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自分のことなんかどうでもいい、と思っている人って結構多いもんだなあ。そんな人が、何かの折に「いや、これじゃまずい、ちゃんとしよう!」と思ったときに、まさにコーチをつけるタイミングだけどな。今、どうして俺は髭をそっているのか?これから出かけるからだよな。人が急に訪ねてくるなんてとき、慌てて部屋や、身だしなみをキレイにしたりするのと同じだ。「他人の目」で、自分や自分の環境を改めて眺めてみるとき、いろいろと、改善したり、補修しなくちゃと思うことってありませんか。コーチの役目は、そういうとき、会話によって、行動まで促す、だからコーチは「鏡の役目」ということなのです。髭をそりながら、と言っても電気かみそりだけど鏡を見ながらふとこんなことを思った。コーチングやりませんか?のPRでした。…。
2009.01.07
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東京の弟から4日の夜に連絡。毎日一度は電話をして3日までの様子は承知していた。世田谷の母は、弟一家が12月から引っ越して同居をしてくれ無事、年越しをしたのだが、2日になって、寒さのせいか熱をだし、調子がいまいちとはきいていた。それが4日は入院騒ぎになったとの連絡。前からわずらっている「腎結石」が主たる原因だったらしい。昨年6月に母は大たい骨骨折をしその後手術、杖で歩けるようになって11月はじめからリハビリ介護のショートステイを経て実家に戻った。その間、足はともかく体は元気でいてくれた。認知症の兆しがでてきて、われわれ子供たち3人の誕生日が、おぼつかないなど少しずつ、子らも母の老いへの覚悟を余儀なくされてきたという年越でもあった。弟一家が、世田谷に戻ってきてくれ母との同居をスタートしてくれたがそれまでの、病院暮らしから、一挙への環境変化で、特に一戸建ては、室温が変化するので母にとっては、なかなか体調維持が大変だったのかなとも思う。4日になって、急に39度の高熱と下痢の症状で、何か食べたものがどうだったのだろうかなど弟たちも大慌てだったという。正月で、かかりつけの大橋の東邦大付属病院に電話すると2時間待ちと聴きではと、母を伴って近所の病院に行ったところ、正月で技師がいなくてレントゲンもできないといわれ再度、東邦大付属病院に行っての診察だったという。半日がかりの診療で母もすっかりくたびれたようで、弟一家や妹一家も正月の家族での墓参りや、夜の団欒がみな狂ってしまったという。義妹になる弟の妻が、粗相をしてしまった母の看護や始末を付きっ切りでしてくれたと、近くの赤坂に昨年10月からすんでいる妹からも伝え聴き、ほっと安堵している。弟のその後の報告では母は、血小板が少なくなっており輸血をしてすごし、意識はしっかりしているが体力的に心配なので数日は入院することになったという。安定してから腎結石の治療をするという。長男の嫁たる私の家内は、落ち着かない様子で気を揉んでくれている。家内の言うことを受けて、急ぎ、取れる航空チケットの手配をし今日明日と、とんぼ返りでの上京をやりくりし予約までしたが弟からは、命に別状ないし大丈夫だからと言われ、しばし様子を見ることに。約束をともなう仕事は、8日からだがしばらく、落ち着かない。弟一家に、すっかりたよってしまっている2009年の出だしである。
2009.01.06
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僕は、週一回、朝の6時15分から熊本在住の社労士でコーチをしているTAさんとSKYPEで会話をしている。コーチングであるがどっちがコーチ、どっちがクライアントという決めはしていない。自由自在に双方でコーチをしている。今朝、今年の最初の会話だった。もう4年になっている。TAさんの2009年は、社労士の本業をもっと充実しようと思うと聴かされた。”具体的にはどうするの?”社労士として顧問をしている企業に、サービスを充実させようと思う。たとえば、研修提案をもっとしたい。コーチング研修などをアッピールすることができるのは自分がコーチをしている強みのはずなのですけどこれまで、自分自身のインプットばかりで外へだすことがなかった。労使紛争とか、人事制度の構築とかに企業への提案に研修をいれるともっと役立つはずと思う。”いいですね。おひとりでやるの?社労士の業務の中で、一緒にやれそうな人はいるんですか?”今のところいないんです。社労士の中で、コーチの勉強をしている人はまだ少ないし。コーチングマインドを持っていればいいと思うんですが。”コーチングマインドって何ですか?”生まれながらにコーチング的な考えをしている人っていますよね。そういう人と、私は一緒に仕事をしていこうと思う。自分の社労士という業務の中の、特に、目標管理制度や面談手法はコーチングを活用できる気がする。目標管理などは、管理職の方々へ伝えると社労士としての独自のサービスでお役に立てるということを見せられるのではと思うのです。そのために、社労士だけでなく、中小企業診断士、行政書士などいろいろな方たちとチームを組んで仕事を協働で、進められないかとか、コーチングの哲学に、賛同できるという人かなと思います。”いいですね。コーチングの哲学に賛同って具体的には、どういうひとですか?