2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全6件 (6件中 1-6件目)
1
先週18,19、20日、札幌と東京へ2泊3日ででかけていた。2ヶ月前の9月下旬、札幌時代の友人Sが、彼の仕事をサポートして欲しいと突然に連絡をしてきたのだ。30年前にさかのぼる友人だが、ここ数年の間で、2回ほどしか顔を会わせていない。そんな僕に、事もあろうに、折り入って頼み事ありというのだ。Sからの要請は、「札幌へ単身赴任しない?ぼくの会社のマネジメント面を見て欲しいんだ」というのだ。僕の広告会社時代の経験を買ってくれて、彼の得意先企業との関係をさらにゆるぎないものにしたいと言う。事情があまりに急だったので、兎も角も一度会おうかと、札幌へ行ったのは10月の初旬だった。連絡があって1週間後のことだ。今回Sが僕からのサポートを思いたった、背景と状況、そして要望を聞いた。30年前の放送局時代の互いの思い出話も交え、夕方から6時間ばかり、話込む。詳細は省くが、Sなりに今の局面をさらに強化し、これからの10年を考え、今後の仕事の核をつくっていきたいという。「新しいプロジェクト」への打診もあってその企画も手伝ってほしいという。率直に気持ちの良い条件をすでに用意していて、Sの好意と意気込みは十分伝わってきた。しかし、福岡から札幌移住は出来ないよ‥Sは僕の「コーチ業」に関しても強い興味をしめしていて、翌日はSの会社の若いスタッフたちに、コーチングについてレクチャーしてくれと言う。僕自身は、彼の会社サポートもさることながら、もしSと連携してコーチングを北海道でもっと普及させることができたら、と僕なりの夢も描けると思った。翌日男女3人のスタッフに、2時間半でコーチング概論を試みる。互いの強みを認識しようと言うロールプレーも取り入れ、話を進めたら、初対面の堅苦しかった彼、彼女たちの表情も後のほうではとても明るくホッとしたようになった。いきなり、社長の古い友人が現れて、コーチングするといわれてもねえ!ゴメン!ゴメン!さて、そんな最初の札幌訪問があって、10月下旬にもう1回訪問した。なんと、そのときにはもうSは、僕に「ゼネネラルマネジャー&コーチ」という名刺まで用意して待っていたのだ。そして彼の業務の関係筋への訪問と挨拶で、とうとう札幌で仕事をする既成事実が固まって行ってしまった。そして、今回が先週の札幌と東京。11月18日のボジョレーヌーボーの解禁日が挟まっていて、Sが会社スタッフを慰労するボジョレーヌーボパーティがしつらえてあり、たまたま居合わせた僕もそのお相伴に預かったのだ。フランス料理のコースも素敵でこれも美味しかった。こんな風な、思いがけない展開になっているこの2ヶ月である。10月から月2回で始まった○○K文化センターと○○屋コミュニティカレッジのコーチング講座もすでに6回のうちの4回が終了し、参加者にさらに資格講座を受講するという方も現れ、僕としては「コーチ冥利」に尽きる嬉しい出来事ある日々でもある。今度は24日からまた札幌へ行く。これから月2回か3回の札幌通いが控えている。福岡と札幌の温度差、8℃。まだ、本格的なつらさを感じる寒さではないが、なんとか自分の体が、この気候変化についていってくれればと切に願い、風邪予防でうがい励行を頻繁にしているmusamejiである。
2004.11.21
コメント(9)
今日の掲示板書き込みに、「のりこ」さんという方から書き込みをいただいた。["かの子先生 " のりこさん 2004年1月14日の日記はどうしたら読めますか?星野かの子先生についてお書きになった部分を読みたいのですが。私も随分お世話になったものです。お亡くなりになった時にお書きになった日記でしょうか。 (2004.11.15 20:31) ]この名前に私は、心当たりがないのだが、その日の日記を再録したい。9月に、削除されたのだが、一部はバックアップがあり、内容をそのままの再掲示である。私の思い出のピアノの先生について‥「外出先から戻ると、中2の長男が「夕方イイチャンから電話があったよ。電話下さいって。」と‥。早速、イイチャンこと、東京の私の母に電話をかける。「あのね、かの子ちゃんが今朝亡くなったのよ。」