全5件 (5件中 1-5件目)
1
奇跡と言えるような33名全員救出劇が今まさに始まろうとしている。4ヶ月超えるとすれば全員が家族の元へ帰還出来そうなのはクリスマスの頃になると言う。家族にとって之に優るクリスマスプレゼントは無いだろう。 まずお国が資源を持つか持たないかが重要な鍵を握っている中で、鉱山の落盤事故を取り巻く背景と国境を超えて救出作業が行われる外交関係に触れてみよう。 資源関連の事故で特筆されるのは、やはり昨年~今年の米国メキシコ湾岸のBP海底油田火災炎上・原油流出事故だろう。英国石油メジャーのBPが、その通常年間収益の10倍程度を、事故補償に充てることになるが、まだ倒産する迄の損失には至っていない。しかし、安価な代替エネルギーが現れる迄は、海底油田開発は継続される。輸送パイプラインの破裂事故、商船三井のタンカーがホルムズ海峡でテロと思われる事故に遭っている。これらの事件続発は、資源を安定的に供給・輸送する為にはコストが益々高くなる事を意味する。元々石油は、露天掘りが少なくなった石炭の深度地下からの採炭作業が割高になった事等が主な理由で、石炭を一挙に代替した。石炭の落盤事故多発や、固形物(石炭)の輸送はCOSTが高くつき、安く輸送出来扱い易い液体(石油)の方が埋蔵量が大きく、採油COSTも安かった。石炭の深度地下採炭がさびれる中で、他の地下資源鉱物の落盤事故対策等も、技術開発がスローダウンしたきらいがある。流れとしては自然エネルギーを地場で調達する方向が加速する為、今後も地下鉱石採掘技術の急速な発展は難しいとも言える。 その資源鉱物だが、昨今のレアーメタルに代表される価格高騰は、地下鉱脈採鉱の技術開発を促す理由にはなるが、今回のチリ・サンホセ鉱山のような地下700mでの坑道安全確保技術迄には繋がっていないようだ。 確かに、今回の地下シェルターは素晴らしい安全対策だが、直径70cmの縦穴掘削と救出に4ヶ月以上もかかる。短縮する為には、地下シェルターからの落盤箇所を迂回出来るような、2重、3重の避難誘導路を確保したシェルター建設が望まれる。地下深度700mや1,000mの採鉱をする場合は、その迂回誘導路が有る地下シェルターの建設コストと採鉱コストとの見合いをして進めるべきが、今後の方向性ではないかと言うことだ。 チリは世界でも指折りの銅産出国であり、我が国は電力送電線の銅線等でチリには大変お世話になっている間柄である。銅鉱山は硫黄も産出し、精錬の過程で硫酸も製造する。硫黄は、日本も火山国なので、その臭いは馴染みと思うが、世界へ輸出するとなるとチリの埋蔵量には足元にも及ばない。同じ黒色火薬の原料である硝石(硝酸カリウム)もこのような鉱山で産出される。実は我が国も、硝石が1920年化学合成される迄は、ペルーの黒船が来航して以降、鉄砲用、大砲用、花火用等の黒色火薬用の硝石(「硝石(硝酸カリウム)75%、硫黄10%、(木)炭15%」)は、チリ産を中心に輸入していた。 サンホセ鉱山に限らず、鉱山の事故は後を絶たない。鉱石採掘国に発展途上国や新興国が多いから、先進国がもっと手を差し伸べる必要があるのではないかと思うが、アフリカや中央アジア、中南米等への資源国パイプは、中国や欧州が庭の如く緊密感を高めて、技術・資金援助で先行している。日本は環境技術では優位性を発揮するが、地下深度採鉱・採坑路作りでは多分同レベルなので、声がかかり難いと言うことかも知れない。 今回のサンホセ鉱山では、直径70cmの深度700m縦抗は、スペイン、オーストラリアの水圧式大型掘削機が活躍することになっている。閉塞感のある長丁場の地下シェルター生活に対しては、精神面、栄養面、食事面、スポーツ面等は、米国NASAのISS(宇宙ステーション)技術が正式にサポートすることになるだろう。医療関係では、チリ政府が、世界を先導した米国・欧州の心療内科的なケアーに注目しているようだ。 チリと米国の関係は、どうしても1973年のピノチェット将軍によるアジェンデ政権の軍事クーデターによる転覆を想い起こさせる。