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忙しかった6月。12日~13日(日)に和歌山方面に、19日~20日(日)広島方面に旅行。9月の旅行のために6月23日に妹と姪で会議。昨年末に腰椎を骨折してから、2月や3月、いや4月でさえもこんなに動けなかったのに、体がだいぶ回復して来たのを感じる。体重も45キロ近くに戻ってきたが・・・。(^-^)■□■2010.6月に見た映画■□■*ブライト・スター*シーサイドモーテル*こまどり姉妹がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!■□■書き残したネタ帳■□■*「庄原の旬だより」*和歌山のアメリカ村*古物(ゆたんぽ)*木になる木(広島)*広島の公園の植生*江戸時代、和歌山の防災意識■過去の書き残したネタ■*新しい植物のメンバー*南禅寺界隈の別荘群*子供と春の花と桜*ケチな近鉄・・・吉野の桜*井上ひさし・・・面白いものを書く=松本清張*「ゲゲゲの女房」昭和30年代。貸本屋、方言*琵琶湖湖岸の風景*瀬田の唐橋*瀬田の町で見つけた小さな川*川辺に咲く菜の花*桜*インテリアのページ*近所で見つけた古いものたち*冬のオリンピック(フィギアスケートの採点)*京都芸人ネタ*友人の病気*西谷祥子の漫画*湯浅誠氏*お守りブローチ*病院食・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月26日*父の麦わら帽子:銀の滴降る降るまわりに*・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.29
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■先日行った、帝釈峡■は、カルスト台地が帝釈川によって侵食されてできた峡谷。あちこちに、穴が空いていて、大昔、人が住んでいたのではないか・・・。と■前回、■散策した際、オッチャン(続柄・夫)と話ながら歩いた。調べてみると、川の流れによって石灰岩が削られてできた数多くの洞穴と岩陰は、太古、縄文人たちの生活の場だったそうだ。そんな、帝釈峡に、出たー!帝釈峡まほろばの里「時悠館(じゆうかん)」!! コンクリートの塊のような「時悠館」は、異様に大きい。近くにある駐車場も大きい!しかし、日曜日というのに、車は私たちだけの貸切!!!中に入ってエレベーターに乗る。誰もいないから待ち時間ゼロ!受付があったので入場券を買おうと見ると誰もいない。券売機があるのか・・・と入場券を買っていると、奥から、男性が小走りに走って来た。彼は、この施設の学芸員で、私たちを案内しながら説明してくれる。他の客は、ひとりもいないから、私たち専属の学芸員!お客がいないので、ヒマを持て余していたらしく、各部屋についてくる。 上の写真は、縄文人の岩陰遺跡を展示。私は、こんなもののために、でっかい箱モノを造る意図が分からない。もし、岩陰遺跡を展示して、皆に見てもらいたいのなら、こんな山の中に建てず、街の中にすればいい。学術的に大切なものであれば、大学に保管すればいい。現在も広島大学が発掘しているのだから・・・。この大きな建物を維持するためのエレベーター、照明などにかかる電気代や3名いる学芸員の給料など、いったい年間いくらかかるのだろう。腹黒い政治屋と土建屋の造ったとしか思えない「時悠館」。流行りの事業仕分けをすると、必要なし!となるのだが・・・。 ■帝釈峡まほろばの里・時悠館■■お問い合わせ先:〒729-5244広島県庄原市東城町帝釈未渡1909庄原市帝釈峡博物展示施設「時悠館」電話(08477)6-0161FAX(08477)6-0162■アクセス帝釈縄文人と出会う、一万年の旅帝釈峡まほろばの里・時悠館帝釈峡の地域に人々が暮らし始めたのは今から一万年以上も前の昔のことです。古代の人々は、どんな暮らしを営んでいたのでしょうか。帝釈峡の自然とどのようにかかわってきたのでしょうか。さあ、タイムトンネルを通って、古代の帝釈峡へ、発見と感想の旅に出かけましょう。(パンフレットより)◎帝釈峡の岩陰古墳◎・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月26日*父の麦わら帽子:銀の滴降る降るまわりに*・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.27