一瞬、絶句、そしてどうして?と思わずにいられなかった。母が「かの子ちゃん」といった人は、私が4歳のころピアノを教えてもらった、母の学校の2歳下の後輩で、その後も教えを受けた、ピアノの先生である。かの子先生と私は呼んでいた。当時、武蔵野音大の声楽科を出たばかりで、柿の木坂幼稚園の音楽の先生をしていた。まだ、学校出たてで、ピアノの初めてのお弟子が私だったのだ。その後、私の幼馴染みだった友達が何人かピアノに通うようになって、お弟子もだんだん増えて行った。最初こそ、私が以前にサラっていた曲を彼ら彼女らがさらっているのをいささかの優越感で見ていたが、いつの間にか、彼女達がやっていた曲を後から私がやっていることに気がつき、腕前はとうに追い抜かれていることを知った。先生は、あなたは、最初の教え子で、わたしの教え方がまだよく分からない時だったので、悪かったわ、と後から言われたことがある。そうだったかも知れないが、熱心に1時間はいつもレッスンを見ていただいていた。私は、熱心なキリスト教の信者だった先生から、キリスト物語の絵本を見せてもらえることや、おさらいがよく出来た時にいただく、「もとめよさらば、与えられん」などと書かれた小さなカードをもらうのが楽しみで通っていたような気がする。キリスト教の教会が、当時出していたカードは何十種類もあって、新しいカードを毎週もらえ、それが増えていくのは何よりもうれしかった。世田谷の実家のどこかに、まだきっと残っているに違いない。先生のうちのピアノのある部屋は、天井の高い、大きくて広い先生のお父さんのアトリエだった。父君は、肖像画や風景画でその筋の名の通った洋画家であった。レッスン室の一隅にはいつも、描きかけの絵や、キャンバス、イーゼル、何色もの乾いていない絵の具の付いたパレット、絞りかけの絵の具のチューブなどが置いてあり、油絵の具の独特の匂いが部屋に満ちていた。壁に100号ほどのオレンジ色の服の少女の絵がかけてあって、それは、先生の6,7歳のころを描いたものだった。その少女の絵は、多分そのまま、まだ壁に飾ってあるはずだ。最初、アップライトだった先生のピアノがある日からグランドピアノに変わり、うれしそうにしている先生から新しいピアノに触らせてもらったことを思い出す。グランドピアノは、左の足ペダルを踏むと、鍵盤が動き驚いたものだ。ピアノを習い始めたころの私は、イスに座ると足が床に届かず、補助イスに足を乗せていたのも懐かしい。私は、通算すると15年以上は、ピアノを習ったが譜面を読むことが苦手のままだった。かの子先生は「ト音記号」を「G(ゲー)記号」と呼び、「ヘ音記号」を「F(エフ)記号」と呼んだので、学校で習う音楽の時に惑ったものだ。それから、バイエルやチェルニーの楽譜は、音楽の友社はいいとして、全音楽譜はなぜか認めてくれなかった。ブルグミューラー、ソナチネやバッハ、ベートーベンの楽譜は、SCHOTTやPETERSの洋書版を買ってきて、先生によると、ページにまたがる譜面の小節の区切りが、めくりやすいのはドイツの楽譜のほうなのよと言っていた。子供に対しても、本物に触れることの価値を頑固に教えようとしていたのだと今は思う。先生は、絵を描くのも上手かったし、粘土で作られた人形の置物も上手に作っていらした。ある日、ピアノの上に、首をかしげ耳に手をあて腰掛ける子供の粘土細工の人形が置いてあり、僕らの弾くピアノを一生懸命聴いてくれているように感じた。先生は、粘土のあまりでチョット作ってみたのよ、とニッコリした。ピアノの部屋においてある置物や小物、活けてある花など、簡素だが、上品な趣味のものばかりで、さりげないセンスでみの周りを素敵な環境にしていた。こんな部屋でピアノを教えていただいたのだ。子どもにとって、たまたまピアノを通じて、感じていった絵画や、本、装飾などでかもし出された雰囲気は、独特の芸術の香りに満ちていた気がする。私は、小学生の時はピアノを家でおさらいすることがイヤでイヤで、いつも夜中遅くまで、母に手をたたかれながら練習させられたものだ。見かねた父に母が怒られたこともあった。そんなピアノであったので、高校受験で1度中断、その後高校時代、中村八大の「夢であいましょう」を自己流でコピーしたのが始まりで、ビートルズなどを譜面なしでなるべく忠実に弾く!?