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もう2年以上前になるけれど、妹と暮らしていたとき、彼女は朝から晩までRADWIMPSを聴いていた時期があって、カラオケに行っても下手な早口歌いを披露していたりして、そのせいで、自ずからすすんで聴くことがなくてもRADWIMPSの大体の歌がわかるようになった。もうちょっと、あと3歳くらいわたしが若かったら、めちゃくちゃ嵌って聴いたかもしれない。そう思いながら、隣の部屋から聞こえる音に耳を傾けていた。そんなRADWIMPSの新譜を今、すごく聴いている。ちょっとした感動を抱きながら聴いている。「アルトコロニーの定理」というアルバムの中の「謎謎」という曲を。音楽を聴く上で、たぶん詞の意味をあれこれ考える必要なはいのだけれど、日本語で歌われる歌については、歌詞の意味を理解しようと頭が働いてしまう。わたしが「謎謎」という歌にある種の感動を持っているというのはその歌の詞について当てはまる。RADWIMPSの歌詞には、完璧で素晴らしい奇跡のような君とダメでどうしようもない僕がたくさん出てくる。世界で一番美しい君と出会って、嘘つきで人間不信者の僕は僕自身を愛し始める、君のおかげで僕のすべてが世界がキラキラと輝き始める、そういう歌詞が多い。君はいつだって僕を救ってくれる存在で、僕は君がいないとダメな存在だ。でも「謎謎」に出てくるふたりはそんな君と僕ではない。君は君自身をどうしようもなく嫌いになっていて信じられなくなっていて、僕はそんな君を救おうとしている。今までの救われるだけのダメダメな僕ではなくて、ダメダメな僕だけど、君を助けてあげたい。そんな僕が歌詞に出てくる。そんな僕と君に、わたしはちょっと感動している。あはは、と、そんな歌詞に感動してるそんな自分がおかしくなるけれど、確かに感動しているんだもん。わたしもまだまだ若い。というか痛々しい!もさもさした青春スーツを着て、痛さに似た気持ちを捨てられずにいるんだわ。わたしもダメダメな人間で、わがままで自分のことしか考えられなくてすぐ怒ってすぐ怒鳴ってすぐ無視して早歩きしちゃうから、いいところなんてひとつだって思いつかないけれど恋人が絶体絶命のピンチに陥っていたら、救えるのは世界でわたしだけだと思ってる。ユー、ノー?
March 30, 2009
口内炎がよくできる。今も左上奥歯の歯茎に大きいのができていて、ほっておいたら腫れてしまって喉の方まで痛みが広がってしまった。口を開けるのがとても痛いので、ものも食べたくないし、喋りたくなくなる。ニッと笑っても痛いので、一日中仏頂面で過ごしている。だからなのか、ときどき顔の筋肉が痙攣している。木曜日、帰りに寄り道。目黒駅から目黒川沿いを歩いて中目黒まで帰った。その道は、たまに恋人と歩く散歩コースで、道にはたくさんの猫がいる。目黒川の桜はまだぜんぜん咲いていないけれど、夜桜見物人のためか、桜まつりに備えてか、ずっと先の方まで紅い提灯が連なって付けられていた。漆黒の川面に、ゆらゆらと揺れる紅い灯が映って、それはどこまでも続いていくようで、不思議なほど妖艶で、とても怖くなってパタパタと川沿いを走った。にゃあ、と、媚を売ってくる猫を無視して、ときどき後ろを振り返りながら走った。しばらく走ると気持ちが悪くなって、橋の上でゲロを吐く真似をした。本気で真似をしたからか、口の中に苦みが充満して、涙が出た。ふと、わたしよりも彼の方が先に死んでしまうんだろうな。そう思った。彼が死んでしまった後もわたしはこうやって彼と歩いた散歩道を歩くけれど、ふたりでは楽しめる景色も、ひとりでは怖くなって走って逃げてしまうんだろうな。そう思った。猫も可愛いだなんて思わなくなるんだろう。そう思ったら、当たり前のふたりの生活を慈しもうと思えた。月桂冠のCMを思い出して、家に帰ってYouTubeで見て、わたしのどこかがプチンと潰れたので、からだをねじった。なのに、恋人が家に帰ってくると、意味もなく不機嫌を装ってしまうのだ。そのうちに、本当に自分が不機嫌なのか、それとも不機嫌のふりなのか、なんで自分が不機嫌なのか、あれ?不機嫌じゃないんだっけ?自分でもわけがわからなくなって、わたしはすべてを口内炎のせいにする。
