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いたむ背にかける言葉は見つからず そっと手を置くぬくもり届け、とこの前、ツイッターを見ていたら、こんな感じの呟きを目にしました。「辛いよ」と言っている人に「みんな辛いよ」だとか「もっと辛い人いるよ」だとか「私も辛いわー」だとか言ってその人の辛さを平均的なものにして痛みを軽くしようとする試みは全く癒しにならないことをなぜおまえはすぐに忘れるのか>自分ほんとそうだよなあ、と思いまして、この呟きをメモしたにもかかわらず、つぶやいていた方はわからなくなってしまったのですが、まさに! と大きく頷きました。苦しみとか悲しみとか、そういうものの大きさや深さは、その人自身の内側に満ちているもので、そうである限り、外側にいる人間は想像したり自分の経験と照らし合わせたりすることで、なんとか近づこう、理解しようとします。でも、わかったふりほど人を傷つけることもなく、どうせ分からないと諦めてしまうことも、その人を傷つけるわけでして。どうせおまえに分かるもんか、とトゲトゲしたバリアを張りながら、でもひとりはさみしいよ、とトゲトゲの一本を手に変えてみたりして伸ばすのも、人のどうしようもないサガのようなものかと思うんですよね。所詮ひとはひとりで生まれてひとりで死ぬのに、その間にある「生きている」時間は、ひとりではいられないんですよね。私は職業柄、病にある人たちと関わることが多いのですが、この職業につくうえで一つこれだけはしないようにしよう、と思ったのが、もたらされた病や障害というものの程度を比較する、ということでした。世の中にはこういう人がいる、もっと苦しい人がいる、あの人よりはまし。とにかくそういった比較だけは口にしまい、と決めていました。そうすると、かける言葉が見つからないんですよね。その人ひとりの中に満ちている悲しみや苦しみに、見合う言葉なんてないんです。ただうなずくか、繰り返すか、それしかできなくなってしまいます。ただ沈黙の時間だけが、優しかったりするときもあります。そこに体温が加われば、なおさらに。ひたすらに寄り添い時間を共にしてくれる事実が、何よりの慰めになることも事実です。そう考えますと、体温ってすごいよなあ、と思いまして。心地よくて、ほっとして、かつ、ひとりじゃなくて。まどろむような心地よさは、やっぱり体温のレベルですもんね。離人症で失ってしまったものの一つだからよけいに、焦がれたりもします。
2011年09月27日
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同名の小説を映画化したものです。深津絵里さんが賞を受賞したことでも話題になりました。好きになった人が、殺人犯だった。けれどそれでも、共に逃げることを選んだ女性の物語です。深津絵里さんの存在感に、ただただ脱帽でしたね。賞の受賞もうなずけます。すごく日本人的というか、日本の女性像としても海外の受けもよかったでしょうし。犯人と犯人の家族、犯人と被害者、犯人と被害者の家族、犯人を大切に思う人。人の命を奪うという罪に対して、その当事者と周囲の人間を描いたドラマはわりと多いです。その中でも、今まで一番胸のうちに残ったかなあ、と思いました。そのあまりの簡単さに。普通に生きてきたはずの人が、人を殺してしまうのって、当たり前みたいにありえることなんだな、と改めて思いまして。テレビで悪人として取り上げられる人は、それまでは普通に生きていた(と思われる)人が、きっとその多くを占めるんですよね。笑って、泣いて、それと同じ容易さで、怒って、憎んで、嘆いて、少しずつが積み重なって、やがて奪う。あるいは単なる、激情で。人間は、とても危ういものでもあるんですよね。それから、思い始めたときの切実さ。貫くことの簡単さ。始まってしまったらもうダメと、貫かないでいることの方ができないと、罪を犯した主人公の隣にいることを選んだ女性。諦める方が難しいことも、ありますから。これもまた、人間の危うさで。この危うさと危うさが織りあわされて、脆いながらも非常に美しい模様が出来上がったと思います。砂の城のように、踏みつけられればあっさりと崩れるし、寄せる波と時間さえさらわれていってしまう、刹那的であるが故に輝くもの。世間から見たら、悪人と、悪人を守る頭がおかしい人間。でもそれは、危うさを持った弱い人と人とが必死に紡いだ、より糸でありました。DVDを見よう週間は、しばらくお休みですかね。ドクター・ハウスのシーズン5を見始めましたので、しばらくはそちらを見ているかと思います。それが終わり次第、再び再開ですね。