ことが楽しくなり、コード進行も自然に身につけていた。耳だけは肥えて、ラジオやレコードから「音」を探ってコピーするのがいつの間にか出来ていたのだ。大学生になってまた習いたいのでお願いしますと言い、やめては再開、やめては再開を何度か先生は許してくれた。譜面を読むのがどうも苦手で、♯や♭がたくさん付いたシューベルトなどの譜面は怖気付いた。ではと、ジョン・フィールドのノクターン、スカルラッティのソナタ、グリーグの叙情小曲集、ドビッシーのアラベスクなどを選んでくれ、ハノンの代わりはクラマービューローだったかな?当時、出たばかりのフリッツ・エマンツの「ピアノ演奏第一歩」を、左手を大事にしていて面白いと奨めてくれたりした。譜面はやさしいけれど、音楽的には高度のものをと言って、音大受験生とは違うメニューを用意してくださった。中でも楽しかったのは、連弾の曲だった。フォーレのドリーなど、先生が伴奏部分を弾いてくれ、あわせた時の弾んだ気分は格別だった。連弾で先生と指がぶつかるのもチョットうれしかった。懐かしい‥。先生のお宅を最後に訪ねたのは、昨年の2月、ちょうど会社を辞めることが決まって、最後の東京出張の際に、時間をぬって、お花を抱えて訪問した。先生は、手づくりのドーナッツを作って待っていた。グラニュー糖をまぶしたゴルフボールをやや小さくしたまん丸のドーナッツをお盆に持って、紅茶でもてなしてくれた。プロテスタントからカトリックに改宗した先生は、聖歌の研究を教会の依頼でしていると言って、ぎっしりと細かな字で埋まった書きかけのノートを見せてくれた。生涯独身で、若々しく顔色もきれいでとても74歳には見えなかった。若いころの肺の手術の際の輸血で、何年もC型肝炎をかかえていらしたのだが。1月14日未明、先生は入院先でたった1人で天に召されたのだった。」のりこさん、良かったらお返事をください。きしくも、11月14日の日付けで再録だった。それからもう一つ、今、読み返して思い出したことがある。かの子先生がまだ柿の木坂幼稚園に在籍していらしたとき、今日のニュースでまさにご婚約発表の、紀ノ宮さまが柿の木坂幼稚園に入園されてこられたのだ。確か1年ほどで、学習院の幼稚園に移られたが、宮様のご様子を楽しそうに、はにかみながら話されていた。そんなことを思い出し、このタイミング、なんだが不思議である。「のりこ」さんの「のり」も一緒!まさか?!?(11月15日)
2004.11.14
コメント(4)
12日、福岡の私立学校法人の、中村学園創立50周年の記念式典に招かれた。同時に、学園祖の中村ハルさんの生誕120周年記念の講談とその祝賀パーティであった。第1部は、講談師の神田紅さん(福岡出身の女流講談師)による、ハルさん87年の生涯を、「講談」で紹介、これがなかなか面白かったのだ。会場のホテルの部屋は前評判もあったのかぎっしり満員。講談なんて、まずは普段聞かないけれどねえ。1884年、福岡市、当時は早良郡西新町に生まれたハルさんは、7歳で母をなくし、小学生のときから家族と使用人10数人の世話やまかないを仕切り学校へ通ったという。そして勉強もとても出来たため当時の西新町の村長さんが、彼女に是非自分の村から教員を出したいと白羽の矢をあて、上の学校への進学を薦めた。彼女は何と1年、年齢をごまかし、14歳で師範学校へ入学学び、17歳ですでに小学校の訓導となって教えはじめたのだという。女性が上の学校、そして教員になることさえまだまれな時代のことである。彼女は87歳で1971年に亡くなったのだが、その間、70年を教育者として、かつ50年を料理研究という、二つの分野で自分の生き方を精一杯歩んだ。生涯のうちの、弟さんの闘病を支えるエピソード、東京へ出たときに新宿中村屋のカレーライスに感激し、その作り方、味を教えて欲しいと当時の玄洋社の頭山満のコネを使うなど、講談でかたられるエピソードも大変エキサイティングである。中で、ぼくが一番感銘したのは、何とハルさんは64歳の時に、勤務していた学校の責任者をスパッと辞め、"料理栄養を専門とする自分の学校、つまり今の中村学園"の祖となる「中村割烹女学院」を創立し、自分の夢を実現したというところにである。