1970年に世界で初めての選挙によるアジェンデ氏の左翼社会主義政権が誕生した。世界の若者は選挙で誕生した社会主義政権に夢を託したものだった。しかし、銅山を国有化する等の動きが、チリ富裕層や米国CIA等が好ましく思わず、米国CIAが支援したと噂される軍部のクーデターが起こってしまった。 クーデター後は、ピノチェット将軍が社会主義の学生や活動家を大量に処刑した悲しい結末だった。1990年代にチリ政府が、虐殺された遺族の要請に応え、ピノチェット将軍を訴追した。しかし将軍は、その前に宗主国スペインへ亡命し、スペイン政府も将軍をチリに返さず、将軍はスペインで亡くなった。 そのスペインが、掘削機を提供している。米国もNASAが強力助っ人でサポートに参画しそうだ。因果な歴史というものだ。 チリと日系南米人と言う関係からは、先の1996~1997年ペルー日本大使公邸人質事件122日間の際、ペルーの日系フジモリ大統領が強力に指導して、日本人人質72名は全員救出、ペルー軍警察関係者2名が殉職、非日本人の人質1名死亡(最初の人質数は約400名)の難局を乗り切った経緯が有る。その後、フジモリ大統領は、内政の強硬手法を指摘され、日本滞在中にペルー政府から訴追される。日本国籍を保有していたので、日本政府は実質亡命を認め匿った。その後、フジモリ元大統領は、ペルー内での政治的影響力を保持回復する為に、先ずペルー帰国前にチリに寄って、隣国からペルー内支持者と連絡取りあい影響力を回復しようと考えた。ペルー政府が、チリ政府に滞在中の元大統領の送還を強く要請した。元大統領はチリ政府に亡命を求めたが、チリ政府はこれをやんわり拒否し、元大統領はペルーへチリ経由実質送還された形となった。チリ政府も隣国との好関係を優先し、フジモリ元大統領には結果として厳しい態度を取ったということだ。 まだまだ日本には技術的な救出支援のチャンスはあると思うので、‘'塵(ちり)も積もれば山となる‘'格言通り地道にアピールを続け、支援チャンスを生かし、クリスマスの美酒を33名の家族達と共に祝いたいものだ。
2010.08.30
コメント(0)
うだる様な暑さの中で、甲子園まで到達した球児達は暑さ等なんとも思っていないのではないだろうか。いつも思うのだが、野球は自打球含め硬球に当たる確率が高いことや、滑り込みセーフの様な際どいプレーも有る為、どうしても重装備のユニフォームとなる。夏は剣道着と同じで、甲子園の高いスタンドの中では相当‘’暑苦しい‘’のではと思うのだ。アメリカのジュニアハイスクール等では、 夏の野球風景は、硬球ではあるものの、いとも軽装、半ズボンで膝にプロテクター付きで練習をしている。見ていても暑苦しくないのだ。吾輩の軟球草野球も、夏は軽装でやっていた記憶が有る。しかし安全を考えれば、やはり重装備のユニフォームは仕方がないのかも知れない。 不祥事続きで話題になっている大相撲は、その点夏場も暑苦しくはない。反面初場所は寒くて大変だが、地球温暖化の流れで、温かい場所になる傾向なので、余り心配する必要はなさそうだ。 野球のユニフォームも技術改良で、汗を即吸収し風通しの良い涼しい軽装スタイルの物が出回る様になると思う。 広島平和慰霊祭に参列されたルース米駐日大使が、帰路甲子園開会日の試合にも顔を出し、「高校生の野球大会で、4万8千人の観客を動員する大会が継続しているのは驚きだ。」とコメントしていた。野球の本場米国をも凌いでいるイベントとして、世界にも認知されていると言うことだろう。学校教育の一環と言う原則が都度再確認され、プロ野球予備軍の場でなく、一部私立高校の全国に校名を早期に認知させる場になりがちなケースも適宜防いでいるという点では評価出来る。 吾輩も高校野球の観戦暦は長い方だ。今迄のラジオ、テレビの視聴、甲子園の直接観戦で、心に残っている夏の選手権大会激闘の試合を振り返ってみよう。歴史に残る名勝負だ。(1)昭和33年(‘58年) 準々決勝 徳島商 坂東投手 Vs 魚津(富山)村椿投手の 白熱の投げ合い。将に熱闘甲子園だった。