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清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくしき--------------------------------------------------【訳】清水寺(きよみずでら)に行こうと祇園を通り過ぎる、この桜咲く月夜。今夜すれ違う人は、みな、なんて美しいのかしら。---------------------------------------------------【背景】晶子の歌の中でも最も多くの人の口に膾炙された歌。祇園・清水という言葉から彷彿とする、京都の情緒をたっぷりたたえた美しい装いの男女や、舞妓のあでやかな姿であろう。これを詠んだ当時の晶子は上京前で、この歌は憧れていた京都の歌を詠むことによる煩悶の日々からの精一杯の逃避であったと言われる。---------------------------------------------------【自訳現代歌】夜桜を共に眺めている今は帰らぬときを過ごす贅沢---------------------------------------------------桜は特に、「一瞬」という時間を感じさせるものだと思います。毎年咲くけど、毎年はかない。
2004.07.31
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海棠にえうなくときし紅すてて夕雨みやる瞳よたゆき--------------------------------------------------【訳】海棠(かいどう)の木のもとへ、用も無く溶いた紅を捨てながら夕べの雨を見やっているのです。瞳もけだるくなる思いで。---------------------------------------------------【背景】海棠(かいどう)はバラ科の落葉低木。庭木として植えられ、春には赤く鮮やかな花を開く。歌の中の「紅」は絵の具の紅色とも、口紅ともとれる。恋人を待つ女の倦怠とやるせなさを詠んだ歌。これは晶子のヒロイン成り代わり的作品である。---------------------------------------------------【自訳現代歌】会えないと言われた日ほど家も出ず待ちいて過ごすビーズも楽しき---------------------------------------------------最初から会えないより、会えると思ってて会えなくなったときの方がじんわり重い。でもそーゆう時もいろいろ作ってると意外に楽しい。
2004.07.30
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臙脂色は誰にかたらむ血のゆらぎ春のおもひのさかりの命--------------------------------------------------【訳】例えて言えば臙脂色の私の心、それをいったい誰に語りましょうか。血が沸き立つばかりに揺らぐ青春の今の情感と燃え盛る私の命を抱きながら。---------------------------------------------------【背景】臙脂色はやや黒味を帯びた濃厚な赤色。熱い恋心と情熱を、晶子はそんな色で表現している。求心力の強さにおいて、全身全霊の迫力において、晶子の恋は命がけという言葉そのものだったから、薄い桃色や淡い紅色ではなく、なんのてらいも無く臙脂色でありえたのだろう。また他に造語で「臙脂紫」という言葉も晶子は使用している。---------------------------------------------------【自訳現代歌】流れ来る月日の中で変わりゆく我のこの身の君に会いて後---------------------------------------------------臙脂色が今までの自分の中の色と違う、と感じたのはその人と出会って自覚したから。
2004.07.29
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その子二十歳櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな--------------------------------------------------【訳】その女性は20歳、梳るたび櫛からまっすぐ流れるように黒髪が伝う。そんなことを誇らしく感じる青春時代はああ、なんて素晴らしいのでしょう。---------------------------------------------------【背景】恐れを知らない若さの表出。女性は慎ましい装いと風情で謙遜し人と接するのが世間への姿勢であり処世術であった時代に、堂々と手放しに自分の美意識を誇示することは時代へのアンチテーゼであった。このエネルギーに当時の文学青年たちの圧倒的支持が集まったと言える。---------------------------------------------------【自訳現代歌】勢いと無茶と強引な我が過去は知らぬが故の至りの数々---------------------------------------------------それが「元気が良い」「勢いがある」と評価されるから、世の中よく分からない。
2004.07.28
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髪五尺ときなば水にやはらかき乙女ごころは秘めて放たじ--------------------------------------------------【訳】長い長い黒髪を解いて水に放ったとしたら、やわやわと揺らぎ、水に広がることでしょう。同じように柔らかくて傷つきやすい乙女心、人には秘めて、決して明らかになってするものですか。---------------------------------------------------【背景】女性の長い髪は美女の条件の一つ、そして自分の髪に自信のあった晶子はよく髪についてとりあげる。乙女心は明かさない、と言いながら、実は恥ずかしがりつつの誘いかけのポーズである。---------------------------------------------------【自訳現代歌】我が髪を洗いしその手をただ見てる気持ちの空気が泡にふくらむ---------------------------------------------------温泉とか大きなお風呂とか最近行ってない。箱根も近いのに、エイヤで行こうと思わないとなかなか行けないものです。