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銀の滴(しずく)、降る降るまわりに、金の滴、降る降るまわりに・・・。文字を持たないアイヌが、口伝えに伝説や神話を伝えたように右手の不自由だった父も、書くということはしないで、もっぱら、しゃべって、いろんなことを伝えた。そんな中に父の伯父、■健三郎の妻・タマノは、■二人目の子供が生まれる産後の肥立ちが悪く、死の床に着き、父親にも会えないまま死んでしまったことを父から何回も聞かされた。この話には、続きがある。タマノの残した子ども、父のいとこは、名前を友一(ともいち)と重次(しげじ)と言った。タマノの死後、父親が再婚し、二人には新しい母親が来た。しかし、二人が新しい母親になつかなかったのか、継母が可愛がらなかったのか、折り合いが悪かった。死んだ母親を恋しがり、そんな二人を継母はこころよく思わなかったのかも知れない。友一と重次は、家を出てよく、籐田(とうだ)とう所にある、親戚の家に行ったそうだ。ある日、兄の友一は弟を誘った。「シゲ、藤田(とうだ)に行こう。」二人は、歩き始めた。親戚の家は、子どもの足で歩いて何時間もかかる。そのうち、幼い重次が足が痛いと泣き始めた。「シゲ、もうちょっと、我慢せぇ」と友一は、言い聞かせたが、弟の重次は泣きやまない。なだめても、泣きやまない弟の重次に兄の友一は、こう言った。「なぁ、シゲ、あそこに、トロッコがある。あの中で座って休もうか。」家からもう、だいぶ歩いていた。この辺りには、柵原(やなはら)鉱山から出る鉱石を運ぶ片上鉄道があって、そのためにトロッコが置かれていたのだった。兄の友一は、トロッコに上がり、弟を引き上げた。泣いていた重次も喜んだ。それからしばらくして、疲れていた二人は、そのトロッコの中で眠ってしまった。やがて、暗くなっても帰ってこない幼い兄弟に村中、大騒ぎになった。村中、総出で探したが見つからなかった。翌日、何事もなかったかのように、兄弟が帰って来たと父は涙を流しながら何度も話してくれた。父から聞いた、この話を思い出したのは、台湾の深い緑の中、トロッコに乗った幼い兄弟たちのシーンがある映画■「トロッコ」■を見たからかも知れない。父のいとこにあたる、友一と重次は、二人とも若くして亡くなった。私の父と子どもの頃、一緒に遊んだこともある、友一と重次。母親の姿を知らない二人の幼い兄弟を想うたびに、胸がキリキリと痛む。■父の麦わら帽子■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月23日*探偵!ナイトスクープ:にわか*・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.26
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■先日行った■広島県・帝釈峡(たいしゃくきょう)は、カルスト台地が帝釈川によって侵食されてできた峡谷。前回も見たが、古い野仏が、あちこちに・・・。野仏、大好き♪旅先の里山で、これなに?と思わせるような、自称、「アートなモニュメント」を見ると「なんじゃ、こりゃ~ (ノ`Д´)ノ彡┻━┻」と言って思わず、ちゃぶ台を探す私(ノД`)。が、しかし、野仏はよい。里山とは、自然と人の交わるところ。人が自然に感謝する心が野仏になったのではないかと今回も思った。■しかし、前回、行った時に見た、野仏に手向けられた花、■を入れた花入れが「竹もどき」のプラスチック製であったことには、がっかりした。国定公園である帝釈峡で「竹のようなもの」で誤魔化す、プラスチックの花入れでよしとする自治体の美の意識に愕然とし憂鬱な気分になったものだ。しかし、今回は免疫がついている。プラスチックの花入れでも、がっかりしないという自信がある。(悲しい自信だ。)そう思って歩いていると、美しい花が!! そう思って近づいてみると、な、なんと、造化!!!!「なんじゃ、こりゃ~ (ノ`Д´)ノ彡┻━┻」■バイキングの憂鬱■に■トイレの憂鬱■、■シーツの憂鬱■、そして、今回、野仏の憂鬱2・・・。せっかくのきれいな風景の中で、こういうのを見ると、がっくりくる。_| ̄|○・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月23日*探偵!ナイトスクープ:にわか *・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.24