昭和24年のことだそうだ。それがさらに4年後、中村学園に発展する。当時、まだ戦後まもなくで、日本人はひもじい思いをして日々を送っていた。そこに、アメリカに負けないこれからの日本人の体つくりは、「食にある」と看破して、「料理栄養」と言うキーワードで、学校教育に新たに活路を見出したのだ。それまでの自分の経験してきたすべて、その独自のあり方をフル動員した、時代を読んだすごいプランではないか。学生が殺到し、大変な繁盛であったという。今時よく言う、その人の「強み」、その人だけの「独自のもの」、それをハルさんは自身しっかりわかっていたのだろう。そして、ハルさんの上のお姉さんが、その時、自分の財産をすべて担保で提供し、ハルさんを応援したという。こんなサポート体制がハルさんに存在したのも、彼女がそれまで人のために尽くし、人を惹きつけ、そして身近な姉が真っ先に応援しようというほど、信頼を得ていたたからということだろう。そのとき、ハルさんは64才、おねえさんは、もっと上だ、何と言う姉妹なんだろう。今ならばとっくに悠々楽隠居と言う年代の姉妹が、チャレンジするのである。・ぼくは今57歳、まだまだ何かをやるための時間がある、とハルさんに励まされた。それから、パーティでお土産に配られた、「中村ハル式インドカレー」が2つ入っていたのだが、そのレトルトパックを今日食べてみた。これがうまいのなんのって、何処で売っているのか確認したくなってしまった。買い占めたいほど、美味しいのだ。一緒にお土産でいただいてた、もう一つにハルさんの生涯を紹介したDVDがあったその中のプロローグの文章にも、惹かれた。 "あなたは、あなたの人生にどのような花を咲かせますか その花の種に出会えたのは、いつですか しっかり水をあげていますか いつも太陽に向かっていますか どんなに暑い日がつづいても どんなに寒い日がつづいても どんなに強い風が吹きつけても あなたの花を、まっすぐに見つづけ その蕾を育ててください。"
2004.11.13
コメント(5)
(1日おいて、続きです)コーチングは、「コーチングの哲学」として次のように定義しています。1、 人間は誰でも無限の可能性を持っている。人を信頼するということ、新しい考え方、Y理論を前提。絶対的な選択2、 そして、答え、能力は、その人自身が持っている。これまでの世の中、特に日本と言う国では、“自分の中には答えがない、答えは他人が持っている”という考えのほうが常識であったかもしれません。しかし今や、自ら考え自ら動く自律・自立的な考えこそ価値があるのです。3、 その答えを見つけるには、サポートが必要である。コーチはサポートによってお手伝いをする。引き出すことができるという存在意義。「問いかける」ことをやり続ける。自分でも気づいていない能力を顕在化できる。自分の潜在意識を見るためには、鏡が必要、それが「問いかけ」、“質問のスキル”です。コーチは、質問をし続けることで「クライアントの合わせ鏡」の役割を果たすといいます。コーチは何も教えません。もし、コーチに質問するとコーチは、「あなたはどう思うのですか」と逆に聞いてくるのです。聞かれると、なんとか人は答えようと思うものなのです。一つ答えると、「もうありませんか?他には?」ときかれ、するとさらに考えてしまうのです。コーチはこのとき、あなたの「あわせ鏡」なのです。気持ちを一体化しています。一生懸命あなたの話に身を乗り出します。あなたがゆっくり話せばゆっくりと、速く話せば速く、大きく身振りをすると大きく、同じ呼吸をしてくれます。そんな聞き手を得ると、人はとても話やすくなって、どんどん話をしていけるのです。相槌をしてくれます、「すごい」とか、「いいですね」と、誉めたり、承認したり、これらはもちろんコーチングスキルであるのですが、普段の会話でも知らず知らずに使っている人は、実は多くいらっしゃいます。話上手という人は実は聴き上手であるということがありますね。そんな人はきっと生まれながらのネイティブコーチだといえます。さて、話を聞くだけではコーチとしては不十分です。その話をききながら、クライアントにさまざまの気づきを促し、次にいくつかの気づきのなかから、何が一番、今重要なのかを自身に選ばせます。