が不幸の主人公だと感じているときに読むのに向いているかも。わざわざ買わずに、図書館で借りて読めばよいでしょう。迅
2007/10/09
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『中国の安全・品質問題「究極のリスク」とは』 五味康平(ジャーナリスト)-「Foresight」新潮社 2007年10月号より- 北京市の「段ボール入り肉まん」のニュースはリアリティーを感じた報道でしたが、中国政府は「捏造」と唐突に発表しまして収束に向かわせようとしました。 しかし、処分を受けのはスタッフのみで、北京電視台の幹部は一切処分されていません。中国製品の信用失墜を加速した大失態であるはずですから、指導監督官庁のトップの首が飛んでもおかしくないのです。その不自然さから著者は「段ボール入り肉まん」は本当だったとの疑いを増すばかりだそうです。 中国製品を一切使わないことを「チャイナフリー」と言い、米国を中心とする消費トレンドに定着しつつあるとのこと。私も買い物に行って手にとっても、表示に「中国製」とあれば棚に戻してしまいます。特に食料品であれば絶対です。 でも、中国は「世界の工場」となっており、途上国にいたるまで中国製品と完全に手を切ることは難しいでしょう。 しかし、安全・品質問題のもっとこわい話があります。 中国の輸出の60%を外資系企業が占めており、中国の民族系メーカーのほとんどはグローバル市場で戦えるだけの実力を持っておらず、それは、技術力、ブランド力が決定的に不足しているからだとのことです。 結局民族系メーカーが発揮しうる競争力は昔ながらの低コストだけ。しかし、その低コストにも疑問符がつきはじめているのです。 第一の理由は、人民元の上昇。2年間で1割近い上昇は、他のアジア諸国や東欧などとの競争で厳しいハンディキャップになりつつあること。 第二の理由は、人件費などのコストの急上昇。中国政府は格差是正と国内購買力拡大のために、各地域で最低賃金の引き上げを進めているうえ、旺盛な需要に対応して電気、ガス、水道などのインフラ料金も急騰していること。 もう「コストの安い中国」は過去のものとなりつつあるそうなのです。こうなると中国企業が簡単に手をつけられるのが、模倣品であり、安全・品質に問題のある偽物、粗悪品ということになります。 そしてそれを国内だけでなく世界にばら撒くというわけです。 実は世界にとってもっと深刻なシナリオがあるというのです。 中国は第十一次5ヵ年計画で2020年までに30基の原発新設を打ち出していて、それが経済発展にともない、2030年までに50基から100基という話が進行しているらしいというのです。 中国には現在11基の原発が稼動しており、第一号機こそ中国独自で建設したが、その他はフランスとロシアが建設したものだそうです。 現在、世界で原発をつくれるメーカーは、東芝-米ウエスチングハウス連合、日立-米GE連合、三菱重工-仏アレバグループ、ロシアのアトムプロムの4つに絞り込まれるそうで、中国もこれまで外国のメーカーに発注してきました。 しかし、中国は国産化に向けて技術力向上を急いでいて、いずれかの時点で中国オリジナルの原子炉を開発して単独建設すると見るべきだというのです。 そこに安全・品質問題を重ね合わせるとどんなシナリオが生まれるか。 粗悪な鋼材を使って作られた原子炉やその付帯設備、鉄筋が抜かれ、セメントの量を減らしたコンクリート製原子炉建屋、溶接の不十分な配管・・・・・・・・。 しかも、50基、100基といった建設ラッシュになれば熟練の作業者は不足し、技術が低く、自分たちが何を建設しているのか知らない作業者が原発を作り上げることになるというのです。 今年春先から中国では橋の落下事故が相次いだそうで、中国ではこうした重要なインフラが手抜き工事が原因で崩れることは珍しくなく、手抜きが発覚して工事途中で壊される建物もあるのだそうです。 これが、原発で起こったらどうなるのか。臨界に達した原子炉が制御できずに暴走して、自らの熱で溶解するような事態も考えれます。まさに「チャイナシンドローム」。 7月の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発は被害を受けたが、損傷は一部にしかなかった。これが日本の技術力の高さであり、現地調査に入った国際原子力機関(IAEA)のレポートでも「原子炉は安全に停止した」と強調されているそうです。 技術力、手抜き工事、地震、情報公開と不安が多い中国。 まさに中国リスクです。迅
