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この週末は,大変忙しくて週明けはヘロヘロでした。金曜日に職場の互助会でレクリエーションがあって,打ち上げも続き帰りが遅くなりました。翌日土曜日は,朝から富良野へ。北海道山岳連盟という,道内の山岳会の連合会のような団体が富良野で交流登山会を行いからです。わたしたちの会がホスト役で,準備や進行を行わなくてはならないのです。この日は,会場設営や受付・開会式・懇親会と夜まで仕事が続き,お疲れさん会をして宿に泊まりました。日曜日は,交流登山の日です。わたしの仕事は,他の会の人たちが無事に登って戻ってこれるかを見守り,逐一無線で麓の本部に連絡を入れることです。朝は,こんなに青空が広がっていました。北の峰ゴンドラに乗って山頂駅から富良野西岳まで縦走路を歩きます。わたしたちが後を追っていく山岳会は20名近くの大所帯ですが,出発前に地図を開いてみんなで確認したりしてかなりしっかりしています。これなら安心してついて行けます。北の峰ゴンドラの山頂から富良野ロープウエイまでは,かなり久しぶりに歩くコースです。20年以上も前に,草刈りで行ったり来たりした覚えがあります。富良野の街もきれいに見えていますね。夜ならどんな夜景が見えるのかな~,なんてふと思ってしまいました。きれいなトリカブトの花が咲いています。でも,これは毒草ですよ。観天望気の峰を越えて,ようやく富良野ロープウエイの山頂駅が見えてきました。思ったよりも登りがきつくて疲れました。前を歩く山岳会の人たちは,みんな元気で心配はいりません。無線でのやりとりも,「どこどこを歩いている」という業務連絡だけです。ロープウエイの分岐を過ぎ,最終リフトを過ぎると天気は徐々に悪くなってきました。途中から雨が降り出し,みんなで雨具を着ました。2回続けて雨具の山行になるなんて,天候に恵まれませんね~。山頂直下は,風も出てきてノンビリとはしていられませんでした。本当は,みなさんに芦別岳の勇姿を見ていただきたかったんですが,とても残念です。会の人たちは,記念写真を撮っただけで,そそくさと下山開始です。下山は,沢コースを降ります。実は,私はこのコースを歩くのが初めてで,痩せ尾根に,急坂に,滑りやすい沢で,かなりきついと聞いていたのでちょっと心配していました。おまけにこの天気です。ノコギリではみ出た枝を切ったりして下っていったのですが,なるほど尾根上はかなり危険な岩混じりの道でした。よくぞまあ,こんな所に道を作ろうと思ったな~と考えるくらい無理してつけた感じがします。でも,鎖場とかロープを張っているところはないので,登りで使うのならそれほど難しくはないのかもしれません。夏なのに上の方では手が冷たくなってしまいました。しばらく尾根を歩いた後は,急な坂を下ります。急とはいっても,ジグザグに降りていくので思ったよりも歩きやすかったですよ。坂を下りきると,水の音が聞こえてきて沢に出ます。そして,ここから長い沢歩きが始まるのです。道はちゃんとついているので,登山靴でも充分歩けます。ただし,石がゴロゴロしているので歩くのには注意が必要です。石が滑りやすいというのは聞いていましたが,半分合っていて半分違っていました。思ったよりも歩ける石もあれば,油断すると滑る石もあったからです。山岳会の人たちは,山慣れしていますね。ほとんど転んだり滑ったりしていませんでした。私は,渡渉中に登山靴の中に水が入ってきて中を濡らしてしまいました。やはり油断は禁物ですね。中には道がえぐれていて,高巻いたりロー王で降りたりするところもありましたが,思ったよりも安全の歩くことができたような気がします。道は,やがて川岸から離れて,ハイキング気分のようになり,砂防ダムが見えてきて終了となります。砂防ダムからロープウエイ駅までは林道の道になりますが,下界はお天気がよくて,汗だくになりました。ロープウエイが止まるなどのハプニングもありましたが,全コースの人たちが無事に降りてきて,閉会式を行って全日程が終わりました。その後,会の人たちでご苦労さん会を行い,旭川に帰ったのは8時近くでした。翌日は,疲れが取れない中,校外学習の行事に参加し,退勤して靴や雨具などの洗い物を片付けました。とてつもなく忙しい週末でしたが,次の木・金曜は宿泊学習が控えているのです!