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■こまどり姉妹がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!:あらすじ■これが双子(ふたり)の生きる道「歌が好きで歌手になったんじゃない」。貧困を乗り越えスターとなったこまどり姉妹は、71歳を迎えたいまも日本全国を飛び回り、ファンを魅了している。しかし、その人生は苦難の連続だった――。双子として生まれた宿命を背負い、歌と涙と笑いで乗り越えた2人の半生を追った、感動の音楽ドキュメンタリー。 こまどり姉妹を知っていますか?御年71歳。つけまつげに厚化粧、スパンコールの煌めく振り袖姿、今日もどこかで歌っている。幸せになりたい、双子の姉妹はそう心に誓い、生涯歌うことを選んだ・・・。「歌が好きで、歌手になったんじゃない・・・。」昭和30年代、華やかな芸能界でトップに昇りつめた双子の歌手。艶やかな振り袖姿。哀切溢れるこれぞジャパニーズ・ソウル・ミュージック。大衆の心をワシ掴み、一躍スターになった。そんな栄光の影に隠された真実。生きるために「門付け(かどづけ)」をして日銭を稼いだ幼少時代。歌は生活の手段でしかなかった。絶頂期にステージ上で起きたファンによる凶行。時代の流れによる低迷期。妹に突然訪れた末期癌の宣告。姉の幸せを願う妹と、妹を守ることを選んだ姉。思い合って生きてきた二人、「こまどり姉妹」の半生がスクリーンで明らかになる。(映画のチラシより) 双子、貧乏、芸能界、ファンの凶行、末期癌、未婚の母・・・。韓国ドラマも真っ青の不幸てんこ盛りなこまどり姉妹。1938年(昭和13年)2月16日、北海道厚岸郡厚岸町で炭鉱労働者をしている父親の双子として生まれた。家族は、その後樺太へ渡り、敗戦まで樺太で育つ。第二次世界大戦後は、極貧生活の中、帯広市や釧路市の炭坑町を転々とし、銭函でついに家賃が払えなくなり夜逃げ。大楽毛に移り住み、ここで姉妹は日銭を稼ぐために門付けを始めた。1951年(昭和26年)上京。東京都山谷の木賃宿に住み、父親に連れられ、三味線を片手に台東区浅草の飲食街を流すようになる。 こまどり姉妹のヒット曲に「ソーラン渡り鳥」というのがある。♪津軽の海を 越えて来た/ねぐら持たない みなしごつばめ江差恋しや、にしん場恋し/三味を弾く手に 想いをこめてヤーレン ソーラン ソーラン/唄う ソーラン ああ渡り鳥 故郷の港 偲(しのん)んでも/夢も届かぬ 北国の空愛嬌笑くぼに 苦労を隠し/越えた此の世の 山川いくつヤーレン ソーラン ソーラン/旅の ソーラン ああ渡り鳥 瞼の裏に 咲いている/幼馴染みの ハマナスの花辛いことには 泣かないけれど/人の情が 欲しくて泣けるヤーレン ソーラン ソーラン/娘 ソーラン ああ渡り鳥 「ソーラン渡り鳥」の歌詞は、そのまま二人の人生だ。私小説という言葉があるが、これは二人の私歌謡曲だ。苦労をしてきたのに、二人は、おしゃべりで朗らか。かわいい、お婆ちゃんになった「こまどり姉妹」を心から応援したい。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月11日*時計のない暮らし/里山の歌・夏はきぬ*・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.23
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6月19日(土)~20日(日)、広島県の帝釈峡に行ってきた。帝釈峡(たいしゃくきょう)は、中国山地に位置する広島県北東部の庄原市東城町(旧東城町)及び神石高原町(旧神石町)にまたがる、全長18キロメートルの峡谷。国の名勝(1923年)に指定されており、比婆道後帝釈国定公園の主要景勝地。■帝釈峡は2度目。■前は、秋も深まった11月28日~29日で帝釈峡は、アースカラーだった。しかし、今回は6月。夏もはじまったばかり。人間でいえば、20代。前回の冬枯れの帝釈峡も悪くはないし、私は好きだ。しかし、この緑には圧倒される。においが違うと夫。若いっていいな。 ▲前回と比べると、▼まるで、ビフォー&アフターのような帝釈峡だ。 しかし今は若いこの緑たちにも、必ず老いが来ることを、人生の冬枯れ間近な私たちは知っている。 ◎帝釈峡◎問い合わせ先帝釈峡観光協会 庄原市東城町川東117508477-2-0525(東城町商工会内)受付:平日、月~金(9:00~17:00)土、日、祝日の問い合わせ先帝釈峡スコラ高原 神石高原町相渡21670847-86-0535・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月11日*時計のない暮らし/里山の歌・夏はきぬ*・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.21
