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今年もこのような拙い日記をお読み下さりありがとうございました。父の認知症により思いかけず店を閉め自宅に帰って老親子3人の生活になりましたが、ネットのお陰で世間様からの置いてけぼり感は随分と緩和されております。ボケてしまった親、耳が遠くなり足腰の弱った親と暮らすというのは時には腹立たしいこともありますが、考えようによっては揮発性情報を持った新しいおもちゃかなとでも思ってなるべく深々と考えずに過ごそうと思っています。無職になったのも社会の役立たずになったと考え込めば落ち込んでしまうので、人様より少し早くお休みを貰ったと思うようになりました。もっと時間を持て余すかと予想していましたがこれが案外あれやこれやで一日一週間一ヶ月が過ぎ去っていきます。来年は生活のペースを掴み、半分手付かずのままの隣室を何とか片付け終わり新しい自分の城と終の棲家を過ごしやすくしようと思っております。来年もどうぞよろしくお願い致します。皆様お身体お大切にお過ごしくださいませ。
2010.12.31
NTTが「光」利用料値下げへ 従量制導入など検討関連URLNTT、ネットの潜在需要開拓 光回線値下げついこの前、私はADSLからフレッツ光ネクストに移行した。2001年4月にネット利用を開始したが7月にADSLが来るのは知っていたのでそれまでの間はダイヤルアップ+無料ISPで凌ぎ、7月開通と同時にADSLと今のISPを契約した。アパート住まいだったので光導入には大家さんを説得しなきゃならないのだが、それ自体は目の前をファイバーが走っていたのと換気口もその側にあったから比較的容易だが使用していてADSLで困っておらず、固定電話もあったので光移行をずっとペンディングにしていた。ADSL契約は1.5M→8M→24Mで基地局から1.5キロほどだったので本当に困っていなかった。で。11月初めからここに急遽戻ることになり、工事を引越し前の10月末に入れるに当たって1階の固定電話はボケ爺が独占している状態なのとやはり2階にも電話は必要だと判断し、IP電話でも構わないので色々調べてみるとこの地域では選択できるのはほぼ光ネクストのみになっている。料金もこれまでは固定電話の基本料金だけで1750円払っていた分と相殺すれば1000円差が出るか出ないかというところになっていた。敷地と建物の関係で工事が二度手間になり、ネット接続が数日途切れるかと危ぶんだがそれもクリアできた。ここまで長々と語ったのはつまり今の料金でも電話とネットを使っていて特に高いとは思っておらず、これはおそらく私がADSL時代が長くその料金(基本料金通話料金ADSL使用料それとISP入れて7000円弱)に慣れているせいもあるのかなあと。所謂回線そのものを酷使というかボリュームでフルに使っていたというよりも時間を長く使う方のヘビーユーザーだと自分で思っているのだが、こういう使い方の場合速度の恩恵はせいぜい8M(当時実際の速度で6M程度)程度あればそれなりで納得できていた。ここに来てすぐ光ネクストなのだが実際これまでより「おおっ早いっ」と実感できることは少ない。フレッツTVでも入れれば別の恩恵も実感できるのかもしれないが。なのでそんなに料金を下げるのは急務だとは思わないのだが、まあこれも例の「光の道」とやらへの対抗手段なのやもしれない。ただ気にかかるのは従量制で、さっき書いたように回線満タンで使うことはないが、ルータとマシン双方ほぼ電源入れっぱなしWin7をメインに使うようになってからはサスペンドを多用し、滅多に電源を落とさないのでこれはどうなるのかなと。ライトユーザーの新規開拓を促進するのなら私もその恩恵を蒙ったように工事料金の低減や賃貸住宅の大家さんへの営業の方がよほど効き目があるように感じるけれどね。新しいところは当然付いているがそうでなくとも賃貸住宅を借りてそこにすでに回線が来ているというのはウエイトが大きいと思うよ。25%下がれば固定電話+ADSLのユーザーはこぞって光に移行するだろう。もしこの値下げのニュースを賃貸のまま聞いたら何としてでも大家さん説得しようかなと思うもの。この辺りはADSLが実質的にはほぼ使えない地域なのでどの家も光を引いているが、これをもう一回線引かせるとしたらその固定料金で光TVを進める方がまだいいのかな。前に書いたように雪が多いのでアンテナ経由でTVを見るよりは幾ばくか外の環境に左右されないと思えるから。
2010.12.30
母も私も長い間年末年始は商売で、碌な正月支度をしてこなかった。精々気が向いたらうま煮や茶碗蒸し作ったり、それぞれがてんでにいつもよりちょっと贅沢なものをたべるくらいのものでしてな。仕入れ仕込みやその調整に追われている上に休みがすっ飛んで疲れ果てていた記憶しかない。だが今年はめでたく無職になり、ボケちゃった父もむやみに張り切っているのでそれなりにそれらしい事をやらねばならない。まず先週から大掃除を始め、明日はその仕上げなのだがボケ爺は靴のまま家の中を歩きまわるのである意味どうしようもないけrど。問題は買出しというか食材準備。お決まりのものは勿論用意し始めていて、昨夜から塩数の子と干し椎茸を戻し始めた。黒豆きんとん田作りは私が作ると言ったのだが黒豆だけでいいので買うということになった。大問題は餅でして。何を思ったのか最初に1キロ入りを2つ買い、これで終わったかと思ったら昨日の買出しでまた2キロ。爺婆3人で一体どうするつもりかと。確かに私と父は35年ほど前、雑煮の餅をそれぞれ8個ずつ食べていたが今は到底無理。特に安いわけでもないし今慌てて買わずともいつでも買える時代なんだけどね。担いだカバンの紐の痕が痣に残るほど重量級の買出しを2回終えて後は刺身など生ものを残すだけになった。さてはてどんな正月になることやら。
2010.12.29
言い訳がましいのだが。私には子どもがなく、またここ実家周辺はともかく児童生徒と身近に接する機会は殆どなかった。教育と聞いて思い出すのは北教組のことばかりで、それもすでに30年以上経っている。さて。昨夜小野寺道議会議員の勉強会に出席した。いつもはアイヌ問題、教育問題、そして森林売買問題などが語られ、道議の調査の進捗などを伺ったり、また新たな出席者を得て違った視点目線での質疑やディスカッションが行われる。今回、そこに「ろう児の教育現場の実態」という新しいテーマが加わった。全く知らなかった世界を垣間見た。これをお読みになっている方は「ろう児の教育」と聞いて何を思い浮かべられるだろう。私は「手話」だった。実は店をやっている時にろう者のお客がおいでになったことがある。申し訳ないことながら発音が聞き取れず筆談での注文をしていただいたのだが、このろう者独特の発音を「口話」といい、またこの口話を教える方法を「聴覚口話法」と言うらしい。らしいというのは昨夜戴いた資料を一度だけ読んだ後、見ながらこれを打っているからで付け焼刃も甚だしい状況だからですね。そして恐るべき実態は何かというとほんの少し前、2006年までは北海道では一切学校では手話を教えなかった…というより事実上禁止されていた。教えなかった方の理屈としては手話を覚えると聴覚口話法をやらなくなる為と、もう一つ教師がろう者でない為に手話のできる者が殆どいなかった。私の憶測を加えると聴覚口話法は非常に根気のいる授業になるので一つだけ教えるのに精一杯というのもあるのではないのかと。だがおかしい事にあなたも気づきましたね。そうです。ろう者というのは耳が聴こえない。耳が聴こえない子供に音のみの教育を施す、そしてそれだけというのは根本的に矛盾してねえかとね。手話だけで完璧とは言いませんよ、ですが子供というのは恐るべき存在であらん限りの詰め込みをやってもある程度吸収できる。だから聴覚口話法と手話を両方取得してもらっても構わないわけですよね。というかろう者なんだから無理矢理耳を使わせ、また唇の動きを読ませるような事をするよりも手話のほうが早いんじゃあないのかと。もう一つ。ここは日本で当然ながら日本語を日常使う。日本語というのは表意文字で表意表現が非常に多い。つまり音だけ判っても分別のつかない単語、文章だらけなんですわ。更に言うなら細かな抑揚や強弱でも意味が伝わることも多い。仮に人工内耳をつけたにせよこれらの「意味のある日本語」を習得するのは極めて難しい。