2017.08.28
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今回は,以前勤めていた学校でのできごとです。そこの学校は,以前から出ると言われており,霊感の強い先生からも「この前,誰もいないはずの教室に1人でいる子どもがいてさあ,霊感の強い子と”いたよね”って話していたんだよ~」と聞いたことがあります。また,「教室で仕事をしていたら,何かパタパタ走りまわる音が聞こえるんだよね~」と言う別の先生の話を聞いたこともありました。私は全く霊感はないので,安心していたのですが…。ある放課後のこと。私は職員室で仕事をしていました。職員室には10人くらいの先生が仕事をしていたでしょうか?もう子どももみんな帰って,自分の仕事に没頭できる時間です。そんな時に一瞬,「せんせ~」と言う甘える声が聞こえたのです。もちろんすぐに周りを見回しました。でも,子どもの姿はあるはずがありません。誰かが,パソコンで声を再生したのかな? とも思ったのですが,そんなことをしている先生はいませんでした。他の先生も,その声を聞いたそうなので,空耳ではありません。この学校は昭和の後半期に開校した学校なので,それほど歴史のある学校ではありませんし,特に子どもが亡くなったりしたような話は聞いたことはありません。昔,この場がお墓だったという噂は聞いたことがありますが,古い地図で確認してもそんな記録はありません。あまり信じたくはないですが,やはり誰かが棲み着いているのかもしれませんね。
2017.08.22
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今回も山でのできごとです。時期は定かではありませんが,今から25~30年くらい前のことでした。後輩1人と冬の十勝岳に行ったときのことです。当時は,今と同じ場所に古い避難小屋がありました。我々2人は,そこで1泊して翌日山頂をめざそうとしたのです。この小屋は不意の事故のために作られたので,ストーブなどの施設はありませんでした。それ以前にも冬に泊まったことがあり,小屋にいても厚着をしなければ寒くて大変だったので,その時は小屋の中にテントを設営しました。2~3人用のテントなら何とか建てることのできるスペースがあったのです。テントの中で小さな携帯用コンロに火をつけたらそれなりに暖かいのです。そんなわけで,その日はそのままテントの中で眠ることにしました。例によってあまり眠ることができなかった私は,ウトウトしながらシュラフの中に入っていました。日が変わって寒さが身にしみてきた頃,突然 ”ガタン,ギー”という物音を聞いたのです。それは明らかにドアが開く音でした。私はてっきり「登ってきた人がいるんだな」と思っていました。車を駐める望岳台からなら1時間ほどで小屋に来ることができるのです。そんな感じでいるうちに起床時刻になりました。起きてテントから出て見ると誰もいません。「確かに誰か来たようなドアの音がしたんだけど,夢だったのかな?」大して気にすることもなく,朝食を摂って山登りにかかりました。その後,厳冬期の十勝岳登山にも成功し,下山したときのことでした。後輩がふとこう言ったのです。「昨日の夜中,誰か小屋に来てましたよね」何と,後輩もあの物音を聞いていたのです。考えてみれば,真夜中に人が登って来るというのもおかしな話です。十勝岳は過去にたくさんの人が遭難死しています。もしかしたら,そんな人たちが小屋にたどり着いたのかもしれません。この時泊まった古い小屋はもう今はありません。でも,同じ場所には新しい避難小屋が建っています。今の小屋には,泊まったことはないけれど,昔の遭難者でもたどり着くことができるのでしょうかね?