March 28, 2009
靖国神社のソメイヨシノが咲いたそうです。昨日、目黒川沿いの桜も花開いていました。前回の記事の中に、桜の木がもうすぐ桃色に染まるでしょう、みたいなことを書いておりました。。桜なのに桃色って。桜なの?桃のなの?なんなのあんた!状態です。面倒くさくて書いたものをそのまま流してしまいますが、最低1度は目を通さなければダメですね。と言いつつも、絶対読み返さない。そんなだから、恥ずかしくて消えてしまいたいことが多すぎる日々です。DVDで「接吻」(監督:万田邦敏)を鑑賞。無差別殺人を犯した男と、男に共感を覚え魅入られる女と、男の弁護人である男の3人の話です。(詳しくはHPにジャンプ!)究極の愛が辿り着いた衝撃の結末―とHPにもあるし、公開当時の宣伝や評価等などでも、2人(殺人者である男と女)の究極の愛の形たるやなにかについて言及されている文章をよく目にしていました。ですが、自分の目で観て感じたことといえば、愛とは結局他人でしかない2人の間にある欺瞞、といった絶望でした。どんなにわかりあえても、わかりあったつもりでも、全てをわかることは不可能だ、と感じました。ラストシーンは究極の愛の形、というよりも究極の愛を求めようとしたが故の破綻。タイトルの「接吻」はラストシーンに由来するものと思われますが、恋人が「最後の接吻の意味ってなに?」と聞いてきてわたしは考えてみたけれど、わからずに眠ってしまいました。今、改めて考えてみてもわからない。・無差別殺人を犯した男・男に共感を感じ魅入られる女この2人は世間に疎外されている人間、つまり対世間。カウンターです。・弁護人の男これを「世間」と置き換えるならば、ラストシーン、女の弁護人への接吻は「世間」への復讐か。。女は強く「世間」を意識していて、それを己らの敵だと思っているのでその「世間」に対して、愛のない(意味のない)接吻(口を塞ぐ)行為は復讐か?という考えはあながち間違ってはいないと思うけれどいまいち釈然としない。短絡的過ぎるし、清涼感がない。もやもやする。似たような設定の映画キム・ギドクの「ブレス」ではどうだったかな、と思考するが、まったく思い出せない。2階の窓から白いブラウスがひらひらと落ちる映像が鮮明に浮かび上がるだけ。「ブレス」は“愛”の映画だった(ような気がする)けれど「接吻」は“世界とわたしとあなた”の映画(のような気がする)ではないか。今日は早稲田松竹でジャック・ブラック2本立て。寝てしまいそう。でも、2本立てって寝てもいいような気がするから不思議。
March 21, 2009
髪の毛をばっさりと切るように突然、冬は春に変わってしまいました。恋人は花粉症に苦しみ、水の中で暮らす夢を見続けている。わたしは冬服のクリーニング代を計算して嫌な気持ちになる。目黒川沿いの桜のつぼみが日に日にふくらみを増してゆきます。きっともう少し経ったら、樹木も桃色に染まるでしょう。去年、恋人の友人Aがお花見を計画しました。参加者は友人A(所謂ヤンキー)とその彼女とその友人(女)。友人B(所謂ヘタレ)と友人C。そして恋人とわたし。この友人たちは恋人の元彼女ととても仲の良い人たちです。わたしと付き合っているというのに、元彼女と彼の仲を取り持つようなことをされたので、恨みを持っています。そして、わたしは彼の今の彼女として友人らに認識されるのだろう、過去と比べられるのだろう、そんなことを悶々と考え続け、お花見の前日になって「そんなお花見、行きたくない!!!」と爆発。恋人はおたおたして、深夜に「明日行けなくなった」というメールを友人たちにしたのでした。今年も友人Aがお花見を企画しました。もちろん、わたしも参加予定です。参加、できるでしょうか。ものすごく憂鬱です。恨みは晴れておりません。