2011年09月25日
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久しぶりの小説です。最近映画化もされた、知名度の高い1作。発売当初から気になっていまして、文庫化されたら買おう、と思っていました。<あらすじ>栗原一止は信州にある「二四時間、三六五日対応」の病院で働く、悲しむことが苦手な二十九歳の内科医である。職場は常に医師不足、四十時間連続勤務だって珍しくない。ぐるぐるぐるぐる回る毎日に、母校の信濃大学医局から誘いの声がかかる。大学に戻れば、最先端の医療を学ぶことができる。だが、大学病院では診てもらえない、死を前にした患者のために働く医者でありたい……悩む一止の背中を押してくれたのは、高齢癌患者・安曇さんからの思いがけない贈り物だった。2010年の本屋大賞も受賞していますし、話題の作品なので、あらすじはいらないかなあ、とも思ったのですがとりあえず写してみました。確かに『読んだ人すべての心を温かくする』という帯の文句の通り、読んでいてほっこりと温かくなるような作品なのだと思います。著者が地域医療に従事するお医者さんだということで、地域医療の医師が直面している問題もリアルに描かれていました。ただ、個人的には、私自身、一スタッフとして地域医療に従事している身ですし、高齢者を相手にすることが多いから余計にそう思ったのかもしれませんが、きれいすぎる、ということと、医療の現場を対立的に比較しなくても、という思いで、最後の方にすーっと気持ちが引いてしまいました。確かに、地域は慢性的にお医者さんが足りなくて、総合病院のように救急外来のある病院は、過酷な勤務を強いられているのは事実。そんな地域の医療が成立しているのは、地域で働いてくれる医師の熱意と責任感の強さによるものだとも分かっています。しかし、現実の病院のことを考えると、物語はやはりファンタジーなんですよね。医師や他のスタッフの志とか想いや行動は一様ではなく、いつの間にか患者さんが置き去り、というのはよくある光景です。諦めてる、とか、私が見てきた病院がたまたまそうだったんじゃないか、とか、そういうことが、この物語をきれいごとに見せるのかもしれませんが、そうじゃないような気もするんです。そもそも私、きれいごととか、結構好きですし、理想は掲げていたい。それでも、なんだかある種の閉塞感が地域医療の現場にある気がして。それから、主人公の考え方なので、別にどうこう、というわけじゃありませんが、先端医療を行う大学と地域医療を行う病院、それから延命治療に関してなどなど、ちょっと対立的過ぎるような気もしました。たぶん、主人公は理想的なお医者さんなのでしょうし、私もできるならこんなドクターに診て欲しいのですけれど、かといって一方を善、正しさ、ヒーローにしすぎかなあ、と。特に延命治療に関しては、違う考えを排除してしまうのはちょっと、と、一番気持ちが離れていった部分かもしれません。どちらもありうるし、どちらも間違ってるとはいえない、と私は思うので。著者は医師ですから、地域医療の現場で直面する様々なやるせないことを、ぶつけてみたい気持ちもあったのかもしれないですけどね。ほんと、どうにもならないことばっかりですから。と、気づけばなんだか否定的な内容になっているような気がしないでもないですが、まあ、この作品は好きな人の方が多いから、ちょっと違うベクトルの気持ちがあってもいいよね、と言い訳を……決して嫌いではありませんし、面白くないわけではなかったのですが、自分が病を持ちながらもスタッフとして医療の現場に置かれているだけに、ちょっと気持ちがすっきりしなかったんだと思います。そんなあ! と。
2011年09月20日