2017.08.21
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これは,私が過去に体験した不思議なお話です。今から30年以上前,私が大学に入学した年のこと。高校時代から山登りをしていた私はワンダーフォーゲル部に入りました。そして,5月の連休の頃だと思うのですが,天人峡温泉からトムラウシ山を目指したのです。確か,先輩方と3人くらいでの山行でした。5月の北海道の山はまだ雪がたくさん残っていて,スキーでの登山です。1泊目は,稜線上でテントを設営して泊まりました。2日目は,天候もまずまずで順調に高度を稼ぎ,ヒサゴ沼の避難小屋に入ることができたのです。小屋にはだれもいませんでした。その日の夜のことです。夕飯も終え,まったりとしていたわたしたちは,外に出て冷たい風に当たっていました。すると,先輩が「あれっ,あそこにだれかいるよ」と,沼の末端の方を指したのです。見ると,確かに明るい白っぽい光がゆらゆらと揺れて動いています。1つではなく5つくらいの小さな光です。誰かが暗い中を登ってきているのでしょうか?「お~い!」と声をかけましたが,光は近いのか遠いのかがよく分からなく,反応はありません。しばらく待っていたら,小屋に着くんじゃないかということで,我々は小屋に戻りました。それからいくら待っても誰も来ませんでした。途中でビバークしたのでしょうか?それとも,人ではなかったのでしょうか?後でよ~く考えてみました。すると,その時には気付かなかった不思議なことが色々思い出されたのです。まず,白っぽい光というのがおかしいのです。当時のヘッドランプは豆電球が光源です。豆電球は白い光ではなくややクリーム色がかっています。決して白く見えることはありません。また,ヒサゴ沼の末端方向(東側)は夏道はありません。百歩譲って雪の上を歩いてきたとしても,そちらから登れる林道は雪の中。相当な距離を歩いてこなければなりません。まして,真っ暗な夜の登山です。普通はそんなことをする人はいません。こう整理してみると,どう考えてもあの光は人間だったとは思えないのです。トムラウシ周辺は,あの有名なツアー遭難にもあるように,過去にもたくさんの人が亡くなっています。もしかしたら,冬が終わって人恋しくなった何かが会いに来たのかな?なんて,いろいろ考えてしまうのです。翌日は,天候が荒れてトムラウシ行きはあきらめ下山しました。天人峡への最後の下りで,私はつんのめって転倒し,頭から斜面に突っ込んで動けなくなりました。怪我はなかったのですが,もうちょっとで到着という所で危ない目に遭ったのを覚えています。
2017.08.20
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先月の末にお腹の痛みで病院へ行ったのですが,薬がなくなってもまだ痛みが続くのでもう一度行ってきました。薬を飲んでいると,ある程度楽になったのです。でも,切れるとやっぱり前と同じ症状です。胃が痛くなったり,お腹が痛くなったり,さらに唾液もなんだかいつもと違う味がします。体全体も重い感じ。おそらく,このままでは好転しそうもないので,また病院に行ってきました。今度は,少し違う方法になるのかと思いましたが,同じ薬をもらって終わりでした。食欲もあるし,体重も落ちていないのでそれほど重症ではないのかもしれませんが,何かこれまでとは違う症状なんですよね。こんな感じがかれこれ1年以上は続いているような気がします。一体何なのでしょう?
2017.08.17
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島牧の道の駅でキャンプをして,明るくなる頃に起床。朝食を摂ってすぐに出発しました。のんびりしてると,周りの迷惑になりますからね。さて,登山口は,すぐ近くの賀老の滝の標識にしたがって左折します。ここから舗装された道をかなり山の中へ入っていきます。どう考えても,クマと出会えそうな感じがしたのですが,クマはいませんでした。キャンプ場を通過しますが,だれもいません。当初ここまで前日に入ろうと思っていたのですが,暗がりでこんな所でキャンプはできませんでしたね。そして,登山口にもだれもいませんでした。天気も良くないので仕方ありませんが,せっかくの山の日なのにね…。さあ,だれもいなくて心細いですが,出発します。歩き出すと,思った以上に草がかぶっていて,前日の雨で濡れているので,ズボンまで濡れ出します。おまけに,霧雨も降ってきたので急遽雨具を着用しました。夏の雨具ほど嫌なものはありませんね。濡れなくても汗で内部から濡れてしまいます。おまけに,加齢臭の嫌な臭いもこもります。そんなやる気の出ない登山で癒やしてくれるのは周りの環境でしょう。合目表示は,時間の目安になります。でも,何だか間隔が一定ではないような気がします。8~9合目はすぐなのに,9~山頂までがやけに長いです。サンカヨウの実。食べてみたい色をしています。