2004.07.27
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歌にきけな誰れ野の花に紅き否むおもむきあるかな春罪もつ子--------------------------------------------------【訳】歌に聞いてごらんなさい。いったい歌を詠む誰が、野に咲く花のうちでも真っ赤な花を嫌うでしょうか。赤い花こそ趣があるもの。同じように青春時代に恋の悩みを抱く人も、赤い花のように風情があるのではないでしょうか?---------------------------------------------------【背景】「みだれ髪」巻頭2首目に置かれた歌。恋に夢中になっている晶子の当時の収拾のつかない気持を代弁しているような歌。上京を控え不安な気持を、逆に恋のすばらしさを主張し全肯定したかったと思われる。---------------------------------------------------【自生訳現代歌】誰彼も罪も恋も無くは生きられずその積み重ねで今日をまたいく---------------------------------------------------罪=恋、という言い方が面白いです。誰もこれらが無くは生きられないのでしょう。
2004.07.26
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夜の帳にささめき尽きし星の今を下界の人の鬢のほつれよ--------------------------------------------------【訳】夜の寝所でふたりが睦言を交わし尽くした、ここ星の世界。この同じ今、下界では恋に疲れた人たちが、鬢のほつれもそのままにいるのでしょうね。---------------------------------------------------【背景】「みだれ髪」刊行直前、晶子が鉄幹と京都嵯峨に赴き、二人で選歌を行った時分に詠まれた歌。---------------------------------------------------【自訳現代歌】平日と違う時間の軸で成るあなたと過ごす土日待たれる---------------------------------------------------
2004.07.25
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まじめに文章を考えて書くためにこのページを作っていますが、これに時間を取られたり、毎日更新することで精一杯、というのでは本末転倒かと思うので、ちょっとやり方を考えてみたいと思います。つきましては、短歌を1つ。その背景。その短歌から私が連想するもの・こと、あるいは自訳現代歌を1つ。というものにしたいと思います。あの31文字に自分の気持や想いをこめる短歌は、その過程が最大のコピーワーク。いかに人に分かりやすく伝えるか、原点に一度戻って書いてみたいと思います。短歌はまず、与謝野晶子の「みだれ髪」から選んでいきます。
2004.07.24
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-----------------------てんぱってて遅れました。(>
2004.07.23
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-----------------------都合5日もてんぱってたんですかね。ああおなかすいた・・。これで終わりだといいなあ・・。-----------------------黒。とりあえず黒の服を着ていれば、とりあえず仕事服に見えるだろう、という色。だから休日にはあまり着たくない。カラーコーディネートとか色診断とか、色は個人に関わってくる話である。肌の色味で、ピンク系が似合うか、オレンジ系が似合うか違う。髪の毛の色や目の色で、似合う服の色も違う。でも黒は、誰にでも合わせやすい、ある意味無個性な色。黒さえ着ていれば、というイメージがある。誰にでもは合わせられない自分がいる。融通が利かない。合う人と合わない人の差がある。表面的に合わせることは出来るが、長く続かない。大人になったら変わるとか思ったら、大して変わらない。相変わらず「合う人」は最初から「合う」し、「合わない人」は最初からあまり合わない。でもふとしたきっかけで別の側面を見て、合うようになることもある。人のたくさんの面を見ようとすれば、合う面に気づくのかもしれない。もっと人に合わせられるようになりたい。黒のような包容力が欲しい。
2004.07.22
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両極端な色の組み合わせで生まれた色。また昔から高貴な色として扱われている色だ。「品がある」「品がない」という言葉の、「品」とは何だろう?「あの人には品がある」というのを同義語で言い換えると「あの人には格がある」となるのか。格、と言う言葉であれば、人は知らずのうちに人同士を格付けしていることになる。人はそれぞれ自分のステージを持っているという。そのステージが同じ人とは同じものとして、違う人とは違うものとして接することを覚える。成長によってそのステージは個々に変わり、違うところにいた人同士が同じところに来たり、同じところにいた人たちが違うところに行ったりする。ステージには厳密に上下があるわけではないが左右にずれていたり、離れていたり、傾いていたり、逆さを向いていたりする。そのステージが、自分より上に見える人に「品」を感じるのだろうか?それとも「品」という軸があり、その軸で高いところにあるステージにいる人は「品」があるのか?自分でどうにかしようと思ってもどうにもならないもの。でも人を評価する上で重視されるもの。「品」が絶対評価か、相対評価か。今まで考えもしなかった。