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遂に、青森県立美術館で開催中の印象派の企画展に行ってまいりました。ドイツから巡回してきて、日本では青森県立美術館でしかやらない展覧会ということで、行きたくて行きたくて、うずうずしていたわけですが、やっと連休をとって行きました。うずうずしていたわりに、印象派はそれほど好きというわけではなく、むしろポスト印象派と呼ばれる人たちの辺りが好きな自分だったので、まあ、そんなに長居はしないよと、一緒に行った家族には言っていたのですが、気がつけば企画展しか見ていないのに4時間以上……堪能してきました。家族しか付き合ってくれないですね、こんな長時間……印象派の画家たちの面々も勿論堪能したのですが、なんといっても、マネのアスパラガスの静物画があったのですよ!これ、一度は見てみたかった絵画でして、これだけでもう満足。ゴッホは風景画1作品しかなかったのですが、モネ、ルノワールと点描画を描いた画家達などの印象派だけでなく、クールベまで!と、びっくりマークを珍しく多用するほどの満足度でした。私にとって、絵を見るということは、画家とのコミュニケーションです。美しさとか、技法とか、価値とか、そういったものに目を奪われる以上に、どんな心の動きが画家達に絵筆をとらせたのか、という想像に心を奪われます。実際の作品を見るということは、カンバスの前に立つということで、画家がかつていた空間を一部ながら共有することでもあります。カンバスを見ながら、筆の痕を追いながら、画家がそのカンバスの上に絵の具を置いていく姿を想像するだけで、こう、わくわくするといいますか、そんな気持ちで自然と顔がほころぶくらい。印象派と呼ばれるカテゴリの絵画は、絵画を意味から解き放ったという点で革新でした。印象派により崇高さやおごそかさ、静謐さから解き放たれた絵画は、現代では美からも解き放たれようとしていますね。ただ、私は現代アートはそんなに好きというわけではありません。それは印象派やセザンヌやゴッホを認めなかった、同時代の人たちと同様に、「価値」というものの枠組みに自分が縛られているということなのかもしれません。ただ、美しいとは思わなくとも、心惹かれるアーティストがいるのも事実。それが私の場合、もう故人になってしまった石田徹也さんです。彼の絵を見ていると、こんなにも深い優しい孤独があるのだろうかと言葉を失い、その圧倒的な孤独さゆえに、自分が抱える孤独さえ癒されるような気がして。芸術でも文学でも、表現というものは表現した先から受け手にゆだねられるものですが、そのコミュニケーションのありようは、魅力に満ちていますね。
2011年09月18日
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宣言どおり、がらりとタイプを変えた映画を見てみました。ヴァンパイアの少女と人間の少年の恋物語という、普段は見ないタイプの映画です。最近見た映画のどれだったかの予告に入っていたんですよね。それで、たまには違うのを見てみようかな、と。スウェーデンの映画だそうで、スウェーデンの作品を見るのも初めてでした。スウェーデンときいても、フィンランドやデンマークほどイメージも浮かばなかったので、どんな雰囲気になるのかなあ、と期待して見たのですが。ただただ美しい映画でしたね。風景も、登場人物も、空気も、音も、透明感があって美しい物語でした。いじめられっこの少年の隣にある日、美しい少女が引っ越してきます。夜にしか出歩くことのない少女と、友人のいない少年は、段々と惹かれあい始めるのですが、やがて少年は少女が普通の人間ではないことに気がつき始め……といった感じに物語は進んでいきます。この少年と少女、十二歳という設定なのですが、勿論少女は見た目が12歳であるだけで、長い長い年月を生きてきているわけです。少年の演技もすばらしかったのですが、この少女の演技が見事でして。十二歳という大人になり始めた少女としての美しさは勿論のこと、人の血を吸わなくてはいけないという異形の者としての醜さも、気の遠くなるような年月を少女の姿で生きてきたという老いも、ひとりの少年に惹かれていく少女の心も、全てを表現しきっているんです。気の弱い少年が、心に闇を抱えながらも成長していく姿も、人として当たり前には生きられない少女が、孤独を抱えながら誰かを求める姿も、哀しいくらいに美しくて、目を奪われました。今月はまだDVDを見よう週間が続いているために、読書が止まっている……そのうちまたシフトするとは思いますが、積読本がたまってきているので徐々に処理していきます。