登ってくるとこんな景色です。あまり,期待はできませんね。ブドウマイマイ。初めて見て感激しましたが,その後いたるところで見かけました。他ではあまり見ないカタツムリです。やがて,樹林帯からハイマツ帯になって,視界が開けてきます。でも,辺り一面ガスっていて,何にも見ることはできません。そうこうしているうちに,下のお花畑に着きました。エゾカンゾウが見事な群落を作っています。もう少し早い時期には別の花が咲いているのかな?ここから,どんどん登っていきますが,暗い寂しい登りが続きます。ようやく,真駒内コースとの合流点に着きました。でも,標識はこれだけ。これじゃ,真駒内コースとの分岐か気付かない人もいるかもしれませんね。現在位置がはっきりしたところですが,スマホのGPSと場所が合わないような気がしました。どちらかが間違っているのでしょうか。稜線に出たところが南狩場です。もうすぐ山頂かな?と,初めての私は気が焦りましたが,意外とここからが長いです。一度,下がって上のお花畑を歩くことになります。そして,ガイドブックにも描いてある親沼を過ぎ,小沼を過ぎて軽く登るとようやく山頂着です。だれにも会わず,だれもいなく…。寂しい山頂でしたが,独り占めできてちょっとうれしいかな? 道南の山,初登頂です。でも,今日中に旭川まで帰りたいので,ゆっくりもしていられません。下山開始です。下山中にやっと数パーティーに会いました。人に会えると,ホッとします。こうして,無事狩場山の登頂は成功しました。帰りには,有名な賀老の滝に寄ってきました。でも,見える場所は2箇所あるんですね。私は第2展望台から見て見ましたが,キャンプ場から入った方が,はっきり見えるのかもしれません。帰る途中,ちはせ川温泉というひなびた温泉に入ってきました。こちらも独り占め。素朴でとっても気持ちの良い温泉でした。思ったよりもぬるくて,この時期に入るにはぴったりです。この後,旭川までドライブしましたが,お盆の時期と重なってかなり道路は混んでいました。
2017.08.15
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今日は,北海道へ帰る日です。当初訪れる予定だったところは,全て機能農地に行ってしまっていたので,予定になかった駅周辺の観光スポットへ徒歩で移動します。まずはここ,森林博物館です。この場所は,映画「八甲田山」の冒頭のロケを行ったところです。手前の柱のひび割れが,映画にもしっかりとありましたよ。中は,別に八甲田山の資料館ではありません。青森の森林に関する資料がたくさんあります。そんなに興味あるわけではありませんでしたが,スキーの部屋に「秀岳荘」の昔の山スキーや私が使っていた竹ストックがあったりして感激しました。また,青森が森林鉄道発祥の地だということで,ルートやレールの違いなどが大変おもしろかったです。でも,何といってもここでの映画のロケ風景が写真で飾られているのが感動的でした。もう亡くなった方がたくさんいます。そして,会議のロケが行われた特別室。映画ではこうです。2時間近く見学したでしょうか。色々感激してしまって帰るのが惜しいほどでした。今度は,駅に戻って反対側へ行きます。今度は,青函連絡船の八甲田丸です。これは,別に名前が良かったから来たわけではありませんよ。この船は,おそらく中学校か高校の修学旅行で乗ったことがあるのです。これは,列車の引き込み線から見た八甲田丸です。この可動橋,朽ち果てていますが当時の面影は感じられます。中に入ると,始めは,連絡線とは関係のない昔の青森の様子を実物大で模型化した世界です。人形がずっと同じ事を言っていてうるさいんですが,これはこれで当時の雰囲気がでていて良いかもしれません。そして青函連絡船に関する様々な資料を見ることができます。中でも感動したのは,現役の頃は絶対に見ることができなかった場所ですね。ブリッジ車両格納室。エンジンルームなどです。また,ここは昔来た記憶があります。立った途端,とてもウキウキした気持ちになりました。おそらく修学旅行で青森に行く途中だったと思います。この施設,昔の人には懐かしくてうれしくなってしまいますね。しかし,楽しい時間はあっという間に過ぎて,いよいよ北海道へ帰る時刻になりました。早めに新青森駅まで移動すると,こんな新幹線が停まっていました。H5系です。昨年デビューしたJR北海道の新幹線です。今回の旅行で乗る列車は全てE5系で,見ることはできないと思っていたのですが,偶然目にすることができて良かったです。この後,夕方の新幹線で新函館北斗に戻ったのですが,そこからすぐに旭川には帰りませんでした。島牧まで移動して,山に登るのです。ところが,途中で暗くなってしまい,おまけにキャンプ場も見つからず,やむなく道の駅の草原にテントを立てたのでした。次の日は,山の日。でも,お天気が良くなさそうです。一体どうなることやら。
2017.08.14