手話であれば最も苦手とする音に頼らなくても会話が可能ですよね。単語じゃなく会話がです。会話が理解できれば文章も理解できます、単語の羅列じゃなしに。勉強会で聞いたろう学校の実態は酷いもので手話を知っている子供が使おうとすると手を縛られたり引っぱたかれたりしているのが日常だそうです。私は教師の体罰を100%否定しているわけではないけれど、表現の仕方まで制約し禁止しまたそれに関して体罰を加えるというのは違うと思う。今回のこの日記は主に教育面に関して感じた事を書いているけれど、実は問題はこれだけではない。短く言うなら困難な聴覚口話法を選択させることにより例えば人工内耳手術を促進させたりなどの利権も絡んでいる。ただ、私にとっては利権も腹立たしいがそれより急務なのはろう学校での手話教育の拡大と充実だと思うので主に教育について思うところを書いてみた。但し生まれてはじめて知るお話を伺ってから6時間しか経っていない状態で、戴いた資料もざっと読んだきりなので事実誤認や勘違いもあるとは思いつつ、しかしこれまで全く知らずにいた事を恥ずかしく感じてもいる。それでも粘り強い交渉により北海道では一部ながら手話研修も始まっている。健常者の都合による教育ではなくろう者にはろう者に合った教育があるんじゃあないかと戴いた資料を見返しつつ改めて考えてもいる。
2010.12.28
人は、いやおよそ脳みそや神経を持つものは目的を遂げるための手段を編み出す。餌を取りやすくする為、子孫を残す為という生物として最小限の必要を満たす目的のための手段を取る。手段だったものがいつの間にか身に備わる変化を遂げ、長い年月のうちに姿形まで変えることもある。いきなり大きく出ましたが。揺れるたちあがれ日本、「野合批判」を懸念ここでこの報道が出ていきなりたちあがれ日本だけが批判の矢面に立たされるのはいささか気の毒だとは思うけれど。国民新党や社民を思い出せばたちあがれ日本だけが野合と言われるのは不公平だろという意味でね。仮にこれで政権与党である民主党がある程度政策転換、それも根本的な転換を見据えそれを提示した上というのならまだ多少理解はできるのだが。生憎民主党はこれまでの所業で言ったこと約束したことを実行するかどうかの信用がまるでない。国会対策しかり政策しかりそして法案、予算執行全部前言を翻してばかりだ。連立与党同士でもそれを繰り返し、主張の是非はともかく社民はそれで連立を解消している。だから目的のための手段を選ばないというのは私も子供じゃないからある一定の理解はできるつもりだが、手段どころか目的自体がふらふらふわふわしているのが民主党なのだからその定まらない目的目がけて取る手段も酔っ払いのようになるのは当然といえるだろう。酔っ払いというよりはうちのボケちゃった爺のように一体何をするために動いたか、ここからすっぽりと抜けているから国民はたまったものではない。年末年始の政局に対する矢面をたちあがれ日本に向けようとし、またたちあがれ日本の中にも色気たっぷりの自己肥大人間がいる上に応援団にも戦前の思想思考そのまんまをまだ夢見ている死にぞこないがいるもんで話が複雑にみえるけれど、しかし肝心の本来であれば芯にならねばならない政権与党がボケ爺と同じレベルなのだと。
2010.12.27
また友人が誘ってくれて午後から3軒ほど行ってきた。私は例の如く一滴も呑まず、気のおけない同年代の女同士ひたすらおしゃべり。最後の店がヒットだった。よくあるショットバーなのだがカウンターにヒュミドールが置いてある。中の葉巻が見えるようにガラス窓がついていてひょいとみると本物の葉巻ばかり。聞いたら全部キューバものだと。キューバの葉巻は好きだが、太さ大きさが私の手にはそぐわず人前で燻らすのは躊躇われたのでそれきりおしゃべりに没頭していたけれど。連れの酔いが回ったせいか「葉巻を燻らすのを見てみたい」という意味不明なせがまれ方をしてしまった。どれにしますかと聞かれて思わず「パルタガスください」と言ったのだが、なにせ十数年ぶりなんでカッター渡されたらどうしよう、フラットでいいかとか火つけられるかなと内心困ったが、親切な店で全部やってくれてパルタガスが手元に来た。懐かしい香りがまず鼻の中に立ち上り、そして本当は邪道なのだが煙を全部吐き出さず最後のちょっとだけを吸い込むといい香りがした。パルタガスを燻らしたのは25年ぶりくらいだ。今度あの店に行くことがあったら一人隅っこでまたパルタガスを燻らしたいものだ。
2010.12.26
家計は楽になりそうもない?11年度予算案お前らマスコミが「政権交代わぁわぁ」言ってた一年半前からこうなると言ってたじゃねえかよ、判ってる人間は。そしてこの記事は事実を述べているのだが、見出しの切り口自体がそもそも国家財政と家計をごっちゃにする悪弊を招いている。つまり家計は大抵の場合入るものが決まっていて、その中でどうやりくりするかという決まった器の中での話であるのに対して国家財政は稼ぎ増す事ができ、また循環によって加速し、循環も国民の気の持ちようで更に加速する。家計と違うのは器の大きさが先に決まっているわけではなく、その器の形と使い道をどうするかを政治家や官僚が定める事ができる点が決定的に違っている。だからこの記事は稼ぐ術を知らないバカが政権を握るとこうなるという典型でもあるのだが、こういう切り口で記事全体の信憑性をなくすというバカ記事でもある。私は現状を鑑みるに有効な財政出動は今絶対に必要だと思っているし、もう一つ昭和40年代に設計整備した国家インフラがすでに老朽化している点も見逃せない。これらを整備し、今後の国家インフラの基盤を作り直し次世代に渡すというのも我々の責務だろう。そしてこのインフラ整備により循環するであろう金、物、人の流れで少しでも若い世代の負担が減らせればいいなと。外国籍の人間に金を垂れ流すような政策ではなく、国内できちんと完結する循環をもう一度作り直さねば。
2010.12.25
愛知の陣 自民分裂 ――トリプル決戦そもそもこの知事選に出馬を決めた現職衆議院議員の出馬表明が遅かったのが混乱の原因でして。愛知で唯一の自民党議員なのだが、しかしそんなに出たければ自民党推薦候補選定の段階で何故内々にでも手を挙げなかったのかと。結局推薦者が決まり公表してから出馬表明したのでは筋は通らない。除名は厳しいなと私も思ったけれど、よりによって市長とタッグを組んでという話でおまけに出馬表明の段取りを見れば仕方がない。そして今度はこれだ。除名処分が審議中であろうと一旦決定公表されたのだからここは正式、最終的に処分が決まるまで表立った応援は控えるのも筋じゃないのかね。自分は処分されまい、何故なら有力者の息子で選挙も鉄板だと思い上がっているとしか受け取れないし受け取られない。本当に心から友人としての応援であったとしてもだ。自民のこうしたネガティブな話は民主の10倍以上悪意を持って報道されることくらいいい加減学習したろうに、まだやるかと。今が大事な転換期であり、また事実のみを挙げても現政権の落ち度、至らなさは無関心な層にも浸透してきているのに何故ここでネガティブなネタをわざわざ提供したがるかね。なんだろう、この空気の読めなさと我儘さは。
2010.12.24
ボケちゃった父が何を思ったか請求書(支払い用紙)を隠してたもんで、昨日慌てふためいて出かけた。ついでにPC用のDVDドライブも買わねばならないので街までね。予想通り街はどこもかしこも人が多くよそながらこういう雰囲気は心が浮き立つもので、用事自体はものの30分で終えたのだがあちらこちら見て歩いた。休みの前の日、クリスマス直前の街を時間を気にせず歩くのは数年ぶりで、それだけでも充分な気がした。ひとしきり歩き終えて流石にくたびれ、お茶を飲んだのだがそこもにぎやかで窓の外の人々も嬉しげであった。神経の洗濯をしましたな。それぞれの憂きこと抱く師走かな byれですも
2010.12.23
石川議員の「民主選挙対策本部長」に批判この記事は北海道の「十勝毎日新聞」のもので、つまり見出しの「石川議員」というのは現在無所属なはずの元小沢の秘書「石川議員」の事なのね。逮捕されたので一応離党したことになっているのだが、地元の方の情報によると民主党所属の道議会議員と2ショットだか3ショットのポスターも貼ってあるということで、離党はまやかし、ごまかしであるのは間違いない。事実上はそうでも普通は表立つのを遠慮するもので、ポスターだけでも厚顔無恥な振る舞いなのに更に選挙対策本部長とは一体何だ。十勝地方の皆様、北海道11区の有権者の皆様がこれ見て少しは何かお考えになってくださればいいが。こんな傍若無人なやり方を許してはいけない。なんなんだこれは。