2011年09月15日
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DVDを見よう週間、そろそろ終わりかなあ、などと思っていたわりに、続いております。最近ゲオやツタヤでしょっちゅう50円とか準新作100円といった感じで安くするので、あ、じゃあなんか見ようかなあと、まんまと戦略にのせられてしまっている次第です。それと、今、あんまり仕事が忙しくないせいかもしれませんね。来月から年末に向けて、またあわあわとしだすかとは思われますので、今のうちに。「かもめ食堂」の荻上監督の作品が好きなら好きだと思うよ、と言われて借りた1作です。特に軸となるストーリーがあるわけではなく、どこかの街で暮らす人々の風景を切り取っていくようなお話。もともとその街で暮らす人、引っ越してきた人、お店を開いた人。豆腐屋さん、喫茶店、銭湯、バー、街のおばあちゃん、などなど、一見何のかかわりもなさそうな人たちの間に、日常の中でいつの間にか繋がりが生まれ、笑いあったり、くつろぎあったり、ちょっぴり悩んでみたり、というような、ゆったりと流れる時間を映した1作でした。勿論、嫌いな雰囲気ではありません。ありません、が。最近、こういう作品、増えているような。「かもめ食堂」で荻上監督の作り出した新しさの流れに、そのまま連なりそうな作品、といいますか。それゆえに特に新しくはない。いえ、別に「新しい」ことに価値があるわけではなく、「変わらない」ということや、あえて「古い」ということがいい場合もあるんですけども。別に特別なメッセージがあってもなくても面白いものは面白い、と思いますし。俳優さんも、おんなじ感じで。もたいまさこさん、小林聡美さん、加瀬亮さん、光石研さん、そして俳優さんではありませんが、フードスタイリストに飯島奈美さん。荻上監督自身は、「かもめ食堂」「めがね」、そして「トイレット」でぽーんと更に高いところにいった感がありますが。どちらかと言えば好きな部類なんですけども、これ、この俳優さん陣じゃなきゃ成り立たない世界だよなあ、と思ったのも事実。この俳優さんが出てるから見る、面白みがある、という感じでしょうか。キャスティングのうまさ、といえばそうなのかもしれませんが、俳優さんにちょっと頼りすぎな気もするなあ、とも思ってしまいました。あんまり似たような作品を続けては見ないようにしているんですけどもね。私自身、とても飽きっぽい人間なので。次はがらりと雰囲気の違うものを見ようかと。
2011年09月11日
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タイトルの通り、8月号は空海と高野山の特集でした。最近、芸術新潮も宗教系(開祖とか宗教美術とか)の特集が多くなっているような。これもまた、時代の流れ、ということなのでしょうか。昔はもっと、ザ・美術、という感じの特集が多かった気がするんですけどね。ただ、私自身の興味もそういった方向にシフトしている面もあるので、歓迎ではあります。結局、何を読んでも「信仰」という意味での「信」を持とうという気にはならないのですが、その「信仰」を「信たらしめる思想」といいましょうか、その「信仰」を信じさせる力に非常に興味がある次第です。ですから、一神教の代表としてキリスト教のほか、日本仏教あれこれ、かるーくかじる程度に本を読んでみたりしています。最近読んだ日本仏教関連の本が、親鸞とか法然とか、信じて念仏を唱えればいいんだよ、という浄土門系のものだったので、あれをしてこれをして、仏になれ、というような、様々な修法がある空海の真言密教はなんだか新鮮でした。こう、やっぱり厳かさの感じが違いますよね。そう考えるあたりがもう、目に見えるものへの囚われだったりするんでしょうけども、やっぱり、儀式の一つ一つ、曼荼羅やお寺を見るにつけて、静謐な空間の中からある種の圧力をもってのしかかってくるような厳かさを感じます。鎮護国家とか、加持祈祷とか、現世利益と結びつけて「信」を語るのも、なかなか寂しい気もしますけどね。たぶん、何を信じるかということよりも、「信じる」という行為とか、心のあり方が重要なんでしょうね。その意味では、何を信じたって言い訳です。宗教でも、科学でも、自分でも、他人でも、世界でも。信じることで、この世界とどうかかわっていくか。信じることで、どれほどの力をもらえるのか。そうして、信じることが、どんな行動に結びついていくのか。そういうことが、きっと大事なのでしょう。なんだか空海とはあまり関係のない話になってしまいましたね。
