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家主はプロジェクトの準備で忙しそうで、翻訳メモリーソフトのTRADOSを主に使用するらしいが、一度そのマニュアルをプリントした時は数百枚の紙がプリンタから吐き出され、小生もプリンタが故障したのではないかと思ったほどびっくりしました。しかし、家主は物を買ってもマニュアルや使用書は読まず、一挙にあちこちを闇雲に触って何とか使えればよいということで、「そんなものをマスターする時間がない」と。しかしこのソフトは難しいらしく、スポットの翻訳は何とかこなしているが、大量なものと企業から提供される翻訳ライブラリを利用しなければならないので、「フィルターをどうするのか、タグをブロックするのは....」と頭を抱えています。しばらく落ち着くまでは小生らの存在は忘れられることでしょう。家主は昔からあまり大きくないシャトー(フランスのお城)が好きで、こじんまりとした、シャトーというよりはこの16世紀の貴族の館が特に気に入り、前を通ると心が癒されるようだといっています。家主の「心が癒される」の言葉は意外で、まだまだ小生の分からないところが多い家主です。
2007.02.25
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家主が帰ってきました。居候も数日前より同居しています。居候の家主がロンドンに行ったので、その間引き取ることになりました。相変わらず、マイペースであまり、うちの家主に従いませんが、家主は大変居候が気に入ったようで、毎夕膝の上に乗せて可愛がっています。小生が相方の膝の上からうらやましそうに(家主にそう思わせるために)見ると家主は「お前がこちらに来ないからだよ」と大変満足げです。さて、家主が相方に話していた様子では、家主は今年末までのプロジェクトを引き受けたようで、大量な翻訳作業でおそらく毎日こちらに居るようです。しかし、こちらに居てもパソコンの前に一日中だと、小生ら、今や3名の散歩も最小限にされるのが心配です。気候もよくなり、先日は壊れていたトラクターやチェーンソーを修理に出したばかりで、家主は相方にやっとトラクターのガレージ兼温室の拡張を固く約束していたのですが。相方も家主の約束は仮約束で、相方の反応を見て、それによって徐々に自分を拘束していくようで、小生らはすべては成り行き次第という暮らしに慣れています。先日の館の写真は「1950年代の映画で、フランスのジャンコクトーの《美女と野獣》の映画に使用された館」だそうです。
2007.02.23
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家主から写真のメールが届きました。例によって何の説明もなく、ただ写真が添付されているだけでした。「なんやこれ」と相方は無関心で、なにやらボタンを無意識にボタンを押したのでプリントされてしまいました。幸いにも小生は見ることができました。家主が帰ってきたら詳しいことが分かるはずです。ブドウ畑と林の中の家、古い館のようです。
2007.02.22
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家主の家の向かいに牧草地があり、多くの牛が放牧されている、時々数頭の馬もいるが、牛は奇妙な動物で、小生が近くに寄っても小生の存在を気にせず、黙々と草と食べ続ける。老母の話では家主が昔、毎夏干草刈りをしていた頃は白黒の斑点のある牛が多く、従兄弟たちと丘の上の牛を探しに行ったそうである。小生が一番の長老牛に「そちらの家主は何処にいるのですか」と話しかけると「あまり見かけないが、真冬には毎朝干草をトラクターでもってくるよ」。なんと彼らの家主はトラクターで来るらしい。「一日中、外でいいですな」「しかし、真冬には隣村の家主の家に帰ります、そちらはいつも暖かい家の中で快適ですね」「うちの家主は自分が居ない時はテレビの教育チャンネルをつけて、よく勉強するようにといって出かけます」「テレビ?」 「ウーゥ、説明するのが難しいな、またゆっくり話します。うちの家主が叫んでいますから、そちらの名前は?」 「名前?」 「ウーゥ、難しいな、文化の違いかな」 《何をしているんだ!!!!》家主の声が一段ときびしくなってきたので、「では、また」
2007.02.18
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家主の言う「19世紀の傑作の椅子」とは、世界でおそらく初めての大量生産された組み立てキットの椅子で、曲げ木細工を考え出したアールヌーヴォーのThonetである。西洋ブナの木を蒸気で曲げ、今のIKEAのように、キットで世界中に売り出したそうである。今でも古物市で多くみつかるが、籐張りの座部分が破れていると座れない。その座れない椅子を家主は何故か昔から集めていたらしい。小生はこの椅子はあまり好きでない。軽いので、小生が跳び乗ると不安定で椅子と共に床に転がってしまうのである。それに籐張りの部分に小生の爪が引っかかり、外すときに籐を切ってしまう。誰も居ないと老母などは冷たい床上ではなく、快適にこの椅子の上で一日中寝ていたこともある。それを最近、家主は何を思ったのか、物置からこれらの椅子を出してきたのである。相変わらず小生たちが座れる場所に置かれているのであるが、今は老母も小生も無関心。家人からは籐の座部分が破損していないと、適当な柔軟性があり座り心地が良いために、苦情はなし。家主は「自然なカーブと使いよさを追求した日常生活に至高の喜びを与えるもの」と。椅子にまで喜びを感じるようであるが、とても小生たちには理解できない不可解な家主でもある。 Thonet椅子のブログ トーネットの椅子ウィーン物語
2007.02.13