延長18回 引き分け再試合で両投手 連投 27回、徳島商の勝利。なんと坂東投手は、前年の四国大会で、引き分け再試合規定が 無い時代に、準決勝高知商を16回で下し、翌日決勝高松商戦で25回と連続41回連 投し、2:0で惜敗している。この後18回再試合規定が策定され、坂東投手と村椿投 手との投げ合いが、甲子園での最初の適用となる。俗称‘’鉄腕坂東‘’の登場であ る。ご存じのタレント‘’坂東英二‘’さんの昔の話である。同じ頃、プロ野球西鉄ラ イオンズの稲尾投手が日本シリーズで連投し逆転優勝を飾っていた。坂東投手のプロ選 手生命も、鉄腕、稲尾投手も長くは無かった。彼らが無理した反省から、米国大リーグ でも、今や先発完投は稀で、球数100球超えれば中継ぎへ交替とか、先発の中3日~ 5日のローテーションが徹底されるようになった。投手が長い選手生活を続けれる今日 のプロ野球の、隆盛の礎を作ったと言えよう。 因みに再試合規定が無い時代の歴史に残る夏の甲子園熱戦は、昭和8年(‘33年)の 準決勝中京商VS明石中の延長25回の中京商勝利の試合だ。中京商は決勝でも撃破 し、優勝校となる。(2)昭和44年(‘69年)決勝 制球上手の井上投手松山商VS剛腕大田幸司投手の三沢 (青森) 延長18回 0:0のまま、翌日再試合となる。太田投手は再試合も連投、27回連 続だが、松山商には、控えの中村投手が健在、井上を途中で引き継ぎ、三沢をかわし た。 先の南アW杯でも話題になった審判の誤審問題だが、この決勝延長戦では、井上投手の 制球が、「ボール」をストライクと判定させる位優れていた。熱戦を押し出しフォアボ ールで決着したら面白くないという審判の高度な判断で、誤審と思われそうな局面が2 度程あった。深紅の優勝旗が、東北地方に抜ける‘’白河の関‘’を終に超えるかどう かで、固唾を飲んで見守った決勝戦だったが、押し出しフォアボールで三沢の勝利=優 勝旗が白河の関を超えるシーンが、あったのだ。それほど太田投手率いる三沢攻勢の試 合展開だった。 その後白河の関を超える話は、平成16年(‘04年)の駒大苫小牧 の優勝まで待つことになる。白河の関を超えると言うより、優勝旗は津軽海峡を飛行機 で一挙に越えてしまった。(3)昭和58年(‘83年) 準決勝 桑田・清原KKコンビのPL学園VS水野投手の (徳島)池田 82年夏、姫ダルマ監督と異名を持つ蔦監督率いる徳島の山中にある池田高校のやま びこ打線が、1年生荒木大輔投手を擁する早稲田実業をコテンパンに打ち砕き、夏優勝 校となった。蔦監督は、池田の野球部が14名しか集まらない段階から甲子園出場を果 たし、‘’高校野球はヒットで出たらバントで送る‘’の常道を否定し、バントをせず 野球の醍醐味である強振のヒット戦法が、甲子園ファン皆の共感を呼んだ。その池田 は‘82夏、’83春選抜と畠山投手で優勝重ね‘83夏優勝で初の3連続優勝がかか っていた。 擁する投手は快腕水野(後巨人入団)、対するはPL学園は、1年生コン ビ桑田エース投手・清原4番内野手。その水野がKKに打ち砕かれて3連続優勝の夢は 断たれた。KKに打たれた水野投手のうな垂れた瞬間は強烈だった。(4)平成10年(‘98年)準々決勝戦 松坂大輔投手の横浜高校 VS PL学園 再試合となる延長15回で横浜が勝利する。優勝校となるが、松坂投手の連投は凄ま じい迫力が有り、大物の風格を備えた安定したピッチングだった。「大輔」の名前が命 名ブームになったのは、上記(3)の早実荒木大輔投手の活躍からだ。(5)平成18年(‘06年) 決勝戦 斎藤投手の早稲田実業 VS田中投手の駒大苫小牧 15回引き分け再試合の末、早稲田実業の優勝。上記(2)松山商VS三沢から決勝 戦再試合は37年振りで、ハンカチ王子斎藤投手が一枚上手で粘投した好ゲームだっ た。この敗戦で駒大苫小牧は3連覇の夢は潰えた。その後二人は、早大学生野球とプロ 野球楽天へと違った道を歩む。斎藤投手は、4年間の集大成となる世界学生野球選手権 大会で、準決勝キューバ戦を任され敗戦投手となり、チームは韓国に勝ち銅メダルで終 える。マー君こと田中投手は、名伯楽野村監督と出会い一皮むけて凛々しくWチャンピ オンのメンバーに成長した。 斎藤投手もプロ野球の道に進むと思うが 両者の投手戦再対決は面白そうだ。