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■浜辺 遥さま■遥さんの「ほめ殺し」をのがれて香港へ高とび!?なぁんちゃって・・・。遥さんは「香港」と聞いて何を思い浮かべますか?ブランド漁りとグルメ三昧?私の香港のイメージも、そんなところでした。だから、これまでパンフレットなども気にとめなかったのです。でも返還を一ヵ月後にひかえた香港を見てみたい。見なければ、ミーハーの王道をゆく天地 はるなんの名がすたる?と友人のRさんとSさんの3人で出掛けたのです。3人とも香港は初めてだったのですが、「街歩きの達人」Sさんが一緒なので彼女におんぶにだっこ状態。らくちんな3泊4日の旅でした。凝り性のSさんは、インターネットで観光情報からお天気情報までチェック。完璧な旅になるはずでした。でした、というのは失敗も多かったからです(それもいい思い出なのですが・・・)。空港では、日本語ペラペラのハンサムな香港青年がお出迎え。車でホテルまで案内してくれました。車が止まって「ここからホテルまで歩いてください」といわれ、指差す方をみれば「ゲッ!!こんなところに・・・。」そう、我らがホテルは、はるか坂の上!それも、ものすごく急な坂です。いつも行く里山の坂なんかメじゃない「胸突き八丁」。にわか登山部と化した3人は、フーフー言いながら、やっとこさのことで登りきりましたが、この坂には帰るまで泣かされました。 「猿岩石」なみとまでは、いかないけれどビンボー旅行。でもとても楽しい4日でした。楽しかったことは、いっぱいありすぎるのですが、百万ドルの夜景を見ながらのリッチなディナー(だって一生に一度のことですもの)。山頂の超ラブリーなカフェのテラスで、小鳥の声と緑に囲まれての、おしゃれなランチ(だって非日常なんですもの)。一流ホテルでのアフタヌーンティー(一生に一度のことだもの)。九龍公園での太極拳(もどきですが・・・)をしたこと。私なんか、絹の着物で作ったモンペにTシャツの太極拳ルックできめ、隣のご老人のまねをして手を出したり足をあげたり、気分は、すっかり香港人。太極拳で中国四千年の歴史に浸るS&はるなのそばでIさんが大木の下で樹林気功で、これまた中国四千年の歴史にひたっていました。「お粥屋」での朝ご飯に飲茶(やむちゃ)のお昼・・・etc.etc.・・・。そうそう、私たち2日目の昼から半日だけ別行動したんですよ。バスに乗っていると、どこかでみた顔。「Iさん!」「はるなさん!」と二人で大喜び。知らない人ばかりのなかで知った人に出会うなんて大感激ですよね。「1年の福をいっぺんに使いはたした感じ」とSさん。なにかをするたびに「一生に一度」と「非日常」を「水戸黄門のいんろう」のように使っての、とんだ「香港やじきた珍道中」。帰りの飛行機の中でも楽しい余韻に浸っていました。そして思ったのです。一緒につき合ってくれる友人がいることと、帰る家があること・・・。これこそ、かけがえの無い幸せだなって・・・。再見!香港・・・。 天地 はるなHOME◆おしゃれ手紙TOP◆・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月11日*時計のない暮らし/里山の歌・夏はきぬ*・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.19