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気がつくと,朝になっていました。ホテルのベッドの上で寝てました。昨日,居酒屋で支払いをした後の記憶が全くありません。よくもまあ,知らない町を歩いてホテルまで帰ってきたもんだと感心しましたよ。具合は最悪。腹の痛みに加えて吐き気もします。肝心の2日目なのに,そんな日に限って調子が悪いなんて,自分の浅はかさに嫌気がさします。でも,出発しなければなりません。駅前のレンタカーで車を借りて出発です。まずは,せっちゅこうぐんの足取りを辿る道。台風5号から変わった温帯低気圧の影響で,突風と雨で天気も最悪。そんな中,まずは雪中行軍遭難資料館を訪れます。幸畑にある資料館です。すぐには入らないで,裏の遭難者をまつったお墓へ行きます。お墓と言っても,本当にお骨が入っているわけではありません。お骨は,近親者がゆかりのお墓に入れています。ここは慰霊の場所なのでしょう。写真では何度も見た事がありましたが,将校が中央の前の方に祀られていて,兵卒が横の方に祀られているのを初めて知りました。写真を撮った真ん中は,草地の広場になっています。そして,資料館の中へ入っていきます。入口には,銅像になった後藤伍長のレプリカがあります。この後,本物に会いに行く予定です。偶然,31聯隊の雪中行軍隊を案内した子孫の方が見えられていました。なんだか感動しましたよ。早速中の展示品を見ます。まずは,映像で雪中行軍隊の遭難のあらましを学習します。まあ,ほとんどのことは知っています。その後,当時の社会情勢や行軍に出掛けたいきさつ,遭難の様子などの展示品を見ていきます。当時の者が実際に見ることができるのは,やはり感動します。東日本大震災の際に再発見されて資料の紹介などもありました。遭難した兵士の写真もありましたが,「吹雪の惨劇」の本で見たことのある写真を何枚も発見して,驚きました。思っていたよりも見学者が多くて,じっくり見ることはできなかったのですが,一番来たかったところなので,感慨もひとしおです。しかし,ゆっくりもしてはいられません。この後は,遭難現場へ行くのです。まずは,田茂木野村の地へ。田茂木の村へ入って右に曲がり,しばらく進むとこんな場所があります。ただこれだけの表示なのですが,ここで遭難者を直火で解かして新しい軍服を着せたのでしょう。映画では高倉健と栗原小巻が出会った場所です。さらに八甲田方面を進みます。狭い山道ですし,小雨模様なのでゆっくり進みます。途中,小峠や大峠という映画にも出てくる地名があって,いよいよ八甲田山中にないっていくことを実感します。有名な映画のポスターになったロケ地も通過しますよ。ゆっくり走って探したのは,この場所です。後藤伍長が発見されて遭難が明らかになったところです。写真をぱっと撮って,すぐに出ます。大滝平や賽の河原,第三露営地などいろいろ落としてはいけない場所もありますが,ゆっくりしていると車の通行の邪魔になるので,通過します。坂をどんどん上がっていくと,程なく馬立場の銅像茶屋に到着。しかし,お天気のせいなのか開いていません!そのまま通過して,第2露営地へ。この場所で,神成大尉が「天は我々を見放したらしい!」と叫んだのです。さらに進んで,第1露営地を探しますが,見つかりません。第2露営地からそれほど離れてはいないはずなのに,看板がありません。もうちょっと行っても良かったかもしれませんが,あきらめて銅像茶屋に戻ります。銅像茶屋がやっていないので駐車している車もなく,風と雨の中を後藤伍長の銅像まで歩きます。わずか250mですが,一応雨具を着て歩いて行きます。そこには,凛とロシアの方を向いた後藤伍長が立っていました。遭難直後に建てられたこの銅像,私にとってはぜひ一度見て見たいものでした。一つ残念なのは,銅像茶屋が閉まっていて鹿鳴庵という資料館の見学が出来なかった事。でも,こればかりはどうしようもありません。この後,予定ではロープウエイで八甲田山に登るはずだったのですが,この天候では動いていないようなので,青森市内に戻ります。午後の時間がぽっかり空いてしまいました。次善の策として,映画八甲田山の冒頭のロケ地となった森林博物館へ行きました。でも,そこの駐車場で考えました。博物館は明日ホテルからも歩いて行ける距離です。それよりも明日行く予定だった三内丸山遺跡は,車のある今行った方が良いのではないか。というわけで,遺跡へ向かいます。この遺跡は,小学校の教科書にも載っているくらい有名な場所です。縄文時代の集落のあとが球場造成の際にたくさん出てきて,保存が決まったのです。それが何と無料で見られるというのですからびっくりです。広い敷地の中に当時の生活を表した建物がありますが,これらはもちろん想像上のものです。有名なこの建造物も想像上ですが,6つの穴のあとが他のあとよりも大きいので何か象徴的なものだったのだろうと言われています。しかし,諸説あって何に使われていたのかははっきりしません。人とくらべるとおそらく大きな建造物があったことは間違いないですね。この他にも,お墓や出土されたものの展示などもあって見ごたえたっぷりでしたよ。これで,2日目の行動は終わりです。夜はさすがに飲みに出ることは控えました。部屋ではちょっと飲みましたけれど。それにしても充実した2日目でした。