そして具体的な目標や気づきを促し、さらに行動に結びつけるよう質問していきます。「いつまでに」、「何を」、「どのくらい」、「どうやって」、「誰と」、「ドコで」、つまり「6W3H」で行動を具体的に促します。クライアントが明確な考えを自覚できたら、次にその行動を約束し、「では次回に報告をくださいね」といって、1回のセッションは終わるのです。このような時間を毎週1回30分の電話によるコーチングで、3ヶ月を1つの単位として実施していきます。これが、経営者の場合はエクゼクティブコーチング、個人の目標達成の場合はパーソナルコーチングといわれるものです。テーマは、いろいろ人それぞれです。夢を語って、その実現を図っていくという壮大な目標のコーチングもあります。忙しい経営者が今週は会社の課題をはなれて、家族と一緒に休暇をとる時間をつくりたいなどというテーマを選んでコーチングをすることもあります。どちらも必ず行動につなげて、実行を促すということが、コーチングの“テーラーメードでオンゴーイング”なとくちょうで、コンサルティングと違うところです。カウンセリングと違うことは、過去のトラウマや心の傷を現時点で見つめ治療をしていくことにたいし、コーチングは、現時点のクライアントの目標や課題を、将来へ向かっていかに行動に転じていくかと言うきわめて未来時制的、発展的で、クライアントのもつ想像力、イメージのビジュアル化からスタートするということに力点を置いている点です。人に話をすると、自分自身がそれまで分からずにいたことが急に自分で判ってくる、気がついたとい経験は、きっと皆さんにもこれまでにあるのではないでしょうか。その話を積極的に聞き、もっと広がるように質問し、承認し、聞いていくのがコーチの役目なのです。人々は他人にこのようにきっちり、しっかり話を聞いてもらう経験というのは、逆に意外にすくないのです。・職場で、部下の話をじっくり聞いてあげていますか。・スタッフの報告を途中でさえぎらずに最後まで聞いてあげていますか?・疲れて会社から帰ってもおうちでは、奥さんの話をちゃんと聞いていますか・お子さんの振る舞いや行動をみて、受け止め、しっかり承認してあげていますかなかなか親しい間でも、場合によってはそれだからこそ、意外に人の話をちゃんとわれわれは聞いてあげていないのです。裏返すと、自分の話も、他人はちゃんと聞いてくれていない、ということにもなります。コーチングはまず人の話をよく聞くということころから始まります。そして、聞くためには、ちょっとした工夫や、心得として、「コーチングスキル」は100とも200ともあると言われています。資格を持ったコーチは、これらを体系的に勉強し、クライアントの目標達成や課題解決に1番効果的で効率的な筋道を提供できるプロのコーチだとお考えください。さて次に、「コーチングの構造」をちょっとご説明しましょう。コーチとクライアントの間のやり取り、つまり聞くこと、質問すること、そして答えること。そのために、前提としての信頼関係(ラポール),承認(アクノレッジメント)、傾聴、質問、ビジュアライズ、フィードバック、提案、リクエスト、コミットメント、メタコミュニケーションなどの大項目から、細かいさまざままで、「コーチングスキル」として駆使されます。目標を明確化し、現状を認識、過去の良い経験などの資源の発見、ギャップを埋めるためのいくつかの気づき、そのなかからの優先順位と選択、行動の意思を見出して、そのための行動の実行を、何をいついかにと具体的にスケジュール化、計画化していきます。大きな目標達成まで、その下の小テーマで1つずつ課題をクリアしていく場合もあります。また、表にあらわれた課題の解決の裏には、別な意味があって、新たな気づきから次の目標、「真のゴール」が見出せることもあります。「やせたい」という彼女のゴールは、実は素敵な彼の「愛を得るため」だったなんて事もあるのです。もし、何にもないというクライアントがいたら、では、課題探しからはじめましょうとコーチングをすることもできるのです。あなたはどうしますか?どうせやるならば、コーチを使って、より早く、より効果的に「自分の夢」をあるいは「当面の課題」を解決、達成して行きませんか?