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車のトランクを開け、小さい2脚の椅子を入れ、大きな肘掛椅子を後座席に入れようと家主は後ドアを開けた。小生は慌てて頭を前シート下に突っ込んだ。家主が小生の頭にぶつかることを気にせずに、無理やり椅子を押し込み始めたからである。肘掛の部分がなかなか入らず、前シートと後シートの間に挟まり動かなくなくなったようで、家主は力いっぱいに押し込むのであるが、小生の前シート下に入りきらない背中に肘掛の一部が当たったので「ウーゥ」と家主の注意を促した。「???」 幸いシートが柔らかいので、椅子がすべりこみ、まだ10センチほど車から出ているのにもかかわらず、ドアを閉めたのである。肘掛が小生の臀部に突きあたったが、小生はこのような事態を事前に予想したいたため大事には至らず、安堵し頭をシート下から出し、家主の様子をウインドウ越しに探したのであるが、家主はすでにチャペル横の事務所に修道女と並んで向かっていた。この籐の肘掛椅子には見覚えがあり、小生の目の前の脚から、ほのかに感じる匂いは我が家のものである。このような古びた椅子は家主の家には多くころがっており、小生がまだ小さい頃、家人が居ない時にはその上に跳び乗ったり、その脚をかじったりしたものである。家主が籐の部分が擦り切れた椅子を、時々修理した椅子に入れ替えていた。「知る人ぞ知る19世紀の傑作なのだが、この椅子はやっぱり座っては駄目だ」と。なんと小生は座っては駄目な椅子を使っていたのである。
2007.02.12
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家主はしばしば、相方の知り合いなどから、そのお国柄で温厚で、悟っているように思われているらしい。周囲の者に時々、昔は仏教のお経などを覚えていたと言い、般若心経などをブツブツ唱えても、誰も分からず、「またいつものように煙に巻いている」と無視されるのである。しかし小生は家主が一人の時は、何か真剣に考えているような気配を感じる時があり、ふと気がついたように、小生の両手を取り、遠くを見ているように小生の顔をじっと眺める。しかし、すぐに「OK、外に散歩に行こう」と言い、老母を呼び、隣の林に向かうのである。「生まれる前の自分に戻るのだから、自分だけのために何かを信じる必要はない、他の人のためになるのなら、それはそれで存在価値があるだろうが」と相方の意向を全く受け付けない。相方もそのことを真剣に考えているのではなさそうではあるが。その家主が黒茶色の服を着た修道女と和やかに話しをしながら、ゆっくりと坂道を登ってきたのである。周囲の静けさの中で、枯葉の散るチャペルの横を通り、小生が閉じ込められている車に向かって来た。修道女は両手に大きな籐の椅子を三脚抱えていたが、家主がその内の一番大きい肘掛のついた椅子を取り、残る椅子と共に地上に置いた。家主はいつもと違った爽やかな微笑みを見せている。
2007.02.09
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珍しく小生をつれて車で家主が週末にカルメル修道院に行った。フランスには数多くあり、特に有名なのはパリとノルマンディ間にあるリジューだが、小生らが行ったのは十数年前に山奥の谷間に信者が寄付したのもので、小さな村から田舎道を谷間沿いに走り、四駆でしか行けないのではないかと思わせる程の農道が数キロ続くのである。修道女のみが住む谷を見晴らす小丘陵の林の中に木造の建物があり、誰もその入り口からは中に入れない。勿論家主も入れないが、小生の驚いたことに、車を見晴台のベンチそばに止め、いそいそと礼拝堂の横の事務所に入っていった。誰も居ないらしく、インターフォンで話す声が聞こえた後、家主は外に出て、修道院建物の入り口までゆっくりと降りていった。小生は車の中で待っていたのであるが、この季節にしては珍しい好天で、谷間であるために寒風から保護されているのか、すばらしい牧草が一面にあり、驚愕するほどの静けさと澄み切った空気で、また家主の家の林とは違った神聖さが身体に感じられるのである。定期的にこの修道院の外にあるチャペルでミサが行われるている。家主の相方はキリスト教信者だが、家主は「一応仏教だが、仏教は宗教というよりも哲学であり、今宗教の必要を感ぜず」といい相方のキリスト教への転向の勧めに抵抗している。(続く)
2007.02.05
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小生の家主は何もない景色、地平線だけや樹木だけの写真をよく好んで撮る。季節の変り、空気の微妙な動きを本人は撮っているように思っているのだが、他の人には同じ写真としか見えず評価はなし。キャノンの一眼レフデジタルを買いたいらしいが、以前にニコンの望遠レンズなどを買ったので、ニコンにも気移りしている。例によって新しいもの好きなので、新製品を欲しいが、高価なもので、他の優先するものに購買力を譲ってしまうようである。先日仕事から帰って来て「資本主義の市場経済の将来は暗いなあ」と突然相方に投げかけたのである。「経済成長のみを基盤とする構造は、地球の温暖現象や南北問題と協調せず、いづれは見直しをしないと、金融パニックに陥る可能性がある」。相方は「そんなことは大半の人は無関心で、今日明日の生活に追われており、政治家は次の選挙のことしか考えず、環境保全派も仲間喧嘩している状態だから、何か大きな事が起こらない限り一般の人の意識改革は期待できないのでは」と、「それより、私の研修日には誰か実家の人に来てもらう?」。家主は「ああ、あれはキャンセルした、家にいるから問題ない。約束したから」と思いがけない返答が帰ってきた。小生たちは大喜びであるが、家主の態度の変化に少し怪訝な感じ。
2007.02.01
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