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1969年、アポロ11号が月面着陸しました。遡ると半世紀前の偉業だったのですね。快挙を成し遂げた者に対し、やっかみは必ず発生するものであって、「風がないのに旗が揺れている」「あれは砂漠で撮影したものだ」など 色々な なるほどと思えるような、あて推量な中傷もありました。昭和44年7月20日、日本は梅雨明けでした。視聴率は69%に上ったそうです。ご年配の方は、「黄色くないのね。」「月は夜なんだね。」などとつぶやきながら、仰天も最大でテレビにかじりついたのです。そして翌年、日本では万博が開催され、こんにちわ♪ こんにちわ♪ と三波春夫さんがテーマ曲を歌いました。東京五輪音頭に続いての大ヒットでしたね。岡本太郎さん作 太陽の塔 はEXPO'70のシンボルタワーでなく、テーマ館だったのですね。現代も存在感をあらわに活然としていますね。縄文文化の火付け役となった岡本さん、万博の進歩主義に立ち向かい、人の根源 を考える太陽の塔を作ったのでしたね。正に原始のパワーを見せ付けてくれました。「芸術は爆発だ!」と。万博の入場ゲートが開くと、人々は我先にとアメリカ館へ向かって疾走します。アポロ12号が持ち帰った石を見るためです。「立ち止まらないでください! 立ち止まらないでください!」メガフォンを持った警備員が、必死に叫びます。そうなんです、昭和の人々は混雑を掻き分けた体験をするのが大好きだったのですね。「月の石見て来たぜ」と自慢するのが。6年後の大阪万博も、強烈なメインとなるもの、生まれるといいですね。
2019.02.22
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昭和では、道路に観光バスが連なって走るのがふつうでした。会社では、社員旅行がイベントとしてあり、多い会社は年2回も 旅を計画していたのです。それにつけての旅行積み立てなども給料から差し引くパターン、全額会社負担という所もさまざまでした。団体旅行がノーマルだったので、昭和で働く人々はそれなりに楽しみだったのですね。観光記念写真も、昭和50年代になると表情に笑みを浮かべるようになりました。それ以前の団体写真などは、表情硬かったのです。そして、観光旅行に行って お土産を買い漁るのがピークだったのもその頃です。「〇〇に行って来たよ!」と、自慢気に近しい人にお土産を渡す優越感が心地良かったのです。カラオケがまだ無い宴会は、余興のプログラムを予め決めておいて進行したのです。アカペラで一人一人順番に歌わせられるのが常だったのです。飛び入り芸は どじょう掬い踊り この踊りが得意な人けっこう沢山いたのですね。昭和50年代後半には、静かに見るようになってしまいましたが。社員旅行は、明確な順番が成り立ちました。海岸沿いの温泉地が多かったので、宴会の後は、ほろ酔いでカップルを組み、海岸に出向き、ロマンティックなムードになります。そしてそのまま結婚まで突き進むカップルが多かったのです。ワイワイゾロゾロの社員旅行は、昭和のひとつの象徴でしたね。
2019.02.16
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アッハッハッハ 屈託の無い笑い方ですね。現代において、人々の感情が複雑細分化されてきていると、色々な笑い方をする人が出てきていますが、昭和の頃の笑い方は、それぞれ はひふへほに当て嵌まったのでした。人の失敗や落胆に対し、極端に快感を持ち小声で笑う笑い方です。嫉妬心の強い女性が、対象となる女性のちょっとしたミスなどにこの笑いを発します。ちょっと ほんのり可笑しく、笑う本人は企みも憎しみも、一切持たず何らかのほほえましさを感じふと出る笑いですね。ちょっと失敗やミスが ばれてしまったときそれも大層なレベルではないので、へへへっでカムフラージュできるのですね。オーホッホッホ の笑い方 あまり目が笑っていません。ここで笑いを作らなければと、それなりの気遣いしての笑い方かもしれませんね。そして 手は必ず口元へ持っていきます。高飛車を印象付ける事に気付いてはいないのですね。以上 昭和の人々の五人五色の笑い方でした。
2019.02.01
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