2004.11.08
コメント(6)
今年の6月に、「コーチング講座」の設置を市内の2つの文化センターにプロモートした。それぞれの関係先に友人がいて、いわゆるコネクションも十分に活用したのだが、幸いにも提案が受け入れられ、スムースにとんとん拍子で講座設置が進み、この10月からいよいよ講座が開始された。他にもいろいろと動き出して、今月からチョット忙しい日々となっている。そんなわけで、「コーチング講座」の講師としての仕事を、月4回定期的に持つことになったmusamejiである。N○○福岡文化センターと○○屋コミュニティカレッジの「コーチング講座」は、第1・第3の土曜と月曜の夜、2時間である。これまで、コーチングに関しては、ひとさまにお話をする経験は何回かあった。今回3ヶ月6回の講座コース設定に関し、初体験での心配はなかったが、参加の方々に、どうしたら満足感を得ていただけるかを僕なりに考えて講座に臨んでいる。と言っても、最終的には、その時その時を一生懸命で講座に臨むということしかないのであるが‥。N○○文化は22人、○○屋CCは15人の方々がこられ、主催者側はこの秋にスタートした新講座としては大変好調と喜んでくれている。2つの講座がたまたま土曜、月曜となって、内容・構成はほぼ同じ、しかも中1日置いて前回の反省・工夫をこめてすぐ実施となり、初めの内容でどうかなあと思えば即修正が出来、ありがたい連続でのアウトプットの場となるのだ。11月の1周目もそれぞれ終了し、昨日までで、各3回ずつが終了した。早くも、3ヶ月6回コースなので半分は終わったことになる。コーチングは理論やスキルも頭で判っていただく事ももちろん大事なのだが、「ロールプレーの時間」を可能な限り多くしている。参加の皆さんが「経験してみて、実際にやってみてどうかということ」からの「気付き」、が大事だと思い、練習の場の設定として、ロールプレーのテーマの選び方や、講座進行上どこでロールプレーをはさむと効果的かなどが、講師の僕の工夫次第となる。2つの講座に共通で実感なのは、今回講座にこられている人たちは、皆さん穏やかで明るくバランスのとれた方々が多く、これも僕にはとても嬉しい状況である。年代も20代から70歳の方まで、男女比率は1対4で女性が多い。お仕事は?と皆さんに聞いてみたら、何と先生をしている方々が意外にいらして驚いたこともある。参加者同士がロールプレーを通じて、互いが会話をして「聞く」「話す」「承認する」と言う覚えたてのスキルを実践練習をしていくうちに親しさが増し、話し声や表情がどんどん明るく元気になって楽しそうである。3分間でとかの講師が設定する短い時間内で、懸命にテーマについての会話を実践する様子を拝見しつつ、肝心のコーチング的「聞き方」は、もう皆さんすでにとてもできているなあと発見し、こちらの表情も緩んでしまう。講座終了後、相談質問で引き止められることもあるが、中には「コーチ」の資格をとりたいと言う方も現れた。こんな方が増えると講師冥利に尽きる。それから、初級コースの後は、「中級編」をしたいという問い合わせもある。たった3ヶ月でも共に「コーチング」を学んだことを通じて、参加者同士が相互にコミュニケーションのパイプが太くなれば、とても嬉しい。12月の最終回のあとに、皆さんで忘年会をしたいなあ。きっとコーチングを学んだ後での忘年会は、皆聞き上手ばかりだろうから、どんな雰囲気で盛り上がるのかなあ!と思うのである
2004.11.07
コメント(4)