2010.08.15
コメント(0)
夏の風物詩と言えば、蛍、風鈴、花火、ソーメン、スイカ、高校野球と来て、やはり蝉の泣く音に落ち着く。 先ず「蝉」を文学から紐解くと、源氏物語の「空蝉」(うつせみ)の巻だ。吾輩からすれば源氏物語とは、光源氏が雅な宮中に生まれながらも屈折した生い立ちから、女性遍歴をし、その交流を美文で和歌を織り交ぜて描いている小説と考えていた。この巻を読んで、空蝉のような女性が、男依存から超越して孤高の境地に達した強い女性達の物語だと言うことを、梵やりと理解できた。万葉集等と比較した場合、貧しいこととか庶民の生活感ある気持ちが全く記載されていない。古文の美しさにはただただ驚くばかりだが、稼ぐと言う生活に根ざしていない貴族の物語が、視点を変えれば斯くも魅力が増すものだと感服している。 「空蝉」とは、‘’この世は蝉の抜け殻のように、仮のものではなく、はかないもの‘’と言うことだ。平家物語、能、茶道、禅等に表現として出てくる「無常観」の走りをこの巻は述べているような気がする。 この夏も木漏れ日の林を散歩しながら、蝉時雨の音で蒸し暑さを感じつつも、夏~秋に移る物悲しさの中で、蝉の抜け殻と死骸を夫々見つけた。「蝉の抜け殻」には、抜けた後の蝉の一丁前の姿を想像すると、お疲れ様と言いたくなる。 蝉の一生は、枯れた枝とか、木の幹に産卵し、越冬、翌年5月頃孵化し、幹を伝わって地中に6年~8年(最近はアブラゼミなど一部は、猛暑と梅雨の開け方等が影響し、4年位に短縮されたとの分析もある。)、梅雨上がりの頃、地上で成虫になり、6日~8日(約1週間、最近では4日位と言う説もある。地中と地上で、約1年分(365:1)の期間に差があるものの、それで一生を終える。 オスは地上にいる間は、求愛の泣きまくりでパートナー(メス)を見つけ、産卵に漕ぎつく。成虫になってからは結構忙しいのである。蝉時雨がオスの愛の絶叫だと思うと「もっと泣いて頂戴」と言う感じにもなる。猫やカラスの発情期の鳴き声は、決して及びでないが。 ‘’ラジオ体操第1、第2を3カ月すると、適面にダイエット効果有り‘’とのキャッチコピーを週刊誌広告を新聞広告欄で拝見した。そう夏はラジオ体操が始まる。お年寄り参加数の割合が、子供さんの参加人数の2割以上だったら、その地域は少子高齢化が進んでいる地域という説もあるようだ。ラジオ体操を終えた子供たちが、蝉取りにいそしんでいたが、捕獲間際の逃げる際、蝉が良くおしっこをしている。これは、威嚇では無く、蝉が水分や消化不良の樹液を捨てて、夏バテしないようダイエットしているシーンと言うことらしい。 次に、和歌を伝統文化として現代にまで延々と普及させた「百人一首」だ。その一歌人「蝉丸」法師も蝉にまつわる文芸人として挙げられる。「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」。正月に家族や知人で繰り広げる「百人一首かるた」の坊主めくりで「蝉丸」さんを引くとどっと’’残念’’の笑いが起こる。 三つ目に、蝉の声を「禅」の修業の如くつかみ様がなく、岩に浸み込んでいる状況を読んだ、松尾芭蕉の名句が挙げられる。「閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の声」。 「奥の細道」の立岩寺紀行の一句だ。日本を代表する文化‘’禅‘’と、蝉の漢字が似ている。蝉時雨も、禅寺で修行している僧の読経の様にも聞こえる。蝉の樹に留まっている姿は、動かない座禅中の禅僧に似ている節も有る。芭蕉は、岩に吸い込まれている蝉の声を、禅の悟りの如く、延々と続く、捕え所の無い悟りを求める境地とオーバーラップしたのではないかと思う。この句が出来てから330年位経過していると思うが、句の斬新さは時を超えて心に響き渡るものだ。 