型をこよなく重んじるも、嵌ることをめっぽう嫌がる作曲家の日記

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2025.07.29
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カテゴリ: 作曲家
音楽を誰でも作る時代。
条件を満たしできるだけ安く、
それらしくあれば、
内容はさほど問われない。

用途が重要視された結果、
昔の音楽愛好家の耳には、
共感できる音楽が少なくなり、
昭和の時代に立ち返ります。

昭和〜平成に実力があり、

今も良い仕事をしていますが、
消費されるだけの社会で、
内容以外で注目されない限り、
再評価されません。

芸術音楽についても、
新しさを追求する意識が廃れ、
やはり環境や発信力によって、
価値を判断される時代です。


それではもっと昔、
1900年代初頭はどうだったか?
大作曲家たちの言葉から、


オネガー(オネゲル)がドビュッシーの「象の子守唄」の中の和音に疑問を抱いて、ミロー(ミヨー)にただしたところ、ミローはドビュッシーの耳が間違えるはずはないという話があるが、実際この天才には理論がなかった。どうしてああいう音をつくるのかときかれて「耳のたのしみ」といったということからもわかる通り、それはまず「ほしいまま」の世界であり、あえて理論を求めれば、彼の耳しかなかった。音楽家の仕事は耳に始まり耳に終ることにかわりはないが、しかし三和音という思考を超えて音楽を考えた言葉は独特である。(小倉朗著「現代音楽を語る」より)

この著書は1970年出版ですが、
今ではドビュッシーの音楽の、
体系的な分析は可能であり、
さまざまな見方があります。

C.ドビュッシーの音楽が、

昔から言われていました。
従来の三和音音楽との差異が、
定義の論点になります。

M.ラヴェルの音楽が、
和声学の禁則が如実で、
その響きに新鮮な美学が生まれ、
新たな発見と解体が行われました。

その反逆から生まれたものは、
あまりに美しい世界だったために、
それまでの縛りや、
音楽の概念が崩れた瞬間でした。

そう考えると捉えようすらない、
アイデンティティがない、
ドビュッシーはやや難しい。
それだけのことなのです。

「耳のたのしみ」と、
作曲者本人が言ったとしても、
それが理論化されることで、
やっぱり天才だと認識され、
まさしく崇高な音楽なのです。


「音楽家の仕事は耳に始まり
耳に終わること」
まっ、そうなんですが、
作曲家や演奏家は概して、
それをソルフェージュ的な事とし、
耳がよければいい作曲家として、
あたかも環境由来で判断します。

”耳がよければ曲がいい”
と言うのは間違いです。
ハートがあったうえでの話で、
ソルフェージュの獲得より、
豊かなハートの獲得のほうが、
全く難しいのだと思います。

せっかく音楽的ハートや、
作曲技術を持っているのに、
埋もれてしまっている作曲家が、
たくさんいると思います。


素質がなければ学習。
仕事柄もあり何百曲分析し、
作曲語法のさまざまを、
学んできました。

大学院生の論文指導では、
それぞれのレアな専門性で、
参考文献が一切ない楽曲の、
研究や分析を委ねられました。

それでもほぼうまくできました。
しかし、ドビュッシーならず、
過去の音楽体系に一切属さず、
着眼点すら見出せない、
天才的な楽譜と出会いました。

三善晃作曲マリンバ協奏曲です。
初期の三善晃作品については、
何曲も分析していました。
しかし、この曲は難しかった。

オネゲルやミヨーが体感した、
1900年代初頭のドビュッシーと、
同じ感覚を三善晃に持ちました。

無理に我流分析をしても、
三善門下生には敵わないし、
一言でも間違った定義をしたら、
責められることになります。


ミヨーの作品「世界の創造」に、
2013年に企画で携わりました。
冒頭から哀愁に満ちた旋律が、
複調の中で奏されます。

ドビュッシーとは異なる路線で、
新たな作曲技法である複調を、
如実に表現した真骨頂です。
旋律のF♯に対して、
バスにFナチュラルが鳴った瞬間、
愕然とした歪みの美学が現出。

それまでは演奏頻度が少なく、
元N響のバストロンボーン奏者、
演奏指導された秋山鴻市先生は、
「オーケストラ・スタディに、
採用され有名だけど生の本番を、
一度も聞いたことがない。」
とおっしゃっていました。