2004.07.21
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緑は黄色と青の合いの子なのにさらに「黄」緑。なんだか出来損ないみたい。緑になりたかったのに、ちょっと足りなかった。人には誰でも「得手不得手」がある。得意なことと不得意なことがある。得意なことが目立つものだと「優等生」で、目立たなければ普通の人だ。がんばれば出来るようになることと、がんばっても出来るようにならないことがある。運動は後者かもしれない。勉強は前者かもしれない。誰でもががんばれば出来ることをがんばるのは簡単で自分しか出来ないことを探すのはとても難しい。でも、小学校でも中学校でも高校でも、人が出来ることは出来るようになりなさいと言われていた。競争の軸はいつも同じだった。私にしか出来ないことってなんだろう。私が出来ることはなんだろうか。それはどうやったら見つかるのだろうか。見つけ方が分からない。人は自分のことを、自分が分かる範囲でしか分からない。自分が分からない自分は、ある日人から指摘されて気が付くだけだ。人の言葉に耳を貸そう。「あなたって~だね」という言葉をつなぎ合わせたら、見えなかった自分の影が見えるようになるかもしれない。
2004.07.20
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オレンジは、果物の名前。果物の名前で色になったものの中では一番メジャー。成功する、って何だろう。一プロジェクトなら、それがうまくいけば成功だと思う。でも「成功」という言葉そのものには終わりが無く、次々に新しい問題を乗り越えなければならない。現状に不満を言うのは簡単だけど改善点を挙げて今の不備な点を整備するには時間も力もない時には、人は何をすればいいのだろう。不満を言わず、達観していても事実は変わらない。誰かと共有しているものが「成功」なのだと思う。誰かに認められて、評価されるから、尺度として「成功」と呼ばれるステージに立てるのだと思う。誰か・何かと同じ成功を共有したいと思う、その気持ちが人を前に、上に進めていく。共有したいと思えないもの・人・組織では前にも上にも進めない。一緒に笑いたくて一緒に悩みたくて一緒に問題を解決するヒントを出し合いたくて。自分がアイディアや労力を提供したいと思ってしまう集まりが目の前の壁を確実に壊し前に進む。私は前に進めているのか。あなたは前に進めているか。
2004.07.19
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「茶」色。全然「お茶」色じゃないじゃないかと思ったら、「茶」は漢語だった。「烏龍茶」色だったのである。漢語はいわゆる音読みのもので、和語は訓読みのもの。当たり前で身近だったことが、実は余り知らないことだったと気づくことがある。小麦粉は、小麦粉から作るが、では大麦粉、というのもあるのか?薄力粉と強力粉、なぜ薄力粉と厚力粉でないのか?無知なこととは、「無知である」と知らないこと。「無知の知」とは、「無知である」と知っていること。一番分からないのは人の気持ち。見えないものが分かるはずが無く、変わり続けるものが分かるはずがない。分からないんだということだけ分かっていて、今、目の前にあるお互いの情報を蓄積することでだんだんと情報が増えていくことで、変わり続ける方向を何となく予測することが、出来るようになるのだろうか。
2004.07.18
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危険信号である。ちなみに、全身黄色を来ていると蜂が寄ってくる。何か危険がありそうな時、「ああ、何か危ないな」と予感があることがある。そんな時はたいがい実際何かあり、「やっぱり」と思う。これを第六感、または虫の知らせという。この感覚は、この感覚を信じる人にしか無いと思う。私は信じている。私に何かあった時には、親や好きな人に虫の知らせを送りたいと思う。しかしながら、第六感と呼ばれる感覚は、そんな死に直面した場面だけに存在するのではなく、ふとした未来の透しであったりするものや「なんか好き」「なんか嫌い」という理由がよく分からない感覚だったりする。また理由がないからこそ、その感覚は覆らない。「なんとなく」という言葉にはその感覚が凝縮されている。「なんとなく」を素通りせず、意識して過ごすことで自分の第六感を感じることが出来るかもしれない。「根拠や理由が分からないけど、「なんとなく」そう思う。」それは何かのメッセージのようで、とても素敵だ。
2004.07.17
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ピンクは性差がある色だ。青は男の子、ピンクは女の子というように、なんとなく分けられている。別に青が好きな女性はたくさんいるし、ピンクが好きな男性もたくさんいるので、厳密な規定ではないが特に乳幼児・幼児という自分で衣服の選択が出来ない時期には、親が性差をもって着せることが多い。これは、「ピンクは女の子の色」=女の子らしい色=ピンクを着れば女の子らしくなる=そうなってほしいという、親の願望なのだろう。「かわいいね」と言われ続けた子どもはかわいくふるまえるようになるし、「かわいくない」と言われていた子どもはかわいくふるまう方法が分からないと言う。子どもの数少ない語彙の中に、ポジティブな言葉が多く入っている子とネガティブな言葉が多く入っている子では、その性格に差があって当然である。嘘も100度言えば本当になると言う。そうなりたいと信じることを言葉に出すのは難しいがそう100度言うことで、それを本当にするチカラが生まれると思う。嘘だと思っても、本当でなくても、信じて願いを言葉として出す。あなたが今、信じてかなえたいと思う、願いは何ですか?