(旧日記でかいた内容をチョット手直ししました)今日は、「コーチング」についてお話します。皆さんは、ジャック・ウエルチを、もちろんご存知ですね。1999年、当時日本にやってきたG・E社のCEOジャック・ウエルチ氏に、テレビ東京のニュース番組「WBS」がインタビューし、「あなたは最高経営責任者として、どんな風に意思決定をしているのか」と聞いたところ「私には27歳の女性コーチがいる、彼女とのやり取りで私は経営決定するのだ。」と発言、うら若い女性が「かのウエルチ」に影響を与える「コーチという職業」であると話題になり、日本でも「コーチ」という仕事の存在が、始めて認識されたといいます。彼は、日経ビジネス誌のインタビューでは「これからの時代、会社の管理職に必要なことは、コーチとしての資質である」と答えてもいるのですが。コーチングという言葉、私自身は、2003年6月、最近コーチングを仕事にし始めたというある女性コーチとのの出会いがきっかけでした。その人が、ホームページで、「コーチとは、人の話を聴くことから始まる」と言っていたのです。私は実は、アナウンサーという仕事もしておりますアナウンサーももちろん自分で話しをきちんとできることも大事なのですが人の話を聴くことも大切です。で、そのことを彼女のHPのBBSに「書き込み」をしましたことがきっかけでコーチングについて初めて知ることとなったのです。皆さんは、「コーチ」と言う言葉から何を連想しますか「COACH」、コーチです。英語の辞書には「馬車」と書いてあります。馬車、つまり人を目的地まで運ぶ乗り物のことですね。コーチという言葉は、1500年代、実はこの馬車が語源です。もちろん、スポーツ界ではマラソンの小出監督やプロ野球の卯木監督などがすぐ浮かぶでしょう。人によっては「四国の高知」、女性は「バッグのコーチ」を思い浮かべる人もいて講座でたずねると皆さんも笑いが起こり盛り上がります。余談ですがバッグのコーチももともとは馬車に使う幌や、馬具の製造会社といいます。さて、「人をある目的地に連れて行くという意味でのコーチ」、これがコーチングの語源、ということは、「人の目標や課題を解決すること、つまりその人の目的を遂げられるように、そこに連れて行く」というのがコーチ、その仕事を「コーチング」と言うようになったのです。そして1840年代のイギリスで、オックスフォードの受験生を教える家庭教師をコーチと呼んだそうです。1880年ころにはスポーツの指導をする人をコーチと言いました。マネジメント分野で、コーチという言葉が、今現在使われている意味で人々に理解され始めたのが、アメリカで1980年代になってからということです。日本では、コーチングに着目、その導入をいち早く実現した「コーチ21」の代表伊藤守氏が、アメリカコーチ協会から「コーチングスキル」のオフィシャルな導入をはじめました。日本でコーチ養成の基盤が整いはじめたのは、「コーチ21」が中心となって主なコーチング普及に活躍、他にもPHPやコーチAなどの団体組織がそれぞれで導入普及に貢献したからでしょう。1999年に「日本コーチ協会」が設立され、コーチングの普及とコーチ資格の検定など正しいコーチングのあり方にも力を入れはじめました。ちなみに、私が、コーチングを学んだのは、福岡にあるアニメートエンタープライズと言う会社で、ロールプレーをふんだんに駆使したきわめて上質な講座であったと思います。そこの代表の野津浩嗣氏と福澤俊幸取締役は「コーチ21」の初期にコーチングを学んだ人たちですが、現在は「日本プロコーチ認定評議会」を設立しており、私の資格はそこのアソシエートコーチというものです。コーチングが一般にもかなり知られるところとなったのは、2003年6月、NHKが「九州沖縄金曜リポート」と言う番組で、さらに8月には「クローズアップ現代」で取り上げ、それをきっかけに「コーチング」を知った方々が急激に増えたようです。どうして今、コーチングがこんなに注目され始めたのでしょうか。