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お父さんは、大黒柱 という概念が強くあった昭和実際正にそうであったのです。家族を養わなければならない責任感の重さそれが働く喜びにつながるも重圧は、あったはずですが、意識せず威厳を保つ・・・振りであったとしても。いつも厳しい風格を発散させていなければならない。タバコをくゆらせば、その風格を倍増させられる。などの構格を、お父さんは忠実に 守っていたのです。「だけど、厳めしい態度ばかりしているとどんなものかな?」とも しばしば゛考えてはいたのです。昭和の短気ですぐ怒る 厳めしい親父の像がだんだん溶けてきたのは、お母さんのパワーです。家で家事に専念していた母妻は、少し外に働きに出始めました。お父さんが楽になったというよりお母さんが、家庭内で、幅を利かしてきたのです。いつも着物に割烹着の主婦が、日常生活が洋服になった頃でした。昭和の高度経済成長期に差し掛かる頃からのお父さん、並外れた働き方をしましたね。
2019.08.30
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女性がブラジャーを着けるようになったのは戦後、必需品として認識され出したのは、昭和30年代からでしょうか。ブラジャーと呼ばず 乳バンド だったのです。色は白が主ですから、夏のブラウスには透けて見えます。だから、ジロジロと男子の視線を感じたくない女子はブラジャーを着けるか着けないか生徒会の議題にしたのです。学校に来るときのヘヤースタイルも、内巻き 外巻きどちらにするか、もちろんおとなしそうな、清純そうな内巻きにするという結論が出たのですが、そんなこと取り決めたのです。カールヘヤーが大流行し、上図のようなカーラーで(ゴミ箱と、トングのようですが・・・)寝る前髪に巻き、外れないよう気を使い眠ったのです。昭和の大ヒット商品ホットカーラーです。昭和40年代に入り、家電メーカーは競って発売しました。カーラーを巻いて眠る安眠妨害から女性は解放されました。女子部の生徒会長は、男勝り、今も昔も男勝りの女子は、同性から人気があります。嫉妬感を持つ必要がないせいでしょうか精力的に会を運営進行していきます。だけど しかし テーマになる議題項目、今となっては笑ってしまいますが、至って真剣に、考えていたのです。昭和40年前後の女高生、世間に気を使って学園生活送っていたのですね。
2019.08.23
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「美しい方はより美しく」 「そうでない方は?」「そうでない方は・・・・それなりに」現在 もし、このようなCMがオンエアーされていたらやれ 「差別だ!」 「美しくない方とは何事だ!」と反感の声が上がるのは想像できます。だけど、昭和54年では、樹木希林さんのキャラクターがそういう部分を制御させてくれました。昭和では、フィルムの善し悪しで写真プリントの鮮明レベルが違うと信じ込ませたのですね。カメラで撮影したら、プリントする選択のみだったので写真は溜まり、アルバムも数十冊になり増える一方だったのです。だからもっともっと増やしてほしいと願ったアルバムメーカーは、フエルアルバム なるものを発売したのです。現像した写真は、隈なく整理して アルバムに貼ることで、その家の几帳面さをアピールできたのです。そして、来客などあったらお見せするのがマナーに近い行為とされました。だけど、訪問して目の前にアルバムをドーンと積まれたらうんざりした方も少なくないと思います。パラパラ目を通しながら、賞賛を付け加えなければならないのですから。3大ロールフィルムです。一番上は 黄色が強烈なイメージだったコダック真ん中のフジカラーは、ダントツでお馴染みです。一番下は、小西六写真工業のサクラカラー桜なので、たまたま色は、桜色にしちゃいましたけど。看板は架かったまま、営業していないDPEショップ見かけます。昭和の後期、街の写真店がフジカラーショップとして、急激にチェーン展開したのですね。ロールフィルムを写真店に持って行きプリントが出来上がる日までの数日、ワクワクと楽しみだったのに違いはありません。
2019.08.17
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ハエ取りリボン です。ハエを寄せ付ける誘引物質が、付着されています。粘着性だけの発揮ではないのですね。子供は、家の中を走り回るので髪にくっついて悲惨でした。(サラダ油などを塗ってシャンプーすれば落ちるそうです。)駆除のデータは明確ですね。殺虫噴霧器 です。昭和30年代、ハエと蚊のいない生活実践運動が、行われていました。金鳥さんもアースさんも、ガス式のスプレーの販売以前は皆上図のピストンスプレーでした。保健所から殺虫液が配布され、一升瓶から注いでハエを抹殺したのですが、翌日には又 同じ数ハエは飛び交っていました。赤ちゃんのファッション、身辺の必需品、ならびに護衛品など顕著にファッショナブルだったのが昭和30年代です。蚊帳でお昼寝するベビーは、とても優雅に見えてしまいました。左図は 一般家庭に冷蔵庫が普及される前までほとんどの家が使っていた 蝿帳 です。ハエが集るのを防ぎ、風通しがあり少しでも食品の賞味期を延長させるためです。右図 の食卓カバーは、ちゃぶ台に並べた後、わずかの間被せておくのに使っていました。以上上げた 昭和の虫よけディフェンスグッズは、現在もニーズがあり、フル活用されていますね。食卓カバーなどは、絶対必要性を感じます。
2019.08.08
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昭和40年代前半、突然行方不明になった人を 蒸発者 と呼称する時期がありました。 その行方不明者を捜索 情報提供を得る目的として 生放送される番組があったのです。 家族が登場し、強い要望の感情を迫真に迫り表現する様子が 視聴者の関心をより一層集めたのでした。 当時の情報手段、テレビは独占に等しかったのです。 そして、行方不明者、又その原因については大方解決に向かったのでした。 人は、人がどんな悩みを持って もがき苦しみ悲しんでいるのか知りたいものです。 テレビ身の上相談 では、 声を震わせながら悩みを打ちあける相談者、 そのあと憎しみのあまり大きく声を張り上げる様子 気の毒に思いじっとテレビを人々は見つめます。 回答する先生と言われる人は 「諦めるしかないわね。」なんては言いません。 とにかく頑気付けるのです。 強く生きようと決めた相談者に主婦たちは、ほっとしたのです。 評論家という職業の方、昭和40年代に続々と出現しました。 毒舌であればある程 タレント性もあるのでテレビでは引っ張り凧でした。 番組の前半では、紳士淑女でテーマに対し討論しているのですが ほんの些細な事で感情をあらわにします。 評論家の方は、極端に自我主張が強すぎますよね。 現在でもそうですが、人は不仲 闘い お家騒動などの情報 関心をもって視るのは変わらないですね。
2019.08.01
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