文学からの4つ目最後は、藤沢周平の小説「蝉しぐれ」だ。2003年テレビドラマとしてNHK金曜時代劇で放送され、その後映画や舞台でも放映や上演がされている。立岩寺の芭蕉「閑さや・・・」の俳吟場所と、藤沢周平が育った山形県鶴岡市とは近く、ドラマの舞台「海坂藩」は、江戸藩邸との行き来に立石寺を経由したのではないかと思うくらい、蝉時雨の轟渡る山奥深い夏のシーンが出てくる。剣術の修業場所もしかり、藩を逃げる際も、夏の蝉時雨がよく似合う舞台設定だ。 ドラマの内容は、藩を愛する若き下級武士達が、お家騒動に翻弄されながらも立ち向かう物語だ。武士道の求動を、蝉時雨のやるせない延々と続く声に重ねているのではないかと思う。 藤沢周平もどこかで、芭蕉の「閑さや・・」の句想を参考にしているのではと思う。 最後に、蝉が昆虫であることに触れておこう。世界的に「生物の多様性」が声高に叫ばれるようになり、今年10月名古屋で、「生物多様性の締約国会議」が開催される。生物は、動植物35万種、昆虫800万種、微生物含め全体で約14百万種程度存在するらしく、毎年4万種程が絶滅に頻している。会議では(1)絶滅を止めること、(2)生態系の持続的利用、(3)遺伝資源の公平配分が討議される。朱鷺(トキ)や、クロマグロ・イルカ(クジラのサイズが小さい種類)等の食糧文化との共存・保存を考えると、関心はいやが上でも高まるものだ。 地球温暖化の締約国会議も、1997年京都宝が池国際会議場で行われ、欧州の論陣が中心に、京都から必要性を世界に発信し、「京都議定書」のCO2削減の枠組み批准活動がスタートになった。「生物多様性」でも同様の開催効果が期待される。昆虫は、子供達の虫取りの獲物で注目されている、絶滅危惧の心配がなさそうなカブトムシや蝉等は、共存出来ている。殺虫剤のターゲットになる虫達は、人間から「無視(むし)」して欲しいと願うだろう。蝉は「樹液」を餌にするように、樹木の育成と大いに関係がある。 昆虫としての蝉は日本には33種類いるらしい。夏の移ろいを感じる中、梅雨明け宣言が出ると共に、ニーニー蝉が泣き、ミンミン蝉、アブラ蝉=クマ蝉(最近は’’油’’を売っているのかアブラ蝉よりクマ蝉が多い)、めったに聞かれなくなったがツクツクボウシと続き、秋の訪れを感じる頃、その’’日暮らし’’のヒグラシが囁く。後は鈴虫達秋の虫に譲るべく去ってゆく。人様は熱帯夜で’セミ’ヌード姿としても、それは33種類には含まれず。
2010.08.12
コメント(0)
世の中から無くしてしまいたい物=「原水爆」を葬り去ろうと被爆した建物や場所を後世に残し、世界に広く伝えていくことで核廃絶の流れを作ることには大賛成だ。今年の8月6日広島原爆平和慰霊祭に、米国オバマ大統領の肝いりで、ルース駐日大使が、英仏臨時代理大使と共に被爆65年を経て初めて参列してくれた。むせぶ涙の極みだ。この広島の原爆ドームは’96年ユネスコの世界遺産へ登録されている。次いで今年7月31日米国信託統治の北太平洋マーシャル諸島「ビキニ環礁」が文化遺産として世界遺産へ登録された。ご存知の焼津母港遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」全乗組員23名が、’54年(昭和29年)3月1日米国のビキニ環礁水爆実験の米国指定危険水域外での漁中に被爆し、1名が死亡した。日本は広島・長崎に続き、戦後も世界で3番目に当たる原水爆の被爆を受けたことになり、日本は悲しみに包まれたいきさつがある。 第五福竜丸は、’47年和歌山県古座町(現在:串本町)のカツオ漁船として建造された木造船だった。その後、遠洋マグロ漁船に改造され、ビキニ環礁で操業していて被爆した。米国が、被爆の証拠を隠滅する為沈没されることを恐れた乗組員は被爆の無線連絡をすることなく、焼津港へひっそり帰港した。この被爆をきっかけに東宝の特撮「ゴジラ」は制作され、’54年11月3日公開された。後に日本のアニメ海外輸出の波を受けて、「ゴジラ」がニューヨーク(NY)マンハッタン街を闊歩するシーンが、米国の子供たちをとらえたのは皮肉なものだった。