それには、時代の変化が一つあります。社会が「タテ社会からヨコ社会」へ変化。つまりそれをキーワードで言うと、タテ社会は、支配、管理、命令、指示、従属関係、画一、無個性 などなど。そしてヨコ社会のキーワードは、協調、協力、相談、自主、自己責任、多様、個性へ、などなど。このような時代に、コミュニケーションスタイルも変化し、質問協働型のマネジメントスタイルが、それまでの命令指示型から変わってきているのです。つまり、“一方通行から双方向のコミュニケーションの実現”、そして自らの考えで行動する自発的人材の確保が大きな企業要請と成ってきているのです。コーチングは、「未来に向かってGO!未来に向かってHOW?」と“ON GOINGでフォロー”して、個別で1対1対応つまり“テーラーメイドである”と言うことが、他と際立って異なる特徴です。「さあやってみない?」「レッツ!」のスタンス、「答えはあなた自身の中に持っている」、というコーチングの主張は、個人の確立と自己認識を明確にした生き方をめざす人々が増え、求められている時代に、極めてかなった要素を持っていると僕はおもいます。さて、コーチングの知識はこのくらいにして、実際の「コーチングとは何か」についてご説明しましょう。最初にコーチングの考え方を確立したのは、ティモシー・ゴールウエイという人の「インナーゲーム」というテニスの教則本だといわれています。その中でゴルウエイ氏は、「コーチングとは、ある人間が最大限の成績を上げる潜在能力を開放することである。それはその人に教えるのではなく、その人自身が気付き、自ら学ぶのを助けることである」と言っています。コーチングは「コーチ」と、コーチを受ける人、この人のことを「クライアント」と言いますがこの両者の間で行われます。クライアントとコーチのやり取りで、コーチングは進みます。クライアントは、どんな場合にコーチを必要とするのでしょうか?たとえば、会社の経営者は、毎日たくさんの課題を解決するために意思決定をしなくてはなりません。周囲にアドバイスをくれたり、教えてくれる役員やコンサルタントがいつもいるとは限りません。たいていの経営者は1人で悩み、孤独な中で、自分の責任で意思決定をしていくのです。そんなとき、コーチが相手をして、彼の話を聞きます。100%コーチは、彼の味方です。もちろん守秘義務を伴ってです。まず、どんな話でも良く聞いてあげるという行為が、話し手に不思議な力と判断力を与えるのです。このことが人間の持つ不思議な力ということができると思えます。話をしているうちに、人は、どんどんいろんなことに気づきはじめます。コーチが特に質問をしなくても1人で話していくうちに、“自分の考えをまとめ、新たなアイデアを生みだし、自分で結論を出し、それに向かって行動を始める”のです。どうしてなのでしょうか。それは、人には本来、誰れもに潜在的能力があるということなのです。そして、それは、自分自身の中にすでにある、ただ気が付かないだけ、それに気がつくきっかけや、機会を生み出すお手伝いをするのが、コーチなのです。人は、自分の話をしているうちに、自分でいろんなことに気が付きます。“オートクライン”と、実はコーチングで言うところの用語があるのですが、話しているうちに自分自身に新たに納得し、気づきが生まれ、自分のことを自分で判かってくる事をいいます。話をするというとは、自分の中の思いや考えを言葉にして外に出すということなのです。この具体的な言葉にして外に出すということが、自分自身にとっても、とても大きな意味合いを持っているのです。(続く)
2004.11.06
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1