コーチの仲間の中から、それぞれの専門を持っている人を探すのですか?”コーチであることにはこだわらない。たとえば企業の中でも、「人を大事にしたい」という企業、社員の幸せ、顧客の幸せ、そして経営者の幸せを考える経営者や企業を、チームでフォローできないかという考えなんです。”もうひとつ、「コーチング的」ってどういうこと?”コーチング的って、人を大事にしている考えを持っているなあと私が思える人なのです。よく、経営者やコンサルタントの方で、経営に大事なのは、「ヒト・モノ・カネ」で、それは同レベルだという人がいるんです。”そうですね。経営の3要素って言いますね。それにノウハウを加えて、4要素という言い方もありますね!”ところが、「ヒト・モノ・カネ」のうち、どれが大事かというとどれも同じだと言う人とか、または、人によって違う気がするんです。経営者の中には、「カネだよ」、と言い切って平気で、首切りや、派遣切り、する人がいて、ちがうなあとおもうんですよ。私は、そんなとき、ヒト、人が一番大事という人のことを大事にしたいって思うんです。それが、私のいう、”コーチング的”ってことなんです。”うーん、よく分かります。つまり、これから大事なことは、優先順位をどうつけているかという価値観だとおっしゃりたいのかな。ヒト・モノ・カネというのは、たんなり知識に過ぎない。でも、それらに、自分自身がどう優先順位を付けるかということが、その人の価値観を示す基準を示すことになる。それが「ヒト」と言える人にご自身が同感、共感できる、そういう人と協働したいと言うことなんですね!”そうです。そうです。賛同してくれて嬉しい。コーチであるかどうかはあまり関係ないと思うんです。コーチング的って、ネイティブコーチのことだと思います。”つまり、「ヒト」をいつも、最優先にものを考えることができるヒト、それが、ネイティブコーチだと思うんですね。”;:;:;:;:コーチングの会話のプロセスで優先順位を決めるときがある。そこに、その人の価値観が反映される。今年、僕のコーチングはもっともっとその人の価値観探しをテーマにしてコーチとして活動しようと思った。自分自身の行動にも彼女との会話は、ベースを与えてくれた。コーチング会話は、コーチ役にも大きな気づきとヒントそして勇気を与えてもらえるのだ。TAさんとの会話は僕にとって、とても素敵な貴重な時間だ。そう、僕も「2009年の鮫島宗哉」という話をしたんだ。これは、次の日記に書かせていただく。
2009.01.05
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皆様あけましておめでとうございます。 musamejiこと鮫島宗哉です。家族一同、2009年をつつがなく迎えました。1994年の夏に福岡へ来てから15年、人生の後半をこの地で過ごせる幸せを家内と二人で改めて話をし、ありがたさを感じる年齢にもなりました。会社を早期退職後の55歳のときに福岡の女性コーチ、矢次ひかるさんとの出会いで知ることになりそして、一挙に自身の仕事にもなった「コーチング」をベースに仕事を進めています。コーチングに加え、ファシリテーションを知り、アナウンスや司会、ナレーションなど声の仕事、コミュニケーションに関する講演や、企業や行政、学校での研修や講座の機会を頂き、“人と人のより良いコミュニケーション”の分野で自分ならではの個性を探索しながら業務に励んでいます。さて家族は長男は、昨年3月高校卒業後、プロの「スポーツシューター」を目指し、1年後の米国留学を念頭に準備を進めています。日本では、ほとんど知る人のいないマニアックなマイナースポーツですが、好きなことで身を立てる生き方が、この先叶うよう家族は願っています。長女は、花の高校2年生へ。勉強キライと言いながら苦手科目は特になく、理系か文系かの進路に悩みながらも本人は美術大学への進学が希望。一昨年から習っているクラシックギターも熱心に取り組み、自室から聞こえてくる弦の音に癒されます。家内は、地元企業でパート勤務を続けています。朝5時起きで息子、娘、自分の弁当作りで寝不足だとぼやく毎日ですが、日々の会社での出来事の報告を聞かされている我が身には十分仕事を楽しんでいるのだと感じています。昨年4月に、熊本在住のコーチ仲間のトトロさんのブログがきっかけで英国のテノール歌手、ポール・ポッツのことを知り、ユーチューブの映像をいくつも探索したり、CDを購入したり一時期すっかり夫婦でハマりました。それは、家内から世田谷の母と私に、4月の来日コンサートの時、4月生まれの私と5月生まれの母にバースデイプレゼントとしてチケットが渡され、思いがけない、母との二人での外出という親孝行の機会でもありました。その後6月に母は大たい骨の骨折で入院、半年の闘病を経て、年末には、無事退院弟一家が世田谷に越して、同居してくれて新しい生活をスタートさせています。思えば81歳になった母が杖なしで歩行していたときの最後の私との外出機会でした。2009年、より明るく健康に!を願い、家族と、世田谷と横浜の実家、そして旧友と新たにであった多くのかたがたと共に、自らはまだまだ現役、の決意です。どうぞ、本年もよろしくお願いします。
2009.01.02
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