2011年09月08日
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「アバター」を抑えてアカデミー賞を受賞した話題作でしたね。夫婦対決も、確か話題になったように記憶しています。初の3D映画という、映画史に残るようなあれだけの話題性を持った映画を、おさえて受賞したということですから、どんな作品だろうと思っていましたが、全く対照的な映画でしたね(アバターは見てないので雰囲気、ですが)。「ハート・ロッカー」とは兵隊用語で「棺桶」とか「苦痛の極限地帯」を意味するそうです。「ハート・ロッカー」はイラクに派遣された爆弾処理班の3人を主人公とした物語です。戦争映画といえば、失われる命や破壊される街を悲劇的に描くものかと思いますが、ハート・ロッカーは違いました。物語は、非常に淡々と進みます。途中、眠気に負けてしまったほど……(たぶん、疲れていた、ということで)。でもそれは、この映画がつまらなかった、というのではなく。最初はなかなか、物語の中に入っていけないのですよ。物語は、主人公の行動や心情に寄り添ってシーンを積み重ねる、というものではなく、主人公は一応決まっていますが、もう少し高い客観の視点から、誰に主眼を置くでもなく、米兵の姿もイラクの市民もただありのままに映されており、そもそもが、物語の中に入ったり共感したりするような映画ではなかったんでしょう。だからはじめは、急に始まった爆弾処理のシーンや、イラクの市街地、基地であおるように酒を飲んでストレスを解消する姿、そういったものに戸惑ってしまい、気づけば眠ってしまったんですね。はい。言い訳でした。それで、もう1回最初から見たわけですが。勝者も敗者も、正義も悪にも言及することなく、ただひたすらに戦争という現場に参加する者、巻き込まれる者の姿を映したすばらしい映画だったと思います。大義のなかったイラク戦争という出来事の現実に、少し近づけたような気がしました。正義も悪もなく、善も悪も訴えず、ヒーローも悪役もいない、というところが、この映画の特徴の1つではないでしょうか。米国から派遣されて命をかけて爆弾処理にあたる米兵は、常にどこにいるとも分からない起爆装置を持った人間やスナイパーの存在に、注意を払わなければなりませんし、その緊張は本当に極限で、心を失っていくことに疑問をもてないほどです。そんな彼らに向けられる街のイラクの人々の視線は冷たく、自分たちが何のために働いているのか、正義という言葉一つではあまりに弱く、実感もない。そういった戦争の現実の、今まで考えなかった面を見せ付けられた作品でした。そうですね、ただただ知らしめるための作品だったのかもしれません。イラクでの戦争も、ビンラディン氏の暗殺も、報復という側面が非常に強いものです。正義とか、秩序を守るとか、そういう言葉を重ねても、それが隠せないほどには、人間はもう、成熟しているのだと思うのですよ。9・11から10年が経って、「アメリカの正義」が成し遂げられ、若者がわいたこの年に、おとといの新聞でアメリカの監督さんが言っていた一言が印象的です。「無垢なアメリカは、失われてしまった」と。と、同時にですね、3・11で福島の原発事故が起こったときに、アメリカの学生さんたちは学校で原爆のときに白血病になった少女の物語を学ぶそうで、それにならって、日本のことを祈って折鶴を折ってくれた、なんて話もあるんです。報復も許しも、憎むこともいたわることも、同時にできるこの複雑な存在を、どちらにしてもいとしいなあ、とは思うこのごろです。
2011年09月04日
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