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和歌山県の名産は、みかん。■先日、行った、湯浅■の町はずれにある、民宿もみかん農家だった。 民宿の周りを散歩すると、段々畑が・・・。すぐそばに海があり、山がせまっている。平たい土地がないのである。昔の人たちは、段々にすることで、土地を得た。石垣は、小さな石で丁寧に作ってある。宿舎の本業は、みかん農家。三宝柑を作っている。和歌山のこの地方で全国生産の9割以上を作っているのだそうだ。 そして、三宝柑を使ってデザートにゼリーを作ったものを出してくれた。◎三宝柑◎は江戸時代から和歌山城内に原木があったとされ、その美味しさ珍しさゆえ、城外不出の果実として、三方に乗せて殿様へ謙譲されていたそうです。それが 明治になって吉備町の大江城平氏などによって一般に広げられたそうです。 三方に乗せて、出したのが三宝柑の語源。へえぇ~~!! こちらは、家の近所。10センチあるかないかの狭い所に、ナンキンとゴーヤを植えている。 世話が行きとどいているらしく、ナンキンの実がなっていた。気持ちのいい景色だ。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月11日*時計のない暮らし/里山の歌・夏はきぬ*・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.17
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6月12日(土)~13日(日)和歌山県に行ってきた。2日目は、紀伊半島のほぼ中央部に位置する湯浅というまち。湯浅は、醤油で栄えた古い町なみが残っていて、平成18年、国から重要伝統的建造物群保存地区に選定された。湯浅は湯浅醤油(発祥の地)としてで知られている。醤油の元となるものを作ったのは、鎌倉時代、紀州由良(現在の和歌山県日高郡)の興国寺の僧であった覚心であり、覚心が中国で覚えた径山寺味噌(金山寺味噌)の製法を紀州湯浅の村民に教えている時に、仕込みを間違えて偶然出来上がったものが、今の「たまり醤油」に似た醤油の原型だとしている。 ここは、大仙堀(だいせんぼり)という、かつての船着き場。ここから醤油を積み込み沖に泊まっている船まで運んだ。帰りは醤油の材料を積み込み、ここから荷揚げしたのだろう。ちなみに、湯浅の醤油は、大豆は岡山産、塩は赤穂産を使っていたそうだ。 まちの中で醤油を運ぶのも人力。この細い車だと*細い路地=小路(しょうじ)*も通れる。 湯浅には、今は使われていない銭湯があるが、そこを記念館として残している。その銭湯の名前は◎「甚風呂(じんぶろ)」◎。 のれんをくぐって中に入ると、左に男湯、右が女湯。どちらも同じ作りになっている。湯船は子どもが入っても安心なように浅いのと深いのがある。深い方は、御影石で出来ている。石は、四国の愛媛県から海に浮かべて湯浅まで持ってきたのだそうだ。道後温泉の「坊っちゃん湯」と同じ御影石作りというのが、この風呂の自慢らしい。 大人用と子ども用の湯船の他は、この洗面台があるだけのお風呂。今のようにジェットバスやサウナがあるわけではないけれど、この銭湯は市民の憩いの場だったのだろう。 温泉マークのついた洗面器が大事に保存されていた。「甚風呂」のスタッフは、説明が上手で聞き惚れた。この「甚風呂」は昭和40年代まで営業されていた。今は東京にすべてが集まっているが、かつては、どの地方にも豊かな産業や文化があったのだ。湯浅は、まだまだ見るところが多く、もう一度行ってみたい。◎和歌山県・湯浅・アクセス◎ ■電車■新大阪・天王寺→湯浅(きのくに線特急くろしお)・新大阪より約1時間30分・天王寺より約1時間10分・白浜より約50分 JRきのくに線湯浅駅下車■車■大阪→近畿自動車道→阪和自動車道→国道42号→湯浅(約1時間30分)阪和自動車道有田I.Cより約5分湯浅御坊道路湯浅I.Cより約5分白浜からは湯浅I.Cまで約1時間◎僕はGIOSで風になる :湯浅の街角◎・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月11日*時計のない暮らし/里山の歌・夏はきぬ*・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.15