2007/10/08
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がらくた江國香織 海外のリゾート地のプライベートビーチ。美しい少女、美海(みうみ)・15歳を見つめている美しい中年の女性、柊子(しゅうこ)・45歳。やがて東京へ戻った二人を主人公に展開される意表を突く人間関係。物語はそれそれの女性の視点から語られる。 本の紹介コピーには、「官能をかき立て、知性を刺激し、情感を揺り動かす、江國恋愛小説の記念碑的長編の誕生」とありましたが、私にはとてもそのようには思えませんでした。 初めて江國香織という人の作品を読んだのですが、直木賞ほかの文学賞をたくさん獲っている人気作家の作品にしてはがっかりでした。 物語が一般的でない、ちょっと特別な世界の人たちの中だけで完結しており、登場する親子、夫婦もまた一般的でない形で関係しているからだと思います。 また、語られる内容も、紹介コピーが言うには、私のどの感情をもかき立てたり、刺激したり、揺り動かしたりはしませんでした。 読んでみようという人は、買わずにまず図書館で借りて読んで方が良いと思います。 ひとつの作品だけで、江國さんを評価してしまってはいけないでしょうから、もうひとつ読んでみることにします。 迅
2007/10/07
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今日から3連休(の人が多い)ですね。 しかも天気がよい。そのうえちょっと暑い。 でも私は東京ビッグサイトで展示会に出展です。 今日と明日の2日間、展示会場に詰めることになります。 くやしいことに2日間ともよい天気のようです。 相変わらず舞浜ではたくさんの人が降り、電車から見える8時半ごろの東京ディズニーリゾートの駐車場は、すでに車で満ちていて、ゲートには車の行列ができていました。 多くの人が高い入場料を払っても尽きることなく集まってくる。日本は平和で豊かなのだなあ。ミャンマーでは、軍政に抗議するデモ中の僧侶に軍隊が暴行をはたらき、取材中の日本人ジャーナリストが射殺されているのに、そして多くの国が国民同士で殺し合いをしているのに・・・・・。ほんとうに平和はありがたいですね。迅
2007/10/06
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今日は突然の初夏のような陽気。事務所で思わず軽くエアコンを付けてしまいました。 通勤電車の中で、あのアニヤ・ハインドマーチのエコバッグの実物を目撃しました。シートに座っている私の目の前にバッグを肩に下げた女性が立ったのでした。 「おや? どこかで見たことのあるバッグ・・・・・。おおあのエコバッグだ。」(残念ながら名前は出てきませんでした) 「この人も並んで買ったんだ。ご苦労様でした。」 この人は電車の中で見かけた人ではありません。 中日の落合監督が丸坊主になっちゃった。 けじめをつけたんですね。 結構似合うじゃないですか。 クライマックスシリーズを勝ち進んで、日本シリーズで勝っちゃってくださいね。 迅
2007/10/04
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月初めから忙しくて、二夜連続で日付が変わってから帰宅したので、ブログを書くところではありませんでした。 今週はすっかり涼しくなって、あの蒸し暑かった夏はどこへ、っと突然の失踪に戸惑ってしまいます。 閑話休題 巷でちょっと話題になっている「脳内メーカー」なるものをネットで見つけて、自分を分析してみました。結果は、姓と名をくっつけた時:頭の中は「幸」の字でいっぱいでした姓と名をワンスペース空けたときは:「私」いう字の中に「秘」と「魔」が散りばめられていました これはどう読み解けばよいのでしょうか。 そもそも脳内メーカーってなに? 名前だけでなんで脳の中を分析なんてできるの。 分析なんかできるわけ無いから、これで楽しみましょうというひとつのお遊び? まあ、占いと同じで、どうとでも受け取られるような、そうかなあと思わせるような、ありそうな回答を一定の規則に従って表示しているのでしょうけどね。 巷の話題に乗っかってみました。 迅
2007/10/03
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