2010.12.22
ここをお読みになっている方なら北海道ならではの灯油、暖房、給油事情はおわかりになっていただけていると思うのだが。ボケてしまった父親とボケてはいないが物忘れが酷くなり耳が遠くなった母と暮らすようになって2ヶ月近く経った。ここは一戸建てで一階部分*には灯油タンクが設置してある。490L入りのもので、本州、それも西日本の方は「えっ」と思われるかもしれないけれど、うちはセントラルヒーティングではないので一戸建てとすればごくごく標準の大きさ。*通常は地下と呼んでいる。道路からは真っ直ぐなので一階だが車庫入口以外の土地全部嵩上げしてあるので二階の高さを一階、三階の高さを二階と呼んでいる。灯油配管はこの二階(実質三階)まで来ていて普通の配管だけでは給油は無理だから「リフター」というものを使っている。3人同居で居間に大きなストーブが一台、父の部屋に一台、そして2階のこの部屋に一台分それぞれ配管が来ている。おまけにうちの家の屋根は北海道によくある無落雪という形状で、屋根が平らで天井裏の温かみを活かしてダクトから雪が順番に融けるという方式なのである程度暖房しておくことが前提になっている。なので2階の私は部屋自体はすぐ暖まるのだが暖まったら責任をもって隣の部屋、そして2階のちびっと廊下とトイレを開けておかねばならない。要するにどこもかしこもストーブを焚く前提の家だということだす。ついでにいうと父の部屋の屋根も独立しているのでここも迂闊に閉めきっておけない。三台のストーブをそれなりにでも焚いたまま同然にしておくと大体月に400Lほど灯油を消費する。だがこうしなければ屋根に負担がかかり、実は長年父が独居していた際には火気が殆どなかったので家が微妙に歪んできている。このままではまずいので協議の末「焚こう」と決めた。家の構造ごと直すより安い上にどうやっても暖房前提の作りなのでやむを得ない。だが一階は大きなストーブなのにそれなりに広いから中々暖かくならない。もう一ヶ月ほど焚きっぱなしなのだがボケ爺さんがドアを開けっ放しにするしね。ここ二階は部屋も狭いので小さなストーブでも簡単に暖かくなるのだが。なので冷え込む日は母をこの部屋に呼び、温まってもらっているけれど。民主党政権の外交のお陰で円高の恩恵どころか灯油がものすごい値段になりつつあり、このままでは下がる気配はなくおそらくもっと上がるだろう。うちも楽ではないがなんとかやっているからまだいいが、当地のように暖房がないと死ぬ(比喩ではない)地域で値段が為に灯油を使えずに困っている方々も多かろう。せめて厳寒期だけでも低所得者世帯に現物で灯油を配ってはもらえまいかと。昨日灯油配送を頼んだら400Lちょい、これで3万超えるんだよなあ。
2010.12.21
北京五輪が終わった辺りに書いた記憶があるのだが。青海鉄道開通、そして北京五輪の頃にあれほど多かった支那からの生中継がまるでなくなった。映像は一応報道されるのだが全て編集(当局チェック済み)、酷いときはニュースの焦点と映像が微妙に食い違っていたりする。元々日中報道協定とやらもあるけれど、それにしても生中継が一つもないというのは支那が自ら言うような「まともな大国」とはとても言いがたい。尖閣を巡る無茶振り、海賊野放しは日本ばかりか韓国にまで及んでいるし、それらはこれまでもあったのだがニュースに載るほどのあからさまで攻撃的な姿勢は少なくとも東シナ海近辺ではしなかったはずだ。東南アジアでは跋扈しているんだがね。支那はそういう国と人民が構成している国なのはとっくに分かっているにせよ、昔はもう少し利口でなにか引き起こすにしても時間をあけて人々が忘れる間合いを測っていたんだけどねえ。春節近くなったらまーたガス抜きをしようと何かやらかすだろうけれど。
2010.12.20
鳩山前首相、これが引退宣言撤回の発言だ私の記憶が間違っていなければ鳩山の引退宣言は党代表と首相を辞める際の発言なはずで、いくらこれで辞めますといってもだ、一応日本国首相が公の場で発言したことをさしたる理由もなく撤回すること自体が自分の傷つけた日本の信用信頼をさらに毀損し続けているのだと気づかないかね。気づくくらいの頭と感性がありゃそもそも嘘だらけのマニフェストなんざ大声で訴えないだろうけどな。んで、あたしゃこの記事が夕方載ってから鳩山の発言を10回は読み直している。あの苛々する口調を頭に思い浮かべないように読み続けたが、しかし意味がわからなかった。普天間の問題は鳩山の迂闊な発言が発端だし、勢いで言ってしまったのなら即座に撤回訂正するという手もあったのにそのまんま押し切り、日米同盟の足元を揺らがせることによって国際通商路の安全を脅かし日本の領土問題に隙を与え、そして沖縄の方々を混乱させた。これだけでも充分政治家辞めていい、二度と人前に顔晒すなというレベルなんだがこの脳みそハトポッポちゃんは自分が招いた事だと理解することすらできない。大体において普通働いたことがある者は事象がぽこりと独立して起こることは少なく、一つ何か引き起こせば連鎖を招くくらいの事は判る。これはぽっぽだけじゃなく民主党の連中に共通しているのだが、例えば飲食店バイトでも現場で自分の扱っている物の数が少なくなれば先輩に言うなり上司に伝えるなり伝票起こすなりの「次」を考えるもので。ジョッキが切れ、ビールが出なくなってそこに突っ立ったままというのは普通いないものだ。だけど民主の連中はそういう物事のつながり、そして仕事の連鎖、事象の関連ということを理解できないまま人前で大きな面をしている不思議な動物だ。てめえの進退、そして日本国の安全保障に関して平気で勢いだけでトンデモ発言した挙句謝罪も訂正もないまま臆面もなく言い訳と詭弁に終始できるようなこんなものを二度と国政に送ってはいけないのよ。
2010.12.19
介護無職になって1ヵ月半、ボケちゃった親父はともかく私と母の主な役割分担がほぼ固まってきつつある。といっても実は母が引越し直後から腰を痛めーそれも私一人では運搬が無理な食器棚を地下に置きたいと言うのを兄弟が来るまで待てというのに毎日ぐつぐつ言った挙句一緒に持って自爆ー痛めなくてもそうだが力仕事大工仕事は私なのは間違いない。当然力仕事には雪かきも含まれていて、ここは札幌市郊外の住宅地だが雪の量が中心部に比べて非常に多い。雪かきはよほど一気に降り積もったりさぼったりしなければこまめにやれば大丈夫で、小学生の頃からやっていたから問題はない。大工仕事は引っ越した直後に集中したがちびなので背伸びしながらがつらかった以外は大した事ではなかった。日常といえば食事だが。親父は何せボケちゃっているので昼間と夜の区別はついているものの、生活時間がランダムである程度の幅以上に食事時間が定まらない。なので朝食は各自適当、昼食もそうで夕食だけは母と私が支度をするのだが、これがまたボケ老人相手だと調理の仕方一つで大騒ぎされたり何故か冷蔵庫の中身が消える。先日親父が糠にしんを「これを夕飯に」と持ってきた。触ってみると焼かずに食べた方がいい塩加減と漬かり具合だったが、これまで一度も親父は糠にしんを生で食べた事はない。焼くか焼かないか聞いたのだがこれが大失敗。「焼いてくれ」というので焼いて運んだら「何故焼いた」と大激怒。仕方がないので別のものを生で切って出しても一度怒ってしまったら歯止めが利かず切り方がどうの骨がなんとか日本料理はそういうものじゃないと大威張りで言いたい放題。こんなもんに日本料理のへちまもあるかとは思ったが切り方に関しては前にも肉でごちゃごちゃぶつぶつ言っていた。歳なので丸呑みできる程度に小さく切って出すんだが、小さくの程度が5mm四方を指しているらしく流石にそこまで気がつかなかったのでまた大激怒。一度機嫌が悪くなると電気から水道からどんどん飛び火するんだが暴力を振るおうとしない限りそれなりで宥めている*ものの、威張りたいサイクルがあるらしく今朝も意味なく歩き回っている。