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■シーサイドモーテル:あらすじ■ダマしてる?ダマされてる?周囲を山に囲まれながらも、そのホテルの名は“シーサイドモーテル”。インチキ化粧品のセールスマンに陽気なコールガール、借金を踏み倒したギャンブラーその恋人の猫好きな女。謎の訪問者、チンピラと多彩な顔触れがこのホテルに足を踏み入れ、それぞれの部屋でそれぞれのドラマが展開される。やがて朝を迎えたとき、ほんの小さな幸せを願う彼らは、海のないこのホテルで海を見つけることが出来るのか――? 海もないのにシーサイドという山奥のモーテル。名前の付け方からしていかがわしい。●103号室ミイラ取りがミイラに恋と仕事の騙し合い。インチキ化粧品のセールスマン、生田斗真*陽気なコールガール、麻生久美子●202号室追って追われて借金取りの!?修羅場に!!金と命の騙し合い。借金を踏み倒したギャンブラー、山田孝之*その恋人の猫好きな女、成海璃子●203号室夫婦問題はここでバッチリ!?マンネリと束縛の騙し合い。安売りスーパー社長、古田新太*妻、小島聖●102号室連れ込み成功!?下心と物欲の騙し合い。キャバクラの客、池田鉄洋*キャバ嬢、山崎真実そんな4組からなるドタバタコメディ。ラストの「ランナウェイ」。この曲がいい。監督 コメント。「『ランナウェイ』は初めて聴いたのはまだ小学生で、テレビ番組の「ザ・ベストテン」から流れてきたのだと思います。当時は意味もわからず、口ずさんでいたその大ヒット曲を「シーサイドモーテル」の脚本の執筆中に偶然聴く機会がありました。久しぶりに再会したこの曲は、まるで麻生久美子さん演じるキャンディの気持ちを代弁しているかのようで、僕はその瞬間に主題歌に決めてしまったのです。こうして映画が出来上がり、エンドロールで「ランナウェイ」が流れると、まるでこの曲のために、この物語を作ったかのような不思議な感覚に襲われます。僕は30年かけてやっとこの曲の意味がわかったのかもしれません。」だから、こんなにピッタリとこの映画に合っているのか・・・。♪ランナウェイ♪ランナウェイ とても好きさ連れて行ってあげるよふたりだけの遠い世界へお前を抱いてランナウェイ ひとりさまよい 傷ついた魂のぬけがらに愛をともしたおまえもロンリーガールふたり激しく燃えるランナウェイ とても好きさ連れて行ってあげるよふたりだけも愛の世界へお前を抱いてランナウェイ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月8日*子どもの仕事:風呂焚き*・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.13
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■ブライト・スター:あらすじ■いちばん美しい恋の詩(うた)1818年、ロンドン郊外のハムステッド。詩人としての才能を世に知られ始めたジョン・キーツ(ベン・ウィショー)は、親友であり編集者のチャールズ・ブラウン(ポール・シュナイダー)の家に居候していた。そこで出会った隣人・ファニー(アビー・コーニッシュ)の美しさに次第に惹かれていく。弟の死や、評論家からの詩への酷評に傷つくキーツを優しく包みこんでくれるファニーとの“恋”はキーツを詩人として成長させ、英国文壇から少しずつ評価されるようになる。そんな幸せを噛み締めていた矢先、キーツは結核を患ってしまう――。 まってました!!私の好きな、19世紀イギリスが舞台。しかも、監督は「ピアノレッスン」のジェイン・カンピオン。いろんな発見があった。まず、ロンドンの郊外、ハムステッド。今はロンドンの中心地から地下鉄で20分のハムステッドもなんと、田舎ちっく♪その林の中を歩くキーツとその恋人、ファニー。チラシにフェルメールの絵のようだとかいてあったが、どの場面をとってもまるで絵だ!裁縫が得意なファニーが縫物をするシーン。服の美しさ。窓を飾るカーテンや家具なども、中流家庭らしく美しい。愛し合うふたりだが、キーツが貧乏なために結婚が出来ない。19世紀はロマンチックだけれど、住むのは大変そう。タイトルの「ブライト・スター」はキーツの詩から。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月8日*子どもの仕事:風呂焚き*・・・・・・・・・・・・・・ 教育のヒントがここにあります とべないホタル-文芸ポケット版-価格:1,365円(税込、送料別)
2010.06.11