2017.08.13
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青森までの出だしは,車で新函館北斗駅まで向かうことです。調べると7時間くらいかかるということなので,7時半に出発しました。高速で行けばもっと速いのでしょうが,それほど急ぐこともないので一般道で向かいます。昼食も運転しながら。途中で駐車場の空きを調べたら「満車」の表示が!そんなわけで途中で車を乗り捨てて,列車で向かうことも考えましたが,臨時駐車場もあるということなので,とりあえず行ってみます。駅に着いたのは,出発時刻の1時間以上前の3時でした。駐車場は,幸いなことに空いていました。ここから新幹線で,青森まで行きます。久しぶりの新幹線ですが,思ったよりも速くはありません。木古内までちょっとスピードを上げたかと思えばすぐに停車するし,青函トンネル内は140キロ走行だし今一つ新幹線らしくありません。それでも,1時間ほどで新青森まで行けるのはすばらしいですね。青森駅前の東横ホテルにチェックインしました。夜はフラッと居酒屋へ行きました。考えていたはじめの居酒屋は満席だったのですが,すぐに次の候補の店を見つけて入りました。大将がとっても気さくな人で,そのおかげで大阪の人や地元の人と楽しくお話ししながら飲むことができました。聞くとあの吉田類も訪れたことのある店なんだとか。調子に乗って飲んじゃって,支払いまでは覚えているのですが,それ以降は記憶がありません。気付いたらホテルのベッドで寝ていました。よくもまあ,知らない町で無事に歩いて帰ってきたものだと思います。初日は,とても思い出深い夜になりました。
2017.08.12
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今年の5月くらいから計画していたひとり旅。私が小学生の頃から憧れていた青森の八甲田山。あの有名な事件の地を実際に見て,色々と雰囲気を味わいたいと思っていました。6月にはホテル・レンタカー,7月には新幹線の予約も完了し,あとは行くだけになっていました。ところが,ところがです。そんな思い入れのあったりょこうが大ピンチなのです。台風5号が着実に青森に向かって進んでいます。しかも,一番近づくであろう9日が私の八甲田山探訪の日。まさにぴったり重なっています。本当に死の彷徨になるかもしれない,なんて思いもしているのですが。でも,実際には道路が封鎖されたり,交通機関が止まったりする可能性もありますよね。行けない可能性があるのなら,キャンセルという手もあるのでしょうが。でも,40年憧れた地なんですよね。さらに,来年は予定があって行けそうにはありません。明後日出発予定なのですが,明日には決めなくてはなりません。今年一番楽しみにしていて,小遣い貯めたのにな~行けても,現場に行けなかったら意味ないしな~でも,とりあえず行ってみたいしな~ずっと,迷い続けています。
2017.08.07
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羊蹄山のブログでもちょっと書きましたが,昨年の夏以来度重なる腹痛に悩まされています。実は,昨年ある行事でもらった肉,私が勘違いして冷蔵庫で保存していたんです。それを庭先で焼肉をした際に食べてみたら腐っていて…。パッケージを見たら「要冷凍」と書いてありました。それ以来,度々お腹が痛くなりトイレに駆け込むことになります。でも,不思議と下痢ではないんです。ゴロゴロなるわりには,ただおならが出るだけで…。そんな状態が1年ほど良くなったり悪くなったりして,ずっと続いていました。お腹が痛いだけでなく,唾液が酸っぱく感じたり体が重かったり,なんとなく不調だったのです。そして,先日の羊蹄山,下山は本当につらかった。そして,このままでは来週の旅行もつらいものになる,そう考えて意を決して病院へ行きました。これまでの経緯を話して,触診してもらいました。体重や食欲は問題ないので,大きな病気ではないかもしれない。でも,カメラなどで検査することもできるけどどうする?みたいなことを言われて,とりあえず薬を飲んで様子を見ることにしました。薬は胃と腸の薬2種類です。飲んで3日ほど経ちますが,さすが薬です。腹痛がなくなり,便通も快調です。なぜもっと早くに病院へ行かなかったのだ? と,後悔するくらいです。ただ,唾液の味となんとなくお腹のゴロゴロ感は感じます。はたして,2週間薬を飲み続けるうちに良くなってくるのでしょうか?う~ん,なんとなく対処療法だけのような気もするんだけど。と,少し不安な夏休みに入るのでした。
2017.08.04
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