*暴力が癖になられると非常に困るのでこれだけは拳固を握った時点で動けなくしているだが一番困っているのは家の中を靴を履いて歩き回る事で、冷えるのかと思い靴下やスリッパを色々試したがどうも外から帰ってきてそのままになっていたのがもう抜けきれないらしい。物を隠すというのもあり、なんというかボケる前の性格が更に増幅されてきてしまっていて、元々人のものを隠したり困らせたりするのが楽しくて仕方がないところがあったんだが、食べるものならともかく母の手帳や請求書まで隠すというのは困っている。2階のここまでは入って来てはいるがまだ荒らしていないけれど、症状が亢進するようになったら鍵をかけねばならない。この部屋は下とは違いストーブがむき出しだしね。2日ほど前から興奮気味なのが今はちょっと扱いが面倒になっている。こうなるとやはり一人ではとてもじゃないが対処が難しく、母と私がうまい事互いにガス抜きしながらじゃないと持たない。郵便物を隠すのは近いうちに別のポストを用意しないと。電話も独占しているので通じない事も多く、自分以外の人間がかけるのを非常に嫌がるので*ある程度の知り合いや親戚には2階の私の電話番号を教えてあるのだが。*これはボケる前からそうで、30年ほど前交通事故に遭いムチ打ちの輪っかを嵌めたまま約束に行けないと電話していたらいきなり殴られた何が一番困るといって親父が自分の言った事を綺麗さっぱり忘れる事と、忘れていない事の判断がつかないことかな。なまじっか買い物もできるし電話にも出るしかけるしというのが厄介なのよね。
2010.12.18
11年度税制大綱:成長重視…企業に手厚く家計は実質増税総選挙の時あれほど「財源はある。最低でも9兆絞れば20兆ある」と大言壮語し、その甘い言葉にまんまと釣られた連中がこの考えなしの政権を生み出した。子供手当てを止め自民党時代の児童手当て、それも国籍条項つきにすりゃ何のことはないんだが何せバカなので金さえ配れば効率や循環無視で票が集まるとまだ思っている。確かに釣られる人間もまだ多いけれど、しかし私はまだ日本人を信じたい。さて、今回の法人税減税だが。基本的には反対はしない。しかし事務処理含めた自治体の負担を考えると子供手当てを児童手当てに戻し、今回のような半端な減税ではなく時限でいいから10%減税にするか、5%なら接待交際費の枠を緩めるかしなければ実効性は乏しいだろう。おまけに「内部留保税」という頭も筋も悪い話も出てきているんだが、企業の内部留保というのは現金とは限らないし、仮に当座に現金が積んであってもそれらが普通の人の預金のような性質ではない。更に言うなら二重課税になる。企業が内部留保の現金分を吐き出す気になるようにする手っ取り早い方法は接待交際費や厚生費への基準緩和で、これも上策とは言いがたいが少なくとも金がベルトには乗る。これに前にも書いた昭和の時代のインフラ土木の更新を加えて5年計画でとにかく金をベルトコンベアに乗せて動かさなきゃだめよ。兵力の逐次投入は最も下策と言われているんだがこの中途半端な減税とそして実感がマイナスになる個人増税は一番やっちゃいけないやり方だよな。景気の気は気分の気というのは麻生さんも仰っていたが、この年末控えてこういう半端な発表をするその神経がまず判らん。一年で一番個人消費が動くという時期に冷やしてどうするよバカ。本当に働いた事ないんだな、こいつらは。税制改正というのは一年二年の辻褄合わせ感覚でやってはいけないのよ。最低でも5年、いや10年のスパンを新しい制度が生き抜けるか、そして国民の受け止める感覚、バランスはどうかくらいは考えてもらわんと。
2010.12.17
小学校講師がわいせつ容疑 調査後退職、別の市で採用前にも書いたことがあるし同様の事例は山ほどあるのだが。つまりこの問題は教え子に手を出す卑劣な変態の問題もさることながら、教員免許の剥奪という事が殆ど行われていないことにある。確か東京都下の小学校教師も似たような事件を起こしたのだが、何食わぬ顔で他の自治体でまた教職に就き再度類似事件を起こした。事件報道まではされるのだがその後このような教師がまた自治体さえ違えば採用されている事実まではマスコミは言わない。大体において幼女少女に猥褻な行為を行う人間の再犯率は高く、その中でも教え子に手を出すというのは最も卑劣なのだが、しかし教員免許というのは何故か聖域のように扱われていて教育委員会も自治体単位なものだから情報共有が全くなされない。解決するには通常管理は自治体教育委員会でいいけれど、このような特殊な犯罪事実に関しては中央で管理しDBを作るなどするしかない。また「教え子に手を出す」という教師への罰則は厳しくしないと。運転免許だってドライバーが高齢化し事故が多発しなければ中々召し上げにはならなかったのだが、しかし今は変わった。だから教員免許だって条件次第では剥奪不能ということはないだろう。
2010.12.16
先月無職祝いをしてくれた友人からまたメールがあった。また出かけませんかというお話で候補が何日かあり、いっそクリスマス当日(notイブ)はどうかなと伝えてみたら快諾してくれた。おまけに複数個所を巡るスケジュールも提示してくれたので午後から夜まであちらこちら移動しながらという忘年会にもなっている。この歳になってクリスマスもあったもんじゃないんだがやはり人が出かけたり浮き立っているような時期はどことなく置いてけぼり感もあるものでして。おまけにこれまでは絶対に出かけられなかった年末週末の重なった時に外歩きできる嬉しさもある。人様の休みや世間が浮き立っている時が仕事だったものがぽんと無職になったはいいが、変わり映えのしない日常が続いていると自由になった嬉しさが中々実感できない。もう一つ「予定がある、できた」というのは心持ちの上でも違う。おかしなもので仕事をしている時は週に一度の休みは必ずどこかしら何かしら用事を作り、休みの前の晩から張り切っていたものがいつでもいいやとなると案外と何もせず過ごしてしまう。本当はこの有り余る時間は世間を眺めにいったりした方がいいんだけれどね。なのでこのお誘いの日は早めに街に出て空気を見に行こうかとおもっとります。
2010.12.16
菅首相、硫黄島を訪問いくら菅でも硫黄島に行ったと聞けば罵るわけにもいかないのだが。この写真、どうせマスコミでは報じないしすぐ消すだろうから書いておくが。ご遺骨が写っていてその前に菅が額づいている。手を合わせているのだが軍手をつけたままなのだ。最初この写真を見た瞬間はご遺骨が目に入り、手を合わせたので気づかなかった。だが目を開けてみると軍手でね、手を合わせているんですよ。百歩譲って今さっきまでシャベルで掘っていて偶然見つけて~という事情なら容認はしにくいがまだ判る。だが他の方々は素手だしどう考えても菅が穴掘るわけもない。こいつが大嫌いだといっても全てにおいて論うのもいかがとは思うもののこれを見せられれば「やっぱりな」と。高松宮殿下のように靴も靴下も脱げとは言わんが少しは考えろ、いや考える以前におのれの立ち居振る舞いに気をつけろ。本当はこれは米軍の作った滑走路の下になっている壕跡にまだご遺骨があるということで滑走路を掘り返す工事の為の視察でもあったはずで、硫黄島戦没者ご遺族でもある自民党議員も同行した。だが報道はご存知の通り「菅が硫黄島に行った」←これだけ安倍内閣の時にこの滑走路工事の予算が少しつき、麻生内閣で予算が本格化し、それが民主党政権になって予算がなくなったという経緯もあるんだが、それにしてもな。
2010.12.15
そもそも閣議決定っつーのは時の内閣の意思表明で例えば国会決議が得られない場合などに外交や国家安全保障面での内閣の意思を国内のみならず国際的に表す場合などに使う。当然明治から続いた日本政府及び内閣としての公式の記録に残りまた内閣の機関としての方向性を示す場合にも使われる。だが何だ今の政府は。日本政府、「『支持率1%でも辞めない!』は菅首相の発言じゃなかった」閣議決定閣議決定はバカ者の尻拭いに使うものじゃあないしましてや首相とはいえ間抜けの言い訳に使うものではない。そういう用途、私用に使うものじゃないんだ。国家としての意思表明=公用を一体なんだと思っている。この閣議決定によりこの内閣は日本国が続く限り「バカ内閣」と自ら認め署名したんだが、こいつら全く気づいていないんだろうなあ。こんなもん味方してくれているマスコミ対応の範疇なんだぞ。それも首相でも誰でもいいが身内の間抜け放言の話だしよ。バカってのはとめどないな。