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■昨年末、第2腰椎を圧迫骨折。■骨を強くするために歩きなさいと医者に言われ、片道30分を歩いて通勤している。自転車通勤では、気がつかなかったことを歩くと発見する。公園にユスラの木、発見!しかも、実がなっている!! 時間を気にしながら、さっととって、サクランボに似た小さな実をパクっと口に放り込む。サクランボに似た、懐かしい味だ!私はユスラと言っているが、正確には*ユスラ梅*というらしい。増やし方は、タネを採取しての実生。その他、挿し木、接ぎ木で増やすことができる。1年生接木苗では植え付け後2~3年、実生でも3~4年で果実がなり始めるらしい。さっそく、食べた後の種を蒔いた。 帰りは、*グミ*!道端の家の庭から大きくはみ出しているのを、いただく。グミのことを、小さい頃は、グイビと言っていた。このグミ=グイビは、木にトゲ、すなわちグイがあるところからきたのだそうだ。これまた、挿し木で簡単に育てられるというから、一度、田舎に行った時に親戚に頼もう。 帰りながら、パクリと食べた残りを帰って白い皿に入れて写真を撮った。友人にグミとユスラの写真を送ると、「孫の保育園にあったユスラを祖父母が群がって食べていたが孫たちは知らん顔をしていた」という返事が来た。平成の子どもは食べないのか・・・。バナナもリンゴも店で簡単に手に入るけど、グミもユスラもスーパーには売っていないのにな・・・。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月8日*子どもの仕事:風呂焚き*・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.09
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平屋で生垣があって、小さな家。私の好きな家は、この写真のような家。「となりのトトロ」に出てくるような家。私はそれを「昭和の家」もしくは「トトロの家」とよんでいる。昭和30年代に建てられた(と私は勝手に想像している)そんな家が私の近くにもまだ、少し残っている。しかし、最近は、二階建てが当たり前、3階建てだってよく見かける。 そのうえ、「昭和の家」は生垣で囲まれていて、手入れが必要だ。最近も、生垣を手入れしていた。めんどくさい、生垣は、無粋なブロック塀にとって代わる。小さな「昭和の家」は、そんな風潮から、一軒、また一軒と姿を消し、この辺りでは、たった数軒になってしまった。 そして、その建て替えられた二階建ての二代目の家がはやくも潰されていた。二代目は、建てられて、まだ20年も経っていないのに・・・。かつては、家を建てることは、一世一代の大仕事だった。それなのに、こんなに簡単に家を建て替えるなんて、もったいない!いつの頃からだろう、こんなに家を消耗品のように簡単に潰すようになったのは・・・。 家の取り壊しは、2~3日で終わり、何事もなかったかのように更地になっていた。 これらの家は、名のある人の設計ではない。文化遺産として残ることはないだろう。あと数年もしないうちに残った数軒の家の取り壊しが終わるだろう。今は、住んでいる人もいない家もある「昭和の家」。しかし、この家にも、かつては、子どもたちの笑い声が響いていたはず。「昭和の家」が口をきけたら、懐かしい昭和の話しをしてみたいものだ。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月6日*命の重み*・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.07
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甥っ子が5月に結婚式を挙げた。今どき、珍しいくらい性格のいい甥が、これまた、今どき珍しいほど、性格のいい女性と結婚した。目出度い!夫と結婚式に行ったが、行く前から気になることがあった。それは、披露宴で出された食事が全部食べられるだろうかということ。 海の幸サラダ。 洋風に盛り付けた刺身。 ポタージュ。 オマール海老。この他にも、前菜やフランスパン、赤飯の祝い膳、コーヒー、ケーキ・・・。当日、出てきた、料理の数々を残さないように、必死で食べた。満腹・・・。普段は質素な我が家の食卓。こんな豪華の料理は、嬉しい。しかし、残してはいけない、もったいないと必死に食べるあまり、周りの人たちと写真を撮ったりしなかった。_| ̄|○苦しくなるほど、食べるなんて、世界中の飢えた多くの人々にとって失礼なこと。なんとか出来ないものか・・・。調べたらありました。◎TABLE FOR TWO「二人の食卓」◎アフリカの子どもたちに幸せのおすそわけ。