恨みは一生忘れません。カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」を読了いたしました。身震いするほどの衝撃。主人公の語りによって物語が進んでいく。主人公が語るのは、ありそうな施設の中のよくある思い出話。意味の分からない言葉や言い回しがあるけれど、それは違和感は与えるが読み進めることに支障が出る程ではなく淡々と思い出話は進んでいく。そして、わたしたち読者は気がつくと、この話の真実に触れている。わたしは思わず声をあげてしまった。ブラックボックスにいれた手が得体の知れない物に触れた瞬間にあげるような。真実の周辺を泳がされていたわたしたち読者は、突然辿り着く真実に驚く。しかし、それが当たり前かのように、そもそも最初からその真実は共通の認識であったかのように書かれていたのだ、淡々と語られては真実が剥き出しになっていく。読者は語り手に引き込まれて離れない。生きるために生まれるわたしたち。生きるために生まれなかった彼ら。ネタばれになってしまうのでこれ以上は書けないのですが、是非体験して欲しい、この感じ。一生ものの読書体験になるはず。押井守「スカイ・クロラ」の鑑賞会を職場の仲間たちと開きました。お好み焼きとクレープをじゅうじゅうと焼きながら。なんだか、「あっそ」っていう感じ。ペシミズムに酔い過ぎで、ちょっと気持ち悪い。若い人に伝えたいことがあると宣伝段階でさかんに押井が言っていたけれど、そんな映画では全くないと思う。しかも、森博嗣の原作とはラストだけ違うらしいではないか。そこに押井のどんな意思があるのか、原作を読んで検証したいと思っています。
March 17, 2009
恋人から誕生日プレゼントにMARNIの長財布をもらいました!!!長財布をわたしが持つことになるなんて、大人の高速エスカレータに乗ってしまったような気分です。財布の中身より、財布本体が何倍も高額なので、あまり持ち歩かないようにしています。そんなわたしから恋人へのプレゼントは大人の科学のテルミン・・・。こんな格差、許されるのだろうか。明日(土曜日)も仕事ですが、金曜日はなんだかアフターファイブを楽しみたい気分になるので早稲田松竹で原一男監督2本立てを見てきました。「全身小説家」と「ゆきゆきて神軍」「全身小説家」は3時間弱の映画ですが、2時間弱は寝ていたと思います。夢と映画が混濁してしまって、なにがなんだかわかりません。「ゆきゆきて、神軍」はきちんと見ました。先週は久しぶりに恋人と二人で映画を観に行きました。クリント・イーストウッド監督「チェンジリング」映画の日に渋谷の映画館に観に行ったのですが、さすがサービスデー。大きな劇場に満員の人。人が多いだけならいいのですが、映画を見るエチケットを持たない人が多いこと多いこと!渋谷の映画館にはよく行きますが、そこは初めていく劇場で、古い劇場のようで、座席の最後列のすぐ裏に入り口がある造りだったのですが、映画の途中、何人もの人がバタバタと席を立ち、外へ出て行く!当然外の明かりが漏れる!突然携帯電話が鳴る!エンドロールを最後まで見たい人がいるというのに、本編が終わるとすぐにバタバタと席を立ち、悠々とスクリーン前を横切る!ぎゃーーーーーー!!!始終イライラしっぱなしで、映画にちっとも集中できませんでした。外に出て行くにしても、静かに、できるだけ劇場に明かりを漏らさないように出て行くのがマナーじゃないのかああ!携帯電話はオフにしろ!エンドロールも含めて1作品なんだから出て行く奴は気を使って出て行け!もう二度と、サービスデーに大劇場には行かない。「チェンジリング」は普通に面白い映画でした。そう、髪をばっさりと切りました。学生の頃と同じ、おかっぱにしました。なんか、中学生みたいになってしまい、ちっとも気に入りません。永作博美になりたかったのにー。
March 6, 2009
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