2010.12.14
とまあ飽きもせず毎年本日12月14日はこのお題なのですが。そういや子供の頃は大体赤穂浪士の討ち入り前後の日付になるとTVで関連の番組や映画やってたような気もするんですけれど最近はないですな。あの討ち入りのそもそもは意思の疎通の阻害からじゃないのかと随分昔の話なので呑気に語れますが、それどころじゃないのが我が国政府(我がと書くのは不愉快ですが仕方がない空洞化進む菅政権、首相発言を仙谷氏が異例の全否定これまで見てきた官房長官も相当あかんたれはおりましたがここまで首相が言明した事柄を真っ向否定するというのは聞いたことがない。仮に耳に入ってなくとも「それはまだ詳細は述べる段階ではない」とかなんとか言い方はあるはずでしてな。「直近民意」のはずの茨城県議選の開票日に前代未聞現役首相の忘年会やって「俺はまだ仮免」言い放ったバカもバカだがこいつがバカなのは知っているはずな上に自分では菅よりはマシと思っているのならもそっと言い方考えろよ。おまけに昨日夜になって菅が税制改正に関わる重要な会見をしたんだが(法人税減税)これ自体はいいとしてだ、それでなくとも過去に民主党が罵ってきた国債発行を伴う財源不足なのに代わりの財源どーすんだと。20兆あるといった財源どこよ。百歩譲って財源は国債発行でよしとしてもだ、税制改正が伴うということは法人の場合事務処理の根本から変わり、今だと経理処理プログラムの変更も余儀なくされる。当然内部留保の場合は課税対象額も変わりまた負債返済している企業だと銀行との返済計画まで変更を余儀なくされるんだけどこんなのがすぐさま動けるとでも思っているのかね。前にも書いたがどうも民主党の連中ってのは実務やったことがないのばかりで変更に伴う金高残高ばかりに目が行って事務処理にかかる経費や時間(これも金)を全く考慮できないのな。コスト自体が悪いといっているのではない、日本のような高度に発達した国の場合このコスト自体が飯の種だったりもするんだが、しかしそれにしても時間もコストの要因なのでつまりは先送りばかりしている民主党が一番コスト効率が悪いということになるんだけどよ。何か一つくらい取り柄ないのかこのバカたれどもは。
2010.12.14
以前情報セキュリティに興味が集中していた時分、つくづくとこの「鈍感の弊害」について考えまた実際に被害を蒙った事がある。大は国家安全保障、小は身近な出歩きまでこの「鈍感」って奴は周囲への加害を招くものなのだが。ところが鈍感は自らの加害に気づく事がないー鈍感だからねー上に大抵の場合困った事に自分の被害にのみ敏感という短く言えばガキ、もしくは迷惑な性質を持ってもいる。自覚がないというだけならまだ足りないで済み、それなりに耳を持っていると思えればゆっくりと説明するなり順序踏んで理解してもらうなりしようかと試みるのだが。その最初の一歩から聞く耳持たずならまだしも周囲を巻き込んで逆切れし、周囲も鈍感の似たり寄ったりで本質に気づかない事の方が多い。こうなると何故か被害蒙っている方が悪者にされたり果ては鈍感同士の徒党に取り囲まれたりで手がつけられない。こんな連中に言っても無駄だと黙りこくる外なく、そうなると鈍感の天下になりがちなのはどこでも似たようなものだろう。私が先日数年ぶりに情報セキュリティの会合にのこのこ出て行ったのは主にこの鈍感敏感の感覚を見せてもらいに行ったわけで、スキル技術以前にこの感覚を肌で感じるには見に行くしかないですから。自分自身も大失態をかましこれに関しては弁解の余地は全くないけれど、それとは別に技術スキルは後からでも努力で身につくし学びようもあるが鈍感敏感は誰も教えてくれないという意味でね。しかしこの鈍感が政治の世界や本物の安全保障(セキュリティ)に携わるとなると危害被害の範囲は国家に及ぶ。いや国家だけじゃあないな、国家の規模によっては大げさじゃなく世界に及ぶ。今回菅が「まだ仮免だったので」とほざき、また各補選、今回の茨城県議選で負けるまでアクションを起こせなかった、いや起こさなかったこの鈍感さというのはこれまでの嫌悪感を超え、このままでは世界一穏やかにそして少々鈍感でもそれなりで生きてこられたこの国の事情そのものを変えてしまうのかなと。鈍感が嫌いな私だが鈍感が蔓延って大きな顔をしてこられたこの国の幸せをしみじみと判ってきたつもりでもある。
2010.12.13
茨城県議選惨敗で13日の民主役員会は嵐の予感ふん。小沢の問題は政倫審じゃなく証人喚問じゃなきゃ無意味だろうがよ。それを矮小化させているのがマスコミなのだが。小沢も断末魔で子飼いの悪目立ちする女性議員(谷と森)使って表では派手にマスコミ戦術、裏では大連立を餌に政局が飯の種になるマスコミをまず釣って民主党内の動揺と他党の尻の軽いのを誘おうとしているようだが。タイムリミットは無論政党助成金の支給基準日(今年中)か、もしくは支給日なんだろうけどもうそろそろ溜め込んだ金抱えて政界引退した方が色々楽だと思うけどな。むしろその方が隠然と構えられていいんじゃねえのw自民党幹事長から首相への道を自ら断った時点で女神の後ろ髪はもうないのよ。ただな。現在の日本の問題は政局などではなく、安全保障ー外交、軍事、食糧ーを含む政治なんだけどよ、判ってんのかバカミンス。どこを向いているのかさっぱり判らん。
2010.12.13
茨城県議選の候補事務所にトラック、1人死亡この候補者がいずれの党、陣営であろうともこのような暴挙が許されるわけがない。日本は先進国で誰もが平穏無事に立候補でき、また投票できる国のはずだぞ。だからこそ選挙を始めようとする国々に派遣しているのに。しかし不思議なのは。通常この手のカチコミ(突っ込み系)というのは絶対に人に危害は加えず仮に捕まっても器物損壊で済む程度にするもので、そういう点でも人が居るであろう時間帯にはやらないものだ。器物損壊なら「間違えました」で済ませられるしね。だが選挙事務所に絶対に人がいる時間帯、時期に突っ込んだ、それも投票日というのは腑に落ちない。亡くなられた方は本当にお気の毒で、事務所の留守番をし責任感から飛び出してゆき奇禍に遭われた。ご遺族もさることながらこの候補者も本当にお気の毒でならない。日本の一部地域では選挙の度に血を見るというのだが、しかしここまであからさまなだけじゃなく一見これまでよくあったやり方に見えるが実は全く違うやり方をしてくる連中が増えてきたということだろう。
2010.12.12
この歳なのだからこれまで数え切れない失敗失態をしでかしてきて、その中には未だに夜半思い出し、お尻の辺りがちりちりするようなこともある。だがここ10年ほどはおのれの加齢を自覚したこともあり、それなりに表面上は繕えてきたのだが。昨日参加した勉強会でやってしまった。前提として会合、それも大人数の場合は大体お金を分けて持ってゆく。会費制なら会費とタクシー代程度を財布に入れ、他に札入れを持つかポケットに大きなお金をある程度持つことにしている。これはもう習慣のようになっていて、昨日の勉強会は特に知り合いが誰もいないということもあり念入りに持ち物を準備していた。だが昨日は予報よりも悪天候で、出る直前に着る物とコート、そしてバッグを代えた。そう、そこで間違いが。会費と懇親会の分、そしてタクシー代程度の入った財布だけ持っていったんですね。懇親会が終わり二次会にそのまま流れウーロン茶などを飲み談笑していて「こりゃ3次会あるな」と思いつつまあいいかと石鍋を撮るのにカメラ引っ張り出して「アレ」と。つまりタクシー代くらいしか持っていなかったのに気がついた(おせえ二次会の会費に間に合うかどうかは判らないが、とにかく手持ちのお金を全部幹事の方にお渡しするほかない。帰りは途中で失礼して公共交通機関ならカードはあるので大丈夫なのだが、問題は手持ちのお金で会費が間に合わないとしたらどうすりゃいいのかと。頭の中を古い知り合いの店に行くかとか色々考えは浮かんだが、自分のうっかりで人様に迷惑をかけ更に迷惑を上塗りしてどーすんだと気がつき、幹事の方に住所氏名のあるものをお渡しして(出がけに私宛に郵便が届いていた)平謝りして途中で失礼した。なんだかなほんと。最終バスには間に合い、無事に帰ってきたと言いたいところだが何故帰りのタクシー代を前もって用意したかというと実はこの辺は道路がつるつるになっていてどこをどう通ればいいのか判らないくらいになっている。気落ちしているのと強風に煽られて二度ほど転び、足首は軽く挫いた程度だが昔半月板損傷した膝がやばい。なんだか色々だめだなこりゃ。はー。