結婚式の幸せを発展途上国の子どもたちにおすそわけできたら、すばらしいと思いませんか?イヤタカグループが参加するTABLE FOR TWOプログラムでは、婚礼料理の一部を+20円でヘルシーなTFTメニューに変えることができます。この20円はTABLE FOR TWOを通じて発展途上国に寄付され、アフリカの子どもたちが食べる給食になります。つまり1人分のゲストの料理で1人分のアフリカの子どもの給食を寄付することができるのです。たくさんの笑顔が見られる結婚式。ゲストの健康を気遣い、アフリカの子どもたちに「幸せのおすそわけ」してみませんか?食べすぎることは、健康にも美容にもよくない。結婚式の料理、なんとかならないかな・・・。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月2日*こごめ*・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.05
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夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。・・・。「枕草子」 清少納言ホタルが見たい。しかし、都会に住んでいたら、簡単には見られない。そう思っていたら、大阪の真ん中で蛍をみるイベントが! 新梅田シティ、中自然の森に「蛍」、舞う。 生命の尊さと美しさ、そして儚さを教えてくれるホタルの淡い光。昨年まで16年間、ホタルを放流してきた「中自然の森」。放流と自然繁殖した約2000匹のホタルたちが今年も姿をみせてくれます。薄暗い森をほのかに照らす神秘的な灯りは自然からの小さなメッセージ。都会の夜をやさしく潤し、そしてお子様にも忘れらない感動をもたらす、そんな貴重なひとときをぜひ新梅田シティでお受け取りください。 ■新梅田シティ■◎時:2010年6月4日(金)~6月中旬頃/日没~22時まで(20時頃が見頃) ◎住所:大阪府大阪市北区大淀中1-1 JR大阪駅中央北口から北西へ徒歩約10分(阪急梅田駅茶屋町口から西へ徒歩約10分) ◎連絡先:06-6440-3899 (新梅田シティ総合インフォメーション) 都会にはなんでもある。そう思っている人が多い。しかし都会には、ホタルのいる水辺はない。今は、ほとんどが、放流するホタルだけれど、いつか全てのホタルが自然発生したものであって欲しい。そうあるためには、人間はどうしたらいいのか。ホタルは、夏の夜の楽しみであるとともに、豊かな自然のバロメーターだ。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月2日*こごめ*・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.03
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朝夕は涼しい。いや、寒くさえある。しかし、6月だ。季節を大事にする日本人としては、お菓子も夏のものを出すのがいいのだろう。そんなとき、この水羊羹はいかがだろうか?青竹に入って、笹の葉でふたをした■「甘露竹■は、目にも涼しげ。こういう上等なお菓子は、上等な器で食べるに限る。で、塗りの菓子皿にいれてみた。これは、京都の東寺で毎月21日に開かれる骨董市で手に入れたもの。100円也。これぞ、チープシックならぬ、チープ漆器。そのうえ、新しく作ったものと違って、古いものは、作る時にエネルギーを使わないから環境にも優しい。塗りものは木地師、塗り師の手を経てやっと完成する。高価で使い方も、神経を使う。そんなわけで、塗りのお椀は、はやばやと、プラスチックに変わった。私はプラスチックのお椀は無理なので、■陶器の汁椀■をを使っているがやはり、塗りによさは、見逃せない。「いいよね、塗りは・・・」と友人と話をした。すると友人いわく「軽いしね♪これから歳をとってくると、軽いに限るわ。」なるほど、そうきたか・・・。( ̄▽ ̄)■器歳時記■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2020年6月1日*方言・あほう *・・・・・・・・・・・・・・
2010.06.01
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