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本当は救世主教会なども紹介したかったのですが、次回、とりあえずゲントに進む予定です。
でないと旅行から戻ったら今回旅行した都市の紹介に入るのでゲントもハーグも永遠に紹介できずに終わりそうな気がするからです ![]()
最後にブルージュっぽい景色を紹介して終わります。
ブルージュ(Brugge) 14 (ヤン・ファン・エイク広場界隈の運河)
ヤン・ファン・エイク広場(Jan van Eyckplein)
旧公文書館の裏手から運河を北に進む。
本来はマルクト広場からヤン・ファン・エイク広場まで別の運河がつないでいた。
ヤン・ファン・エイク広場まではマルクト広場から歩いて10分程度の場所だが、こちらの運河経由では少し遠まわりになっている。
こちらの運河航路の名物は窓にたたずむワンコ。
船の音が聞こえたらのぞきにくるのか?
物憂げに窓の外を見つめるワンコに人間でもないのにただならぬ哀愁を感じたのは私だけではないだろう。
彼? 彼女? は船頭さんたちのアイドルのようだ。
飼い主さんが用意してくれたクッションがいつものポジションだと言う事を物語っている。
路地運河を抜けると幅広の運河に到達。こちらは今も大型船が通れそう。かつては商館や倉庫が立ち並んでいたかもしれない。


運河つきあたりがヤン・ファン・エイク広場(Jan van Eyckplein)
見えるのはポールテルスロッジ(De Poortersloge)の物見塔。15世紀にできた当時は通行する船を監視していたとか・・。
ヤン・ファン・エイク広場(Jan van Eyckplein)
文字通り広場にはフランドル派の画家、ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck)の像がある
。
実はこのあたりは ブルージュが絶頂期の頃には金融および商取引のセンターだった場所
である。
もちろん運河は現在と異なり、マルクト広場まで伸びていたが、ここにはいわゆる税関もあったのである。
当時、 広場はなかったと思うが、その税関や両替所の建物は今も残っている
。
ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck)の像 (背側が運河)
ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck)(1395年頃~1441年)
北方ネサンスとも言える 初期フランドル派の画家
。
ブルゴーニュ公フィリップ3世(1396年~1467年
)に気に入られ1425年頃ブルージュに移住して宮廷画家となると同時に、外交官としても宮廷に仕えた
らしい。
画家が外交官になる・・と言うのは解りにくいが、当時写真代わりに見合い肖像画を描くのもおかかえ画家の仕事。それが重要な外交任務になったと言う。
彼の給料は画家としてはかなり高
額
だったと言うし、待遇もとにかく破格に良かったようだ。
フィリップ3世はヤン・ファン・エイクの子供の名付け親になったり、亡き後の家族の面倒も見たそうだ。
特にとりたててヤン・ファン・エイクを大切にしたのは、二人の関係が、主従と言うよりは友人関係iあったからなのかも・・。(年齢が一緒で意気投合したのかもね。)
さて、彼の傑作、ゲントの祭壇画「神秘の子羊」はゲントで紹介できたらね・・![]()
。
A・・破風屋根の建物 Het Toihuis (元通行税徴収所)
B・・細い戸口の建物 Het Pijndershuisje (傷みの家?)
※ ヤン・ファン・エイクの像の右手側の先にある。
Het Toihuis (元通行税徴収所)
1477年建造。ブルージュ市内に入る 船荷の通行税を徴収するハウス。いわゆる税関
である。
Het Pijndershuisje (傷みの家?)
Het Toihuis (元通行税徴収所)でお金を払う前に確認の為、 積み荷の商品を運び込む建物
だそうだ。
ところが 間口が非常に狭く運び込む人足(にんそく)達は非常に苦労しあちこち苦痛をともなったと言う事からそんな名前で呼ばれるようになったと言う。
英語だと「House of Pain」になっている。
ブルージュ(Brugge)1 の中、「ブルージュ(Brugge)の栄華盛衰」で紹介した通り、
北海の玄関口として栄えたブルージュは、10世紀頃より運河伝いに商館が建ち並び、13世紀には欧州の金融センターに発展
。
欧州の商品取引の巨大マーケットが形成されると、世界初の両替所もここにできた
。
(世界初の両替所の写真はないが、ポールテルスロッジ(De Poortersloge)の裏手にあったようだ。)
ブルージュの高成長は続き、 15世紀にはハンザ同盟の主要貿易拠点にまで成長。
ここは、繁栄していた中世ブルージュの金融センターだった場所
になる。
今は何の面影もないが・・。
ヤン・ファン・エイク広場(Jan van Eyckplein)からのポールテルスロッジ(De Poortersloge)
夕方は特にひっそりとした場所だ。
ポールテルスロッジ(De Poortersloge)
15世紀には市民の集会所(公民館)だった場所は現在国立古文書館になっている。
集会所、と言っても当時これだけ立派なゴシックの建物を建てた・・と言うところが凄い。
正面の壁面左に置かれた像はブルージュの熊。
以前ボードゥアン1世とブルージュの熊伝説について書いた事がありますが、(ブルージュ(Brugge) 8)
この ポールテルスロッジ(De Poortersloge)の壁面に置かれているのがその、ブルージュの市民第一号の熊・・との事
です。
最初に出会った生物が最初の住人として登録されたのでしょうかね ![]()

よくよく考えると街の人が少ないです。
おそらく旧市街は家賃が高いのでブルージュの住民の多くは旧市街の外に住んでいると思われます。
スーパーなど見なかった気がするし・・。
だから? 生活感があまり感じられなかったのかもしれない。


運河の交差点? 一つは北海方面に抜ける航路のようです。
今あるブルージュの街並みは、かつての繁栄の落とし子である。
まさに盛者必衰(せいじゃひっすい)のことわり・・ではあるが、今それが観光として利用出来ているのだからご先祖様々かもしれない。
ブルージュback number
リンク ブルージュ(Brugge) 1 (街のなりたち)
リンク ブルージュ(Brugge) 2 (十字の門と風車)
リンク ブルージュ(Brugge) 3 (鐘楼とカリヨン)
リンク ブルージュ(Brugge) 4 (マルクト広場)
リンク ブルージュ(Brugge) 5 (ブルグ広場 1)
リンク ブルージュ(Brugge) 6 (ブルグ広場 2 市庁舎)
リンク ブルージュ(Brugge) 7 (ブルグ広場 3 聖血礼拝堂と聖遺物の話)
リンク ブルージュ(Brugge) 8 (Rozenhoedkaai)
リンク ブルージュ(Brugge) 9 (Dijver)
リンク ブルージュ(Brugge) 10 (聖母教会周辺から
リンク ブルージュ(Brugge) 11 (聖母教会)
リンク ブルージュ(Brugge) 12 (ペギン会修道院と愛の湖)
リンク ブルージュ(Brugge) 13 (ベギンホフ・Begijnhof)
次回ゲント(Gent)です ![]()
リンク ゲント(Gent) 1 (ゲント歴史地区)
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