2010.12.12
焼肉屋の時は勉強会もセミナーもその他普通の方々の集まるところには中々行けなかった。なので無職になったら有り余る時間をこれまで行けなかった事に費やそうと楽しみにしていた。数年離れていた分野の勉強会に明日…じゃない今日、午後から出席し懇親会にも参加する予定で、この勉強会に早くから申し込み子供のように楽しみにしていた。だが予定では一夜漬けでも3日漬けでも事前に少しは頭の錆びを落とすはずだったのだがごちゃごちゃゴタゴタして結局空っぽのまま勉強会に行く羽目になっている。元々空っぽなのでいっそ開き直って「今」の空気や人や現在進行形を見るつもりだ。面白いもので中身がちんぷんかんぷんでも参加している方々を眺めると判ることもある。隅っこでじいいいいっと諸々観察してきますね。午後一杯勉強会、その後夕方~夜は懇親会です。
2010.12.11
仙谷官房長官は辞職を 北海道議会が決議高々地方議会が決議したからといって仙谷がそうですかと辞めるわけもなく、またこの決議が官邸に届いているとは思えないわけだが、それでも身内びいきするわけではないがよく決議まで持っていったなと。私は実は主に実務現場の面で道州制は時期尚早だと思っているけれど、このところの道議会の頑張りをみていると議員と行政が真剣になり、またその真剣を有権者道民がきちんと見守り選択し意見をいい、また頑張れば褒めるのを続ければ未来はそう暗くはないと思ってもいる。現実には森林を食い荒らされ魑魅魍魎も蠢いているのだが、それでも幾ばくかの光明を見出せる望みは捨てていない。無職になり時間もできたので何度か道議会に傍聴に行っているのだが、これが想像以上に面白い。いや面白いというのは語弊があるが後になって文章を読むのも大事だがリアルで顔を見て口調を聞き、傍聴席というのは道側(道庁)の顔と対峙するので職員の顔を眺めているのも中々楽しい。質問者が入れ替わるたび質問席の水を代えるだけ?の役目の職員の方や、ペーパーを渡すだけ?の係の方など傍聴に行かなければ判らなかった景色も見た。そしてICレコーダーの電源を入れたままいびきかいて寝ている記者もね。せっかく行っているんだから顔つき表情しぐさ反応を見ねば判らんだろうになと。長時間なので舟漕いでいる議員さんもおいでだが、それでも議会傍聴は面白い。
2010.12.10
はやぶさの快挙について書いた時に「諸外国の軍事担当者が寒気がしたろうな」と言った事がある。本来であればこんな事は今更+既出すぎてわざわざ言あげするようなもんじゃあないんだが。先日道議会で森林保全の問題についての道側(道庁側)のあまりの危機管理意識のなさに呆れたのとひょっとして世間の皆様の中には安全保障観点からの考えや思いつきってのは案外縁遠いのかなと思いぐつぐつと打ち始めた。きっかけは些細な怒りと憤りなのだがこの些細な怒りも何故怒ったかというと「何故一歩先を見ない、何故こうするのかを考えない。そしてデメリットとメリットを天秤にかけずデメリットだけを取り上げるのか」というもので、即ちまんま有事の即時対応と同じ事だったからだ。現在ただ今が有事の隣の段階、それは戦後からずっと有事は隣に存在していて、朝鮮戦争もそう、冷戦もそう、冷戦が終わっても今度は冷戦というある意味判りやすい色分けが終焉したが為に日本のような国際通商路に領海を持つ国なのに鉱物資源がなく建前上軍隊がない事になっている国の立ち位置と振る舞いは極めて難しい。加えて周囲と同盟国全部核保有国という状況と国連での敵国条項は有名無実化したとはいえ、これは有事の為の首輪なので化石だが息はしている。長すぎる前置きだが当たり前の事実を述べただけで、これくらいの事を頭に入れて戴かなければ申し訳ないが国家安全保障について一緒に議論するのは遠慮したい。さて宇宙開発だが。はやぶさについて触れた時、これはひょっとしたら「核の時代の終焉、または核が宇宙規模になるか無力化されるかのせめぎ合い」かな的なニュアンスはすでに書いた。イトカワにピンポイントタッチし、宇宙空間で年単位でコントロールし、きちんと予定場所に返すというこの凄さと恐ろしさは汗と涙の感動はさておき事実として軍事的にも寒気のする快挙だろう。軍事的とは書いたがJAXAの方々がそのつもりとは毛頭思ってもいない。頭のいい方々だからそれくらいは頭をよぎるだろうけれど、傍目から見て「やりたかったからやり遂げた」という宇宙チャレンジバカ(失礼な物言いだが最上級の賛辞だ)が何故出来たのかというとそれは要らない事を考えないようにしていた部分も大きい。これが防衛省にやらせると最初に戦略戦術ありきになるので横の部分に脳味噌と手間をとられて失敗する。博打もそうだが二股は禁物、飛ばして戻すのなら純粋にそれのみに注力しありったけをそれに注がないとね。核の無力化に関してなら支那の第二砲兵団直属レベルのでかいものなら可能だろう。四川地震の時にGoogleから丸見えになった5基または6基くらいの円状になった場所ならピンポイントでいける。通常爆弾程度の熱と圧力なら滅多な事では核融合も起きないので二次被害も少なかろう。宇宙経由、または宇宙からのコントロールが可能なのだから。しかし小型化、または持ち運び可能にされると今度は必要なのは検知技術であって、だからこそ裏の核ルートは宇宙開発の進捗とともに小型化を目指したともいえる。核の宇宙規模についてだがこれは上の2つ、無力化と小型化を合わせれば書かずとも判ると思うので割愛する。最初に挙げたが最後に「核の時代の終焉」だが。これが一番夢物語であるのは無力化できるのは大型の戦略核ミサイルであるということ、そして小型化競争になっているのを勘案すればおのずと判る。つまり核以上のものが出てこなければ終焉はないという意味だ。だったら日本の立ち位置としては黙ってJAXAに宇宙開発技術を磨いてもらい、知らん振りして格安な衛星を見守るというのが外交的にも軍事的にもまたパワーバランスからいっても穏当であろうと。できれば検知技術がもう少しとは思うけれど、理科バカな私ですらなんだか出来そうに思えるのだが実際は難しいのかね。国家安全保障を考えまたこういう見方をするとすぐ脊髄反射したがるのもいるんだが、本気で平和をと思うのなら真剣に考え向き合わねば文句ばっかり言ってるガキと同じ。そこにあるものを無視する前提の議論なんざ無意味だ。
2010.12.09
あたしゃネットやpptの出回る前に会社勤めは辞めたので今風の会議風景にはとんと暗いのだが。といっても大原則が変わるわけもなく、大体において会議というのは提案者がまず資料を作り事前にそれを配布して参加者はそれを読み込んでいるのが前提であるのは間違いない。クソみたいなセミナーでよくやるんだがpptの内容をそのまんま一字一句読んでそれがセミナーですなどと言われるとこちとら字は読めるんだがと退席したくなる。事実よくあるんだがもれなく途中で帰る。加えて会議、意見交換というものはまず会社なら地位の下のものから順番に意見を述べ、最後に上席者または責任者、決定権を持つものが意見集約するなり結論を述べるものと決まっている。だから最初に上席者や責任者の意見を求めるというのは他の人間を無視しているに等しく、それをやりたいのなら会議の場ではなく直訴しろと。地位の違いがない場であればひとまず一巡させて意見を聞くのが会議というもので、こんな初歩の初歩、会議の「か」の字から判らない方々とお話するのは大変だなあと。マジ疲れた。
2010.12.09
道議会議員主催の勉強会に出席してきた。といっても当地の選挙区道議ではない。道議というくらいだから北海道議会議員なのだが、地元は違う。けれど道議会は札幌にあり今は定例議会中なので週末以外はほぼこちらにおいでになっていることもあり、お忙しい中時間を割いてくださった。今回得たものは情報取得自体にある意味差のある方に一体どうやったら現状を理解していただくか、それもただ煽るのではなくまたいたずらに不安のみを募らせる事なく現状と事実の積み重ねから推測できるほぼ確実な今後の経緯を理解していただく方法論のようなものであった。もう一つ、大局としてはほぼ変わらない意見を持つ方でも個々の違う見解に関して意見交換をする重要性、そしてその意見交換が極めて有意義であったことだった。ネットを使うようになり約10年になるのだが、これほど飽きず懲りずに使っていてもやはり人は面と向かって表情や仕草を見ながら話すのが一番なのだなと、改めて感じた数時間でもあったですわ。人様の話を聞き、また自分も話し、そしてまた人様の意見を伺うというのはやはり大事だ。心地いい頭の使い方をしたなあ。