また第五福竜丸が、帰港後東京水産大学の練習船「はやぶさ丸」に改造され、その後廃船となり、東京のゴミの島「夢の島」へ放置されていた。’69年東京都の職員等が中心の保存運動が起こり、都立夢の島公園「第五福竜丸展示館」に展示されて今日に至っている。丁度若者が集まる「お台場」と「葛西臨海公園」の真ん中に位置する。無料入館可能なので、ついでの折に訪れることをお薦めする。また心臓部のエンジンは、廃船時に本体から切り離され貨物船「第三千代川丸」に搭載されていたが、'68年熊野灘沖で座礁沈没した。この際も保存運動が起こり、’96年海底から引き揚げられ、展示館の脇に展示されている。 その後歳月は流れ、今年3月のアカデミー賞を受賞した米国人監督の和歌山県太地町イルカ漁「ザ・コーブ」が、日本でも一部の映画館で公開されている。米国が現在も水爆実験の被害と認めていない第五福竜丸被爆を、船の歴史を物語る「建造の串本町、エンジンの座礁水没の熊野灘」共に「ザ・コーブ」の無断撮影地「太地町」の近くだ。因縁があるとしか思えない。大切なことは被爆の事実を遺跡や展示館で突きつけ、風化させないことだ。どこかで米国オバマ大統領の広島訪問に繋がるような、米国や核保有国の核廃絶賛同者にメッセージが伝わり、連帯できること必定と考える。 さて前置きが長くなったが、夏の反戦反核の季節に免じて許していただき、本題に入ることにしよう。若い女性達に、この話をすると’’ウソー、本当?’’と黄色い声の反応が返ってきて、明るい歓声に包まれる。そう「水着の『ビキニ』って、'46年7月1日フランスのデザイナー:ルイ・レアール氏が、パリコレクション超最小面積新作水着発表時、マーシャル諸島のビキニ環礁が、細いサンゴ礁の島がほんの付け足しの島の様に連らなっている形になぞらえて、また米国の水爆実験が'46年6月末ビキニ環礁で行われた衝撃の、4日後だったので『ビキニ』と命名した」。実際その時代の最小面積のセパレーツ型水着は、物質の最小単位である「アトム(原子)」と言う名で普及していたようだ。そのアトム(原子)に対抗してさらに最小面積の水着にインパクト持たせるには、実験の後だから衝撃的ということになる。その後フランスも仏領太平洋諸島で核実験を、頻繁に重ねることになるので、命名に反核の意味は込められていなかった。しかし全世界に、66回も行われた原水爆実験の場所ビキニ環礁とは無関係に『ビキニ』水着が定着していった。その認知度の流れ(つまり、メディア操作も含め、命名の関係を敢えて言わない。=日本の女性達も殆ど知らない事実)を見ると、やはり米国、フランス等核保有国の横やりが入り、名前が普及しなかった可能性も否めない。 吾輩はビキニを見ると原水爆廃絶の象徴の水着と見るようにしている。このような見方(味方)の輪がが増え続けるならば、世界の反核運動のうねりは素晴らしいものになるのに。 このようなインパクトのある命名には「ミニスカート」もある。モデルのツイッギーさんの着こなし方にもよったと思うが、世界へ定着するには時間を要しなかった。一種の衝撃的シンプルな命名だ。 日本の連続猛暑は、進みゆく高齢化社会も直撃した。昔「熱射病」と言っていたのが「熱中症」と名前を変え、所ジョージさんも農作業で熱中症になる等、経験したことのないような熱中症患者の急増である。救急医療が大変な時に、未成年者や高齢者を除いては、いたづらに救急体制の疲弊を推すような、簡易救急車出動は避けて、過重な外出や充分なアルカリイオン飲料の補給で体力温存し、暑さを乗り切って欲しいものだ。そんな中『ポカリ・スエット』のインパクトのある命名には流石に感心する。熱中症対策のメガヒット商品として再登場している。若い人達が朝シャン含め、汗を流し、奇麗好き、清潔好きの流れを読み取っていたような「スエット」(汗)の商品名挿入起用だ。得てして汗臭いとか、汗の匂いとか嫌われる運命の汗だが、良く逆手に取ったものだ。暑さをポカリ(ぽっかり浮かんだ汗)スエットで乗り切りましょう。