2004.07.16
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屋久島に行った時に、その山の緑色の多さにびっくりした。山だから・自然が多いから緑色が多いのではなく、緑の色の種類が多いのである。身近に緑を表す言葉は、緑・黄緑・青緑・薄緑 ぐらいだが、屋久島の木々の色はこの4語ではとうてい言い表せないほどの様々な色があった。かつての日本には、今ではあまり使われない、「萌葱」「浅黄」など微妙な色の名前があった。それは十二単や着物などにそれらの様々な色が使われていたために、「この色を」という伝達を当時の人間同士が行っていたからだろう。使わない言葉は忘れられる。そのものが身近に存在しないものに名前はない。逆を返すと名前があるということは、それだけで存在しているということであり、その名を使う誰かがいるということなのである。----------------------------------「色」シリーズの後に書く文章のテーマで何か良いのがあったら教えてください。参考にさせて頂ければと思います。----------------------------------
2004.07.15
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ウェディングドレスも白。死装束も白。その色に染められるための色。また生まれ、死に行く際の色とされている。白は「純粋」というイメージがあるが、白は「純粋」なのだろうか?そもそも「純粋」とはどういうことか?辞書を引いてみる。(1)まじりけがない・こと(さま)。 (2)穢れがないこと。邪念や私欲のないさま。人に染められ自分を変えていくことが純粋なのか?それは「まじりけがない」のか?穢れのない人間など、この世にいるのだろうか。少なくとも、私の周りには見当たらない。穢れがない人間とは、自分の穢れを浄化できる人間だと思う。過去は消せない。過去は変えられない。生きるべきは未来しかない。
2004.07.14
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高校の時の運動会の色が青だった。筑紫丘という福岡の高校だ。運動会は学年行事の中でも最高峰のものだった。1年から3年まで縦割りで、1学年あたり3クラス程度。3年生にブロック長をトップとした各種リーダーが立ち、各部署を運営する。期日は9月某日の運動会当日。企画や制作物が仕上がっていないという事実は許されず、さらに他のブロックとの勝敗に勝たねばならない。いかに組織として動くか、いかに下の学年の子たちを効率的に動かすか。スケジューリングと予算管理。今の仕事の基礎はすべてその時に行っていたことだ。今でも同じ高校だったという人に会うと必ず聞く。「運動会は何色だった?」
2004.07.13
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高知県の海岸近くの農家では、トマトの土に海水を混ぜて栽培する。普通なら枯れてしまう。アンデス山脈の高地栽培ではトマトには水を与えず空中の水分を葉から吸収させる。葉は一部枯れ、見た目は細々とした木になる。たくさんの栄養も水もいらない。厳しい環境で育ったトマトは、自ら甘くなる。痩せた葉と幹からは想像も出来ない大きな実を付ける。そしてその赤色は、濃く深く、決して平坦ではない色をしている。厳しい環境に置かれて枯れてしまうのと自らの糧として成長出来るかの差はどこから生まれるのだろうか。それは自分自身の将来に期待出来るか、また人の期待を感じられるかではないだろうか。絵図の描けない未来がそう易々と手にはいるはずがない。トマトは、周囲の期待を感じ、赤く甘くなる。あなたは、そして私は何を今感じているのか。そしてどのような実を付けるのか。その絵図は描けているのか。
2004.07.12
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