2010.12.08
お題に小選挙区名を挙げたのは国政選挙区であるという意味です。また、この日記の表記、内容は全部私自身の私見であり意見であり見解です。他の何者の示唆も影響も受けておりません、私個人の責任において書いとります。確かに選挙区で選出される議員は選挙区民の選択ではあるが、一方日本国民の負託を負い、また国民の側からみれば国会議員は選挙区に拘らず国政に真摯に向き合って欲しいというのは過大な期待ではなかろう。更に言うなら選挙区外であっても事国政に関するならば意見くらいは言ってもよかろうと。さて。私は過去にこの選挙区に関して矢継ぎ早に2つの意見を書いた。最初はうーん-故中川氏後継次が前言撤回いずれも今年の2月、前提として石川議員の辞職の可能性とその後継という記事が最初のきっかけ、そして部分的にだが撤回を書いたのがその翌々日になっている。この時点では「石川よりはいいだろう」という極めて消極的かつ無責任な論理であった。そしてそれから10ヶ月、この選挙区は一体どうなるのだろう、自民党はどうするのだろうと折に触れ見てきたし、またそれなりに考えてもきたつもりだ。私如きがいくら考えても大した進歩はないけれど、しかしほんの僅かでも半歩でも最初書いた時よりはなんぼかマシになっているかもしれないと思ってこの日記を打ち始めている。そして今の時点ではやはり最初の日記の前半部分の考えに戻っている。私は別に理想主義でも原理原則主義でもなくむしろどちらからもいい加減だと罵られかねない現実主義者で、この問題も自民党が過半数を得て政権与党であるのならばここまでは言わないし表明もしない。自民党自身が議員を教育してくれるだろうしまた政権与党所属というのはほっといても嫌でも勉強せざるを得ないからだ、普通は。冷たい言い方をするならば数の一人であればそりゃあ多少資質が足らなくとも「いける(当選)ならいいか」で妥協するだろう。しかし今自民党は野党で、しかも野党でありながら与党より厳しい目で見られるという状況にある。無論自民党自身も厳しい状況で、手取り足取り新人議員に教えるのは困難だ。一つには養成教育機関でもあった派閥が事実上存続しえなくなり、世間では派閥のデメリットばかり喧伝されているが実はあれば国会議員のお作法養成機関でもあったと私は思っているからだ。よい面ばかりとは思わないが、しかしあれはあれで先輩議員や国務大臣経験者の立ち振る舞いを身近で見聞きできるよい機会であったろうなと。つまり今自民党議員に必要な資質は即戦力であり、最低限の知識、国政を担う前提をすでに獲得していなければ要らないということだ。さて、ここからが11区について。私は中川昭一という政治家を心の底から尊敬してきた。あれほどの実績のある議員としては隙のある人で所謂宣伝上手でもなけりゃ声高に「あれをやったこれをやった」を言わない人であり、その点では昨日収監された鈴木宗男とは正反対の議員であったと思っている。国会議員として国政を担うにふさわしい仕事をしていただいた。この議員を長く国政に送り出してくれた11区の有権者の方々には本当に感謝している。だが最後の選挙で落選し、比例復活もできなかった事も事実であって、この事実を以って11区有権者全員を責めているのではなく、それをいえばクズな現政権の責めを全有権者に負わせられるのかどうなのかという原理原則論に話が落ちるのでそれは置いておく。しかし11区の皆様に私は問いたい。もう一度同じ選択をしますか…と。「できるかもしれない」「やらせてみなければわからない」選択を本当にするんですかと。これが30代ならまだ判る。10年20年勉強してまだ使える。50代でもそれなりの政治の現場、付き添いではなく現場に立っていたのなら理解できる。もう一つ、これは書かずにいようかどうしようか打ちながらずっと迷ってきたのだが書かなければ理解を得られないと覚悟をしたので書きますが。中川令夫人を擁立するという事は即ち今即戦力となって働いている道議会議員を一人政治的に葬り去るに等しいのだという自覚がありますか。この道議会議員も大枠で言えば地元の為なのだが「道の為」「道民の為」の仕事をし続けている。それが為だけではないが自民党道連からはあまり好かれていないであろうというのも想像できる。この方は後援会が中川氏のそれとまんま被っている。というより立候補経緯や後援会を調べてみるとひょっとしたら中川氏の引きで道議会に出たのではないかと推測できる。正直言えば私はこの道議の考え方全部賛同しているわけではない、当たり前だが。しかし現在道議会与党である自民党の道議に一人は必要な存在でもあるとこれは固く信じている。この道議をみているとおそらくだが中川令夫人の擁立に諸手を挙げて賛成する方にはとても見えない。本当は賛成し、後援会挙げて応援すれば政治的に楽になるであろうとむしろその方が普通なのだろうけれど、私には嫌な予感がする。たった一つ私に取り柄があるとすればそれは人を見る目だからでもある。つまりこのクソ長い日記は一つにはこの道議を失いたくないという希望とそして多少の思惑、何よりも本気で「やらせてみなけりゃわからない」選択の後に起こる大きな喪失をもう一度繰り返したくない、そういう事です。あとがきとして。今日夜、ここに書いている道議交えて勉強会があります。勉強会の後に書けば痛くもない腹を探られるのは必至で、それを避けるには今日この時間に書くしかなかった。本当はこの時期に書くのはまだ憚られるのだが。
2010.12.07
【尖閣衝突】 仙谷「今日、船長釈放されます」 中国様に事前通報していた非常によく纏まっているのと他の虚偽答弁、詐欺フェストなどにも触れられているので。自民党政権だった時に民主をはじめとする野党が些細な事で大上段に構えてぎゃあぎゃあ騒ぎ、マスコミも便乗し更に火をつけまわっていたような言い方はしたくはないけれど、これこそが国会軽視国民無視なんじゃあないのかね。国会での虚偽答弁や政府答弁書が嘘というのは一体なんなんだと。そういう事を平気でやらかし、またマスコミも国会が閉会してからリークする、この事実が全てを物語っている。全ての議事録が残る議会という場所、その意義を一体なんだと思ってる。嘘つきは民主の始まりとはいうが今は政府なんだぞこんなんでも。日本のような鉱物資源がない、自主防衛もままならない国が今のような繁栄を築けたのは一つには人的資源、そして信用信頼だ。もうお前ら日本に要らない。
2010.12.06
民主党がやったこと。-政策chこの一年以上、ネタにしろマジ話にしろあんまり民主党が酷いのとそのひどさの1/10もマスコミが流さないので「誰か纏めてくれ」という話はちょくちょく目にしている。ある程度纏まったものもここで紹介した記憶があるのだが、端的な形になったものをTwitterで見かけたので貼っておきます。これでもまだ細かい議員の不祥事やらなにやらは載ってないという凄さなんだが。【政治部デスクの斜め書き】これでは約束は守れまい… 救いがたい首相の「スケジュール感覚」の欠如これは政治部の逸話というには余りに酷い実態をこの政権のバカさ加減の根本はそもそも何故かという切り口で書いたものだけど、これじゃあな。今時の子供達は遊ぶ予定も予約制になっていると聞いているし、下校時の児童の会話からそれは本当なのだと知ったのは最近だが、とすると現政権は小学生以下の対人感覚しかないということになる。政権交代前から「なんでこんな連中を」と書いてはきたが最低限自分達仲間内での約束事くらいは記憶するか実行するもんだと思ってきたのも違うようだし。なんなんだろう、この政権の持つ異質感は。
2010.12.06