2010.08.08
コメント(0)
虹が日本ではなぜ7色と言われているのか不思議に思って調べてみると、なんと日本でも江戸時代くらい迄は、3色とか5色とか言われていた。明治維新以降西洋文明が流入する中で、英国の巨星科学者アイザック・ニュートン博士が、虹の原理をプリズムにより解明し、7色としたのをそのまま踏襲したようだ。実際には、「赤、橙、黄、緑、青」の5色は明解だが、「藍、紫」は中間色なので、ニュートン博士のさじ加減で5色+アルファ2色=計7色としたらしい。音楽が好きなニュートン博士は、ラッキーセブンの7では無く、ドレミファソラシドの7音階に因んで7色としたそうだ。 音楽の本家ドイツでは今以って「虹は5色」として定着している。かように‘’七色(なないろ)の虹が浮かんで消えた・・・‘’という歌の文句に「もんく」を言う訳ではないが、自然の現象にはあいまいな表現の色もあるので、虹は7色だと思わないで、5色にも、6色にも、8色にも見えるので、夫々の感じる色数で虹を楽しむことをお勧めしたい。 さて、南アフリカのFIFAワールドカップ(W杯) の余韻が醒めつつあるが、南アは‘’虹の国‘’と言われている。アパルトヘイト(人種隔離政策)がストップし、全人種による総選挙が16年前に行われた。後5年もすれば、アパルトヘイト後に成人した全人種による総選挙が行われる。まさに‘’虹‘’=人種間の垣根を‘’架け橋‘’でつなぐという意味が込められていると想う。 最初、建設の遅れや治安の悪化で、W杯を開催できるのかどうか危惧する声が上がった。FIFAプラッター会長が、日本を含む開催代替地4か所を挙げて、治安対策強化等の圧力をかけた。 日本放送界の女子アナウンサーも派遣を断念したという経緯も有る。 蓋を開けてみれば、これらの不安を一掃し、50万人以上の海外からのサッカーファンや関係者も、南ア開催を概ね成功と評価した。南アも自信をつけて2020年夏季五輪の候補地に名乗りを上げた。金やプラチナ他貴金属資源の高騰傾向も続く中で、‘’虹の国‘’はその「架け橋」を強化して飛躍する事になると思う。 中国では「虹」は龍や蛇と関わりが有ると言われ、虹に‘’虫‘’偏が使われている。 今上海万博がヒートアップの最中だが、上海玄関口にはリニアモーターカーで市中心と結ばれている浦東(Putong)にあるメインの上海(新)国際空港と、上海虹橋国際空港という昔からの空港がある。羽田空港から既にチャーター定期便が上海虹橋空港に就航している。虹(の)橋らしく、羽田空港が今秋国際便を増便し国際ハブ空港としてデビューする中で、この上海虹橋空港と羽田空港の定期便増便が予定されている。成田空港―上海新国際空港を補完する上で、良い‘’架け橋‘’の空港になるだろう。 猛暑日が続く毎日だが、虹に因んだ納涼の話をしてみます。8月4日付け朝日新聞で報道されていたが、「日本の渚百選」に選定されている山口県光市「虹ケ浜海水浴場」で、ナイター海水浴が8月8日まで午後5時~8時半の間、楽しめるとのこと。浜辺のライトアップは8月末までされているとのこと。 お盆を過ぎるとクラゲが発生して、海水浴には適さなくなるが、クラゲもこの暑さでは発生を遅らせてくれるのではと。ナイターで夕涼みがてら海水浴を楽しむのも乙なものだ。 フランス語では虹のことを‘’arc-en-ciel‘’(アルカンシェル、空にかかるアーチ) と言う。歌のヒットグループ「ラルカンシェル」も (L)arc-en-cielから命名されているようだ。アーチ(橋)と言えば暑い中、水が命の『水道橋』を想い起こす。虹を架け橋に見たてるのは、願いや想いを大気中に浮かぶ「虹」に懸け易いのではないかと思う。 「心頭滅却すれば火もまた涼し」とは良く言ったもので、この暑さをぶっ飛ばすには「虹」を水道橋のアーチに見立てて水の流れる音を想い起こすことにしよう。 あ~あ~少し涼しく感じます。
2010.08.07
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1

![]()