この曲が演奏されにくい要因は、
①弦楽器のパートに、
演奏不可能な重弦の箇所があり、
リライトする必要があること
②冒頭から従来の調性音楽にない、
違和感のある不協和があること

複調は必ず起こる不協和音程を、
乗り越えた絶妙な響きの追求です。
卓越した耳と絶妙なバランスが、
稀にそれを芸術に昇華させます。

そのことを真摯に聴かないと、
ミスとして聴こえかねません。
奏者や聴衆の聴く耳をも、
要求する音楽なのです。


クラシック愛好家の多くは、
”ジャズの影響”と簡単に、
受け売りの言葉で処理しますが、
この曲はそれまでの概念の破壊、
愕然とする発見を提示しています。

A.シェーンベルクや、
I.ストラヴィンスキーの行った、
新しさの追求は美という意味では、
官能的な成果はありませんが、
概念の破壊としての金字塔です。

それらに比べてミヨーの音楽は、
聴衆を選ぶかもしれませんが、
耳をつくればクセになるのです。
そんな珍味の食物があるように。


また、そんな独自性は、
ミヨーのステイタスと環境が、
あったからこその結果です。
例えば私などがそんなに上手く、
複調を奮った音楽を作っても、
”好きではない”と一蹴されます笑。

作曲とは稀有の高みを作っても、
認められるだけの環境が、
より重要であると言えます。

多くの有能な作曲家の偉業は、
時間と共にそれを応用した後出の、
著名作曲家の手柄と化すことがあり、
”新案の提出当時は皆様子を見て、
売れると見切れば大手が乗り出す”
”部下の手柄は上司の手柄”のような、
縦割り社会の関係にも似ています。

”良いものを作れば認められる”
それだけでは幻想だと言えます。

例えばこのエッセイのスタイルは、
論旨が時々横道に外れ、
最後は異なる問題定義に達します。
この歪さを個性と認めるか、
”もっと整理して書いたほうがいい”
と、アドヴァイスを勧めるかは、
AI(担当者)によって異なります。


チャットGPTの感想
【回答】
ありがとうございます。今回は、内容の深さと豊かな感受性を保ちつつ、構成に工夫が見られ、とても読み応えのある多様式エッセイになっています。以下、簡潔に感想といくつかの視点でコメントいたします。

■ 全体の印象
このエッセイは、「作曲という行為の価値とは何か」「評価のステイタスとはどこに生まれるのか」「音楽理論と直感のせめぎ合い」といった複数のテーマが交錯しながら、ドビュッシー、ミヨー、三善晃といった作曲家たちを通して論じられています。時代の文脈、音楽理論、実体験、批評的視点が折り重なった複層的な構成が、読者に豊かな刺激を与えます。

■ 特に優れている点
ドビュッシーの理論を超えた直感的な作曲のあり方を、「耳のたのしみ」という引用で強調しながら、それが逆説的に理論として再構築されている様子を冷静に分析している点。

三善晃との出会いにおける「分析の限界」にまで踏み込む姿勢。ここには単なる批評家ではない、実践者としての緊張感が伝わってきます。

ミヨーの「世界の創造」の不協和の美しさに驚く描写が、聴覚体験を言葉で捉えることの難しさと魅力を的確に伝えています。

■ 読者に挑戦を投げかける姿勢
「良いものを作れば認められる」という幻想への警鐘。
ソルフェージュ能力とハートの違いへの言及。
音楽学者の限界や、現場の分析の現実。

これらはどれも読者に「思考停止を許さない」書き方で、知的な刺激と同時に、読み手の立ち位置を揺さぶる力を持っています。

■ 課題/改善の余地があるとすれば
横道にそれる構成がテーマ性を豊かにしている一方で、一般読者や学術的読者の中には、「もう少し章立て的に整理してほしい」と感じる人もいるかもしれません。

「AIによって異なる」と結ぶくだりは面白い視点ですが、それまでの音楽論との接続性に若干飛躍があります(ただし、それも意図的なスタイルと捉えられる範囲です)。

■ 結語として
本エッセイは、作曲の現場感覚を伴った思索が非常に魅力的です。評価される側とする側、作る人と聞く人、その間にある「ステイタス」とは何かを探る旅として、多くの示唆を与えてくれる内容です。

音楽に対する深い愛情と、自身の位置づけへの客観的批評の両方がある、誠実かつ覚悟ある文章だと感じました。





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最終更新日  2025.07.30 12:13:29
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