前原外相 北方領土を上空視察後の祭りというか覆水盆に還らずというか。そもそも旧ソ連の時代でさえ国家元首が北方領土に来るなどという蛮挙はしなかったしさせなかったもので、今更空中から覗こうと口で何を言おうと露大統領が北方領土に来てしまったという事実は消せない。テロが横行しているロシアの元首が国内であろうと国境近くに移動する際には紛争当事国でない限り(いや当事国であってもだ)必ず近隣諸国に何らかの事前アポはあるもので、冷戦時代でもない今、それなりの外交チャンネルはあるはずだ。それをみすみすやらしておいてからに今になって空から散歩しても意味がないっての。こういう時は外交チャンネルを使い、時には殊更事前に騒ぐ事によって他国からの援護や間接的応援を得たりするもんなんだよ。実行されればその事実は歴史に残ってしまうんだから。領土問題という「正しい事実」だけでは物事動くとは限らない非常に微妙な問題を最初あっさりスルーさせておいて後からマスコミ世論向けにポーズだけとっても意味がないってんだ。こういう鈍感さを個人的に嫌う傾向もあるんだが、こんなのが日本の政権握っているって一体なんなんだ。何故ほんの一手先くらい読めない読まないのだ。意味のないパフォーマンスに国費使うんじゃねえよ。
2010.12.05
昨日は12月にしては珍しい秋型の暴風雨だった。普通北海道では12月にもなって合体低気圧が襲来すると当たり前だが雪になる。シベリア寒気団というのがそれで、北西から風が吹き大陸から寒気と水分を連れて来て絶妙な位置にある北海道西部の山々にぶつかりちょうど札幌の辺りに雪を降らす。ところが昨日のは南東の風で、そもそも気温が妙に高かった。暴風雨なのに大体10度前後を維持していてストーブを全く焚かないわけにもいかないけれど焚くと暑い。冬の北西の風は寒くて雪でつらいが、前にも書いたように北海道では南東の風というのは大体碌な事がない。昨日所用があって午後から夕方にかけて出かけたのだが、最初は傘を飛ばされそうな風、その後夕方は風は収まったがざぶざぶの雨だった。中心部の排水設備のいい辺りでさえ路面に雨がやや溜まっていて、普通ならせっかく出かけたのだからちょいと街でも歩くかと思うところだがとっとと帰ってきた。暴風雨仕様のがっちがちに固めた服装でさほど外は歩かないのに帰ってきたらやはりあちこち濡れていて昨夜は疲れたのか早々に寝た。今朝もまだ雨だが一転して穏やかな朝になっている。その代わり低気圧一過でおそらくこれから気温はどんどん下がり平年並みになるだろう。
2010.12.04
無職の癖にスケジュールもへったくれもあったもんじゃないんだが。それでもそれなりで予定はできる。特に来週は週半ばの夜、そして週末も午後から夜まで塞がっている日もできて、こればかりは商売をしている時には参加できず涙を呑んでいた事ができるようになった実感と共に楽しみにしている。それにしても思ったよりはヒマを持て余せないし一日が早い。午前中から夕方くらいまではどうしても家の用事に追われ、それも大抵突発なので余計に時間を食うのもあるんだが。明日じゃない今日も起きてから車庫の洗濯機とブラウン管TVを外に運び出し、明後日午前中業者に持っていってもらって車を格納すると。これを午前中に終えて午後からちょいと出かけて夕飯に間に合うように帰る予定。今日明日は荒天なので散歩のお付き合いもないしね。そういや今日だわ、42年前ここに引っ越してきたのは。初めての一軒家への引越しではしゃいでいたせいか夜高熱出して寝込んだんだよなあ。
2010.12.03
ついさっき、2022W杯はカタールに決まった。今から11年半後の話なのでその頃見られるかどうかは判らんけれど、それでも決まるまでは眠れずに待っていた。大枠でいうと中東もアジア圏の括りなので日本はその次を狙うにはちときつい状況にはなったが、中東でのW杯もある意味政治的に必要でもあろう。しかし選手は大変だ。例年6月開催だが、暑いところだしなあ。それよりも中東情勢を心配せねばならないのだろうが、甘い見方をするならばW杯でもあるしまた2022年には今よりは少しはよくなっているのかなと。ほんのちょっとずつでもよくなるんじゃないかと思わんとやってられないやね。
2010.12.03
ここ自宅周辺に引っ越してきて一ヶ月、2階はまだ全部片付けきれていないけれど居住空間はなんとかなったのと、どうしても閉じこもりがちになるので母を誘い先日から天候のいい日を選んで周辺を散歩し始めている。親が元々の家を買ったのが40年以上前、その頃は農家が点在する田園地帯にこの一帯だけが分譲された。札幌市内ながらそれまで住んでいた場所とは全く違う貴重な経験体験をさせてもらった。サンショウウオを手づかみで捕まえ、夜はカエルの大合唱、蛇も虫も山ほどいたし川には魚、田んぼの近くにはドジョウやザリガニが一杯いた。冒険といいつつ小さな山を2つ3つ越え、そこら辺に自生している野生の果実を食べ駆け回った。近在の農家の方々は皆様おおらかで優しく、田植えの手伝いと称する邪魔をさせて戴いたり大きな水車を回してみてくださったり、果ては庭に入り込んで遊ばせて戴いた。だから私の頭の近在の地図は田や畑、そして農道のままなのだが散歩に出かけてみると川の形からして変わっていて、40年前の記憶を辿るには山から地形を追っていかねば難しかった。しかも手前の山すそ、農道や用水路があった辺りまでびっしりと家が建て込んでいる。残っておられる農家の方々の家、表札でようやく「ああ、この辺の裏山にコクワがあった、山葵が生えていた」と思い出すほどであった。山あいといって差し支えないあろう場所にも列を成して住宅が建っているのに驚いて母と口をあけて歩いてきた。と書いている間、いきなり地震があったのだが実はここは山に近いせいか地盤がよく「んっ」という程度の揺れだった。震度1よりは大きいが2までいくかな程度。寝ていたらまず気づかなかった。雪が多く交通も不便なのだが、ここが私と両親の終の棲家になる。窓の正面に山が織り成す景色があるだけいい方なのだろう。
2010.12.02
三菱電機ISが図書館システム問題で謝罪、「SIerとして不十分な点があった」逮捕された男性にも謝罪、責任についての直接的な言及は避ける実はこの問題、つまりこのSIerの不備不手際が引き起こした岡崎中央図書館事件について早くから動いている方々がおいでで、よそながらその活動を見させていただいていた。岡崎市立中央図書館事件等 議論と検証のまとめ上のatwikiにある「librahack」はTwitterでも #librahackタグで使われている。*ご指摘を戴きスペルミス訂正この纏めサイトは実に綿密に検証がなされ、また名ばかりでない実を持った専門家がよってたかって議論しまた事実関係を明らかにしている。私如きが何物も述べる隙のない纏めサイトで、ただ一つ私が何かを言うとしたならば「これで逮捕されるのなら私もあなたもいつ逮捕されるか判らない」ということくらいだ。司法関係者も人の子であって所謂センセーショナル、または「新味のある事件」に反応しやすくまた犯罪と認定する事によってある意味今後の抑止を計る意図があるのは否定できないとおもうのだ。この岡崎中央図書館事件も当初は「ネット犯罪」「不正アクセス」と括られたのだが、では「不正アクセスとはなんなのか、どこからなのか」と問われればその境界線は未だ明らかではない。その境界線を定める為の揺れ動き期間…という言い方は逮捕された方にはお気の毒すぎるのだがつまりその揺らぎの合間に嵌ってしまったのではないかと推測している。揺らぎと書いたが、数ヶ月ROMっていたその間この纏めサイトを作り上げた方々もまた揺らいでおられたのではないかとこれは勝手に慮ってもいた。横から上から意見が刺さりこみ、いや意見ならまだいいのだが議論の余地すらない決めつけに晒されまたTwitterというおよそ議論には向かないツールで一方的に吹っかけられるのもみてきた。お題に「一応の」決着と書いたのは、実はこの三菱電機ISが長い長い戦いと検証の末にようやく自らの落ち度、ISと名乗るには余りにもお粗末なシステムを売り込んでいた事実を認めたに過ぎない。ここまでこれだけかかったけれど、ようやく認めたので三菱電機ISに関しては一応の決着と書いた。しかし実はこれからで、今度は極めて曖昧な「不正アクセスの定義」を司法とせめぎあうことになる。ごくごく普通の一般国民にとって、司法は別に敵でもなんでもなくむしろ我々を守る存在なのだがさて自らの揺らぎの範囲を一体どうつけるのかこれからもひっそりとみてゆきたい。
2010.12.01
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